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いつか見た虹の向こう側  作者: 宙埜ハルカ
第一章:再会編
20/100

#20:交差するベクトル

「千裕さん、ごめんね。待たせちゃって……」

 

 私は、柴田さんとの会話を終えた後、我に返ると慌てて会議室へ向かった。会議室へ入ると、他のクラスの学級役員さん達はもうアンケートの集計を始めていた。


「ううん。大丈夫だよ。美緒ちゃん、柴田さんと知り合いだったの?」

 西森さんの隣に座ると、彼女は何気なく訊いて来た。はて、どうこたえるべきか……ここで姉の事を出して、又いろいろ訊かれても困るし…… 

 いつかは西森さんに話したいと思いながらも、先程感じた秘密が暴かれる恐怖がよみがえり、やはり姉の事は言えないと思った。


「あ……あの、私は忘れていたんだけど、子供の頃ご近所だったそうです」


「へぇ~偶然だね~。美緒ちゃんって、この間から偶然続きだね」

 そう言ってニコッと笑った西森さんの言葉に、私は戸惑った。

 偶然……そう、全てはその偶然のために、私はこの秘密を守らざるを得なくなったのだ。


「そうだね」

 私はそう言って、西森さんに微笑んで見せた。もう、この話はこれでお終いにしたかったから……



 私達は記録係と数を数える係に分かれて、集計をして行った。1年生は30人学級なので、1クラス約27~28人ぐらいだ。それで、今日参加してくれた保護者数が23人と言うのは、出席率がいい方だと思う。下の子が小さくて働いていないお母さんや、会社のお昼休みに抜け出して来たお母さん、それから親と同居しているのか、祖母と思われる年齢の人もいた。

 アンケートの最後の感想や意見欄には、丁寧な書き込みがあったりして、みんな子供の給食に興味がある事がうかがえる。私は試食会の開催に関わる役員で良かったと、素直に思った。


 私が遅れたために、他のクラスは集計を終え、役員さん達は先に帰ってしまった。結局最後になった私達は、集計を終えると、感想欄に書かれた文章をじっくり読んでいたので、さらに遅くなってしまったのだった。その時、いきなり会議室のドアが開いて担任が入って来た。


「お疲れ様です。もう子供達はかえりましたけど、翔也君と拓都君は教室で待っています。集計は途中でもいいですので、行ってあげて下さい」

 担任は入って来るなり、一気言った。


「守谷先生、集計はもうできていますよ。感想をね、じっくり読んでいたんですよ。皆さん、給食や学校の事、気にかけて興味を持っていらっしゃる事が分かって良かったです。PTA新聞にもこの集計結果や感想のまとめなんかを載せられるといいんだけど……」 

 西森さんが担任に向かって話しているのを聞いて、PTA新聞にアンケート結果を載せるのはいいアイデアだなと思った。さすが、西森さん。


「そうですね。また広報の方から要望があれば、アンケート結果の全クラスまとめたものを、お渡しします。それから、アンケートの集計、ありがとうございました。今日はお疲れ様でした」 

 西森さんからアンケート用紙の束と集計した用紙を渡されると、担任は(ねぎら)いの言葉でこの場を締めた。そして、西森さんの方に向けていた視線を、チラリとこちらに向けた。私は咄嗟(とっさ)に視線を避けて、目が合うのを回避し、そんな自分の行動に心の中で溜息を吐いたのだった。


「美緒さん」

 いきなり名前を呼ばれて、ドアの方を見ると、先程担任が入って来た時に開け放したドアから、教育実習生の安藤さんが入って来た所だった。


「あ、詩織ちゃん。こんにちは」

 私は笑顔で挨拶をした。安藤さんの姉である香織と数年ぶりに電話で話せたからか、最初の時とは違い、ずいぶん親しみを感じていた。


「美緒さん、お時間あったら少しお話したいんですけど……」

 安藤さんが少し遠慮がちに言いかけると、私が返事をする前に担任が口を開いた。


「安藤さん、篠崎さんは教室で子供を待たせているんだ。無理を言ったらダメだよ」

 えっ?

 どうして、ここで口を出すの?

 私が驚いた顔で担任を見ると、少し冷たい表情で安藤さんを見ていた。


「大丈夫よ~私がウチの子と一緒に拓都君を見ているから、心おきなくお話してね。この間もあまり話せなかったみたいだし……」

 西森さんがいつもの調子で、ヘラリと笑って言った。


「わぁー、すいません、ありがとうございます。少しだけお時間良いですか?」

 安藤さんは嬉しそうな顔をして、西森さんにお礼を言っている。だけど、当事者の私がどうもカヤの外のような……。


「美緒ちゃん、そう言う事だから、先に行ってるね。ゆっくりお話すればいいからね」

 西森さんに声をかけられ、自分がぼんやりとしていた事に気付いた。私はハッとすると、出て行こうとしていた西森さんの腕に、慌てて手をかけた。


「千裕さん待って。拓都は学童へ行くように言ってくれればいいから、先に帰ってください」


「あら、いいわよ。子供達は一緒に遊んでる方が楽しいだろうし……気にしないで」


「いいえ、どちらにせよ学童へ寄らないといけないので……それに、千裕さんにも悪いし……」 


「そっか……美緒ちゃんは、気を使い過ぎるから、学童の方がゆっくりできるね。わかった。拓都君を学童へ送って、帰るわね。私の事は気にしないでね」

 気を使い過ぎるのは西森さんの方だと思いながらも、西森さんの優しさに甘える事にした。


「すいません。じゃあ、拓都を学童までお願いします。今日はお疲れ様でした」

 私がペコリと頭を下げると、西森さんはフフフと笑って、「じゃあ、お疲れ。またね」と言って出て行こうとして、思い出したように担任の方を向いた。


「守谷先生、何ボケっとしているんですか? 今日はお疲れさまでした。またよろしくお願いします」

 私達の話が終わるまで、担任は無表情でその場に立ち尽くしていた。西森さんの言葉に我に帰ると、「あっ、すいません。お疲れ様でした」と言葉を返した。そして、西森さんの後姿を見送ると、私と安藤さんの方を向いて「安藤さんはこの後大丈夫なの?」と声をかけた。安藤さんが笑顔で「はい、大丈夫です」と答えると、「それじゃあ、お疲れ様でした」と言うなり、踵を返して会議室を出て行った。

 私は彼の姿がドアのところから見えなくなると、ホッと息を吐いた。途端に緊張が解けた。そんな私を見ていたのか、安藤さんは私を心配気な眼差しで見ると口を開いた。


「美緒さん、守谷先輩……あ、守谷先生がいると、緊張しますか?」

 え? 私、そんなに分かりやすい態度だっただろうか? 私の緊張は、人にも感じるほどなのだろうか?


「いえ、そんな事、ないよ。どうして?」


「守谷先生が出て行った途端、緊張が解けた感じがしたから……でも、守谷先生なら、それも分かるなって思って……」

 ああ、又、彼の話か……この話に乗ると、調子に乗って喋られそうだから、今日は回避しなくちゃ……


「そんな事より、話ってなんだったの?」


「ああ、ごめんなさい。実は、この間、姉から電話があって、怒られました。人のプライバシーを詮索するなって! 美緒さん、不愉快な思いをさせて、ごめんなさい。あんまり懐かしくて、つい、いろいろ聞いてしまって……」

 しょんぼりした様な顔で謝る安藤さんが、急にかわいそうになって、私は笑って「気にしてないよ」と答えた。


「香織と何年かぶりに電話もできたし、詩織ちゃんにも会えて、懐かしかったし……」


「わー、そう言ってくれると嬉しいです。私、あの頃、美緒さんに憧れていて……ウチのお姉ちゃんなんかより、ずっとおしとやかで優しくて……それでいて、キャプテンなんてするほどしっかりしたところもあるし……理想のお姉さんでした」


「詩織ちゃん、買い被り過ぎよ。私なんてガサツで、気が強くて、頑固だし……詩織ちゃんが思っているような女性じゃないわよ」

 私は、彼女が言う私の姿と現実のギャップに思わず苦笑してしまった。


「そんな事無いですよ。高校生の頃と全然変わらなくて……あっ、子供っぽいって言う訳じゃないんですよ。今はそれなりに大人の女性に見えます。ただ、雰囲気が変わらないって言うか、ホンワカした暖かいイメージで、笑顔が癒し系って言うのかな……」


「詩織ちゃん、もう無理しなくていいから……」

 私は彼女が一生懸命私を褒めようと苦戦しているのに、思わず笑みがこぼれた。


「そう、その笑顔! 美緒さんだって感じ……」

 彼女の言い方に、私はとうとう噴き出してしまった。


「もう、詩織ちゃんたら……」


「本当に美緒さん、全然変わらないよ。小学生のお子さんがいるなんて信じられない!」

 知らないお母さん達に言われたのなら、笑顔で流せるけれど……昔の私を知っている彼女の言葉は、変に私の心に刺さった。彼女は事情を知らないのだから……そう思おうとしているのに、一瞬顔が強張り、どうにか作った笑顔は、不自然だったかもしれない。


「あっ……ごめんなさい。余計な事、言ってしまって……いつも一言多いって、守谷先輩に怒られてばかりなのに……」

 彼女の何気ない言葉に、心がフリーズする。それは、何気に彼と彼女の親しさを表している様な気がした。私がいた頃のサークルでは、彼は女の子達とそんなに親しくなかった。それなのに……。


「守谷先生と仲いいんだね」

 思わずポロリと言ってしまって、内心焦る気持ちを隠すように笑顔を見せる。これって、やきもちみたいじゃない。……どうか笑顔が、不自然に見えません様に……。


「そんな~仲いいなんて……私が先輩に付きまとっているだけなんですよ。大学の入学式の時、サークルの勧誘をしている守谷先輩を見て、一目惚れだったんです。でもね、あんなにカッコいい人だから、恋愛対象なんて恐れ多くて、妹とか可愛い後輩の座を目指そうと思って、嫌な顔されても先輩の周りをウロチョロしていたんですよ。私って、結構打たれ強いって言うか……めげないって言うか……お陰で、可愛い後輩ぐらいにはなれたかな~って思っているんですよ」

 ああ、余計なひと言のせいで、彼女のおしゃべりが止まらない。訊きもしない事を嬉しそうに喋る。私の返事なんて期待していないだろうけど、私は「よかったね」と笑っておいた。


 私の知らない、別れた後の彼……このお喋りな、親友の妹と出逢い、彼女の積極的な行動にタジタジとして困りながらも、きっと突き放せず、可愛い後輩として受け入れたのだろうと想像する。最初は冷たく突き放す様に寄せ付けない雰囲気がある彼だけれど、一度受け入れれば、とても優しく情に厚い人だ。彼女との関係がどのようなものかは分からないけれど、彼女の話を聞いて、胸の奥の治りきっていない傷が、またシクシクと疼いた。私の知らない彼の3年間。私の知らない人たちと出会い、過ごし、思い出を重ねて行ったのだろう。私がそうであったように……。


「詩織ちゃん、教育実習はいつまで?」

 私は、いつまでも先輩の話題が止まりそうにない安藤さんに、別の話題を振った。


「今週いっぱいで終わりなんですよ。せっかく美緒さんに会えたのに……寂しいです」

 私じゃ無くて、守谷先生に会えなくなるのが寂しいんでしょ? と心の中で突っ込む。だけど、「最後まで頑張ってね」と笑顔を向けた。その時……。


「なんだ、まだいたのか?」

 いきなりドアが開いて聞こえて来た声に、ドキリとして思わず振り向くと、さっきよりは柔らかい表情の担任が立っていた。


「守谷先輩、すいません。もう帰る所です。さっき、先輩の話をしていたんですよ。クシャミしませんでした?」

 やっぱり、この子は、一言多い。

 私は安藤さんの言葉に、思わず顔をしかめた。


「おまえ、保護者に余計な事言うなよ」

 今までと違い、やけに砕けた担任の物言いに、普段彼女とそんなやり取りをしているのだと見せつけられている様な気がした。

 ただの保護者でしかない私と、可愛い後輩の彼女。

 安藤さんは、「余計な事なんて言っていません」と言いながら、私に向かって舌を出している。私はどうにか笑顔を返しながら、「じゃあ、これで……お姉さんにもよろしくね」と彼女に言った後、「失礼します」と言いながら小さく会釈すると、彼の横をすり抜けて会議室を後にした。


 こんな風に私達のベクトルは一瞬交差するけれど、その後はどんどんと離れて行く。この一年間は、長い人生からしたら、ほんの一瞬の交差なのだと思う。この一年が終われば、後はもう二度と交差する事の無いお互いの人生。

 それは私が選んだ事なのだと、もう一度自分に言い聞かせた。


  *****


「ママ、朝顔見てくれた?」

 拓都の言葉でようやく朝顔の存在に気付いた私は、自分の迂闊(うかつ)さに落ち込みながら、謝った。


「拓都、ごめんね。いろいろ忙しくて……」


「僕ね、翔也君のママと翔也君と一緒に見に行ったよ。もう葉っぱが一杯出て来ているんだよ」

 責めない拓都の優しさに許されながら、私はまた「ごめんね」と呟いた。

 翔也君のママ……西森さんにも、お世話になったんだ。後でお礼のメールをしておこうと思いながら、夕食の後片付けをし、拓都と一緒にお風呂に入って、寝かしつけながら本を読んであげる。これは、保育園の頃からの習慣で、市立図書館で借りた本を、毎晩少しずつ読む事にしていた。保育園の頃は絵本ばかりだったけれど、小学生になってからは、低学年向きの児童書を読むようになった。拓都も自分で読めるようになって来たけれど、自分で読むと文字の方に気が行って、お話の世界に入り込めないようで、もうしばらく寝る前の読み聞かせは続けようと思っている。


「ママ、またあの『にじのおうこく』を読んで欲しいな」

 拓都の大好きな絵本『にじのおうこく』……時々この絵本を読んで欲しがるのだ。けれど、私は、この絵本は封印したいと思っている。この絵本は……彼のお兄さんの奥さんが書いた絵本だった。

 絵本大賞を取って話題になり、私も気に入って購入していたこの絵本の作者が、彼の義姉の書いたものだと知った時は、とても驚いた。そして、一度だけ会わせてもらい、ますますファンになった。

 彼女は高校生の頃、友達に絵を描いてもらって、このお話をインターネットで公開し、人気になったそうだ。周りの勧めもあり、絵本大賞に応募したら、見事に大賞を取ったと言う事だった。


「うん。また今度ね」

 そう言って誤魔化す自分が、情けなかった。彼と再会してから、手に取る事も出来ない絵本。どうして手元に残しておいたのかな……と自分を恨みたくなった。



 拓都が寝てしまうと、私は由香里さんに叱って欲しくて電話をする。今日一番の出来事……姉の同級生に話しかけられた話をした。


「美緒、そんな事分かり切っていた事でしょう? 実家へ帰ったんだから、周りにお姉さんの事を知っている人は一杯いるんだから……」


「そんな事言っても……K市では知っている人がいなかったから、思いもしなかったのよ」


「そんな所が美緒は抜けているよね」


「どうせ私は抜けていますよー」

 こんな自虐的な物言いをするのも、由香里さんに甘えているからだ。いつもどこか気を張っている私は、最初の頃甘える人も無く、自分一人で抱え込んでダウン寸前だった反省から、甘えさせてくれる人には素直に甘える事にしている。由香里さんは精神的に甘えさせてくれるお姉さんの様な存在で、お隣のおばさんは、いろいろと生活の助けをしてくれる、実生活で甘えさせてくれるお母さんの様な存在だった。


「美緒、そんな言い方しても可愛くないから……でも、そこまで拓都君がお姉さんの子供だと知られたくないのは、元カレと再会したからでしょう? 再会していなかったら、担任にも話していたんじゃないの?」

 そうかもしれないと思った。確かに、同情されたくないとか、拓都にママと呼ばせている手前とかあって、必要以上に姉の子だとは言わずに来たけれど……、ここまで(かたく)なに秘密を守ろうと思っていなかった。


「そうかもしれない……どうすればいいと思う? 由香里さん」


「元カレにバレるのは時間の問題だと思うけど……バレたらバレた時の事と開き直っていたらいいのよ。だいたい、もう3年も経っている訳でしょう? 今更バレたとしても、彼も何も言ってこないんじゃないの? 美緒は負い目があるから、いつまでたってもビクビクしてしまうだろうけど、彼の方はもう過去の事になっているわよ。美緒には可哀そうだけど、これが現実だと思って受け入れるしかないよ」

 由香里さんはいつも、真実をずばりと言って来る。私が可哀そうだからと優しい物言いはしない。優しく言ったって、現実は変わらないのだから、辛ければ辛い程、早くその現実を受け入れて、次に何をすべきか考えた方がいいと、由香里さん自身、自分にそう言い聞かせて来たらしい。それが由香里さんの優しさなのだと、今の私は分かっている。


「そうだね……彼は真実を知っても、もう何も思わないかも知れないね。それがこの3年と言う時間なんだよね」

 そう、3年と言う時間の長さは、私達が付き合っていた時間より長いのだから、私との過去を消し去る程の思い出があるかも知れないのだから……

 そんな事を考えると、また胸の奥が(うず)いた。

 いつかこの傷も癒える日が来るのだろうか……






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