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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第三章 『再来の王都』
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第三章66 『――戦え』

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ゆらゆら、ゆらゆらと、水の中を漂っているような感覚が全身にあった。


 暗い、どこまでも暗い世界だ。

 光源は見当たらず、上下左右もわからない。体がなにかに触れている感覚もなく、それ以前に自分の手足、目や耳などの感覚器官の働きも感じられなかった。


 意識すらおぼろげで、思考は定まらない。

 ここはどこだろうだとか、自分はなんなのだろうだとか、どうしてこんな風になっているのだろうだとか、取りとめのない思考だけがふわふわと溢れている。


『――してる』


 ふいに、誰かの声が漆黒の中からこちらへ届いた。

 震える鼓膜のない耳に、どうしてか届いたそれは音ではなく、意識だ。こちらの思考をダイレクトに震わせたそれを聞き、声の主の見当たらない中で意識をめぐらせる。


『――いしてる』


 それはひどく儚げで、聞くものの心を切なさで締めつけるような響きだった。

 故に、それを聞く自分の心も痛いほどに苦しいほどに締めつけられる。だが、その感覚はどこか懐かしい安堵感を伴っていて、涙がこぼれそうな愛おしさを想起させてやまないのだ。


 指があれば、声の主に伸ばしたい。

 口があれば、声の主の名前を呼びたい。

 腕があれば、声の主を抱きしめてしまいたい。

 足があれば、声の主の傍へ駆け寄っていきたい。

 体があれば、声の主を決して離したりしないで済むのに。


 今、この場の自分にはそのなにもかもが許されなくて、それがひどく悲しい、苛立たしい、苦しくて悔しくて、無念でならない。


『――愛してる』


 同じ気持ちだ。

 はっきりと、形を為した言葉が感情を叩くように震わせ、存在しない口が声高に感情の爆発を叫び出す。

 同じ気持ちだ。いや、それ以上の気持ちだ。与えられた温かさをどれほど積み重ねたとしても、この身を焦がすような相手への想いにはきっと及ばない。

 同じことを相手が思ってくれていたとしても、それでもこちらの方が大きい。


 競い合うように愛おしさは加速し、なのにそれを届けるべき相手だけがいない。

 膨れ上がる感情が、溢れ出す愛おしさが、留まらない罪を浮かび上がらせる。


 ――悲しみの涙を拭うことのできない怠惰が。


 ――溶け合いたい、ひとつになりたい色欲が。


 ――食らい尽くして、奪い尽くしたい暴食が。


 ――愛して求めて欲して全てを得たい強欲が。


 ――それを許さない理不尽な世界への憤怒が。


 ――彼女以外の全てを蔑にしてしまう傲慢が。


 黒で染め上げられていた空間が、膨大な愛で塗り潰されていく。

 心が震える。魂が叫んでいる。形を失った己という存在自体が求めていた。

 全てを差し出して、なにもかもをさらけ出して、この虚空へ掻き消えてしまいたい。それができるならば――。


『本当に?』


 ふいに、呼びかけはその色を変えてこちらの心を揺さぶってきた。

 覚悟を問う言葉。今の感情をそのまま形にすることを、肯定するか問う言葉。


 当然だと、当たり前だと、なにを躊躇うことがあるものかと、そう思う。

 思うのに、なにかが違う。なにかが引っかかる。なにかが心を指し止めた。

 戸惑いがある。躊躇いがある。困惑する。いったい、なにがこれほど――。


『終われるの?』


 ――終われる、はずがない。


 問いかけに、なぜか即座に答えが出た。


 始まりも終わりも、見ていたものも求めていたことも、なにもかもわからない。

 わからないことだらけで、わからないことしかないのに、わからないままでいることを受け入れることだけは感情が拒絶した。


 終われない。終われるはずがない。終わっていない。終わりになんかしない。


『どうしたい?』


 どうにかしたい。どうにかしてみせる。どうにかするのが、自分の――。


「俺の、やるべきことなんだから」


 声が出た。

 気付けば地に足がついている。手足の感覚があり、自分をはっきり理解できた。

 置き去りにしてきたものは今もわからない。だけれど、どこかへ走り出していかなくてはならないことが、駆けつけなくてはならない場所があるのがわかる。


『まだ、会えない』


「わかってる」


 なにもわからない。けれど、それはわかっている。

 指を伸ばしたくなる衝動を抑えつけて、声に背を向けて走り出す。

 一度足を止めれば、きっともう走り出せないほどの未練が圧し掛かっている。だから振り返らない。意識も向けない。置き去りにして、置いてけぼりにして、遠ざかって遠ざかって――でも、いつか必ずその手を取る。


『――愛してる』


 声が遠くなり、世界が剥がれ落ちるように崩壊していく。

 目の前、真っ暗闇の世界にぽつんと、白い光が、漆黒の終わりが見えてきた。


 駆ける、駆ける、駆ける、近づく。そして、そこに到達したとき――、


『スバルくん』


 最後にそう、愛おしい声に名前を呼ばれた気がして、ナツキ・スバルは――。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「――兄ちゃん?」


「あ?」


 ふいに名前を呼ばれ、同時に肩を揺すられる感触。

 乱暴な固い掌に押されるようにして、スバルの意識は現実へと回帰した。


 ――その理解と同時に、スバルの全身を貫いた戦慄は計り知れない。


 ほんの数度の瞬きの時間を置いて、スバルは全てを理解した。

 今、こうして、連続した意識に生まれていた空白――それがすでに何度も味わってきた、死を体感したことによる存在の消失と再誕であることを。

 そして、


「まさ、か……!」


 あれほどの苦労を、あれだけの苦境を、乗り越えた先で命をまたも落とした。

 その結果、スバルはあそこに辿り着くまでに得てきたあらゆる過程を取りこぼして――、


「なんや、兄ちゃん。今、完全に目ぇいっとったで、頼むわ」


 慌てて振り返る眼前、胡乱げな目つきでスバルを見るリカードの犬面がすぐ間近にあった。獣臭い鼻息が顔に浴びせられ、スバルはとっさに、


「ふらんだっす!?」


「あたーっ! なにすんねや!!」


 その鼻先を思わず腕で払いのけ、急に乱暴を働かれたリカードが目を白黒させる。と、リカードの悲鳴に周囲の視線も何事かとこちらへ向けられた。

 その視線の嵐の中には――ユリウスがいる。フェリスがいた。ミミとティビー、討伐隊の面々もおり、なにより、


「疲れが出て参りましたか、スバル殿」


 そう言ってこちらの様子を慮る、ヴィルヘルムの姿があったものだから。


「あぁ……」


 ふっと、抜けるような息が漏れて、スバルは肩の力をそっと抜いて脱力し、今さらながらに自分が地べたに座り込んでいた事実に気付く。

 土の冷たい温度を尻に味わいながら、スバルは地面についた拳を軽く握り、その中に草と土のざらついた感触を確かめると、


「セーブポイント……更新されてたか……」


 九死に一生――それが笑い話にもならない、不幸中の幸いに安堵したのだった。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――周りの面々の話を聞く限り、どうやらスバルが戻ってきたのは白鯨との戦いを終えたあと、ユリウスと合流して始めた魔女教対策会議の最中だったらしい。


 猿でもできる魔女教狩り、について軽く講釈した段階で、彼ら目線からはふいにスバルがどこか別の世界に意識をトリップさせたように見えたらしい。実際、その時点で逆行してきているのだから間違った解釈ではないのだが、ともあれ。


「ペテ公にやられた……ってことで、いいんだよな。いや、よくねぇけど」


 こうして、この場面に戻ってくることができた幸運と、そもそも『死に戻り』させられる羽目になった不運の間でスバルは複雑な表情を浮かべている。

 『死に戻り』したことは不覚以外のなにものでもないが、戻った地点が現在地であることはなによりだった。最悪、戻った先に待つのが再び傷顔の売れない八百屋店主の前である可能性は低くなかった。


「っていうか、思い返すと一回目もオッチャンとこに戻ってた覚えがあんな……なんだよ、どんな因縁があんだよ。この世界はオッサンにセーブポイント的な機能がついてんのか」


 公衆電話であったり、謎のクリスタルであったり、はたまた古いタイプライターであったり、教会の神父に懺悔ついでにであるとか色々とあるものだが。


「そう考えると、オッサンがセーブポイント代わりってのは新感覚だな……リカードもタイプ的に似たようなもんだし、その繋がりでイマココ?」


「さっきからどうしたんや、人の顔じろじろ見腐って。なんぞ、あるんか?」


「なんでも、ねぇよ」


 ふいと顔をそらし、スバルはリカードに今の顔を見られないよう吐息を漏らす。

 漏らし、思考を適当な方向へ走らせて落ち着く時間を取って、自分の拳の抑えられない震えをかろうじて誤魔化せる程度のものに。


 死への恐怖であるとか、落命しながらも再び命を拾うことができた点への安堵であるとか、そういった部分が震えに影響していないわけではない。

 いないわけではないが、スバルの心胆を震わせるのはもっと別の感情――否、激情であった。


 『怠惰』のペテルギウス・ロマネコンティ――その憎き最悪の敵対者に抱く、決して消え去ることのない怒りの激情。

 それこそが今、スバルを内側から堪え切れない震えで燃え上がらせる根幹であった。


「憑依――って、考えるべきだろうな。元の体を捨てて別の相手に乗り移って、それでああやってヴィルヘルムさんとパトラッシュを」


 目の前で、二人――ひとりと一頭の首が惨たらしくねじ切られるのをスバルは見てしまった。その直後、思考が曖昧な状態で自分がなにを考えていたのかはおぼろげだが、そのおぼろげな頭のままで起こした行動の結末はわかっている。


 ヴィルヘルムの死体から宝剣を引き抜き、自らの喉を刺し貫いた。


 老剣士の死に衝撃を受けたのは事実だが、即座に後追い自殺をしてやり直しを望むほど、スバルは自分の命を軽視してもぞんざいに扱ってもいない。

 考えた末に、やり直すことを望んで同じ結果を選んだ可能性はあるだろうが、それでもあの場でもっと思考を働かせてからそれをするはずだ。

 つまり、


「信じたくねぇが……あいつに、俺の中に入られたのか」


 字面で最悪の状況であり、考えただけでも最低の状態であるといえる。

 よりにもよってこの世でもっとも唾棄すべき存在と体を共有し、あまつさえ結果だけ見れば主導権争いに敗れて自害させられているのだから。

 十七年、器と魂として寄り添ってやってきたつもりであるのに、ずいぶんと冷めた間柄であったと思い知らされる。他の魂もホイホイと乗せて、尻軽な体だ。


「あのクソ野郎、ただでさえ最悪な奴だと思ってたが……これでゲージ完全に振り切れたぞ、どうしろっつーんだ」


 顎に手を当て、スバルはペテルギウスのその権能の恐ろしさに息を呑むしかない。

 もし仮に奴が相手を選ばず、好きな相手に憑依して命を永らえられるのだと仮定すれば、それは存在の根絶の不可避を意味してしまう。

 殺しても殺しても、周囲に乗り移られて生き残られては、それこそ人類全てを根絶やしにしなければ奴を滅することはできない。

 さすがにそこまで、反則じみた能力の持ち主ではないと信じたいが。


「こういうパターンだと、どうすりゃ倒せる? 憑依に条件があるってのが一番、わかりやすいシチュだけど、見極めが利かねぇ。回数制限……それもわからねぇ」


 憑依の条件があるとすれば、その見極めすら仮定が難しい。

 最初の肉体が痩せぎすの男であり、次に遭遇したときには二十歳前後の女性の肉体。そして最後にスバルの体だ。共通点が見つからない。

 回数制限だとすればこれも厄介で、限界が見当たらない上に、現状で少なくとも三度は殺さなくては死なない計算になってしまう。


「一回殺すだけじゃ足りないってわかってりゃ、ヴィルヘルムさんに言及して倒すだけならできそうだが……着地点が見えなきゃ、殺し切るのも根競べになっちまう」


 事ここに至り、スバルはペテルギウスを倒し切ることの難易度の高さを思い知る。

 思い返せば、死を恐れない奴の姿勢すらもこの可能性を示唆していたのだ。かつての世界でパックに氷漬けにされたときも、こうして肉体を次々と乗り換えて生き残れるからだったとすれば合点がいく。


 最悪、本当に最悪の場合だが――。


「ペテルギウスを倒すのは、諦めるってのも手なのか……」


 本来のスバルの目的を優先するのであれば、それも選ぶべき手段のひとつには相違ない。口惜しい、話ではあるのだが。


 ナツキ・スバルがこうしてメイザース領を目指し、急ぎ仲間を伴って戻っているのは他でもない。魔女教殲滅よりも、屋敷や村の人間を助けたいが一心だ。

 かつてはその気持ちも揺らぎ、魔女教憎しで奴らの殲滅をこそ至上目的に復讐を敢行しようとしていた経緯もあったが、今はその激情はなりを潜めている。


 スバルにそう考えさせてくれたのは、他でもない青髪の少女だ。

 彼女の献身がなければいまだにスバルは深い暗闇の中、出口もわからずにさまよい続けて、心をすり減らしていたに違いない。

 そんな彼女がスバルに言ったのは、『奴らを倒してくれ』ではない。


 大切な人たちの命を、諦めないで――だ。


 屈辱ではある。悔しさに歯軋りしたい気持ちは堪え切れない。

 けれど、それもスバルにできるひとつの方法――否、スバルにしかできないひとつの救い方だ。


 魔女教の襲撃があることを知るスバルだけが、機先を制してエミリアたちを助け出すことができる。魔女教殲滅の優先はあくまで根本的な原因の排除に比重を寄せただけで、生存を優先するのであれば逃亡の選択も考慮に値する。


 なにより、『白鯨』を倒して、同盟は継続中だ。

 今回は『怠惰』を倒すための準備が足りていない。事前に『怠惰』を倒す準備を固めて、白鯨と同様に作戦を練れば、自ずから奴を滅する機会もあるだろう。

 だから――。


「スバル殿」


 ふと、静かな声で名前を呼ばれて、思考の海に沈んでいたスバルは顔を上げる。

 正面、ヴィルヘルムがその湖面を映したように澄み切った眼差しでスバルを見ていた。高く、心臓の鼓動が跳ねる。まるで、自身の内側まで見透かされそうな感覚に。


「なにか、不安があるのですかな?」


「あ、いや……」


「口にされるがよろしい。ひとりで抱え込む必要など、ありはしません」


 口ごもるスバルに、ヴィルヘルムはわかっているとでも言いたげにたたみかける。

 そんな二人のやり取りに気付き、周囲の人々も視線をこちらに集め始めた。


 向けられる視線の渦に居心地の悪さと罰の悪さを感じ、スバルは小さく首を振り、


「違うんだよ。ちょいと考えをまとめようとしてたとこなんだ。あんまり整理つかない状態で話してても要領を得ないでしょ? それで……」


「それで、諦める選択肢に向かいそうになったのではありませんかな?」


「諦めるって、そんなのとは……違う」


 やんわりとではあるが、スバルは考慮のひとつを否定された気がして唇を曲げる。諦めとは言い方が悪い。スバルはあくまで、目的を見失わないようにしたいだけだ。

 それを見失ったせいで、色んなものを取りこぼしてきたから、やり直す機会が与えられた今、今度こそそれを掌からこぼさないようにしていきたいと。

 だが、そんなスバルの考えを、


「スバル殿、私がこう言葉にするのも無粋の極みですが、言わせていただきます」


「お、おう。そんなかしこまってこられるとアレだな。うん、聞きますけど」


「――戦え」


 低く、それは大気を震わせる『言葉』だった。

 しかし、それを受けたスバルの体が、心が、魂が確かに震えた。


 目を開き、ヴィルヘルムが――剣鬼が、スバルを真っ直ぐに見据えている。

 その全身から漏れ出した鬼気がスバルの全身を覆い尽くし、掴んで離さない。


「戦うと、抗うと、己にそう定めたのであれば、全身全霊で戦え。一瞬も、一秒も、刹那すらも諦めず、見据えた勝利という一点に貪欲に喰らいつけ。妥協などしてはならない、あってはならない。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立て、立て、立て、立て、戦え。――戦え」


「――――」


 それはかつて、スバルがヴィルヘルムから与えられた言葉によく似ていた。

 クルシュの屋敷の庭園で、木剣で打ちのめされたスバルに、ヴィルヘルムはそうしてその瞬間にだけ、剣鬼としての片鱗を覗かせて戦いの心構えを語ったのだ。

 あのとき、それを聞かされたスバルをヴィルヘルムは『強くなる気がない人間』と称し、事実スバルも真剣に彼に向き合ってはいなかったが。


 今は、違う。そう思う。

 違っていければと、変わっていこうと、そう思えていたから。


「妥協、するなってのか」


「――ええ。それがどれほど、厳しい道でも」


「戦うって選択肢で、俺は白鯨との戦いに色んな人を巻き込んだ。今も、これから戦おうってことでここにいるみんなを巻き込む。――死人だって、出るぜ」


 口にしていて、自分で自分の心胆が縮み上がりそうになるのがわかる。

 スバルの判断に、思考に、行動に、他者の命が圧し掛かってくるのだ。これまでもずっとそうであったことを、今になってはっきりと自覚する。

 白鯨との戦いには、まだクルシュたちの思惑が乗っていた。あの戦いで生じた犠牲者の数々は、その命の重さはスバルとクルシュの双肩にかかっていた。


 だが、この先の戦いは違う。これはスバルが選び、スバルが望み、スバルが周りを巻き込んで、それでも始めた戦いだ。

 この戦いに挑む、周りに立っている面々の命は、全て等しくスバルが担わなくてはならない。義務や責任の話ではない。魂と、矜持の問題だ。


「それでも、俺のわがままに付き合ってくれるってのか。欲張りで意地汚い俺のわがままに、命を預けてくれるってのかよ」


「なにをいまさら、ですな」


 そのスバルの覚悟の問いかけに、ヴィルヘルムは小さな笑みすら浮かべた。

 見れば周囲の面々も、同じような顔つきでスバルを見ている。フェリスだけが渋い顔、というのもまったく彼らしい。

 そしてそんな視線に囲まれて動けないスバルに、ヴィルヘルムは頷きかけ、


「守りたいものを守るために動く――それはそのまま、騎士のあり方です。なれば志を同じくするものとして、誰がスバル殿の道行きに異を唱えられましょう」


「――――ッ」


 ヴィルヘルムの言葉に、一斉に騎士たちがその剣を引き抜く。

 反応の遅れた獣人傭兵団はそれらを見て、全員が微苦笑などの反応しつつ、応じるように同じようにそれぞれの獲物を抜き、軽く掲げた。


「意思があっても、力が足らぬことを嘆く気持ちはわかります。――故に我々がいるのです。我々が今は、スバル殿の剣。スバル殿の願いを叶える、力です」


「つる、ぎ……」


「為すべきことを、為しましょう。他の誰でもない。あなた自身の――わがままではない、あなた自身の願いのために」


 すとん、と胸につかえていたものが落ちるような感覚をスバルは味わう。

 それはそっくりそのまま、スバルを取り巻いていた暗色の思考が晴れていく過程のものであり、同時に湧き上がってくるのはむず痒いほどの気恥ずかしさ。

 ――そしてなにより、堪え難いほどの頼りがいへの多幸感だ。


「エミリアたちを助けなきゃ、いけない」


「はい」


「でも、魔女教の奴らと事を構えなきゃいけないってのも本音だ」


「はい」


「ホントはさ、逃げた方がいいと思ってたんだよ。どうも、俺が思ってた以上に厄介な戦いになりそうな可能性があってさ。最悪、くるのがわかってるだけでもめっけもんなんだし、逃げるのもありじゃないかなって」


 さっきまでのスバルならば、きっとそちらの選択肢を選んでいたはずだ。

 もっともらしい理屈で感情に折り合いをつけて、次善の道を進んでそれなりの結果にありつくまで戦い続けたことだろう。

 けれど、こうまで騎士たちが、スバルを肯定してくれているのだから。

 これに応じなければ――男ではないではないか。


「魔女教の、『怠惰』を叩けるのは今回だけのチャンスだ。次にいつくるのかなんてもう予想できないし、次にどんな姿してるのかだって保障なんてない」


「――――」


「あいつは、ここで仕留めなきゃならない。――必ず」


 後回しにして、今回だけ逃げ切って、それで奴の魔の手から逃れられるはずもない。執念深い奴のことだ。また必ずどこかで、スバルの知らない形であの魔手を伸ばしてくることは確実だった。そのとき、スバルが間に合う場所にいれるとは限らない。


 今回ほどの機会に恵まれることなど、もうあり得ないと考えるべきだ。

 そして、次があるなどと思い上がることも、次善で妥協すべきと賢ぶるのも。


「エミリアたちを助ける。魔女教はぶっ倒す。両方やらなきゃいけないってのが辛いとこだな。覚悟はいいか? 俺は……やっと、決まったとこだ」


「――往きますか」


「ああ、行こう。時間との勝負だ。道すがら、考えをまとめる」


 考えなければならないことが、打開しなくてはならない障害が、乗り越えなくてはならない苦難がなおもスバルに立ちはだかる。

 だがそれでも、無力なスバルの力になってくれる人たちがいるから。意思の弱いスバルの心を支えてくれる子がいるから。――俯かず、前を見ていられる。


 運命を遮る、『怠惰』に抗っていこう。

 楽な方へ弱い方へ逃げそうになる、己の『怠惰』と向き合っていこう。


 戦うとは、生きるとは、そういうことなのだから。



 『怠惰』のペテルギウスを打倒すべく、ナツキ・スバルの。



 ――ナツキ・スバルたちの戦いが、再び始まる。



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スバルジョ◯ョも見てたのか…
ヴィルヘルムさんかっこよ
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