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EYES  作者: 佐野光音
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ミカエルの憂鬱 1 【番外編・再掲載】


番外編、『ミカエルの憂鬱』の再掲載をします。

本編の次の更新まで時間が空きそうなので、分けて更新します。

数日置きか週一掲載になると思います。


内容は、第二部と第三部の間のお話になります。


再掲載は、こちらからお願いさせて頂き、出版社から許可を頂いてますが、

出版社からの要望で、今後またネット上から下げる場合もあります。ご了承下さい。


原稿は以前掲載していたものと同じです。

誤字脱字も、気づかないものは残っていると思うので、ご容赦下さい。(苦笑)



光音 拝




 D'où venons-nous ?  Que sommes-nous ?  Où allons-nous ?


 “我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”



               ――ポール・ゴーギャン――








 やばい女にひっかかった。




 彼女に出会って間もない頃から、俺の心の敏感な領域で警鐘が鳴っていた。




 それははっきりと響きながら、息を潜めて意識的に耳を傾けなければ理由の掴めない音で、永遠に解けない迷路そのものの心の内奥で警告を訴えていた。


 それだけで危険が判り、ブレーキをかけるなり方向転換するなり出来れば、誰も苦労はしない。



 厄介なのは、この手の警鐘は、肉体の持ち主の幸・不幸で判断されるものではないこと。


 生死の暗示や、生理的嫌悪感などとは違う直感。


 神が近づいても、悪魔が近づいても、警告音は同じなのだ。





 ――――気をつけろ。


 ――――自分の目を開いて、自分の心ですべてを見ろ。


 ――――運命の分かれ道のどちらを選ぶかは、己自身だ。





 この身一つで、いくつもの道を選ぶことは、不可能だ。





 俺が選んだ運命は、本能に従う道だった。


 実らなくてもいい。この想いの中で生きようと決めていた。


 警鐘を聴くのと同じ時に、俺の本心は決意していたのだと思う。





 そして俺は、ずっと求めていた答えを見つけた。俺の生きる真理を。








 ”我々はどこから来たのか” 


  ――――見るべきは過去ではなく




 ”我々は何者か” 


  ――――愛を求め、愛を知る者 




 ”我々はどこへ行くのか” 


  ――――愛の中へ、旅をする者



















「本日の午前中に口頭決裁頂きたい案件は五十五件です。依頼を受けた順に述べます」



 五十五件。昨日より少ないか。

 こんな朝を過ごすようになって、そろそろ三年になる。最初の二年は大学院に通いながら仕事を手伝っていた。総帥となりその座を降りるまで、まだ数十年はこんな日々に追われていくのだろう。



 大半が支援依頼の口頭決裁を、学校に行く前に済ませなければならない。

 普段なら朝食の後で行うのが習慣で、一時間ほどでそれを終えた後に仕事に取り組むのが日課になっていたが、阿見香について学校に出向くとなると変更を要する。

 早めにおきて、朝六時から七時までに片付けないと間に合わない。




「オーストリアの少年合唱団より、声楽芸術存続の為の寄付を求める依頼が届いています。近年の入団員の減少対策として、団員の退団後の進学支援を行う決定において、先々の資金繰りに備えた助成金が必要とのことです」


「助成する。ただし合唱団運営側にではなく、団員への奨学金制度を設立し、こちらが奨学金を後援するのが条件。団員それぞれに退団後から二十二歳の大学卒 業まで、年間一人五万ドルまで無償援助する。大学に進学しない者は十八歳までの援助、大学を中退した者は奨学金総額の半額を返還する事。事故や病気、家庭 の事情があれば審査の上返還は免除。大学新卒後、成績上位者はスマクラグドス傘下企業で無条件雇用も可とする」



 パソコンで、別口で溜まっている仕事を処理しながら応答する。

 第五秘書のレティシアが俺の返事をノートパソコンに打ち込み、次の案件を読み上げていく。



「続いて英国からです。科学誌ネイチャーからの依頼です。2007年に発見されたアイザック・ニュートン氏による直筆文書に絡み、意見が求められていま す。氏の旧約聖書解読により2060年に世界の終末が訪れると予言されている内容に基づき、五十年後には地球上の金属が枯渇すると懸念される説と一致する と述べる学者もいることから、化学博士としてミカエル様のお考えをお伺いしたいそうです」



 くだらない。数学者であり自然哲学者であり、近代物理学の祖と言われるニュートンの説とはいえ、百パーセント正しいとはいえない。それを引き合いにして、学者の立場で、世の中を混乱させる主張を垂れ流すなと言いたい。



「申し出の通り、化学者として論文を寄稿する。期限は十二月末日まで猶予が欲しい」

「そのように申し伝えます。同じくネイチャーからの依頼です。論文掲載の為の特別審査員を向こう向こう三年間お願いしたいとのことです」

「断る」

「続いてドイツからです。化学専門誌アンゲバンテの編集長、及び副編集長数名の連名で、来年から編集長の任に就いて欲しいとの要請がきています」

「断る。自分にはまだ早いと伝えてくれ」


 本音はそんなヒマはないと言いたいところだが。




「続いてスイスからです。十一月にジュネーブで開かれる国際科学シンポジウムの招待公演の依頼が届いています」

「断る」

「インジウムの代替品開発について、国際共同元素開発プロジェクトのリーダー、パウロ・マクシミリアン博士より、先年に引き続き研究資金の支援が求められています」

「助成する。年三千万ドルを目処に向こう五年間。研究経過次第で延長も可。研究を急ぐように伝えろ」

「かしこまりました。続いて南アフリカからです。コンゴ内戦締結の交渉時、スマクラグドス一族が内戦締結の条件として援助を引き受けて建設した空港について、開港式典に来賓として列席をお願いしたいそうです」

「ダンジズを出席させる」



 液晶のバックライトに使われるインジウムはレアメタルの一つで、他のレアメタルと同様に絶対数が足りない。日本でも企業が回収している中古携帯や家電が、レアメタルの都市鉱山と言われる由縁でもある。


 レアメタルは採掘も製錬もコストが高く、地球での原子量も限られているため大量に作成できない。そのため、その資源の奪い合いが戦争を引き起こし、埋蔵 量が見込まれるアフリカ地域では内戦が続く主な原因ともなっている。コンゴでの内戦もレアメタルのコルタンが闘争の原因と見られていた。



 世界中で起こる戦争の多くは双方に言い分があり、抑止するのも容易ではない。先進国や常任理事国であっても国レベルで踏み込めない問題も山積みで、中立 を国際的に宣言しているスマクラグドス一族への調停依頼が年中絶えない。総帥の仕事の半分は、国と国、民族と民族の仲立ち、仲裁業とも言えるだろう。



 早い話が、世界中の国家間の厄介事を押し付けられているのがスマクラグドスの総帥だ。

 財閥の運営は一族の中枢に任せ、揉め事解決にも多額に入用になる資金源を強化させている。


 勿論タダでやっているわけではないので、方々からそれなりに見返りはあり、湯水のように金銭を遣っても損失しないだけの経済力はある。

 仲裁と援助により利得権利も増し、更に経済基盤が強固になる連鎖が衰え知らずに生じていく。




「続いてスコットランドからです。十二月にエジンバラで開かれる国際医学学会にて、遺伝子支配における秩序と解放をテーマにしたディスカッション形式講演 会の進行役を務めてくれとの依頼です。現在決定している出席者は、脳科学権威のアラン・ジェラール氏、医学博士のルーベル・サン氏、農学博士のパリス・ ウォルシュ氏、宗教学者のエレイン・テレシコワ氏、生物学者のキンバリー・モスコーヴィッツ氏」


 秘書が名を挙げ連ねている途中で手を上げて合図する。

「引き受ける」



「宇宙エレベーターの開発について支援の要請です。カルフォルニア工科大学と東京工業大学、ケンブリッジ大学とシンガポール大学などが合同で立ち上げた研 究チームから、研究費及び、一族からの人材・研究総監督者が数名求められています。なお研究費については現在、シンガポール政府が先んじて一億ドルの支援 を決定しています」

「支援する。人材協力も惜しまない。必要な研究費は、経過報告を検討して決定する。初年度についてのみ五千万ドルの支援を確約」

「そのように申し伝えます。続いてアメリカから、ミスユニバースの特別審査員を務めて欲しいとの要請が来ています。こちらはシャラ様にも届いています」

「俺は断る」



「かしこまりました。続いてベルギー王室からの招待状です。皇太子ご夫妻のご結婚記念日に合わせて、十二月四日に開かれる晩餐会への招待状が届いています。阿見香様と是非ご出席下さいと夫妻より直筆のお手紙が添えられていますので、後ほどご覧下さい」




 ……十二月。


 キィを打っていた自分の指が止まっていた。



 阿見香はその時まで、俺のそばにいるだろうか。




「阿見香は恐らく無理だろう。とはいえ、俺一人が出席するのも失礼になる。シャラとダンジズを代理で行かせる。この件の返礼は俺が直接するから、代理が出席する旨を先に先方に伝えておけ」



 別館の秘書室では、男女合わせて二十数名の人間が働いている。レティシアを含めて彼らたちの間でも、阿見香の評判は悪くない。


 頭脳は馬鹿だがでしゃばらず、気性は明るく、求められた事には努力する。シャラは阿見香を妹のように可愛がり、ダンジズも使用人たちも微笑ましく彼女を見守っている。



 無理だろうと答えたことに、勤務中に珍しく、レティシアも気を引かれたのだろう。

 僅かに沈黙した後、余計な口出しを控えて次の案件を読み上げた。




「……かしこまりました。続いてアイスランドからの支援要請です」













 新学期の始まる今朝、登校前に口頭決裁を終えて部屋に戻れば、制服に着替えてベッドに座り、足をぶらぶらさせたあいつがいた。


 ニヤニヤと携帯をいじってる。メールの相手は絶対にあの男。檀聖。

 あんなつまらない男の、どこがいいんだか。


 昨日も阿見香とは学校のことで言い争っていたから、俺の顔を見るなり、彼女は嫌悪感むき出しでそっぽを向いた。



 さっきまでのニヤニヤ笑いはどうした? 

 毛虫のカタマリでも見た顔しやがって。





 その日はお互い無視を決めこみ、帰宅してからもニヤニヤ携帯いじりを目撃した俺は、シャラに文句を言った。


「阿見香に携帯ばっかりいじらせるな。そんな暇があるならカリキュラムを増やせ」



「今だっていっぱいいっぱいよ? 携帯の息抜きくらいいいじゃないの」


 驚きと非難の声を向けてくる妹を見ないふりで、言葉を続ける。



「俺があいつに言えば角が立つ。君の采配でカリキュラムの増加を決めてくれ」



 問答無用で押し付けた俺に、シャラが瞳をグルリと回し、首をふって吐息を漏らした。



「泣き落としを使うしかないわね……」





 性格が悪いのは充分承知しているが、こっちは毎晩ベッドで苦悶に耐えてるんだ。

 これくらいの嫌がらせはさせてもらう。



 ったく、毎晩同じベッドに生身のオンナを寝かせて何もしないなんてのは、拷問そのものだ。健康な男にとっては生き地獄でしかない。



 苦悶の余り、自分が男に生まれたこと、人間であることさえ罰したくなる辛さは、女には――――取り分け鈍いあいつには、絶対分かり得ないことだろう。


 好きだとか嫌いだとか、愛だとか恋だとかは関係なく、男にとって女が隣りに寝ている、それだけで理性が吹き飛ぶ状況なのに。



 自分の中で、あいつが、かけがえのない存在になっていることが、煮え立つ苦しみに更に火をくべている。

 業火に煽られ、心が、欲望が、グツグツ沸騰する苦悩に、夜毎さいなまれている――――隣りでスヤスヤと眠るあいつの首を絞めて殺してしまえと、何度悪魔の囁きを聞いたことか。



 それもこれも、惚れた弱みというやつなのだろう。どうでもよかったらさっさと犯してる。自分を押し殺して我慢なんかするもんか。




 手も出せない。自分のものに出来ない。

 

 なのに毎夜、俺の隣りにいる。平和そうな顔で眠り、他の男の名前を寝言で呟いている。





 なんでこんな女にひっかかったんだ。



 俺の人生は、完全に呪われている。












 思い返せば、最初の出会いからして呪われていた。


 次の日からあいつのいる学校に行くという時、遠目からでも一度顔を見ておきたいという俺の希望で、イギリスから到着した足で空港から急遽そこへ向かった。



「今は下校途中でハンバーガーショップにいます」と、彼女が見つかってからずっと見張らせている者から連絡を受けて着いた場所は、俺やダンジズ、シャラには相当場違いだったのだろう。

 外にいても自分たちが目立つだけで中の様子が確認できず、中に踏み入れば客のみならず店員たちも固まっていた。日本人以外の人種がそこまで珍しいのかと思いながら、店内を見回す。



 嗅いだことのない油の匂いと煙草の匂いに混ざり、日頃は滅多に間近に接することのない、一般階層の人間たちが密集する人いきれが充満した狭い空間に五感が慣れずに、眉を顰めた。


 中に入れば位置関係でよく見えず遠目どころじゃなくなり、少しでも席に近づいてみようと試みれば、こちらを注目して静まり返りつつある店内にテンションの高い少女たちの声が響いている。話に夢中でいるその二人だけが、俺たちに気づいていないようだった。




 あの髪型と、横顔と、制服には、見覚えがある…………


 その向かい側にいる少女の顔も、調査書の写真で一度目にした記憶があった。確か、フヅキという名前じゃなかったか。





「あんたの話、微妙なんだよ。なんか、卑猥っていうの?」

「ヒワイ?」

「ガマンできないだの、バコバコだの、痛いだの。うっ、て叫んでとか、やめれ。並べるとマジエロくさい」

「エロくさい!? やめてよっ。文月はエロ漫画読みすぎなんだよ!」





 ……エロくさい? 何の話をしてるんだ、こいつらは。しかも公衆の面前で。



 明日から学校に行くつもりだし、この際だから面が割れてもかまわないだろうと傍に近づきながら、自分たちの世界で騒いでいる二人を見やり俺は更にきつく顔を顰めていた。





「漫画は芸術よ」

「ええ? あのすぐに脱いじゃうやっちゃうの話が?」

「そういうのばっかじゃないし。……それより」

「でもそういうの、多くない? この間、文月から借りたレイプものも怖かったよ? 俺がイカせてやるとか、俺じゃないとイケない体にしてやるとか、犯されても体は正直だとか。ふざけてるよ、レイプはレイプじゃん」

「そうなんだけど。いや、そうじゃなくて。あの話は、男の心の深い闇が、癒されていく繋がりについてさ。そうじゃなくて、後ろ」

「癒されていく繋がり? なんかやらしー」





 友人に促されてようやく振り返った女を見て、すぐにそれが本人だと分かった。




 高橋阿見香。



 父の三番目の弟で、俺の叔父のジャーメインが、極東のこの国に遺した愛娘。


 一族に知られることも、守られることもなく、自分がスマクラグドスの高位にある人間だと知ることもなく、十七年育ってきた娘。



 そして、俺の花嫁候補筆頭。




 これが。


 さっきから、エロだのレイプだのやらしいだの、大声で話しているこの馬鹿女が。


 俺の未来の花嫁。





 …………激しい頭痛がする。






「高橋阿見香って、どっち?」



 分かりきっていることを確かめずにいられないほど、俺は茫然としていた。

 俺が茫然とするのは、生まれてから記憶にある限り、片手で数えるほどもない。


 この状況ではどっちでも大差はないのだが、一際でかい声で騒いでいたほうが、女として問題がありそうだと頭を抱えたい思いがしていた。


 フヅキという少女が無言で彼女を指差すので、絶望に陥りながら、俺はその衝撃を吐露しなければ眩暈と吐き気で気が遠くなりそうだった。吐き気は、この密閉空間に溢れている安っぽい食べ物の匂いのせいもあるが。




「こいつ? さっきからレイプだのイカせてやるだの、犯されても体は正直だの、頭がおかしい発言を大声で繰り返してる、これ?」


 明日地球が滅びると知らされたとしても、俺がここまで深刻な絶望感に突き落とされることはないだろう。それは断言できる。


「最悪」




 そう吐き出した結果は、更なる最悪を招いていた。




 視界がピンクに染まった時、とっさに何が起きたのか把握できなかった。



 動きを止めようすれば可能だったはずなのに、それをせずに受け止めたのは、非力な少女相手だと油断していたからだった。


 冷たいものが前髪や頬を濡らし、汚されたサングラスで俺は視界を失ったまま、呆気にとられて立ち尽くしていた。





「この世から男が全部いなくなっても、あんたなんかまっぴらゴメンよ」


 捨て台詞と共に、荒々しい足音が去っていく。





 相当気が強い性格らしく、暴言の応酬で俺に怯まずに食ってかかってきた彼女が――俺に面と向かって暴言を吐く人間すら今までいなかったので、無礼極まりない彼女にこっちがぶつけた怒りもかなりのものだったのは否定はできないが。

 それに歯向かってきた彼女から、どうやらシェイクを浴びせられたらしい。



 ストロベリー・バニラの甘ったるい匂いは、俺を宥めるものではなく、シェイクの冷たさも怒りを冷ますものになるわけがなかった。





「……ミハイル様……」



 こんなに恐る恐る呼びかけてくるダンジズの声を聞くのは、初めてだ。それくらいの判断力はあったが、怒りが爆発する限界地点ギリギリにいる自分では、それくらいを認識するので精一杯だった。




 爆発したらどうなる?


 それを自分で知りたいとも思った。今まで、爆発などしたことがない、抑えてきた自分から何が飛び出すのか、興味があった。





 シャラが、店員から受け取ってきたハンドタオルで俺の顔を拭くのを手伝う。


「一度、洗面室に行きましょう」

 ダンジズが急いで俺を促していく。


 顔を洗い、俺とダンジズが洗面室から出た途端に再び静まり返った店を出て車に乗り込んでからも、俺は無言だった。



 シャラもダンジズも、腫れ物に触るがごとく黙っている。不自然なほど。






 ――――あの女……


 あの女だけは、一生許さない。





 常識なしのヒステリー、東洋の子ザルと言えばサルにも失礼な馬鹿女の登場で、花嫁候補筆頭から次席になったヴィクトリアも最悪だが、どっちもどっちだ。




 この世から男が全部いなくなっても、あんたなんかまっぴらゴメンだと?


 それはこっちのセリフだ。




 地球から女がいなくなっても、あの女とヴィクトリアだけはご免だ。














 薄々勘付いてはいたが、俺に女難の相があるのは決定的だろう。


 掟で定められた血族婚をしなければならず自由な恋愛は出来ないも同然の上、物心がついた時から気忙しい日々を過ごして、異性に関心を持つ余裕もなかった。



 子供時代からの気晴らしは、乗馬とピアノだった。

 限られた自由時間に、音楽室でピアノを弾いている時と馬に接している時だけが、安らげるひとときだった。クィーンパレスの敷地、ブルーレース・フォレストにあるエデンと呼ばれる温室が改築されてからは、そこで過ごすことも息抜きになっている。



 その限られた自由のピアノも、大人たちに「ここで弾け、あそこで弾け」とパーティに引っ張り出されると新たなストレスの種になり、大学が夏休みになってパレスで過ごしていた十歳のある日、俺は両親にぶちまけた。



「俺は大人の操り人形になるために生まれたんですか? 勉強はするし、やれと言われたことはやります。けれど、ピアノは二度と人前で弾きたくありません」


 両親は何も言わなかったが、以降、「ピアノを」と誰からも強要されることはなくなった。




 十三で訪れた初恋で、恋人になった彼女からねだられても、ピアノは絶対に弾かなかった。頑なに嫌がったのは、俺が精神的にまだ子供だったせいもあると思う。





 思い出すと、胸がえぐられそうになる恋。


 双子の兄妹だと知らずに巡り会い、俺とシャラは恋に落ちた。





 実の兄妹だと判り、想いが無残に断ち切られてからの苦しみは、数年経った今も簡単には言い表せない。



 シャラとの別れの後、十六から十八まではアメリカに留学し大学院に通っていた。

 

その時期は、嫡男として積もり積もってきた鬱憤と、運命を罵倒する烈しい苛立ち、ぶつけるところのない怒りと空虚な孤独感で、ノイローゼになりかけていた。




 阿見香と出会う少し前までは、睡眠薬がないと夜は眠ることもできなかった。


 昼間は多忙で夜は強い薬漬け、精神が休まる暇がなく、慢性的な頭痛にも苛まれるようになる。





 気晴らしに女性を相手にしても、一瞬で過ぎ去る快楽は、慰めにもならなかった。



 慣れない人間の人肌を疎ましく思いながら、正論のない暗闇に自分を落とし込むことで、何も見えず、何も聞こえない、光も理想も遮断された世界で、俺の心はようやく静寂に浸ることができた。



 落ちていくだけの暗い道でも、何も感じず、何も思わず、闇に引きずられるまま沈んでいく心に、安寧を見出した日々。




 救いがなくてもよかった。

 眩しい光など、煩わしいものでしかない。



 眩しい煌きを見れば、触れることのない金の髪を思い出すから。


 向日葵色の、風にふわりと揺れる軽やかな髪に頬をうずめた記憶ごと、叶わぬ想いが引きずり出されてしまう。




 眩しい笑顔を見れば、抱きしめて、すぐそばで優しい瞳を見つめることができない苦しみを、味わわなければならなくなる。





 光の中で、どうにもならない孤独を無様に晒し続けるよりは、何も見えない闇に自分をを放ったほうがいいと思っていた。



 その世界ならば、恋した彼女を見なくてもいい。

 ――――何も見たくない。何も知りたくない。そう願っていた。








 一夜の相手は、誰でもよかった。



 一般的にはつまみ食いと言うらしいが、「うちの娘を傷モノにした責任を取れ!」と敬虔なカトリック教徒の親に大学まで怒鳴り込まれた時には、さすがにまいった。

 彼女の名誉のために、「すでに娘さんは傷モノでしたよ」と、言い負かすのを控えてやったのに、俺が折れるのを親の隣りで泣きながら待っていた年上女の根性が腹に据えかねて、退学に追い込んだこともある。



 女が所属する研究室の教授に、「彼女は頭が悪い」と一言呟いただけで、鵜呑みにした世間知らずの単純な教授が女を蔑ろにし、我慢が続かなかった本人が修士課程の途中で出て行っただけなのだが。 

 俺を嵌めようとした根性からして頭が悪いんだから、嘘は言っていない。二十四の女が両親を駆り出して、十七の男に婚約を迫るのも常軌を逸してる。



 以降、遊び相手は一族の女、中枢以外の者限定にすると学習した。嫌な言い方だが、傍系でも末端でも勝手知る一族の人間ならば、誰も俺に苦情は言えない。



 けれど、「恋人にもなれない関係」だと伝えているのにも関わらず、「自分こそは特別になれる」と意気込む女、勘違いするうぬぼれ屋が多かった。世間一般の女に限らず、血族婚の掟を承知しているはずの一族の女でさえも。

 加えて、一度寝ただけで結婚への切符が手に入ったと思い込める貪欲さにもうんざりさせられた。



 愛人でもいいなどと言い出された日には、二度と口を利かない人物リストに問答無用で追加した。他人に見られないよう、俺の脳内にあるリストだ。


 こっちも身勝手な男だが、相手も身勝手な女たちだ。罪悪感など微塵もなかった。



 大学院を修了してイギリスに戻った頃、「この身を捧げたのだからせめて愛人にしてくれ」と、嘆願書が数名の女たちから長老会に出されたのをきっかけに、長老会から叱責されるまでもなく「女はこりごりだ」と学び、ストレスの捌け口を女に求めることを終わりにした。



 誰かを利用して自分を傷つける行為にも、疲れきっていたのだと思う。







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