表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか見た虹の向こう側  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
23/100

#23:大接近【後編】

「今日は、すいませんでした」


 玄関のドアが開くと同時に、私は深々と頭を下げた。下げた頭の上で、小さく溜息をつくのが聞こえ「入って」と言う彼の声に、頭を上げた。

 一歩踏み入れた玄関は、あの頃と変わらず殺風景で、彼が今日はいていたであろうスニーカーと拓都の靴が並んでいた。

 すでに上にあがった彼が「これ」と言ってランドセルを差し出したので受け取ると、「その靴と一緒に先に持って行ってくれるか? 拓都は俺が連れて行くから」と言い、私の返事も聞かない内にクルリと踵を返すと中へ向かって歩いて行った。

 私は唖然と彼の遠ざかる後ろ姿を見つめていたが、彼がリビングのドアの向こうに消えると我に返った。

 あ……バカだね私。

 何を期待してたの? 上にあげてくれるとでも?

 封印したはずの気持ちは、思い出と言う鍵で簡単に開いてしまった。

 けれど、理性が最後の保護者と言う仮面は外させない。彼の様にタメ口で話す事はできない。


 私は小さく息を吐くと、腰を曲げて拓都の靴を持ち、先に部屋を出た。下まで降りて、車にランドセルと靴を入れると、もう一度マンションのエントランスに引き返した。ちょうど、エレベーターが1階に到着し、拓都を横抱きにした彼が出て来た所だった。


「すいません。重いでしょう? 私が代わります」

 慌てて、エレベーターから出て来た彼の前に立つと、拓都を受け取ろうと手を出した。


「重いから、無理だろ? 俺が連れて行くから……」


「でも……だったら、おんぶなら……」

 確かに横抱きにするのは無理かもしれない。でも、おんぶなら、今でもする事があるから……


「そんな事言ってる間に、車まで連れていけるだろ? 先に行ってドアを開けて」

 彼はこれ以上反論を許さないと言った不機嫌な雰囲気で、私は何も言えず「はい」と返事をすると、慌てて車へ走った。

 ああ、もう! 

 彼を不機嫌にしてしまう自分が情けない。

 どうすればいい? どんな態度をとればいいの? 


 自己嫌悪に(おちい)りながら、助手席側のドアを開けて、助手席の背もたれを倒す。彼がやって来て、拓都をそこに寝かすと、シートベルトをして、ドアを閉めた。傍に立って、それらを見届けると、ドアを閉めてこちらを向いた彼と対峙した。


「今日はこんなに遅くまで、ありがとうございました。本当に助かりました」

 私はまた、深々と頭を下げた。保護者の仮面は絶対はずしてはいけないと、自分に言い聞かせ続ける。

 彼と私は、担任と保護者だと……。


「いや……拓都の担任だから当たり前です。それから、お風呂は入れていませんけど、夕食は食べさせました。……今後、こんな事の無いよう気を付けて下さい」

 この時間なら、夕食が必要な事ぐらい気づきそうなものなのに、私は何も考えていなかった自分が益々情け無くなった。

 でも、昔の知り合いとしてって言ってたのに、やっぱり担任だからって……。

 そう、担任だから、してくれた事なんだよ。

 何を期待してたの? 

 彼が今でも想っていてくれるって?


 自分の甘さを思い知らせるように、彼の言葉は丁寧な言葉に戻り、やはり私達は、担任と保護者なのだと、自覚させられた。


「はい、何から何までお世話になって、本当にすいませんでした」

 そう言ってもう一度頭を下げると、彼は「じゃあ、気を付けて」とマンションの方へ歩き出した。私はその背中に「ありがとうございました。おやすみなさい」と声をかけた。すると、彼の足が止まり、ゆっくりと振り返るとフッと目を細め口角が持ちあがり、優しく微笑んだ。

 それは、懐かしい表情だった。泣きたくなる程、懐かしい彼の優しい微笑み……。

 そして、彼が「おやすみ」と言った後で、音にはならない声で、くちびるが『みお』と動いた様に見えた。


 私は心が震えた。

 私も心の中で『おやすみ、慧』と呟くと、クルリと背を向けて、運転席側へ回った。零れそうになる涙を見られないよう、素早く運転席に座ると、エンジンをかけて車を発進させた。バックミラーに映る彼は、ずっと立ち止ったまま、私の車を見送っていた。


 バカだな……私。本当にバカ。

 あれは願望が見せた幻。薄暗い中で、彼の口元なんて見えてたの?

 彼が私の名を呼ぶはずなんかないのに……。

 再会してしまった事は仕方ないけど、迷惑だけはかけちゃいけないでしょう?

 私は何度も溜息を着きながら、それでも頭の中は、さっきの彼の微笑をリピートしている。

 私……微笑み返す事さえできなかった。

 彼の目に映った私は、どんな表情をしていたのだろう。

 もう、今更……だけど。


 信号に停まった時、助手席の拓都に目をやる。横を向いて丸くなっている小さな背中。

 何を食べたのだろう? 彼が作ったのだろうか?

 拓都と彼はどんな風に過ごしていたのだろう?

 どんな話をしたのだろう?

 まさか拓都が彼に自分の本当の両親の事を話すはずは無いと思うけれど……


 拓都は両親の事を忘れる事は無い。3年前のあの日からずっと、拓都は私と共に朝晩仏壇に向かって両親と祖父母に挨拶をしている。小さい頃は、人からお母さんの事を尋ねられると、本当の母親とママと呼ぶ私の事を混同していたけれど、いつしか拓都は、本当の両親の事は口にしちゃいけない事だとに思ったようで、人前では一切言わなくなった。私と二人の時にだけ、お空のお母さん、お父さんと呼んで話す拓都に、私は、実の両親の事を他人に話せなくしてしまった罪を感じる。

 元々は私が拓都から両親を奪ってしまったのだから……。

 私が彼らを死へと向かわせてしまったのだから……。

 私は拓都に対していくつ罪を重ねて行くのだろう。

 元カレに心を奪われている場合じゃない! 

 私は彼よりも拓都を選んだのだから……。

 


 気づけば自宅の傍まで来ていた。どこをどう走ってきたのか、記憶に無い。体に染み付いた習慣が、車を走らせてきたのだ。自宅の駐車スペース車を停める。さて、拓都を抱いていけるだろうか? 小学校へ入って又背も伸びた様だし、体重も増えている。やっぱりおんぶだなと思い直し、拓都を起こす事にした。

 先に荷物を家の中に入れ、拓都の体をゆすって起こした。拓都は寝ぼけ眼で「あれ? 守谷先生は?」と訊く。「もう帰って来たんだよ」と答えると、私の顔を見てニコッと笑った。

 おんぶをして家の中まで連れて来ると、少し眠気が覚めて来たのか、お喋りな拓都の口が動き出した。


「ねぇ、ママ。守谷先生がチャーハンを作ってくれたよ。美味しかったよ」


「そう、よかったね」


「あのね、守谷先生のお家にもね、『にじのおうこく』の本があったよ。守谷先生もね、大好きなんだって。それでね、守谷先生が『にじのおうこく』を読んでくれたんだよ」

 嬉しそうに担任の家での様子を報告する拓都。彼の家にあの絵本があるのは、知っている。きっと拓都は、僕の家にもあると話したのだろう。僕の大好きな絵本だと嬉しそうに話したのだろう……。


「そう、よかったね。……さあ、お風呂へ入って、もう寝よう」


「はーい」

 拓都の元気な返事に、私は小さく溜息をついた。


 お風呂へ入ってパジャマに着替え、拓都と一緒に仏壇に向かって姉夫婦と両親に「おやすみなさい」と夜の挨拶をする。そして、拓都の部屋へやって来ると、拓都は本棚の『にじのおうこく』を出して来た。


「ママ、守谷先生もね、この虹の絵が好きなんだって。ママと同じだね」

 ベッドに腰掛けて、膝の上にその絵本を置いた拓都は、最後のシーンの絵が載っているページを開いていた。それは、大切な人の元へ架かった虹の絵だった。


「そうだね。さあ、寝なさい。もう真夜中だよ」

 拓都をベッドへ寝かせ、夏用の薄い掛け布団をお腹の辺りまで掛けてやった。時間はもう午後11時を回っている。拓都は横になると、やはり遅い時間のせいか、すぐに眠ってしまった。


 保育園の頃は、一緒の部屋で布団を並べて寝ていたけれど、小学校へ入る前にこちらへ戻って来て、自分の部屋ができると、一人でベッドで寝るんだと言い出した。少し寂しかったけれど、これも成長の証しだと喜んだ。結局、寝てしまうまで傍で本を読んであげているので、あまり変わりは無いのだけれど……。


 拓都の寝顔を見ながら、今日のことを思い出す。

 彼のマンションは、思い出がありすぎて、時間が戻ってしまいそうで怖かった。

 いいえ、戻ってしまえたら、どんなに良かっただろう……

 あの時、私もタメ口で、彼を慧と呼んだら、彼の反応は違っていたのだろうか?

 あーなに痛い事考えてるの!!

 彼には恋人がいるって言うの!

 元カノに周りをウロチョロされたら、迷惑だよ!


 膝の上に置いた絵本に目を落とす。さっき拓都が広げていたページを開く。

『ママ、守谷先生もね、この虹の絵が好きなんだって。ママと同じだね』

 拓都の言葉が頭の中で繰り返される。

 気づくといつの間にか頬を涙が流れていた。

 バカだな……美緒。

 彼があの頃を思い出して、好きだと言ったんじゃない事くらい分かってるけれど……



 私が社会人になった時、職場がK市と言う事で、約120kmという距離を隔てる事になり、私達は中距離恋愛になった。同じ県内と言う事もあり、遠距離恋愛ほど離れている訳でもなく、車で3時間で行き来できるからと、週末には会えるからと、平日に会えなくても我慢ができた。けれど、週末に県主催のイベントなどがあると、借り出される事があり、帰れない事もあった。


 そんな帰る事の出来なかったある週末、屋外で開催されたイベントが、お昼過ぎに急な激しい雨に降られ、慌てて片付ける事となった。片付けが終わった頃、雨も上がり、おまけに雲の切れ間から日差しまで差し出した。早々に終わったイベント会場から車で帰る途中、姿を現した太陽の光に雨にぬれた木々の緑がキラキラと光り出した。すると、大きな虹がくっきりと空に架かったのだ。

 私は空き地に車を止めると、車から降りて虹を見た。その時私は、あの絵本のラストの虹の絵を思い出した。

 『にじのおうこく』のお話の中の王国の人々は、愛する人や大切な人の元へ、虹の橋を架ける事ができる。その事を思って、私はすぐに目の前に架かった虹に向かって、携帯の撮影ボタンを押した。

 そして、『慧の元へ虹の橋を架けたよ』と彼に写メールを送った。返事はすぐに来なかった。けれど、数時間後、彼からも虹の写メールが届いた。『美緒の虹の橋は、確かに架かったよ』と……。

 



 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ