3章 王太子の策謀-1
翌日、伊織はやけにすっきりとした気分で目覚めた。
ぼんやりと朝日の差し込む寝室の中を見回し、昨日の事をゆっくりと思い出す。
そして自己嫌悪した。
「殺人事件があった翌日が元気って、なんかサイテー」
ため息をついていると、半開きの扉をノックしてルヴィーサが入ってきた。
「お目覚めでしたか、イオリ様。着替えてお食事にいたしましょう」
朝食は部屋の中に用意してくれた。
焼きたてのパン。なんかのミルク(牛っぽいけどちょっと違う風味がある)と卵(鶏じゃないらしく、妙にクリーミー)に燻製肉。
食事が終わると、ルヴィーサに尋ねてみた。
「そういえば、母のお墓が近くにあるって聞いたんですが」
がけ崩れで土砂の下敷きになった遺体を、この国の人は掘り起こしてくれたらしい。そして、悠樹のために王家の墓地の一角に埋葬してくれたと悠樹が知らせてくれていた。
だから異世界に行ったら、まず最初に母の墓参りがしたいと思っていたのだ。
「ミア様のお墓ですか? ええ、確かに近いですけれど……」
ルヴィーサ曰く、できれば城の外には出てほしくないらしい。当然だろう。常に狙われているわけなのだから。
「いえ、今じゃなくていいんです。この件が終わってからで」
伊織はあわてて別な用事を付け足す。
「あ、そうだ手紙書いたら送ってくれます? 何も言わないで出てきちゃったから、お父さんに連絡しておきたいので」
「承知致しました」
伊織は寝室の机にあった便箋とインクを使って、文字を綴る。
それにしても書き難い。羽ペンなんて使ったことが無いから、気を抜くと字が乱れる。元の世界のボールペーンを懐かしみつつ、手紙を書いた。
今現在、悠樹の住む世界にいること。
四月までに戻れなかったら、学校には長期休暇届けを出してほしいこと。もう一つ付け足して、新しい恋人と仲良くねと書いておく。
それをルヴィーサに渡して終わりかと思ったが、王宮における魔術を管理している本人が部屋にきてくれた。
昨日は会えなかった、アルヴィンの兄、王太子シーグだ。
シーグ王太子は、昨日挨拶した王妃に一番顔立ちが似ている。髪の色もそっくりの金茶だ。
伊織はシーグ王太子に向って頭をさげた。
昨日謁見の前にルヴィーサに言われたことを思い出し、自分から声をかけるのは慎む。王様や王子様なんかと話すときは、相手が話しかけるまで待つようにと教えられたのだ。それが礼儀らしい。
郷に入れば郷に従えだ。弟の顔に泥を塗るような無作法はしたくない。
「初めましてイオリ殿。アルヴィンの兄、シーグと言います。どうぞお顔を上げて下さい。こちらはユーキ殿には一方ならぬ恩義をいただいている身です。臣下のようにしていただくわけにはいきません」
促されて見上げると、笑顔が見えた。やはり美人は微笑ですら綺麗に見える。
しかし繊細なアルヴィンと違って、鋭い雰囲気を持ってる。目も笑っているのだけど、試されてる気がするのは、相手の身分のせいだろうか。
一秒考えて、伊織はできるだけへりくだった挨拶をしておいた。
「弟がいつもお世話になっております。この度はわたくしまでお世話になって申し訳ないです。それにわたしは悠樹と違って何も貢献できることがありませんし……居候の身のようなものなので、お気遣いなく」
「イオリ殿は謙虚な方ですね」
そう応えたシーグ王太子の視線が、ようやく柔らかくなる。
勇者の姉がどんな人間か見ていたんだろう。自分より下手に出るのならよし、横柄ならばそれなりの対応を考えていたのかもしれない。
気づいてしまうと気分は良くないが、仕方のないことだ。昨日の国王夫妻は鷹揚でほがらかだったが、その分この長兄が周囲に目を光らせている、ということなのだろう。
「本日はお手紙をお送りになりたいと聞いて、受け取りに来ました」
用件を述べたシーグ王太子。その内容に伊織は驚く。
「え? 王太子様が送ってくれるんですか?」
「魔術に関係するものは、わたしが統括してるんですよ。もちろんユーキ殿の手紙も、私が預かっていました」
なるほど。シーグから命じられた魔法使いが、わざわざ転移させてくれていたのだ。
「いつも有難うございます。手紙で弟と連絡がとれたので、あの子に寂しい思いをさせずに済みました」
それでも四年間、悠樹は当初見守ってくれるはずの母まで亡くして、とても辛かっただろう。決して伊織には、そんな事を言わなかったけれど。
伊織はルヴィーサが丸めてリボンを巻いてくれた手紙を、シーグに手渡す。
「父宛なんです。よろしくお願いします」
「確かにお預かりしました。さて、よろしければ少し故郷のお話など聞かせていただけますか?」
庭を眺めながらのお茶に誘われて、伊織はうなずいた。とりあえずやることはないし、退屈なのは目に見えていたのだ。
王太子が先導して部屋から出る。
扉の外には六人ぐらいの近衛が待ち構えていて、シーグ王太子と伊織やアルヴィンを中央に挟んで廊下を進む。
剣を持つ騎士以外に、銀の刺繍の美しいロングジャケットを着た侍従もついてきて、全部で十一人の大所帯だ。
こんなぞろぞろと大人数で固まって歩くのが、この王太子の慣習なのだろうか。なんて不自由そうな、と伊織は思った。きっと悠樹に騎士団をつけると言い出したのも、王様がこの状態に慣れていたからだろう。
それにしても歩きづらいとため息をつきかけたところで、隣に並んだアルヴィンがこっそり耳打ちしてくる。
「おい、イオリ」
「何?」
「兄上のことは、王太子様じゃない。王太子殿下と呼べ」
「……ああ、呼称が違うってことね。はいはい了解」
ぞんざいに応えながら、伊織はなんとなく緊張がほぐれるのを感じた。ルヴィーサは敬語を崩さないし、フレイも同様。シーグ王太子にはこちらから丁寧にしなくてはならない。
呼び捨て&タメ口が、こんなに安心できるものだとは思わなかったのだ。
伊織の答えを聞いたアルヴィンが、ちょっと不服そうな表情になる。
「お前、どうして兄上は敬語で俺はそうじゃないんだ?」
「ファーストインプレッションが悪かったのよ」
「ふぁ……なんだそれ?」
「第一印象。見知らぬ人間が自分の絵をこっそり懐に忍ばせてたら、普通びっくりするじゃない。そこで全てが決まったのよ」
「だから、それのどこが悪いんだよ?」
言われて伊織は、はたと気づく。
「もしかして、あなたって自分の絵姿がこう市井に出回ってたりするの?」
「もちろんだ」
そうだ彼は王子様だった。元の世界だったら、正月に写真入りカレンダーが売られているようなロイヤルな人間なのだ。伊織はついうっかり忘れそうになるけれど。
「ちょっと考えてみてよ。庶民の絵姿なんて、普通は誰も持ってないのよ。持ってるとしたら、かなり執着が強い人ぐらいでしょ」
「執着っ?」
アルヴィンが慌てた声を出す。
「あとは犯罪者の手配書ぐらい? 一瞬、何か行き違いでわたしが指名手配されてるのかと思ったんだから」
「……心当たりでもあるのか?」
「失礼ね、どうしてそうなるのよ! わたしは清廉けっぱ……」
伊織の抗議は、笑い声を聞いて思わずフェードアウトしてしまう。
一歩前を歩くシーグが、肩を振るわせて笑っていた。
「イオリ殿と、ずいぶん仲良くなったんだねアルヴィン」
「え? いや、仲良くっていうか」
伊織が聞かれたとしても、言葉を濁しただろう。
仲良くというより、昨日から一番話してるのがアルヴィンやフレイで、だから話しやすいだけなのだ。でも話しやすいってのは仲がいいとも言えるわけだが、友達っていうのもなんか違う気がした。
一応気が合うのかな。そう思いかけた伊織の気持ちは、次の一言でふきとんだ。
「イオリの口が悪いから、遠慮する気になれないだけです」
伊織は内心怒り狂っていたが、じっと黙っていた。
そしてシーグが視線を逸らしたところを見はからい、アルヴィンの足を思い切り踏んでやったのだった。