24話 氷の洞窟 其の二
迷っている暇などない。ルージュが先ほどと同じ魔法を五体にまとめて発動し、動きを封じる。氷の中に閉じ込められたスケルトンたちの、真っ黒い空洞の目が、全てルージュに向いているような気がした。
「美兎と雫が限界だ、この隙に一気に外へ向かう! レオ、お前は足が速い。先に行って二人をカバーしろ!」
ルージュの声を合図に、四人は一斉に駆け出した。凍るスケルトンの横をレオパルドがすり抜けると、あっという間に姿が見えなくなる。
「あと十秒で魔法が解ける。奴らが追い付いたら、今度はマルベリーが封印魔法をかけてくれ」
「お任せください!」
マルベリーはエプロンドレスの細長いポケットから、指揮棒のような木の杖をとりだした。手で握る部分には深緑の宝石が埋め込まれている。ルージュは深く息を吸って、既に具現化された大太刀を担ぐように肩に乗せる。
「そろそろ来るぞ、マルベリー、詠唱開始だ」
うなずいたマルベリーは、走りながら封印魔法の詠唱を始める。骨をカタカタ鳴らしながら、スケルトンが徐々に近づいてくるのが分かった。
「香澄、あいつらは闇の力で動いている。外に出てたら香澄のあの白い光を、もう一度出せないか試すんだ」
「は、はいっ!」
洞窟は出口が近いらしく、天井がだんだんと低くなってきていた。
「俺たちはここでもう一度足止めしてから外に向かう。香澄はこのまま進め!」
ルージュとマルベリーが、立ち止まってスケルトンを迎え撃つ態勢をとった。香澄はうなずくと、頭を低くして出口に向かって進む。
ガシャンガシャンと、骨のなる音が大きくなって、敵が近づいてくるのを知らせた。自由になったスケルトンが、一斉にルージュに向かって襲い掛かる。
「魔法発動します!」
杖の先が強く光ると、洞窟の地面を割り、何本もの木の根が五体のスケルトンに絡みついた。
「よし、外へ向かおう。マルベリー、この魔法はどれくらいもつ?」
「ゴブリン相手でしたら十分以上は……ですが、スケルトン相手となると、二分もつかどうか」
今まで精霊界で「魔物」と言えば、ゴブリン程度のものしかいなかった。武器など装備せず、集団でいても連携を取る事はない。ただ闇雲に襲い掛かってくるだけなので、こちらも向かってくるゴブリンを斬り捨てるだけでいい。戦略など立てなくても、腕が立つ者なら一人で二、三十体相手することも可能だ。
しかしスケルトンは違った。
武器を手にし、剣を持った者は前へ、弓は後方から援護など、それぞれの役割を理解しているようだった。守備力も攻撃力も、ゴブリンとはケタ違いだ。当然魔法の効き方にも差が出ると考えた。
「二分もてば上等だな。この魔法は連続で使えるか?」
「杖に一定の魔力をためれば可能です。ただ、魔力を貯めている間ほかの魔法は使えません」
出口に向かいながら、ルージュは素早く脳内で自分たちの置かれた状況と、相手の戦力を計算する。
「あの五体、次は俺が足止めする。マルベリーは、雫に魔力回復魔法を。その後、封印魔法の準備を頼む」
「了解です!」
狭い洞窟の出口を一気に抜け外に飛び出すと、そこは予想以上の乱戦模様となっていた。先ほどまでのように一体ずつ片付けるような、そんな悠長なやり方はさせてくれそうもない。群がるスケルトン達を、雫の魔法で押し戻し、レオパルドが剣を振り、美兎がトドメを刺す。
マルベリーは素早く雫のもとに向かい魔力回復魔法を唱えだし、ルージュは少しでも時間稼ぎにと、洞窟の出口を氷でふさぐ。
美兎の方に目をやると、レオパルドが先ほど拾った矢で、瀕死のスケルトンに狙いを定めていた。泣いたのだろうか、少し目が赤い。
「マルベリー、封印魔法の準備ができたら、武器装備のスケルトン優先に動きを止めてくれ。その後レオに回復魔法、封印魔法のローテーションで」
既に詠唱中のマルベリーが、返事の代わりに木の杖を振る。
「雫は魔力が戻るまで、負担の大きい範囲魔法でなく、単体攻撃で。レオの援護を頼む」
「承知しました」
ルージュは大太刀の長い柄を両手で握ると、自分を中心に円を描くように横一線に振り払った。太刀筋に入ったスケルトンが、何体も骨にひびの入る鈍い音をさせる。ルージュの軸にした足が、地面にめり込むほどの重い一撃だったが、スケルトン達に致命傷を与えるには至らなかった。振った刀の遠心力をそのまま利用して、自身も回転しながら、スケルトンの群れを切り崩していく。
背後で盛大な音を立て、洞窟の出口の氷が割れた。
中から出てくるスケルトン五体が揃うと、ルージュがすかさず足止めするために魔法を唱える。
「きりがない……」
確実にスケルトンを倒しているのに、またどこからともなく新しいスケルトンが現れて、数がいっこうに減らないのだ。
この中で封印魔法が使えるのはマルベリー、ただ一人。ルージュが放つのは、あくまでも氷で相手を包み込む攻撃魔法だ。一瞬足止めできたとしても、それはおまけ程度の効果に過ぎない。
仮にルージュとマルベリーで、ありったけの魔力を使っても、この数を一度に全部封印することは不可能だった。それに、この場を離れることに成功しても、この数の魔物をここに放置しておくのは危険すぎると考えた。魔物たちが人の気配を求めてさまよった結果、あの宿屋を見つけたらと思うとぞっとする。
「お願い……あの白い光をもう一度……!」
香澄は自分の白い水晶を握りしめると、一心に祈った。
戦闘の経験が全くない香澄の目で見ても、状況は極めて厳しいだろうとわかる。
ワイバーンで森へ行き、ゴブリンと対峙した時の余裕は皆無だった。ルージュは氷魔法を放ちながら戦場を駆け巡る。マルベリーも封印魔法と回復魔法を交互に駆使し、レオパルドの戦闘を補助していた。終わりの来る戦いならば、こちらの勝利を確信できる流れなのだろう。ルージュの指示は的確だったし、それぞれの動きだって一つも無駄がない。
なのに、戦いが終わらない。
前線で切り崩すルージュとレオパルドにも徐々に疲れの色が見え始めていた。だからこそ、香澄は余計に焦る。闇を退ける光でこの場を一掃しなければ、延々と終わらないのではないかと。
なのに、あの光が出せない。
「お願い!」
香澄はさらに祈り続ける。が、その祈りが届く前に、スケルトンの剣を受け止めたルージュの大太刀にひびが入った。信じられない思いでルージュは自分の刀を見つめ、すぐさまスケルトンを蹴り上げ距離を取る。氷が粉々に砕けるように、手にしていた大太刀が跡形もなく消え去った。
「嘘だろ……」
「参謀長!」
背後から襲い掛かるスケルトンを、レオパルドが薙ぎ払う。ルージュは慌ててその場に落ちていたスケルトンの剣を拾い上げると、再び構えた。
「大丈夫っすか?」
「太刀が出せなくなるほど魔力を使ったのは初めてだ」
肩で息をしながら、ルージュは額の汗をぬぐう。
このままじゃ、駄目だ。
全滅する。
どうすればいい――――?
考える暇を与えないほどの、絶え間なく続く魔物たちの攻撃。
ただそれを防ぎ、反撃するだけの繰り返し。
いつの間にか増えている魔物、それでも逃げることもできない。
数が減らないのは、どこからか魔物が出てくるポイントがあるのだろう。闇が次元を切り裂いて移動するように、魔物も空間を移動できるとしたら。 洞窟内に突然魔物が現れたことを考えれば、洞窟内とこの戦闘を行っている広場、最低でも二ケ所に空間の切れ目があるはずだ。この戦況で、次元の切れ目を探す余裕などどこにもない。
そもそも、見つけたとしても黒炎なしでは、塞ぐことも出来ないだろう。
でも、もし香澄の白い光で退ける事ができれば……
「香澄っ!」
ルージュの叫び声を聞いて、香澄は震えながらうなずいた。
「お願い、お願い……!」
祈り続ける香澄を目にし、ルージュは自分自身の見立ての甘さに失望した。そして、司令官の数々の不可解な行動を思い返す。
なぜ、古文書の在りかを示す本を「今は手元にない」と言ったのか。
なぜ、宮殿に残れば結界の代わりにもなるはずの香澄まで、アイスケーヴに同行させたのか。
なぜ、世界会議にレンを連れて行ったのか。
少し考えれば、気になる点はいくつもあったのに、まさか司令官がという思いで、疑うという選択肢を早々に排除してしまった。もっと慎重に行動していれば、仲間をこんな危険な目に合わせることも、レンをさらわれることもなかったのに。
ルージュの脳内に、無数の「たら」「れば」が渦巻いた。
ふと戦場を見渡せば、必死に剣を振るレオパルドと、とうに矢も尽き小ぶりの刀で応戦する美兎の姿が目に入る。マルベリーの回復魔法が追い付かず、二人とも傷だらけだ。マルベリーも雫も魔力が尽きかけ、今にも倒れそうだった。香澄は一心不乱に祈り続けている。
俺のせいだ。
俺のせいでみんなを…………。
疲労からか腕がしびれ、剣を握る手が一瞬ゆるむ。
甲高い剣のぶつかり合う音とともに、ルージュの手から剣が払われ、高く飛んだ。
「くっ!」
スケルトンの剣を振りかぶる動作に、咄嗟に左手を前に出し、防御魔法を出そうとするが、大太刀も出せない状況でそれが叶うはずもなかった。
それでも。
「それでも、あきらめる訳にはいかねぇんだよ!」
振り下ろされた剣を横に飛んで紙一重で回避したルージュは、地面を転がりながら態勢を立て直し、渾身の力でスケルトンの顔面に拳を叩きつける。頭蓋骨に亀裂が走り、弾けるように粉々に割れた。
だが同時に、ルージュも限界が近づいていた。
ゼエゼエと呼吸が乱れる。足に上手く力が入らず、もはや気力だけで立っているような状態だった。
「参謀長! 少し休んでください。俺、体力には自信あるんで、まだまだいけるっす!」
レオパルドがルージュの背を守りながら声をかける。
「馬鹿言うなよ。お前だってキツイくせに」
その時、ふわっと熱い風が駆け抜け、遠くからレンの声が聞こえたような気がした。
「ヤバい、幻聴が聞こえるようになった」
こんな場所にレンがいる訳がない。
ルージュは自嘲気味に笑ったが、レオパルドの耳がピクっと反応する。
「いや、ホンモノっす!」
そんな馬鹿なと、ルージュが顔を上げた次の瞬間、目の前が黒い炎で埋め尽くされた。轟音とともに、スケルトン達が消し炭へと変わっていく。
「ルー!」
魔物の数が一気に減り、見通しの良くなった洞窟前の開けた場所に、会いたかった姿を見つける。
「レン! なんで」
驚くルージュに向かって、少し離れた場所からレンが駆け寄よった。
「ルー、こんなにボロボロになって……! もう大丈夫だからね! 煌牙の姿をした夜霧も、氷鯉も汐音も、みんな味方だよ!」
涙目のレンが、ルージュの首に両手を回して飛びついた。汐音が「ふーん」と品定めするように、腕を組んで満身創痍のルージュを眺める。
「あなたがルージュさんか。へぇ」
「さて、のんびりしている間などないぞ。魔物が沸いてくる裂け目があるはずじゃ、そこを封じねば」
面白くなさそうに、露骨に口をへの字に曲げた汐音を押しのけて、夜霧が洞窟を指さし駆け出した。
「えっ? 煌牙……じゃない」
軽い身のこなしでスケルトンを斬りながら、まっすぐ香澄の方へ進む夜霧を、事態を呑み込めないままルージュは目で追った。香澄も、あっという間に自分の目の前まで来た夜霧を、ただただ驚いて見上げる。
「えっ、えっ? 煌牙さん? あれ、でもアザは全然痛くない……なんで」
夜霧がぐっと腰をかがめ、香澄に目線を合わせると、ふーむ。と唸った。
「お前、まだ力を使いこなせていないのか? 仕方ない。余も一緒に行ってやるから、白い光で裂け目を閉じよ」
言うと同時に、香澄の腰に手を回し、いともたやすく片手で抱き上げる。「ひゃぁ」と情けない声をあげた香澄は夜霧に連れられ、あっという間に洞窟内へと消えていった。ルージュは呆然としながらも、レンの体温を感じ、徐々に安堵がこみ上げた。
「レン、無事で本当によかった……!」
剣がぶつかり合い、骨の割れる音がする騒々しい戦場の中で、ルージュはレンの呼吸が苦しくなるほど強く抱きしめた。
「参謀殿! 感動の再会は後回しにしてくんな。巫女姫、こちらにも切れ目を見つけんした。早く封じてくんなまし!」
遠くから、氷鯉の声が響いた。