表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第一章 『怒涛の一日目』
4/731

第一章3  『はじめてのまほう』

 時が止まる、というのはこういうことだろうか。

 路地の入口、さっきまでの男たちと同じようにひとりの少女が立っている。


 美しい少女だった。

 腰まで届く長い銀色の髪をひとつにまとめ、理知的な瞳が射抜くようにこちらを見据える。柔らかな面差しには美しさと幼さが同居し、どことなく感じさせる高貴さが危うげな魅力すら生み出していた。

 身長は百六十センチほど。紺色を基調とした服装は華美な装飾などなく、シンプルさが逆にその存在感を際立たせる。ゆいいつ目立つのは、彼女の羽織っている白いコートに入った『鷹に近い鳥』の紋章を象った刺繍か。その荘厳さすら、少女の美しさの添え物にすぎない。


「それ以上の狼藉は見過ごせないわ。――そこまでよ」


 再び彼女の口から言葉が紡がれ、総身を震えるような感動が走った。

 銀鈴のような声音は鼓膜を心地よく叩き、紡がれる言葉には他者の心を震わせる力がある。

 スバルは自分の置かれた状況すら忘れて、ただひたすら彼女の存在感に打ちのめされた。


 そしてそれは男たちも同じだ。

 彼女の敵意を真っ向から向けられ、先ほどまで血気に逸っていた表情はどこへやら。

 ナイフを持った男も顔を青ざめさせ、袋小路を後ずさる。


「待て待て待て! 待ってくれ! な、なんだかわからねえが、こいつは見逃す! だから俺たちのことは勘弁して……」


「潔くて助かるわ。今ならまだ取り返しがつくから、私から盗った物を返して」


「だから悪かったって……へ? 盗った物?」


「お願い。あれは大切なものなの。あれ以外のものなら諦めもつくけど、あれだけは絶対にダメ。――今なら、命まで取ろうとは思わないわ」


 懇願の気配すら漂わせていた言葉の最後、そこだけが明確に怒りをはらんでいた。

 少女の視線は鋭く、差し伸べるように向けられた掌は何も掴んでいない。

 しかし、そこに言葉にし難い何かが集まり始めるのを、この場の誰もが感じ取る。


「ちょ、待って! ……あの、話が食い違ってると思うんだがっ」


「……なに?」


 男たちが足蹴にしているスバルを指差し、


「ええっと、この男を助けにきたわけじゃないんで?」


「……変な格好した人ね。仲間割れの途中? 三対一なんて感心しないけど……私に関係があるのか聞かれたら、無関係と答えるしかないわ」


 話をはぐらかされているとでも思ったのか、少女の口調には苛立ちがまじる。

 その態度に焦りを覚えたのか、男たちは慌てた素振りで弁明。


「ちょ、ま、待ってくれ! こいつが目的じゃないなら、俺らは別口だ! 盗まれたとかって話ならたぶん、さっきの女だろ!」


「あ、ああ、そうだ。さっきの! 壁蹴って屋根伝いに逃げてった!!」


「奥だ奥! その向こう! あの勢いなら通りをもう三つは抜けてる!」


 男たちの続けざまの言い訳に、少女の視線がスバルと絡まる。

 男たちの言葉が真実かどうかを問うてくる視線に、嘘を禁じられ思わずスバルも頷いてしまった。

 それを見届けて、少女は「うう」と不承不承、納得の頷きを作り、


「嘘じゃ、ないみたい。それじゃ、盗った人は路地の向こう……? 急がないと」


 こちらに背を向けて、少女の足が路地の外に向かう。

 男たちの露骨な安堵。そしてスバルは千載一遇のチャンスを棒に振ったと、空気に呑まれた自分の馬鹿さ加減を呪う。

 だが、


「それはそれとして、見逃せる状況じゃないのよ」


 振り返りざまにこちらに掌を向けた少女――その掌から、飛礫《つぶて》が立ち尽くす男たち目掛けて放たれていた。

 球速はメジャー級で、コースはバリバリのビーンボール。

 硬球が肉を打つのに似た音が三つ鳴り、男たちが苦鳴を上げて吹っ飛ばされる。


 男たちに命中し、スバルの傍らに甲高い音を立てて落ちたのは氷塊だ。

 拳大の大きさの氷の塊――季節感や物理現象を無視して生じた物体は、その役目を果たした途端に大気に食まれるようにして霧散する。


「――魔法」


 とっさに口からこぼれたのは、今の現象を説明するのにもっとも適した単語だ。

 詠唱もなにも聞こえなかったが、今の氷は少女の掌から生まれて打ち出されていた。

 こうして目の前で実際にその情景を見て、初めてわかったことがある。

 それは、


「思ったより、幻想的な感じじゃないな……がっかりなリアル感だ」


 光が散ったりだとか、エネルギーがはっちゃけたりとか、そういうイメージだったのに。

 実際には無骨な氷が急に生じて、急に消える。情緒もクソもありはしない。


「やって……くれやがったな」


 スバルの感想はさて置き、そのリアルな一撃を受けた側のダメージは甚大だ。

 足をふらつかせて男が二人立ち上がる。ひとりは打ちどころが悪かったのか昏倒しているものの、残りの二人は流血こそしているが健在。ナイフ男とは別の男も、その手には錆びの浮いた鉈のような獲物を握って臨戦態勢だ。


「こうなりゃ相手が魔法使いだろうがなんだろうが、知ったことかよ。二人で囲んでぶっ殺してやる……二対一で、勝てっと思ってんのか、ああ!」


 片手で曲がった鼻を押さえながら、ナイフの男が怒声を張り上げる。

 その罵声に対して少女は怯んだ様子もなく、


「そうね。二対一は厳しいかもしれないわね」


「じゃ、二対二なら対等な条件かな?」


 少女の声を引き継ぐようにして、中性的な高い声が新たに路地の空気を震わせた。

 驚きながらスバルは視線をさまよわせる。同様の反応は男たちにも見られた。路地の入口にも、当然路地の中にも、その声を発した人物らしき姿はない。

 戸惑い、困惑するスバルたち。その三人に見せつけるように、少女が左手を伸ばす。

 上に向けられた掌、その白い指先の上に『それ』はいた。


「あんまり期待を込めて見られると、なんだね。照れちゃう」


 そう言ってはにかむように顔を洗ったのは、掌に乗るサイズの直立する猫だった。

 毛並みは灰色で耳は垂れ、スバルの常識で言うならばアメリカンショートヘアという種類の猫が一番近い。鼻の色がピンク色で、妙に尻尾が長いのを除けば。

 その奇妙な猫の姿を見て、ナイフ男がその顔に戦慄を浮かべて叫ぶ。


「――精霊使いか!」


「ご名答。今すぐ引き下がるなら追わない。すぐ決断して。急いでるの」


 少女の言い分に口惜しげに舌を打ち、男たちは昏倒する仲間を担ぐと路地の外へ向かう。

 スバルをまたぎ、隣を抜けるときに少女をちらりと振り返り、


「覚えてろよ、クソガキ。次にこのあたりをうろつくときはせいぜい気をつけろ」


「この子に何かしたら末代まで祟るよ? その場合、君が末代なんだけど」


 恫喝は精一杯の矜持だったのだろうが、それへの返答は軽い口調ながら苛烈だった。

 手乗り猫はへらへらとした態度だが、男たちはそれまででもっとも顔色を青くして、今度こそ無言で雑踏の方へと駆けていく。

 それきり彼らの姿が見えなくなると、この路地に残るのは少女たちとスバルだけだ。


「――動かないで」


 体の痛みも忘れて体を起こし、とにかくお礼の言葉を。

 そんなことを考えていたスバルに対し、少女は情を感じさせない冷たい声で言った。


 彼女の瞳には警戒の色が濃い。スバルが男たちと別口だとは理解していても、その存在が善性であるとは欠片も思っていない、そんな目だ。


 それはそれとして、こちらを見る彼女の紫紺の瞳は魅入られるように美しい。

 美少女慣れしていないスバルはそれだけで、思わず顔を赤くして目をそらしてしまう。

 そんなスバルの仕草に少女は警戒の眼差しのまま不敵に笑い、


「やましいことがあるから目をそらす。私の目に狂いはないみたいね」


「どうかな。今のは男の子的な反応であって、邪悪な感じはゼロだったけど」


「パックは黙ってて。――あなた、私から徽章を盗んだ相手に心当たりがあるでしょ?」


 小猫を黙らせて少女はスバルに問いを投げる。近年まれに見るドヤ顔だ。しかし、


「期待されてるとこ悪いけど、全然知らない」


「嘘っ!?」


 そのドヤ顔が崩れると、その下から少女の素の表情がちらりと覗く。

 先ほどまでの凛々しい態度もどこへやら、慌てふためく彼女は掌の猫と向き合い、


「ど、どうしよう。まさか本当にただの時間の無駄……?」


「その状態も刻々と進行中だけどね。急いだ方がいいと思うよ。逃げ足がすんごい速かったから、きっと風の加護があるよ、犯人」


「なんでそんなに他人事なの、パックは」


「手出し口出し無用って言ったのそっちなのに。それと、あの子はどうする?」


 思い出したように話題の焦点が戻ってきてスバルは苦笑。

 あ、とその存在と状態にようやく思い至ったような少女。そんな彼女にスバルは虚勢を張って立ち上がり、


「助けてもらっただけで十分だ。急いでるんだろ? 早く行った方がいい」


 ――なんなら手伝うけど、どうするお嬢さん?

 なんて髪をかきあげて歯を光らせながら言う算段だったのだが、


「あれれ?」


「あー、無理して立ち上がんない方がー、って遅かったね」


 頭が重くて体がふらつき、支えようと伸ばした手が壁を掴めずに空を切る。

 結果、さっきまで寝ていた地面にセカンドキスを捧げる羽目に。

 受け身ゼロ。鼻面から落ちて、鋭い痛みに意識を持っていかれるスバル。


「――で、どうするの?」


「関係ないでしょ。死ぬほどじゃないもの、放っておくわよ」


 遠ざかり始める意識の彼方で、そんな二人(ひとりと一匹)の会話がわずかに聞こえる。

 さすがは異世界ファンタジー、人情味に関してもシビアな見解を持っていらっしゃる。


 このまま路地裏に捨て置かれるのか、というネガティブな思考と。

 まぁ、死ぬところだったのが命あるだけ恩の字だわな、というポジティブな思考と。

 そんな消極的な両結論を得ながら、スバルの意識は段々、段々と遠くへ――。


「ホントに?」


「本当に!」


 ぷつりと意識が途切れる瞬間に、赤い顔をして振り返る銀髪の少女が見えた。


「――絶対の絶対、助けたりしないからっ」


 ――怒った顔も、すんげぇ可愛いな、異世界ファンタジー。


 そんな感想を最後に、今度こそスバルの意識は闇に落ちた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
エミリアの濃ゆとこ好き
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ