#23:真実のカミングアウト【後編】
「でも、守谷先生は結婚を約束した女性がいると……まさか、それが美緒ちゃん、なの?」
驚いた表情のまま固まっていた千裕さんは、我に返ると勢い込んで言った。
ああ、そう言う事か。千裕さんの中では、彼は結婚の約束をしていると言う事で、すでに既婚者のくくりに入れられていて、独身者メンバーの中に入れられていなかったから、彼の名前が出てこなかったんだ。
やっぱり相手が私って言うのは、予想外なんだろうな。
「そうなんですよ、西森さん」
そう言ってニッコリ笑った彼の笑顔は、子供から大人までを釘づけにする魅惑の笑顔だった。
彼の返事を聞いた千裕さんは、みるみる目を大きく見開いた。
信じられないのかな?
相手が私だって言うのが、嫌なのかな?
「ええっー! そんな……この前、美緒ちゃんだって、おめでとうって言ってたじゃないの」
千裕さんは、私と彼を見比べて、まだこの事実を受け入れられないみたいで……。
私は大嘘つきだと思われたに違いない。
「あれは……なりゆきで……。ごめんなさい。今まで本当の事言わなくて……」
私はどう言えばいいのか分からなくて、ただ謝る事しかできない。
やっぱり、怒るよね?
目の前に居ながら、知らんふりを続けていたんだもの……。
もう、今までのように仲良くしてもらえないのかな……。
「西森さん。美緒は、西森さんに黙っている事をずっと気にしていたんですよ。でも、役員の仕事をしている間は俺達の事を意識して欲しくないって……、それに、俺が担任だから、やっぱり言い辛かったんだと思います。俺も西森さんには中途半端な事しか言わなかったから余計に混乱させてしまって……俺がもっとしっかりしてたら、美緒にもこんな思いをさせなくてもよかったんです。だから、美緒を恨まないでください。美緒の言えなかった気持ちを分かってやってください」
千裕さんに向かって頭を下げている彼を見て、私は胸が詰まった。
慧……。
千裕さんに言わないって言い張ったのは私なのに……。
「慧、慧は悪くないの。私が自信が無くて、言えなかっただけだから……千裕さん、本当にごめんなさい。千裕さんが怒っても仕方ないと思ってる。ずっと騙してたようなものだもの。でもでも、私は千裕さんの事大好きで、ずっと頼りにして来たの。慧も私も千裕さんがいてくれたから役員活動も順調に続けられたし、今私達がこうしていられるのも千裕さんがいてくれたからだと思ってる。だから、私の事は恨んでも慧の事は恨まないで」
茫然とした表情で私達を見ている千裕さんに、私は懇願するように言った。千裕さんは私の方を見ると、目を瞬かせた後、彼の方へ視線を向けた。
急にこんな事を言ったから、千裕さんは混乱しているのだろうか?
すると突然、千裕さんが笑い出した。最初は肩を震わせた小さい笑いが、だんだんと大きくなり、そのうちアハハハと笑い出すから、こちらが驚く番だ。
な、何事?
混乱しすぎて、おかしくなっちゃった?
「もう~、なあに二人とも。ラブラブじゃないの。なんだか当てられて、私一人バカみたいじゃない? あー、暑い、暑い」
そう言いながら、千裕さんは手で顔をパタパタとあおいでいる。
暑いって……今2月なんですけど……。
それに、ラブラブって、今の会話のどこがラブラブだったのだ?
私と彼は、不思議なものでも見るように笑い続ける千裕さんを、唖然として見つめた。
そして一頻り笑うと千裕さんは私を真っ直ぐに見詰めた。
「美緒ちゃん、おめでとう。良かったね。本当に良かった。こんなに嬉しい事無いよぉ」
そう言うと千裕さんは満面の笑みで私に抱きつき、「美緒ちゃん、良かったねぇ」と小さな声で囁いた。
千裕さん……。
いいの? 怒っていないの? まだ友達でいてくれるの?
私は千裕さんの突然の祝福に、戸惑った。おまけに抱きつかれて焦った私は、助けを求めるように彼の方を見た。
良かったの? これで。
良かったんだよ。
私が目で問うと、彼の眼差しが、そう答えた。
私はやっと安心して、抱きついて来た千裕さんをハグして、「千裕さん、ありがとう」と答えた。
「西森さん、私からも西森さんにお礼が言いたかったので、今日ここで話をするように言ったんですよ。西森さん、美緒と再会してからいつも西森さんが間にいてくれて、西森さんの明るさに救われていた事が多かったように思います。それに、本当は1年生の担任が終わってから、美緒に話をするつもりだったんですが、西森さんが2学期の懇談会の時、美緒の携帯の待ち受けが虹の写真だって教えてくれたでしょう? あれを聞いて、予定を前倒ししたんです。……だから、今こうしていられるのは、西森さんのお陰なんですよ。本当にありがとうございます」
彼はそう言って丁寧に頭を下げた。私も彼に合わせて頭を下げた。千裕さんは、又驚いた顔をして、そして破顔した。
「なーに言ってるんですか。あの時私、守谷先生に失礼なこと言って怒られたんじゃないですか。それなのに、こんな風に感謝されるなんて……なんだか申し訳ないですよ。でも、私の考えなしのお喋りが、二人のためになったんだったら、嬉しいです。ところで、守谷先生、今の私は保護者じゃ無くて、美緒ちゃんの友達だから、そんなに丁寧な言葉を使わなくていいですよ。さっきは自分の事、俺って言ってたのに、もう私に戻っていますよ」
千裕さんは嬉しそうにクスクス笑いながら指摘した。
「すいません。さっきはちょっと興奮して、素の自分が出てしまって俺って言ってしまいましたけど……やっぱりここは学校ですから……」
彼がどこか焦ったように言うのが可笑しくて、私も千裕さんと同じように笑ってしまった。
「まあ、そんな所も守谷先生らしいですけど……それにしても、今日はいつもと違う守谷先生が見られて、ラッキーでした」
「ラッキーってなんですか? 西森さんはいつも私をからかってばかりで……」
彼はそう言うと、溜息を吐いた。相変わらず千裕さんは笑い続けている。
私は二人のやり取りを見ていて、ほんわかと心が温かくなった。
「それにしても、拓都君も喜んでいるでしょう? パパが欲しいって言っていたし。そう言えば、翔也からそんな話は聞かないから、拓都君に口止めしてるの?」
千裕さんは、さっきまでの笑いをおさめた後、思い出したように私の方に向いて訊いて来た。
「いいえ、拓都にはまだ話をしていないの。拓都に話すと、守谷先生の事を意識するだろうし、友達に話したりするでしょう? 1年生が終わるまでは黙っていようって決めてるの。だから、プライベートでは会って無いのよ」
「えー! あなた達、せっかくお互いの気持ちが分かったのに、プライベートで会って無いの? 拓都君ならいつでも預かってあげるのに。守谷先生だって、デートしたいでしょう?」
「いや、会わないって言いだしたのは私の方なんですよ。拓都には、1年生が終わってから話すつもりです。だから、西森さんもそれまで誰にも言わないで欲しいんですよ」
「まかせて、私口が堅いから。でも、こんなスクープを誰にも言えないなんて、ちょっと悔しい」
千裕さんは本当に悔しそうな顔をした。
千裕さん、口が堅いと言いながら、悔しいって……。その反応が余りにも彼女らしくて、私は笑ってしまった。
「ハハハ、それじゃあ、よろしく頼みます。私はまだ仕事がありますので、お先に失礼します」
彼も同じように笑いながら、仕事に戻るために千裕さんにそう言うと、私の方を向いて「じゃあ美緒、又電話するから」と言って、教室から出て行った。
彼が出て行くのを、二人でボーと見送った後、千裕さんがクルリと私の方を向くとニヤニヤと笑った。
「みーおちゃーん、いいねぇ、守谷先生に美緒なんて呼び捨てにされて。羨ましすぎるぞ」
「な、何言ってるんですか? 千裕さんだってご主人と仲が良いじゃないですか」
「私と旦那ねぇ。もうそう言う初々しさはないのよねぇ。って、そう言えば。いや~! 悔しすぎるぅ」
急に顔をしかめて叫んだ千裕さんを、私は訳が分からず茫然と見つめた。
「旦那がね、言ってたのよ。守谷先生と美緒ちゃんは怪しいって。私あの時、絶対無いって否定したのに……この事を旦那が知ったら、絶対に自慢気に自分の推理の確かさを披露して、私をバカにするのよ。悔しすぎるぅ」
身悶えして言う千裕さんは、その後も「絶対に旦那には言わない!」と宣言した。でもいずれ、分かると思うんだけどね。
「ねぇ、千裕さん、由香里さんの事だけど……由香里さんには引っ越ししてくる前から、元カレと担任として再会したって話してたから、最初から知っていたんだけど、私が口止めしていたの……ごめんね」
由香里さんにまで嘘をつかせていた事を思うと、二人に対して申し訳ない気持ちで一杯だ。
「そんな事、分かってるわよ。美緒ちゃんは気にしすぎるんだから……」
千裕さんは、反対に私の方を気遣うような表情をしている。
「由香里さんはね、早く話した方がいいって、何度も言ってくれたんだけど……私がやっぱり照れ臭かったんだと思う。だから、クラス役員の仕事が終わるまでって、引き延ばしてたの。本当にごめんなさい」
「何言ってるの。私が守谷先生のファンだって公言してたから、余計に言い辛かったんでしょう? 私の方こそ、知らなかったとはいえ、愛先生の事とかいろいろ言ったよね。ごめんね」
「ううん。私が悪いんだから、謝らないで……」
千裕さんに謝られてしまうと、ますます居た堪れなくなる。
「もうお互いに謝るのは無しね。こうして話してくれただけで嬉しいのよ。それに、今日は守谷先生のデレデレぶりも見られたし」
千裕さん……ずっと黙っていた私を、そんなに簡単に許していいの?
それにしても、デレデレぶりって、なに?!
そんな場面、あったっけ?
「千裕さん、ありがとう。でも、デレデレなんて、してた?」
「『美緒の気持ちも分かってやってください』なんて、もうなんて言うか、こっちが恥ずかしくなっちゃったわよぉ」
千裕さんは彼の声真似をして言うと、両手を頬に当てて身悶えしている。
千裕さん……。
私は唖然としたまま、彼女を見つめていた。
けれど、彼女のそんな所が、私たちの救いだったんだと思うと、暖かいものが心の中に広がって行った。