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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第二章 『激動の一週間』
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第二章43 『生き足掻く条件』


 告げられた言葉を飲み込み、噛み砕き、咀嚼する。

 喉を通し、胃袋に収め、血肉となって脳まで巡るのにほんの数秒。ゆっくりとその意味を噛み含めながら、目を閉じた。


「思ったより動じていないかしら。もっとピーピー泣き喚くものと思ったのよ」


 スバルの反応が思いのほか静かなものだったからか、ベアトリスが意外そうな声音でそう呟く。

 その彼女の言葉に対し、スバルは「ああ」と小さく頷いてから、


「可能性は三つぐらい考えられる」


 言いながら指を三本立て、目の前に立つベアトリスにそれを示す。

 押し黙る彼女に見せつけるように、その立てた指の中からまず一本を折り、


「まず、ブラックジョーク、悪い冗談の類。正直、笑えねぇ話だが……ドッキリ大成功ってプラカードが出てくるなら笑ってもいい。出てくるなら今だぜ?」


 片目をつむっての要求に、しかしベアトリスの表情は変わらない。

 スバルはもっとも穏便な可能性が潰えたのを受け入れて、ため息とともに二本目の指を折る。


「その二、傷が酷すぎた。実際、腹の中身がこぼれてるの見たしな。延命処置が効いてるだけって言われても、ピンとはこねぇけど……納得はできる」


「にーちゃとベティーの治療に不備なんかあるはずないのよ。傷跡は残るし、今はまだ完全に癒着し切っていなくても、時間をかければ元に戻るかしら。間に合った相手をむざむざ死なせたりしないのよ」


「だな。腹の中身が出てても助けてくれたのは実証済み……てか、それもまだ三、四日前の話、だよな?」


 イマイチ繰り返しの日々のせいで判然としないが、正しい時間軸でのスバルのエルザによる刀傷沙汰は四日前の出来事のはずだ。

 ――それから四日で、また腹を食い破られるような事態に陥る。ここまで短期間で腸をポロポロ落としている人材は、ひょっとするとかなり希少かもしれない。


「まったく嬉しくないけどな……ともあれ、そうなると」


 残った三つ目の指を左右に振り、スバルは思い当たる最後の可能性を上げる。


「心当たりのある死因ってやつが、一個しかねぇんだ」


 ロズワール邸での繰り返しの日々で、スバルを死に至らしめたいくつもの可能性。その中で、現在の状況に符合できるものは、


「呪いのリベンジか」


「ウルガルムの群れにやられたときに、ごっそり植えつけられたようなのよ」


 スバルの推測を裏付けるように、ベアトリスが腕を組みながらそう応じる。

 体の各所に白く残る傷跡――複数のウルガルムから受けた牙や爪の痕、それらを忌々しげに確認してからスバルは、


「念のために聞いとくけど、解呪とかってできねぇの? もったいぶってるとかじゃねぇよな?」


 下手を打つと、「求められなかったからやらなかったのよ」ぐらいのことを言い出しかねない危うさが彼女にはあるので、その懸念の部分を突いてみる。

 が、彼女はそんなスバルの希望的観測の入り混じる問いに首を横に振り、


「解呪できる代物なら、お前に返し切れない恩を着せてやったかしら」


「おい、勘弁してくれ。すでに返すのが大変なくらい積み上がってるっつの」


 もらってばかりで何ひとつ返せない。前回も、前々回も、今回も。

 スバルの述懐にベアトリスは物問いたげな顔をしたが、スバルは手振りでそれを誤魔化し、


「解けない呪いってのがどういう理由か聞いていいか?」


「……自分の死に方ぐらい知っておいてもいいのよ。簡単な話かしら。――かけられた呪いが重なりすぎて、複雑になりすぎてしまっているのよ」


「呪いが、重なってる……?」


 イメージが浮かばずに首をひねるスバルに、ベアトリスは両の手を広げる。

 そして、彼女は目を瞬かせるスバルに、


「呪いが糸だとするかしら」


 言いながら、ふいに彼女の両の掌の間に赤い糸が結ばれる。ぴんと張ったそれを目で示し、ベアトリスは糸に結び目を作る。


「この結び目が呪いの術式だとするのよ。解呪は単純な話をすれば、この結び目をほどいてやることになるかしら。でも」


 ベアトリスの指が器用に動き、彼女の掌を渡る糸の数が増える。青、黄色、緑、桃色、黒、白と次々に増えた糸。彼女はそれらにも同様に結び目を作り、なおかつそれぞれの糸を複雑に絡ませてゆき――、


「ひとつの呪いだけなら、手繰ればほどくこともできる。でも、こうして複数の糸が入り乱れてしまうと」


 手を伸ばし、ベアトリスは絡まり合った糸を受け取るように示してくる。差し出した手にその糸をかけられ、スバルは複雑怪奇な模様を見ながら、


「引いても手繰っても、ほどきようがないってわけか……ああ、クソ、確かにこれは難易度が高ぇ」


 ひとつひとつほどく、にしてもどこから手をつけていいのかわからない。

 もちろん、時間をかければこれをほどくことも無理ではないと思うが。


「半日以内って条件付けてたな。あれはどういう予想だ?」


「それこそ単純に、半日も経てばウルガルムが腹を空かすってだけなのよ」


 ベアトリスは指を立て、その立てた指をスバルに突きつけて続ける。


「ウルガルムの呪いは、『離れた対象からマナを奪う』といった点に突出してるかしら。そして魔獣の食事は主にマナ……ともなれば、呪いを行う理由も自ずと想像がつくはずなのよ」


「腹減ったから人を襲う、か。なるほど、さすがは野生動物、シンプルだ。あいつらの小腹が今まで空いてなかったことに感謝しなきゃだな」


 苛立たしさをどこかへぶつけたいが、生憎と手の中は糸で埋め尽くされている。言葉にし難い感情を糸の固い結び目に向け、えっちらおっちらとほどこうともがきながらのスバルに、ベアトリスは不思議そうな顔で、


「お前、恐くないのかしら?」


「は?」


「ベティーのこれは、お前にとっては余命宣告なのよ。そして、ベティーとにーちゃはお前を助ける手段があるのに、時間がないのを理由にそれをしない」


 スバルに残された時間はおよそ半日――獣の腹の空き具合によっては、今この瞬間にも発動してもおかしくない。

 そしてそんな時間の猶予がない状況で挑んで結果が得られるほど、スバルの体を蝕む呪いの術式は簡単ではないということなのだろう。


 だからベアトリスは賭けに挑んでくれないし、それはパックもまた同じ。

 そんな彼女らの判断の合理性に納得しつつ、それをわざわざこうして口にする彼女の意図が掴めない。

 スバルを真っ直ぐに見るベアトリス。手の中の糸を弄びながら、ふいにスバルは彼女がなにを求めているのかわかった気がした。それは、


「なんだよ、お前――俺に責めてほしいのか?」


「――――」


 押し黙るベアトリス。普段ならば口早に言い返してくるところを、沈黙を選ぶ彼女の心中はうかがい知れない。

 否定もしないが、肯定もしない。そんな彼女の態度にスバルは苦笑しつつ、


「お前やパックの判断はあれだ、人情的な観点からすると薄情って感じだが、合理的な面から見ると当然の判断だ。死ぬのがわかり切ってる相手に対して全力を尽くす――物語としては美しいかもしんないけど、上っ面だけだな」


 届かないとわかっている命に対して全力を傾ける。

 それは命に対する向き合い方としては美しいのかもしれない。だが、現実的な側面から見てしまえば徒労である事実を否定できない。もちろん、そこに情が絡んでくるからこそ、そういった行為に身を投じることもあるのだろうが。


「お前らを薄情とは思わないよ。お前らは、正しい。――聞きたいことがまた別にできちまったんだけど、聞いていい?」


「……なにかしら」


「エミリアたんも、俺にかかった呪いのことって知ってる?」


 今もスバルの寝ていた部屋で、看病疲れを抱えたまま眠る少女。

 パックやベアトリスが見切りをつけてしまった事態に、彼女がどう向き合っていたのか、それだけは気がかりでならなかった。

 そのスバルの問いかけにベアトリスは首を横に振り、


「あの雑じり者の娘は知らないのよ。にーちゃがお前の呪いに手を触れないのも、あの娘に呪いの存在がばれないようにするためなのよ」


「……ああ、なるほど。解呪してる最中もパックはエミリアたんから離れられねぇし、したら必然的に俺が呪われてることも、その呪いを解く手段が遠いってこともわかりそうなもんだしな」


 呪いの発動まで黙り通していれば、彼女に与えられる精神的な傷は一度だけで済む。パックがなによりエミリアを優先し、悲劇を避けられないと判断しているのならば理解できる考え方だ。

 見た目に反して強かなパックの思惑を読み取り、それからスバルは、


「で、だ」


 話の区切りを示すように言い、スバルは指をベアトリスに突きつける。その仕草に彼女がかすかに眉を寄せるのを見ながら、


「わざわざ死亡宣告だけしにきてくれるほど意地悪じゃない、と俺はお前を見てるんだが?」


「……お前がベティーのなにを知っているっていうのかしら」


「少なくとも、お前が思ってる四倍は長い付き合いぐらいの感覚だな」


 眉間の皺と疑念を深める少女を見ながら、スバルは長く短く駆け抜けた二週間あまりの日々を思う。

 ラムやレムとの関係は初回以来の良好。エミリアとの間柄も、膝枕されながらの大泣きがどこまで評価に影響しているかを除けば良し。スバルを苦しめ続けた呪術師の正体は掴んだし、村の子どもたちの命を救うこともできた。

 この繰り返し続けたループを振り返れば、今回の採点は満点に近い。

 そこに、肝心のスバル自身の命が勘定に入っていれば。


「犬共に全身ガブガブされたとき、俺は正直死んだと思ったぜ。情けねぇ」


 幾度となく味わった命のこぼれ落ちる感覚――それにスバルは屈したのだ。

 死に慣れしすぎた。諦め癖がついている。ここまできて、こうまでして。

 なにより、


「傷の治療はお前とレムとエミリアたんだろ? 呪い云々で見捨てるつもりだってんなら、こんなちゃんと処置したりしないもんだぞ」


 身勝手に命を諦めたスバルを、それでも必死で繋いでくれた彼女らへの侮辱だ。

 あの短い手足を駆使して、スバルの体を糸で繕った小猫を含めて。


「嘘が下手すぎだ、お前ら」


「……助かる可能性がずっと低いのは事実なのよ。にーちゃがあの娘を、その方法に関わらせないようにしようとしていることも」


「それで悪者ぶって俺の怒りの矛先を引き受けようとか、幼女が気ぃ回しすぎだ。――聞かせろよ、その極小の可能性ってやつを」


 親指と人差し指で小さな輪を作り、ベアトリスに見せて答えを誘う。

 彼女はしばしの躊躇いのあとで、諦めたように吐息すると、


「お前に呪いをかけたのがウルガルムな以上、その中身はマナを根こそぎ奪い取るものに違いないのよ」


 それはわかる。そしてその威力もスバルは実感済みだ。

 それ故に、呪いをかけたウルガルムが『食事』を始めようとした瞬間、スバルの命運が断たれるということも。なにせ、発動した呪いは防ぐ手段が――、


「待て。じゃあ、ガキ共の解呪はどういうわけだ?」


 森の奥で発見した子どもたちは衰弱していた。あの様子はスバルが受けた呪いとほぼ同等のものだったはずだ。あの時点では思考がそこまで至らなかったが、


「呪いが発動して子どもたちがマナを吸い取られてたってんなら、空っぽになるまで吸われるのがパターンのはずだ。なのに、あの子たちは無事――あれまで、俺を楽にしようとした嘘だってんじゃねぇだろうな?」


 だとすれば、そこまではさすがにスバルも許容できそうにない。

 だが、ベアトリスはそのスバルの早計を掌を差し出すことで止めると、


「気が早い。話は終わりまで聞くものなのよ。でも、核心に近いかしら。――村の子どもの呪いは解呪できた。その手段が、お前の命を繋ぐかもしれないわずかな可能性とも一致するのよ」


「ガキ共と、俺の違い……?」


 ベアトリスの説明にスバルは思考を走らせる。

 スバルと、子どもたちの呪いの違い。彼らの呪いはひとつずつ、スバルの場合は複数。発動した呪い。発動していない呪い。マナを奪う呪い。マナを奪われる衰弱。奪ったマナ。奪われたマナは魔獣の食事。――それならば、

 電撃的に脳裏にひとつの可能性が思い浮かび、スバルは顔を上げてベアトリスに向き直り、


「術者本体が死んだ場合、奪われたマナの行き場はどうなる?」


 問いかけにベアトリスは表情を変えず、ただ一度だけ頷き、


「行き場を失えば、呪いはそもそもの効力を失う。それもこの術式が、対象を殺すことでなくマナを奪うことを目的とした呪いだから、という条件だからなのよ」


 ベアトリスの肯定に、スバルは内心で納得を得た。

 子どもたちの呪い――その進行が止まったのは、呪いをかけた本体である魔獣が死亡したから。そして術者が死亡すれば、子どもたちの体に残るのは単なる術式ということになり、それを解呪することはパックやベアトリスには容易い。


 昨晩、あの森で命を潰えた魔獣の数はかなりの数に上るはずだ。

 最初の邂逅でスバルが仕留めた一匹を始めとして、逃走の最中にもレムの手で少なくない数が討伐されている。

 その中に子どもたちに呪いをかけた魔獣がいたとすれば、今の推測を否定する要素は今のところない。


 そしてその確信は同時に――、


「ああ、なるほど、そういうことか」


 推論が盤石なものとなったのを認めた上で、スバルは気付いてしまう。

 ベアトリスが今もなお、悲愴ともとれる姿勢のままスバルの前に立ち続ける意味が。


 通常の方法で呪いを解くのが不可能な以上、スバルにかけられた呪いを解くには術者を殺害するより他に手段がない。

 だが、


「俺の体に呪いをかけた奴は、数が多すぎて絞れねぇ」


 振り返り、スバルは魔獣が住まう森を見やる。

 結界を張り巡らされ、村と森とは物理的でないものによって隔絶されている。その深い森の奥底に、散り散りとなったであろう魔獣の群れ。

 それらを見つけ出し、半日以内に駆逐することなど、不可能だ。


「ああ、クソ……」


 思わず笑い出しそうになりながら、スバルは己の額に手を当てて俯く。

 納得がいってしまった。目を背けてはいられない現実を直視してしまった。


 ウルガルムを皆殺しにしない限り、スバルの命は救われない。

 半日以内にそれをすることの難易度。なにより、あの森に踏み入って、魔獣の群れと向かい合うことの危険性――それらがパックに二の足を踏ませ、彼の口からエミリアに事実を報せることを拒む理由となったのだ。


「にーちゃは……」


「言わなくてもわかってるよ。エミリアたんがそれを知ったら、あの子のことだからきっと無理するもんな。それはすっげぇ嬉しいけど……すげぇ恐ぇよ」


 躊躇わず、人のために損をしてしまうような彼女だから、スバルはそれができる可能性を見ながらも彼女にだけはそれを求められない。

 もしも、万が一にも彼女を目の前で失うようなことがあれば、スバルは己の身を百度引き裂かれても足りないような苦しみを味わうに決まっているのだから。


「難易度がマジ鬼がかってやがる。とてもじゃねぇけど、無理だ。諦め――」


『だから、諦めるんですか』


 言いかけたスバルの脳裏に、そんな声が蘇る。

 雑音に紛れたそれは遠く、まるで無意識の底に響いたような細い声だった。


 ハッと顔を上げて周囲を見回す。

 スバルとベアトリス以外はこの場所に誰もいない。にも関わらず、今の声は――、


『助ける方法は、他には』


 縋るような求める声。でもその声はどこか、悲愴な決意を秘めていて。


「頭でも痛くなったかしら。それも無理ないのよ」


『それだけかしら。あとはお前の好きにするがいいのよ』


 目の前のベアトリスの声に、同じベアトリスの違う言葉が重なる。

 どこでだかはわからない。でも、どこかで確実に聞いた会話がフラッシュバックする。

 目の前が点滅し、ガンガンと鳴り響く警鐘と頭痛に頭を抱えて、スバルは息を荒げながら膝を落としかけ、


『――必ず、助けます』


 響いた決心と覚悟の声に、屈しかけた膝を立て直す。

 そう告げた声を、そう告げる声に、スバルは聞き覚えがある。

 そして気付いた。聞かなくてはならないことに。


「――レムは、どこだ?」


 この朝になってまだ一度も、スバルは青髪の少女の姿を目にしていない。

 森から一緒に帰還したはずだ。全身を負傷したスバルと子どもたちを連れ帰ったのは彼女のはずなのだから。それはパックも明言していた。

 ただし、戻ってきた時点の内容までだ。


 負った傷の具合が重すぎて、今もどこかで休んでいる?

 ――鬼化の影響だかなんだか知らないが、外傷はないって話だった。


 それならラムと一緒に村のあちこちを回って、村人の世話に精を出してる?

 ――レムが厨房に入れるなら、蒸かし芋なんてラムの得意料理は出てこない。


 じゃあ、傷もないのに厨房にも入らない彼女は今、どこにいる?


「ベア子……ベアトリス、レムは、どこだ?」


 スバルのたどたどしい問いかけに、ベアトリスはその縦ロールをひと房撫で、


「お前が同じ立場なら、どうするかしら?」


「答えになってねぇ!」


 もったいぶった言い回しに、スバルは彼女に食ってかかろうと前に出る。が、急激に体を動かした反動か、血の足りない体は大きく傾いで前進を妨害。

 ふらつき、その場でたたらを踏んでしまうスバル。

 八つ当たりに過ぎないとわかっていた。そして、まさにそれを受けるためにベアトリスがこうしていることも理解している。

 その思いやりがわかっているにも関わらず、その優しさにまんまと寄りかかろうとする自分の浅ましさが腹立たしくてならなかった。

 そこへ、


「――ああ、二人ともこんなところに。悪いんだけど、レムを知らない?」


 今の怒声を聞きつけてだろうか。広場の方の一角から、桃髪の少女が姿を現してきてしまった。彼女は向かい合う二人を不思議そうに見てから、今の問いかけを思い出させるように首を傾けてみせる。


 そんな彼女の仕草に対して、ベアトリスは見慣れた無関心な表情を保つ。

 だが、スバルはそんな腹芸をすることはできない。脳裏に浮かぶ少女と瓜二つの姉の顔を見ていられず、とっさに顔をそらしてしまった。


 その露骨なスバルの反応と、二人が会話をしている場所。

 そこになんらかの符号を得たのか、ラムは「まさか」とその表情をふいに曇らせ、


「――千里眼、開眼」


 髪の中に手を差し込み、ラムは己の片目を塞ぐとそう呟く。

 直後、彼女に起きた変貌を目にしたスバルは驚愕にうめき声を漏らす。


 左目を塞ぎ、右目を見開く彼女の形相に、びっしりと血管が浮かび上がる。白い面に青緑の血管が浮かぶ光景はグロテスクで、さらに血走ったというより血溜まりと化したラムの右目の様子がさらにそのおぞましさに拍車をかけた。


 そのスバルの驚嘆を余所に、そうした変貌を得たラムは唇を震わせ、


「――見えない。そんな、まさかレム、結界の向こう!?」


 目を血走らせたまま振り返り、ラムの足は結界の張り直された森へ向かう。

 と、スバルは思わずその肩に手をかけて、


「待て、場所がわかるのか!?」


「結界の中にさえ入れば……止めないで、バルス!」


 肩にかかるスバルの手を猛然と振り払おうとするラム。が、スバルの方も引き剥がされまいと必死だ。彼女の動きを制したまま振り返り、


「ベアトリス!」


「――可能性の提示はした、それだけなのよ。雑じり者の娘を危険にさらしたくないにーちゃはもちろん、禁書庫とこれだけ離れてしまったベティーも戦力外かしら。お前自身が行っても、なんの役にも立たない。選択肢は限られていたのよ」


「そういうことじゃねぇだろ……じゃあ、やっぱりレムは」


 ――魔獣の住まう森の中に、単身、群れを掃討するつもりで入ったのだ。


 この場面で戦力に数えられる人物を挙げれば、なるほどそれは正しい判断なのかもしれない。事実、レムの力は夜の森で魔獣たちを圧倒していた。

 だが、


「魔法が使える奴が何匹いる? そもそも、俺の呪いが解呪できたってどうやって確かめるんだ。片っ端から殺して殺して、闇雲ってレベルじゃねぇんだぞ!」


「どういうこと? バルスの呪いは解呪されたはずじゃ……」


 スバルの血を吐くような叫びに、ラムもまた血走った瞳を曇らせる。それからベアトリスに向き直ると、ラムは彼女の側に駆け寄り、


「どういう、ことなんですか、ベアトリス様。レムはなにを――!?」


「複雑に絡んだ魔獣の呪いを解くために、術者であるウルガルムの群れを殲滅しに森に入ったのよ。――そこのニンゲンもお前の妹も、どちらも助かる可能性がある方法かしら。ただし、目は限りなく小さい」


 端的なベアトリスの言葉に、ラムは一瞬言葉を失う。

 しかし、すぐにその表情を悲嘆から決意に切り替えると、妹のあとを追って迷わず森へ飛び込もうと駆け出し始める。


「――待て!」


 その正面に両手を広げて飛び出し、ラムの行く手を遮るスバル。桃髪の少女はそんなスバルの態度にキッと鋭い目を向け、


「どきなさい、バルス。今のラムは余裕がないから、優しくできないわよ」


「なにも考えなしに行くなっつってるわけじゃねぇ! いくつか聞きたいことがあるからそれに答えろ、正直にな」


「そんなことをしてる時間は……」


「レムを助けたきゃ、ついでに少しは俺のことを仲間と思ってくれてるなら聞いてくれ。少しでも、可能性は上げておきたい」


 現在進行形で窮地にあるだろう妹、そのレムを助ける手段と聞かされて、ラムの頑なだった姿勢がわずかに揺れる。

 スバルは彼女の前進の態度がゆるんだのを見ると畳みかけるように、


「聞きたいことはほんの二個だ。まず、お前の千里眼って力があれば、森の中のレムの居場所がわかるのか?」


「……ええ、わかるわ。ラムの千里眼は範囲内の、『ラムと波長の合う存在』の視界を共有する目だから、見えた光景を順々に移動すれば必ず届く」


「見通す目っていうより、複数の視界から見渡す目ってことか。イマイチどういう見え方するのかピンとこねぇけど、レムと合流できるってんなら上等」


 第一条件のクリアに頷きながら、続いてスバルは二本目の指を立て、


「じゃ、二個目。――ラム、お前って戦えるタイプのメイドだったりする?」


「それはどういう意味での質問?」


 目を細めて問い返してくるラムに、スバルは「そりゃまぁ」と前置きして、


「レムと合流するまでの間、どこで魔獣と激突するかわからねぇんだ。自衛できなきゃ話にならねぇ。言っとくが、俺は戦いになったら超足引っ張るぞ」


「ま、待ちなさい。そもそもバルスはついてくるつもりなの?」


 自信満々に実力不足を語るスバルに、ラムは珍しく焦った口調だ。その彼女の焦燥感に頷きで理解を示しながら、


「動揺はわかるけど、必要条件だぜ? いや正直、レムの生還だけが目的なら俺は必要ないっちゃないんだが……」


 台詞の後半が尻すぼみになり、聞き取れなかったらしきラムが疑惑の表情。

 その表情にスバルは慌てて両手を振り、


「こうなりゃ全員で五日目を突破してぇじゃねぇか。それができてこそ、こうまで何度も挑んだ甲斐がある。だからひとつ、頼まれてくれ」


 両手を合わせて拝むスバルに、ラムはなにを言うべきか迷うように唇を震わせる。

 しかし、けっきょくはそれら全てを封じ込めたままため息をこぼし、


「――鬼化したレムと同じくらい戦えるのを期待されているなら、無理よ」


「ってーと?」


「レムと違ってラムは『ツノナシ』だから、完全な鬼化はできない。レムと違って肉弾戦が得意でもないし、少しだけ過激に風の系統魔法が使えるだけよ」


 そう答えて、軽く指を振るラムに合わせて強い風がスバルの髪を揺らす。

 自然に干渉した今の術式がより凶悪になると、スバルの右足や首を抉ったような威力のものに変わるのだろう。それを思えば今のそよ風にも背筋が凍る思いだ。

 だが、味方の戦力として数えるのなら頼りになることこの上ない。


「ベアトリス! 俺は今からラムと一緒に森に入る。もし戻る前にエミリアたんが目覚めちまったら、適当に誤魔化しといてくれ」


「……あの青髪の娘を連れ戻すってことは、自分の命を諦めるってことなのよ。お前はそれが理解できているのかしら?」


「ちょっと違ぇな、訂正するぜ」


 低い声で覚悟を問い質すベアトリスに対し、スバルは「ちっちっち」と指を左右に振り、


「死に慣れ諦め癖なんてくだらねぇ。命は大事だ、一個しかない。お前らが必死こいて繋いでくれたからそれがわかった。だから、みっともなく足掻かせてもらう」


 一度、身勝手に諦めた命を繋いでもらったのだ。

 だからこうしてスバルが今も生命の鼓動を刻んでいられるのは、たくさんの人が手を伸ばしてくれた結果だ。

 そうまでして与えてもらった、延長戦の時間なのだから、


「逆転劇を起こそうぜ。あんだけひでぇ状態からここまで持ち直したんだ。欲張りな俺は俺らしく、俺含めた後日談が見たくてしょうがねぇんだよ」


 馬鹿げた理屈で真っ当でない説明。

 ベアトリスが意図したところにこれっぽっちも則していない答えを返し、しかしスバルはこれ以上ない程のドヤ顔で胸を張る。


「なにを考えているのかわからないのよ。でも、勝手にすればいいかしら。選択肢は提示した。そこからなにを選び取るかは、お前が勝手に決めればいいのよ」


「そうやってレムも送り出したわけだ。まぁ、感謝するぜ、ベア子」


 森を振り返り、その深い闇の中で今なお、戦っているだろう少女を思う。


 ――あのお節介の早とちりめ。いつだって、他人の気持ちを勝手に想像して、勝手に早まった結論を出して、勝手にしやがる。ふざけやがって。


「お前が俺になにかをしてくれようと思ってくれてる程度には、俺だってお前になにかしてやりたいと思ってるっつーんだよ」


 拳を鳴らして決意を後押しし、魔獣の森へ向かって宣言する。

 その奥に住まう黒い獣の群れに、そしてスバルをこの運命へ引きずり込んだ超常的な存在に対し――かつて行い、忘れかけていた宣戦布告を。


「さあ、最後の大勝負といこうぜ。――運命様、上等だ!」



 ステージ2『ロズワール邸』四日目、五度目の挑戦が始まる――。



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