9話 いつの頃からか 〖挿絵アリ〗
「えっ? 黒い髪?」
ルージュは状況が飲み込めないまま、女の子を受け止めようと両手を広げた。
「レン!」
階段の上で、銀髪の少年が慌てて女の子を捕まえようと手を伸ばしたが、その手は空をつかむ。少年は階段を駆け下りながら必死に叫んだ。
「おい、お前! 絶対受け止めろよ!」
「そんなのわかってるよ……!」
両腕だけでは間に合わず、全身で女の子を受け止めたルージュは、その勢いに負けて女の子を抱えたまま後ろに倒れ込む。
「痛っ――」
「おいっ、大丈夫か!」
仰向けに倒れたルージュを、銀髪の少年と、黒髪の女の子が心配そうに覗き込んだ。
「なんか……背中が冷たい」
ルージュは恐る恐る上体を起こすと、自分の倒れていた場所を振りかえった。
「あぁ、悪い。魔法で雪を出してクッションを作った」
「あの短時間で?」
少年が事もなげにそう答えたので、ルージュは驚きながら雪に触れてみる。これのおかげで、衝撃は吸収されて怪我もなく済んだようだ。
「こいつが迷惑かけたな。まさかあそこから飛ぶとは思わなかった」
そう言って、少年は女の子を抱えあげると肩車をした。女の子は落ちないようにぎゅっと少年にしがみつく。
「俺は煌牙。このちっこいのはレンだ」
「ちっこくないよー!」
銀色の髪を引っ張りながら抗議するレンを無視して、煌牙が続ける。
「見ない顔だな。もしかして、親父が言ってた新しく来る奴ってのはお前か?」
「やっぱりキミ、長の息子なんだね。うん、氷の里から今日ここに着いたばかりだよ。名前はルージュ。よろしく」
ルージュは雪を払いながら立ち上がると、握手をするために右手を煌牙に差し出した。煌牙は「おう」とだけ答えて、少し照れくさそうに応じる。
「ルージュか。お前、氷の里の奴っぽくないな? 黒髪だし」
「ああ。母親が人間なんだ。……ねえ、その子は何で黒髪なの?」
「レンね、黒炎なの」
レンは自分の事を聞かれて嬉しいのか、煌牙の頭にアゴをのせてニコニコと笑顔で答えた。
「黒炎って……キミ、巫女姫様だったの?」
ずいぶんと奔放なお姫様と、そのお姫様を雑に扱う煌牙にルージュは驚いた。
「うん。レンね、一人だけ黒い髪だったから、ルージュを見つけて嬉しくなっちゃった!」
『一人だけ黒い髪だったから』
レンの一言が、ズキッとルージュの胸に突き刺ささる。
今まで、考えないようにしていた『一人だけ』と言う事実。黒髪も、黒い瞳も気に入っていると公言してきた。確かにそれは本心だ。それでもどこか強がっていたのだと、今の一言で思い知らされた。
なにより、同じ黒髪のレンに出逢って、心底ホッとしている自分が居る。
「……もう、一人じゃないね」
ルージュは無意識のうちにそうつぶやいていた。その言葉に、顔を輝かせてレンがうなずく。
「なんだよ、今までだって一人じゃなかったろ」
「だって煌牙は黒じゃないもん」
煌牙が一瞬息をのんだ。
「寂しかったんなら、ちゃんと俺に言えよ」
「寂しくなかったよ。ただ、ルージュに会えてうれしかったの」
煌牙の声のトーンに、怒られていると感じたレンは、銀色の長い髪に顔をうずめたままそう答えた。
「……まぁ、いいけどな。あ、ヤバイ。司令官に呼ばれてたんだった。じゃあな、ルージュ!」
レンを肩車したまま、煌牙は階段を駆け上がった。レンが振り返ってルージュに手を振る。ルージュも手を振り返そうとしたが、ハッと思い出して煌牙に声をかけた。
「俺、騎士団に入りたいんだ!」
「おう、大歓迎だ! 明日の朝、宮殿の訓練場に来いよ!」
太陽に照らされた煌牙の銀色の髪がキラキラと眩しかったが、レンの赤みを帯びた黒髪も美しいとルージュは見とれた。
『黒炎の巫女姫』という存在は聞いたことがあったけど、まさか髪や瞳まで黒いなんて。
翌朝、ルージュはドキドキしながら訓練場へと向かった。
宮殿の敷地内でワイバーンの獣舎近くにあると言う事は、昨日のうちに寮長のアークから聞いていたので、迷わずにたどり着くことができた。そこは、訓練場と言うよりは運動場といった感じで、屋外の広場に魔法用の的が並んでいる簡単な設備だった。既に煌牙やレンをはじめ、何人かが剣や魔法の訓練中だったが、なぜか大人の姿はない。
「よお、ルージュ!」
ルージュの姿を見つけた煌牙が、声をかける。その後ろをレンが小さな木刀を持ってついてきた。
「巫女姫様も、剣の訓練をするのですか?」
驚いて尋ねたルージュの言葉にレンは大きくなずく。
「するよ! レンも強くなって、煌牙と一緒に戦うから」
「お前、そんな事言いだしてからもう一年経つけど、全然上達してねえだろ。剣は向いてないんだって。魔法の練習しろよ」
煌牙は辛辣な言葉とは裏腹に、優しくレンに笑いかけるとポンポンと頭を撫でた。
「騎士団って、大人はいないの?」
ルージュの問いに、煌牙は「あー」と、苦い顔をする。
「大人ねぇ。居るけど、こんな平和な時代、基礎が出来てりゃ充分だろって、訓練なんかしねぇんだわ。いざ魔物が出たって時は、俺が片づけるしな」
「そうなんだ」
「お前、氷の一族だったな。武器は出せるか?」
「うん。一応」
「見せてみろよ」
ルージュはうなずくと、両手に力を集中させた。みるみる手の中に光が集まり、徐々に形が見えてくる。パッと強く光を放った後、ルージュの手には、身の丈以上もある刀が現れた。
「へぇ、大太刀か、珍しいな。だけど、出すのに時間がかかり過ぎだ。実戦だと厳しいぞ。お前、人相手に戦ったことはあるか?」
煌牙の問いに、ルージュは首を振る。
「人と戦った事はない。……俺、やっぱり才能ないのかな」
「いや、お前くらいの年でこんだけできりゃ上等だ。後は経験を積めばいい」
「経験?」
「手合わせしてみるか。レン、邪魔だからお前はもっとずっと遠くに行ってろ」
レンはコクリとうなずくと、煌牙の指さす獣舎の軒下までパタパタと走り出した。
煌牙はレンが遠く離れたのを確認すると、両手に光を集めた。その光はあっという間に二本の短剣へと変わる。
「双剣……」
ルージュはその刃の形状と白銀の色に、まるで翼のようだと思った。
「俺は手加減してやるが、お前は全力で来いよ」
煌牙が飛ぶように地面を駆けた。
ルージュはゴクリと唾を飲み込むと、刀を握る両手に力を込める。
間合いを詰められたくないルージュが、大太刀を真横に一振りした。
だが煌牙は、そんな動きは予測していたかのように、ひらりと高く飛びルージュの攻撃をかわすと、その勢いのまま剣を振り下ろす。
剣がぶつかり合う高い音が響いた。
煌牙の一撃を防いでも、容赦なく二本目の剣がルージュを狙う。
接近したままでは、手数の多い双剣には敵わないと判断したルージュは、力いっぱい、双剣もろとも煌牙を押しのけ距離を稼ぐと、素早く空中に氷の足場を作る。その足場を踏み台にして、押しのけられて後ずさった煌牙の頭上高くジャンプした。
ルージュの意図を察した煌牙は、避ける間がない事を悟ると、剣を握ったまま右手に光を集め壁を作り防御の体勢をとる。
ルージュは、自身の落下スピードも刀に乗せ、煌牙に斬りかかった。
ガラスが割れるように、煌牙の防御壁が粉々に砕け散る。
一瞬、目を大きく見開き驚きの表情を見せた煌牙だったが、すぐにそれは不敵な笑みへと変わる。片手では防ぎきれないと、咄嗟に両方の剣でルージュの刀を受け、そのまま横へ打ち払った。
「うわっ!」
バランスを崩したルージュが、横に飛ばされゴロゴロと地面を転がる。
いつの間にか訓練の手を止めて、二人の戦闘を遠巻きに見ていた他の団員達が息をのんだ。
地面に倒れたルージュの視界に、青い空が広がる。
これが実戦だったら、ここに魔法が飛んでくるか、あるいは剣を突き刺されて人生終わるんだなぁ。と思うと、ルージュは立ちあがって戦闘の続きをする気にはなれなかった。
まだまだ実力に差がありすぎる。
「うん。お前、悪くないな。ってゆーか、むしろすげーいいな!」
「え……でも俺、負けちゃったんだけど……」
仰向けで寝ころんだまま、ルージュは煌牙を見上げた。
「当たり前だ。勝てる気でいたのか? なめんなよ」
煌牙は笑いながら、ルージュを引っ張り起こす。
「俺の防御壁を割った奴は初めてだ。お前、センスあるよ。大太刀はリーチ長いから、乱戦の時は味方の位置、気をつけろよ。後は……今は無理でも、そのうち片手でも扱えるようにしておけ。片手が空けば、防御も出来る」
煌牙の的確なアドバイスを聞き、ルージュは嬉しそうにうなずいた。
「ありがとう! 里では、こんなに戦闘出来る人いなかったから、ここに来てやっぱり良かった!」
そんな二人の様子を、目をキラキラ輝かせてレンは見つめていた。
あんなに楽しそうな煌牙は、なかなか見られない。ルージュは煌牙の味方になってくれる! それが嬉しくてたまらず、レンは思わず二人に駆け寄った。
「ルージュ、カッコよかった!」
遠くから走ってきたレンが、そのままの勢いで飛び付くと「うわっ」と、ルージュはよろよろと後ずさった。
「なんだよ。勝ったの俺だぞ?」
煌牙は面白くなさそうに、ルージュにぶら下がるレンの頭をこづいた。
「いたーい!」
パッとルージュから離れたレンは、小さな手で煌牙のみぞおちを殴りつける。
「痛ぇだろ! 本気で殴るなよ」
「煌牙が叩くからだよ。それに、本当は全然痛くないクセにっ! どうせレンは煌牙に勝てないと思ってるんでしょ!」
レンが腰に手をあてて、ぷーっとふくれる。レンの感情に共鳴するように、煌牙達の周りの温度が上昇した。
「暑いよ、レン」
煌牙は空中に絵を描くように、人差指を走らせた。
キラキラと煌牙のなぞった線は、氷のバラへと変化する。
「レンが怒ってると、このバラすぐに溶けちまうぞ」
そう言って煌牙は、氷のバラをレンの黒い髪に挿した。
「えっ、ヤダヤダ、もう怒るのやめる! そうしたら、ずっと溶けない?」
「まぁ、一時間くらいはもつんじゃね?」
「えー。じゃあ、一時間経ったらまた作って」
「やだよ。めんどくせぇ」
「ふっ、あはは!」
二人のやり取りを見ていたルージュが、思わず吹き出す。
「何だよ、ルージュ」
「だって、二人とも仲がいいのか悪いのかわかんなくて、面白いんだもん」
「ルージュも今日から仲間だよ!」
レンは嬉しそうに、ルージュの腕にぶら下がった。
「ありがとうございます。巫女姫様」
「それ、ダメ。レンでいいよ。あと、敬語も禁止ね!」
「えっ。それは、ちょっと……」
「だめだめ! ね? お願い!」
レンが拝むように顔の前で両手を合わせる。その仕草が可愛くて、思わず微笑んだ。
「……うん、わかったよ。レン」
「やったぁ!」
鮮やかな黒い薔薇のように、レンの笑顔が咲いた。
――――それからは、いつも三人でいた。
毎日のように煌牙と手合わせをしたし、レンには内緒で実戦練習と称し、煌牙とイノシシ狩りに行った事もあった。それがバレた時には、煌牙と二人で一生懸命、大泣きするレンのご機嫌をとったっけ。
置いていくと後が面倒だからと、レンを連れて出かけた時には、度胸試しで橋の上から川に飛び込んだ事もあったな。三人ともびしょ濡れで帰って、レンが熱をだしてしまい、司令官に大目玉をくらったんだ。
煌牙が騎士団長に就任して、その後すぐ自分が参謀総長になって、レンは大喜びしてくれた。
いつも三人でいたのに。
いつからだろう?
三人でいることが、少なくなった。
煌牙といつも張り合うようになった。
レンが不安そうに、一生懸命、煌牙と自分を気遣うようになった。
いつからだろう? どうしてこうなった?
「ははっ」
乾いた笑い声が響いた。
長く暗い宮殿の廊下で、ルージュは歩みを止めて片手で目を覆う。
いつから
どうして
「わかってる」
本当は、わかっている。
――煌牙よりも近くで、レンを独り占めしたいと願ってしまったからだ――