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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第五章 『歴史を刻む星々』
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第五章11 『意外な再会、来るべき再会、意図せぬ再会』


 その後、水の都の散策がてらの帰り道は順調なものだった。

 時折、エミリアが考え込むように水面を眺めていることがあったが、それを指摘しようとすると彼女はすぐに笑みでそれを押し隠す。


 先ほどの人物――フードを被っていて、年齢の近い男だったという点以外は特徴が思い出せないような相手だったが、エミリアと何の関係があったのか。

 エミリアを知っているにしては、男の方はずいぶんと自然体に見えた。しいて言えば銀色の髪がどうとか言っていたが、銀髪に好意的なのが珍しいぐらいで――。


「そういや、認識阻害のコート……」


 ふと思い至り、スバルは先ほどの男に対してエミリアの認識阻害――彼女が着用するコートに編まれる、エミリアの特徴を無意識に知覚できなくなる術式の効力が及んでいなかったことに気付く。

 術式の効果が過不足なく通る場合、相手にはエミリアのことがせいぜい性別ぐらいしか掴めなくなるはずなのだ。だが、男ははっきりエミリアの銀髪を視認した。


 それは男が少なくとも、術式に弾かれない程度には手練れだという意味だ。


「ベア子」


「気付いているのよ。エミリアとガーフィールの二人はボケボケしてるから気付かなかったみたいかしら。世話が焼ける子たちなのよ」


 スバルが気付いた懸念を察し、隣を歩くベアトリスは微かに顎を引いた。

 少し前を歩くエミリアたちの後ろで、スバルは声をひそめながら、


「何も仕掛けてはこなかったけど、さっきの奴はちょっと怪しい。認識阻害ってポンポンと破られるもんじゃないと思うんだが」


「魔法に精通しているか、あるいは相応の格があるか……どっちにしろ、一般市民と割り切ってやれないのは確かかしら。面倒事そのものなのよ」


「エミリアにはあとで、それとなく注意しておく必要があるか」


「それは大丈夫だと思うのよ。自分が感じてる感覚が、邪まなものってことぐらいはエミリアも気付いているかしら。探そうとしたりはしないはずなのよ」


 ベアトリスの断言に、スバルは「そか」と短く応じて受け入れる。

 彼女がそう言うのであれば、その目は確かと思っていい。これでベアトリスはよく人のことを見ている。ベアトリスがエミリアの態度にその安心感を見たなら、ひとまずは信じていい。無駄に不安を煽る必要もない。


 それでもせめて、スバルとベアトリスだけは警戒しておくべきだ。

 この広い水の都で、あの男と再会する機会がそうそう訪れるとも思えないが――あちらが接触してくる可能性は、常に警戒していても足りないほどなのだから。


「そろッそろ着くぜ、大将。ベアトリスの歩幅に合わせてッと日が暮れらァ」


「余計なこと言うんじゃないかしら、このクソガキ」


 前を行くガーフィールが首だけ振り返り、からかわれるベアトリスが乱暴に罵る。その言葉にガーフィールは快活に笑い、ふとその表情が変わった。

 耳を震わせ、鼻面に皺を寄せる。


「どうしたの?」


「んや、宿の方から……口ゲンカみてェのが聞こえてきてよォ」


 角の向こうの声が聞こえた、とガーフィールが言った直後、スバルたちにもその喧騒が聞こえてきた。

 それは確かに、男同士が言い合っているもののようで、


「派手にやってやがるみたいだけど、騒ぎの絶えない町だな」


「人の仕事場で魔鉱石の暴発食らう大将ァ人のことッ言えねェんじゃねェか? 商会の連中が人払いしてなきゃ、今頃は衛兵に囲まれッてらァ」


「あれは俺の不可抗力だと思うんだけど……エミリアたん?」


 つい先ほどの騒ぎを例に出されてバツが悪いスバルは、ふと隣を歩いていたエミリアが小走りになるのを見て声をかける。

 その呼びかけにエミリアは振り返らずに、


「今の声、片方は聞き覚えのある声で……っていうより、ヨシュアくんだと思うの」


「あァ。そういや、あのヒョロヒョロ野郎の声かもしんねェな」


「関係者が面倒起こしてるってんなら大変だ。俺らもいこう」


 緊張感に欠けたガーフィールを抜いて、スバルはエミリアの後ろを追いかける。先に角を曲がったエミリアにすぐ追いつくと、『水の羽衣亭』前の喧騒がようやく目に入るところまできた。そこで、


「いいから、何度も同じこと言わせんじゃねえぞ、ガキ! 舐めた口きいてねえで、とっととご主人様を連れてこい!」


「あなた方のような粗暴な方々の前に、主人どころか兄様だって呼べませんよ。お引き取りを願います。自分が大人しく応対しているうちにね!」


「話のわかんねえ野郎だなあ、オイ。ぶっちめるぞ、てめえ!」


 紫髪の青年――ヨシュアが両手を広げて宿の前に立ち、そこで男と言い合いになっている。相手は背中を向けているが、たくましい体つきの人物だ。ヨシュアにぶつける言葉の荒っぽさから、暴力沙汰になるまでの余裕はそうはない。


「そこまでよ!」


 スバルが彼我の戦力差を見極める前に、飛んでいくエミリアが二人に割って入る。男がたじろぎ、ヨシュアは驚きに目を丸くして、


「え、エミリア様!?」


「用事が終わって戻ってきたところだったの。宿の前でこんな騒ぎを起こしてたらダメじゃない。ケンカの原因はなんなの? 落ち着いて話しなさい」


 子ども同士のケンカを取り成すような物言いに、一触即発だった場の空気が白ける。スバルはその様子に安堵のため息をこぼし、ゆっくり追いついてくるガーフィールは「なんだ、ケンカにならねェのかよォ」と退屈そうに言った。


「皆さんも続々とお戻りで……お疲れ様でした」


「はい、ありがとう。それで、ケンカの原因。隠さないで教えなさい」


「エミリア様にご心配をおかけするようなことでは……」


 頑なに介入を拒むヨシュアは、この場を収められることで変な弱味を握られるのではないかと不安がっているのかもしれない。だとしたら考えすぎだし、エミリアがそんな狡猾なことを考えるのは、あと百年ぐらい歳をとっても無理だ。


「どうしたもこうしたもねえ。そのガキが、呼ばれてきてやった俺たちを通さねえとほざきやがったんだ。だから抗議してたってんだよ」


 もどかしい雰囲気が場を支配する直前、声を上げたのはヨシュアと言い争っていた男だった。彼はつり目の目尻をきりりと鋭くし、険のこもった声でヨシュアの対応に文句をぶつける。


「だから何度も言ったはずです。身分を騙るなら騙るで、それなりの準備と身の程を弁えるようにと。少しばかり良い服を着たぐらいじゃ、滲み出る品のなさは隠しきれません。嘘も大概にしてください!」


「下品で悪かったなあ! 俺だって好きでこんな格好してるわけじゃねえよ! 使いっ走りしてんのも同じだ。ああ、クソ、話にならねえ!」


 頑として自分の主張を受け入れないヨシュアに、いよいよ男は頭を掻き毟る。

 こうして事態を落ち着かせようとスバルたちが割り込んだのに、蚊帳の外というか完全に二人だけの世界だ。


「もう、お話にならないじゃない。スバル、どうしたら……スバル?」


 聞き分けのない二人に困った顔のエミリアが、スバルの方を見て首を傾げる。彼女の前でスバルは顎に手を当て、考え込むように眉根を寄せていた。

 その視線の先にいるのは、ヨシュアと言い争う粗野な男がいる。


「どうしたの、スバル?」


「いや、気のせいかもしれないんだけど……この人、どっかで見たことあるような気がして……」


「ああ? なんだ、オイ。今度はてめえまで因縁つけようと……っ!?」


 スバルとエミリアの会話を聞きつけ、男が怒りの矛先をこちらへ向けようとする。しかし、その男の表情がスバルを見た途端に強張った。

 彼は唇を震わせ、スバルを指差すと、


「て、てめえ……ラインハルト詐欺の……!」


「ラインハルト詐欺って、ずいぶん限定的な詐欺……あ」


 男が口にした『ラインハルト詐欺』で心当たりに思い至った。

 そして、男の正体にも。スバルの知る姿よりも身綺麗になっているし、格好も真っ当そのものになっているが、目つきの悪さは変わっていない。


「チン! チンじゃないか! うわぁ、なんでこんなとこで、元気してたか?」


「馴れ馴れしく呼びかけてきてんじゃねえよ! そもそも誰がチンだ! 俺にはラチンスって名前があんだよ!」


「チンじゃねぇか」


「うるせえ!」


 懐かしさに思わず肩を組もうとするスバルを、チン――ラチンスは乱暴に振り払う。つれない態度にスバルが唇を尖らせると、エミリアが「知り合い?」と聞いてくる。


「ああ。俺とエミリアたんが初めて会った、懐かしの王都の顔見知りだよ。路地裏に迷い込んだ俺を追い詰めて、追い剥ぎしようとしたんだ」


「へー、そうなん……え、追い剥ぎ?」


「その次に王都に行ったときも、プリシラに乱暴しようとしてたんだよな。あとで仲間引き連れて逆襲にもきたし、思い出深い奴らだぜ」


「ベティーの聞く限り、クズとしか思えないのよ」


 エミリアとベアトリスが、感慨深げなスバルの言葉にそう反応する。その後ろでガーフィールが拳の骨を鳴らし、ヨシュアの視線がますます厳しくなった。

 形勢が悪くなり、ラチンスは青白い顔からさらに血の気を失い、


「ま、待てって。確かにそんなこともあったかもしれねえが、どっちも未遂だし過去の話じゃねえか。ここは水に流して話を聞けって。な?」


「ガーフィール。こういうときは?」


「悪党死すべき慈悲はねェ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 本当に、待て! 待ってって!」


 明らかにチンピラらしからぬガーフィールの気配に、ラチンスはまともにやり合っては勝ち目がないと察したらしい。一年ぶりの再会で、向こうにも少しは成長する切っ掛けがあったのだろう。

 彼は頭を抱え込んで大きく下がり、それから宿を指差して、


「本当だ! 俺は呼ばれてきて……いや、俺じゃなくて俺の雇い主が呼ばれてきて! でも宿に行く前に町を見て回るって言ってきかねえから、俺が先回りして宿の方に報せてこいって言われてんだ。嘘じゃねえ!」


「あァ、わァったわァった。話は中……庭でゆっくり聞いてやらァ」


 必死で弁明するラチンスに、無常に告げてガーフィールが歩み寄る。

 ラチンスの懸命さには申し訳ないが、スバルの方にも彼を信じる要素が皆無だ。格好だけ取り繕っても、中身がそれに追いついていなければ信用は勝ち取れない。ヨシュアに突っぱねられたのも仕方ない。身につまされる話だった。


「日が悪かったんだよ、てめェ。たまたま、この宿に有名人が多い日で――ッ」


 後ずさるラチンスを壁に追い込み、その胸倉へとガーフィールが手を伸ばす。しかし、その動作が中断し、直後にガーフィールは予備動作なく振り返っていた。

 その瞳は見開かれて、瞳孔が一瞬で警戒を帯びて細められる。全身の産毛が総毛立ち、牙と爪と筋肉が臨戦態勢に入ったのがわかった。


 あまりにも唐突で、あまりにも直情的で果断な反応。

 それはガーフィールの戦闘本能が呼び起こした原始的なものであり、だからこそ疑う余地もなくスバルたちに緊迫感を伝染させた。

 そして、そのガーフィールが睨みつける方向にスバルたちも振り返り――、


「ラチンス。戻ってこないと思ったら、何を騒がしくしているんだい?」


 瞬間、眼前に炎が立っているものとスバルは錯覚した。


 炎は赤く揺らめき――否、掲げた手を軽く振っている。人型だ。違う、人間だ。

 真っ赤に燃える炎のような髪に、青空を閉じ込めた澄み渡る瞳。長身に白い服をまとい、一度目にすれば永劫に忘れられないだろう整った顔立ち。

 全身を突き抜ける衝撃は、凡人が英雄を目の当たりにしたときに感じるそれに違いない。何故ならその邂逅はまさしく、そういう一瞬だったからだ。


 見間違えるはずもない。その男の名前は、


「――ラインハルト」


 息を抜くような掠れた呼び声に、こちらへ歩み寄っていた青年が柔らかく微笑む。その微笑には、向けられたものの心を強制的に安堵させるような包容力がある。

 ただ微笑まれるだけで、スバルは絶対の守護者の腕に抱かれた安寧を得たのだ。そしてそれはスバルだけでなく、その場の全員が感じ取った安らぎでもある。


「久しいね、スバル。こんなところで会えるなんて、今回は呼んでくれたユリウスに感謝しないといけないな」


「お、おお。久しぶりだな。元気してたかよ……って、お前もユリウスに?」


「正確に言えば、僕がユリウスに呼ばれたわけじゃないよ。フェルト様がアナスタシア様のご招待に与ったんだ。僕はそれに同行して、友人との邂逅を楽しむ腹積もりできたというわけだよ。まさか、君までいてくれるとは思わなかった」


 英雄に気圧される自分がいることに、スバルは内心で驚いていた。

 以前からラインハルトの存在の大きさに圧倒されることはあった。それでも、こんな全身の毛穴が開くような感覚を味わいながら、常に接していたわけではない。

 前には気付けなかったラインハルトの傑出さを感じられるのは、スバルの方がそれを感じ取れる程度には研鑽したからに他ならない。鍛えれば鍛えるほどに遠さを感じる人物とは、なるほど恐れ入ったものだが。


「そうか。一年も経ったからかな。前に会ったときよりも、ずっと強くなっているようだね、スバル。僕は嬉しいよ」


「あんまし言ってくれんな、嫌味に聞こえるぜ。聞こえないから恐ぇけど。俺も成長した自信はあったけど、お前を見るとその自信も薄れるな」


「そんなことないよ。むしろ、僕の方は自分の成長のなさに失望しているぐらいだ。この一年間の内容の違いが如実に表れているようで、自分が恥ずかしいよ」


 それは成長限界か、あるいは高レベルだからレベルが上がりづらいとかそういう類の悩みではないだろうかと思う。それ以前に、この実力の高さでまだ成長を止めようとしていないという事実がスバルには空恐ろしかった。


「ところで、スバル」


「ん、ああ。なんだ?」


「さっきからずっと僕を睨んでる彼なんだけど、君の友人だろう? できれば、そんなに警戒しないように言ってくれると嬉しいな」


 苦笑するラインハルトの視線の先、そこに今も臨戦態勢を解けないガーフィールの姿があった。

 ガーフィールは猫背の背をさらに曲げ、切っ掛け一つで今にも飛び出しそうな体勢をしている。その牙と爪が、獲物を容易く引き裂く凶器であることをスバルはこの一年間で何度も目にし、頼りにしてきた。

 なのに、仮にガーフィールが暴発したとしても、目の前の青年に傷を負わせることができるビジョンが浮かばない。


「ガーフィール、やめろ。こいつはラインハルトだ。俺の……友達だ。危害を加えてくることはねぇし、加えるのも許さねぇ」


 友達、と言おうとしたところでスバルはわずかに躊躇した。

 剣聖の大きさを肌で味わって萎縮したのもあるし、彼との最後の別れ――王選の日の練兵場。あそこで彼の差し伸べる手を振り払った記憶が過ったからだ。

 だが、それを思うスバルの傍らで、ラインハルトは気にした風もなく頷く。


「今、スバルに紹介してもらった通りだ。僕は彼の友人、ラインハルト・ヴァン・アストレア。君の名前も聞かせてもらえるとありがたい」


「――ガーフィール・ティンゼルだ」


「いい名前だ。それによく鍛えられている。まだ若いのに、すごいな」


 何の気なしに言ったラインハルトの言葉に、スバルは遅れて衝撃を受けた。

『聖域』を出てからの一年間で、外の世界を知る経験を積んだガーフィールは、振舞いに反してその見た目は以前にも増した安定感を誇っている。

 黙って落ち着き払っていれば、相応の年齢は二十歳前後といったところだ。実年齢が十五歳であることなど、一年前以上に見抜くことはできまい。

 ラインハルトの発言は、その事実をあっさりと看破していた。


「噂は聞いているよ。エミリア様を守る双璧。『盾のガーフィール』と『精霊騎士ナツキ・スバル』は有名だ。僕も友人として鼻が高い」


「そっちの名前が通ってくれてんのが不幸中の幸いだよ」


「別の呼び名も知っているけど、そっちはあまり嬉しくないかと思ってね。ときに、『精霊騎士』を名乗る君の相棒はそちらのお嬢さんでいいのかな?」


 次にラインハルトの興味が向いたのは、スバルのすぐ横で小さくなるベアトリスだ。いつの間にかスバルの手をしっかり握る彼女は、その場に膝をついて視線の高さを合わせるラインハルトを真っ向から見つめる。


「格の高い、大精霊様とお見受けします。拝謁の機会をいただき、光栄の至り」


「……ベティーはスバルの契約精霊、ベアトリスなのよ。殊勝な態度、悪くないかしら。ただ、あまり近付くんじゃないのよ。理由はわかっているはずかしら」


「わかっています。ご負担をおかけして申し訳ありません」


 ガーフィールと違い、警戒を露わにしているわけではない。が、スバルの手を握るベアトリスの握力は本気だったし、尋常でない震えを隠しきれていなかった。

 しかし、それは恐怖に抗っているのではない。もっと別のものだ。

 そしてあんまりといえばあんまりな対応をされながら、ラインハルトはこちらに立つ最後の一人、エミリアに恭しく礼の姿勢を取った。


「エミリア様、ご無沙汰をしております。その後のご活躍の数々、遠く自領にいても届いておりました」


「ええ、久しぶりね、ラインハルト。あのお城以来だから、ホントに一年ぶりよね。あなたたちのことは、私たちもちゃんと聞いてるわよ」


「華々しいエミリア様たちのご活躍に比べれば、まだまだです。主の助力を満足に行えない我が身が、いっそ憎らしいほどでした。スバルの活躍を聞いてしまうと特に」


「ふふふ。そうよ、スバルったらすごいの。私の自慢の騎士様なんだから」


 お世辞には聞こえないラインハルトの賛辞に、エミリアが胸を張って自慢げにする。そうして誇らしげに語ってくれると、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分だ。

 ともあれ、


「だいぶ話がそれそうになってたけど、さっきラチンスのこと呼んでたよな?」


「あ、そうだったわよね。彼、ラインハルトとも知り合いなの?」


「ええ、そうです。彼は……今はフェルト様の下で従僕として働いています。まだ役目には不足している部分も多いんですが、フェルト様が気に入っていて」


「あいつ、フェルトが雇ったのかよ!?」


 思わぬ情報にスバルが目を剥くと、それを聞いたラインハルトが眉を下げた。彼はスバルに申し訳なさそうな顔を向け、


「君の心情を思うと、僕も謝罪の気持ちでいっぱいだ。彼らが路地裏でスバルを囲んでいた場は僕も居合わせていたからね。その後、彼らと再会したときに色々とあって……その場でフェルト様が、彼らを連れていくと仰ったんだ」


「いやまぁ、気にしてないって言ったら嘘になるけど……どういう偶然だよ。よりにもよってあいつらが……今、複数形だったよな?」


「雇ったのは彼を含めて三人だよ。あのとき、君を襲おうとしたもの全員だ」


「トンチンカン揃い踏みかーっ!」


 数奇な運命の悪戯に、スバルは頭を抱えて絶叫する他にない。

 この世界に招かれてすぐ、印象深いやり取りを交わし続ける羽目になった三人。彼らのその後など気にしたこともなかったが、まさかこんな形で再会するとは。


「えっと、スバルがすごーく驚いてるのはいいんだけど……つまり、ラチンスくんはラインハルトの仲間。フェルトちゃんの部下ってことなのよね?」


「そうです。フェルト様が町を見て回りたいとのことだったので、彼には先に宿にそれを伝えてもらおうとしていたんですが、いつまでも戻らないもので」


 先のラチンスの話をそのままトレースするラインハルトに、一同は納得の頷き。その様子を見て、固まっていたラチンスは勢いを取り戻すと、


「そ、そら見ろやあ! 何度もそう言ってただろうが。だってのに、てめえら寄ってたかって俺を疑いやがって! 謝って賠償金払え、オラ!」


「ラチンス。何度も言っているが、君の口調には使者としての自覚が足りない。大方の事情は把握できたけど、どうやら君を擁護するのは難しいみたいだ」


「てめえはどっちの味方だよ!?」


「正義の味方だよ。そしてこの場合、友人の弟が誤解するのもやむなしと思う」


 叫ぶラチンスにすげなく言って、ラインハルトはヨシュアの方に笑いかける。ヨシュアはラインハルトの笑みに、気まずそうな顔で頷いた。


「お久しぶりです、ラインハルト様。この度は、自分の不手際で使者の方に……」


「そのことはこちらの落ち度だよ、ヨシュア。それに様付けなんてむず痒いことはしないでくれ。久しぶりに会ったのに、距離を感じるのは少し寂しいんだ」


「兄様とラインハルト様はご友人ですが、今は政敵同士ですから」


「変わらないね。そんなところまで、昔のユリウスに似せる必要はないのに」


 ラインハルトの苦笑に、ヨシュアは奥歯を噛んだような顔をして黙った。

 とにかく、この場の問題はこれで無事に収まったらしい。一安心だが、代わりに別の疑問が浮かんでしまう。それは、


「それにしても、俺たちだけじゃなくてお前らまで呼ばれてるなんて、アナスタシアさんは何を考えてんだろうな?」


「僕らへの誘い文句は、有益な情報交換の場を設けるという形だったよ。アナスタシア様のことだから趣向を凝らしてくるとは考えていたけど、まさかエミリア様たちまで呼ばれているとはね。ただ、この分だとそれどころじゃないかもしれない」


「もっと驚かせる何かを用意してるって?」


「その可能性はあるんじゃないかな。どうだい、ヨシュア」


 首謀者の一人であるヨシュアに水を向けると、青年はずれたモノクルの位置を直しながら「さあ、どうでしょうか」ととぼけてみせる。

 少しは余裕を取り戻してきたらしい態度に片目をつぶり、ラインハルトは宿の方へと目を向けた。


「ワフー建築というやつだね。『水の羽衣亭』か。珍しい形だ。カララギの方では珍しくない建築様式らしいけど」


「へえ、意外。ラインハルトも見たことなかったんだ。カララギとか行ってみたことってないの?」


「ええ。僕は国外に出ることを禁止されていますから。国家間条約に抵触する恐れがあるので、国境近くまで出向くのも避けているんですよ。ですので、カララギとほど近いプリステラはギリギリなんです」


 ラインハルト持ち出し禁止の条例に、スバルとエミリアがぎょっとなる。彼流の冗談かと思ったが、「ははは」と笑う彼は冗談とは言い切らなかった。

 追及するのも恐いので、とりあえずその先を確かめるのは後回し。


「なんか疲れちまったな。いつまでも玄関先でわやくちゃしてても宿に迷惑だし、中に入るなら入っちまおう。フェルトたちはまだかかるんだろ?」


「お目付け役の僕が側を離れているからね。今頃は羽根を伸ばしていらっしゃるんじゃないかな。たまには心を休めていただく必要があるから、急ぎはしないよ」


「……たまにって、いつも羽根伸ばしてんじゃねえかよ」


「ラチンス、何か言ったかい?」


「とんでもねえッスよ。で、俺はどうしたら? ここにいるのは居心地が死ぬほど悪いんッスけど」


 小声で悪態をつきつつ、ラチンスは言外に退去の許可を求めている。ラインハルトは仕方ないと吐息をつき、


「フェルト様に合流して、ガストンやカンバリーと一緒にお守りしてくれ。危険はないはずだけど、今回はロム殿がご一緒していないんだ。フェルト様が危ないことをしようとしていたら、体を張って止めてくれ」


「了解しやした。あんたはどうするんで?」


「エミリア様たちと一緒に、先に宿に入って挨拶しておくよ。何かあればゴーアを打ち上げるように。五秒で駆けつける」


「冗談に聞こえねえからおっかねえよ、オイ」


 言い残して、ラチンスはスバルたちの間を抜けるようにして駆けていく。途中、言い合いになったヨシュアを睨みつけ、ラインハルトの視線にビビる小者のアクションを挟むのも忘れない。小悪党の鑑だ。


「じゃあ、中に入りましょう。私たちはアナスタシアさんに挨拶してあるから、ラインハルトたちがきたわよーって言いにいったらいいわよね」


「本当ならヨシュアの仕事だと思うけどな。まぁ、今さらだし一緒にいくべ」


「……はい、そうします。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


 うまく場を収められなかったからか、ヨシュアはどことなく気落ちした様子だ。その肩を慰めるように、スバル、ラインハルト、エミリア、ガーフィール、最後にベアトリスが叩いて宿へ上がり込んでいく。


「なんか、余計に惨めさを味わうような連携だった気がするな」


「スバルがやっていたから、僕もやっておこうかと思ってね」


「二人がやってたから、あ、私もやってあげなくちゃって思ったから」


「大将やエミリア様がやってんのに、俺様がやらねェわけにゃァいかねェだろ」


「ベティーだけ仲間外れにされるのは嫌なのよ。……別に仲間外れとか気にしてないかしら。たまたまなのよ」


「はい、可愛い可愛い」


 スバルとエミリアが左右から、真ん中を歩いているベアトリスの頭を撫でる。ベアトリスは鬱陶しげにそれを払い、それから二人の裾をちょんと摘まんで歩く。


「こっちです。今、アナスタシア様たちはお客様をお迎えしているところですから」


 廊下を先導しながら、ヨシュアはスバルたちをお座敷とは別の部屋へ案内する。その案内に従いながら、スバルは今のヨシュアの一言に目を光らせ、


「お客様対応中って言ったな。俺ら以外の誰を出迎えてるところなんだ?」


「……そんな野獣のような目をしなくてもすぐにわかりますよ」


「野獣とか言い過ぎだろ。そこまで飢えた眼差ししてねぇよ」


「そんな魔獣のような声を上げなくてもすぐにわかりますよ」


「より酷くなってんじゃねぇか。魔獣ってどれだよ。犬か鯨か兎か、選べ」


 スバルの記憶に残る、嫌な魔獣ベストスリーだ。あと他にもいた気がするが、黒焦げになった魔獣はライオンみたいな顔をしていた気がする。あまり印象にない。

 薄い記憶を掘り返す努力をするスバルだったが、その努力を「鯨か……」と微かに呟いたラインハルトの横顔が中断させた。彼はスバルの視線に気付くと、


「鯨、というのは白鯨のことだと思っていいのかな、スバル」


「……ああ、そうだ。最悪の鯨だったぜ。何回も死ぬかと思ったが、死ななかったのが奇跡だと今でも思ってる」


 実際、白鯨相手に被撃墜数が増えなかったのは単なる奇跡の産物でしかない。

 あの魔獣はそれほど驚異的な存在であったし、もたらした被害も尋常ではない。払った犠牲の大きさは、今もスバルの胸を貫いて痛みを実感させ続けている。


「白鯨の話、あとで詳しく聞かせてもらって構わないかい? 僕にとってもあの魔獣は無関係な相手じゃないんだ。話せば、少し長くなるんだけどね」


「――いいぜ。事情は、言いづらいなら話さなくてもいいし」


 何となく、ラインハルトが白鯨に対して抱える事情には察しがつく。

 スバルにとって白鯨との戦いは、その影を十年以上も追い続けた一人の老剣士の執念の結実でもあった。そしてその剣鬼の素性が、この赤毛の青年と深い関係にあることも知っている。彼らの過去に何があったのか、そこまでは知らなかったが。


 ――興味本位で問い詰めていいことではない、そのぐらいの判断はできた。


「ありがとう」


 だから、そのスバルの思いやりにラインハルトは短くそれだけ応じた。

 そしてそれ以上の言葉をスバルは求めていない。


 目を伏せるラインハルトに、スバルも長い息を吐いた。スバルのその様子に、エミリアとベアトリスが気遣わしげな視線を送ってきている。

 なんでもないと、そう示すようにスバルは二人に笑顔を向けた。


「着きました。お話が終わるまで、ひとまずこの茶室でお待ちください」


 目的地へ案内したヨシュアの前に、横にスライドさせる襖形式の仕切りがある。ちゃんと和紙のようなものが張られているあたり芸が細かく、スバルはほんのりと嬉しくなってしまう自分の日本人魂がおかしくなった。

 だが、そんな風に楽観的にしていられたのもその数秒間だけだ。


「すみません。茶室の方、他のお客様をご一緒させていただいて構いませんか?」


 先客がいるのか、ヨシュアが襖の向こうに声をかける。

 すると、中で誰かが身じろぎするような音がして、


「――どうぞ。私の方も、手持ち無沙汰をしておりました」


 聞こえてきた落ち着いた声音に、スバルは眉を寄せ、それから驚く。

 聞き覚えのある声で、それも忘れようもない声だったからだ。それどころか、つい今しがたにその人物のことを想起したばかりでもあった。

 スバル以外は誰もピンときていない様子――否、ラインハルトだけは違う。彼は柔らかな面差しに微かな硬さを宿し、青い瞳を戸惑いで揺らしていた。


 その逡巡の気配に気付かず、ヨシュアが襖を横へ引く。

 静かに木戸が滑る音がして、目の前の茶室とされる部屋が露わになった。

 そして、そこにいた人物は座布団の上で正座しながらこちらを見ていて、


「――お祖父様」


「ラインハルト、か」


 祖父と孫との最初の一声が重なった。

 それはラインハルト・ヴァン・アストレアと、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアの、互いに意図していなかった再会であった。




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