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いつか見た虹の向こう側  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
32/100

#32:ホットライン

『今夜にでも連絡しますので……』

 って、言ったよなぁ。

 それって、電話をかけてくるって事だよね?

 それも、不倫騒動について知ってるって事を訊くために。


 私は大きく溜息を吐いた。西森さんへの今日の報告はメールで済ませたけれど、由香里さんにはいろいろと聞いて欲しい。けれど、いつ電話がかかって来るかも知れないと思うと、ただじっと待っている事しかできない。

 家に帰ってからずーとドキドキしながら待ってる自分がいて、そんな自分を持て余しながらも、なんとか拓都を寝かせてしまうと、もう時間は夜の9時を過ぎていて、今日はかかって来ないのかなと、少し寂しく思ったりして……。

 バカだなぁ~。

 彼には愛先生がいるのに、こんなにドキドキして待ってるなんて。

 今日最後に見た、彼と愛先生の後姿を思い出して、また落ち込む。

 拓都と生きて行くために、彼の手を離したのは私なのに……今更、どんな顔して未練なんて言うつもりなのか。

 さっきから握りしめている携帯電話を開くと、そこにはあの日消しそびれた虹の写真。

 この写真を消せない事が、私の気持ちの真実。

 けれど、もうこの虹の向こう側へは行けはしないのに……。


 もう一度溜息を吐いた途端、携帯が震えだした。マナーモードを解除していなかったと思いながら、開いたままの画面を見ると、非通知では無い11桁の数字の羅列。未だに登録していない彼の番号の様な、そうでない様な……でも、おそらく彼だ。


「守谷です。夜分すいません」

 電話越しの彼の第一声を聞くといつも胸が震える。付き合っていた頃もそうだった……って、開き始めた記憶の扉を、意思の力で押さえつけて、話を続ける。


「いいえ、今日はありがとうございました」


「お疲れ様でした。いい写真は撮れましたか?」


「おかげさまで……」

 いつまでこんなうわべだけの会話を続けるつもりなのか。


「ところでさ、今日言ってた写真の件って、どう言う事か教えてくれるかな?」

 私がしびれを切らした頃、彼は本題に入った。またしても彼は、担任モードからスイッチを切り替えた。


「ごめんなさい」

 写真の件って、元はと言えば私が原因なのだ。


「何謝ってるんだよ? 言えない事?」

 彼は私がいきなり謝ったから、言えないんだと思ったみたいだ。


「私のせいで、先生にあらぬ疑いがかかってしまって……何か処分されたりとか無かったですか?」

 私がそう言うと、彼は(おもむろ)に溜息を吐いた。


「処分はされていない。……そうか……全部知ってるんだ。俺が預かるって言ったんだから、気にするな。それに、写真撮られたのも、俺の方の事情だから」

 

「何も処分が無くて、良かった。……それで、解決したの? やっぱり藤川さんと関係があったの?」

 私はこの時、自分の言葉が保護者モードから、昔の様な口調に変わりつつある事に、気付かなかった。


「何とか解決したから、もう心配しなくていいよ。やっぱりって藤川さんの事も知ってるんだ……ああ、そうか。西森さんと仲がいいもんな……いろいろ聞いてる訳だ」

 やっぱり藤川さんと関係があったと言う事なんだろうか? 教師としてははっきり言えない所もあるのかもしれない。でも、解決したのなら、それでいい。私のせいで、彼が処分されなくて良かった。

 それにしても、彼は自分の噂が、どんなに広まっているのか知らないんだ。そう思うと、笑いが込み上げてきた。あんなに人気があるのに、自覚は無いのか……。


「西森さんからも聞かされてるけど、お母さん達の間で、どんなに守谷先生の噂をしているか、知らないの? 母親達の噂話に登場する人物の第一位だと思うよ。私も小学校へ行く度に、聞かされるもの……」

 私はクスッと笑いながら言った。


「なんだよ、それ……他にどんな事聞いたんだよ?」

 彼は少しムッとした声で 、訊いて来た。私はなんだか楽しくなって来て、自分がすっかり保護者と言う立場を忘れ、過去に戻ったような感覚になっていた。


「フフフ、PTA会長は、大学の恩師の奥さんとか、守谷先生のファンクラブを作っているとか……それから、去年の旦那怒鳴り込み事件のせいで、今年から担任の携帯番号を教えなくなったとか……」

 私は楽しい気分で喋っていたけど、どこか冷静な部分が、意識的に愛先生との噂は避けていた。それから私と別れた後の悪い噂とかも……。


「あ―――、そんな事まで知られてるのか……。母親の情報網は(あなど)れないな」

 彼は悔しそうに言うので、私はまた笑ってしまった。


「そうだよ~。特に西森さんなんか、守谷フリークを公言してるからか、余計に情報が集まって来る気がするの。私は彼女といつも一緒にいるから、聞こうと思わなくても聞かされてしまうのよ」


「守谷フリークって、なんだよ。西森さんはどちらかと言うと、俺をからかっている様な気がするよ。それで、いろいろ聞かされる美緒は、噂を聞いてどう思ったんだ?」

 自然な会話の中で、自然にあの頃の様に名前を呼ばれて……私の心臓はドキッと跳ねた。

 キャンプの時も呼ばれたけれど、電話だと耳元でささやかれているみたいで、胸がキュッと締め付けられる様に苦しくなった。それは嬉しさゆえなのか、辛さゆえなのか、自分でもよく分からなかった。

 でもまるで、この電話の向こうは、あの頃の彼に繋がっている様で、久しぶりにあの頃の様な気持ちで会話できている事に、罪悪感よりも楽しさの方が勝ってしまって、このまま時が止まってしまえばいいのに、なんて思ったりして……。


「最初は驚いたけど、やっぱりって思ったよ。大学の頃と同じで、相変わらず人気があるんだなって……でも、あの頃みたいに近づくなオーラを出せないから、余計に引きつけちゃうんじゃないの?」


「余計に引きつけるって……俺はね、一生懸命、教師として頑張ってるだけなのに」

 ちょっと拗ねた様な物言いに、私は心の中でクスクスと笑った。


「皆もそれは認めてるよ。とてもいい先生だって言ってるもの。子供たちにも人気があるしね。拓都も毎日、守谷先生がねって、あなたの話ばかりしてるわよ」

 今度はクスクスと声に出して笑いながら、私は彼を何処かからかうような調子で言った。そんな私の物言いが気に障ったのだろうか? 彼が急に黙り込んだ。そして……。


「あの、拓都は……」


「あっ、もう寝たわよ」

 私は彼の言葉をさえぎる様に言った。

 何を言おうとしてるの? そんな真面目な声で……さっきまでと違う雰囲気で……。

 やっぱりもう知ってるの?


「あ、いや……おまえさ、宿題の日記、拓都が書く時、傍にいて書かせてるのか?」

 えっ?

 なに、いきなり?


「えっ、あの宿題の日記って、週末に出される『せんせいあのね』の日記?」

 まだ胸がドキドキしている。拓都が姉の子供だと言う事を訊かれるのかと、思わず身構えたら、いきなり日記の話って……。

 でも、どちらかと言うと、訊くのをためらって、話を変えたって感じだし。

 いったい何を言いたくて、何を聞きたいのか?


「ああ、そう、その日記だよ。その日記の内容は、美緒も承知してるのか?」

 日記の内容を承知してる? 拓都は何か変な事を書いているのだろうか?

 最近、拓都は一人で日記を書いてしまい、私が見せてと言っても、「恥ずかしいから嫌」と言って見せてくれなくなった。「絶対見ちゃだめ」と言うので、寝ている隙にこっそり見るのもはばかられ、気になりながらも拓都の気持ちを尊重していたのだった。


「それが最近、一人で書いて、見せてくれなくなったの。恥ずかしいから、絶対見ちゃだめだって言うの。やっぱり何か変な事書いてるの?」

 彼が急にそんな事を言うから、何か不都合な事を書いているのだろうかと心配になった。


「いや、美緒の事がよく出て来るから、分かってて書かせてるのかなって、ちょっと思ったから」

 

「ええっ? 私の事? やだ、変な事書いてなかった? もうー拓都ったら!!」

 私は慌てた。彼がわざわざ言うくらいだから、きっと変な事書いてるんだ。まさか、拓都の秘密が分かる様な事、書いてないでしょうね?

 そう思うと、急に不安になった。

 拓都にハッキリ口止めした事は無い。でも、今まで他人の前では、いいえ、私の前でさえ、ほとんど本当の両親の事は言わない。


「そんな事無いよ。拓都が美緒の事を大好きなのがよくわかる様な作文だよ。そうか……見てないんだ。でも、本人の気持ちを尊重して、これからも見ない様にしないとなっ。俺がこんな事言ったのも、内緒だからな」

 彼の笑いを含んだ物言いが、今度は反対に私の方がからかわれている様で、安堵と共にムッとした腹立ちも沸き起こった。


「なによ、自分は読めると思って! どうせ、私の恥かしい話を読んで笑ってるんでしょ」

私がプンと怒って言うと、途端に彼はクククッと笑いだした。


「相変わらずあまのじゃくな美緒で、安心したよ。美緒、ここは拓都の成長を喜ぶところだよ。拓都は、少しづつ親から離れて、自分の世界を持ち始めたんだよ。美緒の育て方がいいから、順調に成長している証拠だよ」

 

 ずるい。

 ずるいよ、慧。

 あの頃の様に、素直になれない私をからかって、わざと怒らせて、そして私が一番喜ぶポイントを持ち上げる様に褒めるんだから。素直になるしかないじゃない!

 あなたは無意識にしている事かも知れないけど、あの頃に戻った様に会話をしているせいかも知れないけど、こんな風にあなたと会話できる事を喜んでいる自分を認めるしかないじゃないか。

 

 あなたを裏切った私と、以前と変わらぬ調子で会話してくれるのは、なぜ?

 許されたなんて思わないけど、あなたにとっては全てが過去になったから?

 あなたが楽しそうに会話をしてくれるから、こんな風に以前の様に会話をしてもいいと言う事なの?

 それでも……。


「ありがとう。やっぱりあなたは、先生なんだね」

 私は感慨深げに言った。彼は、拓都の事も、きっとほかの子供達の事も、よく見ているんだろう。そして、上手に褒めて、子供達が成長していく様を見守っているのだろう。

 そして、私はこの言葉で自分自身を諫める。勘違いしてはいけない。以前の様に会話ができても、以前の様な関係に戻れる訳ではないのだから。

 

「ああ、そうだな。小学生って成長が目覚ましいから、いつまでも幼い子供の様なつもりでいると、子供の成長に置いて行かれるぞ。親も同じように成長していかないとな」

 私が引いた担任と保護者のラインを、彼も感じ取ったのだろうか? 言葉づかいは変わらなくても、声にはもう、さっきまでのからかうような雰囲気は無くて、教師を自覚した様な真面目な響きがあった。


「ふふふ、そうだね。私はなかなか成長できないけど、拓都の成長を妨げない様に気を付けなきゃね」

 自嘲気味に自分に言い聞かせるように、私は言った。

 私のこの未練で、拓都の事が見えなくならない様に。


「美緒なら大丈夫さ。……そうそう、二学期の学級役員会議は1回だけしか時間が取れないから、今度の会議までに、親子ふれあい学習会でする事を考えておいて欲しい。西森さんにも伝えておいてくれないか?」

 彼はもう気持ちは担任モードに戻っていた。これが現実。 


「わかりました。来週の会議もまたよろしくお願いします」

 

「ああ、こちらこそよろしくお願いします。……美緒、一人で何もかも抱え込んで無理をするなよ。困った事があったら、俺に出来る事なら、言ってくれたらいいから」

 ……どうして?

 どうして、そんな優しい事を言ってくれるの?

 やっぱり知ってるの? 拓都の事。

 たとえ、拓都との真実を知らなくても、私が拓都と二人きりで暮らしている事は、もう気付いているだろう。旦那がいない事も。

 だからなの? 心配してくれるのは。

 あなたは一番頼ってはいけない人なのに。


「あ、ありがとう。大丈夫だよ。友達もいるし、周りに甘える事もできるようになったから」

 そう、拓都を抱えて、一人では限界があったから、私は素直に周りに助けを求められるようになった。それでも、こちらへ来てからしばらくは頼れる人があまりいなくて、彼に迷惑をかけてしまったのだけれど。

 もう大丈夫。由香里さんも西森さんも、お隣のおばさんもいてくれる。私は大丈夫だから。


 私は電話を切った後、今まで胸に溜め込んでいた息を、その想いと共に吐き出した。

 そして、私は思った。

 たとえ、彼が拓都の事を知ってしまったとしても、私は貫くだけだ。拓都と私は親子だと。


 それでも、私は彼と昔の様に話せて嬉しかった。

 ほんのひと時、二人して過去へタイムスリップしたように、繋がったホットライン。

 それは、いつか見たあの虹のように……。




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