#27:未来に続く虹【前編】
お待たせしました。
前回次話で完結と予告しましたが、
やはり長くなってしまい2話に分けました。
2話同時アップしますので、長いですが完結まで読んでくださると嬉しいです。
3月20日春分の日、春らしい陽射しの中、私と拓都はそれぞれの両親が眠る霊園に来ていた。山の斜面に段々畑のように作られた市営の墓地は、お彼岸と言う事もあって、沢山の人で賑わっていた。
「ママ、お水汲んでくるね」
年三回、春と秋の彼岸とお盆にお墓参りに来ているので、拓都ももう慣れたものだ。「お願い」と言うと、先に篠崎家の墓に向かって歩き出す。お墓の前まで来ると、手の荷物を降ろし、しゃがんで手を合わせた。
『お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お義兄さん、ただいま。ちょっとお掃除させてね』と、心の中で話しかけ、私は鞄の中からゴミ袋を出すと、枯葉や草を取り除き始めた。
なぜだかここに来ると、ただいまと言ってしまう。別にお墓に両親たちがいるとは思っていないけれど、私達が来る時は、ここにいてくれるような気がするのだ。
拓都が重そうにお水を持って近づいてくるのが足音で分かった。「ママ」と呼ぶ声に振り返ると、春の日差しのように顔がほころんだ。「ありがとう」と笑い返し、又掃除に取り掛かる横で、拓都が手を合わせて祖父母と両親に挨拶をしている。それは、墓参りを繰り返す間に、自然に身に付いたものだった。
周りの枯葉や草を取り除いた後、墓石を水洗いし、持って来た墓花を花立てに入れた。そして、線香に火を付けて供えると、お墓の前に並んでしゃがみ手を合わせた。
『お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お義兄さん、いつも見守ってくれてありがとう。拓都は本当に元気で、しっかりして来たよ。小学生になってから、いろいろな事を覚えて、最近は勉強なんかは私を頼らなくなったし、縄跳びなんかも上手になったの。キャッチボールが好きで、大きくなったら野球をやりたいって言うかなぁ。私も元気に仕事を頑張っています。それに家事もね、拓都がお手伝いをしてくれるようになったので、助かってる。……あのね、クリスマスに挨拶に来てくれた彼……慧と、結婚しようと思うの。彼が、拓都のパパになりたいって言ってくれるの。お姉ちゃん、お義兄さん、彼に拓都のパパになってもらってもいい? 私達と家族になりたいって言ってくれるの。本当にとてもいい人なの。私にはもったいないぐらいの人なの。拓都も大好きな先生なの。だから、どうか、3人で幸せになれるよう、見守っていてください』
私は手を合わせ、目を閉じたまま、脳裏に浮かぶ両親や姉夫婦の笑顔に、心の中で話しかける。そして私は、約一週間前のホワイトデーの事を思い出していた。
約束通り届いたホワイトデーの贈り物。それは、地元で有名なスイーツのお店の焼き菓子の詰め合わせだった。バレンタインデーに花束をくれたお友達から、チョコレートのお礼を拓都へ送ってくれたのだと説明すると、拓都は嬉しそうに破顔した。そして添えられたメッセージカードを読みだした。
『たくとくんへ たくとくんがつくってくれたチョコレートは、おいしかったです。ありがとう』
読み終わると、少し照れたような顔をした拓都が私の方を見上げて「ママ、美味しかったって」と報告するように言う。私が「よかったね」と笑い返すと、また嬉しそうに笑って「うん」と頷いた。
いつか、あの時の贈り主は、パパだったんだよと告げる時が来るのだろうか?
そんな想像をして、私は心の中でクスッと笑った。彼の事をパパだなんて、どこかむず痒くなる想像だ。なんだか恥ずかしいような、申し訳ないような気がしてしまう。でも、それが現実になるかもしれない日が確実に近付いている事を、昨夜の彼からの電話の時に実感した。
「3月24日が終業式で1年生がお終いになるけど、その日は木曜日だから、26日の土曜日の午前10時に美緒の所へ行くよ」
いきなりそんな事を言われ、私は「えっ?」と思考が停止した。
「なんだよ。1年生が終わったら、拓都に話すって言ってただろう?」
それはそうだけど……分かっていた事だけど、心の準備が……。
「とにかくそういう事だから、美緒も覚悟しておいて……」
覚悟……はしているつもりだったのに……。
いよいよだと思うと、胸が震える。
拓都はどう思うだろう?
大好きな守谷先生だから大丈夫、とは思っても、安心できる訳じゃない。
もしも、拓都に反対されたら? 説得できるのだろうか?
私は篠崎家の墓の前で手を合わせ目を閉じたまま、つらつらと慧の事にまで思いを馳せていると、遠慮がちな小さな声で拓都に「ママ」と呼びかけられ、はっと我に返った。そして声の方に首を回すと、心配そうな拓都の顔が見え、私は慌てた。
「拓都、ごめんね。長過ぎたね」
私は素直に謝ると、苦笑して見せた。拓都は首を横に振って「ママ寝ちゃったのかと思った」とポツリと言うと笑った。
あー参ったな。
拓都の可愛さに照れてしまった私は、誤魔化すように拓都の頭を撫でていた。
*****
「ママ、朝だよ」
私の寝ている部屋の襖を少し開け、拓都が遠慮がちに声をかけて来た。私はその声に驚き、跳び起きると、時計を見た。
午前7時。
……えっ? 嘘でしょう? 目覚ましは鳴らなかったの?
時計を確かめると、アラームは解除されている。アラーム設定したかどうかさえ、覚えが無い。それでも今日が土曜日だと言う事を思い出し、私は安堵の息を吐いた。
「拓都、おはよう。すぐに朝ご飯の用意をするから……起こしてくれて、ありがとうね」
私がそう言うと、拓都は恥ずかしそうに笑いながら「おはよう」と挨拶を返し、リビングの方へ行ってしまった。開けられた襖の隙間から、拓都の後姿が見えなくなるのをぼんやりと見つめながら、とうとう今日が来てしまったと、私は小さく息を吐き、着替えるためにタンスから服を取り出した。
そう今日は、慧が指定した運命の日。
私は、どこか簡単に考えていた所があった。
パパが欲しいと言う拓都なら、大好きな守谷先生を受け入れてくれるはずと……。
でも、もっと現実的に考えていた慧の話を聞いて、拓都はいざ現実となったら、どんな反応をするのかとても不安になってしまったのだ。
昨夜、電話での彼は、どこかピリピリした緊張感を言外に漂わせていた。クリスマスに私に結婚を申し込んだ時は、私の気持ちに対してどこか確信があったらしい。だから、あんなに余裕有り気に見えたのだろうか? そんな彼が、拓都に話すと言う直前に、こんなに緊張しているなんて……。
先生としてどんなに好かれていようとも、家族として受け入れられると言う保障にはならない。
先が皆目想像がつかない状態で、余裕なんて持てるはずが無いのだと、彼は溜息をついていた。
彼のそんな緊張が、私にも伝染し、私は昨夜は遅くまで眠れず、今日の朝寝坊となってしまったのだった。
二日前の24日の終業式の日、1年生最後のホームルームで成績表が配られる時、担任は一人一人と握手をし、一言ずつはなむけの言葉を言って、成績表を渡したらしい。
『ママ、守谷先生の手って、とっても大きいんだよ。それでね、僕の笑顔が嬉しいんだって』
その夜、成績表を渡し、嬉しそうに言う拓都を見つめながら、慧は本当に良い先生なんだなと、改めて思った。
―――ああ、これで1年生が終わったんだ。
彼が担任だと知った入学式、拓都から毎日聞かされる担任の話、役員になってしまった学級懇談、千裕さんとの出会い、彼の素っ気ない態度……次々に浮かぶ出来事。
何度も諦めようとした。
何度も自分に言い聞かせた。
それでもコントロールできない恋心は、私を苦しめ続けた。
こんな日が来るなんて、あの日、誰が想像しただろう?
全てが巧妙に企てられた運命のようで、時々恐ろしくさえなる。
私は、いつもの家事を進めながら、二日前の事を思い出していた。
1年生を終えて身体も心も成長した拓都は、どこまで受け入れる事が出来るのだろう?
朝食の後片付けをし、洗濯物を干し終わってもまだ午前9時前で、約束の時間までまだ1時間もあった。身体を動かしていないと、この後の事を思って緊張してしまいそうなので、私はいつもより丁寧な掃除を始めた。拓都も、いつものテレビアニメを見終わると、お手伝いを申し出てくれた。
一応お客様が来るのだからと、玄関、廊下、仏間、リビングと、彼が通るであろうと思われる場所を重点的に掃除をする。身体を動かしている間は、その事に没頭しているのに、ふと途切れた時に時計を見ては、彼が来るまでのカウントダウンをしている自分がいる。そして、9時50分を過ぎた頃に、掃除のために開け放した窓から、我が家の駐車スペースに車が入って来る音が聞こえた。
私は慌ててリビングの窓を閉めた。3月の終わりと言え、まだこの時期は窓を開け放す程暑くは無い。拓都にも仏間のサッシを閉めるように言い、台所へ行ってお茶の用意をし始めた。
程無く玄関のチャイムが鳴らされた。いつものように「ママ、僕が出る」とバタバタと玄関へ向かって駆けてゆく拓都に、「はーい」と言いながら、自分も後を追う。
拓都の嬉しそうな声と彼の声が聞こえて、私の心拍は一段と早くなった。
「ママ、守谷先生が来たよ」
丁度、玄関へ顔を出した時、拓都が振り返って私に呼び掛けた。
玄関には立つ彼を見て、緊張が高まる。けれど彼は、いつもと変わらず優しく微笑み、「おはようございます」と小さく会釈した。
昨夜の電話では、緊張気味だったのに、目の前の彼はやはりどこか余裕有り気に見えて、憎らしくなる。
私は同じように挨拶を返すと、彼をリビングへ招き入れた。
「守谷先生、今日はどんな御用なの?」
「拓都と拓都のお母さんに話があって来たんだよ」
「えー! またサンタさんに頼まれたの?」
どうやら拓都はクリスマスの事を思い出したらしい。
「いやいや、先生が拓都に話があるんだよ」
二人がそんな会話をしている間に、お茶をのせたお盆を持って近づき、そっとテーブルの彼の前に置いた。彼は「ありがとう」と言うと、意味ありげな視線を向けるので、私は覚悟を決めるようにコクリと頷いた。
「拓都、とても大事な話をしたいんだよ。だから、座敷の方へ行こうか?」
彼は一口お茶をすすると、拓都を真っ直ぐに見てそう言った。
「守谷先生、大事な話って?」
キョトンとした拓都は、首をかしげて聞き返している。「座敷へ行ってから話すよ」と言うと、彼はすっと立ち上がり、すたすたとリビングを出て座敷の方へ入って行った。拓都はその後を追いかけるように付いて行き、私は気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと座敷へ入ると、後ろ手に襖を閉めた。
彼と拓都は仏壇の前で向かい合って座っていた。拓都も何かを感じているのか、神妙な表情をしている。私は拓都の斜め後方に座ると、彼に向って頷いた。
さあ、いよいよだ。
私は祈るような気持ちで二人を見つめた。
「拓都、今日は拓都にお願いがあって来たんだよ」
彼は拓都を優しく見つめると、言い聞かせるように話しだした。
「お願い?」
「そう。今拓都はお母さんと二人きりの家族だよね?」
拓都がコクリと頷く。それを見て彼は、また話を続けた。
「拓都の家族に僕も入れてくれないかな? 仲間にして欲しいんだよ」
「仲間?」
「僕は拓都のパパになりたいんだ。拓都のパパになって、仲間になりたいんだよ。どうかな? 拓都」
「先生は、パパになりたいの?」
拓都は少し俯いて考えた後、また顔をあげると、首をかしげてそう問い返した。
「拓都のパパになりたいんだよ。そうすれば拓都とママの家族になれるだろう?」
彼は拓都の顔を覗き込むようにして、どんどんと問いかけて行く。拓都は問いかけられる度、首をかしげて少し考え込んでいる。
私は二人のそんな様子を、息を詰めて見守っていた。
「先生、ダメだよ。先生は僕のパパにはなれないよ」
えっ………どうして?
思わぬ展開に、思わず声をあげそうになった。彼と約束していなかったら、口を挟んでいただろう。
彼の驚いた顔を見て、私はどうすればいいのだろうと、途方にくれた。そして、彼が私の方へ視線を向けた時、私は祈るような思いで見つめ返した。
どうぞ神様、私達の未来に光を……。
「拓都、どうしてダメなのかな?」
「だって、先生言ったでしょう? 僕のパパは、ママが大好きな人じゃないとダメだって」
拓都の言葉を聞いて、私も彼もハッと思い出させられた。彼は特に自分が言った言葉だからか、ばつの悪い表情をした。
私達は間違っていたのだ。まずは自分達の関係を説明するべきだった。
「拓都、ママはね、守谷先生の事、大好きだよ」
私は思わず口走っていた。驚いて振り返った拓都は、私の言葉をまだ呑み込めていないような顔をしている。そして私は、すかさず立ち上がると、慧の横に座って、拓都を真っ直ぐに見つめた。
「拓都、ママは守谷先生の事、大好きなの。拓都は守谷先生の事、好き?」
いつもなら恥ずかしくて言えない言葉を、もう一度繰り返した。そして、まだ現状が良く分かっていない拓都に、問いかけてみた。
「うん。好きだよ」
こんな単純な質問でやっと拓都はホッとした笑顔を見せた。余りに突然訳の分からない事ばかり言われたからだろう。
「拓都、ごめんな。僕の言い方が間違っていたね。僕も拓都のママの美緒が、大好きなんだよ。だから、美緒と結婚したいと思っているんだ。それから、拓都の事も大好きだから、拓都のパパになりたいと思っている。そして、二人を守れるように家族になりたいんだ」
彼はそう言うと、拓都のどんな反応も見逃すまいと、息を詰めて見つめる。私は、胸が苦しくなる程の動悸に、思わず胸のあたりを押さえ、同じように拓都を見つめた。
「ママも先生と結婚したいの?」
困惑した表情でしばらく私達を見ていた拓都が、私の方へ視線を向け、ポツリと訊いた。私はどう言えばいいか分からず、ただうんうんと大きく首を縦に振る。そんな私を見て拓都は「そっか……」と寂しそうな表情をしたので、私は慌てた。
「拓都、ママは結婚しても、ずっと拓都のママだからね。その上に、パパまでできるんだよ。陸君のお家と一緒だよ」
私は努めて明るい声で話しかけた。拓都はパッと顔を上げると「陸君のお家と一緒? 本当に?」とまた首をかしげた。
私がまたうんうんと頷くと、拓都は嬉しそうな表情になり、今度は慧の方に視線を向けた。
「守谷先生はゲームできる?」
「もちろんできるよ。それに、キャッチボールもスキーだって……僕が拓都のパパになったら、一杯一杯遊ぼうな」
慧は目を細めて拓都を見つめている。なんだか遊びで釣っているみたいだけど、今の拓都にとってパパと言う存在はそんなイメージなのだと思う。
彼の言葉を聞いて、拓都は益々嬉しそうな顔になった。
「それじゃあ、陸君家は、弟か妹が生まれるんだって、僕にも弟か妹ができるの?」
えっ?
私は一瞬固まった。
「拓都、それはママ次第だな」
な、何言ってるのよ。
私は隣に座る慧を睨んだ。
「拓都、違うの。赤ちゃんは神様からの贈り物だから、どんなに欲しいと思ってもその通りにはならないのよ。我が家にも赤ちゃんができますようにって祈るだけで……」
私が一生懸命に説明していると、拓都は私の話など耳に入らないかのように、嬉しそうな顔をして身を乗り出した。
「僕ね、弟が欲しいんだ」
「う~ん、僕は女の子がいいなぁ」
慧が拓都に対抗するように言う。
慧まで、何言ってるの!
「あなた達、何を言ってるの? そんな思うようにはいかないから……」
「美緒、拓都が弟が欲しいって……良かったな」
そう言って彼が笑うから、私は何も言えなくなってしまった。
「拓都、僕も家族になっていいんだな? 拓都のパパになっても……」
「うん。先生も仲間にしてあげる」
うわー、拓都、なに偉そうな事言ってるの!
私が驚いている間に、慧は「ありがとう」と拓都を抱きしめていた。