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終わりなき無慈悲な夜にも 作者:枕流
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5-1 さあ、復讐の剣をとれ



 その姿は、強いて言えば爬虫類に似ているかもしれない。
 人のように直立し、その体高は学園都市(アプリカ)の城壁をゆうに越える。

 学園都市の人々にとっては、今まで目にしたこともない怪物である。
 だが、現代の日本人であればより適切な表現が可能だろう。

 『怪獣』──と。

 警報の音と意味は、住民にも周知されている。
 しかし、それが正式に発令されたのは学園都市の歴史上、これが初めてのことである。すぐに行動を起こせる者は少なかった。

 迅速に安全な場所へ? そもそも安全な場所とはどこなのか。
 屋内か? 地下室? それとも学園の敷地内か?

 普段から避難先を意識して生活している者は少ない。
 むしろ、人々は足を止めた。怪訝そうに、もしくは不思議そうに、辺りを見回す。他人がどうするのかをうかがう。

 そういった人々が、シージマゴットによって破壊された大通りにのこのこと出てきているのである。中には能天気にも、踏みつぶされた出店の片づけをはじめる者までいた。

 ほとんどが夕陽の中の存在に気づいていない。そこがすでに熱線の射程内であることも。

「氷堤断裂《ラプチャード》!!」

 ティアがマナを込めた指先を振り下ろす。
 地面からわきあがった無数の氷柱が、地割れのように大通りの中央を走る。

 攻撃のためではなかった。
 通りに戻りつつあった人々を路地に逃げ込ませるためのものである。

 一刻の猶予もない。ティアは振り返ってマルチナの方にも叫んだ。

「逃げろ!!」

 叫びながらティア自身も路地に飛びこむ。
 足が地につくより先に、背中を熱風に押される。

 大通りは圧倒的な光と熱であふれかえっていた。
 目を開けていられない。閃光と灼熱、轟音と強震に全身を叩かれる。

 永遠とも思える時間は、おそらく十秒にも満たなかったであろう。
 その後はやけに静まりかえっていた。
 聴覚が麻痺しているのではない。音を発するものが存在しないのだ。

「く……ぅ……」

 ティアはよろよろと身を起こす。まともに着地できなかったせいで体中が痛んだ。
 だが、本能的に恐怖を感じて、立ち上がらずにはいられない。

 高熱がじわじわと路地の奥にも押し寄せてきている。
 通りはそのまま溶岩の溜まりと化していた。

 被害は地面ばかりではない。建物もまた熱線が通ったそっくりそのままの形にけずりとられている。その断面は暖炉の火にあてたチーズのように溶け落ちていた。

 マルチナが作ったすり鉢状の地形もほとんどが消し飛ばされていた。
 シージマゴットは底部とそこから生えた無数の足を除き、それより上の部分は完全に消滅している。もはやぴくりとも動く気配はない。

 それは、たった一体のガイヴァントによるものとは信じがたいほどの破壊だった。
 ティアによって人的な被害は最小限に抑えられたものの、その凄惨さには息をのむしかない。

 だが、街の被害はこれでもまだ幸いであったと言えた。
 オーバー・ワンの標的は通りの人々ではなかったからである。

 ティアは魔法学園(チュエリス・サリス)を見上げて息をのむ。
 オーバー・ワンが吐いた熱線は、魔法学園を直撃していたのだ。



「こんなところで何をしているんだ?」

 カルは簡素なベッドに腰をおろしたまま、来客を怪訝そうに見上げた。
 オーバー・ワンの襲来に先立つことほんの数分前のことである。

「それはこちらのセリフだと思うのですが」

 牢にいるカルの前にあらわれたのはビオラであった。
 なぜか監守もともなわず、一人である。

 ビオラはカルのいる牢内を見回す。
 壁や天井、床の暗鬱な玉虫色はそれが魔法により強化されていることを意味する。二人の間にある鉄格子にも特別な力がかけられており、隙間があるからといってそこを通過できるわけではない。

「放り込まれる牢だけはソリストの待遇ですか。抗議した方がいいんじゃないですか?」

 ここは学園塔の地下深く、ソリストなど第一級の戦士の力を魔法、肉体の両面において封じ込めるための特別な牢獄である。
 それだけに房数も少ない。牢は廊下の片側にしかなく、すべて合わせても5、6室といったところだ。現在、収容されているのはカル一人である。

「ずいぶんとおとなしくしていますね」
「そうそう考えもなしに動けるか」
「さすがにこれでは手も足も出ませんか」

 ビオラの口調は挑発含みである。
 だが、それにカルはのらなかった。

「どうやってここに来た?」
「私、老人うけがよいもので」

 以前にも聞いたセリフである。

「そこはそれ、蛇の道は蛇というやつです」

 それなら監守をともなっていないのもうなずける。まともな手続きは踏んでいないのだろう。

「最初に来るのはティアだと思っていたんだが」
「つまり私が最初の面会人ということですか」
「別にそうでもない」

 先客はあまり好意的ではなかったと察したのか、ビオラはそれ以上聞きだそうとはしなかった。
 もしかすると、最初からそんなものには興味がなく、自分の用事を優先したかっただけなのかもしれない。

「何の用で来たのか尋ねないのですね」
「どうせろくな話じゃないんだろ」
「そうですね、ろくでもない話です」

 微妙に表現をずらしてくる。
 ビオラの口調と表情にどこか沈んだような気配をカルは感じた。

 だが、まばたきするほどの間に、ビオラはまたいつも通りの人を食った顔つきに戻っている。

「以前、お話ししたことをおぼえていますか」

 ビオラの話には基本的に説明が足りない。
 決して悪気があってのことではないのだが、生来の愛想のなさもあり、人からは小馬鹿にしていると誤解されてしまう。
 ただ、カルの場合、そういうビオラの習性については先日の訪問である程度察しがついている。

 カルは聞く姿勢のまま黙っている。
 カルの無言を受け、ビオラはようやく説明を付け足した。

「ガイヴァントの陣取りゲーム」

 カルはひとつうなずいてみせる。
 それを確かめてから、ビオラは話に戻る。

「一方の動きはもう一方の動きを誘う……。討伐隊が出陣した時、()()がどちらに来るかは正直なところわかりませんでしたが、それがどうやらはっきりしたようです」

 結論をわざと遠巻きにしているのか、ビオラの話には省略が多い。

「どちらというのは、どれとどれのことなんだ?」
「あちらとこちらです」

 また代名詞ばかりだが、カルは重ねて尋ねることはしなかった。
 今ので十分に意味がわかったからだ。

「絶望がふたたびやって来ます」
「……いつ」
「今すぐにでも」

 不気味な音が鳴り響いた。
 まるで牢獄全体がきしむかのように。
 その直後、ただならぬ振動と轟音が伝わってくる。

 ここは学園の地下深くである。いかなる力も外に出さないための施設だ。
 それはつまり、いかなる力の侵入もしりぞけるという意味でもある。
 そうであるにもかかわらず、牢獄は今にも地中に埋まりそうなほどの揺れにさらされている。

 カルには慌てるそぶりもない。
 ビオラも同じである。

「防御結界は何層だったかな」
「八層ですね」
「今のでいくつ逝った?」
「四か五でしょう」
「そうか」

 カルが立ち上がる。
 地中の地響きにもおそれを見せなかったビオラが、道を空けるように一歩引いた。
 カルの両手がそれぞれ鉄格子を一本ずつ掴む。
 警戒魔法が作動し、カルの指に青い火花がまとわりつく。

「それはどうなのでしょう。何でもかんでも力まかせというのは……」

 首をかしげていたビオラが息をのむ。
 カルの黒い眼球が拡大し、黒曜石のような深い闇色に変質している。

 カルにはもはや人間の存在など眼中にない。
 それは怪物を全力で殴る時の目であった。
 気合い一閃。ソリストの魔法にも腕力にも耐えるはずの鉄格子は、悲鳴のような甲高い音をたててねじ曲げられる。

「俺の剣は」
「出て左の部屋に」

 カルはうなずきもせず歩きだす。
 カルの手が牢獄の鉄扉をつかみ、垂れ幕でもひきちぎるかのように壁からもぎとる。

 幸い、牢獄の外で不幸な事故は起きなかった。
 監守の中から身をていしてカルを阻止しようとする者はあらわれなかった。もしくは、鉄扉のひどい有様を目にして単に動けなかったのかもしれない。

「やれやれ、せっかちですね」

 取り残されたビオラは、その指で鍵束をくるくると回す。
 ビオラはそれを目の前の鍵穴へ適当に突っ込み、ゆっくりとカルの足取りを追った。



「なぜ……」

 誰がつぶやいたものかはわからない。だが、それはオーバー・ワンの姿を目にした者たちすべてに共通した思いであった。

 なぜ。なぜ今日なのか。なぜ今この瞬間なのか。
 人間どもの当惑をよそに、現実は容赦なく迫りくる。

 学園の空中庭園では、多くの者が西の方角をむいたまま麻痺したように立ちつくしていた。
 かつてのオーバー・ワン討伐隊の数少ない生き残りなのだろうか、がたがたと震えだした中年の男があらゆる体液を漏らしながらその場にしゃがみ込む。

 どのような恐怖もいつかは遠ざかる。
 どれほど恐ろしい記憶も、日常というゆるやかな川の流れにいつしか摩滅していく。
 だが、その日常さえも終わらせてしまう恐怖がある。
 オーバー・ワンとはそういう存在だった。

「今ので何層やられた!?」

 誰もが絶望にとらわれ、思考が空白になっている中で、いち早く学園の展望台まで駆け上がった者がいた。
 クアルト・ファビウス・タキトスである。人をまとめる立場にある者としてそれは十分褒められるものであった。

 遠眼鏡を夕陽に向けてしまい、「くそっ!」と呻いて右目を押さえる。

「四層です。幸い、半分で済みました」
「何が幸いなものか! もう一撃を耐えられるかどうかは五層目の損耗次第ではないか!」

 普段、副官のように使っている生徒のほっとした様子を、クアルトはどやしつける。
 だが、ここで説教をしている余裕はない。クアルトはきびきびと指示を出した。生徒の代表として、緊急時にはその権限が学園当局から与えられている。おそらく、それを憶えていたのは彼くらいのものだろうが。

「防衛用の砲をすべて空中庭園に集めろ。あれが西門に達し次第、砲撃開始だ。一斉でなくてかまわん、砲身が焼けるまで撃ちまくれ。それ以外の生徒は結界の修復だ。戦闘資格に関係なく、集められるだけ集めろ。あとは……」

 暗算するような顔つきになったクアルトは、その続きを口にする前にやや声をひそめた。

「南の……から……区までの住民は地区の教会に避難させろ。間違いのないようにな」



 ティアとマルチナが空中庭園へたどり着くまで、多少の時間を要した。
 学園の正面玄関である西口はいつオーバー・ワンの熱線を受けるともしれないため、遠回りして南口から入ってきたせいである。

 空中庭園はすでに防戦の舞台となっていた。砲ひとつが咆吼をあげるたび、無数の生徒たちが寄ってたかって砲内のすすを除き、火薬と砲弾を転がり込ませ、砲車を元の位置に押し出している。

 ギフト持ちを含めたあらゆる戦力の中で、火砲はもっとも射程距離が長い。都市防衛のかなめでもある。

 学園に設置されている大砲はすべて青銅製であった。
 だが、それは鋼鉄製の砲に劣っているということではない。むしろ逆である。

 鉄を溶かし、筒の形をした型に流し込む鋳造式が鋼鉄砲のつくり方である。
 だが、青銅はやわらかいため、後から内部をくり抜くことができる。
 そうすることでより精密に砲をつくることが可能となる。砲の内側と砲弾をより密にすることにより、射程は飛躍的に伸びるのだ。

 ただし、そのようにして作られた青銅砲は、すべて学園に集中的に配備されている。都市外周である城壁にまんべんなく設置できるほどには数がないからだ。

 かつて、学園都市は軍隊に包囲された場合を想定して作られた。
 王都消失以降、防衛構想は一体の巨大なガイヴァントに対抗するものへと変更を余儀なくされている。学園都市の城壁を突破するほどの強力なガイヴァントがあらわれた場合、学園施設を防御結界で守りつつ砲撃を加える。それは要塞と要塞の一騎打ちに似ている。

 そこに、住民を守るという思想はない。学園近隣の住民は学園内に収容されるが、それより外側に住む者たちは自力で難をのがれるしかないのだ。

「照準を怠るな! 狙って撃て!」

 いつもは静かな庭園だが、今はまるで開演前の舞台袖のように生徒たちが忙しく走り回っている。
 半ば混乱したような状況だが、その原因のひとつには、いち早く駆けつけた生徒の人数が砲の数にくらべてまだ少ないということもある。

 学園都市に存在する火砲のたぐいはカープラント・ボア討伐隊があらいざらい持っていったが、学園に据えつけられた青銅砲は例外であった。青銅製であまりに重いため、そのまま置いておかれたのである。

「クレメンティア殿にマルチナ殿! そこにいるのは君らでござろう!」

 二人に声をかけてきたのはクアルトである。
 にこやかな表情は条件反射なのだろうが、そこからもさまざまな感情を読みとることができた。二人と合流できたことによる安堵。余裕がなくなりつつある焦燥。そして、腹の底からわき上がってきて止めようもない恐怖。

「状況は?」

 あえて落ちついた声で尋ねるティアに対して、クアルトはうなずいているのか首を振っているのかよくわからない動きをした。

「とにかく撃ち込んでいるが止まらん! だが、平射砲の威力はここからでござるよ。今までは弾が届いていたにすぎぬゆえ。砲撃やめー!! 砲内のすす払いと次弾装填!! 射角を一番砲台に合わせーっ!!」

 後半は、青銅砲にとりついている生徒たちに向けられたものである。

 砲撃のペースは速い。
 砲弾を砲口から転がり込ませるという、このもっとも過酷な作業が、腕力にすぐれた神綬(フルギフト)の存在によって大幅に短縮されているからだ。
 さらに、学園都市が計画的に建造された街であることも砲撃には有利にはたらいている。街区は規格化され、場所を見ただけで正確な距離をはかることができるのである。

「撃てーーーっ!!」

 青銅砲が一斉に火を噴き、空中庭園が揺れた。
 大型の敵を攻撃するため、砲弾が分散する(あられ)弾ではなく、鉄製の円弾が一斉に飛んでいく。

 そのほとんどがオーバー・ワンのどこかに着弾した。
 炸薬弾でもないのに煙が上がったのは、断熱圧縮によるものだ。真っ赤に熱せれた砲弾はオーバー・ワンの鱗に衝突し、変形・圧縮され、瞬時にさらなる高熱を放つのだ。それもダメージを与える要素のひとつとなる。

「何だ……?」

 目を細めて、一斉砲撃の効果を確かめていたクアルトの口から疑問の声がもれる。
 着弾したあたりの様子がおかしい。
 どういう予想とも違っていた。銀色に輝いているのである。

 銀の領域はさらに広がっていく。まるで、鱗が次々と裏返っていくように。
 ついには、オーバー・ワンの全身が鎧をまとったような金属の光沢に包まれる。

「あれは何だ……聞いてないぞ」

 クアルトがつぶやく。それはもはや呻きであった。
 ティアの口調も同様である。

「環境適応だろう……その能力をもつガイヴァントはわずかながら確認されているが、これほど大型ですみやかに変化するのは前代未聞だな……」
「冗談ではない! 熱線だけでも厄介だというのに!」

 人は忘れがちである。
 敵も進化するということを。
 自分たちが努力している間、敵もまたそうであることを。

 銀鱗をおびたことにより、オーバー・ワンはさらに威容を増した。
 ティアも今さらながらオーバー・ワンの巨大さに戦慄させられる。目をあわせようとすると、空中庭園からでも見上げなければならないのだ。

 その巨体ゆえに、悠然とした動きでも実際の速度は馬の全力疾走を上回っていた。すでに西門と学園をつなぐ大通りの半ばまで迫ってきている。

「防御結界の修復は?」
「先ほど取りかかったばかりでござる、もし今……」

 その先をクアルトは口にできなかった。
 オーバー・ワンの熱線が学園の防御結界を一気に四層以上つらぬくことはすでに明らかだ。

 あと一枚、防御結界があれば、二度の熱線に耐えられたはずなのである。予測の甘さをののしりたいところだが、誰かの責任を追及するのは生き残った後のこととなるだろう。

「まっすぐこちらに来るか……」

 ここが学園都市の急所だということを理解しているのか、他には目もくれない。

 砲口が火を噴く音と砲弾の炸裂音が、もはやヒステリックなほどであるのにくらべて、オーバー・ワンは咆吼すらあげないのだ。

 吼えるという行為は威嚇だ。威嚇するのは戦いを避けるためだ。
 それは、戦う前に相手が逃げるのを期待する行為である。

 オーバー・ワンにそんなものは必要なかった。
 この世の頂点に立つ存在には、戦いを避ける理由がない。
 他者を怖れる必要がないのだ。
 だから咆吼をあげない。
 自分の存在を誇示するまでもない。
 自分は強いのだと、ことさら世界に向けて主張するまでもない。
 敵などいない。出会うものすべてが獲物なのである。

 地平線を焼く者。地上の絶対強者。
 それがオーバー・ワン。人からそう呼ばれる巨大なガイヴァントである。

「そろそろ戦える者を集めておくべきだろう。もうじき魔法の射程になる」

 むろん、ティアはその先頭に立つつもりでいる。リナがまだ駆けつけていないのは痛手だが、おそらく南門でスピアクリーパーに手間取っているのだろう。あれだけの長さをすべてつぶすとなればいかにリナの火力をもってしても骨だろう。

 リナのことはともかく、カルについてはむしろいなくて幸いだったとティアは考えている。
 あいつはオーバー・ワンの正面に立って白銀ごとこんがり焼かれそうな気がする。
 攻撃でもそうだ。いかに剣の腕がたつとはいえ、これだけ巨大な敵が相手である。必要なものはやはり攻撃魔法だろう。

「いや……それよりもクレメンティア殿は防御結界の方にまわっていただきたい。あちらは静珠柱を扱える者に限られるからいくら人手があっても足りないくらいであるから。上の方々もそちらにいらっしゃる」

「静珠柱……だと?」

 学園の防御結界の心臓部は、巨大な柱状の静珠石である。

 静珠石は見た目にはただの青い宝石だ。だが、マナを封じることのできる石の中でも最上位にあり、指先ほどの欠片で学園都市の一等地に屋敷が建つとも言われている。王都消失以後の混乱した世情にあっては、さらに価値を高めているだろう。

 蓄えることのできるマナは膨大だが、その分、保持する力も強く、そこからマナをスムーズに引き出すにはすぐれたギフト持ちの導きが必要となる。

「だが、ここまで接近されてしまったら攻撃に転ずるべきではないか。どういうことだ?」

 攻撃は最大の防御ともいう。同じマナを消費するにも、防御よりも攻撃の方が普通は効率がいい。

 何よりティアが不審に思ったのは、クアルトから言葉をにごすような気配を感じたことだ。

 クアルトの顔色は必要以上に青くなっている。
 声もまた誰かに聞かれることを怖れるようにひそめられていた。

「……手はないこともないのだ」

 その言葉の意味についてティアが尋ねようとした時のことである。

射石砲(ボンバード)ぉぉーーーっ!!!」

 微妙に的はずれな叫びが聞こえてくる。だが、意味は通じた。
 その証拠に、誰もがオーバー・ワンの方を見やったのである。

 びっしりと牙の並ぶ口が大きく開かれていた。
 洞窟のように深い喉の奥には赤熱したものがすでに灯っている。

 そこから放たれたものは、もはや炎というより直進する光と熱の柱であった。
 赤光と黒輝、相反する光がぎざぎざに絡みあいつつ、大気を引き裂いて進む。

 それ以上は誰も目を開けていられなかった。

 残る防御結界は三層半。しかも、先ほどよりも近い距離からである。

 誰もすぐにはまぶたを開くことができなかった。
 だが、まずはそのこと自体を不思議に思うべきだったのである。自分たちが生きていることを。

 ティアはおそるおそる顔を上げる。
 最初に見えたもの、それは歪な形をした水晶の群れであった。あまりの高熱に庭園の床が溶け、結晶化したのである。

 そして次に見えたものは、白銀の輝きであった。

 テラスの先頭に立ち、たった一人でオーバー・ワンと対峙する者。
 左手は前方にむけて開かれ、右手は怪物を解体するための大剣を握りしめている。

 鞘はない。剣を収めるつもりがないのである。
 あのオーバー・ワンを前にしながら。

 絶望に立ち向かうために生まれてきたような者がそこにいた。

 カルは空中庭園のテラスから跳躍した。
 ティアたちのことは振り返りもしない。
 もはやその眼中にはオーバー・ワンしかなかった。後につづくものがいようといまいと、戦う意思は少しもゆるがない。

「い、いかん! あの男を止めてくれ! 下手に刺激すればせっかくの計画が……」

 クアルトの口からとびだしたのは、カルの勇気をたたえるものではなかった。
 かといって、その無謀をなじるものとも微妙にニュアンスが違っている。

「計画とはなんだ。先ほどは手があるとも言っていたな」

 ティアの細いまなざしを受け、クアルトも観念したらしい。
 口走ってしまったものは今さらもう元には戻せない。

 それに、計画のことをより多くの者があらかじめ知っていることは、クアルトにとって決して不利なことではなかった。むしろ保身につながるともいえる。

「……いけにえだ」

 クアルトはいかにもばつが悪そうにつぶやいた。

「いけにえ……だと?」

 言葉の意味がわからない。
 いや、一般的な意味ならわかっている。神から恩恵をうけるために捧げられる生きた代償のことだ。

 もちろん、クアルトはそのままの意味で『いけにえ』という言葉を使ったわけではないのだろう。生きた動物をそのまま捧げるなどはとっくの昔にすたれた野蛮な習俗だ。教会でも儀式にはそれらの代わりとなる酒や穀物が使われる。

「あらかじめ決めてあるのだ……」

 ティアは不吉な予感がした。
 クアルトの前置きからは、自分が悪いのではないという開き直りのようなものを感じたからだ。

「西から来た場合は街の南側から、南から来たら東側、さらには月と日により街区がさだめられているのだ。彼らはすでに地区の教会を避難場所としてとどめおかれている。あとは手はずどおり、あの怪物にむかって追い立てられるだけだ」
「何のために!? クアルト、君の言っていることは訳がわからんぞ! 市民をただ殺させることに何の意味があるのだ!!」

 クアルトの顔は白く凍てつき、何の表情も浮かべていない。それは、自分が今まさにおこなおうとしている悪行を完全に自己弁護しきっている者の顔であった。
 自分に罪はない。ただ命令のとおりに従っているだけだ。
 人を殺す罪は引き金をひく者にあり、撃鉄や銃弾にはないのである。クアルトの表情はそう語っている。

「……討伐隊の死者は二千人だった。それと同じだけ殺せば奴も満足して帰ってくれるかもしれない」
「満足……だと。本気で言っているのか。ただそれだけのためにそんな馬鹿げたことを、そんな根拠で『二千人を死なせてみる』だと……?」
「我々もつらいのだ。しかし、他に手があるか? このままでは学園が灰になる。クレメンティア、君もわかっているだろう」

 クアルトはティアに言い聞かせようとする。
 だが、話す内容はろくなものではない。

「ここがやられたらそれこそ学園都市は終わりだ。つまりはここが学園都市そのものだと言っても過言ではない。そうだろう? 街などいくらでも再建できる。どうせあいつらは学園のおこぼれを目当てに集まってくる連中だ、いくら死のうとまた次がくる!」

 ティアは唖然としてしまう。
 クアルトの顔つきは今や恍惚とし、もはや悪魔に取りつかれたとしか言いようがなかった。

「何が重要なのかは考えればわかることだ。我々は国を保つのに必要な存在なのだ。貴族がいるからこそ人々は結束できる。なあ、クレメンティア、聞き分けてくれ、すべては救えないのだ! ならば誰が生き残るべきかわかりきったことだろう! 貴族の血は絶えればそれまで、我々の命には万が一があってもならないのだ! 市井の者などいくらでも代わりがいるではないか!」

 クアルトのヒステリックな物言いに、ティアはもはや絶句していた。
 非常時には人の真価があらわれると言うが、この男は口先だけという点では平時と何も変わらない。もちろん、より悪い意味で。

 だが、ティアもとっさに反論が出なかった。その方法の妥当性を吟味している自分が、確かにティアの中には存在している。あまりに醜悪なその方法の損得勘定を。

 ポコンという音がした。ティアの頭が後ろから軽く叩かれた音だった。
 驚いて振り返ると、フラベドスマッシャーを手にしたマルチナがちょっと怒った顔をしていた。

「考えすぎだよ、お利口さん。早く行こう、待ってるよ」

 マルチナは素朴な彼女らしく、必要なことだけを口にする。
 ティアは思わず赤面する。そして、自分を恥じた。

 いつから、自分はこんなにも打算的になっていたのだろう。
 いつから、確実に勝てる相手としか戦わない人間になっていたのだろう。
 いつから……。

 敵が来て、街を襲っている。その他に戦う理由などいらない。
 きっとカルも、それだけを理由に駆動しているのだ。
 むごいものを許さない。ただそれだけで、あの絶対的な恐怖と対峙しようとしているのだ。

「あんな男など行かせてやればいい。君らは高貴の生まれなのだ。身分の違う者と付き合うのはあまりよくないことだぞ、問題を引き起こす元になる」

 例え、誰もが絶望してしまっても、彼だけは決して休むことなく戦い続けるのだろう。
 それを何と呼べばいい。
 それこそ希望と呼ぶべきものではないか。

「クレメンティア……?」

 クアルトが気味悪そうにこちらを窺っている。
 知らず知らずに笑みがこぼれていた。

 ティアはその笑みのまま、クアルトに向きなおった。

「確かに君の言うとおりだ。我々は市井の者たちとは違う」
「そうか、ようやくわかってくれたか……」

 安堵するクアルトは、思いがけず厳しい眼差しに貫かれた。

「タキトス家のクアルトよ。ファビウスの血を引く者よ。
 お前たちが累代にわたり守ってきた血の貴さとは何だ。懸命さと勇気の証しではないか。
 我々は死ぬ覚悟を示してこそ人々から尊ばれるのだ。
 いざという時に助けてくれない者を、いったい誰があがめるというのだ!!」

 ティアの豹変にクアルトは声も出ない。
 が、すぐに忙しく口を開閉させる。出てくるのはやはり自己弁護であった。

「だが、他に手があるのか! あれを止める手だてなど……!」

 オーバー・ワンを指さしたクアルトが、唖然として固まる。
 ティアは事実をそのまま描写した。

「止まっているようだぞ」



 一閃。
 まさに横一文字の火花があがる。
 それは大剣の軌跡であった。
 すれ違いざま、カルがオーバー・ワンの右足に一太刀を浴びせたのである。

 大剣に打たれた銀鱗はくの字に折れ曲がっているが、断ち切られてはいない。
 だが、斬れないと決まったわけではない。
 この期におよんで、カルは自分の全力に剣が耐えうるのか心配だったのだ。

 次の斬撃でついにうろこが裂けた。その下から灰白色の肉が覗く。
 大剣を振り抜いた余波で、反対側の壁にもするどい弧の形が刻まれる。

 オーバー・ワンは足を止めた。
 これまでとは違う異変を感じとったのだ。
 今まで身に憶えのない感覚。それこそが初めての痛覚であった。
 この時、カルはオーバー・ワンの『敵』となった。

 カルはなおも動きを止めない。
 大剣の銀光が旋回をつづけ、瞬く間に赤く染まった。
 高低さまざまな音を響かせながら、その一撃ごとにオーバー・ワンのうろこが削り落とされ、血肉の飛沫が目抜き通りをまだらに塗装する。

 オーバー・ワンの巨体からすれば、ダメージは微々たるものかもしれない。
 だが、カルは止まらない。
 ただ斬りつけるだけではなく、オーバー・ワンの体重をひたすら削り落としていく。
 ゼロではないダメージが、猛烈な勢いで叩き込まれていく。

 不意に、カルの頭上が翳った。
 自分めがけて天井が落ちてくる、と思えたのはもちろん錯覚である。ここは屋外、学園都市の目抜き通りだ。

 オーバー・ワンもやられっぱなしで見ているだけではない。カルを踏みつぶそうと足を踏みおろす。
 ひと踏みで地面が陥没した。通りに面した建物が一斉に崩落し、その瓦礫が通りにも降りそそぐ。

 カルはすでにその場から飛び退いている。
 だが、かわしたはずなのに風圧でとばされ、地面を二転三転する。

 ただの風と呼ぶにはそれは凶悪すぎた。爆風だ。
 地面の方も、オーバー・ワンの足を中心としてすり鉢状にへこんでいる。
 地面が爆発するものだということをカルは初めて知らされた。

 あまりにも違いすぎる質量の差。だが、それで心が折れたりはしない。
 その手に握られているのは怪物を倒すために鍛えられた大剣である。
 今の衝撃にもカルの手から離れることなく、怪物を倒せと雄叫びをあげる。

 カルは立ち上がる。
 立てば必ず力がみなぎる。
 そんな風に体ができている。

 剣が剣なら、人も人であった。
 怪物を倒すのは、剣の中の怪物、人の中の怪物なのである。

 カルは受けた衝撃を何倍にもして返すように、オーバー・ワンの腹部にむけて突き刺さった。
 今度はただの一撃である。
 物が物を打つ音としてはあまりにも重すぎるものが響き渡り、学園都市すらも震わせた。
 オーバー・ワンの巨体がわずかではあるが押し返される。

 それはまるで、人の世界と異形の世界がせめぎあっているようでもあった。



 石が焼ける特有の臭いにまかれながら、ティアとマルチナは大通りを走っていた。

 通りには物見高い人影すら見当たらない。さすがに住民も逃げだしたのだろう。オーバー・ワンの姿は今や学園都市の西半分であればどこからでも目にすることができる。これほどわかりやすい危険もそうはない。

 途中、ティアたちは何度も立ち止まりそうになった。
 オーバー・ワンがあまりに大きすぎるせいで、もう十分に近づいたと勘違いしてしまう。
 あれはもう山である。その表現すらもはや比喩ではなかった。

 ティアたちを驚かせたのはオーバー・ワンだけではない。
 カルの姿もそうだ。
 縦横無尽に飛び回り、もはや目では追いきれない。
 オーバー・ワンの体表をはしる火花でその存在の痕跡を知るばかりである。
 まるで時を止めて攻撃しているかのようだ。

(剣を得たカルがこれほどのものとは……)

 ティアにも言葉がなかった。
 もはや斬るという概念はあてはまらない。ひと太刀ごとに、血肉をえぐりとっていく。
 山のような巨体にくらべるとその量はわずかであるが、剣さえ折れなければついには山を崩しきるのではないだろうか。
 さながら、石工が黙々と作業をつづけてついには巨岩すらも断ち割ってしまうように。

 いや、カルは最初からそのつもりなのだろう。
 だから自分たちでは追いつけなかったのだ。
 殺す気で走っている者に、かすかでも怯えを抱いている者が追いつける道理がない。
 カルはあの怪物を本気で殺そうとしている。

 カルの戦いぶりは、模擬戦(シャムバウト)において人と対峙する時とはまるで別人であった。
 カルに全力を出すことを禁じた家族の不安もうなずける。おそらく、カルは全力で人を殴ったことなどないはずだ。

 それは、まさに怪物専用の力である。

「本気で力押しとか馬鹿ですかね」
「ビオラ……」

 いつの間にか傍らにならんでいる少女の姿に気づき、ティアはその名をつぶやいた。
 ビオラは憎まれ口のようなことをたたいているが、その本心が別にあることは明らかだった。まばたきも忘れてカルの戦いぶりに見入っているのだから。

「止めますか?」

 そのくせ、しらじらしくもそんなことを尋ねてくる。

 なぜ、戦闘に参加するそぶりすら見せなかった彼女が今になって戦闘資格を得たいと言ってきたのか。
 その理由に思い当たるところがあるが、今は何も言うまい。
 ティアはこの難物ともよべる従妹にほくそ笑んでみせる。

「まさか」

 カルは立体的に、不規則に飛び回っている。カルの軌跡そのものが無数に殴り書きした銀色の線のようであった。
 ただし、その攻撃はオーバー・ワンの腰から下に集中している。
 高くとべば無防備な時間が増すからだが、それは魔法で攻撃するティアたちにとっても好都合なことだった。

「それではお先に」

 日常と変わらない気軽さで先陣を切ったのは、意外にもビオラであった。

「水蚓螺旋!!」

 ビオラの手から生じた水の渦が、オーバー・ワンの胸板に太い衝撃を叩きつける。
 水の重量だけでも相当なものだろう。並のガイヴァントであればまとめてなぎ倒されたに違いない。

 ただ、オーバー・ワンはあまりにも大きく、重く、そして固い。歩行するだけで地面に大穴をうがつような怪物には、当然のことながらその重量を支えるだけの頑強さが備わっている。

 だが、ビオラの魔法にもまだ先があった。

「……穿刺!!」

 ビオラが鋭く叫ぶと、鉄弓をはじくような音がして水流は一本の線にひき絞られる。

 回転体はその半径が狭まるほど回転速度が上がる。アイススケートの選手がスピンをする際に両手を縮めるのと同じだ。

 それにより生じた猛烈な回転力は、オーバー・ワンの体表の一点に集中する。
 言うなれば水のドリルであった。
 水といえども侮れない。何百年、何千年にわたる数億の水滴は石英すらもうがつのである。

 水のドリルの先端からは、水とは相容れないはずの火花が散る。
 金属同士が激しくこすれあうような音が辺りに響き渡った。

 マルチナはすくみ上がるようにして耳をふさぎ、ティアもそれにならう。ガラスの割れる音が街のあちこちでシンフォニーを奏で、絶え間のない騒音にマルチナはぎりぎりと歯ぎしりをする。

 どれほどその状態が続いただろうか。ビオラがあきらめたように息を抜くと、寄りあわされた糸がほどけるようにして水のドリルは単なる水として地面に落下する。

「おそろしく固いですね……」

 それなりに自負を傷つけられたのか、ビオラは苦い顔をしている。

「氷爪撃!!」

 間をおかず、四本の氷の矢がティアの手から飛んだ。
 だが、氷の矢は流星のように尾をたなびかせながら、ティアのすぐ眼前で停止している。
 それが二回、三回とつづき、合計二十四本の氷の矢がティアの前にずらりと並ぶ。

「氷爪撃・破砕連弾!!」

 今か今かと待ちかまえていた氷の矢は一斉に解き放たれ、ひしめき合いながら実に騒々しくオーバー・ワンの下あごに炸裂した。
 ビオラの水蚓螺旋・穿刺が一点突破だとすれば、こちらは面による衝撃である。

「あいつのことは1から疑ってかからねばならん。装甲の上からの衝撃が内部に通るのかどうか、それがダメージになるのか……」

 全身を隙間なく覆うフルプレートには、するどい刃よりも鈍器の方が有効である。だが、その常識は人間と戦う場合のものであった。

 オーバー・ワンは軽くあごをのけぞらせたが、ただそれだけだった。よろける素振りもない。

 人は脳を揺らされるとダメージを受ける。
 オーバー・ワンは人のように直立しているものの、人とは構造が違うのか。それとも、人の脳に相当する部分が別の場所におさまっているのか。

「力まかせしかないのか……」
「だったら……! アーモンド・ラスク!!」

 地面に手のひらをついているのはマルチナである。
 ちょうどトーストのような形をした石壁が地面からあらわれ、オーバー・ワンの股間を下から激しく突き上げる。

 が、別段何も起こらない。
 マルチナは、ばつが悪そうにティアたちを振り返った。

「……オスじゃなかったみたい。てへ」
「メスとも限らないけどな」


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