若き芽の輝き(2)
* * *
その後、エルダは仕立屋屋の手伝いを引き続き淡々とこなしていた。
サートルも相変わらず鍛冶屋の手伝いを抜け出して、自警団の鍛錬場に通っていた。それが日に日に回数を増してくるものだから、彼の母親はもはや諦めきった様子だった。
ある日、仕立て終えた服を彼の家まで持って行くと、家の中には誰もいなかった。そのためエルダは隣接している工場に顔を出すことにした。
工場を覗くと、ハンマーで鉄を打つ音が耳に入ってきた。ちょうど昼のまっさかりで、大半の人が休んでいるのか、中にはサートルの父親だけがいる。
エルダは足下に注意しながら進んでいく。剣を凝視していた彼はこちらの気配を察すると、顔を上げた。厳つい顔つきだが、心はとても優しいおじさんである。
「エルダちゃんか、どうした?」
「おばさんに頼まれていた服が仕立て終わったので、持ってきました」
「おお、ありがとな。その服は俺のだ。そこら辺に置いといてくれ」
言われたとおり、近くにあった机の空いている場所にそっと置いておいた。
打っていた剣は最終段階なのか、サートルの父親が剣先を上にして持ち上げるのが多くなっていた。傍まで近寄ると、光沢を放つ剣がそこにあった。
「マコーレーさん、仕上げ段階ですか?」
「ああ。歪んでいないか確認するのも一苦労だ。こればっかりは経験がものをいう。小さいときから親父の手伝いをしているが、まだまだだ」
「幼い頃から続けていても、まだまだなんて……」
「一時期は放浪とかもしていたから、ずっととは言えないがな」
エルダは目を見開かせる。マコーレーはこちらには目をくれず、剣をじっと見つめていた。
「俺も親父の職を継ぐ気なんかさらさらなかった。だが世界を少しだけ見た結果、この鍛冶職人も必要な職業だと痛感したから、戻ってきたんだ」
剣を石の上に置いて、ハンマーを一振りする。小気味のいい音が響いていった。
そのハンマーはマコーレーの召喚物で、サートルが生まれる前から持っているものである。
「モンスターが溢れる世の中、精霊召喚ができない人間は、武器を持って戦わなくてはならない。結界がいつも張れるとは限らないからな。これらは身を護るために必要なものだ。だから俺としては、騎士よりも大切な仕事だと思っている」
その言葉はマコーレーの想いをすべて表しているものだった。
サートルに向かって工場を継げと言っているのを見たことはないが、心の底では継いで欲しいと思っているようである。
「まあ召喚物を何にするかは、あいつの勝手だ。どんな人生を選ぶかも、あいつの意志だ。だからエルダちゃん――」
マコーレーはちらりとエルダのことを見た。
「あいつのことまで考え過ぎなくていい。今は自分のことを考えてくれ、自分の人生だから」
図星を突かれた内容を言われ、エルダは言葉を詰まらせた。
「お袋さんや親父さんもそわそわしているようだが、気にしなくてもいいと思うぞ」
「お気遣い、ありがとうございます……」
両手を握り返しながら後退する。親同士では子どもたちの様子は筒抜けのようだ。
下がっていると、かかとが机にぶつかった。机は揺れたが、上に乗っていた物は何も倒れずに直立し続けた。ほっとして机を眺めていると、ランプの中に入っている光宝珠に目がいった。仄かに光っている。屈んでそれをじっと見つめた。
「この宝珠、光を付けているんですか?」
「何もしていない。そいつは自然発光でも光が発するものだ。きちんと光を付けてみればわかるが、輝きも普通のものより遥かに激しいぞ」
マコーレーがランプに手を触れると、宝珠がさらに光を発し始める。それは部屋全体を明るくするくらいの目映さとなった。
「すごい光……」
「これは魔宝珠細工師の店で買った光宝珠だ。ちょっとした採掘場に行くときに使っている。普通の店で売られているランプに入っている光宝珠だと、輝きが小さくて見にくくてな」
「つまり細工師が磨いた宝珠なのですね。手が込んでいるだけあって、すごい輝きです」
一般的によく見られる魔宝珠は、石に色が付いただけという印象を受けるものである。しかし宝珠の磨き方や削り加減によっては、自ら光沢を発するのだ。
光沢があった方が本来の力を引き出しやすいと言われているが、それは定かではない。
ただ、装飾具の一つとして魔宝珠が使われているのは事実なので、意図的に輝きを増すために、魔宝珠細工師が手を付けて磨いている場合はあった。
「エルダちゃんも魔宝珠をもらったら、とりあえず細工師に頼んで装飾具の一つにでもしてもらったらどうだい? 常に持っていれば、何らかの加護はあるだろうし。俺も持ち歩いているが、身に付けているだけで、何となく力が湧いてくるような気がする」
「そうなんですか。貴重な助言、ありがとうございます。装飾具にする時は、いいお店を紹介してくださいね」
話を切ったところで、ちょうど休憩中だった職人たちが戻ってきた。エルダは挨拶をして、彼らと入れ替えで工場を出て行った。
家に戻ると、使い古されたマントを着ている旅人が、店の前をうろついていた。首からは魔宝珠がぶら下がり、腰にはショートソードを差している。彼の姿を見て、エルダははっとした。
奥にいる母には声をかけたが、今も店の受付に誰もいない可能性がある。客かもしれないと思い、エルダは慌ててその人に声をかけた。
「仕立屋に御用ですか?」
ぼさぼさの焦げ茶色の髪の男性は、エルダに気づくと軽く頷いた。
「ああ。お嬢さん、この店の関係者かい?」
「私の父が経営しています。お待たせして申し訳ありません、すぐに対応させていただきます」
男性を伴って、ドアを押しながらドアベルを鳴らすと、案の定、母親が奥から出てきた。
「お母さん、お客さん。外で待っていた」
「あら、すみません! 席を外しておりました。――ご用件は何でしょうか?」
母は紙とペンを取りだして構えた。男性は布袋の中から上着を一着取り出す。エルダでさえも見てわかる、かなりいい素材を使ったものだ。そこに一カ所だけ大きな切り傷があった。
「この部分を修繕していただきたい。なるべく現状に近い形で。布を必要とするなら、買い足して値段を上乗せしても構いません。値段がかなり跳ね上がっても大丈夫です」
母は服を自分の方に引き寄せて、そっと手で撫でた。
「とてもいい服です。大切にしていらしたのに、不運な事故にでも遭われたようですね」
切れた部分をなぞりながら言うと、男性は首を横に振った。
「いえ、自分が判断を誤ったために、斬られてしまったものです。頂き物なので是非とも修繕をしたいのです」
服の傷は鋭利なナイフで切られたようなものではなかった。もっと荒々しい何かが切ったような感じである。
「わかりました。思い出を復元させるためにも頑張りましょう。少しお日にちをいただきますが、よろしいですか?」
「構いません。しばらくこの町で宿をとって滞在する予定ですので」
「ありがとうございます。一晩主人と相談してから期間はお伝えしたいので、お手数をおかけしますが、明日にでもまたいらして頂けますか?」
「わかりました。明日の昼前にでもお伺いします。私はファヴニール・ヨセフスです。どうぞよろしくお願いします」
「ヨセフス様ですね。ありがとうございます。ではお預かりいたします」
深々と頭を下げた母親は、走り書きながらも簡潔にメモをした。
ファヴニールは踵を返して外に出ようとしたので、ドアの近くにいたエルダはとっさにそれを押した。彼はエルダに対して軽く頭を下げて出て行こうとしたが、唐突にドアの境目で立ち止まった。そしてエルダに振り向いてくる。
「お嬢さん、この町で還術印が施せる場所と、魔宝珠細工師の店がどこにあるか知っているかい? できるだけ優秀な人がいい」
「優秀な人ですか。還術印はわかりませんが、細工師については……心当たりがある人を知っていますので、ちょっと聞いてきますね。少しお待ちください」
マコーレーであれば知っていると思い、エルダは隣の鍛冶屋に向かって走っていった。ファヴニールも小走りで後をついてくる。
工場の中に入ろうとすると、サートルの剣呑な声が聞こえてきた。
「親父、俺はこの家を出る」
「……お前な、もう少し考えてから物事を言え。ここを出て、どうやって生活していく気だ?」
「いいだろう別に。勝手に食っていくさ! だから俺の魔宝珠くれよ。持っているんだろう!?」
「今後の道筋をきちんと作っていないようなお前には渡せん。騎士になりたいだと? 夢物語もいい加減にしろ! 騎士になりたいのなら、それ相応の準備をしろ。剣の鍛錬も適当、勉強も疎かなお前になれるわけがない!」
マコーレーがサートルに対して一喝する。
仕事中は黙々と作業をし、感情はあまり表に出さない人だ。そのため彼が怒っている姿を見て、エルダは非常に驚いていた。
サートルは両手をぎゅっと握りしめて、父に向かって言い放つ。
「……わかったよ、親父になんか力を借りねぇで、魔宝珠を手に入れて召喚してやる!」
啖呵を切ったサートルは、踵を返して工場の中を突っ切り、エルダの横を通り過ぎていく。一瞬視線は交わしたが、すぐにそらされてしまった。そしてあっという間に、彼は外に出て行ってしまったのだ。
「サートル、本当にどこに行くつもりだ。自警団のところならいいが、結宝珠を持たずに町の外に出たら、死ぬぞ……」
マコーレーは肩をすくめながら、溜息を吐く。そして近くにいた若手職人にサートルの行き先を探すよう指示を出した。マコーレーが入口の方に顔を向けると、エルダと視線があった。
エルダはファヴニールを外で待たせて、工場内を進んだ。
「おじさん、用事が済んだら、私もサートルのことを探してきます。心当たりは何カ所かありますので」
「エルダちゃんにまで迷惑はかけられない。腹が減ったら、そのうち帰ってくるさ」
「さっきの表情は本気だったと思います。ああいう表情を見たの、初めてでしたので。私しか知らないところもあるでしょうから、是非探させてください。……あの、こんな時ですみません。腕のいい魔宝珠細工師のお店、教えてくれませんか? こっちの店に来た客が行きたいと言っていまして……」
マコーレーは外にいるファヴニールを見ると、了承の頷きを示してくれた。彼は紙にざっと地図を描いて、位置を示してくれる。
「北の商店街の裏の店にある。俺の名前を出せば、すんなりと話は通るだろう」
「ありがとうございます。こちらの用が済んだら、サートルのこと探してきますね」
「本当にすまないね、世話のかかる息子で」
「慣れていますよ。ちょっと行ってきますね」
焦る想いを抑えて、エルダはファヴニールを連れて町中に繰り出した。
幼い頃からエルダとサートルは一緒に過ごしてきた。体が弱かったエルダだが、やんちゃで遊び盛りなサートルに連れられて、駆けずり回っているうちに体力が付き、いつしか一般的な少女以上の体力を持つようになっていた。時として無茶をしすぎて、数日寝込んだこともあったが、エルダとしては楽しい思い出として記憶に残っている。
お互いに兄や弟がいるが、どちらも歳が四歳以上離れているため、気心の知れた会話は二人の方ができていた。エルダにとっては弟以上に心を許していたと思う。
「そのサートルっていう少年は大切な子なのかい?」
早歩きで進んでいくエルダの後ろを、ファヴニールは軽々とついてきながら聞いてくる。エルダはくすりと笑った。
「見ていられない弟みたいなものですよ。時々はっとした発言もするので、弟だって言い切れませんが……」
通り過ぎる時に向けられたサートルの視線は、エルダに対して何かを訴えているようだった。
お前はどうする? 俺は自分の道を歩む。だからお前も道を探し出してみろ……っと。
「少年が行った場所の心当たりはどこなんだい?」
「自警団の鍛錬場、その会議を開く屋敷、行きつけの武器防具屋、それか……町の外にある忘れられた神殿」
「神殿?」
「道を示してくれる精霊がいると言われています。町中にも精霊を祀っている神殿はありますが、サートルはそっちよりも外の方が気になっているらしいです」
「どうしてだ? 外ってことは、町を囲む結界の外に出るってことだろう。モンスターと遭遇する確率が高くなるぞ?」
「だから行きたいんじゃないですか?」
エルダは苦笑して、ファヴニールの方に振り返った。
「男の子って、冒険心くすぐられる方が好きじゃないですか? ――それにもし祈るのなら、私もそこの神殿に行きたいです。あそこには何かがいるような気がするので……」
直接行ったことはなく、遠目からしか見たことがないが、妙な確信があった。
魔宝珠細工師がいる店は、大通りから一歩入ったところにある、こじんまりとした店だった。中に入ると、左目にモノクルを付けている白髪の老爺が、赤い宝珠を掲げてじっと見ていた。彼はエルダたちに気づくと、胡乱げな目を向けてくる。
「何のようだ?」
上目遣いで言われて、つい後ずさりそうになったが、ぐっと堪えて姿勢を正した。
「初めまして。腕利きの魔宝珠細工師がいると、マコーレーさんから紹介を受けた者です」
彼の名前を出すと老爺の表情が一転し、少し明るいものになった。
「ほう、マコーレーの知り合いか。あの堅物がこんな嬢ちゃんを知っていたとは」
「マコーレーさんのお店の隣で仕立屋を営んでいる父の娘です。マコーレーさんにはいつもよくしていただいています。今回はこちらの方が腕のいい細工師を探しているということで、お連れしました」
ファヴニールは頭を下げてから一歩前に出た。細工師の目がすっと細まる。
「……お主、やり手の剣士そうだが、周囲にいる精霊が困っているようだぞ」
「一目見てそう判断されますか。素晴らしい目をお持ちですね。実はこちらの魔宝珠を見て欲しいのです」
ファヴニールは首から下げている魔宝珠を取り外して、細工師の前に差し出した。球状の針金の中に入っている宝珠は、鮮やかとは言い難いものだった。それを受け取った細工師は、モノクルを通してじろじろと見始める。
エルダは自分の用は終わったと思い下がろうとすると、ファヴニールがちらりと見てきた。
「お嬢さん、もう少しここにいてくれないか。あとで自分も少年の捜索を手伝うから」
「お客様にそこまでしていただくのは……」
「もし外に出た場合、君一人だけを外に出したくない。俺はモンスターの相手をするのには慣れている。君たちと一緒でも、それらを退けるくらいの力量はある」
とても有り難い申し出だが、エルダとしては客人の好意をすぐには受け取れなかった。
返答する言葉を選んでいると、細工師が手で拱いてきた。ファヴニールに促されたエルダは、彼と共に細工師の机の前に移動する。
細工師は魔宝珠を机の上に置き、腕を組みながら目線を下げていた。
「……入れ物から宝珠を取り出して、磨いてもいいか?」
「是非お願いします。そこまでしていただけるのなら、自分としては嬉しい限りです」
承諾を得た細工師は、針金でできた入れ物から魔宝珠を取り出す。そして机の中から布を出し、それで丁寧に拭き始めた。繰り返し何度も拭くが、魔宝珠の色合いや光沢には特に変化はなかった。
「……精霊がいないな。この宝珠から召喚はできるのか?」
「召喚はできますが、還術はできません。ある日突然できなくなりました」
「そうか……」
話が読めないエルダは首を傾げるばかり。話の中心であるファヴニールの魔宝珠をじっと見るなり、不意に目眩がした。よろけると、ファヴニールが背中に手を当てて支えてくれた。
「大丈夫か?」
「すみません、ちょっと目眩がしただけですので……」
「これを見てか?」
ファヴニールが自分の魔宝珠を指で示すと、それに視線を合わせずにエルダは頷く。エルダの仕草を見た細工師は、目を丸くしていた。
「驚いた。嬢ちゃん、わかるのか? これと他の魔宝珠の違いを」
「何がですか? 私はそれを見たら、ちょっと気分が悪くなっただけですよ」
「……どうやら嬢ちゃんは感受性が高いようだな。こりゃたまげたな! お主、それを知っていて、嬢ちゃんを呼び止めたのか?」
細工師がにやりと笑みを浮かべて、ファヴニールのことを見てくる。彼は魔宝珠を入れ物に入れて首からかけると、軽く頷いた。
「何となくですが、普通のお嬢さんではないと思いました」
「そうか。その歳で見極められる人と会えたのは、嬢ちゃんにとって幸運だったな。気付かないまま歳をとる人が多い」
「自分と会わなくても、彼女ならそう遠くない未来に気付かれていたと思います。精霊の存在を薄々感じられる人間は、多くありませんから」
「あの……」
エルダは二人の会話に入り込むかのように、そっと手を上げた。
「お二人が仰っている意味が、まったくわからないのですが……」
自分のことを話題に出されているのは間違いないが、何が言いたいのかはわからない。
疑問を抱いていると、ファヴニールが肩に手を乗せてきた。
「詳しいことは後できちんと話す。君の人生にとって大切なことだから。――今は君の幼馴染を探しに行こう。早い方がいいだろう?」
向こう見ずな考えで動いている、幼なじみの顔を思いだした。
「そうでした、サートルを連れて帰らないと!」
「サートルって、マコーレーのところの倅か?」
「知っているんですか?」
「マコーレーと一緒に何度か来ているぞ。今日の朝も一人でここに来たな」
「何しに来たんですか!?」
思わぬ情報を聞き、エルダは一歩詰め寄る。
細工師は机の上に乗っていた魔宝珠をつまみ上げて、それを目で細めて見た。
「魔宝珠に関して聞きに来た。質のいい召喚物を生み出すには、力のある細工師が磨き上げる以外に、特別な方法はあるのかと」
「どう返答したのですか?」
「方法は二つあると言った。一つは魔宝珠に精霊の加護を付けてもらうこと、もう一つはもともと精霊の加護を強く受けている魔宝珠を得ればいいと言った。ここら辺だと忘れられた神殿にあるものが該当する可能性は高いとも伝えた」
「……ファヴニールさん」
視線を上げると、隣にいた男性は頷き返してくれる。馬鹿な弟分を放っておけなかった。
「すみません、力を貸していただけませんか?」
「ああ、もちろん。俺でよければ力を貸そう」
腰にあるショートソードを垣間見てから、彼は返事をしてくれた。