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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第四章 『永遠の契約』
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第四章117 『らぶれたー』


 ガーフィールとの確執も決着し、彼の衝撃的な実年齢が発覚して一段落の墓所前。

 過去と向き合う『試練』を克服し、スバルたちとのわだかまりにも終止符を打ったガーフィールを囲み、全員が顔を突き合わせて話し合いの機会を持っていた。


「しかし……男と男の決着が、よってたかって中坊を袋叩きにしてたって絵面になるとまた見え方が変わってくんな。そこんとこ、どうよ」


「いえ、ガーフィールの実年齢には僕もビックリしましたけど、そんな穿った見方することはないでしょう。全員が力合わせて袋叩きにしなきゃ倒せなかった相手が、実は十四歳だったというだけで、内容にはこれといって影響はありませんよ」


「そうよ。ガーフは十四なんて乳臭いガキのわりには笑い話じゃ済まないぐらい力を持ってたわけだし、ラムたちが袋叩きにしたことをどうこうされる謂れはないわ」


「てめェら揃って袋叩き袋叩きうるッせェんだよ! 上等だ、再戦すッかァ? おォ? 俺様いつでも相手になってッやんぞ!」


 スバル、オットー、ラムが顔を突き合わせて頷くのにガーフィールが唾を飛ばす。

 実際、彼のこれまでの言動や行動を振り返り、こうして我を張って声を上げる姿を目にしていると、なるほど十四歳という事実もすんなり頷けた。

 というよりむしろ、これまで彼を同年代と扱っていたことが、かえって事態を紐解くのにフィルターをかけていたことも否めない。


「つーか、それだとお前が前に墓所に入って『試練』受けたのって何歳のときだ? そのときから意固地をこじらせてたってことだろ」


「正確に覚えてるわけじゃァねェが……たぶん、三つか四つんときだ。『試練』のこと以外で、まッともに覚えてることなんざァありゃしねェがなァ」


「そりゃまそうでしょうねえ。三歳か四歳って……僕がまだ世界を地獄だと思ってた頃じゃないですか」


「お前はお前で急に何を重たいこと言い出してんだよ、やめろ。掘り下げたくねぇ」


 ガーフィールの述懐に、オットーが陰のある笑みを浮かべる。

 オットーはオットーで色々と抱えているのだろうが、それを今から掘り返して究明するのはさすがにキャパシティオーバーだ。今でさえ、すでにスバルの両手は抱えきれない荷物で埋まっていて、頭の上や膝まで使って無理くり支えているような状態なのに。


「それで、詳しい話を聞いても大丈夫?」


 ひとしきり、軽口めいたやり取りを終えると、緊張した顔でエミリアが口火を切る。

 彼女の視線が向くのはガーフィールで、問いの真意は当然『墓所の試練について』だろう。ただ、そのことについてガーフィールは鼻を鳴らし、


「詳しい話ッつったってなァ。俺様とあんたとじゃ見える過去も乗り越え方もきっと違ェぜ? 参考になる話ができるたァ思えねェ」


「ううん、それはわかってる。私の『試練』は私のものだもの。ガーフィールに聞いてもどうにもならないわ」


「――? それなら、いったい何が聞きたいッてんだ」


「中の『試練』を乗り越えて……いいえ、過去を乗り越えて、変わったって思える? 変わった自分を、受け入れられてる?」


「…………」


 エミリアの問いかけに、ガーフィールは目を細めて押し黙った。

 わずかに空気の張り詰める気配に、見守るスバルたちも息を呑んで答えを待つ。


 しばしの沈黙。ガーフィールは自分の鼻先に触れて、それから指で額の白い傷跡をなぞる。指を歩かせるような仕草で、額を縦に走る傷をなぞり終えると、


「これを変わったッてェ言うべきなのか、取り戻したって言うべきなのか、俺様にもはっきりとしたこたァわかんねェけどなァ」


「うん」


「俺様のデコの傷ァ、俺様が自分で付けたもんだ。嫌な思い出を消すためにな」


 指で自分の額を弾き、ガーフィールは視線を隣へ――横座りに自分を見ているラムの方へ視線を向ける。ガーフィールの言葉に、ラムはその薄赤の瞳を瞬かせ、


「ガーフ」


「るせェ、何も言うな。俺様が惨めにならァ。嫌な記憶を隠すために、別の奴に理由をおっかぶせてそれでよしとしてたなんざァな。……相手が知ってて話合わせてくれてたなんて、後で気付いたら余計に最ッ悪の気分になんぜ」


 ぼやくようなガーフィールを、どこか仕方なそうな目で見るラム。

 今の会話の真意はスバルの方にまで伝わってこないが、それが二人の中でのみ通じる内容だったことはぼんやりとわかる。

 ガーフィールとラムとの間で、それこそ家族のような温かく確かな繋がりがあるのも。


「とにッかく、戻ったにせよ変わったにせよ、前と同じでいるつもりァねェ。てめェの手で変えられちまった。そんで、これからてめェらがどう変わるか……口だけじゃァねェってとこ、見せてもらうぜ」


「うん。それならよかった。……その期待にも、応えられるように頑張るわ」


 頬を歪めるガーフィールに、微笑みながらもやる気を見せるエミリア。

 ふと、この二人が実は精神的な部分だけ見ると同年代であることにスバルは思い至る。


 揃って十四歳。

 多感な思春期の年頃の男女に、この場の未来を預けなくてはならない状況。

 スバルとて十八歳目前の十七歳なのだから大きな顔はできないが、何とも漫画的やアニメ的というか、それっぽい事情になったものだ。


「……あんまり長居してても、覚悟が鈍るだけよね」


 言いながら、立ち上がるエミリアが腰についた草を払う。

 深く息を吐き、強い目の光を宿すエミリアが見据えるのは墓所――『試練』の間だ。


「行くか?」


「うん、行くわ。……ガーフィールに続いて、それから追い越してみせる」


「できんのかよォ」


「やるわ。変わること、もう怖がらないことにしたから」


 スバルの問いかけ、ガーフィールの問いかけ、いずれにもエミリアは頷いてみせた。

 スバルも立ち上がり、墓所の前へ歩み出すエミリアの隣に並ぶ。中に入って、隣で手を握っていることはできなくとも、出発のときまでは傍にいようと決めて。


「エミリア様」


 ふと、歩くエミリアを背後からラムが呼んだ。

 立ち止まり、振り返るエミリアの前でラムはお辞儀。スカートの端を摘まみ、厳かに、まるで使用人が目上の相手に対して敬意を払ってみせるように。


「まるでもクソもねぇか。紛れもなく、エミリアたんは主人側だし」


「ぶつくさうるさいわよ、バルス。今はそんな場面じゃない、弁えなさい」


 スバルの呟きにラムが厳しい声で叱責。それから、自分を目を丸くして見ているエミリアに対して、もう一度気を取り直すように頭を下げ直し、


「ご無礼をお許しください。ラムは、エミリア様は立てないのではないかと、本音のところでは思っていました」


「……うん。不甲斐なくて、ごめんね」


「ええ、不甲斐なかったですし、見ていられませんでした」


「おいおい」


 謝罪するエミリアを、これ幸いにとばかりにこき下ろすラム。

 スバルが墓所の中で、エミリアに対してそれを伝えるのにどれだけ勇気が必要だったと思っているのか。人が必死に乗り越えたハードルをあっさり乗り越えるラムに歯噛みしつつ、彼女の言葉の終着点を見守る。


「ですが、エミリア様はお立ちになり、挑むことをお決めになりました。それが挑戦心によるものか、本心では逃避であったかはさほど問題ではなく」


「…………」


「ラムは、決めていました。エミリア様が、『試練』に挑む姿を見せるか見せないか。そこにラムの問題を預けてしまおうと。あなたが諦めの姿勢に逃げるのであれば、ラムも世界の流れに従おう。でも、もしあなたが抗うのであれば――」


 ラムはちらりと、スバルの方を見た。

 彼女の言、区切られたそこにスバルがどう関わってくるのか。そこに、ひょっとすると彼女が今回、スバルたちに組してガーフィールと戦ってくれた答えがあるのか。


「いってらっしゃいませ、エミリア様。無事のお戻りを、お待ちしております」


 粛々とお辞儀するラムは、主を見送る完璧なメイドのあり方だ。

 彼女の送り出す言葉にエミリアは力をもらったように頷き、晴れ晴れしい顔でいる。


 そんな風なエミリアを見て、スバルは腕を組んで頷くと、


「今の流れだけど、オットーもなんか言っとく?」


「なんかすげえやり辛い雰囲気にされたんですけど、これ僕が何か口にしていい場面ですかねえ!? そこんとこどう思います!?」


 おそらくかける言葉を用意していただろうオットーにスバルが話を振るが、どうやら今のラム以上の力ある言葉は準備していなかったらしい。

 場の流れを考慮して、このまま綺麗に終わらせた方が――と彼は思ったようだが、


「はい。どうぞ」


「――っっ!」


 オットーの苦悩も知らず、激励してもらえると思ったエミリアは受け止める準備が万端だ。慌てふためく彼の様子に気付かず、エミリアは緊張の面持ちで言葉を待つ。

 悪気のないエミリアの態度に、オットーはついに観念した顔で額に手を当てた。


「えーとですね、エミリア様」


「はい」


「実は今回の騒ぎで、結構な損害を僕も支払ってまして。いえ、もちろんこれは先行投資という意味を込めて、支払うこと自体は織り込み済みの損害ではあるんですが……」


「えっと?」


 事がお金の話になると、数字に明るくないエミリアは困惑した顔をする。

 その眉を寄せる美貌にオットーは唇を噛み、「つまりですね!」と指を立てた。


「僕はエミリア様が太く大きくなることを見込んで、今回の損を引き受けたわけです。だから、この賭け金が取り戻せるように、成功してもらわなきゃ困りますよ!」


「……私、もう背は伸びないと思うの。お肉は、食べたら付くと思うけど」


「うちの箱入り天使に難解な言い回しすんな。あと、エミリアたんは今のスタイルが黄金比だと思うからそのままでいいよ。今が一番ラブリー」


 頭の先から爪先まで、エミリアは今の状態が一番だと思う。

 もちろん、激太りしても激痩せしても愛せるつもりではあるが。


 ともあれ、そんなスバルの感慨はさておき、オットーは自分の言葉の意図が正しく伝わらなかったことに何とも言えない顔をして手足をばたつかせた後、


「……無事に帰ってきてください。応援してます」


「うん、わかりました。オットーくんも、色々助けてくれてありがとう」


 ひどく無難な形にまとめたオットーに、エミリアは力強い頷きで応えた。

 肩を落とすオットーをガーフィールが慰めるように小突くのを見て、それから改めてスバルとエミリアは墓所の前へ向かう。


 すでに『聖域』には夜の帳が落ち、『試練』は問題なく行われる時間帯だ。

 最後に一度、覚悟を決めるように深呼吸を繰り返すエミリア。彼女を横目に、スバルはどんな言葉をかけて送り出すのが一番か、考えに考える。と、


「ね、スバル」


「ん?」


「墓所の中でのことなんだけど……」


 何か、『試練』に対する不安があるのか。

 スバルはそう考えて、エミリアの言葉の続きを待つ。しかし、なかなか次の言葉を紡ぐことのできないエミリアは、ちらちらと不安そうな顔でスバルを見る。

 その頬は、なぜかわずかに赤らんでいて。


「エミリア?」


「だ、だから、墓所の中でのことなんだけどっ」


「中でのことって……あ、まさかこれからじゃなくて、さっきの話?」


「そうよ。もう」


 当たり前じゃない、と言いたげにエミリアは頬を膨らませるが、今の流れで責められるのはさすがに納得がいかない。

 これから中の『試練』に挑もうというエミリアが、まさか未来のことでなく過去のことを気にするなんて誰が思うものか。未来だの過去だの、中で待ち受ける『試練』が『過去』であることを考えると、時間があやふやになりそうになるが。


 それに、勢いやその後の壮絶な出来事の数々で忘れていたが、今になって思い返せば墓所でスバルがしでかしたことは、我ながら顔から火が出そうになるほどの所業だ。

 エミリアと言い合い、暴言を吐き、ひどく乱暴に愛を突きつけて、噛みつくようにして唇を奪った――溜まりに溜まった五周目の鬱憤が爆発したにしても、言い訳にならない。


 エミリアが気にしているのも、おそらくその出来事のことだろう。

 白い肌に朱が上るのを見るのは快いが、スバルの方にも余裕がないので見惚れている場合ではない。


「中で、その、スバルが私と……その、ね?」


「あ、ああ……うん、そうだね」


「だからその、大変なことになると思うの。でも大事なことだから……『試練』や、他の色んなことが全部片付いてから、ゆっくりお話、ね?」


 すでに頭の中は大変なことになっている、と内心で思いつつも、スバルはエミリアの提案に一も二もなく頷くしかない。

 スバルにとっても初体験、エミリアにとってもきっと初体験。お互いの気持ちをぶつけ合ったわけで、すり合わせなきゃならないことは山ほどにある。スバルの方には言い訳しつつ、どうにかしなきゃならない『レム』という問題もあるのだ。

 それにしても、


「あ、後のこと考えてられるなんて、けっこう余裕があるね、エミリアたん」


「余裕、なのかな。どうだろ。虚勢、張ってるだけかもしれないわよ?」


「でも、虚勢が張れるってことはいっぱいいっぱいじゃないってことだよ。きっとうまくいく。賭けてもいいぜ」


 親指を立てて歯を光らせるスバルに、エミリアが不思議そうに首を傾げる。


「賭けるって、何を?」


「俺とエミリアたんのデート権」


「それって、スバルが勝つとどうなって、私が勝つとどうなるの?」


「俺が勝つとエミリアたんとデートできて、エミリアたんが勝つと俺とデートできる」


 スバルの軽口にエミリアが噴き出し、少しの間だけ笑い合う。

 どうやら本当に、エミリアの中に緊張や不安はないようで。


「私は、私が『試練』を乗り越えられる方に賭ける」


「じゃ、俺はエミリアが『試練』を乗り越えられる方に賭けよう」


「どっちも勝ったら?」


「デート二回」


「はいはい」


 いつものように、エミリアがスバルの口説き文句を聞き流す。

 するりと、前に出るエミリア。彼女の銀髪が風になびき、星明りにきらめくのを見送って、スバルは手を上げた。


「行ってらっしゃい。車と、男に気を付けてね」


「バカ言わないの」


 苦笑して、エミリアの姿が墓所の中へと消えていく。

 光源のない石造りの通路は、呑み込んだエミリアをすぐに闇の中へ押し隠し、スバルの視界から彼女を奪い取っていってしまう。


 これでもう、スバルからエミリアにしてやれることは何もない。

 後のことは全て、エミリアが自分自身で突破しなくてはならない問題だ。


「そう不安そうな面ァすんじゃねェよ、大将。男が下がるぜ」


「お前のその独特な言い回しも、中二って思うとなんかすんなり受け入れられんなぁ。俺にもお前みたいな頃があったわ」


 エミリアを見送って落ち着かないスバルを、すぐ横にやってきたガーフィールがたしなめる。彼の言葉に肩をすくめると、それからガーフィールは思い出したように手を打って、


「そういや、大将。ケンカんときに、大将が俺様をブッ飛ばしたアレ、なんだった?」


「インビジブル・プロヴィデンスのことか?」


「いん……なんだって?」


「インビジブル・プロヴィデンスだよ。『不可視なる神の意思』だ。かっこいいだろ」


「あァ、メチャクチャかっこいいな」


 スバルの言葉に意気投合するガーフィール。

 さすがに『見えざる手』ではあまりにも風聞が悪いので、今後はインビジブル・プロヴィデンスで通したいところだ。ともあれ、ガーフィールが聞きたいのは技の名前ばかりではないだろう。


「魔法……たァ違ェよな。なんとッなくだけど、雰囲気が違った」


「あえて大別すんなら、俺にもアレが何なのかはわからねぇよ。ただ、外法なのは間違いねぇ。真似しようとしても無理だぜ」


「しねェよ。見えねェとこからぶん殴るなんて卑怯臭ェ」


「ひ、卑怯だとこの野郎……!」


 インビジブル・プロヴィデンスの凄さをわかり合ったつもりだったのに、まさかの梯子外しにスバルは憤慨する。

 そのスバルの答えにガーフィールは「悪ィ悪ィ」と反省のない顔で応じて、それきり突っ込んだ話をしようとはしてこない。おそらく、勘付いたのだろう。外法としたこれが、人の身で踏み込んでいい領域の代物でないことに。


「……にしても、何の因果なんだかな」


 インビジブル・プロヴィデンス――これは間違いなく、ペテルギウスの『見えざる手』だ。威力には差があり、出せた腕も一本きりではあったが、感覚は正しくそれだ。

 どうしてスバルの身に忌まわしき狂人と同じ力が宿ったのか。その答えは、エキドナが口にしていた『魔女因子』とやらと関係があるのではないか。


 魔女因子、字面からして碌なものではないが、確かペテルギウスも同じ単語を口にしていた記憶がある。そして、スバルが『見えざる手』らしきものを使用したのは、先の戦いが初めてのことでもない。以前のループでも、大虎と化したガーフィールの突進を回避するために一度、無意識に使用した感覚があった。


 つまり魔女因子は、スバルの中に着々と根を張っている。

 シャマクの使用は、もうできなくなった自覚がスバルにはあった。度重なるゲートの酷使により、損耗していた魔力の門はその機能を完全に消失。元からないようなものだった魔法的な世界との繋がりは、今やもう何も感じることができない。


 憧れの魔法の力を失って、代わりに現出したのが外法の力とは皮肉な話だ。

 ただ、それでも――。


「切り札めいたもんがからっけつになるよりはマシってことか。使い道、微妙にあるようなないような……」


 いずれにせよ、戦う手段に乏しいことに変化はない。

 小賢しい頭をひねりにひねって、周りの手を借りながら死中に活路を見出す。

 スバルが挑むべき世界の壁の高さは、依然変わらず高みにあり続ける。


「あァー、そういやよォ、大将」


「なんだ。つか、その大将って呼び方慣れねぇんだけど」


「じきに馴染むッだろが。そんなッことより、謝らなきゃなんねェことがあってよォ」


 呼び方の改めは受け入れないが、殊勝な態度で上目遣いにしてくるガーフィール。先のエミリアもそうだったが、次々と言いたいことが出てくるなとスバルは苦笑。

 肩をすくめてガーフィールの言葉の先を促すと、彼は額の傷跡をなぞり、


「俺様、中に入ったじゃァねェか。だから、『試練』の間に入ったわけなんだがよォ」


「おお、そうだよな」


「だァから、見ちまった。――大将がその、なんだ。必死こいた結果を」


 言いづらそうなガーフィールの言葉にスバルは一瞬だけ眉を寄せたが、それから彼の言葉が何を示しているのかに気付き、すぐに目を見開いた。

 そして、驚いたスバルの耳が真っ赤に染まる。


 見られた。見られた見られた、見られた!


「わ、悪気ァなかったんだぜ? でもまッさか、あんなことなってるたァ……」


「う、うるせぇ! 忘れろ! おま、しまった……忘れてたぁ! だって……だって、お前が墓所に入る流れとか想像してなかったから! そりゃああなって……ああ、クソ!」


 頭を抱えて、スバルは熱くなる顔をぶんぶんと振る。

 それを不憫そうな目で見ているガーフィールが今は恨めしい。ひょっとすると、殴り合いをしていたそのときよりも今はその顔が憎たらしい。


「忘れろぉ! 俺はそれ以上は求めねぇ! はい、話終わり! 以上!」


「あァ、わかった。……ッけど、アレ見たときに思ったぜ。大将はどうやら底ッ無しの大馬鹿野郎だが……死なさなくてよかったってよォ」


「終わりだっつってんだろ、話わからないガキか!? あ! ガキだった!」


 ガキ呼ばわりされても、弱味を握っているだけガーフィールの方が優勢だ。スバルの負け惜しみのような叫びを彼は笑い飛ばし、それから墓所の階段を下る。

 広場で待つ皆の下へ戻る背中を追い、スバルはエミリアの幸運を祈りつつ、自分がやった『エール』にエミリアがいっそ気付かなければいいと思う。


 あの手のものは、最初に当人に届かなければ素になってしまうものだから。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 そして、そんなスバルの祈りはむなしく届かない。


「ついた……」


 石造りの通路を抜けて、『試練』が行われる小部屋へ辿り着いたエミリア。

 暗く湿った空気の中、エミリアはかすかに発光する壁を頼りに歩き、小部屋の奥にある扉に視線を向ける。閉め切られた石扉は、『試練』が突破されたときに開く仕組みなのだろう。ガーフィールはアレをくぐらず戻ってきた。ならば、自分は。


「頑張って、あの奥にいかなくちゃ」


 奥で、何が待ち受けているのかはわからない。

 ただ、『試練』が一つでは終わらず、複数あることは『魔女』の口から伝えられていた。


 『試練』を展開する魔女のことを思い浮かべると、エミリアの胸には痛痒な感覚が広がる。それというのも、あの白い魔女がエミリアに対して――。


「あれ……?」


 考え事をしていたエミリアは、頼りなく視線をさまよわせている内に小部屋の違和感に気付いた。

 墓所の中で膝を抱えて夜を待っていた間、エミリアがいたのは通路の中ほどまでであり、この小部屋にまでは踏み入っていなかった。故に、エミリアがこの小部屋の様子をその目にするのは、昨日を一日飛んで一昨日ぶり。

 たった二日のことだが、その間に何かが変化している。

 そしてその何かがなんであるのか考える内、エミリアは違和感の答えに辿り着いた。


「これって……」


 指先が触れていた壁を確かめて、エミリアは呟きを口にする。

 闇に慣れ始めた紫紺の瞳が、暗がりの中にその変化をはっきりと描き出した。

 それは――。


「……スバルの、バカ」


 思わず、笑みを含んだ口調でエミリアはそんなことを言ってしまう。

 だってそうだ。これを見たら、そんな風に思って、そう言わずにはいられない。


「ホントに、バカなんだから」


 言葉の内容とは裏腹に、それを口にするエミリアの表情は柔らかで慈しみに満ちている。触れた壁、そして目の前の壁、小部屋の一面の壁に生じた変化。


 ――刻まれているのだ。絵が、文字が、壁を削って大きく大きく歪な形に。


 描かれている大きな猫は、デフォルメされたものを何度も見たパックの絵だ。いくつものパックの絵が壁の一面に刻まれて、そしてそれを取り囲むように文字がある。

 汚い、子どもが書き散らしたようなイ文字は、間違いなくあの少年がエミリアの為を思って懸命になってくれた証拠で。


『がんばれ、お前ならできる』『俺やパックも応援してる、大丈夫』『俺の好きな女の子はすごい! だから自信を持って!』『これが終わったらデートしよう、デート!』『やってやろうぜ、エミリア』『誰も俺たちに期待してねぇ。これほど、ひっくり返して面白ぇ状況が他にあるかよ?』『大好きだから、信じてる!』


「バカ……バカ、バカ、バカ……スバルの、アンポンタン」


 これから『試練』に挑まなくちゃならないのに、辛くて苦しい思い出が待ち構えているのに、応援するふりをして泣かそうとするなんてひどい人だ。


 今、わかった。

 わかったことがあった。


 エミリアがここにくるのは一昨日ぶり。この絵も文字も、刻むチャンスは一日だけ。

 スバルに時間が許されていて、エミリアの傍を離れたことがあって、そしてその間に何をしていたのか、頑と語ろうとしなかったのも、その時間だけ。


「――うん。そうよね。やってやりましょう、スバル」


 愛おしむように文字に指で触れて、刻まれた言葉にエミリアは応じる。

 次の瞬間、意識がまどろみに引っ張られる感覚と、世界の輪郭がぼやける気配。


 『試練』がくる。

 あれだけ恐れた過去が、やってくる。


 ――なのに、エミリアの唇は、微笑をたたえたままだった。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「約束破ってラブレター書いてて、しかもそれを先に別の奴に見られたとか……もうおしまいだぁ……」


「大袈裟だよなァ……」


 なかなかショックから立ち直れないスバルを囲んで、ガーフィールたちは思い思いに呆れの顔をしている。

 とはいえ、一団はこのままエミリアが出てくるまで待つ他にない。信じて待つといえば聞こえはいいが、それ以外ができない待つ側にも試練の時間だった。


「ガーフィールのときは一時間かかったかどうかだから……エミリアも同じぐらいだけかかるって見といた方がいいか」


「成功した場合は、そうですねえ……いだっ!? そしてあだっ!?」


 無神経に口を挟んだオットーが、失言の報いをラムの肘で受ける。そしてラムに突っ込まれたオットーを見て、嫉妬心に頬が歪むガーフィールがデコピンをお見舞い。

 のけ反るオットーが地面を転がるが、誰もそれには言及せずに、


「そういや、ガーフィールとリューズさんに聞きたいことがあったんだ」


「儂とガー坊に、聞きたいこと?」


 居心地悪そうに佇むリューズが、スバルの言葉に顔を上げる。

 朝から行方をくらまし、図らずもリューズはガーフィールを打倒するスバルたちの企てに協力したような形だ。彼女なりにガーフィールとどう接すればいいのか戸惑いは残っている様子で、先ほどから祖母と孫の会話はどこかぎこちない。

 もっとも、気にしているのはリューズの方ばかりで、過去を振り切った点も含めてガーフィールは彼女に悪感情など微塵も抱いていない様子なのだが。


「そう。聞きたいこと。っつっても、これって今のリューズさんに聞いてもわかる内容かちょっと難しいんだけどさ」


 今の、というのはθに聞いてわかるだろうかという意味だ。

 α、β、θ、Σと四人の統合存在である『聖域』の代表者リューズ。ガーフィールの問題の解決と共に、リューズの抱いていた『聖域』の解放への賛成反対の問題も一緒くたに解決したように思いたいが、意思確認は必要だ。

 何より、腑に落ちない点もいくらか残っている。


「ガーフィールは、今は『聖域』の解放に賛成なんだよな?」


「大将、賛成ってなァまたちっと違うぜ。俺様ァ、大将たちに負けた。だッから、『聖域』を解放しようって大将たちの行動の邪魔ァしねェ。その結果、変わる『聖域』のみんなを苦しませねェように動く……ってのが、今の俺様の立ち位置だ」


「そう、そのスタンスだよ」


「あァ?」


 指を立てて、スバルはガーフィールの主張にストップをかける。

 不思議そうな顔をするガーフィールと、話を聞いていた周りの面々。誰も、彼の発言に違和感を覚えていないのだろうか。スバルの方が不安になる。


「そもそもお前、俺たちがこの『聖域』に最初にきたとき、立ち位置的には賛成でも反対でもない中立みたいな……今と同じようなこと言ってたよな?」


「……あんときァ、俺様がどっち寄りってわかりゃァ大将たちに警戒されっと思ってたからだよ」


「でも、すぐに警戒露わになった。俺らがドジ踏んだっつか、まさしく虎の尾を踏んだってのかもしれねぇけど、あの心境の変化はなんだったんだ?」


 不思議でならないのだ。

 ガーフィールは少なくとも、エミリアが『試練』を受ける初日。『試練』を受ける前後まではスバルたちに対し、表向きは友好的に接していたはずだ。

 そのガーフィールが敵意を露わにするのは、決まって『試練』失敗の夜。スバルの体から漂う魔女の瘴気を理由に、ガーフィールは敵対を宣言する。


 ただ、ガーフィールの鼻が本当のところ、スバルの体から魔女の瘴気とやらを嗅ぎ取ることができていないのはすでに証明されている。スバルを取り巻く瘴気に気付くのは別の人間で、ガーフィールはあくまでそれを聞かされて敵対を選ぶのだ。


 そして、ガーフィールに瘴気のことを告げ、敵対をさせるのが――。


「『聖域』の解放に反対するリューズさんなんだと、俺は睨んでたわけだが」


「…………」


 黙り込んでいるリューズを見下ろし、スバルは組んだ腕の上で指を立てる。

 この場にいるリューズはθ――つまりスバルの認識からすれば、『聖域』の解放に反対していた唯一のリューズの複製体のはずだ。

 αとβが賛成派であり、Σが中立であった以上、θは『試練』の中で本物のリューズ・メイエルの過去を知り、『聖域』の解放を危険視した存在。今の推論を裏付けるのであれば、ガーフィールの心変わりを促すのはθ以外には考え難いが。


 そのスバルの推論を聞いて、ガーフィールは渋い顔で頷いた。


「大将の言う通りだ。俺様ァ婆ちゃんに言われて……」

「それはスー坊の考え違いじゃ。儂はガー坊にそんなこと……」


 応じようとした声が重なり、しかしそれは揃って相反する意見を論じようとした。

 困惑に眉を寄せるスバルの前で、ガーフィールとリューズが顔を見合わせる。ガーフィールは口をパクパクとさせ、唖然としているリューズを指差した。


「な、なァにを言ってやがんだ。ババアが俺様に、あの姉ちゃんが『試練』を受けた最初の夜に言ったんじゃァねェか。大将から魔女の臭いがする。半魔の姉ちゃんも揃って、あの二人は魔女の使いなんじゃァねェかって……だァから、俺様ァ」


「そんな話を、儂が……? いや、確かに儂はスー坊を取り巻く瘴気には気付いておったし、エミリア様の出自に思うところがないではないが……それとこれとは話が別じゃ。儂はあくまで、ロズ坊の敷いた筋書きを辿った上で判断しようと……」


「待て! 待て、ストップだ! 今、リューズさんは言ったな。知らないって」


 ガーフィールの言葉に否定で応じるリューズ。

 ガーフィールはそれを信じ難いものであるような顔をしているが、リューズの言葉はリューズの口から語られた以上、事実なのだ。


 この『聖域』の住人は、『聖域』の内側では『嘘を付けない』契約なのだから。


「本人が嘘と認識してない場合は別として、少なくともリューズさんは自分の行動に対して『やってない』って断言するなら嘘にはならない」


「ッけど、俺様は確かに!」


「お前を疑うわけじゃねぇよ。……お前に、嘘がつけるって事実は呑み込んでだ。リューズさん。今の発言は、リューズさんの総意だな?」


 スバルの確かめる言葉に、リューズは顔色を蒼白にしながら頷いてみせる。

 これを肯定するということは、リューズのα・β・θ・Σに関わらず、ガーフィールに心変わりを訴えかけたのは『リューズ』ではないということだ。

 だが、ガーフィールは自分の心変わりを促したのは『リューズ』だと断言する。


「――――」


 顔を上げ、スバルはガーフィールの顔を見る。

 歯を噛み合わせて音を鳴らし、首を横に振るガーフィールの形相に嘘の色は見えない。そもそも、嘘をつくのに向いていない性格だ。

 形作っていた『聖域の結界』というメッキが剥がれた今、それはより顕著に。


「ラム」


「……言っておくけど、姿を変えるような魔法は存在しないわよ。ロズワール様であろうと、そんな行いはできはしないわ」


「じゃぁ、これをどういうことだと考える?」


 スバルの問いかけにラムの答えはない。

 彼女にも、この矛盾の答えはわからないのだ。ただ、スバルはこれが『ロズワールの敷いた罠』であると半ば確信している。というより、他に選択肢がない。


「エミリアが出てくるのを、ここで待ちたいんだけどな……」


 エミリアが墓所に入ってほんの十分。『試練』を彼女が乗り越えて出てくるのを、スバルは両手を広げて一番に出迎えたい。祝福したい。

 だけど――。


「ロズワールを問い詰めよう。あいつが往生際悪く何をしてるか、確かめなきゃならねぇ」



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――夢の世界で目覚めることを、意識の覚醒と呼んでいいものかエミリアにはわからない。


 先ほどまでいたはずの石造りの小部屋。『試練』の間から解放されたエミリアの体は、今は懐かしの森の中にあった。

 背の高い木々に周囲を囲まれて、清涼な風と温かな大地を靴裏に感じる。


 フラッシュバックする記憶の数々。

 『試練』の時間が経過することで見ることになる、白い森の雪景色。


 まだ、その光景は始まっていない。

 森に雪は降らず、緑は柔らかに意識だけのエミリアの帰還を歓迎してくれていた。


 そして、


「やあ。ここ数日は本当に千客万来だね」


 息をひそめて、自分の居場所を確かめるエミリアにその声は届いた。

 エミリアの来訪により、夢の世界は形作られる。それまで存在すらしていなかったはずの記憶の景色の中、まるでそこにいるのが当たり前のように木陰に佇む人物だ。


 上から下まで黒一色の装束に、頭髪と肌は雪を散らしたように真白の少女。

 たった二色の色で、この上ないほど明快に美を探究したような麗しの魔女。


 『試練』を司り、エミリアに過去を見せる墓所の主――『強欲の魔女』エキドナだ。


 魔女は寄り添っていた木の幹を頼りに立ち上がり、エミリアに首を傾ける。

 エミリアも正面から魔女を見つめ返し、息を呑んだ。


「本当に、千客万来だ。歓迎すべき客人も――そうでない、招かれざる客人も」


「…………」


「あれだけの醜態をさらして、よくもまあおめおめと顔を出せたものだね。その厚顔さと諦めの悪さには、さしもの『ボク』も驚かされるよ」


 エミリアを見つめる魔女は、悪意と侮蔑を混ぜ込んだ言葉を容赦なく叩きつける。

 冷たく凍えた黒瞳は、エミリアを常に優しく見つめる黒瞳とは似ても似つかない。これまでに数多の悪意を、理不尽に浴びてきたエミリアだからわかる。


 これは、エミリアの知る数々の悪意とは全く次元の異なる悪意だ。

 これまでにエミリアが受けてきた悪意は、『銀髪のハーフエルフ』という実態を伴わない偶像に対して向けられる、謂れのない刃であった。

 だが、この魔女が向けてくる悪意はそれとは違う。


 これは『銀髪のハーフエルフ』ではなく、『エミリア』に向けられる絶対の敵意だ。


「挫折して泣きじゃくっても、抱いてくれる男に媚びればそれでよしとする淫売め。何度も何度も、『ボク』だけの世界を汚す冒涜者め。幾度も幾度も、彼に許される自分を愛する恥知らずの背徳者め。――どうか言ったらどうだい、魔女の娘」


「…………」


 詰る言葉の暴力に、先日までのエミリアは心を掻き乱された。

 これだけの悪意に膝を屈して『試練』を諦めたわけではないが、これを皮切りに心の摩耗が始まり、過去に対する抵抗力を削られたことは間違いない。

 魔女は、エミリアが『試練』を受けることも、乗り越えることも望んでいない。

 魔女はエミリアが『試練』を乗り越えることなど、期待していない。


『誰も俺たちに期待してねぇ。これほど、ひっくり返して面白ぇ状況が他にあるかよ?』


 なるほど、まったくもってスバルの言う通りだ。


 だからエミリアは手を上げて、指を天に突きつけた。

 啖呵を切るとき、心の内側にある勇気を奮い立たせるとき、ナツキ・スバルがするように。


「私の名前はただのエミリア。エリオール大森林で生まれた、氷結の魔女」


 エミリアが名乗ると、魔女が鼻白んだのがわかった。

 それを小気味よく思いながら、エミリアは天を射抜いた指を魔女に突きつける。


「同じ魔女の悪意になんて屈してあげない。私、面倒臭い女だもの」




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このエキドナはなんでエミリアに対して『ボク』の仮面を被る必要があるんだろうな
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