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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第六章 『記憶の回廊』
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第六章14 『砂上の信頼』



 冷たい砂の嘲笑と、触れた掌から伝わるラムの温もり。

 どちらも今のナツキ・スバルにとっての現実であり、受け入れるべき『現在』だ。


「……ラム」


「なに?」


「お前の指、すべすべしてて気持ちいいな……って、ぶべ!」


「図に乗るんじゃないわ。このバルスが」


「人の呼び名を悪口みたいな使い方すんのやめてくれます!?」


 迂闊な発言をした代償に頬を張られて、スバルは涙目でそう訴えかける。が、カンテラを手にしたラムはそれに応じず、そそくさと距離を置いてしまう。

 ついさっきまで、滅多に見えない優しさを見せてくれていたというのに、冷たいものである。――もっとも、あのままでいられると照れ臭くて会話もできないから、こうして普段の調子に戻したのが本音のところではあるのだが。


「ここは……」


「どことも知れない真っ暗闇よ。砂海の景色が綻びて、竜車ごと裂け目に呑み込まれたのは覚えているでしょう? そこまで説明したくはないわ」


「いや、それだけ聞ければ大丈夫。なんとなく、把握した」


「……そう」


 ラムの口から現状のあらましが話されて、スバルは深呼吸しながら受け入れる。

 『死に戻り』したことと、その『死に戻り』地点が早くも変更されたことを。


 ――この砂丘において、スバルが迎えた『死』はこれで三度だ。


 その内の二度は地上で、おそらく監視塔から放たれた光による死亡。だが、三度目になる今回はこれまでとは全く違う、地下で化け物に襲われての死だ。

 直前の、ほんの一分前の自分の死に様を思い出すと身震いを堪え切れない。


「あんな死に方だったのにな……」


 今回のスバルの死因は、いわゆる焼死というやつだ。

 全身を真っ赤な炎で存分に炙られて、何もかも無理解に沈んだまま焼き殺された。灼熱の舌に体中を舐られ、あらゆる部位が焼けるというより溶けたことは忘れ難い。

 人体が脂肪の塊とは知識の上では知っていたが、ああも簡単にドロドロと溶けるものなのか。焼死体が無残とは、なるほど納得のいく話だった。


「バルス、そろそろ落ち着いた? 大丈夫なら話をするわよ」


「あ、ああ。大丈夫、だ。……ここにいるのは、俺とお前だけか?」


「だとしたら、ラムは身の安全のためにバルスを置いて逃げているわ。そうしていないということは……わかるでしょう?」


「お前が滅多に見せない優しさ第二弾を発揮した?」


「慈愛と慈悲の塊であるラムに向かって、不敬極まりない発言ね。――無駄話をしている間に戻ってきたわ」


 カンテラでこちらから見て左――ラムから見て右側を示すと、空洞の奥の方から別の明かりが近付いてくるのがわかる。頭一つ分だけ高い位置で揺れるカンテラは、わかっている通り、パトラッシュに跨るアナスタシアの所有する照明だ。


「ラムさんとナツキくん、話し合いは終わったみたいやね?」


「……アナスタシアと、パトラッシュか」


 先ほどと同じ第一声があり、パトラッシュに跨るアナスタシアが笑いかけてくる。その言葉にラムがやはり、先と同じようにスカートを摘まんでお辞儀し、


「ご配慮ありがとうございます、アナスタシア様。それで、周囲の様子は?」


「ちぉっと奥まで見てきただけやけど、他の子ぉらは見当たらんね。ここいらに飛ばされたんはうちたち三人……と、この子だけみたいや」


「そう、ですか」


「気ぃ落とさんようにせんとあかんよ。気休めにもならんかもやけど」


「お気遣いありがとうございます。ええ、わかっている……つもりです」


 竜上から気遣うアナスタシアに、ラムは普段の調子のようでやはり普段とは違う。今回はカンテラの所持者はラムだったため、彼女の横顔がはっきりと見えた。

 前回、アナスタシアの言っていた通りだ。微かに憔悴して見えるラムの横顔から、彼女がレムと逸れて取り乱していたという事実が伝わってきてしまう。


「現状、合流できてるのは俺ら四人組だけか。……戦闘力がないのがヤバいな」


「思ったより取り乱さんのやね、ナツキくん。それとも、なんやラムさんに特別なおまじないでもしてもらったん?」


「生憎と、ラムとバルスを二人きりにしても何も発生しませんよ。翌日、バルスが斬殺死体となって発見されるだけです」


「なんなの? お前、人狼ゲームの人狼みたいな特性があんの? 怖い」


 空元気のつもりではないが、目覚めたばかりのスバルの落ち着きようにアナスタシアとラムはそんな風に言及する。二回目だけに事情の把握が早いだけだが、すぐに動き出せることを今回も利点としたいところだ。


「ラム、一応確認するけど、共感覚でレムの場所はわからないんだよな?」


「ええ、ダメだわ。繋がりがあるから、少なくともあの子が生きていることは間違いないけど……それ以上のことはわからない。一人でないのを祈るしか」


「幸運とか不運に日頃の行いが関係あるなら、レムの行いは間違いなく善行ばっかりだ。……絶対、無事だって信じてる」


 この理論が正しい場合、スバルが不条理な目に遭って死んでばかりなのはスバルの行いのせいということになるが、それには目をつぶっておきたい。


「それに……」


 ラムやアナスタシアには絶対に明かせない、スバルの抱く大きな不安。

 『死に戻り』の地点が更新されたことによる、救いたいもののこぼれ落ちる可能性。

 名前を喰われたレムを取り戻すことが、『死に戻り』によってできなかったように。


 今回の『死に戻り』の更新で、分断された仲間に悲劇が起きていたとしたら。


「それだけは、絶対にダメだ……!」


 ここにいない、エミリアやベアトリス。ユリウスにメィリィ。そして、レム。

 彼女たちの身に不幸な出来事が起きていないことを、願う。

 ナツキ・スバルの手の届かないところで、彼女たちが傷付いていないことを。


「バルス。――ベアトリス様とは、繋がっていないの?」


「試してみたけどダメだ。パスが通ってりゃ、ベア子の方から俺を感じることはできるはずなんだが……呼び出そうとしても、繋がりが薄い」


「瘴気のせいかもわからんね。精霊もよぅ息が続かんて、うちのエキドナもちょくちょくぼやいてるもん。……元気なんは、エミリアさんだけやったし」


「ベア子も、そうだったのかな」


 気丈なベアトリスの場合、仮に不調でも自分から訴えるようなことはしまい。その場合、スバルの方がちゃんとそれに気付かなくてはならなかった。

 ベアトリスの不調は仲間全員の安否をも左右する。無事に再会したら、しっかりと怒ってやらなければだ。


「だからそのためにも、他の奴らと合流する。――いこう、空洞の奥に!」


 奥へ向かえば、再びスバルを焼いたあの化け物と出くわす可能性がある。

 だが、たとえそうであっても、進む以外に道はない。


 大切な仲間たちと再会するためにも、進む以外に、道はない。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ナツキくん、一人だけ徒歩やけど足下ふらつかん?」


「大丈夫だ。そっちこそ、パトラッシュは俺にしか懐かないから気を付けてくれ。ベア子は毎回、縦ロールの片方を食い千切られそうになってる」


「あはは、冗談がうまいんやから。パトラッシュちゃんええ子やし、そんなおいたなんかしぃひんよ。な?」


「――――」


 空洞の奥へ進みながら、カンテラで先導するスバルにパトラッシュが小さく鳴く。その鳴き声はなるほど、確かに特に不満がないときの鳴き方だ。

 やはり非常時とわかっているからか、スバル以外の人員を乗せているにも拘らず、パトラッシュは働き者である。さすが、エミリア陣営一のできる女。


 パトラッシュにラムとアナスタシアを乗せ、スバルだけが徒歩で砂の迷宮を踏破する。その流れは前回を踏襲し、四人は空洞の奥へと足を進めていた。

 出発は前回と比べれば十数分は早いかもしれないが、あの化け物がいつからあの場所にいるのかわからない以上、誤差の範囲でしかないだろう。


「あそこがあいつの住処……餌場か、もしくは遊び場かもしれねぇな……」


 餌、と言い切れなかったのは、あの空間に存在した焼死体の数の多さだ。

 スバルが掴んでしまった黒焦げの死体は、おそらくは動物の死体――形状からして四足動物の後ろ足あたりだと思ったが、食われた形跡はなかった。そして、そんな黒焦げの死体があそこには無数に転がっていたのだ。

 ただ食事をするために炎を使う、というのであれば単なるグルメな魔獣として食文化を評価もできる。だが、焼くだけ焼いて死体を放置となると、あの化け物は獲物が焼け死ぬのを楽しむ残酷な性格で、あそこはそのための場所と捉えた方が自然だ。


 常軌を逸した火力と、その異形の図体。

 スバルは自分の焼け死んだ瞬間を思い出すと同時に、あの生き物として間違った形で存在する魔獣自体にも恐怖する。


「……うちの見たところ、ここいらは砂丘に間違いないはずなんやけど、地下かもしらんなぁって。ナツキくんはどう思う?」


「――――」


「ナツキくん?」


「え? あ? ああ、そうだな。俺もそう思うぜ」


「ちゃんと話を聞いていたの? 適当な受け答えだと失礼に当たるわよ」


 考え込んでいたところ、適当に首肯したのが速攻でラムにばれる。が、スバルはとんでもない、と手と首を慌てて左右に振った。


「まさか、ちゃんと聞いてたって。その上で、ばっちり肯定ってスタンスだよ」


「寝るとき、下着は外した方が胸の形は崩れないわよね、という話よ。肯定するの? いやらしい」


「そんな話を俺に振る方がいやらしいだろ!? ってか、そんな話じゃないよね!?」


 仰天するスバルがアナスタシアに助けを求めると、彼女は苦笑する。それからアナスタシアは「心配せんでええよ」と言葉を継ぎ、


「今のはラムさんの悪ふざけ。この非常事態にそんなお話するわけないやんか」


「だ、だよな? そうだよな。焦った。そもそも、ラムもアナスタシアも形が崩れるとか気にするほど胸とかないし……」


「ああっと、ごめん、ナツキくん、手が滑ってたわ」


「過去形で熱い!?」


 カンテラがうなじに押し付けられて、魔鉱石発光の余熱に首が焼かれる。途端に焼死の感覚が蘇って戦慄するが、冷たい砂の上を転がって泣き叫ぶのは免れた。

 と、砂の上に背中から倒れ込んだまま、スバルは竜上の二人を睨む。


「い、いきなりはひどくないか? 釈明の機会ぐらいは欲しい」


「人の身体的特徴をあげつらって貶めるんはあかんよ。そんなんするんは自虐以外は絶対にダメ。カララギやったら信用失墜して無一文や。な、ラムさん」


「ラムは気にしていませんので。それに、レムの方は大きいので釣り合いは取れています。問題ありませんよ」


 補い合う美しい姉妹愛、などと言い出すとさらに不興を買いそうなので黙る。

 スバルはうなじの微かな痛みに顔をしかめて立ち上がり、砂を落とすと咳払い。


「とにかく、本命の話しようぜ。ここが地下なんじゃ、って話だよな?」


「なんや、聞いとったんやないの。そうやね、うちはそう思う。地上と比べて空気が重たいのと、気温が低いのが理由やね」


「砂丘の地下……砂蚯蚓の穴倉じゃないことを祈るわ」


「……それよりヤバいもんの可能性もあるな」


 ローブの前を合わせ、肌寒さをアピールするアナスタシアにラムが同調する。その彼女らの意見に首肯しつつ、スバルは微妙に事実を織り交ぜた。

 もちろん、砂蚯蚓であっても戦闘力に乏しいこのメンバーでは撃退するのは至難の業なのだが、それでも攻略法が多少なり見えている砂蚯蚓の方がまだマシだ。


 あの魔獣――ひとまず、便宜上ケンタウロスとしておくが、出会って即座に焼かれたスバルには戦闘力はもちろん、戦い方も何もわかっていない。

 前回と同じく真っ向からぶつかれば、同じ死に方をする自信がある。


「実際、砂蚯蚓だけに関わらず、魔獣と出くわす可能性はあるよな。この砂丘にいた魔獣だけど、対策を話し合っておいた方がよさそうだ」


「そうね。……といっても、ラムも自前の知識と、道中でメィリィから聞いた話ぐらいしかないわ。それもたぶん、一般的な魔獣の生態」


「アウグリア砂丘の魔獣は瘴気の影響もあって凶暴化しとるようやし、そもそも生態的にいるはずのない魔獣もいる。それでも、知識はないよりあった方が、や」


 スバルがそう提案すると、ラムとアナスタシアもそれに頷いた。

 その結果、空洞の奥への捜索を進める傍ら、魔獣についての話し合いが持たれる。


「砂蚯蚓は外見の醜悪さと悪臭が目立つけど、凶暴性に反して肉体はそれほど強くはないわ。図体も大きいし、ラムの魔法で簡単に殺せる。……なんなら、バルスの鞭も無力ではないかもしれないわね」

「マジで? 鞭でダメージ入るの?」

「性格は案外臆病やって話やし、痛い思いしたら引き返す場合もあるらしいわ。その痛い思いの範疇次第やけど、可能性ゼロってことはないやろね」


「袋鼠はできれば出くわしたくないわ」

「ネズミなんて名前に反して凶悪な魔獣なのか?」

「うんにゃ、戦闘力はないんよ。たぁだ、戦い方がえげつなくて。自分の体がパンパンになるまで空気で膨らんで、敵の近くで爆発するんやね。で、自分の血とか内臓とか浴びせてきよるんよ」

「……それ、血が毒とかそういう?」

「そういうことはないわ。ただの嫌がらせ……でも、一匹がそれをやって臭いがつくと、他の袋鼠も群れでやってきて同じことをするわ。血塗れになるわよ」

「怖っ!」


 さすがに得体の知れない魔獣共だけあって、生態を聞くだけで顔をしかめたくなるものも多い。そうした形である程度、純粋に魔獣について話し合ったところで、スバルは満を持してその話題を選んだ。


「じゃ、次は俺が砂丘で遠目に見た魔獣なんだが……馬の体に人の胴体がくっついて、背中から火を噴く魔獣って、知ってるか?」


「――――」


 ここまでの魔獣の生態を話し合う流れで、スバルはケンタウロスのことを明かす。

 これだけ特徴的な魔獣だ。仮にアレがこの砂丘特有の、既存の魔獣が異常に凶暴化した個体であったとしても、元があるなら突破口にはなり得るはず。

 炎だけに水に弱い、なんてわかりやすい弱点があれば完璧なのだが――。


「……残念やけど、うちに心当たりないなぁ。ラムさんは?」


「ラムの方も残念ですが。聞くだに嫌悪感ばかりが募る魔獣だけれど」


「知らない、か……」


 しかし、二人から返ってきたのはそんな答えだった。

 ケンタウロス、またはその異常個体とは別個の汎用体に心当たりはないらしい。ただ、確実に出くわす可能性があるのはまずその魔獣なのだ。今の答えだけで、その突破口を探ることを諦めてしまいたくはない。


「本当に知らないか? こう、パトラッシュの頭の部分が人の胴体になってて、ちゃんと腕も二本付いてる。で、胴体の胸から腹の部分が縦に裂けてそこが口。それから人の胴体の首から上は、頭の代わりに角が生えてて……」


「えぇ……何それ。めっちゃ気持ち悪いやん……」


「正直、ひいたわ」


 詳しく説明すればするほどに、女性陣の好感度が下がっていく。心なしか説明に使われたパトラッシュも嫌そうな顔に見えて、スバルは肩を落とした。

 どうやら本格的に手掛かりゼロになりそうだ。


「そもそも、そんな魔獣を見かけたならその時点で報告なさい。なんでそんな危なそうな魔獣を見過ごすの」


「いや、それはその……夜のことだったんだよ。メィリィの加護があったからか、向こうから近付いてこなかったのを遠目に見ただけなんだ。ちょうど、お前が竜車の中でエミリアたんに治療されてるときでさ」


「いやらしい」


「お前、それ言いたいだけになってないか?」


 適当な言い訳で誤魔化しつつ、スバルは手応えがないことに落胆する。

 ケンタウロス対策に関しては、そうなると事前に打てる手立てがない。先んじてスバルの方から危険性を訴えつつ、実物と遭遇するのを避ける方策を探るまでだ。


「とりあえず、ケンタウロスって呼ぶけど……たぶん、かなりヤバい奴だと思う。人の胴体の背中から鬣が生えてて、それが火みたいに燃えてた。かなり執念深そうな面構え……顔ないからわかんないけど、そんな感じがしてたから、下手すると俺たちを追いかけてきてる可能性がある」


「なんでますます、そんなの放置しておいたの? 死にたいの?」


「今のは俺も自分の説明に語弊があったなと思う」


 危険を知らしめたいがために、かなり無茶な論理展開になったのは否定できない。

 ただ、これだけ伝えておけば、肝心のケンタウロスとの遭遇に対する危機感を持つことが彼女たちにもできるだろう。


 それに、だ。ケンタウロス対策は何も、実際に出くわした場合ばかりではない。

 もっと根本的な方法も、スバルは考えている。

 それは――、


「ナツキくん、ラムさん。――お喋りはいったん、止まっとこか?」


 アナスタシアがそう言って、パトラッシュに止まるように指示。賢い地竜は言われる前に足を止めていたが、その意を酌み取ったように頭を垂れた。

 そして、アナスタシアが握ったカンテラを前に差し出すと、


「分かれ道、や」


 ――出くわさないための方策、その第一弾を目前としていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 相変わらず、分かれ道には顔をしかめたくなるほどの怖気が漂っている。

 そして、それが流れ込んできているのは明らかに右の道であるのだ。


「右と左、どっちへ行きたい?」


「クラピカ理論に従うと、右に向かうのが正解だ」


「誰やのん」


 相変わらず、異世界ではスバルの知識は異物でしかない。

 ただ、根拠のない発言ではなかったことを、スバルは身を以て体感済みだ。


「こういうとき、人間は無意識に左側を選びたくなるもんらしい。利き腕だったりとか利き目だったりとか色んな条件が作用するんだが、特に何の条件とかも付けない場合において、行動学でそういう実証がされてる」


「行動学、なんて頭の良さそうな言葉が出てきたけれど……右の道から感じる、この嫌な予感については無視するの? これは条件にはならない?」


 右の道へ進むことが正解――か否かは別として、今回はそちらへ進むべきだ。

 そう判断しているスバルは論理で丸め込もうとするが、やはり右の道から漂ってくる嫌な感覚に対する拒否感は強い。ラムはもちろんのこと、アナスタシアもできるなら右へはいきたくない、という目をしているのがわかった。


 その二人を説き伏せ、右の道へ進ませるのがスバルのやるべきことだ。

 『死に戻り』までして得た機会、むざむざと二人を『死』へは進ませられない。


「確かに右からあからさまに嫌な雰囲気はきてる。けど、これはちょっとばかりあからさますぎるだろ。まるでくるな、と言わんばかりだぜ?」


「――――」


「あの『砂時間』を突破する仕掛けもそうだし、監視塔の前の魔獣の花畑もそうだ。あれは自然のもんにしちゃ手が込みすぎてる。そう思わなかったか?」


「つまり、ナツキくんは砂時間も花畑も、この空洞も人為的なもんやって言いたいん?」


 黙り込むラムと対照的に、アナスタシアはスバルの言葉の真意を辿った。彼女の発言にスバルは指を鳴らし、「そうだ」と首肯する。


「遠ざけたいから、色々と罠も仕掛ける。ここが人為的なもんじゃないなら、ここまでの小一時間で俺たちが魔獣と出くわさないのはなんでだ? ここがアウグリア砂丘の一部だってのは俺たち全員の共通認識だろ。メィリィもいないのに、魔獣の住処だったら遭遇しないのは不自然だ」


「だから、ここは人の手が……いいえ、賢者の手が入った場所だと」


「そんでもって、賢者の性格があまり良くないのを俺たちはもう知ってる」


「――――」


 半ば、言い繕いで塗り固めたばかりの意見ではあったが、スバルは自分で口にしていても説得力がないわけではないと感心した。

 実際、ここまでのアウグリア砂丘の行程を鑑みると、罠とも呼べる数々の場面は監視塔への道行きを妨げるためのもの――『試練』と言えなくもない。そして、この空洞でここまで魔獣と出くわしていないのも事実なのだ。


 無論、最終的にケンタウロスと出くわすことがわかっている以上、スバルの想像は結論が誤っているのだが――否、あるいはあのケンタウロスは最後の番人。監視塔に入るために、最後は力を示せ、という仕掛けの可能性はある。


 その場合、人選に悪意があるとしかやはり言いようがないのだが。


「……確かに、バルスの言い分にも一理あるわ」


「――! マジで?」


「なんで言うた自分が驚いとるんよ。おかしない?」


 思索に沈黙していたラムの言葉に、スバルは思わず驚く。すると、その反応を見たアナスタシアが苦笑し、それから彼女は帽子飾りのボンボンを両手で持ち上げた。


「本音やと、うちは右には絶対にいきたない。せやけど、三人の意見が揃って左になるように誘導されてる……そう言われると、頷きたくもなるんよ」


「勝負勘で生きてきたあんたらしくない意見だな。流されるなんて」


「うちかて、賛同したなる意見があったらするいぅだけの話やん?」


 苦笑が深くなるのは、実際のところ、襟ドナがアナスタシアの『勝負勘』といった勘所まではトレースできないためだろう。彼女にとっても苦肉の策であり、スバルの言い分に乗るかどうかは悩ましい場面だったはずだ。


「で、ラムは?」


「今、言った通りよ。ここまでの砂丘の在り方を考えると、バルスの言い分にも納得できる。賢者の性格の悪さはともかく、監視塔へ辿り着けない者が続発するのも頷けるだけの悪環境……誰かが手を入れたのは明白だから」


「まぁ、自然的なものって言われて納得はいかないよな……」


「だから、バルスの言い分を全面的に肯定するわけじゃないけど、一部に関しては肯定しないでもない。そうなると、右の道を確かめるのは吝かじゃないわ」


「……つまり?」


「ナツキくんの言うことに従うんは癪やけど、付き合ってくれるって」


 素直じゃなさすぎるラムの発言を、アナスタシアが丁寧に解いて通訳する。

 実際、ラムから訂正が入らない程度には正しい翻訳だったのだろう。要するに、ラムもアナスタシアも、スバルの口車に乗ってくれるというわけだ。


「――し! よかった、サンキュな。二人とも、後悔はさせねぇ」


「選んだ責任ぐらい自分で取るわ。勝手にラムの分の重さまで背負おうとするんじゃないわよ。その無駄な甲斐性、レムにだけ発揮してなさい」


「あ、うちは後悔させたら責任取ったってくれてええよ。その場合、いくらになるかはあとでソロバン弾いてご相談やね」


「二人して辛辣!」


 喜んだのも束の間、責任を取る発言はあっさりと二人に蹴り飛ばされる。

 襟ドナのアナスタシアトレースがどこまで本気かは不明だが、後悔させる結果にならないように努力する。その気持ちだけは本物だ。


「それに、難関は説得だけで終わりってわけじゃねぇ」


 そう、そうなのだ。

 スバルが得たのはあくまで挑戦権であり、実際の関門に挑むのはこれからだ。


 ――圧倒的な負の空気を垂れ流しながら、分かれ道は決断を待っている。


 目に見えて空気が重く、悪くなる右の道へこれから踏み込む。

 これが賢者の用意した試練だとしたら、初手でこちらの道を選ばれることに何を思うだろうか。


「この先で待ってるんだとしたら、せいぜい驚いてくれよ。――その横っ面、引っ叩いて色々と謝らせて、それからエミリアたちを見つけさせてやる」


 そう決意して、スバルは右の道に向かってカンテラを掲げ、宣言した。

 そして、そのスバルの背後でラムは小さく吐息し、


「もっとも、エミリア様たちの方には全員揃っていて、ラムたちよりも先に監視塔へ到着してる可能性もあるけどね」


「ここは素直に、格好つけていいところじゃなかったですかね?」


 そう言って、挑戦前に意気を折られるスバルは恨み言を口にした。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 そんなやり取りを経て、スバルたち三人と一頭――四人組は右の道へ入った。

 嫌な予感は今もある。気持ち、踏みしめる砂の感触さえ変わって思える不快感を味わいながら、スバルは額を伝った冷や汗を拭い、パトラッシュに笑いかけた。


「そう言えば、お前の意見を聞かずに勝手に道を決めて悪かったな」


「――――」


「なに? 俺のいくところが私のいく道だって? どんな悪路でも、必ず乗り切ってあげるから私を信じなさい? おいおい、イケメンすぎて惚れるぜ」


「戯言だけど、おおよそ、間違ってなさそうだから罪深いわね。どこがいいんだか」


 無言のパトラッシュの気持ちを勝手に代弁するスバルに、ラムが呆れたようにそんなことを呟く。ただ、普段なら適当な発言に容赦なく突っ込むパトラッシュが落ち着いている以上、間違ったことは言っていない。

 もしくは、そんなことをして体力を浪費するのは馬鹿馬鹿しいので、落ち着いた環境になるまで溜めている、のどっちかだ。後者かもしれない。


「もしもそうでも、できればお手柔らかに頼むな?」


「――――」


「今、否定っぽい鳴き方した?」


 ここまで沈黙を選んでいたのに、急にそこだけ否定的に鳴かれて焦る。もっとも、無事にここを脱出してお仕置きする、という気概があるのはいいことだ。

 パトラッシュはここから無事に出られると、信じてくれているのだから。


「――――」


 こちらの進み方は、ここまでと変わらずスバルが先頭、パトラッシュが後ろだ。カンテラの明かりで数メートル先を照らし、足下を確かめながらの探索が続く。

 その速度だが、明らかにここまでの道のりと比べて遅々としたものになっている。これは『死に戻り』前に、左の道に進んだときよりもずっと遅い。

 原因は簡単だ。


「体が、重い……」


 重量が増しているとか、見えない妖怪に背中に乗られているとかではない。そしてそれは実際には、何ら肉体的に作用している問題ではないのだ。

 体が重く、足が進まないのは全て精神的な問題だ。


 右の道は案の定、スバルたちの足を竦ませた負の感覚が満ち満ちていた。

 これが賢者のいやらしい試練の一環であり、分かれ道の最初を抜けると、その先には安定した空間が待っている――などと期待しないではなかったが、残念ながらそれは儚くも裏切られ、むしろ呪いじみた負の想念は強まる一方だった。


「――――」


 無言のまま唾を呑み込み、スバルは重たい足を砂から抜くようにして踏み出す。

 足が竦み、動けないなんてことはない。脆く弱いことに自覚のあるスバルの心でも、まだ何事も起きていない砂の通路に怯えて蹲るようなことはないはずだ。

 そう、心は怯えていないし、頭だってはっきりしている。


 ただ、その意思に手足がうまく従おうとしてくれない。肉体だけは理性や魂の方針に逆らい、本能的な拒絶感を露わにして進むことを妨げようとしてくる。

 真っ直ぐに進む、それだけのことに倍の時間と、倍の体力と精神力、それを費やす必要があって、スバルも疲労感を覚えずにはいられない。


「馬鹿馬鹿しい。このぐらいで弱音なんて吐けるかよ」


 乱暴に頭を振って、スバルは体を重くする疲労感を忘れようとする。

 右の道を選んだのは他でもないスバルの決断だ。だというのに、後ろの二人に先んじて弱音を口にしようなどと、許されるはずがない。


「なんだ、ちょっと歩き難いかもだが、大したことないな。意外とゴールとか近いんじゃないかなんて……」


「バルス」


「お、どうした?」


「うるさい」


「あ、おう……」


 空元気で弱音を追い払おうとして、ラムの手短な毒に撃ち落とされた。

 進むペースは格段に落ち、周囲の怖気も増すばかり。おそらくラムの方も精神的な負荷があるのだろう。いつもより短く鋭い毒だったのがその証拠だ。


「なぁ、気持ちはわかるけど、黙って歩いてるのも芸がないと思うんだが」


「楽しむために歩いてるの? 目的を思い出しなさい」


「そうじゃねぇけどさ……」


「黙って、歩きなさい」


 取りつく島もない頑なな態度だ。

 もちろん、意見としてはラムの方が正しいのだが、スバルにも言い分がある。


 現状、体の重さは精神の重さと同期している。つまり、気分的に重たいから体も重いという悪循環だ。そうならないように、適度に気を紛らわしたい。

 警戒は大事だし、配慮もしたいところだが、そのぐらいはわかってもらいたい。というより、ラムならそのぐらいわかるはずだ。いつもは配慮してくれる。

 やはり、相当辛いのかもしれない。


「急いだ方がいい、よな?」


「――――」


「ラム?」


 どの程度、差し迫った状態なのか確認しようと声をかけるが、ついにはラムはスバルの言葉に何も応じない。カンテラの明かりはスバルの正面の道と、今はパトラッシュの首元で全体を照らしているため、細かな表情までは見えない。

 フードを頭から被り、アナスタシアの後ろでわずかに俯くラムの顔は見えない。


「ラム?」


「ナツキくん、もうええやん?」


「あ?」


 足を止めて、その顔を見てやろうとスバルは振り返る。が、頑ななラムは顔を見せない上に、アナスタシアが彼女を擁護した。

 唇を曲げるスバルに、アナスタシアは困った顔で頬を掻く。


「言うてなかったけど、ラムさん、地下で目ぇ覚ましてすぐはだいぶ取り乱しとったんよ。気丈やから落ち着きは取り戻したみたいやけど、やっぱり立ち直り切ってへんかったいうことやないかな」


「――っ! 余計なことを……!」


「ほら、ここはうちに任せ?」


 ラムの心情に配慮しつつ、その上で配慮に欠けたアナスタシアの発言だ。隠した内心を暴かれてラムの歯軋りが聞こえるが、アナスタシアは一顧だにしない。

 彼女は小さく手を挙げ、スバルに見えるように前を示した。


「今はお互い、話さん方がええよ。心がささくれ立ってるときは、誰とどんな話してもええ結果にならんもん。な?」


「――――」


「な?」


 業腹だが、アナスタシア=襟ドナの言い分にも一理ある。

 先に進むことや、無事に空洞を抜けることを優先するあまり、確かに今回のスバルはあまりラムの心情に配慮できていない。そのことのツケが回ってきて、ここへきてラムの態度に表出したのかもしれなかった。

 そう考えれば、ラムばかりに問題があるとするのは早計だ。


「……わかった。確かに、そうだ。俺が悪かった」


「反省なさい」


「――っ! お前なぁ!」


「こーら、ケンカせんの。ほら、ナツキくん、進も、進も」


 譲歩する気が全くないラムの態度に、スバルの心がささくれ立った。が、そこは間に入るアナスタシアがどうにか遮り、スバルに前に進む道を示す。

 彼女がパトラッシュの首のカンテラを足で揺らし、砂の通路の影が視界の中で揺らめくのを見て、スバルは舌打ちした。


 目に余る態度だが、ここで仲間割れしていても仕方ない。

 幸い、この嫌な雰囲気がその気分の上下に作用しているのだと言い訳もできる。何かのせいにできる間は、余計なことで関係を悪くする必要はないのだ。

 今の態度の悪さは、無事にここから出たとき、話し合えばいい。


「……いくぜ」


 改めて、スバルが先導する探索が再開する。

 ただ、やはり進行速度は遅々として上がらない。結局、精神的に上向き状態に入って肉体的な負荷を取り除く、という試みは失敗したのだ。

 何も好転しなかった以上、状況が良くなる見込みも当然ない。


 それでも、変化があるといえば変化はあった。

 それはスバルたちの方にではなく、砂の迷宮自体の変化だが。


「道が、どう見ても狭くなってきたな」


 右の道を進み、そろそろまた小一時間が経過しただろうか。

 砂の通路はその上下左右、いずれの間隔も狭まってきており、その高さと道幅は巨体の魔獣が通ることは不可能な域に達しつつあった。

 かろうじて、パトラッシュが通るだけのスペースはある。が、ジャイアンの引いていた竜車を通す幅はないし、砂蚯蚓やケンタウロスが通ることも不可能だろう。


 つまり少なくとも、この道の先にケンタウロスが待ち構えている――という最悪の事態だけは免れそうだ。アレに比べれば、この先に何が待っていたとしても、悪い方向へ傾いていくことだけは避けられるだろう。


「だけど、道が狭くなるってことはますます注意が必要そうだ。とっさのときに動けないだろうし、お前らも警戒しててくれ」


「……っ」


「――おい」


 先々のことを考え、そう言ったスバルはふいの音に眉尻をつり上げた。振り返り、カンテラに照らされる竜上の二人を見やる。

 スバルの呼びかけに応じる声はない。ただ、パトラッシュの上に相乗りし、前に座っているアナスタシアが顔を掌で覆ったのはわかった。


 穏便に収めて、どうにか進みたいアナスタシアにとっては当然だろう。

 なにせ、今、ラムがしたのは、スバルの言葉に対する舌打ちだ。


「さっきから、お前、ホントに何のつもりだ?」


「別に」


「別にじゃねぇよ! 何のつもりなんだって聞いてんだよ!」


 たまらず声を荒らげ、スバルはすぐ脇の砂の壁を蹴りつける。脆い壁の表面が剥がれるように落ちるが、舞い散る砂にスバルは何ら頓着しない。

 今のスバルには、不遜なラムしか映っていない。


「人が黙って進んでりゃ、ちくちくちくちくと聞こえてんだよ! 舌打ちも今のが初めてじゃねぇだろ? なぁ、オイ、何のつもりなんだよ!」


「別に何のつもりもないわ。ラムからバルスに言うことは何もない」


「何にもなしでお前は年がら年中チッチッチッチ舌打ちしてんのか? してねぇだろ? してねぇのにしてるってことはする理由があるってことだろうが!」


 冷たいラムの態度に反して、スバルの方の熱は先ほどから上がる一方だ。

 当然だろう。ここまでのスバルの努力に対して、ラムの示してきたものはあまりに冷たく、そして一方的だ。

 詰られ、見下される理由などスバルにはない。


「言いたいことがあるなら言えよ! 聞いてやるから言ってみろや!」


「――だから、何もない」


「嘘つけよ! 馬鹿か、お前? 隠す気があるんなら全部隠せ! ちらっと出してこれ見よがしにしといて、何もありません? クソ馬鹿の発想か、ボケ!」


「――――」


 唾を飛ばし、口汚く罵るスバルにラムの雰囲気が変わった。

 アナスタシアの後ろに掴まっている彼女が、体を傾けてスバルを睨みつける。その位置関係も気に入らない。他人の後ろに隠れて、上からスバルを見下す姿勢。

 何かの力を借りて、偉くなったつもりなのか。


「ずいぶんと、バルスは進むのに熱心な様子ね?」


「当たり前だろうが! 何のためにここにきたと思ってんだ? 賢者に会うためだろうが! そのためにこんな苦労して、進んで何がおかしいんだよ!」


「違うわ。――ここにきたのは、賢者に会うためじゃない」


「ああ?」


「ラムたちがここにきたのは、レムのことを元に戻すためよ」


 はっきりと、スバルを見つめてラムがそう断言する。その視線の鋭さと圧迫感に気圧されて、茹だっていたスバルの思考がわずかに弱まった。

 レムを助ける=賢者と会う、ではないか。


「同じ、ことだろうが! 賢者に会って、レムを助ける! 一緒だ!」


「一緒じゃないわ。レムを助けることが先にきて、賢者に会うのはその後ろ。優先順位が違う。……そう、優先順位が違うのよ」


 その言葉の最後で、ラムが声を震わせた。そこに込められた激情は、これまでの無感情な彼女のそれを総合して、余りあるほどの烈火の怒りだ。

 冷たい砂丘の地下で、ラムはその怒りの熱を孕んだまま言葉を続ける。


「ラムはレムのために、妹を思い出すためにきた。それなのに、今は何をしてるの? レムもいないのに、こんな場所でのらりくらりと……ふざけないで」


「誰もふざけてなんかねぇだろ……! こうなったから、こうなった以上はこうなったときにしかできないことをすんだよ。違うか?」


「ええ、そうかもしれないわね。でも、こうなったことを確かめる以前に、バルスは一度でもレムのことを心配した?」


「……あ?」


「地下で目を覚まして、バルスはレムのことを心配した? エミリア様のことは? ベアトリス様のことは? 見当たらない誰かのことを、ちゃんと心配した?」


 言葉を畳みかけられて、スバルは何も言えずに押し黙る。

 確かに今回、『死に戻り』したことを契機に目覚めを迎えたスバルは、前回のように取り乱して皆の安否を確認しようとはしなかった。

 だが、それは決して心配していないからではなく、ラムたちもそのことを知らないとわかっていたからだ。スバルなりの、配慮だ。気遣いだ。

 それなのに、


「いいえ、してないわね。バルスはしてない。バルスは、レムのことなんてどうでもいいのよ。エミリア様やベアトリス様のことで頭がいっぱいなの。別にそれでもいいわ。それだけの男ってだけだから。でも、レムが可哀想」


「……黙れ」


「レムはバルスのこと、信じてたんじゃないの? ああ、それもバルスから聞かされただけの都合のいい話だからわからないけど。案外、適当なことを言っているだけかもしれないわね。女の前では都合のいいことばかり言う。エミリア様やベアトリス様もお可哀想だわ。こんな男に騙されて!」


「黙れよ!」


「いいえ、黙らない。何度でも繰り返すわ。――バルスは、レムのことなんて、どうでもいいと思ってる。このまま見つからなくても、せいせいするだけなのねって」


「――ふざ、けるなぁ!!」


 視界が真っ赤に染まり、ぶつけられる軽率な発言に脳神経が燃え上がった。

 高みからこちらを見下ろし、身勝手な言葉をぶつける高慢な女に怒りが爆発する。

 掴みかかり、引き摺り下ろす――そんな時間ももどかしい。


「インビジブル・プロヴィデンス――!!」


「――く、あ!?」


 頭の中を駆け巡るどす黒い気持ちを、スバルはそのまま胸へ下ろし、解放する。

 生まれ出でた黒い掌は快哉を叫び、するりと伸び上がるようにして地竜の背中の上へと這い上がり、そこからこちらを糾弾する桃色の少女を投げ落とした。


 悲鳴を上げ、ラムが砂の上に乱暴に転がる。

 目には見えない魔手の暴力に、ラムは何が起きたのかわかっていない顔だ。その砂の上で寝転がるラムのすぐ傍に、スバルは駆け寄っている。

 そして、


「ふざけるな」


 自分がレムを、なんとも思っていないなどと、冗談じゃない。

 怒りのあまり、全てがどうにかなったような、そんな過熱した思考のままに、


「――ぅ」



 ――スバルは仰向けのラムに圧し掛かり、その細い首を絞めていた。




 ぎりぎり、ぎりぎり。


 ぎりぎり、ぎりぎり、ぎりぎり。

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― 新着の感想 ―
これ憤怒のときみたいに精神汚染されてる?
これどっちが悪いんだろうね。まあ正直スバルの気持ちがわからんでもない。でもラムの言葉の原動力についても理解はできる。白鯨、怠惰攻略の時と一緒なんかな。にしても、相手がラムだからなぁ。
BRO!
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