#45:川北(成川)由香里の思惑《前編》【由香里視点】
ずいぶん長い間、お待たせして、すいませんでした。
長くなってしまったので、半分に分ける事にしました。
今回は初の由香里視点です。
今回の前編は、由香里さんの回想なので、会話文のカギかっこは『』をつかいました。
私が初めて彼女、篠崎美緒に声をかけたのは、子供を預けていた保育園の保母に頼まれたからだった。
その頃の私は、同じ保育園に子供を預けているシングルマザーの人たちと助け合いの会を作っていた。それを見込んでの保母の依頼だった。
その頃美緒は、頼れる身内も知り合いもいないK市で、たった一人で亡くなったお姉さんの子供を育てていた。慣れない子育ての上、仕事の方も社会人2年目でまだ新人みたいなものだったにもかかわらず、子供と二人の生活の全てが若い美緒の肩にかかっていた。
彼女は見るからに限界を超えているような疲れた表情をしており、保母もそれ気付いたから助けてやってほしいとお願いしてきたのだろうと思う。
美緒に私達の会に入らないかと声をかけた時、彼女の張りつめていた糸が切れてしまったのか、誘ってくれて嬉しいと泣き出した。その姿を見た時、どんなに追い詰められていたのだろうかと、自分も同じ立場だから、彼女の辛さや疲れは良く分かった。
そんな彼女と親しくなるにつれ分かって来たのは、見た目の癒し系のような優しい雰囲気を裏切るような変なプライドの高さと頑固さだった。おそらく、父親を早くに亡くし、母親の苦労を見て来たのと、『女でも男に頼らずに生きていけるような仕事を持て』と母親に言われて育って来たせいで、自分に厳しく、人に甘える事を許さないからだろう。
だから、そんな美緒が私に心を開いてくれるようになって、恋人との辛い別れの話をしてくれた時、彼女のそのプライドが彼に頼るのを、彼を巻き込むのを許さなかったのだろうと感じ、やりきれなくなった。
今でこそ自分の限界を知り、人に助けられ甘える事も覚えた彼女だけれど、彼と別れた事をけして後悔しているとは言わなかった。それでも彼を想う彼女の恋心が、後悔と罪悪感で苦しみ、自分自身を責めて落ち込んで行くのを見るたびに、私は早く彼女をこの罪悪感のスパイラルから救い出してあげたかった。
そして、彼女と出会ってから3年の月日が経ち、いつか彼女は彼を想って落ち込む事もなくなり、彼の事を口にする事もなかった。私は吹っ切れたのだと信じていた。ただ、彼女が口にする恋や結婚はしないと言う言葉だけは、心に引っかかっていたけれど……。
彼女がいろんな意味で思い出の多い実家へ帰ろうと思うと言った時、私は引き止めなかった。彼女にとっても、拓都君にとってもK市は仮の場所。やはり生まれ育った実家に戻り、彼女の両親や拓都君の両親の想いの溢れる家で、生活をするのが本来あるべき姿なのだと思ったから……。
だけど、まさか、こんな運命が待ちかまえているなんて、誰にも想像さえできなかっただろう。
『由香里さん、今日入学式でね……拓都の担任が……彼だったの』
『えっ? 彼って?』
私は美緒の言う事が、すぐに理解できなかった。
『だから……慧だったの』
慧と言うのは、彼女から何度も聞いた元カレの名前。
まさか……そんな事……でも、そう言えば、元カレは小学校の先生を希望していたって話してくれた事があったっけ……。
『まさか……元カレが担任だったの?』
彼女はそうだと言うと、その日聞いた彼に関する噂話を話し、これからどうすればいいかと落ち込んだ。
再会した事にも驚いたけれど、彼女が少しも吹っ切れていなかった事、彼への想いに蓋をして誰にもそれを気付かせなかった事を思い知らされ、私は今まで彼女の傍でどうして気付いてやれなかったのかと、自分が情けなくなった。
それでも、こうして私を頼って再会した事を話してくれた事は嬉しい事だった。彼女にとって私は、親友である事と共に、彼女の母や姉という存在を重ねているのだと思う。彼女がこうして話してくれたと言う事は、彼女にとって今回の彼との再会は、限界を超えていたのだろう。
遠く離れている事に苛立ちを覚えながらも、私は彼女を叱る立場を全うする。そうしないと彼女は自分自身を責め苛むからだ。私に叱られると少しは自分自身を庇おうとするから、落ち込む事も少なくなる気がする。
そうして彼女は、彼との間に何かあるたび私に電話をしてきて、心にたまったものを吐き出すようになった。きっとそうしないと、彼と対峙できなかったのだろう。役員という立場で、保護者と担任として向き合う事が多くなってしまったから……。
そんな中、もう一人の役員の人がとてもいい人でと、彼女が話すのを聞いて、担任である彼との間のクッション役になっていてくれる女性に、少しでも今の彼女を癒す存在でありますようにと祈らずにはいられなかった。
美緒と彼が別れる原因となった、拓都君がお姉さんの子供であると言う、彼に知られたくないゆえの秘密を、他の人から指摘された時、どうすればいいかとおろおろする彼女に、私はもう3年も経っているのだから開き直れと叱りつけた。彼の事になると、こんなにも弱くなってしまうのかと、恋する女の弱さに哀れさえ感じた。頑固である意味気の強い彼女をここまで弱くしてしまう彼とはどんな男性なのだろうと思う。そして、彼は今、彼女と再会して、何を想い感じているのだろう。
3年前に心変わりをしたと言って冷たく振った、憎い元カノだろうか?
それとも、もう3年も経ってしまったから、憎しみも薄れ、今はもう別の人がいて、ただ過去の人でしかないのだろうか?
まさか、あんな酷い振られ方したけれど、彼女の事が忘れられなくて想い続けていたとか……あり得ないよね。
それでも、彼が拓都君を預かってくれた話を聞いた時、もしかして……と期待が膨らんだ。それなのに彼には恋人がいると言う噂らしい。そして、そんな噂に又落ち込んでいる彼女に、堪らなくなって新しい恋をしろと勧めた。すると彼女は、とてもそんな気になれないのだと言う。
そうなのだ。私は今更ながらに思い至った。彼女の頑固さはこんなところにも表れていて、結局彼女の心は3年前のあの別れの時点から、一歩も進んでいなかったのだ。
私の方はと言えば、私が契約社員をしている生命保険会社の、以前から付き合っていた5歳下の上司が転勤する事になり、結婚してついて行く事になった。なんとその転勤先が、美緒の住む市で、すぐに同じ校区への引っ越しを決めたのだった。
ずっと見てみたいと思っていた美緒の最愛の人、守谷慧と言う教師との対面の時は、ほどなくして訪れた。
『はじめまして、陸君の担任をさせていただきます守谷です』
そう言って挨拶をしたのは、想像以上のイケメン教師だった。
美緒もなかなかやるじゃない!
一瞬そんな思いが頭をかすめたが、今となっては忘れられずに執着しているのは美緒の方で、目の前の爽やかな表情の若い教師は、噂ばかりが先行して、実際のところ美緒に対してどう感じているのだろうか……。
1年3組の教室でいろいろな説明を聞いた後、私は探りを入れてみる事にした。
『守谷先生のクラスの篠崎拓都君は、K市の保育園の時、ウチの子と仲が良かったんですよ』
『ああ、聞いています。仲が良かったから一緒のクラスにしてほしいとの事でしたので……』
そうなのだ。美緒には話していないが、事前に篠崎拓都君とできれば同じクラスにしてほしいとお願いしていたのだ。
『ありがとうございます。拓都君のお母さんとも仲良くしていたので、いろいろな面で助かります。拓都君のお母さんとは、保育園の時、母子家庭の助け合いの会で知り合ったんですよ。彼女、若いのに知り合いもいないK市で拓都君を抱えてとても大変そうでした。でも、良く頑張っていると思います』
私はそう言ってニッコリと笑った。目の前の教師は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻した。
『母子家庭ですか……でも、この川北さんの調査票には、ご主人の名前がありますけど……』
『私、再婚してこちらに引っ越して来たんですよ』
そう言うと彼は調査票に視線を落したまま、しばらく考え込んでいたようだった。そして小さく嘆息するのを私は見逃さなかった。
『そうですか、わかりました。これからどうぞよろしくお願いします』
そう言って頭を下げた彼は、もう元の爽やかな教師の顔に戻っていた。
なかなか手強そうな相手だけれど、一瞬見せた驚きの表情と溜息に、私は何かを感じた。
もしかすると、もしかするかも……。
その後聞いたキャンプの時の話。守谷先生の噂の恋人は、長男礼の担任の愛先生だと言う。二人が仲良くしていたのを見せつけられて、又気落ちしている美緒だけれど、私はキャンプの時の美緒と彼との会話を聞いて、私の想像は本物かもしれないと感じたのだった。
そして、いつしか私の予測を裏付けるように、美緒と彼は急速に接近し出した。
美緒が彼に誕生日メールを送ろうと思うと言い出した時には、驚いた。それは私が担任である彼に、彼女の誕生日のお祝いの言葉を言わせた事が引き金だった。
そして彼女はメールを送り、彼からの反応も概ね良い感じで、このまま二人が新たなる関係を築いていってくれる事を願った。
しかし、運命は美緒を試すように、次々といろいろな試練を与える。
愛先生の存在。
拓都君の怪我。
そして、彼からのアプローチ。
負い目のある美緒は、すぐに悪い方へ考えてしまい、彼からのアプローチも拒絶してしまう。
私は話を聞きながら、イライラしてしまう気持ちを抑えきれなかった。
ただ、守谷先生も一度拒絶されても、諦めずにまた美緒に近づこうとしてくれる事に、本気さを感じた。なのに、彼女の方がそれを受け止めきれず、ネガティブ思考で呆れてしまう。
素直になって彼の想いを受け止めるだけでいいのに。
私から見たら、二人はお互いを想い合っているように思えるのに、どうしてそんなに悲観的なの?
でも、私ができる事は美緒の背中を押す事だけ。
美緒が自分で考えて動き出さないと……。
美緒にしたら、彼の気持ちが見えなくて、自分から近づいて行くのが怖いのだろう。
でも、一歩ずつで良いから、自分から動いて欲しい。
彼の方も、もしかして自信がなくて怖いのかもしれないから……。
由香里視点の後編も、あまりお待たせせずにアップしますので、
よろしくお願いします。