#41:懺悔とサンタへの手紙
お待たせしました。
また長いので、覚悟して読んでください。
どうぞよろしくお願いします。
『今日は、短い時間だったけど、付き合ってくれてありがとう。美緒に会えて、話ができて嬉しかった。伊藤先輩も喜んでいたよ。』
これは夢の続き?
それともやっぱり現実?
大学祭へ行った夜、慧からメールが届いた。
それは昼間と同じように、甘い雰囲気が漂っていた。
メールの文字の向こうにある彼の気持ちは、私と同じなの?
でも、どこか信じられず、現実味が無い。
私が忘れられなかったように、彼も忘れずにいてくれたの?
大学祭のあの日から、私の中でもしかしたらと言う気持ちが膨れ上がる。
そんな事ない、そんなはず無いと、何度も否定するけれど、あの恋人のような態度は、何だったんだろうと言う疑問が頭から離れない。
思い出の場所で、私と二人だったから、過去の気持ちにリンクしてしまったの?
それだけでは説明できないほどの甘い雰囲気を思い出して、心の中に期待が広がって行く。
私はあなたを好きでいていいの?
あなたを好きだと言ってもいいの?
なんだかそれはとても虫のよすぎる話のような気がして、頭の片隅で彼を裏切った事を忘れちゃいけないって、諌める声が聞こえてくるのだけど、もうそれだけでは抑えきれないほど、私の想いも大きくなってしまった。
思い出すと頬が緩む。
だけど大っぴらに喜ぶのは憚られる感じ。
嬉しいのに、どこか後ろめたくて。
自分のしたこと棚に上げて、もしかして彼は今でも私の事を思っていてくれるんだろうかなんて、思う自分がとても自惚れているような気がして。
それでも、もう一度、慧のあの優しい笑顔を見たくて、拓都を学童へ迎えに行った時、グランドの向こうの校舎の一階にある明かりの点いた職員室を見つめる。遠すぎて人影しか分からないのに、胸はドキドキして、まるで中学生の恋みたいだと思いながら、初恋が大学の時だったくせにと苦笑する。
こんな自分は嫌いじゃない。まるで二度目の初恋のようで……それなのに頭の片隅で、自惚れちゃいけないって言い続ける自分もいて……。
大学祭へ行った土曜日から一週間、膨れ上がった私の想いと期待は、日が経つごとにしぼんで行く。だんだんと冷静になってみると、やっぱりあり得ないよと、頭の中で声が響いた。
結局のところ、自信が無いのだ。
慧を裏切って、そして何年も経って、それでもまだ想ってもらえる程、自分が見た目も内面も良い人間だとは思えない。
だから慧の態度をそのまま鵜呑みしてしまう程、厚顔でもないつもりなんだけど……。
一人でこんな事ばかり、考えてもしょうがないと思いながら、思い出すと溜息が出る。
「なあに? 美緒。こんな良いお天気なのに、溜息なんか吐いちゃって」
由香里さんが呆れたように言った。
11月最後の土曜の今日は、また、西森さんと由香里さんの家族と私と拓都で、芝生公園へ遊びに来ていた。子供たちがキャッチボールをしたいと言ったからだ。
パパ2人と子供5人が、キャッチボールをしているのを、レジャーシートに座り込んでその様子を見つめながら、私の思考は別の事で鬱々としていた。そして、自分でも気づかないうちに、溜息を吐いていたらしい。
「美緒ちゃん、なにか悩み事でもあるの?」
さっきからボーとしている私を、西森さんが心配そうに見つめた。
ダメだ、ダメだ。みんなに心配をかけていては……。
「ごめん、ごめん。ちょっとボーとしちゃって……私、拓都とキャッチボールのしに来たんだった」
そう言うと、私は西森さんに借りたグローブとボールを持って拓都の名を呼びながら近づいて行った。
「拓都、ママとキャッチボールしよう」
「わぁ~い! ヤッター!」
拓都が満面の笑みで走り寄って来る。そして、離れて立ち拓都へ向けてボールを投げた。しかし、距離感がつかめず、ボールは拓都の頭上を越えて飛んで行く。
「ママ、大きいよ~」
拓都は文句を言いながらボールを拾いに走った。
「ごめん、ごめん。今度はちゃんと投げるから」
もっと簡単だと思ったんだけど、難しいな。まあ、練習するしかないか。
ボールを拾ってきた拓都が、今度は私の方へ投げてきた。力は弱いけれど、私の所まで届いた。そのボールをグローブで受け止めるのが、又難しくて、私はキャッチボールを甘く見ていたことを思い知らされた。
「ママ、本当にキャッチボールできるの?」
何度かボールを投げあったが、拓都の方がずっと上手く投げたり捕ったりできる事に驚き、嬉しさもあったけれど、自分が情けなくなった。
「ごめんね。ママ、練習しないとダメみたい。拓都と一緒に練習するよ」
私は自分の甘さを反省し、拓都に謝った。けれど拓都は、以前のように私に寛容では無く、自分の意思を言うようになってきた。
「ママ、ぼくは陸君と翔也君のパパとキャッチボールするよ」
これが成長と言うものだと思いながら、やっぱり誰だって上手な人とやりたいものねと自分を慰めた。そして私は、情けなさに大きく溜息を吐き、私から離れて行く拓都の後姿を見送った。
それからお昼に皆が持ち寄ったお弁当を食べ、子供達とパパ達はアスレチックの方へ行ってしまった。私達女性陣は、いつものように食後のデザートのフルーツやお菓子を食べながら、ストレス解消のお喋りタイム。
「美緒、拓都君に振られちゃったね?」
由香里さんがからかうように笑った。
「ホント、情けない……」
「大丈夫。すぐに友達同士でするようになるから、親の出番なんてあっという間に終わっちゃうんだから」
西森さんは、慰めるように言ってくれる。そうだよね? その内親より友達の方が良くなるのだろう。でも、その親の出番に間に合わない私って、親失格?
「ねぇ、ねぇ、美緒ちゃん、先週の土曜日、M大の大学祭に行ったじゃない?」
西森さんの何気ない言葉にドキリとする。今の私は大学祭と言うキーワードに敏感だ。
大学祭へ行く事は西森さんにも由香里さんにも話していたけれど、大学祭での出来事はまだ誰にも話していない。自惚れているみたいで、話すのを戸惑ってしまう。
「うん。それがどうしたの?」
私はざわつく心を鎮めながら、平静を装って訊き返す。大学祭の話が出た途端、緊張しているのを自覚した。なんだか二人に今の心情を見透かされているようで、居心地が悪い。
「守谷先生、見かけなかった?」
えっ?
何を知ってるの? 千裕さん。
「いいえ、見なかったけど……」
咄嗟に否定してしまったけれど、誰かに見られたの?
「あのね、近所の綾ちゃんから聞いたんだけど、綾ちゃんのご主人がM大出身で、大学祭へ行ったらしいの。それで、守谷先生を見かけたって、プライベートもカッコ良かったって言ってたのよ。美緒ちゃんも先週行ってたから、もしかして見かけたかなと思って……」
西森さんが嬉しそうな笑顔で話す。
まさか、見られていないよね?
「そ、そーなんだ。私は見なかったけど……大学祭は土日と二日間あったから、私が行った日と違う日だったのかも……」
私の戸惑いに気付いたであろう由香里さんが、何か言いたそうにしてたけれど、丁度子供達とパパ達が帰って来たので、話はそこで終わった。
家に帰ってきたら、どっと疲れが出て、ソファーに座りこんだまま動けなかった。
思い出すまいと思っても、考えるのはやはり彼の事ばかり。又無意識に大きな溜息が出た。その時、拓都が神妙な顔をして近づいて来た。
「ママ、あのね、サンタさんへの手紙を書きたいの」
「えっ? プレゼントのお願いの手紙の事?」
拓都は笑顔で「そうそう」と頷いている。
拓都はまだサンタクロースを信じている。そして、拓都の欲しいものを知るため、サンタさんにお願いの手紙を書こうと、毎年手紙を代筆しながら、聞き出しているのだ。
いつもなら、12月になると私の方から声をかけるのだけど、何かよほど欲しいものがあるのかなと思いながら、レターセットを引き出しから出して、ダイニングテーブルのいすに座った。なかなか座ろうとしない拓都に座るよう促すと、「ぼく自分で書きたいんだ」と言う。
ああ、これも成長の証だよね?
宿題の日記にしてもそう。だんだんと私に秘密を作って、自分だけの世界を築こうとしている。
喜ばしい事なのに、何となく淋しくて、だんだんと母親という存在は、拓都にとって必要でなくなるのだろうかと考えだしたら悲しくなった。
拓都は私に見えないように離れた場所で一人で手紙を書くと、封筒に入れて「ママ見ないでよ」と言って渡してきた。サンタさんに出してくれと言う事らしい。
これを見なければプレゼントを買えないじゃないかと心の中で思いながら、ニッコリと笑って受け取った。
拓都が寝た後、居間のソファーで拓都の手紙を見つめて悩んでいた。
拓都は見るなと言ったけど、見なきゃプレゼントは買えないしなぁ……。
本当は拓都が欲しいプレゼントって何だろう? 私に隠したい物って何だろう?と、とても興味を惹かれているのだ。
拓都ごめんと心の中で謝りながら、封筒の中から手紙を出した。
『サンタさんへ
ぼく いいこにしますから パパがほしいです。
ぼくはパパとキャチボールがしたいです。
おねがいします』
拓都……そんなにパパが欲しいの?
自分が情けなくなった。
今日のキャッチボールの失敗は痛かった。でも、もうママではダメなの?
おそらく、由香里さんのところの陸君が羨ましいのだろう。陸君に突然パパが出来たのを見てるから、自分もと思ってしまったのだろう。
『キャッチボール』を『キャチボール』と書いているところが、まだ幼さを感じるのに、以前、ウチにはパパは来ないと言ったから、私に内緒でサンタさんにお願いしようと思ったのに違いない。
私は大きく溜息をついて、今日は何回目の溜息だろうと思いながら、手紙を封筒にしまった。
その時、携帯が着信を告げた。由香里さんだった。昼間の何か物言いたげな顔を思い出す。
「美緒、今日はお疲れ。もう拓都君寝たの? 今電話してていい?」
「由香里さんもお疲れ様。拓都はもう寝たからいいよ」
「ねぇ、美緒。なんだか今日は元気の無い声してるし、昼間もぼんやりして変だったし、又何か抱え込んでるでしょう?」
やっぱり……由香里さんだけは誤魔化せない。
「う……由香里さんには隠し事できないね」
「当たり前よ! 美緒はすぐ顔に出るから、バレバレだって。昼間千裕ちゃんが大学祭の話をしてたけど、大学祭で守谷先生に会ったんでしょ?」
「はぁ~そこまで分かった?」
「まあね、美緒とは長い付き合いだもの。千裕ちゃんは、気付いてないと思うけど……それで? 守谷先生と会って、何かあったの?」
由香里さんは強引なようだけど、このぐらい突っ込んで聞いてもらわないと、話せない私の性格をよく分かっているのだ。
心の中で由香里さんに感謝しながら、今日もまた重荷を降ろさせてもらおうと、私は覚悟を決めて病院での事から大学祭での事まで話した。由香里さんは相槌を打つだけで口を挟まず、最後まで私に話させると、溜息を吐いた。
「それで、美緒は何を悩んでる訳?」
「えっ?」
「それとも、惚気?」
「ええっ?」
どうして、そんな反応?
「好きな人からそんなにアプローチされて、喜びこそすれ、何を悩む事があるの? 私、この前、守谷先生は酷い男だと怒ったけど、今の話を聞いて守谷先生が可哀そうになったわ」
「ど、どうして?」
「そうでしょう? 守谷先生は振られた側なんだから、振った美緒に対してもう一度アプローチするってとっても勇気がいることだと思うのよ。病院での事は美緒が泣いている姿を見て思わずとった行為かも知れないけど、本心だと思うの。それを拒絶された上に無かった事にされてしまったら、やっぱり無理なんだと思うわよね? 普通。それを大学祭の時にもう一度アプローチしてくるって、よっぽど美緒の事が好きじゃなきゃ、できないでしょう?」
そうなんだろうか?
そう思ってもいいのだろうか?
でも……
「そ、そんな事、有るはず無い。彼をあんなに酷く裏切ったのに、虫がよすぎるよ。自惚れすぎだよ」
「美緒、いつまで悲劇の主人公になってるつもり? 美緒は彼に対する罪悪感を、自分が不幸になる事で償ってるつもりなのよ。彼を裏切った自分を許せないから……」
由香里さんの言葉は、胸に痛かった。
そう、自分が許せなかった。
あの時、たとえ普通じゃ無い心理状態だったとしても、あんな裏切り方は酷かったと思う。
何も言い返せない私に、由香里さんは話を続けた。
「でもね、美緒。本当に償いたいと思うなら、彼の、守谷先生の想いを素直に受け取るべきじゃないの? 自分にはそんな資格無いって美緒は思うかもしれないけど、そう言う考えが彼をもっと傷つけてるって思わない?」
彼をもっと傷つけてる?
私……慧の幸せを……そう、彼女がいるんだから、忘れなきゃって……。
「で、でも……愛先生の事は?」
「美緒、この期に及んで、まだそんな事言う訳? ねぇ、美緒の好きな守谷先生は、付き合っている人がいるのに、別の女性に思わせぶりな態度をとるような人なの?」
あ……そんな事、思いもしなかった。
由香里さんに言われて初めて私は、慧に対して酷い誤解をしていた事に気付いた。
「そんな事無い。そんな事するような人じゃ無い。私が一番よく分かってる筈なのに……」
「今の美緒はね、自分の事しか見えてないのよ。守谷先生と再会した事で、罪悪感と彼を思う気持ちで一杯一杯になっちゃって……」
私はその時、由香里さんの言葉に頭を思い切り殴られたようなショックを受けた。
自分では分からなかった。何も見えていなかった。
なのに、思い当る事が沢山ありすぎて、目眩がしそうだった。
慧の幸せを願うって言いながら、彼女がいるのに私の心を惑わさないでよって思ってた。
昔みたいに美緒って呼ばれる度、彼に優しくされる度、嬉しいくせに勘違いしちゃダメだって自分に言い聞かせてた。
それは、自分が辛い思いをしたくなかったからだ。
由香里さんが言うように、私、自分の事しか考えてなかった。
慧はあんなにも優しく見守り、手を差し伸べていてくれたと言うのに……。
「由香里さんの言う通りだよ。私、何も見えてなかった。自分の事しか考えてなかった。彼がどういう人か考えたら、分かりそうな事なのに……ねぇ、由香里さん、私これからどうしたらいい?」
私は由香里さんに懺悔しながらも、やっぱり周りが見えなくて、途方に暮れた。
「そうねぇ、美緒は素直になればいいのよ。自分の気持ちに対しても、彼の気持ちに対しても……」
「素直? 素直になるってどうすればいいの?」
「それは、美緒がこれから自分で考える事。今度こそ悔いの無いようにね」
とても難しい宿題を出されたような気がした。
素直になるって、どう言う事だろう?
慧に自分の想いを告げる事だろうか?
慧にもう一度付き合って欲しいって言う事だろうか?
今の私にはとてもできないって思った。
慧の態度を疑う訳じゃないけど、やっぱり由香里さんが言うような彼が私の事を思っていてくれると言う事は、現実味が無くて……彼から具体的な言葉を言われた訳でもないし、愛の告白をされた訳でもない。
もしも慧が、もう一度と言ってくれたら、いつでも受け入れられるように待っていようとは思うけれど……。
それでも、慧からのどんな小さなアプローチでも、疑わずに、素直な気持ちで受け取ろう。そして、私も同じように返していけたら……。
「由香里さん。いつもありがとう。由香里さんに話を聞いてもらって、心が凄く軽くなった。私が間違った方へ行きそうになったら、また叱ってください。これからもよろしくお願いします」
最後の方は由香里さんへの敬意を込めて、丁寧に言った。私の親友であり、人生の大先輩であり、姉のような人。
本当にありがとう、由香里さん。
電話を切った後、ソファーの私の座ってる横に置いていた、サンタさんへの手紙が目に留まった。
あっ、この手紙の事、すっかり忘れてたけど……これも相談すればよかった。でも、由香里さんに言うと、また陸君がパパ自慢をしたせいだと責任感じるかな?
もうしばらく様子を見よう。クリスマスまではまだ一カ月近くあるのだから。
翌日、11月最後の日曜日の夜、慧から写メールが届いた。そこには可愛らしい女の子と男の子が写っていた。
『実家の法事で帰ったので、この前話に出た姪の葵と甥の奏の写真を撮りました。とてもやんちゃなのに、カメラを向けるとお澄ましの二人でした。』
想像通り、メチャクチャ可愛い子供達だった。きっと、慧も可愛くて仕方ないのだろう。そんな愛情を感じる写真だった。私はその写真を見ながら、頬が緩むのを感じていた。子供たちの可愛さもそうだけど、何より慧からのメールが嬉しかった。大学祭での慧が、夢で無かった証拠のようで……。
私も写メールを送ろうと、携帯の画像フォルダを開いて写真を選ぶ。サムネイルの中から一枚の写真を選んだ。それは、拓都がグローブとボールを持ってニコニコしている写真。甥の写真では無く、私の子供としての拓都の写真。
『葵ちゃんと奏君の写真、ありがとう。メチャクチャ可愛くて、頬づりしたい程です。私の方は拓都の写真です。最近、キャッチボールにハマってます。』
メールを送信すると、心の中がほんのり温かくなった。そして待ち受けの虹の写真を見ながら「慧、これからもよろしく」と呟いていた。