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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第四章 『永遠の契約』
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第四章125 『ロズワール邸攻防戦』



「――ドーナぁ!!」


 眼前に迫る脅威に対し、とっさに反応できたのは三人の中ではオットーだけだった。

 両手を前にかざし、詠唱によって世界に干渉――マナの奔流が屋敷の床を砕いて土壁をせり上がらせ、広い通路を覆って漆黒の影への障害となって立ちはだかる。

 が、


「邪魔」


「一撃かよ!?」


 短い声と、振るわれる二振りの曲刃。

 弧を描いた斬撃は土壁を易々と紙切れのように裁断し、分断されたそれは長い足に蹴りつけられて一瞬で崩壊する。

 散り散りになるマナの粒子と、脆く崩れ去る土壁の残骸。象られる嗜虐的な笑みと、鈍く光る銀色の刃。


「まずは喉を裂いて、口を封じないと大人しくしてもらえないかしら」


「おっかねぇこと言ってんじゃねぇ!」


 オットーが作った一秒の隙間で、スバルはペトラを抱きかかえてすぐ脇の部屋へと転がり込む。一瞬遅れて同じ部屋に飛び込むオットーが扉を閉め、直後に頭を抱えてベッドの向こうに回避。

 斬撃が斜めに扉を切り取り、ずり落ちる扉の半分が部屋の中へと蹴り込まれた。


「これでも、食らえぇ――っ!」


 扉の隙間から滑るように侵入するエルザ目掛け、スバルは木製の洋服掛けを振り下ろす。これをエルザは身を後ろへ傾けて避け、翻る刃が洋服掛けの真ん中を両断。返す一撃がスバルの喉を狙うが、これはスバルに飛びつくペトラのおかげで掠めるに留まった。


「あら、悪い子」


「自慢の良い子だ、馬鹿野郎!」


 浅く切られて血が弾ける首を押さえ、ペトラを引き寄せスバルが下がる。

 エルザは凄絶な笑みを浮かべ、下がるスバルへ追撃をかけようとした。

 しかし、


「これならどうです――!」


 エルザの横顔を狙い、振りかぶったオットーが魔鉱石を投擲する。

 わずかに赤く光るそれは、『火』のマナが込められた炸裂弾のようなものだ。ガーフィールとの決戦時、役立ったものよりも純度の高い文字通りの切り札。

 オットーの持つ隠し玉が、無防備なエルザを真横から――爆発。


 オットーとエルザの中間地点で、砕かれた魔鉱石の力が真っ赤に炸裂。

 音と光が室内を席巻し、熱を持った風に煽られながらスバルは見た。

 時の流れが緩やかに感じられるほどの集中力の視界の中、オットーが投じた魔鉱石はエルザが振り向きもせずに投じた投げナイフによって相殺されたのだ。


 予定外の地点で爆発が起き、目を焼かれるオットーが苦鳴を上げてのけ反る。

 その土手っ腹にエルザの長い足の爪先が突き刺さり、くの字にオットーが吹っ飛んで壁に叩きつけられた。崩れ落ちるオットーに見向きもせず、エルザは息を呑むスバルの方へ振り返って、ふと眉を上げる。


「あら? あなた……確か、王都で見た顔ね?」


「お、覚えていただけて光栄の至り。その縁でここは一つ、見逃してもらっても?」


「見損なった腸は、時間をかけてでも必ず見ることにしているの」


「わぁ、コレクター魂!」


 ギュッとペトラが服の裾を掴むのがわかって、スバルは思考を白熱させる。

 体の中のゲートが死んでいる実感がある。祈っても魂を燃やしても、マナもゲートもうんともすんとも言ってくれない。シャマクをこの場で展開するのは不可能で、それ以前に動けなくなる馬鹿の一つ覚え。

 ならば、頼れる手段は一つ――インビジブル・プロヴィデンスのみ。


「――――」


 使うと決めた瞬間に、スバルの体の内側を得体の知れない黒いものが這い回る。

 動きを止めていたそれは、スバルに呼び出されたのだと気付いた途端に存在を主張し始め、自らの力を発揮できる場面を今か今かと囃し立てる。

 おぞましい化け物に餌を与えるような、そんな禍々しい感覚が突き刺さる。

 それを意識的に無視して、スバルは産声を上げる黒い力に命令を注ぎ、内側から外側の世界へと道を切り開く決意を固める。


 血の涙を流すような苦痛の果てに、この力を扱うことへの忌避感がある。

 それでも、縋るものに縋り、使えるものを使い、生かし生きるために生きる。

 他でもない、スバルが救われてほしいと願う全てを救うために。


「あぁ……その顔、ぞくぞくするわ」


「もっといいものを見せてやる」


「そう、愉しみ――ね」


 二刀を振りかぶるエルザの中心を狙い、スバルは引き金を引き絞る。

 あとはそれを開放するだけで、その細い体を引き裂いて穿ち貫けるはずだ。


「――ォォォ」


 どろりと蠢くものが、血管へと流れ込んで全身を駆け巡る。

 吐き出す息に色がついたような錯覚、高熱を帯びているような錯覚、黒く得体の知れない爪が伸び、エルザを真っ二つにできる未来が予測できた。

 このまま、何もかもを捧げて、そして――。


「スバル!」


 悲痛な声と、脇腹を抓られるような痺れる痛み。

 ハッと顔をしかめれば、自分の腹の中にあったおぞましい感情が途端に霧散する。


 残留するのはわずかな黒い汚濁の残滓と、変わらず放たれる漆黒の殺意。

 飛び込む動きに入るエルザに対し、スバルは慌てて再び照準を合わせるが間に合わない――そこへ、


「――危ないわ」


「――避けますの!?」


 背後から迫る豪風を、エルザは刹那の見切りで回避する。

 スバルへの斬撃を中断して身をひねり、背中を抉る鉤爪の一撃を踊るようにかいくぐる。

 反転する体が奇襲したフレデリカの横腹を蹴り、勢いのままに肘でスバルを打ち、吹き飛ぶ両者の間を後方宙返りして抜け、悠々と部屋の奥のベッドの上に着地。


 背に手を当て、掌をべったりと血が濡らすのにエルザは恍惚の表情。

 それから、膝をつくフレデリカを見て楽しげに首を傾ける。


「さらに一人……いいえ、二人ご招待。素敵なお屋敷だわ」


「あの奇襲でもまともに届かないんですの……人間の反射じゃありませんわよ」


 悔しげに唸り、戦慄を隠せずにいるフレデリカ。

 胸を強打されたスバルは咳き込みながら、横這いにフレデリカの下へ歩み寄る。


「フレデリカ、すまねぇ、助かった。それと、ペトラも」


 合流したフレデリカに声をかけ、それからスバルは手を繋いでいるペトラに感謝する。それを受けたペトラは涙目のまま首を横に振り、


「わ、私こそごめんなさい。でも、スバル……さっき、危ない目をしてたから……」


「正直、呑み込まれる間際っぽかった。引き戻してもらわないとヤバかったかもだ。迂闊にインビジブル・プロヴィデンスに頼るわけにもいかねぇか……」


「イン……なんですの?」


 切り札が諸刃の刃であることなど、もはやスバルにとっては驚きに値しない。

 問題は、使い所がますます限られる点――せめて今の欠陥が、連続使用を原因としたものであることを祈るばかりだ。

 少なくとも、この戦闘でインビジブル・プロヴィデンスに頼るのは、引き換えに失うものが大きすぎる予感だけがあった。


「フレデリカ姉様……」


「ペトラ、恐い思いをしましたわね。でも、よく泣かずに我慢していますわ」


 スバルの裾を掴んだまま、フレデリカの名を呼ぶペトラ。フレデリカは大事な妹分の少女の奮闘を評価しながら、厳しい顔つきをスバルの方へ向けた。


「スバル様、申し訳ありません。レム様を連れて屋敷を脱するのが、私に望まれていたお役目だったでしょうに……その仕事、果たせず」


「いや、状況的にしょうがねぇ。外はもっとヤバいって話だし……レムは?」


「こちらに」


 両手に何も持たず、鉤爪型の手甲を装備しているフレデリカ。

 レムの姿が見えないことを不安がるスバルに、フレデリカは自分の背を向ける。そこには紐でしっかりと固定されて、フレデリカに背負われる形のレムの存在があった。


 がちがちに縛られているが、これはこれでシュールすぎる光景だ。


「緊急事態なのはわかるけど、これであんまり動かれるとレムの首がもげそうで恐ぇな!?」


「幸い、と言っていいものか迷いますけれど、レム様のお体は平常な時の流れから切り離されておりますわ。なので、多少乱暴に扱っても影響は見られず……」


「そ、それでもなるたけ大事に丁重に扱ってね……?」


 フレデリカなりに最善を尽くそうと考えてくれた結果なのだ。

 そこに文句をつけるようなことは、代案なしにはしたくない。レムには少し、窮屈な思いを我慢してもらうことになる。

 なにせこちらには、


「フレデリカ以外に戦える奴がいねぇ。俺とペトラは戦力外。レムは寝てる。オットーは懸命に戦ったけど、奮戦むなしくすでに……」


「死んでませんけど!? 人が頭ぶつけて目ぇ回してる間に恐い話しないでもらえませんかねえ!?」


 俯くスバルに物申す形で、部屋の隅に転がっていたオットーが復活する。

 頭を振るオットーは床を這いながら合流し、切断された扉や洋服掛けに身震いした。


「まさか魔鉱石をあんな形で撃ち落とされるなんて……ガーフィールにはちゃんと効いたんですけどね」


「戦闘経験が違うし、たぶん頭の出来も違う。比べてやんな。可哀想だ」


「ガーフ……やはり、見たまま見た感じの育ち方を。私が見てなかったから……」


 オットーの評価にスバルが残酷な比較をやめさせる。

 フレデリカも、十年ぶりに再会したガーフィールには色々と思うところがあるようだ。弟の実にチンピラ的な成長に、目を離していた自責の念もあるのかもしれない。

 そのあたりのすり合わせは、今後の姉弟関係を築く上でうまくやってもらうとして、


「とりあえずの問題を、一丸となって解決しねぇとな」


「そろそろ、愉快な話し合いは十分だと思っていいのかしら?」


「わざわざ待ってもらって悪いな。そっちこそ、五対一でフルボッコにされる心の準備はできてるのかよ?」


「数に含めるのを迷う子が三、四人ほどいそうに思える計算だけれど?」


 スバルの強気な挑発に、エルザは非戦闘員を正確に数えてうっすらと微笑む。

 エルザは両手に下げた曲刃を揺らし、ベッドの上から軽やかに身を下ろす。その姿を見ていて、スバルは気付いた。

 ――エルザの背中から、もう血が滴っていない。


「見た感じ、結構深めに入ってたよな?」


「傷のこと? 心配しなくても大丈夫よ。それならもう、ほら」


 言って、エルザがくるりとその場で回ってみせる。

 するとスバルの睨んだ通り、先ほどフレデリカが抉ったはずの背中の傷は綺麗さっぱり消えていた。装束の背の部分には鉤爪の爪痕があるため、幻を見ていたわけではない。


 フレデリカを始め、スバル以外の面々が顔を強張らせ息を呑む。

 スバルはスバルで逆に、深々とため息をこぼして嫌な予感の的中を呪うばかりだ。


「殺しても死なないってのは知ってたけど……傷も治るのかよ。ほとんど化け物だな」


「人間性を放棄した覚えまではないし、女性を捕まえてその言い方はさすがにどうかと思うのだけど。それに、私の体質のことはどこで知ったのかしら?」


「ラインハルトに真っ二つにされてない時点で、なんかあるとは誰でも思うだろ」


「あの経験はなかなかないわね。危うく、二つになるところだったから。――英雄の腸ってどうなっているのかしら。とても興味があるわね」


 あれほどの戦闘力を目の当たりにしていながら、欠片も懲りた様子のないエルザ。

 殺しても死ななそうなラインハルトにこそ付きまとえばいいのに、ひたすらにスバルたちへちょっかいを出し続けるのは何の因果なのか。

 それこそ、ロズワールへの恨みつらみを言い続けても足りないほどだ。


「スバル様……あの女がここにいるということは、ガーフは?」


 恐る恐る、フレデリカが表情を強張らせながら問いかけてくる。

 今のエルザの体の異常性を目にして、この場にいない弟の安否を不安視したのだ。

 しかし、スバルもまたフレデリカの不安を払拭してやれる答えを持っていない。

 ただ一つ、言えることがあるとすれば、


「残念ながら、どうしてあいつがここにいるのかは俺にも説明できない。けど、ガーフィールがこの短時間でスパッとやられるってのも信じられねぇ」


「私が見ていた限りでも、実力はほぼ拮抗……少し、ガーフが優勢に見えましたわ」


「俺の方もそう見てんだが、結局のとこ答えが……」


 見つからない、とスバルはエルザの方へ視線を走らせ、思わず息を詰めた。

 そのスバルの視線につられて、同じ方を見たフレデリカたちも同じように息を詰める。

 その反応に怪訝に眉を寄せたエルザは、スバルたちが見る自分の頭上を仰ぐ。


 客室の天井が、まるで沈むように落ちてきているのが見えて、


「しゃァらァく、せェ――ッ!!」


「きゃ、ぁ――!?」


「あの馬鹿!!」


 天井が音を立てて破けた瞬間、スバルたちは一斉に部屋の扉へ殺到する。

 聞こえた声に悪態をつきながら、切断された扉を飛ぶように五人が抜けた直後、客室の天井が部屋の全域を押し潰し、家具や木材がへし折れる悲痛な音が木霊する。


 爆音めいた音と暴風が吹き荒れて、余波が部屋の外の廊下に押し流されてくる。

 白い噴煙が上がり、口の中に砂利っぽい埃を噛みながら、スバルは廊下を転がるようにしてその場から退避。かろうじて、崩落に巻き込まれた味方はいないようだ。

 そして煙の向こうからは、


「つまらねェ真似すんじゃァねェよ! そらァ、きりきり舞えやァ!」


 聞き慣れた乱暴な声が興奮気味に叫ぶ。

 声には打撃の音と、鋼と鋼が打ち合う音が付随し、やがて噴煙をたなびかせて吹き飛ぶ影が廊下へと転がり込んできた。


「お、わ!?」


 その転がる影を見て、思わずスバルは驚きの声を上げる。

 それも当然だ。想像していたいずれの姿とも違うそれは、分厚い体毛と鋭い爪を手足に備えた四足獣――斑の毛色を持つそれは、ハイエナに似た動物だった。

 ただし、体躯はハイエナの比ではない。スバルの、倍ほどもある巨躯だ。


 一瞬、巨大すぎる獣の出現にスバルは身構えたが、すぐにハイエナの双眸に光がなく、命を失っていることを理解する。見れば首の骨が歪にへし折られ、正しい方向と反対側を向いているではないか。

 何か凄まじい力を持って、頸骨をねじ折られたのは疑うまでもない。

 そして今、この屋敷で獣と敵対し、それをやりそうなものがいるとすれば――、


「よォ、大将。まァだ中にいたッのかよォ」


 煙を蹴り払い、廊下に悠然と姿を現したのはガーフィールだった。

 彼は廊下で呆然とハイエナの死体を見ているスバルたちに気付き、口を開けて笑う。


「ビビんなくたって大丈夫だってんだよォ。そいつァ俺様がぶち殺したかんなァ」


「そっか、それは助かる……じゃねぇよ! お前、何あいつから目ぇ離してんだよ! おかげで死ぬかと思っただろうが! 恐かった! 俺、もう死んじゃうかと思った!」


「悪ィ悪ィ、俺ッ様も逃がすつもりなんざ微塵もなかったんだがよォ。途中で面倒くせェのに絡まれッてる間に、どっか行かれちまってよォ」


「面倒くさいのにって、お前……」


 忌々しげに顔を歪めて、牙を噛み鳴らすガーフィール。

 彼が口にした面倒くさいもの、というのがこのハイエナのような獣だろうか。先の話と総合して、間違いなく魔獣の類であると考えられるが――そのときだ。


「もお! 信じらんない! エルザ! エルザ! 何とかしてよお!」


「そうしたいのは山々だけれど、自分に任せて他をどうにかしなさいと言ったのはそっちではなかったかしら。別に、私は切れるお腹が多いほど嬉しいけど」


 響く女の声、高いものと落ち着き払った二つの声だ。

 直後、ガーフィールが叩き潰した部屋の壁が内側から砕かれて、またしてもたなびく噴煙を抜けて影が廊下へと姿を見せる。

 響く重々しい足音と、軽やかな靴音。二つ――というには、サイズ差がありすぎて躊躇うような光景だ。


「……あれ、何ですかね?」


 ここまで沈黙していたオットーが、耐え切れずに指差して尋ねてくる。

 それを受け、スバルはぶわっと全身を濡らす冷や汗を感じながら、


「俺の見たとこだと、少し大きめのカバっぽく見える」


「少し、ですかね?」


「ああ。もともとカバって、大きい動物だからな」


 もともと大きいカバが、三倍ほど大きくなれば目の前の生き物ぐらいになるだろうか。

 漆黒の肌に、岩のような分厚く固い皮膚。円らな瞳は凶悪な敵意に赤く光り、ロム爺でも一飲みにできそうな大きな口と、石臼のような平たい歯が特徴的な生き物だ。

 パッと見はカバに似ているが、その獰猛さと凶悪さも三倍ぐらいになるだろうか。


 そして、その巨大な威容から発される圧迫感も尋常ではないのだが、


「斑王犬が死んじゃったあ! やられちゃったあ! 可哀想! やだあ! やだあ!」


 甲高い涙声が、その巨大なカバの上からハイエナのような獣の死を悲しんでいる。

 足をばたつかせ、カバの背中に乗っているのは小柄な少女だ。茶色の髪をお下げにした純朴な顔立ちの少女で、無邪気に感情を露わにしている。


 その少女の顔に、スバルは見覚えがあった。


「……魔獣の、森の」


 それは以前、スバルが屋敷を発端としたループに巻き込まれたときのことだ。

 魔獣の森に迷い込んだアーラム村の子どもたちを助けに、森に入ったスバルが最深部へ踏み込むことになった原因。そして何より、子どもたちを魔獣の森へ誘い込むことになった最大の要因の人物。

 騒ぎの終結後、その姿が見えなくなったと、ロズワールから聞かされてはいたが、


「あの子……あのときの!」


 ペトラもまた、スバルが辿り着いた発想に追いついた様子だ。

 スバルだけが気付いたことなら、勘違いか何かで済ませられたかもしれない。しかし、そこにペトラの記憶まで絡んでくるのならば認める他にない。


 少女は、魔獣騒ぎの折に関わった人物だ。

 そして今の状況を鑑みるに、あの屋敷を取り巻く魔獣騒ぎすらも――、


「ロズワールの、思惑……!」


 エルザと協同している以上、あの魔獣騒ぎすらもロズワールが招いた出来事か。

 ならば王都でのことも、屋敷でのことも、全てはロズワールの掌の上のこと。スバルの奮闘は全て、黒い預言書によって提示されていた未来だというのか。


「そんな馬鹿な話、受け入れられるかよ……!」


 運命が定まっているなどと願い下げだ。

 少なくとも、ここからは違う。魔獣騒ぎの件もロズワールに問い詰めることとして、あの道化面の横顔を一発、ぶん殴る理由が増えただけだ。


 怒りと反骨心を燃やすスバル。そのスバルの視線に、獣の上の少女がようやく気付く。

 少女はその丸い瞳を瞬きさせ、スバルに向かって手を振ると、


「あ、あのときのお兄さんだあ。ペトラちゃんもいるう。久しぶりい」


「わ、悪びれねぇで話しかけてくんだな。この状況、わかってんのかよ」


 あっけらかんと声をかけてくる少女にスバルは動揺を隠せない。

 そのスバルの警戒心露わな態度に少女は首を傾げ、


「わかってますう、お仕事中ですう。お役目、ちゃんと果たさないとママに叱られちゃうもんね。なのに、エルザったら勝手なんだからあ」


「後詰めなんて退屈なこと、私に命じる方が間違っているわ。獣の餌にされるより、私の方がずっと鮮やかに命を楽しめるもの。殺される方も私の方がいいわ、ねえ?」


 拗ねたような少女の物言いに、獣の隣へと歩み出たエルザが水をこちらへ向ける。

 異常者の言い分にスバルは吐息をこぼし、それから指を一つ立てた。


「よし、それならお前に最高にクールな提案を一つしてやろう。お前が持ってるナイフを逆手に持ち変えます。それから自分のお腹にぶっ刺します。横に動かします。内臓でろりで俺もハッピーお前もハッピー。切腹チャレンジだ。クールだろ?」


「ぷっ! あはははは! すごいすごい! ね、エルザ、やってみたら? エルザ、内臓大好きじゃない。きっと面白いわあ! 楽しいわあ!」


「生憎だけど、この体質になったときからそれってもうやり飽きているのよね」


 クールすぎる提案がすでに実行済みと聞かされ、クールな怖気が背中を走った。

 いずれにせよ、窮地が目の前に二つあることは間違いない。


「どういう原理かわからねぇが、あの子が魔獣を操ってるって考えていいんだよな?」


「間違いねェだろうよォ。表を囲ってやッがる魔獣も、さっきのでけェ犬ッコロも大人ッしく言うこと聞いてやがらァ。――どうするよ、大将」


 確認を取るスバルに、ガーフィールが作戦の継続内容の是非を問う。

 正直なところ、当初の作戦の状況はかなり大きく動いている。エルザだけに限らず、敵がもう一人――それも、巨大な魔獣を従える魔獣使いだ。

 外の魔獣の存在がある限り、屋敷を穏当に脱出することは困難。何より、スバルたちはまだ要救助者の全員の手を掴めてはいない。


 フレデリカ、ペトラ、レムの三人を外へ連れ出せても、それではまだ足りない。


「ガーフィール……すげぇ無茶なこと頼んでいいか?」


「言ってみてくれや、大将」


「エルザとあの子の足止め、いっぺんにお願いしたい」


「――――」


 押し黙るガーフィールに、スバルはあまりにも無茶な要求をした自覚がある。

 エルザという戦力だけを見ても、普通にやり合うにはこれ以上ない難敵なのだ。それを止めつつも、あの巨大な魔獣にも意識を割かなくてはならない。

 魔獣の脅威は、この世界にきて以来、スバルも痛いほど痛感している。

 だから、


「いいぜ。任ッせろよォ。燃えてきたぜ」


「――!? い、いいのかよ。マジで? いける?」


「そのためッの俺様だろッがよォ。さんざッぱらでけェ口叩いてんだぜ。今さら敵が増えようが強かろうが、弱音なんざ吐けるわきゃァねェ。『崖を背負うミデンに逃げ場なし』ってェやつだぜ」


 背水の陣的な格言を言ってのけ、ガーフィールが両手の盾を打ち合わせる。

 それが強がりに類推するもので、圧倒的な自信に裏打ちされたものでないことはスバルにだってはっきりとわかっている。

 それでも今、頼めるのはガーフィールをおいて他にはいない。


「ガーフィール。竜車の中で何回も言ったけど……」


「わァってらァ。俺様だって、こんなッとこで死にッさらすつもりァねェよ」


 念押ししようとするスバルを遮り、ガーフィールは肩でこちらを押してくる。

 これ以上、言葉を交わす必要はないと態度で示すガーフィール。


 重ねても覚悟への無粋だと、スバルは言葉を呑み込んで肩を押し返した。

 それだけで、キツイ信頼を彼へと押し付ける。


「おォら、とっとと行っちまえ。邪魔がいッたら、本気が出せねェ」


 まだ残る他の面子に向けて、ガーフィールが牙を剥いて悪態をついた。

 それを受け、オットーやフレデリカは顔を見合わせると、


「ガーフィール、死なないでくださいよ。僕ぁ一人でナツキさんの尻拭いに走り回るのはごめんですからね」


「話し足りないことばかりですもの。いいですわね。必ず、お婆様と三人で」


「か、顔の恐いお兄ちゃん、頑張って」


 三人の言葉に、ガーフィールは苦笑しながら頷いた。

 なんだか死亡フラグを積み重ねた会話のようにスバルは感じたが、逆にこれだけ重ねておけば安心の生存フラグ、そう割り切って希望に縋ることにする。


「つーわけで、てめェらの相手は引き続き俺様だ。今度ァよそ見も浮気もさせねェ。俺様の爪と牙と盾で、ぶッ潰されッて泣いちまえ!」


 足音を立てて振り返り、咆哮するガーフィール。

 その裂帛の気合いを正面から浴びて、エルザは微笑み、少女のまたがる獣は喉を震わせて低い雄叫びを上げる。


「メィリィ。今度は邪魔をしないでちょうだいね」


「それはエルザの方でしょお! 私、ママの言いつけ通りにしてるだけなのにい!」


 仲違いをしながら、エルザと少女が咆哮するガーフィールへと攻撃を向ける。

 踏ん張るガーフィールが両の盾で重い一撃と鋭い一撃を受け止め、火花が飛び散るのを見届けて、スバルは全力で後ろに向かって走り出した。


「オットー! フレデリカ! 状況は変わった! 適当なとっから屋敷の外に出れない以上、魔獣に齧られないように別の道から逃げる!」


「別のって言っても、裏の勝手口から出ても結果は一緒でしょう? ガーフィールの武力押しもできないってんなら、どうするんですか?」


「お前が魔獣相手に『言霊の加護』で必死のネゴシエーションして、外交手段で道を譲ってもらいながら脱出ってのはどうだ? 主役回だぜ」


「魔獣って大抵、『オレ、オマエ、マルカジリ』としか言わないから会話にならないんですよねえ……!」


 期待薄だった提案に、隣に並ぶオットーが情けない顔で応じる。

 言葉が交わせても、根本的にコミュニケーションの通じない相手というのはやはりいるものなのだ。それは人間でも動物でも変わらないらしい。エルザがいい証拠だ。

 そうなると、スバルが思いつく逃げ道は一つだけであり――、


「スバル様。私に一つ、逃走路の心当たりが」


「わかってる、フレデリカ。多分、俺から提案する場所も同じ場所だ。ただ……」


 その道には問題がある。

 それを指摘しようとして、スバルは廊下を駆け抜けながら息を呑んだ。


「どこから逃げるにせよ、一筋縄じゃいかない臭ぇな、クソ!」


 ――正面から、二匹のハイエナがこちらに気付いて飛びかかってくる。



 ロズワール邸攻防戦はキャストを変え、なおも激戦の様相を呈していた。



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