王様の耳はロバの耳【西森さんの夫視点】
お待たせしました。
番外編、西森さんのご主人視点の話をお送りします。
かなり長くなってしまったのですが、よろしくお願いします。
皆さん初めまして、私は西森千裕の相棒(旦那とも言う)です。
本編の終了した今になって気付いたのですが、どうも私の下の名前が公表された様子がない。もしや作者が手を抜いて考えてないとか……?
いやいや、そんな筈はありません。けれど、折角こんな機会を与えて頂いたので、まずは自己紹介などしてみようかと思います。
西森和也 36歳 会社員。趣味はキャンプなどの外遊び。現在妻が一人、子供が二人、四人家族です。自宅は一戸建ての持ち家で、財産と言えばそれぐらいのもので、30年ローン付きです。
まあ、こんなものでしょうか?
妻との馴れ初めとか、子供達の事は、お喋りな千裕から聞かされていると思いますので、割愛させて頂きますね。
私の奥さんの千裕と言う人は、ご存知のように天然でミーハーでお喋りな女性です。彼女の喋り過ぎるところや噂好きなところは玉に瑕ですが、悪意のある噂や当事者を悪く言うような噂は大っ嫌いな正義感に燃える部分もあります。
彼女はイケメンやカッコイイ男の子が好きなミーハーではありますが(この辺は相棒としては、ちょっと気になるところですが)、基本彼女はサポーター気質で、頑張ってる人を応援したいと言うのが根底にあるのです。
守谷先生が新任として虹ヶ丘小学校へ赴任して来た時のPTA総会で、初めて彼を見た彼女の興奮は今でも忘れられない程です。それまでも韓流俳優やアイドル、日本のアイドルと騒いではいたけれど、身近に俳優張りのイケメンが現れたと、その夜の彼女は上機嫌で話して聞かせてくれました。それでも、彼女が守谷先生の話をするのは、役員の仕事で学校へ行った時に見かけた時ぐらいでした。
ところが、長男智也が3年生の時に守谷先生が担任になり、若い彼が一生懸命子供達に向き合う姿に、彼女のサポーター気質は刺激されました。あの不倫騒動の後も変わらずに対応してくれる彼の姿勢に大いに感動し、『私が応援するから、悪い噂なんかに負けないで』と言わんばかりに守谷ファンを公言するようになったのです。
そんな彼女のサポーターぶりに神様も感じ入ってくださったのか、次男の翔也の担任まで守谷先生となり、上の子、下の子と2年連続でお世話になる事になりました。おまけにクラス役員まで大当たりし、その夜の彼女はまたまた上機嫌で自慢気に話して聞かせてくれたのでした。
そしてもう一人、身近に千裕のサポーター気質を刺激した人がいました。
もうお分かりですね?
そう、篠崎美緒さんです。
千裕曰く、役員に決まった時の篠崎さんは、捨てられた子犬のように心細そうな表情で、呆然として立ちつくし、新役員と担任の守谷先生とで最初の打ち合わせをした時も、オロオロして担任の顔もまともに見れない程動揺していたそうです。
そんな篠崎さんの様子に千裕のサポーター気質(お節介とも言う)は大いに発揮されたようで、すっかり頼られてしまったと嬉しそうに語っていました。
知り合いもいない篠崎さんにとって、頼りになるのは千裕一人。必然的に仲良くなっていきました。それでも、千裕の口から聞かされる篠崎さんと言う母親は、イマイチイメージが掴みにくい謎の多い女性でした。千裕はあまり気にしていないようでしたが、子供を学童へ入れている事から、フルタイムで働いているのだろうとか、引っ越してきたようだけど、元々の地元はこちらのようで、転勤のあるような会社なのか、それとも新たにこちらで就職したのかとか、旦那の事を訊いたら、答えにくそうだったとか……いろいろと総合して、彼女は離婚して地元へ戻ってきて、こちらで就職したのではないだろうかと、私は推理したのでした。
しかし、日が経つにつれ、千裕からもたらされる篠崎さん情報は、私の推理を覆す事ばかりで、仕事は公務員だとか、年齢は26だとか、一番驚いたのは、大卒だと言う事。
まさか、できちゃった婚で学生結婚したとか?
千裕から聞く篠崎さんは、おとなしくて真面目で、そんな大胆な事のできる人には思えませんでした。やがて、謎だらけの篠崎さんの秘密が、暴かれる時がやって来ました。
それは、篠崎さんの息子拓都君は、篠崎さんのお姉さんの子供だと言う事でした。お姉さん夫婦を交通事故で亡くした篠崎さんは、その遺児である拓都君の母親代わりになって、拓都君を育ててきました。
その話を聞かされて、私はやっと納得がいきました。今まで知れば知る程謎が深まって行った篠崎さんの本当の姿が見えた気がしました。
千裕はいつも帰宅の遅い私に付き合って夕食の席についてくれるのですが、私が夕食を食べる間、彼女のお喋りを聞くのが日課となっています。その日あった事、思った事、聞いた噂等、彼女が感情一杯に話す様子はとても可愛らしく、私にとってはお気に入りの時間なのです。そして、そんな彼女の話を聞いて、いろいろ想像し、時には推理するのが楽しいのです。さながら、ワトスンの報告を聞くシャーロックホームズの様な気分でしょうか?
それにしても、いつも感心するのは、守谷先生の噂です。
皆さん殆どの人が結婚している母親だと思うんですが、若いカッコイイ男の先生って、やっぱり気になるものなんでしょうかね? 確かにキャンプの時に見た守谷先生は芸能人に負けないぐらいのイケメンだったですが、先生なんですよ? その情熱を御自分の旦那に向ければいいと思うのですが……あっ、けして私の願望ではありませんからね。まあ、千裕にそんな野暮な事は言いませんが、私にそんなに嬉しそうに話されても、ね。
また、千裕から聞く篠崎さんの話は、私の想像力を大いに刺激してくれます。
篠崎さんは大きな不幸を乗り越え、拓都君の母親として頑張っている訳ですが、拓都君のご両親が亡くなった時、篠崎さんはまだ社会人一年生だったそうです。そんな彼女がいきなりシングルマザーになって、今まで恋もせずに仕事と子育てだけをして来たのでしょうか?
『ねぇ、ねぇ、パパ、パパの会社に美緒ちゃんに合うような、いい人いないかなぁ』
ある時、千裕がそんな事を言い出し、またお節介病が出て来たなと思いました。
『篠崎さんに頼まれたのか?』
『なんだかねぇ、由香里さんの再婚に刺激されたのか、拓都君にパパをって思ってるような感じがするのよ』
感じがするって、やっぱりお節介じゃないか、と思いました。でも、川北さんや篠崎さん達と家族ぐるみで遊びに行ったりしていますと、我が家や川北さんの所の父親と子供の様子を、篠崎さんや拓都君はどんな気持ちで見ているんだろうと思う時があります。
篠崎さんは、自分の恋愛の相手よりも、拓都君の父親としての相手との結婚を考えているのでしょうか?
ところが、新事実が判明したのです。なんと篠崎さんには大学時代から付き合っていた人がいたのに、お姉さん夫婦が亡くなって拓都君の母親になろうと決めた時、その時付き合っていた彼を巻き込みたくないからと別れを告げたらしいのです。でも、篠崎さんはその人が忘れられずにいたところ、最近再会したとの事。
私はその話を聞いて、ホッとしました。恋もせずに子育てでこの若い時代を過してしまうのは、あまりにも寂しいと思っていたからです。
篠崎さんは、『にじのおうこく』と言う童話を真似て彼と送り合った虹の写真を、今でも携帯電話の待ち受けにしているとか……なんてロマンチックなエピソードなんだと思い、そう言うのが流行ったのだろうかと調べたけれど、見つける事が出来なかったから、彼女達オリジナルのイベントだったのでしょう。しかし、そのロマンチックエピソードを思わぬところから聞くとは、その時の私には想像さえしていませんでした。
2学期の個別懇談があった日の夜、落ち込んだ千裕が守谷先生を怒らせてしまったと懺悔のように話してくれました。その中に驚く秘密が隠されていた事に、千裕はちっとも気付いていませんでした。
守谷先生の携帯の待ち受けが虹の写真だと言う噂は、その前から聞かされてはいましたが、たまたまの偶然だと思い込もうとしていました。篠崎さんと守谷先生が何らかの関係があるとは思えなかったからです。しかし、『にじのおうこく』が関係していると聞いた時、そんな偶然があるだろうかと思い始めたのです。そして確か二人は同じ大学だったとか、元カレも守谷先生も2つ年下だったとか、今まで気にも留めていなかった情報を思い出し、これは偶然じゃなく必然ではないかと思い至ったのです。
けれど、千裕は全否定をしました。役員になってから、守谷先生と篠崎さんと一緒に過ごすことの多かった千裕には、とても信じられないらしいのです。二人の一番近くにいる千裕がそう断言すると私もどこか自信が無くなり、そのままうやむやとなって時は過ぎて行きました。
*****
今日は1年生の学習発表会と親子レクリエーションの日で、千裕にとって最後のクラス役員としてのご奉公日だからでしょうか、朝の千裕はとても張り切っているようでした。そしてその夜、私は今日の事を聞くのを楽しみに帰宅すると、いつものようにお帰りと千裕が玄関先まで迎えてくれました。
「ねぇ、ねぇ、パパ、あのね」
興奮気味に話し出した千裕は、急にハッと何かを思い出したように口をつぐみました。その様子を不思議に思い「どうした?」と訊くと、彼女は「あ、言いたい事、忘れちゃったぁ。アハハ」とまるで何かを誤魔化すように笑いました。私は気になりながらも、問い詰めるような事はしませんでした。
いつものように私の夕食に付き合ってテーブルの向こう側に座り、今日の出来事を表情をくるくる変えて話す千裕を、私は楽しげに見つめながら箸を進めていました。
今日の学習発表会では翔也が縄跳びを頑張っていた事、親子レクリエーションでは、親対子供での玉ころがしが面白かったと、その詳細を話して聞かせてくれました。
「千裕、1年間クラス役員ご苦労様」
私は千裕の話が一段落した所で、労いの言葉をかけました。
「やぁねぇ、そんな事言ってもらうような事してないわよ。むしろ美緒ちゃんとも出会えたし、守谷先生とも話ができたから、楽しい1年間だったわ」
千裕は少し照れたような、嬉しそうな顔をして笑っていました。
「そう言えば、守谷先生も千裕と篠崎さんを信頼して、婚約者情報を教えてくれたんだものな。そこまで守谷先生と仲良くなれて、役員した甲斐があったな」
そう、一週間程前にあった役員会議の時に、千裕は性懲りもなく、また守谷先生に愛先生の事で突っ込みを入れ、再び愛先生との関係を否定した守谷先生は、結婚を約束した人がいると話してくれたらしいのです。
おそらく守谷先生は、学習能力の無い千裕にうんざりして、仕方なく真実を話してくれたのだと思いますが、千裕ときたらその話を私に話してくれた時、勝ち誇ったように私の推理は間違っていたと指摘してきました。
確かに私は、守谷先生が篠崎さんの元カレじゃないかと推理しました。あの時、千裕が守谷ファンだと言うから、篠崎さんは本当の事を言えなかったんじゃないかと言った事を根に持っていたのか、ここぞとばかりに私の推理はあてにならないと笑いました。
まあね、千裕から聞く偏った情報だけで推理しているのだから、間違っても仕方ないだろと心の中で思いましたが、あまりに千裕が嬉しそうに「良かった、良かった」と喜ぶので、私は広い心で受け止め、一緒に喜んでやりました。
その時の事を思い出し、少しからかい気味に、けれど守谷ファンの彼女のサポーターぶりを褒めるつもりで言ったのですが、なぜだか彼女はハッとした表情をし、そしてあわてたように「そうね」と言って笑ったのでした。
いつもなら食後に何か飲み物を用意して、リビングへ移動して一緒にテレビを見たりするのだけれど、なぜだか今日はそそくさと流し台を片づけてしまうと、今日は疲れたからと言い恨めしそうな視線を私に向け、「先に寝るね」と寝室へ向かおうとしました。私はいつもと違う彼女の様子に、「何かあったのか?」と問いかけると、彼女は振り返り、また恨めしそうな視線を向け、「何もないよ」と首を横に振りました。
その様子に益々違和感を感じましたが、何かあるのなら彼女から話してくれるのを待とうと言うのが私の基本姿勢なので、それ以上問いかけませんでした。
その日からの千裕は、どこか挙動不審でした。ソワソワし、一人ボーとしてるかと思えば、ニヘラと嬉しそうに頬を緩ませ、夢見るような目で宙を見つめていたりしています。そして私と目が合うと、うらみがましい目で見たり、何か言いたそうに話しかけようとしたりするのに、すぐに慌てて誤魔化し笑いをします。
何か言いたい事があるのだろうと言う事は感じられましたが、どうしてそれを言えずにいるのかが分かりませんでした。けれど、結婚してから私には何でも話して来た千裕の事、口止めされた事でも、私にだけは話してくれていたのに、今回はよほどの秘密なのかと、私は気になり始めました。
ある時、彼女が陰で一人ぶつぶつ言っているのを、そっと近づいて聞いてみると、彼女は「王様の耳はロバの耳」と呟いているではありませんか。
『王様の耳はロバの耳』と言えば、王様の耳がロバの耳だと知った床屋が、口止めされているにもかかわらず言いたくて堪らなくなり、穴を掘ってそこに『王様の耳はロバの耳』と言ったと言うお話だったはずで、その話のその後の顛末は忘れてしまいましたが、要するに千裕は今、そのお話に出てくる床屋のように言いたい事を堪えていると言う事でしょうか? 言いたい気持ちを堪えるために『王様の耳はロバの耳』と言って自分を戒めているのでしょうか?
私は吹き出しそうになるのをグッと堪えて、千裕の傍から離れました。
なんて可愛い奴なんでしょう。
そこまでして耐えている程の秘密はとても気になりますが、彼女が耐えきれなくなって穴を掘る、否、私に話してくれるのを楽しみに待つ事にしました。
彼女の我慢に限界はそれからすぐにやって来ました。
あの学習発表会のあった日から一週間後、いつものように夕食を食べながら千裕の話を聞いていましたが、あの日からの千裕の話し方は、どこか千裕らしくなくて、まるでついうっかり喋り過ぎてしまわないかと警戒しているようでした。私がそう思うのも、千裕が話したいのを我慢していると思っているからなのでしょうか?
「そう言えば、篠崎さんはバレンタインデーに元カレへチョコレートを渡したんだろう? その後どうなったんだ?」
その時私はふと思い出した事を口にしました。確か「美緒ちゃんね、元カレにチョコレート渡したんだって」とバレンタインデーの日、篠崎さんからチョコレートを届けてもらったと話した後、嬉しそうに言っていた千裕を思い出したのです。私は篠崎さんにも守谷先生のように幸せになって欲しいと思っていたのです。
「あ、美緒ちゃん、ね……あ、あの、上手くいったらしい、よ」
どうにも歯切れの悪い言い方をする千裕は、どこか焦ったような戸惑うような表情をしていました。
「え? 上手くいったって、元カレも気持ちが変わっていなかったのか? また付き合うようになったのか? 拓都君の事は大丈夫なのか?」
千裕の表情も気になりましたけれど、上手くいったと言う言葉に、私は思わずその真偽を確かめるように矢継ぎ早に質問を繰り出してしまいました。私のそんな勢いに千裕は怯み、まだどこか戸惑った顔をしています。
篠崎さんの恋が上手くいったのなら、もっと喜ぶはずの千裕なのに、何を置いてもその事を真っ先に私に話してくれるはずなのに、どうにも歯切れの悪い千裕が気になりました。もしかして、何か問題があるのでしょうか?
「う、ん、まあね。と、とにかく上手くいったのよ」
千裕はまた同じように上手くいったとしか言わず、それ以上の詳細を言おうとしませんでした。
「まあねって、お前なら本当に上手く行ったら、もっと喜んで俺に報告するだろう? 何か問題があるのか?」
私はいつもの千裕ならと思って、普通の疑問をぶつけたつもりでしたが、千裕は途端に慌てだし、「あ、あ……」と視線を彷徨わせ言いあぐねています。おそらく返す言葉が見つからないのでしょう。
「あ―――!! もう! 黙ってられない!!! あのね、美緒ちゃんの元カレは守谷先生で、守谷先生の結婚を約束した人って言うのは美緒ちゃんだったの! そうよ、パパの推理通りだったのよ! 悔しいけど!!」
千裕の我慢の糸が切れたのか、興奮しながら怒ったように告白した秘密は、充分に驚く内容でした。でも、千裕の悔しいという言葉に、ああ、そのせいで言えなかったんだと思い至ると、笑いが込み上げてきました。
なんて、単純で可愛い奴なんでしょう。
私が肩を震わせて笑うと、千裕はブスリとした不機嫌な顔をして「笑いたければ笑えばいいわ。そうよ、パパには敵わないわよ」とそっぽを向いてしまいました。
「ごめん、ごめん。でも、千裕は嬉しいんだろ? 大好きな二人が結ばれて」
「それはそうだけど……でもね、二人はクリスマスに気持ちを確かめ合ったんですって、それなのにずっと黙ってたんだよ。何度も話す機会はあったのに!」
千裕は怒った風に言うけれど、きっと嬉しくてたまらないに違いありません。
「役員の仕事は守谷先生も一緒だから、篠崎さんは恥ずかしくて言えなかったんじゃないかな? だから、クラス役員の仕事が終わってから言ったんだろう?」
「うん、美緒ちゃんの気持ちはわかるけど……でも、もっと早く喜べたのに、損したみたいじゃない」
損をしたって……余りに千裕らしい言い方に、私はまた吹き出してしまいました。そんな私に千裕は頬を膨らませて「もう、パパは私の事バカにしてるんでしょ?!」と拗ねたように怒るから、私は笑いを止める事ができませんでした。
「ごめん、ごめん。やっぱり千裕はいいな」
私は、まだふてくされたような千裕を見つめながら、しみじみと言いました。
「なによ、単純でからかい甲斐があるとか思ってるんでしょ」
千裕はまだ拗ねたように強がりを言います。でも私は、優しい気持ちで目を細めて彼女を見つめました。
「千裕と結婚できて良かったと思ってるんだよ」
私がそう言うと、千裕は目を見開いて、そして顔を赤くして俯きました。
そんな千裕とこれからも一緒にいられる事が、私は嬉しいのです。
『君のくるくる変わる表情を見ているのは飽きないんだ』と思っている事は、内緒にしておくべく心の中の穴に向かってそっと呟いたのでした。