噂の顛末(その6)
お待たせしました。
今回はこの番外編の本題の噂とは少しずれた所の噂の話です。
お楽しみくださいね。
新年度が始まってもう20日が過ぎた。結婚退職した穂波ちゃんの代りに配属された新人さんもずいぶん慣れてきて、お昼休みも私達と一緒に食べるお弁当仲間だ。ちなみに彼女のお弁当は、母親の手作りらしいが……。
その彼女、斉藤梓こと梓ちゃんは、私と同じM大出身だと言う事は最初に聞いていたが、今日のランチタイムのおしゃべりの時にその話題が出た。と言っても、この県庁の中で、石を蹴れば3回に1回ぐらいはM大出身者に当たると言われているぐらい、多いのだ。そう言えば、県内の教師の中にも多いと言っていたから、県内唯一の国立大学の勢力は、県内においては非常に強いと思われる。
それだけではない。同じM大出身と言う事は、非常に世間が狭いと言う事も判明した。
梓ちゃんがM大の新卒と言う事で、思い出したのが、教育実習に来ていた安藤詩織ちゃん。折り紙サークルの後輩で、と言っても私とは年齢が離れているので、直接は慧の後輩なのだが、その彼女が私の高校時代の友達の妹だった事もあり、慧がらみの再会だったので、余計に記憶に残っていた。
だから梓ちゃんと学部は違うけれど、同級生の彼女の事を、何気なく「知ってる?」と訊いてしまった。すると梓ちゃんは驚いた顔をし、「えっ? 篠崎さんこそどうして知ってるんですか?」と訊き返され、「高校の時の友達の妹なのよ」と答えた。
「詩織は小学5年生の時に転校して来て、それから中学1年の終わりにまた転校して行くまで、ずっと仲良しだったんです。それからもたまにメールのやり取りはしてたんだけど、大学で再会してからまた仲良くなって……」
「へぇ~、そうだったんだ。私は小学校の頃の詩織ちゃんしか覚えていなかったんだけど、去年、ウチの子の小学校へ教育実習に来ていてね、詩織ちゃんの方が小学校へ来ていた私に気付いてくれて、声をかけてくれたの。だから、M大の新卒と聞いて思い出したのよ」
私は詩織ちゃんとの再会を梓ちゃんに説明しながら、教育実習に来ていた頃を思い出した。慧の事を『守谷先輩』と呼んでいた詩織ちゃん。そう言えば、採用試験はどうだったんだろう?
「あ、そうそう、詩織はその教育実習、楽しかったそうです。サークルの憧れの先輩が教師になってその小学校にいたので、再会できて喜んでました。篠崎さんのお子さんの小学校だったんですね。守谷先生って知っています? 結構イケメンで、詩織の話だと、女の先生やお母さん達にも人気があるらしいですけど…」
私はうっと胸が詰まった。まさか職場で慧の事を聞かされるとは思わなかった。その憧れの先輩と私は結婚したのだと、言うべきだろうか……言えないよね?
「ええ、知ってると言うか、この三月までウチの子の担任だったから……」
「えー? それは何と言うか凄い奇遇ですね。やっぱり篠崎さんも、守谷先生はカッコイイと思いましたか?」
ひやぁー、なんて事聞いてくるのよ。
私は仕方なく「ええ、まあ」と返事を濁した。
「ねぇ、ねぇ、何の話? 先生がカッコイイとか聞こえたんだけど」
さっきまで、南野さんと話していた速水さんが、私達の話を聞き付けて、口を挟んだ。
「篠崎さんのお子さんの担任だった先生が、私の友達のサークルの先輩で、大学の頃からイケメンでモテまくってた人なんですよ。それで今もお母さん達に人気があるらしくて……」
「いやー、美緒ちゃん所の小学校にも、そんなにカッコイイ先生がいるの? ウチの子の小学校にもすっごくカッコイイ先生が転勤して来てね。ウチの子の担任なのよ。昨日の授業参観で、初めて見たんだけど、もうお母さん達見惚れちゃって……まだ若いし、俳優かモデルかって言う程の男前なんだけど、授業の様子も、個別懇談の時の話しぶりもしっかりしているし、見た目だけじゃないってところが、またまた高ポイントでねぇ。すっかりファンになっちゃったわ。一年間楽しみ」
なんかいやな予感がする。速水さんのお子さんって、どこの小学校だったっけ?
「そんな俳優並みの男前が、先生なんてしてるの? まだ若いの? 独身?」
南野さんもいつになく食いつく。でも、食いつく観点が妙にずれているような。
「年はね、勇気あるお母さんが訊いたら、25歳だって。それから他の目ざといお母さん達が言ってたけど、指環をしてなかったから、独身だろうって」
私の予感はほぼ確定かと息を飲んだ。それにしても、女性って母親になっても、そんな所は目ざといんだなぁと感心してしまった。
しかし、指環の事を言われて、ドキッとしてしまった。
私達はすでに入籍はしたけれど、結婚式で指輪の交換をするまで、指環はお預けにする事にしている。
忙しくて指環を買いに行く暇がなかったと言うのもあるのだけれど、肝心の指輪はこの前の日曜日に決めて来たばかりだ。
私はそんな事を思い出して、少しドキドキとしていたら、梓ちゃんが少し不機嫌そうに口を挟んだ。
「速水さんも南野さんもイケメンが良いんですか? イケメンって自惚れが強くて、胡散臭い気がしませんか? 私は顔が良いだけの人って、皆にちやほやされる事に慣れてるから、それが当たり前って思ってるような人が多くて、嫌いなんです。友達のサークルの先輩も、女性に凄く冷たい態度を取るから、何様のつもりよと友達に文句言っても聞く耳持たなくて……」
私は唖然とした。
思わず梓ちゃんってイケメンに嫌な思い出でもあるのだろうかと、邪推してしまった。
「梓ちゃん、イケメンダメなの? アイドルとかも嫌い? 私はカッコイイ人を見てるだけで、ときめくんだけどなぁ。心の癒しよ」
速水さんは梓ちゃんの少し険のある言い方を、やんわりと受け流した。
さすが年の功と心の中で感心しながら、二人のやり取りを見ていた。
「篠崎さんもそうですか? やっぱり結婚しちゃうと、旦那さんへのときめきが無くなって、他へ求めるものですか?」
「ええっ? そんな事無いと思うけど……」
いきなり話を振られて、私は慌ててしまい、しどろもどろの返事しかできない。
でも私は、他にときめきを求めるなんて考えた事無いから……。
「ダメダメ、美緒ちゃんは新婚さんだから、速水さんと一緒の様に考えたらダメよ」
南野さんが笑いながら口を挟むと、速水さんが拗ねたように「南野さん、それひどいです」と訴えている。
「篠崎さんって、新婚なんですか? でも、小学生のお子さんがいらっしゃるって……」
そこまで言って、梓ちゃんはハッとした顔をした。もしかして、バツイチだとおもったのかな?
新しい人が職場に来ても、同僚のプライバシーはあえて説明したりはしない。
「あのね、子供は姉の子なの。3歳の時に姉夫婦が亡くなって、私の両親もすでに他界してるから、私が母親として育てているの。それで私は、この3月末に入籍したばかりだから、まだ新婚なんだけど、子供もいるから、そんな新婚ほやほやの雰囲気は無いんだけどね」
私は他の人が説明しにくい事を、苦笑しながら簡単に説明した。梓ちゃんは、少し困ったような表情をしたけれど、「わー、それはおめでとうございます」と言ってくれた。
私はその夜、帰って来た慧の夕食に付き合いながら、今日の出来事を話し始めた。
「ねぇ、去年教育実習に来ていた安藤詩織ちゃん、先生になったんだって」
私はランチタイムのお喋りの最後に、梓ちゃんに詩織ちゃんの近況を訊いておいた。
「ああ、去年の12月ごろ、採用試験に合格したって、小学校へ来ていたよ。そう言えば美緒は安藤の事知っていたんだったな。もしかして今日、安藤に会ったのか?」
慧の言葉で、詩織ちゃんが教育実習に来ていた頃の事をまた思い出した。あの頃、慧と詩織ちゃんの仲の良さを羨ましいと思っていたっけ……。そんなその頃の自分の気持ちに苦笑しながら、私は職場に来た新人が詩織ちゃんの友達だったと説明した。その奇遇に慧は驚いた顔になる。そんな彼の表情を見ながら、もっと驚く事実があるのだと、心の中でほくそ笑んだ。
「慧の今の担任するクラスに、速水さんっていう名字の子いる?」
「えっ? 速水って、莉那の事かな?」
私は心の中でやっぱりと呟いた。速水さんに小学校の名前は確認しなかったけれど、速水さんの住所から凡その校区は見当がついていた。もちろんそれが彼の今の小学校だと言う事も。
そして、彼が言った子供の名前は、速水さんの口から時々出る名前と同じだった。速水さんは子供が2人いて、下の子が莉那ちゃんで、この4月から小学校の3年生になったのだった。
「その莉那ちゃんのお母さん、同僚なのよ。ほら、結婚式に招待する中にあったでしょう? 同僚の南野さんと速水さんと長尾さん。今日ね、昨日の授業参観の話が出て、担任が転勤してきたカッコイイ先生で、ファンになったって言ってたの」
慧は私の話を聞いて、顔を歪ませた。彼は自分の外見でいろいろ言われるのが嫌なのだ。私は慌てて「外見だけじゃなくてね、授業の様子や学級懇談での話しぶりがとてもよかったって言ってたよ」とフォローした。
「それで、俺だってバラしたのか?」
私は、速水さんの娘さんの担任と、梓ちゃんの友達の先輩が同一人物で、私の結婚した相手だとは言えなかったと正直に報告した。本当は変に隠したりしたくなかったけれど、とても言えるような話題じゃなかった。私の報告を聞いて、慧もどこかホッとしたような表情を見せた。
「どちらにしろ結婚式の時にはバレちゃうから、結婚式のサプライズにしておこう」
私が提案すると、彼も「まあ、仕方ないよな」と頷いた。そして、二人して世間の狭さに溜息を付いたのだった。
「そうそう、千裕さんがね、今度の日曜日、由香里さんの所とウチと3家族合同で、アスレチックの充実している県立青少年の森へ遊びに行きませんかってお誘いがあったよ。どう?」
私は二人の間に流れた妙な重い空気を払拭するべく、話題を変えた。彼もそれを待っていたように表情を和らげる。
「ああ、あそこのアスレチックは有名だよね。もう随分行っていないから、季節もいいし良いと思うよ」
「じゃあ、OKしておくね」
千裕さんが以前に言っていた家族ぐるみのお付き合いが、本当の意味で出来ると思うと、私の胸の中にじんわりとワクワク感が広がって行った。