#50:クリスマスの朝
お待たせしました。
又美緒視点に戻ってきました。
いよいよ、クライマックス直前!
12月25日土曜日午前6時。電波時計は正確に時間を刻み、いつもの起床時間にアラームを鳴らす。
クリスマスの朝は、いつもの朝と同じように始まった。カーテンの隙間から見える外はまだ暗くて、冷たい朝の空気に、布団から出るのをためらわせる。アラームを止めるために布団から出した手が、枕元の携帯を掴んで目の前にかざした。
やっぱり何も来ていない。
私は小さく息を吐くと、携帯を放り出して、又布団の中に手をひっこめた。
今日は土曜日だから、もう少し寝ていよう。
そう自分に言い訳をすると、温かい布団の中で目を閉じた。昨夜はなかなか眠れなくて、結局3時ごろまで寝付けなかった。このままでは睡眠不足になってしまうと思うのに、一度目覚めた頭には、一向に眠気がやって来てくれなかった。
私もしかしてバカなことしちゃったのかな……。
でも、これ以上誤解されたくなかった。
*****
私は目を閉じたまま、2日前の西森家でのクリスマスパーティの時の事を思い出していた。
あの日、クリスマスのランチを食べ終えて、パパ達と子供達がテレビゲームをし出したので、私たち女性陣はダイニングテーブルでお喋りタイムとなった。
『美緒ちゃん、昨日の懇談でね、守谷先生に訊いてみたの、携帯の待ち受けの虹の写真の事』
『えっ? 虹の写真の事?』
『そう、【にじのおうこく】の虹の架け橋の真似して撮った写真ですかって訊いてみたの』
『そ、それで?』
『守谷先生、驚いてたよ。どうして分かったんだって雰囲気で、なぜ【にじのおうこく】が出てきたのかって訊くから、篠崎さんの待ち受けも虹の写真で、【にじのおうこく】の虹の架け橋を真似をして撮った写真だからって説明して、守谷先生も彼女からの写真ですかって訊いてみたの』
『ええっ! 私の待ち受けも虹の写真だって言ったの?』
『そうだけど……言ったらダメだった? 篠崎さんと守谷先生って折り紙と言い、虹の写真と言い、趣味が似てますねって言ったけど……』
ああ……千裕さんは悪気はない。悪気はないけど……。
私の頭の中は真っ白になった。
―――彼に知られてしまった。
こんな形で知られたくなかった。
まだ別れの本当の理由も言っていないのに。別の人を好きになったと言う誤解も解いていないのに……。
彼はどう思ったのだろう?
私は思わず、私と千裕さんの会話を黙って聞いていた由香里さんの方を見た。
由香里さんは苦笑して私を見返すけれど、何も言わない。でもその眼差しに「私は何もバラしてないからね」と言っているのが読みとれた。
私が茫然としてる間に、千裕さんは話の続きを話し始めた。
『それでね、守谷先生もはっきり答えないから、思い切って愛先生から送られた写真ですかって訊いてみたのよ。そうしたら、守谷先生が、興味本位にいろいろ訊かないでくれって、愛先生とは何も関係ないから、迷惑をかけるような噂を流すなって怒っちゃって……美緒ちゃん、どうしよう。守谷先生を怒らせてしまったから、3学期に合わす顔ないよ』
目の前で情けない顔をしている千裕さんを、私はぼんやりと見つめた。
『まあ、言っちゃったもの仕方ないじゃない? 千裕ちゃんも美緒も覚悟しておくのね』
そう言って由香里さんはニヤリと笑った。
覚悟?
『由香里さんったら、他人事だと思って!』
千裕さんが由香里さんを恨めし相に睨んでいる。由香里さんは笑いながら『他人事だもん』と返してるのを、私はただぼんやりと眺めていた。
その日の夜、由香里さんから電話があった。
『美緒、良かったね』
『えっ? 何が良かったのよ? 何にも良くないよ。私の待ち受けが虹の写真だって知られてしまったんだよ?』
『だから、良かったじゃないの。美緒の気持ちが守谷先生に伝わったんじゃないかな? もしかすると、クリスマスのお誘いがあるかもよ?』
由香里さんの明るい声が、今は無神経な声に聞こえてしまう。
『ちっとも良くない。こんな形で知られたくなかった。まだ別れの本当の理由も言っていないし、別の人を好きになったって言う嘘も、そのまま信じているだろうし……』
私は怖かった。この事で、また彼がどんなふうに誤解して行くだろうかと思うと、気が気じゃない。
気が多い奴だとか、移り気な奴だとか思われていないだろうか……。
その誤解を解くチャンスはあるのだろうか?
『何言ってるの! 美緒は余計なこと考え過ぎだよ。守谷先生の気持ちも分かったし、愛先生とも関係なかったし、千裕ちゃん良い突っ込みしてくれたよねぇ』
私は由香里さんの物言いにますますイライラした。
わかってる。由香里さんは私を励まして背中を押そうとしてくれているのは。それでも、今は千裕さんの言葉も由香里さんの言葉も素直に聞く事が出来なかった。
『どうして彼の気持ちが分かるのよ。虹の写真だって、他の人と送り合った写真かもしれないじゃないの!』
これじゃあ完全に八つ当たりだと思いながらも、由香里さんにきつい言い方をしてしまう。
『へぇ~美緒、そんな風に思うんだ? 虹の架け橋を真似て写真を送り合うなんて、あなた達二人の大切な思い出じゃ無かったの? 守谷先生って、美緒と別れた後に、他の女性と同じように虹の写真を送り合うような人なわけ? じゃあ、守谷先生だって、美緒の待ち受けの虹の写真は別の人と送り合った写真だって思っているかもしれないよ? 美緒の場合、別の人を好きになったって言ってる訳だし……』
えっ……そんな事……思いもしなかった。彼の虹の写真は疑っていたくせに、自分の虹の写真は疑われるかもしれないと言う事さえ思い浮かばなかった。
それまで私の頭の中を支配していた、真実を何も知らない彼が、私の気持ちを知って、どう思うだろうかという不安は、瞬時に私の吐いた嘘を増幅させる疑惑への嫌悪に取って代わった。
―――――嫌だ!
あの虹の写真を、他の人からの写真だなんて思われたくない。ましてや待ち受けにしてるほどの写真だ。確かに、別の人を好きになったと嘘を吐いたのは私自身なのに、私は自分の気持ちを疑われるなんて、思いもしなかった。
せめて、あの虹の写真だけでも、彼からのものだと知らせたい。
私は由香里さんの電話の後も、虹の写真の事ばかり考えていた。
その次の日はクリスマスイブだった。クリスマスイブもクリスマスも日本では特に祝日と言う訳でもなく、平日なら仕事も学校もある。しかし今年はクリスマスイブの今日は金曜日で、クリスマスは土曜日と言う、恋人たちやファミリーには良い曜日巡りで、今夜は市内のレストランは恋人達で溢れ返っているのだろう。
彼と過ごした最後のクリスマスイブを思い出す。
最初の頃は、初めて恋愛、初めての恋人に戸惑ってばかりで、恋人達にとってのクリスマスの重要性が良く分かっていなかった。彼から24日の夜は空けておいてと言われても、その日は家族でクリスマスを祝うからと断ってしまい、呆れた美鈴に恋人達にとってのクリスマスの意味をレクチャーされ、どうにか初めてクリスマスイブを、彼と過ごしたのだった。
最後のクリスマスイブもクリスマスも平日だった。私は社会人になっていたからもちろん仕事で、車で3時間と言う中距離恋愛をしていたから、当日に会うのはとても無理で、クリスマス直前の週末にその代りをしようと約束していた。しかし、週末直前になって私は急な仕事で休日出勤となり、泣く泣く次の週末へと約束を変更したのだった。
平日のクリスマスイブにどんよりとした気持ちで仕事をしていると、彼からメールが届いた。それは、あの日と同じ虹の写真付きの写メールだった。
『今から美緒の所まで虹の橋を架けるよ。いつもの公園でPM7:00に待ってる』
彼が私の方へ来てくれる時にいつも待ち合わせてる隣の市の海浜公園の駐車場。私は仕事が終わるとすぐに飛び出した。
私はここまで思い出して、大きく息を吐いた。
あの時送ってくれた虹の写真……今私の携帯の待ち受けにしている虹の写真と同じものだ。それを、別の人からの写真だと思われていたとしたら?
由香里さんに指摘されて初めてその可能性を考えた時、別の人を好きになったと言ったのだから、そう思うのが普通のような気がして来て、私は胸が苦しくなった。
――――嫌だ!
それだけは嫌だ。
彼の虹の写真が別の人からかもと言う不安より、自分の虹の写真が別の人からかもと疑われる方がずっと辛いと思った。
そして、ふと思いつき、手の中の携帯電話に目を落とした。
この虹の写真をあの日彼が送ってくれたように、私から写メールしたら……?
彼なら気付くはずだ。自分が送った虹の写真だと……。
『この虹の向こう側にあなたはまだいますか?』
メールを送信した後、時計を見たら、クリスマスイブの夜は終わろうとしていた。
後数分でクリスマスになるデジタルの電波時計の数字を見つめながら、こんな時間にメールをして迷惑だっただろうかと心配になった。
恋人達のクリスマスイブ。もしも今、彼が誰かと一緒にいるのなら、このメールはとんでもなく間抜けだ。否、間抜け以上に迷惑でしかない。
それでもこの虹の写真が彼からのものだと分かって欲しかった。
もしも、由香里さんの言う通りなら、こんな時間のメールでも、彼から何らかの返信はあるかもしれない。私はそう思いながら、まんじりとせず鳴らない携帯を見つめていた。
*****
25日午前6時半。
結局二度寝はできず、仕方なく起きる事にした。外はそろそろ明るくなり始めている。
のろのろと起き出し、厚手の毛糸のカーディガンをパジャマの上から羽織ると、リビングのファンヒーターのスイッチを押した。長年使ってきたファンヒーターがこの冬出してきたら動かなかったので、思い切ってボーナスで新しいファンヒーターを買った。今までのファンヒーターはスイッチを押してから点火するまで5分ほどかかっていたのに、新しいものは数秒で点火する。
いつもならスイッチを押して、そのまま台所へ行きお湯を沸かすのに、今日はそんな気分にもなれず、ファンヒーターの前で膝を抱えて座り込んだ。数秒で温風が吹き出したファンヒーターが、まるで慰めるように私を優しく温めている。なのに、無意識に自室から持ってきた携帯は、まるで死んだように手の中で冷たくなっていた。
これが彼の答えなのかな……?
午前7時を過ぎた頃、毎年のクリスマスの朝のように、ドタドタと嬉しさを表す足音がリビングに近づいてきた。「ママ」と呼びながらリビングに飛び込んできたのは、嬉しそうな顔でプレゼントを抱えた拓都だった。
「おはよう、拓都」
私はニッコリと笑って挨拶をした。
「ママ、おはよう。あのね、サンタさん来てくれたよ。これ見て見て」
拓都の手の中には、無造作に破って開かれた包装紙の上に乗せられているグローブとボール。
私はチラリと拓都の表情を窺う。
サンタさんにリクエストしたプレゼントと違っているけれど、拓都はガッカリしていないのだろうか?
「わぁ~拓都、良かったね」
私は心の中で白々しいと自分に突っ込みながら、私の言葉に嬉しそうに笑った拓都の表情に安堵していた。
拓都が自分の手にグローブを嵌めているのを一瞥すると、私はリビングの収納から同じような包みを出して、拓都の所へ持って来た。
「拓都、ほら、ママもサンタさんに貰ったんだよ」
すでに開けられていた包みを開いて、中のグローブを見せる。拓都は大きく目を見開いて、グローブと私を交互に見ると破顔した。
「ママもいい子にしてたからサンタさん来てくれたの?」
ますます嬉しそうに私を見上げる。
拓都はこれで良かったの?
自分が望んだプレゼントじゃないのに……
それでも、拓都の笑顔は何の屈託もなくて、私はこれで良かったんだと、自分自身を納得させた。
「今回は特別だって。拓都とキャッチボールができるようにって、ママにもグローブをプレゼントしてくれたんだよ。ママ、一生懸命練習するから、一緒にキャッチボールしようね?」
私も同じように笑顔を向けながら言うと、拓都は元気よく「うん」と返事した。
それからいつもより遅い朝食を食べながら、後で公園へ行ってキャッチボールをしようねと約束した。そして、洗濯、掃除と家事に取り掛かっている時、玄関のチャイムが鳴った。
僕が出るねと玄関へ走って行った拓都がドアを開ける音がして、続いて「守谷先生」と言っている声が聞こえた。
えっ? 守谷先生って……まさか……どうして……?
私は次第に早くなる鼓動を感じながら玄関に向かうと、そこには昨夜必死の思いでメールを送った相手が、穏やかに微笑んで立っていたのだった。