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いつか見た虹の向こう側  作者: 宙埜ハルカ
第二章:婚約編
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#10:インフルエンザ【後編】

おまたせしました。

そろそろインフルエンザの予防接種が行われる頃ですが、

こちらのお話は、すでにインフルエンザが流行しています。

現実には流行しない事を祈りつつ……


どうぞよろしくお願いします。


 1月20日の木曜日、午後の業務が始まろうかと言う時間に拓都の担任である慧から電話があった。担任モードの彼が告げたのは、拓都が高熱でインフルエンザではないだろうかと言う事だった。

 仕事を早退して、小学校へ向かい、今保健室のスライドドアの前で一つ息を吐いた。ドアをノックすると、中から「どうぞ」と言う声が返り、ドアを開ける。


「あ、美緒、お疲れ様」

 振り返った笑顔は、正月以来の親友の美鈴だった。虹ヶ丘小学校に勤務するようになってまだ2カ月弱だと言うのに、すっかりなじんだ様子の親友にぎこちない笑顔を向けて「拓都がお世話になって、すいません」と頭を下げた。

 普段と変わりない態度で接する美鈴に対して、保護者モードを崩せないのは、もう一人女性がいたからだった。

 見覚えがあるけれど名前を知らない女性(おそらく先生だろう)に会釈をし、その女性がいるので美鈴に対してどんなふうに接したらいいかと思い巡らせた。美鈴はそんな私の葛藤など気付きもせずに普段と変わりない口調で話しかけてくる。


「美緒、拓都君、熱が高いからインフルエンザだと思うのよ。最近どんどん増えてるの。美緒も気を付けてよ」

 美鈴はそう言うと、カーテンで囲ったベッドの方へ歩いて行った。


「拓都君、ママが来てくれたよ」


「拓都、大丈夫?」

 高熱のためにうとうとしていたのだろう拓都が、うっすらと目を開けた。「ママ」と弱々しく呼ぶ拓都の額に手を当てる。熱い。


「拓都、お熱高いから、今からママと一緒に病院へ行って、お家へ帰ろうね」

 やさしく微笑んでそう言うと、拓都は安心したようにコクリと(うなず)いた。


「今日は木曜日だから、おやすみの病院が多いけど、かかりつけの小児科はどこ?」

 美鈴の問いかけで、初めて今日が木曜日だと言う事を思い出した。


「高尾小児科だけど……木曜日は確か、午前中だけだったかも……」

 どうしよう? 他の小児科だってきっとお休みだろう……


「高尾先生のところなら、かかりつけの患者さんはお休みでも診てくれる事が多いから、一度電話してみて? たぶん大丈夫だと思うから」

 美鈴は私を安心させるようにニコリと笑いながら言う。さっきまで友達同士の会話のようにタメ口で話していた美鈴が、急に養護教諭らしく見えた。

 早速に電話をしてみると、先生がまだいらっしゃるからすぐに来てくださいと言われ、ホッとし、美鈴の方を見ると、「良かったね」と彼女もホッとしたように微笑んだ。


「拓都君、起きられるかな?」

 美鈴が拓都に声をかけると、拓都はのろのろと体を起こした。けれど、高熱のせいでぼんやりしている拓都は、やはりしんどそうだ。


「拓都、ママがおんぶして行ってあげるよ」

 私はそう言うと、拓都に背中を向けた。美鈴が手を貸して、拓都が背中から腕を前に回し、ピッタリとくっ付くと、湯たんぽを背負っているように熱い。美鈴が私の鞄を手に持つと、それまで黙って私達の様子を見ていたもう一人の女性の方を振り返って声をかけた。


「岡本先生、篠崎さんを駐車場まで送って行きますので、留守番頼みます」


「わかりました。篠崎さん、お大事に」

 私に声をかけてくれたその女性の方を振り返り会釈すると、突然思い出した。

 あっ、キャンプの時にいた先生だ。

 岡本先生って言うのか……。

 キャンプの時に千裕さんから聞いたかもしれないけど、全然頭に入っていなかった。

 私は、甦りそうになったキャンプの時の先生達の映像をかき消し、背中の拓都に意識を集中させ、車へと向かった。



 病院で診察をしてもらい、自宅へ帰りついたらもう午後の2時半を過ぎていた。やはり、検査の結果、インフルエンザだと診断された。そうだろうと思ってはいても、確定してしまうとショックもあったが、ハッキリした事で開き直る事が出来た。

 拓都は相変わらずぐったりとしていて、目が届くようにリビングに布団をひいて寝かせる。帰りにコンビニで買ったスポーツ飲料を枕元へ置いて、すぐに手洗いうがいをし、買い置きのマスクを付けると、拓都の好きな卵おじや作りに取り掛かった。


 午後5時過ぎ、拓都は薬のおかげか眠ってしまったようで、私は拓都の見える所で取り入れた洗濯ものをたたんでいた。その時、玄関のチャイムが鳴った。いつもなら留守にしている時間帯だから、セールスマンだろうか?


「美緒、拓都君、もしかして、インフルエンザ?」

 ドアを開けると、いきなりそんな問いかけをしてきたのは、由香里さんだった。

 

「あ、由香里さん、どうしたの?」

 私は面食らって、彼女の質問にも答えず、問い返した。


「拓都君が早退したって聞いて……翔也君もインフルエンザで休んでるし、拓都君もそうかなって思って」


「そうなのよ。インフルエンザになっちゃって……寒いから中に入って?」

 上にあがってもらおうと考えた時、拓都がリビングで寝ている事を思い出し、インフルエンザウィルスが蔓延している我が家へ上げるのはまずいかなと逡巡していると、玄関の中へ入ってきた由香里さんは、スーパーの袋を差し出した。


「私はこれ届けに来ただけだから、すぐに帰るよ。何か困ってる事無い? なんでも言ってよ?」

 K市時代と同じように、困っているだろう友人がいると、すぐに駆けつけてくれる由香里さん。何度そうやって助けられてきただろう。


「いつもありがとう、由香里さん。食料品は生協で一週間分頼んでるから、大丈夫。でも、買って来てくれたの、助かる。ありがとう」

 受け取った袋の中を覗くと、足りないかなと思っていたスポーツ飲料が入っているのが見えた。拓都の好きなプリンも……。


「それ、千裕ちゃんと私からのお見舞いだから。千裕ちゃん、美緒のお見舞いをすごく喜んでたよ。まだ、翔也君が休んでるから、私が代表で来たのよ」


「ええっ! 千裕さんまで? わかった。電話でお礼言っておくね」


「うん、そうしてあげて。じゃあ、美緒も気を付けるんだよ」


「ありがとう。由香里さんも子供達、気を付けてあげてね。もちろん由香里さんも気をつけてね」


 由香里さんが帰った後、すぐに千裕さんに電話をして、お礼を言った。翔也君はやっと平熱まで熱が下がってきて、元気にしているらしい。それでも、インフルエンザは熱が下がってから2日経たないと学校へ行けないらしく、登校するのは来週からになるだろうとの事だった。


「ねぇ、ねぇ、子供が休んでると、守谷先生から毎日電話があるのよ。最初の日は家まで来てくれたし……まあ、子供の様子を聞くための電話だけどね。だから今日、美緒ちゃんの家まで来てくれるわよ」

 千裕さんの嬉しそうな声と彼の名前に、心臓がドキドキと踊りだし、受話器を持つ手に汗がにじみ出した。


「わ、私は別に……それに、早退だったから……」

 千裕さんに本当の事を言わないと言う事は、こういう突っ込みにも平静を装わなくてはいけない。


「まっ、美緒ちゃんは元カレしか眼中にないんだから、守谷先生ごときで喜ばないか……」

 千裕さんは私の返事などお構いなしに一人で完結してしまった。私は返す言葉も無く、金魚のようにパクパクと口を動かすことしかできない。

 電話で良かった……。

 目の前にいたら、この動揺ぶりは、隠しようが無い。

 結局千裕さんは、私の動揺に気付かないまま「お大事にね」と電話を切った。私は受話器を置いた途端、大きな溜息を吐いたのだった。


 その後、拓都の寝ている間に夕食の用意をしてしまおうと台所で調理をしながら、先程の千裕さんが言った言葉を思い返していた。


『だから今日、美緒ちゃんの家まで来てくれるわよ』

 ここだけ聞くと、全ての真実を知っていて言っているようにも聞こえるけれど、千裕さんにしたら『守谷ファンなら嬉しいでしょ』と言う暗黙の意味が含まれている。

 本当に来るのかな……?

 千裕さんの暗黙の意味は、大部分合っているとも言えて、なんだか複雑な気持ちになる。

 早く言ってしまった方がいいかな?

 それでも、嬉しそうに担任の話をする千裕さんの声を聞くと、真実を告げる勇気が(しぼ)んでいくのだ。


 ―――――――やっぱり、役員仕事が終わってからにしよう。

 改めてそう決意すると、ちょっと心が落ち着い気がした。



 夕食の用意ができたけれど、拓都がまだ寝ているので、起きるまで待つ事にした。

 ……昼食が遅かったから、少しずれても大丈夫だよね。


 拓都の傍で静かに本を読みながら時間を潰していると、突然玄関のチャイムが鳴った。飛び跳ねるように立ち上がると、拓都を思い出して見下ろす。

 ……よかった、よく寝てる。

 私はそっとリビングのドアを開けて玄関へと出て行き、ゆっくりと玄関ドアを開けた。


「やあ、拓都はどう?」

 玄関灯の薄暗い明かりの下、担任が心配気な顔で、私を見下ろした。

 千裕さんの予告通りとは言え、どう対応したらいいかとドギマギしてしまう。

 ……今は担任モード? それとも……?

 

 対応を決めかねている私の態度が変だったのか、彼はぷっと吹き出した。


「美緒、今日は担任として来たけど、緊張しなくてもいいよ」


「あっ、ごめんなさい。寒いから入って」

 私は、我に返ると慌てて彼を中へ招き入れた。


「それで、拓都はどう? やっぱりインフルエンザだったって聞いたけど……」

 私は家に帰ってから美鈴に診断結果を報告しておいたから、それを聞いたのだろう。


「今、薬飲んで眠ってるの。熱は病院で測ったら39度2分で、本当にぐったりして可哀想だった。気を付けてたんだけどな……」


「子供はどうしても大人より抵抗力が弱いから、流行ってる時は、どんなに気を付けててもうつってしまうのは、仕方ないよ。それより、美緒まで寝込まないように、気をつけろよ」

 優しい言葉をかけてくれる彼に「慧こそ、気を付けてね」と返しながら、彼の顔を見上げると心配そうな眼差しとぶつかった。しばし見つめ合うと、お互いにフッと笑顔になり、彼が右手を伸ばして私の額に触れる。私は何事かと緊張したけれど、熱を測っているのだと分かると、そっと力を抜いた。


「熱は無いみたいだから、大丈夫だな。何か俺にできる事があったら……って、買い物ぐらいしかできないけど、欲しいものがあったら、言ってくれたらいいよ」


「うん、ありがとう。でも、さっき由香里さんが来てくれて、いろいろ買って持って来てくれたから、今のところ大丈夫」


「そっか。美緒の友達は、いい人ばかりだな。類友か……」


「いや、そんな……私があまりに頼りないから、皆心配してくれてるのよ」


「頼りないからじゃないけど、俺も心配だよ。美緒は一人で無理をするから……」


「慧……ごめんね。心配ばかりかけてるよね」


「何言ってるんだよ。そんな事はお互い様だろ? それに美緒は、良く頑張ってると思うよ」

 彼の優しい眼差しと褒め言葉に、急に恥ずかしくなって、私はうつむいた。


「ううん。私は友達や慧に、甘えてばかりだから……」

 私は僅かに首を横に振って言葉を吐き出すと、彼のつぶやきが聞こえて、もう一度彼を見上げた。


「そんな言葉が出るなら、安心だな」

 彼の言葉の意味が分からず、「えっ?」と首をかしげると、彼は苦笑した。


「以前の美緒なら、人に甘える事を良しとしなかっただろ?」

 そうだ、あの頃の私は変なプライドがあって、人に甘える事はしたくなかった。だけど……

 彼の言わんとしている事が、イマイチ分からなかったけれど、昔の自分の思い上がっていたところを指摘されたようで、恥ずかしくなった。


「以前は自分の事だけ考えていればよかったから……」

 私は彼から視線を外すと、恥ずかしさを隠すために言い訳をした。


「美緒、分かってるよ。美緒には守るべき存在ができたから、自分一人ではどうしようもない時は周りに甘えてもいいと思うよ。俺にももっと甘えてくれてもいいと思うし……」

 名を呼ばれて、もう一度彼の方へ視線を向けると、ぶつかった視線がやけに真剣で驚いていると、また彼が言葉をつづけた。


「これからは、二人で拓都を守って行くんだから、お互いに助け合っていこうな」

 まるで決意のように真剣な表情で言う彼に、少し違和感を覚えながらも、私は同意するために頷いた。


「あっ、他にも寄らなきゃいけないところがあるから、そろそろ行くよ」

 彼は急に我に返ったようにそう言うと、持って来たプリント類を手渡した。


「わざわざ寄ってくれて、ありがとう」

 私はプリントを受け取りながら、彼を見上げ、感謝をこめて微笑んだ。

 

「何か困った事があったら、いつでも連絡してくれたらいいから。拓都の事、頼むな。美緒も気をつけろよ」

 焦ったように言う彼の言葉に頷きながら、もう一度「ありがとう」と言うと、彼を見送るために後を付いて外へ出ようとしたところで、彼に止められた。


「外は寒いから、出てこなくていいよ。暖かくして、美緒も一緒に身体を休めるといいよ」


「うん、わかった。慧も身体に気を付けてね」

 ドアを開けて外へ出た彼が、こちらを向いて「じゃあ、お大事に」とドアを閉めた。


 砂利を踏む音で彼が遠ざかって行くのを感じながら、おそらく門の前に車を停めているだろうから、もうすぐ車が動き出す音が聞こえるはずと、ドアの手前で息をひそめた。

 見送れないのなら、せめて遠ざかる車の音を聞いてから中へ入ろうと息を詰めていると、いつまでたっても車の音が聞こえない。不思議に思って、ドアを細く開いて覗くと、門の前には車は停まっていなかった。

 えっ? 車の音、しなかったよね?


 彼に対する心配と好奇心で、私は外へそっと出て門の所まで行くと、前面道路を覗くようにキョロキョロと左右を見た。

 あっ、彼だ。

 街灯の明かりと家々からこぼれる明かりだけの夜の住宅街は薄暗く、三軒ほど離れたところにある公園の街灯の下に停めた車に、ちょうど彼が乗るところが見えた。彼が車のドアを開けると、車内灯が点き、車内の様子を浮き上がらせる。後ろからでも助手席に誰か座っているのが分かった。僅かに見えるその後ろ姿は、男性では無い雰囲気がする。そして、彼が車に乗り込んでドアを閉めると、車内灯はゆっくりと消えて行った。

 私はすぐに家の中へ戻ると、ドアを閉めた。


 あれは……きっと、同僚の先生と一緒に休んでいる子の所を回っているんだよ。

 他にも寄る所があるって言っていたし……。


 ざわつく心に言い訳しながら、私は不安を吐き出すように大きく息を吐くと、心に活を入れて、母親の顔へと戻って行った。






 



お話の中に出てくる「しんどい」と言う言葉は、

西日本を中心とした方言らしく、標準語に置き換える事が出来なかったので、そのまま使いました。

意味としては「苦しい」とか「疲れた」とか「辛い」とかを合わせたような意味になると思いますが、単体で言い表す言葉を思いつきません。

「しんどい」を使わない地域の皆様、何となくニュアンスを受け取っていただけたら嬉しいです。

また、最近私も家族もインフルエンザにかかっていませんので、最新のインフルエンザの治療薬について、良く分かりません。

いろいろ調べたりもしましたが、飲み薬だけでなく、吸入する薬もあるようで、その辺はあまり突っ込まないでくださいね。


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