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コルシカの修復家 作者:さかな

4章 星の降る村

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第十一話 トレミーの正体

 その後ルカの口から詳細が語られることはなかった。言葉で説明するよりも実際に見た方が理解しやすいと判断したのだろう。普段から口数の少ないルカのことだ。加えて表情の変化も乏しいとあれば様々な誤解も招くだろうに、とアダムは度々他人にもかかわらず心配になることがある。
 しかし、やはりルカにはそんな心配事は無用だし、周りにどう見られても傷つくことなどないという風に生きてきたので、問題無いのだ。彼の関心ごとといえば専ら絵画の修復に尽きる。

 夜遅くに宿へ帰ってきた三人は順にシャワーを浴び、特にお喋りすることもなくふかふかのベッドにダイブするとすぐに眠りについた。といっても深夜一時を過ぎた頃だ。朝にはめっぽう弱いアダムや睡眠時間の長いニノンが寝息を立てる中、ルカだけは朝六時きっかりに目を覚ましいそいそと修復作業を再開していた。ルカの朝はいつも早い。

「ボンジョルノ。厚切りのベーコンはいかがかしら」
 ジルダの母に起こされてようやく目を覚ました二人を引きずって、ルカはダイニングテーブルの席についた。トチの木の一枚板でできた大きなテーブルには焼きたての栗のパン、ウッドボウルから溢れそうなほどのグリーンサラダ、スクランブルエッグにフルーツの盛り合わせが所狭しと並べられている。
  久しぶりの客だから少々張り切ったのだろうか、とルカは考えたが、どうにもそうは見えないやつれた表情をしている。

「娘から話を少し聞いたんですけれどねぇ。なんでもあの連作の修復をしてくださってるとか……」
 話題は唐突に切り出された。口調は穏やかだが、和やかな雰囲気ではなさそうだ。
「ええ、まあ。おそらく今夜じゅうには終わるかと」
 ルカはグリーンサラダを口に運ぶ。採れたてなのか、苦みがまるでない。
「そうですか。あの絵は、特に最後の一枚の痛みがひどくて。修復すればさぞ元の美しい絵画に戻るとは思うんですがねぇ。ジルダが無理にお願いをしたのでしょう?」
 自分の名前が出るとジルダはびくりと肩を揺らし、テーブルの隅の方で縮こまってしまった。

「ほら、うちも周りと同じ寂れた宿屋でしょう。だからその……あまり稼ぎも良くないのよ。申し訳ないけれど、修復代金は用意できないの。その代わりといってはなんだけど、宿代は要りませんから」
 ジルダの母は焼きたての分厚いベーコンを各々の皿に乗せると、一気に話を終わらせた。
 夢見心地だったアダムは代金というワードを耳にしてぱっちりと目を覚ました。思わずフォークですくったスクランブルエッグがテーブルの上にぼたぼたとこぼれ落ちる。ルカはジルダの母の発言に目を瞬かせると、けろりとした表情で口を開いた。

「代金はもともといただくつもりはなかったんですけど」
「おい、何でだよ! それじゃ商売にならねーじゃねぇか」
 誰よりも早くアダムが反論した。それを無視してルカは続ける。
「でも、宿代がタダになるならそれはそれで嬉しいです」
「待て待て、考え直せよルカ。世の中ってのはギブアンドテイク――」
「私もルカに賛成。だって朝ごはんこんなにたっぷり食べさせてくれたんだもん」
「そこ、余計な相づちいらん!」

 ルカの意外な返答と騒々しい朝食風景に、今度はジルダの母が口をぽっかりと開ける番となった。





「本当に……ありがとう、ルカお兄ちゃん」
 ジルダのお礼の言葉を聞いてルカは微笑み、再び修復作業に着手した。
 表面のワニスを溶かす溶剤を湿らせた綿棒をキャンバス上でくるくると転がしながら汚れを取っていく。それなりに大きい画が十枚も並ぶと単純作業も骨が折れる。

「ルカ、お前欲が無さすぎるぜ。もっとさぁ、金持ちになりたい! とか無いわけ? 人間なら誰だって富に憧れるもんだろ」
「アダムってさ、絶対修道士じゃないよね」
 ニノンはアダムに疑いの目を向けた。アダムの言動を目にする度、彼が修道士であるという信憑性はニノンの中で急降下していくのである。
「俺は孤児院で育ったんだって。だからいくら口が悪かろうが肩書きは修道士なの。っつか俺の親父はもっと口悪いしオマケに人相も悪い」
「なにそれ……本当に孤児院?」

 ヨーロッパの国々と同じようにコルシカ島にも村によっては孤児院が設立されているところが多い。協会に所属し修道士になる者もあれば、孤児院で育ちそのままそこで修道士になる者もいる。だからといって、それが口の悪い言い訳にはならない。
 盛り上がる二人をよそに、ルカは集中して修復作業をこなしていった。アダムたちが傍らで休憩している間も作業を止めることはなく、昇りきった太陽が西に傾きいよいよ空がオレンジ色に染まり始めた頃、ようやく絵画から目線を外して一息ついた。

「修復完了です。ありがとうございました」
 そうして十枚もの連作に向けて深々とお辞儀をした。終始ゆったりとした作業風景だったのは、トレミーのゆっくりと絵を描くスタイルが作業中のルカに無意識にうつり込んだからかもしれない。
 生まれ変わった『アルマゲスト』は昨夜の夜空を切り取ったかのように精巧にキャンバス上に再現されていた。一枚一枚を丁寧に眺めていき、ジルダはついに最後の絵画の前で目線を止めた。

「『星の降る村が』……蘇ってる!」

 そこには夜空を翔かける数多の流れ星が描かれていた。澄んだ湖畔に流星群が映り込む様は、まるで村に星が降っているように見える。幻想的なその景色は現実に起こったと思い難いほど美しかった。

「でも、これがどうして実際の風景を見て描かれたって分かるの?」
「それをこれから証明するんだよジルダ、君が――天文学の力で」

 ルカは三人を手招いた。X線照射装置とよく似た小型のライトを持ち出して、持ち手の付け根にあるスイッチを入れ、目に見えない光を絵画に照射した。すると不思議なことに、キャンバス上に乗せられた絵具とは別の線画が浮かび上がってきた。ニノン達は驚きの声を上げる。

「赤外線をあてるとキャンバスの最下層、線画を見ることができるんだ」
 ルカはキャンバスの右下に焦点を合わせた。やがて浮かび上がってきたのは線ではなく、謎の計算式の羅列だった。
「cosθ……π……これ」
 何かに感づいたらしいジルダに、ルカは「話して」とそっと促した。
「天文学で使う、計算式よ。星と星の距離を出すための。どうしてこんなところに――」

 ジルダははっと息を呑んだ。そしてすぐさま客室を飛び出すと、自室からたくさんの本を抱えて戻ってきた。背表紙には全て天文学に関するタイトルが記されている。ジルダはその中のひときわ大きい一冊をおもむろにベッドの上に乗せると、パラパラとページをめくりだした。
 開かれたページには一面に星空の写真が印刷されている。星と星が線で結ばれ、傍らには星座名、下側には撮影された日付と時刻が明記されていた。星座の早見表だろうか。
 大きな本を両手で抱えると、ジルダはアルマゲストの一作目まで戻り、ページと絵画を見比べながら息つく間もなく話し始めた。

「一枚目、四月、夜の九時、しし座。二枚目、六月、夜の九時、おとめ座。三枚目、七月――」
「おい、一体どうしちまったんだよ」
 一心に何かを呟くジルダを見てひ弱な声をあげるアダムに「静かに」とルカは注意した。
「この絵画全て、風景画ってだけじゃない。星の位置がものすごくしっかり……計算されたように描かれてる」
「そう。計算されてるんだ。トレミーさんは正確に星の位置を記すことにこだわってたみたいだから」
「どうしてこだわってるって分かったの?」

 ニノンが尋ねる。ルカは再度赤外線を絵画にあて、線画を浮かび上がらせた。そこには細やかな縦線と横線で作られたマス目が描かれていた。計算で出した距離を正確に描写する為だ。
 しかし、そこまでして正確さにこだわる理由は何なのか。アダムやニノンは首をかしげた。

「ジルダはもう分かってるんじゃないかな。おじいさんの正体に」
「おじいさんだって?」
 アダムは素っ頓狂な声をあげた。
「見づらかったけど、この宿屋の門に『トレミー』ってプレートが貼られてたよ」

 そもそも稼ぎの少ない宿屋に一つの欠けもなく連作が全てそろうことなど珍しいのだ。トレミーは画家であり、またジルダの祖父でもあった。そして、この家の倉庫に望遠鏡が眠っていたという事実から考えられるのはひとつだけだ。

「おじいちゃんは――天文学者だったのね」

 ジルダは両手で口元を覆った。肉親に、自分の夢を叶えたものがいるということ。そしてその信念が絵画に込められ今も残っているということ。心臓のドクドクという音が耳元で聞こえるくらい、ジルダの心拍数は上がっていた。
 ルカは『星の降る村』を持ち出してアダム達に見えるように掲げると、ある一点の空を指差した。

「この星座ってふたご座かな」
「ああ、そうだな。ふたご座だ」
「なんだか私たちが昨日見たのと同じような場所に描かれてるね」

 ルカはこくりと頷くとジルダに大いなる信頼を寄せた目線を送った。興奮と感激に上気したジルダの頬は桃色に染まっていた。今だにバクバクと脈をうつ胸に手をあて、ジルダは気持ちを落ち着かせた。そうでもしないと喜びの気持ちを叫びだしてしまいそうだった。

「そう、そうなの。『星の降る村』は春の終わり頃に描かれた絵。春の終わりはふたご座が湖畔の上あたりに輝く時期だから。そして今日の夜――フィリドーザの夜空に流星群が現れる」

 毎日望遠鏡で夜空を眺め、天文学の本を読みふけり、いつしか星の動きを目で追わずとも理解できるようになっていたジルダには、今日の夜一体何が起こるかなど全てお見通しだった。

「でも、たまに流星群は夜空に現れるけれど、おじいちゃんの描いたような水面に映るほど鮮明なものじゃない」
「そうだろうね」
「教えろよ、ルカ。どうすればトレミーのじいさんと同じ景色が見れんだよ?」
「今夜メンヒルの遺跡に行けばきっと見られるよ」
 ルカは確信をもってにやりと笑った。その傍らにはニノンが、抜け殻のように虚ろげに立ち尽くしていた。焦点の合わない瞳でしめやかに絵画を見つめている。異変に気付いたルカが声をかけようとした時、少女は薄っすらと口を開いた。

「この絵画からね、伝わってくるの。イメージが――胸の内から込み上げてくる……喜びと、興奮……まるで隠されていた宝箱を見つけた子どもみたい。それから焦りも……皆と分かち合いたいという想いも」
「ニノン、お前さ、ポスター見たときも不思議なこと言ってたけど……ビアンカさんの声が聞こえるとか何とか。それってつまり超能力?」
 アダムの訝しげな物言いに、ニノンは目を覚ましたようにぱちぱちと目を瞬いた。
「自分でもよく分からないんだけど、声というか――絵画からこう、感情がイメージとなって頭の中に流れ込んでくるの」

 それはモデルになった人物の感情であったり画家の想いであったり様々だが、要するに強い気持ちの念が絵画に染み込んだものではないか、とニノンは言った。
 アダムは小さく相づちを打った後、「そうだ」と呟いて何かをひらめいたように瞳を大きく見開いた。

「良いこと思いついたぜ」
「良いこと?」
 すっくと立ち上がったアダムは座り込む残りの三人を呼び寄せて、客室のドアを開け放った。

「この村を救う方法だよ」
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