#18:危うい秘密
「美緒、結婚したんだって?」
いきなりそんな質問をぶつけてきたのは、先日小さな嵐のごとく、私の過去を引っ掻き回してくれた教育実習生の姉である安藤香織だ。
電話なんて何年ぶりだろうと思うほど、疎遠になっていた高校時代の友人が、連絡を取り合っていなかった時間の長さなど関係なく、いきなり高校時代の延長のまま、不躾に質問をぶつけて来たのだ。
それもこれも、彼の後輩だと言うあの教生が、私に気づいたのが発端で……
「なによ、いきなり……電話なんて何年ぶりだと思ってるの? 香織の方こそどうなのよ?」
私は話題をすり替えるべく、話をはぐらかした。
本当に何年ぶりだろう? 3年前までは、1年に数回は電話かメールのやり取りをしていた。お互いの近況を伝える程度だったけれど……
でも、だんだんと数は減り、3年前に携帯番号とアドレスを変えたと言う連絡をした時に返事が来たぐらいで、後は年賀状のみの関係になってしまったのだった。
彼女の実家が引越しした事もあって、県外の短大へ進んだ彼女が、この町へ帰ってくる事もなかったから、高校卒業後は一度も会っていなかった。それでも、凝縮したような3年間の友人関係は、何年経っても一度繋がれば、二人の間にあった時間なんてすぐに飛び越えてしまう。
「え? 私? 恋人も結婚相手も無く、仕事を生きがいにしていますよ」
なんだか棒読みのような言い方に、私はクスリと笑いを漏らした。
「私の事より美緒の事よ! あんた、小学校1年生の子供がいるっていうじゃないの!! 私、聞いてないからね!!!」
……やっぱり、はぐらかされてくれないか……
どう言えば納得してくれる? 何もかも正直に話してしまう事が、一番楽かもしれない……。
ハッキリ言って私は、駆け引きも、策を講ずる事も、上手く言い訳をするのも下手だ。絶対どこかでボロがでる。
遠く離れた街にいる香織に、真実を話しても誰かに漏れる事は無いだろう。それに、誰にも言わないでと言えば、いくらお喋りな香織だって、その点は信頼できると信じている。
でも問題は、今現在、あの担任の傍にいる香織の妹の方なのだ……香織がこんな事を訊いて来たという事は、妹がそう伝えた訳で……姉に似て妹も好奇心が旺盛で、お喋りだろうだから、私の事を担任に訊いたり、喋ったりしているかもしれない……香織に真実を伝えて、妹にはこれ以上詮索しない様に、私の事を誰にも言わない様にって、釘をさしてもらおうか……いや、妹には真実を言わない方がいい。どこでどう漏れるか分からないのだから、少しでもばれる危険は冒したくない。香織の妹が担任と知り合いだから余計に……。
「あのね、3年前に姉夫婦が交通事故で亡くなったの……」
「えっ? あの看護師をしていた、可愛いお姉さんが亡くなったの? 確か、結婚して子供が生まれたって、前に言っていたよね?」
「そう、姉は一人息子を残して死んだのよ」
「えっ……美緒、まさか……まさか、そのお姉さんの子供を?」
「そう、残された姉の子供の面倒を見ているの。でもね、今は親子として暮らしているの。学校にも周りの人にも本当の事は言っていないの。隣のおばさんは知っているけど、近所の人達も気付いているかも知れないけど……でも、親子だと言う事で通しているのよ」
「美緒……お、お母さんはどうしたの? ……あっ……そう言えば、亡くなったって……美緒……ごめん。余計な詮索して……」
「ううん。知らなかったんだから、仕方ないよ。それはいいの。それより、香織の妹さんに言って欲しいの」
「詩織に?」
「そう、私が小学校の保護者だったから、とても驚いていたの。そりゃぁ、あんな大きな子供がいたら、驚くよね。お姉さんと同級生だから、年も分かっているし……だから、これ以上詮索はしないで欲しいって釘をさして欲しいのよ。でも、姉の子供だと言う事は言わないで欲しいの。学校にはこのまま親子だと押し通すつもりだから、どこからバレルかも分からないから……それに、詩織ちゃんは、ウチの担任と知り合いだから、真実を知っているとどこで迂闊に漏れてしまうか分からないから…… ごめんね、いろいろお願いして……」
「何言ってるの! 詩織が迷惑をかけたんじゃないの? こちらこそごめんね。詩織ったら、すごく興奮して電話をかけて来たのよ。詩織はね、美緒があこがれのお姉さんだったの……私みたいにがさつで優しくない姉より、見かけおとなしそうで優しそうに見える美緒に可愛がってもらったから、憧れていたんだって……そんなあこがれのお姉さんが、学生結婚したかもしれない、十代で子供を産んだかも知れないって、とても興奮していたのよ。彼女の美緒に対するイメージを覆す様な事だったみたいね。詩織も美緒の本性を知ったら、もっと驚くだろうに……ねっ」
「ちょっと、聞き捨てならない事、言ったわね。私の本性ですって? 見たままでしょう?」
「いやいや、美緒はその見かけで得しているよ。今なら、癒し系?」
「もう8年も会ってないのに、今の私を知らないでしょう? とっても大人の素敵な女性になったんだから……」
私は、暗い話題が明るい方向へ向いた事に、安心した。香織とはいつも笑いあって過ごしたから、こんな暗い話は似合わない。
「はい、はい、そう言う事にしておいてあげるわよ。でもね、詩織が美緒の事、高校の頃と全然変わっていなかったって言っていたわよ。若く見えて良かったじゃない。フフフ……そう言えば、美緒の子供の担任って、めちゃくちゃイケメンなんだって? 詩織がうるさいのよ。先輩、先輩って……」
またその事か……彼はいつまでたってもその手の話が付きまとうのは、仕方が無い事なのか……
「まあ、そうね。お母さん達の中にはファンクラブまであるらしいから……」
「ひぇ~ファンクラブ? お母さん達が? 中学や高校なら生徒が先生に憧れるって言うのは聞くけど、小学校だとお母さん達なんだ……」
「まあね。……それより、詩織ちゃんに感謝しなきゃね。香織と何年振りかに電話で話せたんだもの……詩織ちゃんにお礼を言っておいてね」
「わかった。でも、詩織にはよーく釘をさしておく。人のプライバシーを詮索するなってね」
「うん。ありがとう。お願いね」
私は電話を切った後で、自分がいかに危うい所にいるか、思い知った気がする。守りたい人と守りたい秘密……そのどれもを、私は守り通せるのだろうか……。
*****
6月22日水曜日、給食試食会当日。
今日は1日休みを取ったので、洗濯や掃除を済ませ、午前11時半に西森さんと待ち合わせた。そして、今日の全体の流れと挨拶や説明のために言う言葉の確認をした。そして、まだ子供たちが授業中のため、保護者は体育館に集まってもらう事になっていたので、受付をする事になった。他のクラスの学級役員と共に、体育館の入り口のところで、やって来た保護者に名簿にチェックをしてもらい、今日の給食のメニューを書いたプリントとアンケート用紙を渡していく。
今日のメニューは、米粉パン、白身魚のフライタルタルソース添え、野菜いっぱいスープ、牛乳だ。
「なんと言っても、今日のメニューのメインは米粉パンでしょう? 今流行りだし……」
西森さんがメニューを見ながら言っている。
「米粉パンって、食べた事ないけど……普通のパンと違うんですか?」
「私も食べた事がないから、楽しみにしていたのよ。何でも、モチモチしているらしいわよ」
西森さんが嬉しそうに笑った。こんな時、彼女の表情はとても正直だ。
「米粉パン、美味しいわよ。でも私は、揚げパンがよかったな~」
そう言ったのは、隣のクラスの学級役員だった。それから、他のクラスの学級役員達も加わり、小学生の頃の給食の思い出話で盛り上がった。
保護者達が揃った所で、体育館の舞台下に収納された折り畳み椅子を、各自一つずつ持ってそれぞれの教室まで移動してもらう。教室の中では給食当番が給食の用意をしていた。
「ねぇ、ねぇ、守谷先生のエプロン姿、可愛い」
西森さんの言葉に、視線を担任に向けてみれば、エプロンを付けて給食の用意を手伝っていた。廊下からその様子を覗いて、私も頬が緩んだ。……彼のエプロン姿なんて、初めて見た。
給食の用意ができると、保護者達は自分の子供の机の横に折り畳み椅子を置いた。子供と一緒に同じ机で、親が給食を食べ、子供はお弁当を食べるためだ。全員が席に着くと、西森さんと私は皆の前に立ち、西森さんが挨拶をした。
「今日はお忙しい所、給食試食会に参加して頂き、ありがとうございます。日頃子供達が食べている給食を食べて、そのメニューや味、量や盛り付け等について確認して頂き、これからお家の方でも、今日の試食会を切っ掛けに、給食の話や食べ物の話など、食育に繋げて行って頂けたらと思います。食事の後、先程渡しましたアンケートにご協力頂きますよう、お願いします」
西森さんが話し終わると、私も一緒にペコリと頭を下げた。そして、和やかに食事の時間が始まった。
「ママ、給食美味しい?」
拓都が楽しそうに訊いた。私も拓都に微笑みかけると「美味しいよ。拓都はお弁当、美味しい?」と訊き返せば、「ママのお弁当も美味しいよ」と嬉しそうに笑った。
米粉パンも話に聞いていたように美味しくて、こんな機会でもなかったら、米粉パンを食べる事は無かったと思うと、嬉しかった。他のメニューも美味しくて、毎日こんな給食を食べている今の子供たちが、とても羨ましかった。
「ねぇ、拓都は給食で何が好き?」
まだ、入学してから3ヶ月弱しか経っていないけれど、お気に入りのメニューはあるのだろうか?
「あのね、カレーが一番好き。それからね、海藻サラダも好き」
カレーは拓都の大好きなメニューだが、やはり給食でもカレーなのか……その上、海藻サラダ?
家では食べた事の無い、自分の頃には無かったメニューの海藻サラダと言う、思いがけないメニューが出て来て、驚いた。
海藻サラダって、あれだよね……ワカメとか、名前も知らない赤っぽいのやら、緑のやら、ピラピラヌルヌルしたカラフルな海藻をドレッシングであえたサラダ。
「へぇ~海藻サラダが好きなんだ……」
思わずそう呟くと、拓都は嬉しそうに笑って、「うん」と思いっきり頷いた。
そろそろ皆が食べ終えた頃、もう一度、西森さんと私は皆の前に立った。そして、先に担任から聞いておいた、給食の食器の後片づけの仕方と、アンケートの記入の仕方を説明した。
「もう一つ、言うのを忘れていましたが、牛乳パックは開いて、廊下に置いたバケツの水で洗って、雑巾で簡単に拭いて、カゴへ入れて下さい。分からない人は、お子さんに聞いてください」
先程まで座って給食を食べていた担任が、急に立ち上がって追加説明をした。その話を聞いて、そんな事をしているのかと、私は学校が地道なエコ活動に取り組んでいる事に気づいたのだった。
その後、拓都に教えてもらいながら、給食の食器を片付け、牛乳パックを処理した。そして、皆がアンケートを書いている頃、最後の挨拶をするために西森さんと共に前に立った。
「今日は、お忙しい中、給食試食会にご参加頂き、ありがとうございました。今日の試食会を切っ掛けに、給食や学校の事など何でもいいので、お子さんとの会話が増やして頂ければと思います。また、今回の試食会を通じて、給食や学校としての取り組みなどにも興味を持って頂けたら、とても嬉しいです。それでは、アンケートを提出して頂きましたら、椅子を体育館へ戻していただき、解散となります。本日はありがとうございました」
私は深々と頭を下げた。一番心配していたおしまいの挨拶も、噛む事無く言えて、ホッとして、西森さんと目線でご苦労様と労った。
体育館へ椅子を戻し、西森さんと共にもう一度教室へ戻ろうとしていた時、同じクラスのお母さんから声をかけられた。
「篠崎さん、ちょっといいかな? 話したい事があるんだけど……」
初めて話をするその人は、今日同じクラスの中で見かけたなと思う程度で、私に何の話があるのか、全く見当がつかなかった。しかし、学級役員としての私に用があるのではなく、私個人に用があるようなので、西森さんに先に行ってもらう事にした。
「千裕さん、先にアンケート用紙を持って会議室へ行っていてください」
前回から西森さんの事を千裕さんと呼ぶようになっていたが、まだ少し慣れていない。それよりも、今から会議室でアンケートの集計をする所だったので、後から追いかけようと、先に行ってもらう事にした。
「ごめんね、篠崎さん。無理を言って……」
私達は体育館の隅で立ったまま向かい合っていた。その人は申し訳なさそうな顔をして、謝って来たけれど、どんな用があると言うのだろうか?
「あの……篠崎さんって、美那ちゃんの妹さんよね?」
えっ? お姉ちゃんの事、知っているこの人は、誰? まさか拓都の事も知っているの?
私は、なんて答えようか迷いつつ、この人は分かっていて、確認しているのだと思った。
「え、ええ……」
何とも情けない返事だったが、私は今どんな表情をしているのだろうか……
「あのね、私、柴田葉月と言うんだけど、美那ちゃんとは同級生で、小学校と中学校が同じだったの」
お姉ちゃんの同級生……
この小学校の父兄に、お姉ちゃんの同級生がいたって不思議じゃないのに、どうして今までその事に気付かなかったのだろう……そうしたら、姉が子供を残して亡くなった事を知っている人がいたって不思議じゃない。そして、妹の私がその子の面倒を見ている事を知っている人がいる事だって、あり得る話なんだ……3年間、この地元の街を離れていたから、すっかり忘れていた。K市では、姉の事を知っている人なんていなかったから……
私の立ち位置も危ういけれど、それよりも、秘密そのものが危ういのだと言う事に、私は今頃になって気付いたのだった。