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コルシカの修復家 作者:さかな

4章 星の降る村

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第十二話 星の降る村

 昨日と同じ風のない穏やかな夜だった。
 ただ一つ違うのは、弱々しくも輝いていた月の姿がどこにも見当たらないことだ。そのせいでメンヒルの遺跡は普段よりも闇夜に紛れていたが、人々のにぎわう声が辺りに響くことで不気味さなどみじんも感じることはない。「遺跡に来たのなんていつ振りじゃったかね」や「暗いわねぇ」などと囁きあっているのは皆、フィリドーザの村人だ。

 あの後アダム達は散り散りになり、村人に今夜メンヒルの遺跡に集まるようにと説得を試みた。はじめは三分の一ほどの人数でも集まれば上出来と踏んでいたのだが、蓋を開けてみれば遺跡には溢れんばかりの村人達が集まった。その中にはジルダの母親と父親の姿も見てとれた。

「南のばぁば、来てくれたんだね」
 ニノンは冬用のグレーのマフラーを首に巻いた老婆の姿を見つけると、嬉しそうに側まで駆け寄った。
「ええ、ええ、来るともさ。なにやら面白そうなことをするんだって?」
「うん。今からここで、トレミーさんの描いた景色を皆で一緒に見るんだよ」

 湖畔に背を向けて立ったアダムは一つ咳払いをして村人の注意をひいた。
「えー、皆さん。今夜はお集まりいただきありがとうございます」
 仰々しく宣言して、ぺこっと軽く頭を下げた。
「なぜ皆さんに集まっていただいたかと言いますと、あの名高きトレミーの名作『星の降る村』の元となった景色をその目でご覧頂くためです」

 途端に民衆はどよめいた。暗がりでも落胆の表情を浮かべる人々が多いことは、声のトーンではっきりと分かる。まだそんなことを言っているのか、と厳しい声まで飛ぶ始末。アダムは期待に反する否定的な圧力にぐっと耐えるべく足を踏ん張った。

「だ――大丈夫だって。信じてくれよ。今日こそは絶対幻の景色が見られるんだって。な、そうだろルカ?」
 話を振られたルカはゆっくりと一歩踏み出し、ぐんと空を仰ぎ見た。雲一つ無い快晴だった。辺りは無風。湖畔の水面に波風ひとつ立ってはいない。完璧な夜だ、とルカは思った。

「『星の降る村』の元となった風景を見るための条件は三つです」
 ルカが口を開いた途端、民衆のざわめきは一瞬にして沈下した。そんな彼らに示すようにルカは指を一本立ててみせた。

「一つ目は『雲一つない快晴』。二つ目は『新月の夜』。そして三つ目は『無風』です」
 ルカはジルダに目くばせした。説明は任せた、という合図だ。ジルダはこくりと頷いて、ルカの後に続けた。

「雲のない夜は星の輝きが隠されない。新月の夜は月明かりがないから星の輝きが一番明るく見える。それからフィリドーザはもともと風のあまり吹かない村。風がない日は湖畔の水面も揺れないの。この三つの条件が揃ってはじめて夜空は湖畔にはっきりと映し出される。まるで鏡のようにね」

 そこまで言いきって、ジルダは腕時計で時間を確かめた。午後十時を過ぎた頃だ。ジルダが頷くのを合図に、ルカ達は村人が前方の景色をよく見渡せるよう脇にはけた。
 ジルダははやる気持ちを抑えるために深く息を吸った。焦らずとももう、希望の光はそこまで来ている。

「三つの条件がそろった夜に流星群が降り注ぐ――それが、『星の降る村』の正体だよ」

 ジルダは人差し指を天高く掲げた。
 その瞬間、せきを切ったように流星が夜空を駆け巡った。幾千の流れ星が弧を描いて光の線となり地平線に飛び込んでゆく。光の雨は湖畔になだれ込み、水面が鏡となって星空を映し出す。まさに村に星が降っているような光景だった。

「まぁ、何ということ……あなた、これは」
「ああ――『星の降る村』と同じ景色だ。まさか現実にこのような幻想的なことが起こるなんて……」

 村人はその美しい光景に息をのんだ。トレミーの描いた景色は空想などではなかった。フィリドーザの宝とも言うべきこの景色を、彼は皆に知らせたかったのだろう。
 そしてその願いは長い年月を経て今まさに叶ったのだ。しがない絵画修復家の少年と、小さな天文学者の信念によって。

「皆、聞いて」
 今だ星空を眺め続ける村人たちに向かってジルダは声を張り上げた。
「この夜空は偶然でも奇跡でもなんでもない。地道な観察と計算を重ねればいつ見られるのか予測ができるの。つまり、フィリドーザが本物の(、、、)綺麗な星空の村だって証明できるんだよ! ……もう一度、皆でがんばろうよ」

 言い終わって、ジルダは言葉を詰まらせた。暗がりの中で星の光が反射したのが見えたのだ。ジルダの父が泣いている。その瞳を濡らしていたのは己に対する恥であり、先祖を信じきれなかった悔いであり、また娘がいつの間にか大きく成長していたことへの喜びでもあった。

 村人たちはざわめき始めた。痩せこけた大地に水が降り注がれるように、彼らの心に希望の光が射しこんだ。先のない寂れた村の、再起復興のビジョンがありありと浮かぶ。そうだ、ここは星の降る村フィリドーザだ、と村人たちが口々に囁きはじめた頃、アダムが今度こそ自信たっぷりの笑顔で「ひとつ提案がある」と言った。

「トレミーの連作をAEP発電所に送るんだ」
「AEP発電所に……ですか」

 ジルダの母は自信なさげに呟いた。それほど有名でない昔の画家の絵はたいしたエネルギーにしかならないことが多く、輸送料の方が高くつくため発電所に送る例は少ない。トレミーは決して有名な画家ではない。しかし、修復作業を施した今ならば、と思い至ったところでジルダの母は頷いた。

「せっかく修復してもらったんですものねぇ。あなた、送ってみましょうか」
「うん。うん。そうしよう」
「ちょっと待った。俺の提案はここからだぜ」
 ヨレヨレの袖で目元をごしごしと擦るジルダの父親から目を離し、アダムは民衆に向き直った。

「あの絵画がどれぐらいのエネルギーになったかを宣伝ポイントにするんだよ。詳しいことは解明されてねぇけど、AEPが高い絵画ってのは似通ってることがあるって話を耳にしたことがある。もちろん例外もあるけどさ」
「ええと……つまり?」
 と、難しそうな顔をしてニノンは首を傾げた。
「つまり、フィリドーザの星空を描いた絵画が高いAEPに還元されたとなると、この村に絵を描きにくる画家がわんさか増えるってことさ」
「なるほど、そりゃええですな」
 白髪混じりの小太りの男性が嬉しそうな声をあげた。
「だが、それだけじゃ駄目だ。肝心なのはこの景色を確実に見られるようにすることだからな」
「して、それはどうすれば?」
 すると、今度はニノンがにんまりとした笑顔で答えた。

「この村には素晴らしい天文学者がいるじゃない! そうだよねぇ、ルカ?」
「うん。ジルダ――君の力が、この村には必要だと思う」
「……!」
 ジルダはルカの瞳を見つめ返した。そしてこの遺跡に集まった村人の顔を見渡して、最後に両親を見た。はじめから、恐れるものなど何もなかったのかもしれない。二人は微笑み優しく頷いていた。

「うん……うん、皆、ありがとう……私、がんばるね」
 夜空を翔ける流れ星が人々の瞳に飛び込んでいった。そこにはいくつもの『星の降る村』が描かれていて、これがトレミーの見たかった本当の景色だったのかもしれないな、とルカは思った。


「南のばぁばの言った通りだったね。この村のことも、ジルダの夢のことも全部うまく行っちゃった」
 大きなメンヒルのたもとに腰を下ろした老婆に歩み寄ると、ニノンも隣にそっと座り込んだ。
「ふぉっふぉっふぉ。それはあの子らが信じ続けるだけじゃなく、ちゃあんと努力したからだよ。それよりもほら、あんたには星の声が聞こえるかい?」
「星の声?」

 老婆はシワだらけの手を耳に当てて、星空からこぼれ落ちる声を拾うため耳を澄ました。ニノンもそれにならって右手を耳の裏にあててみた。
「こうやってじっと耳を澄ましているとねぇ、たまぁに元気な流れ星が『シュン!』って声を出すのさ」
 ニノンはそっと目を閉じた。村人のざわめきが遠のいていく。そして――

――シュン!


『こっちだよ、こっち!』
『ニノンったら、そんなに急かさないで』
『だって、早くしないとお星さま全部流れちゃうよ』
 透き通るようなベージュの長い髪の毛をなびかせながら、その女性はふふ、と笑った。
『大丈夫よ。だってお星さまの数はこの海岸の砂の粒より多いもの』
 それでもニノンは女性の手を引き暗闇の中を目的地へと急いだ。柔らかな草が風になびく丘で、ニノンは終わりのない流星群の群れを目にした。
『わぁ、すごい、すごい!』
『うふふ、ニノンったら。ほら、耳を澄ましてごらん。星の声が聞こえてこない?』
『星の声?』
 ニノンは言われるがままに目を伏せる。その時、星が空を擦るシュン、といった音が聞こえた。
『ほんとだ、星の声!』
 はしゃぐニノンを優しく見守りながら、女性は続けた。
『私にはもっとたくさんの星たちの声が聞こえるわ』
『私も姉さんみたいにもっと星の声が聞きたいな』
『いつかきっと聞こえるわ。ここよりもっとたくさんの流れ星が見えるところなんて、この島にはうんとあるもの』
『じゃあ一緒にそこに行こうね、約束だよ』
『ええ、約束ね』


「ニノンや」
 老婆の心配そうな声に、ニノンははっと我に返った。
 白昼夢を見ていた。いつのことだか分からない、だけど今日みたいな流れ星のたくさん流れる夜だった。ニノンの傍らには美しい女性がいて、その女性を『姉さん』と呼んでいた――そうしてニノンは心の中で呟いた。私には姉さんがいたんだ、と。

「大丈夫かい」
「え……」
 気がつくとニノンの頬には一筋の涙が伝っていた。
「あ、うん。なんでだろう、勝手に涙が……」

 まばらに蘇る記憶の中で出会う人たちはいつも笑顔で、側にいると温かい気持ちになったことを思い出させてくれた。
 しかしそこでニノンはふと我に返るのだ。まるで自分だけが世界に取り残されて、独りぼっちになってしまったかのように感じる時がある。自分のことを誰も知らない。自分でさえ自分のことを知らない。真っ暗闇に放置されたような、孤独と恐怖。漠然とした寂しさは、記憶の欠片に触れるたびにぶくぶくと膨らんでいく。
 ぽたり、とニノンの瞳から涙が落ちた時、老婆のからからに干からびた骨と皮だらけの手がその頭をゆったりと撫でた。

「ばぁばはいつでもここにいるからねぇ」
「私のこと、憶えていてくれる?」
「憶えておくともさ。それにね、心配することはないよ。お前さんの側にはコースケの孫がいるんだから」
 そして老婆は三日月のような笑みを絶やすことなく、子どもをあやすように優しく囁いた。

「なにしろ、南のばぁばの言うことだからねぇ」
 二人の声が重なる。ニノンは涙をふいて、老婆の口真似をした。二人は互いに笑いあって、終わることのない流れ星を気のすむまで眺めていた。





「ゾラさんという方の家を探してるんです」

 寝ぐせの残る黒髪を揺らしてルカは尋ねた。一枚板のテーブルには今日も所狭しとサラダやフルーツやチーズ、パンが並べられている。流星群の観測が夜遅くまで続いたということで「是非夜ご飯でも」という夫妻のお言葉に甘えて、ルカ達はありがたく連泊させてもらうことにしたのだ。
 何だかんだでタイミングを逃していたが、本来の目的は隠された絵画の所持者を訪ねることである。爆睡するアダム達を叩き起こしたルカは、朝食もそこそこに本題を切り出した。

「ゾラさんですと?」
 昨日は眠りこけて朝食の席に姿を現さなかったジルダの父も、今日ばかりはヒゲもさっぱりと剃り切った状態で席につき、焼き立てのクリのパンをほおばっていた。頬がぱんぱんの状態で口を開いたので、パンくずやクリがぼろぼろとこぼれ落ちた。隣の席に座っていたアダムが思わず眉をしかめる。

「失礼。ゾラさんと言えばもうこの村にはいないよ。なぁ、母さん」
「ええ、もう何十年も前に出て行きましたよ」
「引っ越した……ということですか?」
 ルカの問いにいいや、とかぶりを振ってジルダの父はその短い手をぞんぶんに伸ばして分厚いベーコンにフォークを突き刺した。弾みで飛んだ油をアダムはすんでのところで避ける。

「『サーカス団を結成します!』 とかなんとか言ってね、出て行っちゃったんだよ。今もどこかでサーカスを開きながら各地を点々としてるんじゃないかなぁ。ほほっ、このベーコン本当にジューシー!」
 かぶり付いたベーコンから飛び散った油を避けて、アダムはついに「さっきからキタねーんだよおっさん!」と暴言を吐いた。

「この人が言ってるのは『虹のサーカス団・アルカンシェル』のことですよ」
 と、ジルダの母がにこやかに答える。
「俺、聞いたことあるぞその名前」
「サーカス団って?」
「人間とか動物がテントの中で色んな芸をするショーみたいなもんだ」
 そこへヤマモモをかじっていたジルダが混じる。
「アルカンシェルには動物はいないよ。人間だけで極芸をやってのけるすごいサーカス団なの!」
「そのアルカンシェルの団長がゾラさんなんですか?」
 ルカは会話の流れを元に戻した。ジルダの母は、そうねぇ、と首を傾げて続けた。
「この村にサーカスがやって来てからもう何年にもなるし、はっきりとは言い切れないけれど……。そういえばアジャクシオにいる姉が今度サーカスを観にいくと言っていたわ。もしかしたら今頃、サーカス団はアジャクシオにいるのかもしれないわねぇ」
 アジャクシオといえばここから北西に進めばすぐの、フィリドーザと目と鼻の先に位置するコルシカ島最大の街だ。

 そうと決まればもたもたしてなどいられない。ルカはすっかり気に入ったグリーンサラダをかき込んで、夫妻にお礼を言って席を立った。
「ルカ君、もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「そうだよ。ルカお兄ちゃんもう少しここにいてよ。宿代はタダだよ!」
 ジルダは駄々っ子のようにルカの腕に巻きついた。
「お気持ちはありがたいんですが、やらなきゃいけないことがあるんです」
 迫る親子の顔をやんわりと遠ざけて、ルカは苦笑いした。

「あ、そういえば、ついでに私も聞きたいことがあるの。ダニエラさんって人を知らない?」
 ニノンの問いに三人は一様に首を捻った。そして同じように期待する答えの返ってこなさそうな表情をしている。はじめに言葉を発したのはジルダの母だ。
「どこのダニエラさんかよねぇ。ただのダニエラさんならおそらくチラホラいるのだろうし」
 それもそうだなぁ、とニノンまでもが首を捻ってしまった。ダニエラという四文字だけでは圧倒的に情報量が足りないのだ。
「南のばぁばなら何か知ってるかもね」
ぽつりと、ジルダは呟いた。

 後部座席に大きなリュックサックを乗せると、ルカはバタンと音を立ててドアを閉めた。
 村の入り口では村人が総出でルカ達のお見送りをしようとずらりと立ち並んでいた。初めてフィリドーザを訪れた時のような、土気色をした顔はもはやどこにも見当たらない。

「そうだ、コレ。良かったら使ってくれよ」
 アダムはA4サイズ程の紙袋をジルダに手渡した。取り出してみるとそれはキャンバスで、昨夜の流星群が絵本のように柔らかいタッチで描かれていた。上部には白抜きの文字で『ようこそ星の降る村、フィリドーザ』と書かれている。どうやら村の入り口に設置する新しい看板のようだ。

「可愛い! これ、アダムお兄ちゃんが描いたの?」
「あ? そうだよ。悪かったな、可愛い絵で」
 俺はそういう絵が好きなの、とふてくされるアダムにジルダはぶんぶんと首を何度も振った。
「私この絵とっても大好き! 本当にありがとう」
 満面の笑みに嘘はない。気恥ずかしさに耐えきれなくなったのかアダムはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 人だかりをかき分けて、ルカとニノンもようやくアダムの描いた看板を目にすることができた。
「アダム、とっても上手」
「まるで絵本の挿絵みたいだ」
「そ――そうか? 本当はお前らに見せてやる義理はねぇんだけど」
「アダムがこの絵を描いてるところを想像すると、なんだか可愛いよね」
「うん」
「お前らやっぱり見るの禁止!」

 三人が言い合っていると、村人の山の奥から聞きなれた笑い声が聞こえてきた。季節外れのグレーのマフラーとぎょろりと飛び出た二つの目玉はどんな人混みの中でもよく目立つ。

「南のばぁば! 良かった、ちょうど聞きたいことがあったんだ」
 老婆はえっちらおっちらとニノンたちの前まで歩いてくると、太い木の枝をずしんと地面に突き立てた。
「何が聞きたいって?」
「ダニエラさんって人、ばぁばは知ってる?」
 老婆は相変わらずどこを向いているか分からない目玉でしばらく空の方を見つめていた。だが、いきなり伸びきったくすんだ爪をニノンの鼻先に突きつけたかと思うと、
「ダニエラって名前は多くはないが探せばその辺にいるよ。でも、そうさねぇ」
としばらく考え込む素振りを見せた。

「昔、同じ名前の人間を探している若人(わこうど)に会ったことがあったかねぇ」
「それはどこで? なんて人? どこにいるの?」
 老婆は笑い声をあげて、「そうせかせかするんじゃないよ」と諭した。
「あれはサーカス団がこの村にきた時だったね。名前は確か……《ニコラス》、だったと思うよ」

 ニコラス、というフレーズをニノンは繰り返した。聞いたことのない名前だったけれど、今ダニエラに続く手がかりは一つしかない。しかもサーカス団といえばこのあと向かう目的地もサーカス団だ。結局のところ次の行き先はアジャクシオで変わりはない。話がまとまったところで三人はフィリドーザを出発することにした。

「本当に、お世話になりました」
「そんな、こちらこそですよ。あなたたちはフィリドーザを救ってくださったんですから」
「気が早いぜおかみさん。もしトレミーのじいさんの絵画がものすごいエネルギーになったら教えてくれよ。俺、こっそりここに絵を描きにくるからさ」
「こっそりだなんてアダム君、この村にやってきたら僕たちの宿屋にぜひ泊まっていってね」
「おう。そんときゃおっさんと別のテーブルで朝食頼むぜ」

 そんなやりとりを交わす中、ジルダはルカの前で寂しげに立ちすくんでいた。
「本当に行っちゃうんだね。寂しいなぁ」
「これから忙しくなるんだから、寂しさなんてすぐ忘れるよ」
 そう言って微笑むルカの手をジルダはぎゅうっと握りしめた。
「ありがとう。まさか本当に夢が叶っちゃうなんて――本当は、私が一番自分の夢を信じてあげられてなかったんだなって、今は分かる。だから、次の夢はちゃんと信じてあげようって思うの」
「次の夢?」
 もう次のことまで考えてるなんて、とルカは感心した。ジルダはうつむいていた顔をがばっと起こした。頬はりんごのように真っ赤に染まり、大きなヘーゼルの瞳は水分をたっぷりと含んで潤いに波打っている。ルカは握られた手をそのまま下へぐいっと引っ張られ、思わず体制を崩した。そして――

「次の夢は、ルカお兄ちゃんのお嫁さんになること!」
「え?」

 ちゅ、と音を立てて少女の唇がルカの頬に当たった。ほっぺたにキス。それは少女の精一杯のアプローチだった。ジルダはぱっと手を離してそのまま老婆の影へと隠れてしまった。

「だ、だめだめ! だめだよ! ルカには大切な用事があるんだから!」
 真っ先に声を上げたのはニノンだった。隣では、何が起こったのかやっと理解したルカが珍しく頬を染めて呆然と立ち尽くしていた。

「待ってるからねー、ルカお兄ちゃん!」
村を飛び出した一台のビートルに向かってジルダは大きく手を振った。
「待たなくていいってばー!」
 苦笑いを浮かべるルカの隣で、窓から身を乗り出しながらニノンが代わりに叫ぶ。

 次第に遠のいていくフィリドーザの入り口には、元気に手を振り続ける村人たちの姿があった。それはきっと、彼が信じたもう一つの『星の降る村』だった。
 生まれ変わった村の姿を、トレミーもきっとどこかで眺めていることだろう。


挿絵(By みてみん)

〈第四章 星の降る村・完〉
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