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いつか見た虹の向こう側  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
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#08:永遠の償い

「第52回虹が丘小学校入学式を閉会します」


 閉会を告げる言葉に、我に返った。

 あ……入学式が終わってしまった。

 私は、先程まで過去へトリップしていた意識に活を入れる様に、小さく深呼吸すると前方を見た。新一年生の前に、それぞれの担任が立った。今から新一年生を教室まで連れて行くらしい。また、周りがざわつきだした。よく耳をそばだてると、「守谷先生が担任なんて、嬉しい」とか「やっぱり守谷先生は、カッコイイよね」とか。遠い昔に聞いた様な言葉がささやかれている。

 ……慧、あの頃と変わらないね。でも、大学ではあまり見せた事の無い、自然で屈託のない笑顔を、惜しみなく子供達に向けている。もう、私には向けられる事の無い笑顔。


 私ったら、何を考えてるの!

 美緒、これだけは忘れちゃいけない。裏切ったのは自分だと言う事を。

 

 私は自分に言い聞かす。たとえ担任だとしても、いいえ、担任だから、その距離感を忘れてはいけない。私達は、まったく新しい人間関係として出会った、まったく新しい個人として、過去の事はおくびにも出してはいけない。

 肝に銘じる様に自分に言い聞かせる。

 これは、私の彼に対する永遠の償いなのだから。


 担任教師が子供達を連れて退場すると、保護者は学校からの連絡事項をいくつか聞かされた。そして、その後、自分の子供の教室へ向かう。教室の場所は分からなかったけれど、同じクラスの保護者の後をついて行けばいいだろう。自分の母校だったが、校舎は数年前に建て替えられていた。

 周りのお母さん達の会話はやはり守谷先生の話題だ。今年3年目で、去年は3年生を担任したらしい。担任としての評判がよかったからか、今年は1年生の担任に大抜擢されたと、自慢気に話す母親。その母親の上の子は、去年担任が守谷先生で、とても良かったと嬉しそうに話している。


 私は小さく溜息を吐いた。こうして小学校に居るだけで、彼の噂が聞きたくなくても耳に入って来る。どうして彼は、実家へ帰らなかったのだろう? もう、この県で教師になる意味が無いのに。

 あ……私ったら、なんて自惚れが強いのよ。私と別れた後に、彼が誰かと付き合っていたっておかしくないのだから。その彼女の為に、この県に残ったのかもしれない。恐らくそうだろう。

 拓都がいなかったら、彼がこの県で教師になっていた事さえ知らずにいただろう。いや、あのままK市にいたら、出会わずに済んだのに。なんて運命は皮肉なんだ。


 1年3組の教室にたどり着くと、教室の後ろに半分ぐらいの保護者たちが立っていた。父親の姿が思ったよりも多い。よく見ると夫婦で出席している様だ。なんとなく、拓都が不憫(ふびん)になる。

 後から来た人たちもどんどん中へ入って行く。だけど、私は教室の中へ入る事に躊躇(ちゅうちょ)した。まだ、私の存在に気付かれたくない。まだ、再会するだけの心の準備ができていない。


 私は廊下から、そっと中を覗き込んだ。すぐに長身の守谷先生の姿が目に飛び込んで来た。入学式だったせいか、ブラックスーツを着ている。彼のスーツ姿は、成人式に着たのを写真で見せてもらった事があったが、生で見るのは初めてだ。何を着てもさらりと着こなしてしまう彼は、スーツ姿もとてもきまっていた。


 拓都の姿を探した。拓都は窓際から3列目の前から3番目の所に居た。一生懸命先生を見上げて、話を聞いている。拓都の目には、この担任はどんなふうに映るのだろう? 父親を亡くしてから、初めて身近な大人の男性だ。初めての担任が、男性で良かったのか、女性教諭の方が良かったのか。

 子供たちへの話が終わると、守谷先生は教室の後ろに立つ保護者に「1年間、よろしくお願いします」と頭を下げた。

 私の過去に関係無く、拓都が楽しく学校生活を送れれば、それでいい。保護者に頭を下げた後笑顔になった担任教諭の姿に、視線を向けた。私をどんなに恨んでもいい。どうぞ、拓都を1年間よろしくお願いしますと、心の中で頭を下げた。


 結局、教室の中に入る事無く、恐らく担任教師にも気付かれないまま、明日からお世話になる学童保育の顔合わせに拓都と共に出席した。この学童保育は、虹が丘小学校の校庭の端に建つ平屋建ての建物で、校庭・遊具等を小学校と共有する。事前に説明を受け、申し込んでいた子供と保護者が集まって来ていた。

 最近は働く母親が多いので、もっと人数が多いかと思っていたが、この辺りはまだまだ祖父母と同居世帯も多く、昼間は祖父母に任せている親も多いのだろう。

 一通りの説明の後、自己紹介をした。拓都と同じクラスの子もいるようで、少し安心した。


「今度1年3組の担任になった守谷先生は、大学生の頃、ここで指導員をしていたんですよ」

 学童保育の責任者の人が、にこやかに話をする。しかし、私はここでもかと、彼の噂に付きまとわれている様な気がして、辟易(へきえき)とした。

 そう言えば、大学の頃の夏休みに、拓都と共に芝生公園で彼と会った時、学童の子供達を引率していたっけ。又過去が顔を出す。

 あの時1歳だった拓都を、覚えているだろうか?

 あの頃は、拓都の事を「たっくん」と呼んでいたから、名前は覚えていないかもしれない。


「それじゃあ、明日はお弁当を持たせてくださいね。よろしくお願いします」

 責任者の人の言葉に我に返ると、今日の自分はどうしようもないと、落ち込んだ。

 

 学校を後にして、拓都と家に向かって歩きながら、お喋りな拓都の取りとめのない話に相槌を打つ。先程学童へ行く前に、桜の木の下で子供たちと先生の、クラス単位の集合写真を撮った。ほとんどの保護者は、その様子をカメラマンの後ろから同じように写真を撮っていたが、私は担任教師の視界に入らないよう、人々のずっと後方から、こっそりと(のぞ)いていた。

 いずれは対峙(たいじ)しなくてはならない時が来るのは、分かっている。それでも、恐らくまだ私の存在に気付いていない間だけでも、心の準備をしたい。今日はこんな事ばかり考えて、入学式をちっとも楽しめなかった。

 もう3年も経ったのだ。大学生だった彼だって、もう社会人になって2年が過ぎている。もう、私の事なんて、忘れているわよ。新しい恋をして、私の事なんか遠い過去になってるわよ。

 そう思いながらも、その事が少し悲しくなる。私にとってはまだ3年。彼に関しては、早く何十年も過ぎて欲しい。もう思い出すのも困難になる程、過去の中に埋没させてしまいたい。それでも私は、自分が裏切った事だけは、忘れてはいけないと(いまし)める。

 もう二度と恋はしない。死ぬまで、彼への想いだけを心の奥底に閉じ込めて、もう誰も愛さないと、彼の幸せだけを願って生きるのだと決意して、彼を断崖から突き落とす様にその心を裏切り傷つけたのだから。


「守谷先生って、カッコイイよね」

 拓都の無邪気な言葉に我に返る。又私は過去へトリップしていたみたいだ。情けない。何重にも封印して、心の奥底に閉じ込めて来たと思っていた過去が、担任教師を見た途端に、一気に封印がはじけ飛んでしまった。溢れる過去の記憶に、今日は囚われ続けている。

 これではいけない。もういちど、しっかりと封印して、まったく新しい私として、彼と対峙しなくては。


「そうね」

 私は、嬉しそうに私を見上げる拓都の頭を、クシャッと撫でまわした。


       *****


 学校から、子供の足で約20分の自宅に帰ると、早速に貰って来た教科書やプリントをテーブルの上に広げた。1年生の教科書を手に取って見てみると、自分の時はこんなにカラフルだっただろうかと思う程、色彩豊かだ。ひとつひとつ丁寧に名前を書いて行く。拓都は、国語の教科書を広げて、やっと平仮名を覚えたからか、声に出して読んでいる。一字ずつ確かめる様に読んでいる様は、可愛らしくて、思わず笑ってしまった。


「ママ、さくらのはなって書いてある」

 一字ずつ区切って読んでいると、言葉の意味がなかなか分からなかったようで、何度も読んで、やっとその言葉が、桜の花の事だと分かった様だ。


「ホントだね。今日、小学校にも咲いていたね、さくら」

 そう言いながら、私の頭の中には、又過去の映像が(よみがえ)った。

 彼からの最後になった写メール……彼の実家の傍の桜並木の桜の蕾が膨らんで来たと、その蕾のアップの写真だった。桜が咲いたら、一緒に見に行こうと、書いてあった。


 だめだ、だめだ。もう、今日は何回、過去へトリップしているんだ。こんな事では、身動きが取れない。

 私は頭の中の映像をシャットダウンし、大量に貰って来たプリントに目を通す事にした。

 学校通信、保健室からのお知らせ、学年通信、学級通信、家庭調査票への記入依頼の文書、明日の予定と用意する物の一覧。

 学校通信は、校長先生からのメッセージと、新しく来た教諭や職員の紹介、1年間の大まかな行事の予定等。

 保健室からのお知らせは、健康診断の説明等と健康連絡票への記入のお願い。

 学年通信は、1年生の目標と1年間のテーマ、それぞれのクラスの担任の紹介と担任以外の1年生担当の先生の紹介。

 学級通信は……これは、守谷先生が書いたものだ。彼からの子供たちや教育への思いが(つづ)られている。そして、顔写真入りの自己紹介もあった。

 教師3年目の24歳。趣味は、ハイキング・キャンプ・スキー・写真・折り紙。

 あの頃と変わらない趣味に、心のどこかで安心している自分に気付きたくなかった。


 拓都の音読は続いている。余程読める事が嬉しいのか、嬉々として読んでいる(さま)に、ささくれた心が癒される。学級通信の担任の顔写真から視線をはがし、次のプリントへと移る。

 家庭調査票への記入依頼の文章を読んで行く。書き方の説明を読みながら、早速に記入する事にした。


「ママ、そのプリント、今週中に出してくださいって」

 今まさに記入しようとペンを持った時、拓都はタイミング良くそう言った。漢字ばかりの家庭調査票を見て、提出するプリントだと分かったのだろうか? 先生の話を必死で聞いていたからか。


「はーい。今から書くから、明日持って行ってね」

 そう言うと、拓都はニッコリ笑って「うん」と頷いた。

 拓都の笑顔に心癒されながら、プリントに目を戻す。保護者の名前と勤め先、緊急連絡先、他の家族の名前と学校、もしくは勤め先、学校から家までの略地図、既往歴、予防接種の有無、伝染病の罹患の有無、アレルギー等の有無、持病の有無、そして、学校への質問やお願い等。


 保護者欄に、自分の名前を書く。児童との続柄の欄に、どう書こうかと躊躇(ちゅうちょ)する。本来なら、叔母なのかもしれないが、養子縁組した今、やはり母と書いた。勤め先を書き、緊急連絡先に職場の電話番号と、自分の携帯番号を記入する。

 あの時、彼に別れを告げたその足で、私は携帯を解約しに行った。そして新規で新しい携帯電話を契約したのだった。彼には知らせなかった携帯番号を、今担任である彼に知らせるために記入した。

 彼からの一切の連絡を絶つために、解約までしたのに、結局こうして知らせる羽目になるなんて。でも、今更だよね。

 その後の項目にも、順次記入し、提出するべきプリントを全て書き終えた。


 このプリントを見て、きっと彼は、私だと気付くだろう。今の私の事、どう思うのだろう?

 年齢から言って、拓都は私の子供でない事は分かるはずだし。

 どんなふうに取られたとしても、今の私は拓都の母親なのだから。


「さあ、拓都、プリント書けたから、明日の準備をしよう。教科書を持って、拓都の部屋へ行くよ」

 私は立ち上がると、まだ音読していた拓都に声をかけた。拓都は「はーい」と返事をすると、椅子から勢い良く下り、教科書を持って2階の自分の部屋へ向かって歩き出した。素早い拓都の行動に、私はプリントを持って、慌てて追いかけた。


 *****


 入学式の夜、私は拓都の保育園時代に知り合った、成川由香里に電話をした。私が子育てと仕事に一人悪戦苦闘していた時、シングルマザーの会に入らないかと誘いかけてくれた人だった。彼女の二男と拓都が同級生で、とても仲が良かったからか、10歳と言う年齢差があるにもかかわらず、彼女とはすぐに打ち解け、意気投合した。私の誰にも秘めていた過去を、話したのは彼女にだけだった。それ程彼女を信頼していたし、長く付き合いたい友達だった。

 だから、今日の突然の再会も(一方的な再会だが)、彼女には包み隠さず話した。最後まで聞いた後、彼女が言った言葉は、こんな言葉だった。


「美緒は、バカね」

 いきなりバカ呼ばわりされて、本当なら腹が立つはずだけど、彼女の辛らつな物言いは、いつもの事なので、それほど気にならなかった。


「何よ、私のどこが馬鹿なのよ?」

 私は由香里さんに甘えるように、拗ねて言った。


「だから、もう恋愛はしないとか、もう誰も愛さないとか言っているから、元カレを過去の事にできないんでしょう? 新しい恋をすれば、みんな綺麗な思い出にしてしまえるのに……本当にバカよね」


「私は彼を裏切ったんだから、もう恋はしちゃいけないのよ」


「ほら、それが自己満足なのよ。彼への罪悪感を、自分を罰する事で許された気持ちになっているでしょう? もう3年も経っているんだから、彼だっていつまでも振られた事なんか覚えていないわよ。美緒がその事にいつまでもこだわっている方が、うっとうしいと思うけど」

 由香里さんは、いつもこうだ。一番痛い所を突いて来る。だけど、それが当たっているから、何も言えない。

 新しい恋、か。

 彼以上に好きになれる人なんて、現れるのだろうか?

 今日、再び彼を見て、何重もの封印が解かれた様に、私の心はまた彼に()き付けられた。

 彼のあの長い腕に抱きしめられた、あの感覚が蘇る。

 

 はぁ~、何思い出してるのよ? 只々大きく溜息を()く事しかできない。

 私の大きな溜息を聞いて、由香里さんはクスクスと笑いだした。 


「元カレって、よっぽどいい男なんだろうねぇ。美緒がそんな溜息を吐いちゃう程……機会があったら見てみたいな」


「そうね、チャンスがあればね。ねぇ、それより、今日、家庭調査票って言うのを書いたんだけど、保護者欄に私の名前を書いたから、きっと私だって気付くよね? どう思うと思う?」


「そうねぇ~まず、美緒は結婚したんだと思うわね。それで、拓都君は相手の連れ子とか、思うんじゃない?」

 

「やっぱりそうだよね。保護者欄は、当たり前だけど私の名前だけで、続柄は母って書いたの。でも、拓都の母じゃないって知ってるから……父親の名前はどうして書いてないんだろうって思うかな? 拓都とも小さい頃に会った事があるけど、覚えているかな?」

 私は心の中の不安を由香里さんにぶつけた。私はやっぱり由香里さんに甘えてるなぁって思うよ。


「元カレと拓都君が会ったのは、1~2歳の頃でしょう? それに、お姉さん家族は海外赴任している事になっているんでしょ? だったら、拓都君がお姉さんの子供だとは気付かないんじゃないの? 亡くなった事を知らなければ……それは、言うつもりはないんでしょ?」


「うん。姉達の事は言うつもりはない。あくまでも拓都と私は親子と言う事で、押し進めるつもり……」


「そう、それなら、それを貫き通しなさい。不安になったら、今まで守り通して来たものが崩れてしまうわよ」

 再び由香里さんは、命令口調であえて厳しい言葉を言ってくれる。こうやって厳しい言葉をもらうと、私はシャキッとするのだ。


「わかった。何があっても、頑張る。ちょっと元気出て来た。やっぱり由香里さんは偉大だよ」


「褒めても、何も出ないわよ。それより、新しい恋をしなさいよ」


「はい、前向きに検討してみます」

 

「そうそう、まだ26歳なんだから、人生諦めちゃだめよ」

 そう言って、由香里さんは電話を切った。彼女はいつも前向きだ。今まで散々男で苦労して来たはずなのに、「私の運命の人が、必ず現れる」って、恋する事を諦めない。

 私も彼女を見習わなくちゃ。


 彼は希望通り小学校の先生になって、元気に働いている。その姿を確認できただけでも、良かったと思おう。そして、私も自分の幸せについて、考えてみる時期なのかもしれない。

 


 

 







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