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終わりなき無慈悲な夜にも 作者:枕流
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5-2



 魔法学園(チュエリス・サリス)から四方にのびる大通りには会議所、取引所、両替商、店舗などの商業施設が建ち並ぶ。
 教会は通りからさらに奥まった場所にあるのが通例だ。

 南地区もその例にもれず、大通りから三区画ほどはなれたところに地域の教会がある。
 そこには周辺の住民、およそ千人ほどが避難していた。

 教会の礼拝堂からは外が見えないせいか、つめかけている人々はわりあい気楽で、中にはお茶を広げて周りにふるまっている者もいる。
 奇妙なのは、警護する者たちの顔つきがひどく暗いことだった。

 警護の任についているのは学園の生徒たちである。
 主に教会の出入り口を固めていることからわかるとおり、その任務はオーバー・ワンから人々を守ることではない。避難してきた住民を教会から出さないことであった。

 隣接する地域の教会も同じ状況にある。あわせて避難民は二千人。
 学園都市(アプリカ)全体を救うために選ばれた人々である。
 だが、彼ら自身はその事実を知らない。おそらく最期の時まで。

 これは必要な犠牲なのだ。
 それに、自分たちは命じられるがまま動いているにすぎない。
 警備の生徒たちはだいたいそのように自分を納得させている。

 いわば、自分たちは道具だ。
 刃物が人を傷つけたとして、罪に問われるのはその刃物を振るった者である。ただの道具を裁く者があるだろうか。

 そのように開き直ってみるものの、実行にたずさわるのはさすがに気鬱であった。

 しかも、ただでさえ気乗りのしない仕事だというのに、同じ任につく顔見知りが先ほどこんなことを耳打ちしてきたのである。

『まあ、これはもしかしてという話なんだが、案外根も葉もないことではないかもしれんな……』

 この作戦は、どうひいき目に見ても住民を意図的に犠牲とするものである。

 もし、最大限の幸運に恵まれたとして──つまりは二千人をいけにえにすることでオーバー・ワンが学園都市から去ったと仮定して、それでもやはりこのあまりに無道な作戦は、その無道さゆえにのちのち責任を追及されることになるやもしれない。

 そうなった時に世間からの非難を浴びるのは、それを命じた者ではなく、ただ命じられただけの実行部隊、すなわち自分たちになるのではないか……。

 我が身にかかわることだけに、ただの噂と聞き流す気にはなれない。
 実際、まるきりなさそうな話でもないのだ。
 なぜなら、この場合の命令者とは、学園の理事会なのである。
 魔法学園はおろか、都市全体の最高機関である彼らの責任をいったい誰が問えるというのだろう。

 それに、気になることはまだあった。実行部隊の面子だ。
 この教会を見張る生徒の全員が庶民出身なのだ。

 学園の生徒に庶民は少数である。わざわざ確率の計算をするまでもなく、単なる偶然でないことは誰の目にも明らかだ。

 空中庭園でのクアルトの言葉が思い出される。

『市井の者などいくらでも代わりがいるではないか!』

 あれはまさしく自分たちのことではないのか。
 貴族が領民を見捨てたり、責任を下へ下へと押しつける例は枚挙に暇がない。それはもはや貴族の本能と言ってもいいだろう。

 近づいてくる固い靴底の音に、思案が中断された。
 すでに夏だというのにマントを目深にかぶって風体を隠したその男こそクアルトであった。

 クアルトの陰鬱な顔には、彼の命令に従う者たちも正直やりきれない思いをいだく。
 悪事をおこなうにしても、それを命じる者の態度ひとつで実行する側の心理的負担はずいぶんと変わるものだ。
 せめて、断固としてやり抜くという強い意思を感じさせてくれれば、こんな疑問を感じる必要もないのだろうが……。

「手抜かりはあるまいな」

 進捗を尋ねるだけでも、頭から人を疑うような言い方をわざわざ選ぶ。
 そんなところにも小心者の臆病さがにじみでていると言えるだろう。
 ただ、クアルトには自分のふるまいについて自省する習慣はない。

 望むとおりの返事を受け、クアルトは重々しくうなずいてみせる。

 実のところ、クアルトの表情が暗いのにはちゃんと訳があった。
 生徒たちがクアルトに対して疑問を感じているのと同じく、クアルトもまた学園上層部への疑いを抑えきれずにいるのだ。

 オーバー・ワンの襲来という学園都市の存亡にもかかわる一大事だというのに、理事会の動きが不思議なほど緩慢なのである。

 動揺の中にあるといってもいい。そのくせ、彼らのみで逃げだそうとするわけでもなく、いわば機能不全に陥っているのだ。

 クアルトの人脈は学園の理事たちにも及ぶ。それは実家の力によるものだが、そこから伝え聞くところによると、理事会の腰が定まらないのはどうやら学園長の態度が不鮮明であることによるものらしい。

 この期におよんで決断をためらうのはなぜか。
 そこにはどのような裏があるのか。
 オーバー・ワンの襲撃について、学園長のみが知る何らかの事情が存在しているのではないか。

 いくつもの疑問がクアルトを不安にかりたてる。
 そうなると自分の影にもおびえるのが人というものである。

 もしや、自分は捨て駒として使われているのではないか──。
 奇しくも、到った結論は彼自身が生徒たちから疑われていることとそっくり同じであった。

 この非情な計画の実行に集められた者のすべてが庶民出身というのは、もちろん偶然によるものではない。自分が理事会から切り捨てられた場合、同じ貴族の仲間に迷惑をかけないようにするため、クアルトが意図的に仕組んだことである。

 もちろん、クアルト個人としても、おとなしく運命にしたがってやるつもりなどない。いざ非常の事態ともなれば、彼につき従う者も置き捨てて逃げるつもりでいる。
 だが、それはあくまで最悪の場合のことだ。
 当座としては、与えられた責務に全力をつくすつもりではいる。

 ただ、そういう腰の軽さこそ、生徒たちによってとっくに見透かされているのだが。

 これから行う手順を頭の中でそらんじながら、クアルトは街並みのむこうに目を向けた。

 クアルトの視線の先ではいくつもの光と音と震動が重なりあっていた。
 今も戦っているのだ。彼と彼女らが。

 中でも注意を引かれるのは、大剣が鋼鉄のうろこを激しく打つ音であった。
 聴覚にひときわ重く響き、しかも途絶えることがない。

「あれは人か……」

 クアルトは呻いた。
 信じがたい現実である。
 あの男が。市井で生まれた、貴族の血を一滴もひいていないような男が。

 あの男の戦いぶりは異常だ。
 オーバー・ワンの攻撃が他の者へ向かおうとするたび、あの男は銀鱗を力まかせに引き剥がし、ぶちぶちとちぎれる肉の感覚を与えることによって自分に注意を戻すのである。

 オーバー・ワンの注意を一人でひきつけ、平然と戦っている。
 あの男の存在がクレメンティアたちを勇気づけていることは明らかだった。
 彼が動いているかぎり、負けない。彼女たちはそう信じているのだ。

 もし、あの男が最後までオーバー・ワンと戦い続けることができたとしたら。
 倒しきるというところまでいかなくとも、この学園都市から追い返しうるとしたら。
 今からむごい仕業を強行しようとしている自分たちの立場は、はたしてどうなってしまうのだろうか。

 そこまで考え、クアルトは頭を振った。
 馬鹿馬鹿しい。そんなことがあるわけない。
 人の体力には限界がある。いつまでも全力で動き続けることなどできるはずがない。
 もしそれが可能なら、それこそ人ではないだろう。

 その想像に、クアルトはぞくりと寒気がした。
 人ではない何か。オーバー・ワンと肉体において互角の衝突を演じることができるとしたら、それはまさしくガイヴァントをおいて他にないのではなかろうか。

 いや、それこそありえない話だ。
 ガイヴァントは無条件に人を襲う。人の中で生活することなどできるはずがないのだ……。

「準備に入れ。追い込むのは向こうの教会と同時にやらねばならん。くれぐれも怪しまれるなよ」

 クアルトは思案を打ち切り、直面する問題に取りかかろうとする。
 まさにその時のことである。

「こんなところで何をしておられる?」

 突然、人の形をした火柱が背後に立った──。
 クアルトにはそうとしか思えなかった。

 そこにあらわれたのはメッサリナ・ユリウス・ダマであった。
 肩から湯気があがっている。都市の南門から丘陵地帯にまで分け入り、スピアクリーパーの長大な体を最後の一節まで焼き尽くし、そのまま休むことなく学園に駆けつけようとしている途中である。

 クアルトの背筋にはふるえが走っていた。
 ただそこに立っているだけで熱風のように押し寄せてくる威圧感。
 まるで別人である。普段学園で見かける彼女の姿とは。

 ディエントでの戦闘では彼女の後ろ姿を遠くからながめ、それで多少なりとも理解できたつもりでいた。
 とんでもない間違いだ。
 クアルトは本能的に察した。戦いのまっただ中にいる彼女は、口先で丸め込めるような相手ではない。

 事情を聞かれ、クアルトは先ほどティアにしたのと同じ説明をせざるをえなかった。
 今のリナを前にして少しでもごまかしを口にする度胸は、クアルトにはなかった。

 ただ、クアルトには上の命令で動いているという大義名分がある。
 これは学園上層部の決定であることを強調し、自らにふりかかる災難を少しでもまぬがれようと試みる。

 だが、結局のところ、戦いの中で殺気立っている彼女にそんなものはまったくの無意味であった。

「そんな馬鹿な話があってたまるか!!」

 リナは大喝した。しんぼう強く最後まで話を聞いた上で、引きしぼった弓をとき放つように。
 目の前にテーブルがあれば、その上にあるものはすべて飛び上がったことだろう。

 だが、意外にも、それを聞いた者たちはクアルトを除き、彼女の言葉に突き動かされる思いがしたのである。

 口には出さないものの、リナの全否定は彼らの正直な気持ちそのものだったからだ。

 討伐隊と同じ人数のいけにえを捧げるなど、その発想自体がいかにも馬鹿げている。
 学園当局が本当にそんな命令を出したのか?
 誰しも疑問に思うところだろう。

 それに、リナとクアルトでは言葉の説得力が大いに異なる。
 勢いが違う。公明正大さが違う。そして何より、信頼の歴史が違っている。

 これは比べられるクアルトが災難と言うべきだろう。
 リナは誰よりも前に出て戦い、誰一人として置き去りにはしない。生徒たちにとっては戦場の女神そのものである。

 しかも、彼らにはリナの言葉に従うことが習慣として身についている。
 リナの警告に反することは、それはすぐさま死に直結する。そんな戦闘を何度もくぐり抜けてきたのだ。

 クアルトは窮地に追い込まれていた。
 だが、学園における正義の側に属しているのは他ならぬ彼であることは間違いない。

 リナの言っていることなど、つまるところは

『そんなわけがあるか』

 というだけのことである。
 そこには知性も根拠もない。

 だが、この場で彼の方を支持する者がいったい何人いるだろうか。
 現状に理不尽さを感じている者ほど、単純な言葉が心に響くのである。

 自分では到底たちうちできない。
 そう思いながらも、ここで何も言い返すことができなければ、クアルトは身の破滅である。下手をすれば、上からは命令違反、下からは作戦の捏造でクアルト一人が追求されかねない。

 何としても沈黙だけは避けなければならない。
 その思いだけでクアルトは自分の口をこじ開けた。

「奴が何だというのだ……。知っているぞ、あれは()()()()()ではないか」

 まるで水をかぶったように冷や汗をかきながらも、クアルトの口元にはいつしか冷笑が浮かんでいた。苦し紛れに口から出たことが、自分でも的を射ていると思えたからだ。

 そうだ、あの男は間違っているのだ。
 おこないの勇敢さは認めざるをえないが、その根本にあるものは正義ではない。
 それは今からほんの数時間前、クアルト自身が問いただして確かめたことだ。
 学園施設から地下へとひたすら降りていった先にある、あの暗くじめついた牢獄で。



 一言に牢獄といってもさまざまな種類がある。

 酔って暴れた者がせいぜい一晩放り込まれるだけの簡易の牢屋。
 二度とは生きて出られない重罪人を収容する砦のような監獄。
 中には、豪邸と見まごうものまである。これは高貴な身分の者を一時的にとどめおくためのいわば別荘のようなもので、使用人が十人以上つくこともある。

 まさに、待遇も規模もぴんからきりだ。

(だが、警戒の厳重さという点においてはここをしのぐものはまずあるまい──)

 足元もおぼつかない暗がりの中で石段をくだりながら、クアルトはそんなことを考えていた。

 外界から遠くへだてられた学園塔の地下深く。地上の光はもとより、生徒たちの雑踏すらとどかない場所にその牢獄はあった。
 そこには念の入ったことに、魔法を阻害するさまざまな仕掛けが牢獄全体にほどこされているという。

 牢獄にもとめられる厳重さは、そこに何者を閉じこめるかによって変わる。
 この地下牢は、ソリストをはじめとする神綬(フルギフト)、すなわち魔法と体力の双方において際だった者を収監するための施設なのである。

 壁の灯火だけが唯一の光源であった。
 ただ、青銅色をした天井、床、壁には、あたりを照らすほどではないにしろ燐光のようなものが見てとれる。
 そこにかけられた防御魔法と関わりがあるのかもしれないが、そのあたりの知識はクアルトにはない。

 一種、独特な雰囲気がただよっている。
 ここを訪れる者は誰しも不安に思うという。はたして、自分はここからちゃんと出られるのだろうか、と。

 クアルトもまた、この場所から圧迫のようなものを感じていた。

(これは自分が臆病だからではない。むしろ恐れをいだくのが当たり前の反応なのだ。なぜなら、この地下牢は自分のように特別すぐれたギフト持ちを監禁するために作られているのだから──)

 彼は自分自身にたいしてそんな風に言い訳をしていた。もちろん、評価は自己と他者では異なる。

 魔法学園には三本の柱があると言われている。
 ガイヴァントを殲滅する剣、メッサリナ・ユリウス・ダマ。
 ガイヴァントの侵入を許さない盾、クレメンティア・アエミリウス・カッシーナ。
 復興を一手に引き受ける鎚、マルチナ・マリウス・マルケルス。

 だが、その言い草はクアルトには不満だった。
 むしろ、学園当局と生徒の間をつなぐ自分こそが柱の一本目として数えられるべきではないか、とクアルトは自信たっぷりに自認しているのだ。

 自分が具体的にどういう役割をはたしてきたのかは、彼にとってはどうでもいいことであった。
 そのポジションに自分が座っているということが重要なのであり、それだけでもう世間の利益になっていることは明白な事実なのである。あくまで彼にとっては。

 牢獄の空気はひんやりとしている。冷気が肌にしみこんでくるようだ。
 単に、壁が石造りだから、地下だから、というだけの理由ではない。
 なぜなら、すぐ外の廊下との間でもやけに温度差があるからだ。

 原因は牢の鉄格子にあった。
 鉄棒と鉄棒の間にある空間が、空気中の熱を吸収しているのである。

 鉄格子には強力な防御魔法がほどこされていた。鉄棒の間に隙間があるからといって、そこを通過できるというわけではない。
 いや、通るだけなら可能だろう。ただし、無事では済まない。

 問題は、強力な魔法というのはそれが発動されていなくても、ただそこに存在しているだけで周りに影響を与えるということである。
 鉄格子にかけられた魔法は、待機状態であっても空気中から常にわずかずつ温度を奪いつづけているのだ。
 そのせいで、牢獄は氷室のように底冷えしているのである。

 この場所には、何かと不安をあおられることばかりだ。
 しかし、今さら引き返すわけにもいかない。
 あの男に臆したと看守たちから思われてしまう。

 クアルトは自身の足音を重々しく感じながら、手前から三つ目の牢まで来て止まった。
 牢の主、といっても今ここに収監されている者は一人だけだが、その男は粗末なベッドの上で何ごともなく眠りこけていた。

 何というふてぶてしさ……。
 自分が内心でびくびくしていただけに、その男ことカル・ナイトウォーダーへのいまいましさがこみ上げてくる。

 だが、次の瞬間、クアルトはぎょっとさせられる。
 薄闇の中に二つの光がともったからだ。

 カルは寝ていなかった。両腕を枕にして、天井をじっと見つめている。

 クアルトの胸中に、あらためて別の形でふつふつと怒りがこみ上げてくる。
 名家の跡取りであり、学園においては第一の生徒でもあるこの自分に対して挨拶のひとつもないばかりか、ベッドに寝転がったままとはなんたる非礼か。

 クアルトは音高く舌打ちした。
 だが、その程度の意思表示がせいぜいで、その男をベッドから立ち上がらせてそれなりの礼をとらせることは不可能だった。

 なぜなら、魔力のかかった鉄格子が絶対の障壁として二人の間に横たわっているからだ。
 牢獄は囚人が外の世界に害をなすことをふせぐだけでなく、囚人が外から危害を加えられることもさまたげているのだ。

 クアルトは気をとりなおし、当初の目的にたちもどった。
 元より、長居をするつもりはない。ここに来たのは、あくまで彼自身の()()によるものである。

「カル・ナイトウォーダー。法の目をのがれてしみったれた悪事をかさねてきたようだが、それも昨日までのことだ。ついに観念する時が来たようだな」

 カルは天井からクアルトへと視線を移す。
 別に恐れ入る様子もない。

「いずれ全ての罪が明らかになるだろう、裁定に慈悲を乞うのであれば今しかないぞ。それを望むのなら、我輩に洗いざらい白状することだ。おぬしの心がけ次第では刑罰に手心をくわえてやれるかもしれぬ」

 クアルトはこれでも慈悲をかけているつもりなのである。
 だが、客観的に見れば、彼は自分の公明正大さを世に知らしめる機会に飢えているというだけのことだ。
 この場に余人をつれていないのも、彼にとって都合の悪い話が出てきた場合にはそれを聞かなかったことにするためである。

 カルはきょとんとして首をかしげている。
 まるで、人語を話す奇妙な壺でもまじまじとながめるように。

 クアルトは簡単に機嫌をそこねた。

「どこまで強情をはるか、悔い改めるということを知らぬ痴れ者めが。それともここから抜け出せるつもりでいるのか? 無知とはあわれなものだな、ここをどこだと思って……」
「あんた、誰だ?」

 うかつなことに、クアルトはここに来てまだ一度も名乗っていなかったのだ。

 クアルトには、自分のことは学園にいる誰もが知っているという先入観があった。
 カルもクアルトの名と背格好くらいは知っている。だが、せいぜい遠目に見かけたことがある程度で、顔かたちまで正確に記憶しているわけではない。

 実のところ、互いにとってこれがほとんど初対面なのである。

「我が名はクアルト・ファビウス・タキトス。この魔法学園において第一の生徒である」

 クアルトが先に名を明かしたのは話を先に進めるためであるが、それだけ自分の身分に自信があったからでもあった。

 どうだ恐れ入ったかと胸をそらせるが、カルには別にそんな様子もない。
 合点がいって「ああ……」とつぶやいたきりである。

 同じ生徒同士なのだから、と思えるほどクアルトはおおらかではない。
 何よりクアルトを腹立たしくさせるのは、カルの方はいっこうに名乗ろうとしないことである。

 おおかた、あの三人と行動をともにしているせいで、自分の身の丈というものを勘違いしているのだろう。この男に己の分際というものを知らしめてやらねばならない。

 クアルトは声を荒らげた。

「人が名乗ったというのに己は知らぬそぶりとはどういう了見か!!」
「ちょ、待て」

 カルが制止するものの間に合わない。

「ががっ!?」

 鉄格子から白い光が伸びたのはほんの一瞬のことだったが、クアルトは衝撃を受けてのけぞった。
 転倒こそまぬがれたものの、壁に背中からもたれかかる。

 幸い、放電はわずかであったらしく、受けたダメージは深刻なものではなかった。
 クアルトは肩で息をしながら、牢にいるカルのことを疑いと動揺の目でにらみつける。

「何をした……っ!」

 またも鉄格子から細い稲妻がひらめき、クアルトは背中のすみずみまで壁にくっつける。

「別に何も。鉄格子の魔法がやたらと過敏なんだ。叫んだだけでも反応する。それに、俺の名前ならもう知ってるだろ」

 思い返してみれば、確かにそうである。クアルトがここに来た第一声がそれであった。

 どうも一方的にペースを乱されている。
 そうクアルトが感じたのはどう考えても買いかぶりだろう。
 カルはただベッドに寝転がっていつもどおり振る舞っているだけである。いや、さすがに今のさわぎでベッドから上体くらいは起こしているが。

 会話が途切れた。
 これを機にもう帰ってしまえばいいものを、クアルトはなおも果敢に話を蒸し返す。議論というものを勝敗でしか考えられない男なのだ。

 話題は、相変わらずカルの罪状についてであった。

「おぬし、あの怪物に関する情報を集めているようだが、いずれより手に入れ、いずこに渡したのか、それをひとつ残らず明かせば量刑に多少の恩情がくわえられるよう口利きしてやってもよい。おぬしにも悪くない取引であろう?」

 自分の側からは取引材料として『正義』しか提示していない。人を説得する術としてはあまりにも稚拙と言えるだろう。
 クアルトがいかに恵まれた環境で暮らしてきたのかがこれでよくわかる。今まで彼の周りは、彼の意を先回りして察してくれる人々で固められてきたのだ。

 カルにはクアルトの申し出に応じる義理などない。
 だが、カルはベッドに座り直し、クアルトに正面から向きなおった。

 その動きはゆっくりとしたもので、ひとを威嚇するような要素などまるで見あたらなかったものの、クアルトの背中は相変わらず壁から離れようとはしなかった。

「あんた、自分のことを第一の生徒だと言ったよな」

 クアルトは鷹揚にうなずいてみせる。
 だが、これは必ずしも彼が図々しいということではない。
 一応、学園理事会の議事録にも記載された表現であり、非常時においては指導主事と同じく生徒への命令権が彼には認められている。

 この男は何を言いだすのかと身構えていたクアルトにとっても、次の言葉は意外なものだった。

「……王都がああなった原因はもう判明しているのか?」
「王都? いや、そんな話はまだ……」

 カルの静かな風格につい気圧されてしまい、話がとんだことに気づくのが遅れた。
 今まで王都の話などしていたか?
 なぜ突然そんなことを言いだしたのか?

 だが、すぐに思い当たるところが見つかる。
 確か、この男は王都の下町育ちで……。

 あれは、王都が謎の光に包まれて消滅した直後のことだった。
 あの時期は学園も混乱していた。さまざまな情報が錯綜し、今であれば一笑に付すような噂がさも真実のように街中を駆けめぐった。話す方も聞く方もいい加減なもので、矛盾した話がそのまま人から人へと伝わり、さらにおもしろおかしく形を変えていった。

 ただ、のちになってそういった情報の精査がおこなわれると、その中から真実が発掘されることもある。
 クアルトの記憶によれば、そのいくつかにおいてカル・ナイトウォーダーという名が出てくるのだ。

 王都消失後、その事実すらまだわからない段階で真っ先に学園を飛び出したのがこの男であったこと。

 その半日後に出発した偵察隊が、隊員全員が騎乗であったにもかかわらず、徒歩であったこの男に最後まで追いつけなかったこと。

 すり鉢状の爆心地と化した王都において、魂が抜けたように呆然と座り込んでいたこの男が不審人物として一時期捕縛されていたこと。

 勝手な行動をとがめられることがないよう、この男が偵察隊の一員であったという体裁を後からととのえたのがクレメンティアであること──。

 それらの出来事と、オーバー・ワンのことがクアルトの中でぴたりと重なりあった。
 さながら、パズルのピースが寸分たがわずはまり、ひとつの情景を完成させるように。

「そうか、お前は……」

 ごくりと喉を鳴らしたのは、感情の高ぶりを意識しておさえるためである。
 また声をはりあげて放電をくらってはかなわない。

「オーバー・ワンを追うのは家族の復讐のためだな? そうなのだろう?」

 言葉は疑問の形をとっていたが、クアルトは確信していた。

(この男は、王都を消滅させたのはオーバー・ワンだと思っているのだ!)

 パズルのピースがぱちりとはまる音には罠がある。
 それがあまりに心地よいと、他の可能性について考えることをやめてしまうのだ。今のクアルトがそうであるように。

(この男が沈黙しているのは、図星をつかれて不機嫌になっているからだ)

 カルの怪訝そうな表情すらも、クアルトの目にはそのように映っていた。

 だが、カルはそれを明確には否定しなかった。
 あえてそうしたのである。

 同じ角度からしか物を見ようとしない者に、別の真実があることを理解させようとしても無駄なことなのだ。

 カルも理解されたいわけではない。
 そんなことには意味がない。
 そんなことではどうにもならないのだ。

 普段は意識の底に眠っているものが、突如として頭をもたげると、もはやどうすることもできなくなる。

 もういないという現実が。
 もうどこにもいないのだという現実が。

 心をばらばらに引き裂き、新しい血をしたたらせる。
 何度も。何度でも。

 家族の仇がはっきりしていれば、それに向かって狂ったように殴りかかることでわずかなりとも痛みをまぎらわすことができただろう。

 だが、クアルトが口にしたとおり、王都消失の原因は今もって謎のままである。究明はいつになるかわからない。

 絶望の怪物(オーバー・ワン)はそれまでの間に合わせなのだ。

 ある意味、復讐ともいえる。
 そうでないともいえる。

 だが、カルにとってはどう思われようとかまわない。
 例え何万人に理解され、同情されたとしても、これっぽっちも痛みが癒えることなどないのだから。

 人の限界を超えた腕力でさえ、失ったものを取り戻すことはできない。
 すべての魔法を消し去る白銀でさえ、失った哀しみを消し去ることはできない。
 心の痛みの前では、人は等しく人なのだ。



 リナからいけにえ作戦を全否定されたものの、牢獄での問答を思い出してクアルトの言葉が勢いづく。

「奴はまともではない。家族を失い、逆上しているのだ。ただ怒りにまかせてこの街の全員を危険にさらそうとしている。そんなことは間違っている!」

 クアルトは巧妙に、非難をあの男ひとりに集中している。
 むろん、リナの存在を話題から遠ざけるためである。

 彼の失敗の原因は、何のことはない、はからずもリナと対立する形をとってしまったことだろう。誉れ高き魔法学園の生徒たちとはいえ、結局のところ教養に欠ける庶民に道理などはなく、リナの勢いに引きずられているだけなのだ。

 ならば、彼女を非難しなければいい。追求の矛先をあくまであの男一人に絞るのだ。
 それなら、誰が正しく、誰が間違っているのか、本能だけで生きているようなこの連中にもわかるだろう。

 クアルトの読みはだいたいそのようなものであった。
 戦術でいえば、敵を分断してその片方に攻撃を集中する各個撃破のようなものだ。華麗に一挙殲滅することを好む彼にしてみればずいぶんと譲歩したものである。

 だが、彼はまだ自分の読み違いに気づいていない。

 リナにとってカルは背中をあずけあう相棒であり、自分と分けて考えることなど到底できない存在なのだ。

 王都消失からわずか半年とはいえ、二人の人生は重なりあい、ともに万余の人々を救ってきた。
 どこからどこまでが自分という区別などない。同じ血が二人のあいだを循環している。流された血も、汗も、すべてが深い部分でつながっているのだ。

 クアルトの間違いは、リナの言動を予測するにおいて、彼自身の価値観を基準にしてしまったことに他ならない。
 それはおよそ最悪の選択といってよかった。

「間違っているだと……?」

 リナのくぐもった声が、クアルトの網膜に牙を剥く猛獣の姿をあざやかにうつしだす。
 彼は自分が助走をつけて獅子の尾を踏みつけたことにようやく気がついた。

 だが、もう遅い。
 リナの瞳に炎が宿り、烈しく燃えあがる。

「何が間違っているというのだ!! 家族をうしなったのだぞ!! 他に誰もいなくなったのだぞ!! 復讐で何が悪い!!」

「し、しかし、それでは正義もなにも……」

 クアルトは反論するべきではなかったかもしれない。
 なぜなら、そこにいる生徒たちの多くが何らかの形で王都とゆかりのある者を友人にもち、何人かは実際に王都出身だったからである。
 十代半ばまでの少年期を領地で過ごす貴族よりも、庶民出身の方が王都にゆかりのある割合は高いのだ。

「正義などくそくらえだ!!」

 言い切った。
 学園中から正義の人と目されている彼女が、よりにもよって。
 暴言といってもいいだろう。

 しかし、その場にいる誰もが──泡をくっているクアルトを除いて──その発言を不当なものとは思わなかった。
 なぜなら、それが彼女の本音であることは明らかだったからだ。

 仲間をおとしめられ、生々しい思いが心の底から噴きだしたのである。
 どこまでもまっすぐな言葉だった。
 是非はともかく、その正直さに不快を感じる者はまずいない。

「お前はどこにいるというのだ!! 戦う者の背中に悪口を言うな!!」

 最後の引き金をひいたとはいえ、積もり積もった怒りを一身にうけることとなったクアルトは災難といってもいい。

 もはや気死寸前となったクアルトのことなど目もくれず、リナはそこにいる学園の生徒たちを見渡した。
 その姿は威風堂々、まるでこの場におけるただ一人の指揮官のようであり、彼らもまたそのような目でリナのことを見つめていた。

「戦える者を集めろ。戦えぬ者はそのことを広く知らしめるのだ。それまで我らがあれを食い止める。必ず食い止めてみせる、この『砂漠の血(デューン・カーマイン)』にかけて!!」

 リナはアッシュブリンガーを抜き放つ。掲げた刀身からは、暮れゆく空を焦がすほどの炎が噴き上がった。
 いささか芝居がかっているが、リナにそんなつもりはない。
 そういう言動がごく自然に出てきて、しかもさまになるというのは彼女の特質のひとつである。

 言葉の役割はそこまでであった。
 リナは生徒たちの反応を確かめようともせず、戦いの場へと走りだす。

 残された者たちは、にわかには動きだせずにいた。
 彫像にでもなったかのように、リナが走り去った方角を見つめる。

 その間も絶え間なく聞こえている。絶望をねじ伏せようとする戦いの音が。
 鳴りやまぬ音。
 荒々しく。そして激しく。
 ずっと聞こえている。

 やがて彼らの中から恐怖による震えが消えていった。



「チョコクリーム・ホーン!!」

 マルチナがハンマーを地面に叩きつけると、オーバー・ワンの足元から岩の円錐がとびだす。その鋭い先端がオーバー・ワンの銀鱗とぶつかり、せめぎ合い、擦れた跡をのこして先端から崩れ落ちる。

 だが、マルチナも一度くらいではあきらめない。
 地面をぽこぽこと乱打するたび、円錐が後から後から現れる。

「チョコクリーム・ホーン!! チョコクリーム・ホーン!! チョコクリーム・ホぉぉぉン!!」
「……それはいちいち叫ばないといけないのですか?」

 あきれ顔のビオラもまた、言葉を交わしながら攻撃の手はゆるめない。

 彼女たちはさながら獅子にたかる蜂であった。
 しかも、一度刺せば針の抜ける蜜蜂とは違う。何度でも繰り返し刺すのだ。

 だが、蜂の針が獅子にいかほどのダメージを与えうるものなのか。
 数百数千とむらがるならともかく、今はこの人数なのである。

 はてしなく攻撃を繰り返しても、倒しきれるかどうか。

 だが、現状を維持することに意味がないわけではない。

 そのうち必ず、事態に変化が生じる。
 戦いというのはそういうものだ。

 それがどのような形でおとずれるのかはわからない。
 だが、その変化をいち早くとらえた者こそ戦いを制するのである……!

 などと考えていたそばから、ティアのすぐかたわらをものすごい勢いですっ飛んでいく物体があった。

 カルの肉体である。

「なん……だ……?」

 振り向く首の動きも追いつかない。
 建物の壁ひとつふたつを突き抜けたくらいでは止まらず、その向こうのさらに向こうでも土煙があがっていた。

 カルもそうやすやすと一撃を食らうたまではない。
 経緯はこうである。

 ちょろちょろと動き回る蜂どもに業を煮やしたのか、オーバー・ワンは自分の足元に熱線を発したのだ。
 もちろん、威力は加減されている。
 銀鱗の鎧をまとったオーバー・ワン自身にむかって、その熱線が全力で吐きかけられればどうなるのかは興味深いところだが、それを実際に試すつもりはオーバー・ワンにはないらしい。

 抑制されてはいるものの、あたり一面は火の海となる。路上の石畳も、通りに面した建物も、どろどろに融解するという手順をすっ飛ばして一気に蒸発する。

 気化した岩石は破壊的な熱風となり、周囲の建物を一斉に崩壊させる。

 カルは素早くその範囲からしりぞいていた。
 だが、いくら動きが速くとも、跳べば次にどこかへ触れるまで軌道の修正はできない。

 カルのいる空間を蛇のごとき尾がなぎ払った。
 蛇のごとくとは、オーバー・ワンのサイズから見た場合のことだ。人間のサイズにしてみれば、視界いっぱいの壁が飛んできたようなものである。

 よける術などなかった。

「カルくん吹っ飛んでった……」

 マルチナはショックのあまり、ハンマーを振り上げたままで固まってしまっている。

「だ、だいじょうぶだ、剣をちゃんと握っていたから」

 それをティアの動体視力は見落としていなかった。
 筋肉が緊張していたなら、生きてはいるだろう……その後、壁に何回も激突して気を失ったかもしれないが。

 実のところ、まずい立場におかれたのはむしろ彼女たちの方であった。
 怪物をつなぎとめていた鎖がひきちぎられたようなものである。というより、鎖をつないでいた杭ごとひっこ抜かれたと言った方が正しいか。

 獣気が増す。オーバー・ワンの口が開かれたのだ。
 牙からしたたるよだれの向こうで、赤熱した光が膨らんでいく。

 ただし、次に生じた熱と破壊はオーバー・ワンによるものではなかった。

 無数の爆発がオーバー・ワンの上体をおおう。それこそ比喩でないほど隙間なく。
 発生した爆煙のわりに、威力はさほどでもないようだ。
 その意図が攻撃ではなく、めくらましにあることは明らかであった。

 爆煙はいつまでもそこにとどまってはいない。
 ティアたち三人は慌てて通りから逃げだす。

 ひときわ高い建物の屋上に四人目がいた。
 リナである。
 掲げた手のひらにある火球はすでにはち切れんばかりに膨れあがっている。

「紅蓮烈球・重破《ボライド・エンチャージ》……!!」

 幾重にもかさなった火球がオーバー・ワンの喉もとに炸裂する。
 火球の爆発はほんの少しずつずらされている。そうすることで、一度に爆発させるよりも深く、強い貫通力を発揮するのである。

「足止めならおまかせ!!」

 マルチナは自信満々に腕をしごくと、手のひらを地面に叩きつけた。

「ミルクレープ・ド・コンプレッツ!!」

 ぼこん、と、オーバー・ワンの行く手で地面が台地上にせり上がってくる。
 側面はナイフで切ったようになめらかで、積み重なった地層がよくわかる。ちょうど、ミルクレープの断面のように。

 マルチナがやけに自信たっぷりなのは、先ほどシージマゴットを閉じこめたものと同じ種類の魔法であるからだ。

 マルチナとなじみの薄いビオラが首をかしげる。

「なぜどれもケーキの名前なのでしょうか」
「その方が集中できるらしい」

 だが、地面の盛り上がりはあっさりと踏みつぶされる。
 さすがに、シージマゴットとは重さが違ったらしい。

「あわわわぁ~~~!! なんでぇ~~~!?」

 涙目のマルチナに比べて二人の反応は淡泊そのものであった。

「いや、まあ、地面がへこむくらいの重量だからそうなるだろうな」
「無理もありませんね、あれの大きさは少なくとも人の五十倍はありますから。重量は五十の三乗で十二万五千倍、人の体重を六十キロとしても……」
「あたし、そんなに重くないけど」
「それでは五十キロとしましょう」

 マルチナは沈黙する。

「単純計算でおよそ六百万キロ、六千トンですね。人に比べて厚みもありますし、あの重量を支えるために比重も高くなっているでしょうから一万トンをくだることはないでしょう」

 そう結論づけながら、ビオラはふところから短い杖を取り出す。
 杖というよりワンドと呼ぶべきだろう。
 乾ききった骨にねじりを加えたような形をしており、握りは髑髏をかたどっている。乙女の白い手にはおよそ似つかわしくない代物である。

「しかし、例え一万が十万であっても変わらない戦い方というものがあるのです。古来、人が自分たちよりも強く大きな獲物を仕留める方法といえばそう多くはありません」

 ビオラはワンドにマナを集中する。

 ティアはそのワンドについて知っていた。が、実物を目にするのはこれが初めてである。
 見た目のとおり、いわくも重い。
 使う者を呪い、死に至らしめるという。
 そのためついた名前がワイフス・ラメント──妻の嘆きである。

 シラ家でも死蔵に近い状態にあると聞いていたが、今はビオラの専有するところとなっているようだ。
 それを持ち出すためにビオラがどのような手練手管をもちいたのか、ティアもあまり考えたくはない。

 青い光の粒子がビオラの周囲を取り巻いた。
 それこそアエミリウスの血を引く、シラ家の力であった。

 同族でありながら、ティアの持つホライゾン・グレイスとはまた違い、その深く澄んだ青い光は洞窟の清水になぞらえてケイヴァーン・クリアと呼ばれる。
 その言葉の清廉な印象とは異なり、青い光はビオラの姿が見えなくなるほどの荒々しさで噴きだしてくる。

 しかし、目に見えた魔法の効力はまだ現れてこない。
 ただ、それはまさに目で見えている範囲に限ってのことだった。

 オーバー・ワンの巨体が急に傾く。踏みしめた地面が、まるで薄い氷のように割れたのだ。
 その下は深い泥濘であった。オーバー・ワンは踏み出した足をすねのあたりまで地面に飲みこまれていた。

 ビオラは水の猛烈な回転力を地面のすぐ下に作り出していたのだ。
 つまりは落とし穴である。
 巨大な怪物には、その圧倒的な体躯や強靱なうろこをもってしても防げないものがある。
 自分自身の重量だ。
 母なる大地がなくなれば落下する他に道はない。

 ティアはとっさに冷気を集中した。
 泥沼は一気に凍り、オーバー・ワンの片足を大地に固定する。

 うまい連携ではあったが、魔法に魔法を重ねることは一般的にタブーとされている。異なる種類のマナが作用しあうと、相殺、暴走、変質、共鳴等々、何が起こるかわからないからだ。

 予測がつかないということは、プラスの結果が得られる可能性もあるということだ。
 魔法の重合は魔法学園において重要な研究テーマのひとつでもあるが、生徒がそれをおこなうことは禁じられている。
 この場合、とっさのことでありながらうまくいったのは、ティアとビオラという比較的近い性質の血脈によるものだともいえる。

 ビオラはティアに親指を立ててみせる。

「ナイスフォロー、さすがですね」
「いや、余計な真似をしたかな」
「いえいえ、目上には花を持たせませんとね。後から嫌がらせをされてもつまらないですから」
「……それは私のことを言ってるわけではないよな……?」
「あの……」

 小さく手をあげているのはマルチナだった。

「岩も役に立てることありませんか」
「ありません」
「いりませんか」
「いりません」

 いじけているマルチナをよそに、地面がめりめりと音を立てた。

 オーバー・ワンは大地からたやすく足を引っこ抜く。
 泥の色をした氷はオーバー・ワンの足を分厚く覆っているが、それもたやすく踏み割られてしまう。

 オーバー・ワンはことさらそうしたわけではない。ただ歩行しただけである。
 スケールが何もかも違うのだ。
 人として規格外の彼女たちとくらべても、なおその隔たりは計り知れない。

 ともかく、()()()()などという正攻法がおこがましかったのだろう。
 ()()()ように仕向けるのが、せいぜいできることの精いっぱいなのだ。

 彼女たちはすぐさま散らばり、建物の陰にもぐりこむ。皮肉にも、街の中であることが幸いしていた。これが何もない平原であれば一網打尽にされていたかもしれない。

 リナがオーバー・ワンに攻撃をくわえる。自分に注意がむくとすかさず身を隠す。
 反対側にあらわれたマルチナがハンマーで地面をぽこぽこ叩く。オーバー・ワンが熱線を放つ。路地まで広がってくる炎に、マルチナは悲鳴をあげながら逃げ回る。
 続いてティア。そしてビオラ。

 代わる代わる攻撃し、オーバー・ワンの鼻面をひっぱり回す。
 あらかじめ打ち合わせをしたわけでもなく、四人が四人、その戦法を理解し、実行していた。

 察しがよいというより、他にとるべき手がないからでもあった。
 理由は知れている。オーバー・ワンを抑える者がいなくなったせいだ。

「ちょっと、カルは!? あいつどこ行ったの!!」

 路地を縫うように走っていたティアの頭上から声が降ってくる。
 屋上から屋上へと飛び回るリナであった。口調には不満と心配が半分ずつ混ざりあっている。

 ティアは大通りの方に目を向けた。そこに彼の姿はまだ戻っていない。
 あてになるのは視覚というよりも聴覚である。戻っていれば、大剣が銀鱗を叩く音でわかるはずだ。

「心配ない! すぐに戻る!」

 ティアの返事を聞くなり、リナは口をへの字にむすんだ。
 しかし、言葉にしては何も言わず、そのままティアとは逆の方向へ駆けていく。

 リナの気持ちはティアにも痛いほどわかった。
 今すぐ問いただしたいあれやこれやを、胸の中で強引にねじ伏せたのだろう。

 悠長に話をしている余裕などないのは誰の目にも明らかだ。
 個々の攻撃力の総和はリナが加わったことにより増してはいたが、それぞれが逃げ回りながら攻撃しなければならないため、結果的には火力は落ちてしまっている。

 まるで、終わりのないぬかるみに足をとられているようでもあった。
 カルという役割がたったひとつ欠けただけで、戦いの様相はまったく変わってしまった。

 リナから問われるまでもない。ティアもまたカルの復活を今か今かと待ち望んでいるのだ。
 火力だけでも足りない。覚悟だけでも足りない。
 あの常識はずれの頑丈さを体ごと叩きつけるような戦い方でなければ、怪物を食い止めることなどできるはずがないのだ。

 このままカルが復活しなかったら……。

 もしそうなら、あとは時間の問題である。
 こんな曲芸まがいの戦い方などいつまでも続くものではない。
 いずれ誰かが致命的なミスをし、それは全体の崩れとなるだろう。

 その予感をティアは振り払った。
 不安は動きをにぶくするだけだ。今は心を無にして戦うのみである。

 だが、人間の都合などおかまいなしに、決定的な変化はすぐそこまで近づいていたのだ。

 ただし、彼女たちにではなく、オーバー・ワンの方にである。
 怪物が唐突に戦いをやめたのだ。

 怪物は彼女たちを追うのをやめ、あらぬ方向をじっと見つめている。
 それは、野生動物がふと何かに気づいて首を伸ばすそぶりにも似ていた。

「あれどうなってるの……?」

 オーバー・ワンの不自然な挙動よりも、すぐ隣でつぶやいているマルチナにいぶかしげな目を向けるのはビオラであった。

「いつの間にそんなところに」

 これほど近づかれるまで気づけなかったことに、ビオラは少なからず衝撃を受けていた。
 先ほどまでの騒がしいだけの印象とは大きく食い違っている。

 ビオラは不意に思い出していた。従姉であるティアがふともらした、マルチナという女についての評価を。
 ティアはこう言ったのだ。『あなどれない』と。
 その短い言葉の中にどれほどの意味がこめられていたのか、その片鱗をビオラは目の当たりにしたのかもしれない。

 マルチナの方には別に悪びれるようなところもなく、オーバー・ワンの挙動を子供のように不思議がっている。

「何を見てるんだろ……」
「目が向いている先でしょう」

 冷たく突き放すビオラにも実はよくわからない。
 オーバー・ワンが向いている先の街並みには、特に目をひくようなものは何もなかったからだ。
 いつもと変わらない、見慣れた街の風景。ただそれだけである。

 見慣れているからこそ、気づくのが遅れるということもある。

 最初に気がついたのはリナであった。
 先ほどまで同じものを目にしていたためでもある。

 そこにあるもの。
 それは地区の教会であった。

 この地域でも住民が怪物へのいけにえとして教会にとどめおかれている、というわけではない。クアルトの話では、それは南地区にかぎってのことだ。

 だが、そういうことが自然発生的に起きることもある。
 足に自信があるものはいち早く逃げだす。そうでない者たちは危険を感じると教会をめざすものだ。

 もし、南地区の教会のように住民でごった返しているとしたら、その人数はおよそ千人。

 オーバー・ワンがガイヴァントとしての本能を刺激されるには十分な数だろう。

 怪物がゆらりと動きだす。
 リナは血相を変えて叫んでいた。

「行かせるなあぁぁぁっ!!!」

 その声の切実さから、他の三人もすぐさま事態を理解した。一斉に走りだす。
 もはや交代で注意を引きつけるなどと悠長なことは言っていられない。オーバー・ワンの背中めがけて、四人の魔法が追いすがった。

 しかし、怪物は止まらない。
 止めるにはもっと火力がいる。常識を越えた先にある力が。

「ビオラ!!」

 ティアが叫び、ビオラも併走しながらうなずく。
 言葉に出さなくても考えていることは同じだとわかる。これ以上の打撃力を求めるなら、とれる手はひとつしかない。暴発の危険と多大な消耗を覚悟してでも。

 ビオラは今まで学園の生徒として戦闘に参加したことはない。
 だが、ティアとは血縁という間柄から、生徒には禁じられている魔法の重合を何度か試したことがある。

 成功もあった。失敗もあった。だが、今はそんなことはどうでもいい。
 その中に、大物を食い止めるという点においておあつらえむきなものが一つある。重要なのはただそれだけだ。

 ワイフス・ラメントから生み出された水流はぐんぐん伸びていき、オーバー・ワンの体や手足に巻きついていく。
 だが、これはまだ下地の段階である。
 ビオラの傍らで、ティアが水流に両手をかざす。

「「 戒 め の 茨 は 罰 を 下 す !!!! ザウ・ギルティ!!!! 」」

 二人の唱和が響き渡る。
 水流は一気に氷と化し、そこから氷の棘が四方八方に突き出される。
 棘といってもひとつひとつが家屋ほどもある。
 それが綱をひきしめる力と相まってオーバー・ワンの表皮にぎりぎりと食い込んでいく

 間髪入れずに、マルチナも動いていた。オーバー・ワンの背後に、黄色い砂塵が濃くわき上がる。
 そこにリナが炎を注ぎ込む。

 生徒には禁止されているというものの、腕におぼえるのある者ほど挑戦しがいのある課題である。そうなると、おとなしく規則の中におさまっている彼女たちではない。

 学園都市の東、丘を越えた向こうでしばしば謎の爆発が起こり、公爵家の娘たちが全身に霜をつけて凍えながら、もしくは髪をちりちりに焦がして戻ってくるのは、近隣住民と学園当局の見て見ぬふりをするところでもあった。

 リナとマルチナ、別の場所にいながら二人の詠唱が重なる。

「「 終 わ り な き 裁 き の 冥 夜 !!!! セブン・レイス・ベイン!!!! 」」

 砂塵の中から現れたのは、燃えさかる巨人の手のひらであった。
 ただの炎ではない。マルチナにより形作られた実体を持っている。
 単なる爆発や火炎ならすぐに効果が散ってしまうが、それはいわば莫大な熱量をもった焼きごてだった。

 四つの力が二つの魔法となり、オーバー・ワンの体躯にも負けない規模で襲いかかる。
 異なる性質の魔力により大気は乱れ、狂ったように逆巻き、辺りはさながら突然の異常気象にみまわれたようでもあった。

 この瞬間にすべての力を使い尽くしたとしても、止めてみせる……!!

 魔力は四つ。力は二つ。そして、四人の覚悟はひとつである。

 だが、それでも止まらないものがある。
 いくら決意しようと、我が身を燃焼し尽くそうと、人の身では止められないものがある。

 オーバー・ワンの歩みは止まらなかった。どけだけの力を叩きつけようとも。
 教会までの距離はみるみる縮まり、やがてゼロになる。

 ひと噛みで教会の鐘楼は根こそぎもぎとられ、ふた噛みで教会の屋根が剥ぎとられる。

 その下にいた人々は突然の出来事に慌てふためくが、身動きは必ずしも活発ではない。
 多くが、老人と子供であった。妊婦や病人もいた。いずれも遠くまで逃げるだけの体力がなかった者たちである。

「やめろ……!!」

 悲痛に叫んだのは誰だったか。
 四人のうち誰もがそれを自分の言葉として受けとめた。

 その一方で、ひどく現実感に欠けている。
 まるで遠い異国の出来事のように。
 これから始まるむごい光景に対して、あらかじめその衝撃に耐えうるように精神が機能の一部を停止したのである。

「やめてくれ……!!」

 圧倒的な力を前にして、声はもはや懇願であった。
 絶望に胸をしめつけられ、それ以上言葉がつづかない。

 だが、心はまだ望んでいた。こんな状況であってもなお。

 誰にも止められないものにさえ、それと知りつつ立ちはだかる者。
 例え、この世界が終わるとしても、たった一滴の血のために立ち上がる者。

 望めば必ずそこにいる。
 そんな都合のいい存在を。

 名もなく。家もなく。
 そして臆することも決してない──

 止まることのない強さで、夜の闇さえくつがえす。

 人と争うのはめっぽう苦手で。

 欲がとびきり薄く。

 背が低いのをちょっと気にしている。

 手を伸ばせば──必ずそこにいてくれる。

 そんな彼が戻ってくるのを。



 カル・ナイトウォーダーは静寂の中にいた。

 何も見えない。何も聞こえない。
 こんなに安らいだ気持ちはいつ以来だろうか。

 ただひたすら戦ってきた。
 他には何もない生き方だった。

 もういいだろう。
 休息の時が来たのだ。

 戦士の行きつくところ──それは永遠の静寂。
 地を這うように戦い、雨に打たれながら戦い、血みどろの中でのたうち回るように戦い続け、自分もそこに到ったのだ。

 もうとっくに抜け殻だったように思える
 何もかもなくして、それでも戦い続けたのは正義のためではない。
 空っぽの自分には他に詰めるものがなかったからだ。
 魂を失った人形が、ただ、機械的に動いていたにすぎない。

 それも終わりだ。
 ようやく終わる。

 これだけがんばったのだ。
 これだけがんばったのだ。
 誰に非難されることもない。
 誰に非難されることもない。
 痛みはすでに過ぎ去った。
 痛みはすでに過ぎ去った。
 もはや苦しみは他人のものだ。
 もはや苦しみは……いや、他人とは誰のことだ?

 深く居心地のよい闇の中で、カルは頭をもたげた。
 自分のかたわらにもう一人、自分に囁いてくる者がいるように思われたのだ。

 気がつくと、カルは城壁の上にいた。
 学園都市の城壁である。

 夕陽が世界を茜色に染めていた。
 これはあの日の光景だと、カルは確信していた。

 王都が消えた日。カルがすべてを失った日。
 だが、そこに立っているのはリナではなかった。

 男である。まだ少年と言ってもいい。
 こちらを振り返る。その顔はカルと瓜二つであった。

 だが、どこかが違う。

 黒曜石のような光沢をもつその瞳は、自分よりも父に似ているとカルは思った。

 父はカルが幼いうちに亡くなったため、あまり記憶には残っていない。
 憶えているのは、病弱なため家にこもりきりだったこと。
 人とは思えぬほどの美形でありながらそれをベールで常に隠していたこと。
 そして、血とは違うものが通っているとしか思えない白い肌である。

 ほぼ寝床に伏せきりだったが、ごくまれに調子のいい日にはカルを相手に剣術のまねごとをしてくれた。
 カルの切っ先は、父の体に触れることすらかなわなかった。

 まだ年端もいかない子供と大人である。それも無理のないことではある。
 しかし、カルは思うのだ。今の自分でも果たしてどうだろうか。
 父の体に触れるどころか、一合を交わす姿すら想像できない。

『いつまで半分だけで戦うつもりだ?』

 父の瞳を持つ自分が問いかけてくる。

 まさしく、自分である。
 カルはそれが、自分の一部であることを知っていた。

 別の人格、というわけではない。カルの中に眠る別の性質と呼んだ方が正しいだろう。
 より正確には、眠っているのではなく、カル自身が抑え込んでいるのだ。

 制御できる自信がない。
 妹との約束がなくとも、カルにこれを解き放つつもりはなかった。

 ならばいっそのこと……。
 カルは腰に手をやるが、鞘は空だった。
 そんなカルを見て少年は声もなく笑う。

『ただ待つだけの者を斬り急ぐのはなにゆえか。
 慌てるのは恐れからか。いずれその時が来ると察しているからか。
 必要となる時が。必要とする時が』

 カルは答えなかった。
 組み伏せようと飛びかかるが、男の姿は布がほどけるように消えてしまう。
 後には声だけが残った。

『いや、もうじきか』

 夕陽はいつの間にか翳っていた。
 土煙が地平線にそって限りなく広がっていく。
 嵐はすぐそこまで迫っていた。



 ただ一筋、人の形をした閃光が宙を走った。

 立ちこめる獣気を。
 ゆらめく火の粉を。
 無数に舞う氷の破片を。

 それら全てを突き抜け、一直線に飛ぶ。
 絶望の怪物めがけて。

 リナとティアは口をそろえて。
 マルチナは目を丸くして。
 ビオラは息をつめるようにして。
 四人はその名を叫んでいた。

 カル・ナイトウォーダーである。
 間違いようもない。あのような場所に突き刺さっていく者など他にいるものか。

 カルが手にした大剣は根元までオーバー・ワンの首筋に突き刺さっていた。

 そこにありえないほどの力がこめられている。
 肉が裂け、ひきちぎられていくぞっとするような音。
 限界を超える負荷に大剣が鳴く。

 次の瞬間、大剣は一気に振り抜かれていた。
 滝のようにまき散らされたものはオーバー・ワンの血肉であった。



 地上に落下してくるカルの体を受けとめたのはビオラの水の糸であった。こればかりは炎、氷、土にはつとまらない。

 カルの手に握られている大剣は、もはや原形をとどめてはいなかった。
 刃こぼれしているどころの騒ぎではない。折れない剣は、すさまじいまでの力と力の接点において摩滅し、刀身が大きくななめに削ぎ落とされていた。

 カルは頭から足の先まで血まみれだったが、大半がオーバー・ワンのものである。水の網から地面に立つ動作も危なげはない。

 一方、オーバー・ワンは首の周りを三分の一ほど切り裂かれ、今も赤黒い血をたれ流している。
 人であれば致命傷であり、すぐにも意識が途切れるほどの深手だ。人でなく、獣でも同じだろう。

 だが、オーバー・ワンは最初こそ多少ふらついたものの、すでに足取りはしっかりしている。やはり生物とは根本的に構造が違うのか。

 オーバー・ワンはもはや教会の避難民には目もくれなかった。
 はるかな高みから見回す。おそるべき敵の行方をつかもうとしているのだ。
 そして見つけた。

 オーバー・ワンは口を開く。血が口腔にもあふれ、上下の牙の間に濁った色の橋をかける。
 その奥で赤い光が急速に膨らみつつあった。

「もう二度と吐かせない!!」
「違う、もう一度吐かせるんだ!!」

 リナの決意を横から制し、カルは弓をひくような動作をする。

「八連装!!!!」

 リナたちはカルに向かうマナの奔流を感じた。さながら、大河が滝壺に落ち込むような勢いである。
 近くにいるだけで物理的に体が引きずりこまれそうな錯覚すらおぼえる。

白銀(アージェント)!!!! ()()()()バージョン!!!!」

 白銀を幾重にも重ねることができるなど、共に戦ってきたリナすら知らなかった。しかも消すのではなく、ただの障壁として使えることも。

 八枚の白銀はカルの手から解き放たれると、後ろから押されるようにしてひとつに固まり、今まさに熱線を吐きかけようとするオーバー・ワンの口に飛びこんでいった。

 白銀と赤熱、異なる色が激しくせめぎ合う。その二つの光は決して混ざり合おうとはせず、まるでこの世界に存在できるのはどちらか片方だけであるかのようだった。

 赤熱が喉の奥からほとばしってくるのに対し、白銀は八枚きりである。
 だが、その八枚がすべて打ち破られるよりも先に、赤熱は別の出口を見つけていた。
 カルがつけた、首筋の切断線である。

 陽の光に似たまばゆい炎が、切り裂かれた首筋からほとばしる。
 まるで真横にむけられた噴水のようだ。

 その熱は首筋の傷口を左右に広げ、ついには一周する。

 炎が真上にあがった。オーバー・ワンの首が落ちたのである。

 巨体がゆっくりと前のめりになる。
 一、二歩、足が出たのは、その時点でもまだ命をつないでいたのか、それとも単なる構造上の偶然なのか。

 あまりの大きさであるため、完全に倒れるまでずいぶんと時間がかかった。
 地響きでカルたちの体が地面から浮きそうになる。

 熱線の残りかすなのか、首の断面から溶岩のようなものが流れ出てきて、地面の血だまりを煮えたぎらせている。もはや動きと呼べるものはそれくらいだった。

 悪夢は止まった。

 カルは役に立たなくなった大剣をながめながら、とても悲しそうに溜息をついている。
 いかにも残念そうなその様子を、先ほどまでの鬼気迫る姿とむすびつけることは難しい。ただの貧乏性の少年だ。

 他の者たちはあまりのことに声も出なかった。
 ティアもまた呆然としていた。
 今、目の前で起きた出来事はいったい何なのか。自分の中で整理がつかない。

 カルという存在の中で何かが爆発した。そうとしか表現のしようがなかった。
 あれは怒りなどという表現ではおさまらない。
 まさに狂気である。
 あの瞬間、カルの脳裏には正義などという概念はかけらも存在していかなっただろう。ただ、狂を発した二つの力が互いの全存在をかけてぶつかりあったのだ。

(だが、だからこそ……)

 そんなカルだからこそ、リナは心を奪われたのだろう。
 その気持ちが今のティアにはわかるような気がしていた。

 リナがカルに興味をもったのは、最初はその強さゆえだろう。リナ自身の信念によれば、カルは本人の意思にかかわらず戦わなければならないのである。
 共に戦えば情もうつってくる。カルの心の空白にも気づき、それを埋めようとしてさらにカルを戦いへ連れ出した。時に、リナ自身もそのことで苦しんだことだろう。

 だが、今は違う。

 リナはうらやましいのだ。カルの家族が。

 圧倒的な敵を相手にしても、発狂したように戦いつづける彼の姿を見れば、どうやっても思ってしまうだろう。

 例えば自分が死んだ時……。
 こんな風に狂ってくれる人がいるだろうかと。

 もはやこの世のどこにもいない自分を目指して、足が傷だらけになるのもかまわず歩き続けてくれる人は。

 自分には。

 そして、()()には……。

 ティアにとって家族といえばまずは彼女自身の母親であった。
 他にもいるにはいるが、その存在は希薄である。なぜなら、母親が彼女の頭上をおおうほどに巨大な存在であるからだ。

 ティアにとってのみではない。グレマナム王国全体にとってもそれに近いだろう。
 彼女の母親は、王国でもっとも崇敬され、そしてもっとも怖れられるカッシーナ女公爵その人であった。

 その権威は国王ですら及ばないかもしれない。アエミリウス氏族の連邦は水資源と鉄と石炭の供給源であり、その結束と盛大な勢力によって王宮からも半独立の権益を認められている。
 まさしく公国。それを統べるのがカッシーナ公なのである。

 ティアは母に優しさをかけられた記憶がない。母はいつも慈愛などかけらも見当たらない顔つきで、ティアを見下すのである。
 求められるものは常に、公爵家次期当主としての政治的な正しさであった。
 彼女の少女時代とは、さながら固い弾条を幼い体の隅々にまで埋め込まれるような日々だったのである。

 鉛を煮つめたような朝。
 怯えてすごした氷の夜。

 一瞬たりとも気の抜けない生活は、今もティアの心に醜い傷痕を残している。
 夜半、睡眠という人がもっとも無防備になる時、あの頃の記憶が不意に呼び覚まされることがある。

 そうなると体が震えて壊れそうになる。
 そんな時は声を押し殺して泣くのだ。誰にも聞かれぬように。
 そんな配慮まで政治的な自分を呪いながら。

 倒れることさえ許されず、背骨に鋼を通される。二度と倒れぬ者になるため。
 こんな自分に生まれたかったわけではない。

 倒れたら誰かの手に支えられながら立ち上がる。
 そんな自分に生まれたかった。

 例え今より弱くても、そんな自分に生まれたかったのだ……。

 もし、カルがあの女の前でも平然としていられたら。
 あの女が絶対の恐怖などではないと証明してくれたら。
 自分も何かを取り戻せるかもしれない。
 強さとひきかえに失ったしまった何かを……。



 ティアの回想は中断された。
 させられた、と言った方がより適切だろう。
 突然の違和感が、ティアの思考に割って入ったのである。

 だが、違和感の正体についてはティア自身にもすぐには見当がつかなかった。
 ただ、自分が見ている光景の中に、何か間違っているものが混ざり込んでいるように思えてしかたがないのだ。

 ティアはオーバー・ワンの死骸をまじまじと見つめる。
 おもむろに手足を数えだす。
 1、2、3、4……5、6、7、8……? 9? 10?
 もうわかった。

 新たに増えた足は死骸の側面から生えていて、蜘蛛の膝高な足に似ていた。
 最初からそこにあったと言い張るように、今はじっとしている。

 どう考えてもおかしなことになっている。
 ティアは警告を発しようとしたが、とっさに適切な言葉がうかんでこなかった。

 ここは単に、『死んでいない』とか『生きている』といった叫びでよかったのだ。指さして『おい!』や『あれ!』でも。悲鳴をあげるだけでもいい。
 だが、その異様な光景を伝えようとしてしまったために、ティアは言葉につまったのである。

 ティアの動揺はほんの数瞬のことであったが、それがおさまるのを状況は待ってくれなかった。
 蜘蛛の足がすっくと立ち上がったのである。

 立ち上がる、と言っても人間のように膝を伸ばしたわけではない。
 オーバー・ワンの死骸を地面からわずかに持ち上げ、あらぬ方へと走りだしたのである。その挙動はまさしく蜘蛛であった。

 ただし、サイズは大きく異なる。
 その場にいた全員がさすがに気づいた。

 あまりの得体の知れなさに誰もが呆気にとられる。

「何なのあれ……」

 リナのつぶやきに答えられる者などいない。

「……追いかけなくていいのか?」

 カルの指摘に、リナはパチクリとまばたきをして他の三人を見回す。
 どれもリナとそう変わらない顔をしている。

 あやうく見送ってしまうところだった。

「も、もちろん! 追いかけるわよ!」
「もちろん、放っておくわけにもいかないからな」
「もちろんです、これがどういう事態なのか見極めなければ」
「もちろんだよ!」

 『もちろん』が四つ続いて走りだす。
 カルは特に何も言わず、その後を追う。

 逃げる方向を間違えているのか、それとも頭がないせいで方向そのものがわからないのか、はたまた熱線という攻撃手段を失ってやぶれかぶれになっているのか、オーバー・ワンの死骸は大通りを学園の方角へ向かっていた。

 いや、例え首がなかろうと、もう死骸と呼ぶのは不適当だろう。
 オーバー・ワンと呼んでよいものかは別として。

「な、なんか別の生物になってない??」

 マルチナの指摘は今さらではあったが、確かに事態を端的にあらわしていた。
 だが、別の生物とはいっても、あれを生物的に分類することなど不可能に違いない。体躯は爬虫類、蜘蛛のような足を持ち、頭部を切断されながら体はなお活発に動いているのである。

 あたかも生物の姿を脱ぎ捨てたかのようだった。

 生物であることをやめたのか。
 生物であると偽ることをやめたのか。
 それは定かではない。

 事態の急変というものは、だいたいの場合において単発では終わらない。
 大抵は仲間をつれてくるものだ。

 この時もまた例外ではなかった。
 オーバー・ワンが蜘蛛のように疾走するその先に、人の集団がいたのである。

「うお、こっち来るぞーーー!!!!」
「来た来た来た、ほんとに来た」
「まさかこんな日がくるとはな……」
「うわ……まじで地面ゆれてる」

 彼らはリナに触発されて学園からやって来た生徒たち、およそ八十名だった。
 大通りをまっすぐ急行してきたのは、別に彼らが不用心というわけではない。リナたちがオーバー・ワンの注意と熱線を引きつけていたからである。

 オーバー・ワンと自ら戦うと決めた者たちだ。実力には個人差があるものの、士気はみな高い。

 しかし、彼らは迫りくるかつてオーバー・ワンだった何かを目の当たりにして、ひとしく同じことを思った。

(なんか違う!?!?)

 彼らがそれぞれの胸のうちで戦う決意を固めていたのは、あくまでオーバー・ワンを想定してのことである。
 それとはまったく違う巨大な何かが猛烈に突進してくる。

 見慣れないもの、正体のわからないものほど、人の恐怖はかきたてられるものだ。
 まるで想像していなかった事態に、八十人の間で八十人分の覚悟がゆらいだ。
 もはや浮き足立つ寸前、迎え撃つどころの騒ぎではない。

 しかし、彼らとは対照的に、足並みそろえた横隊で前進してくる一団があった。
 生徒たちのすぐ後ろに来たところで止まる。

 といっても、その一団もまた構成員は生徒である。

 全員が同じものを手にしている。弩弓である。
 銃兵が当たり前となった昨今ではあるが、旧式の武器だとあなどれない。弩弓の射程距離は銃を上回るのである。

 銃は射出のエネルギーこそ大きいものの、円弾であるため空気抵抗により急速に威力が落ちる。
 その点、矢は飛行が安定する形をしており、そのため斜め上方に撃つことで飛距離を稼ぐことができるのだ。

「全隊止まれーーーっ!! 射撃体勢ーーーっ!!」

 号令一下、横隊二列の前列が片膝立ちになる。
 指揮しているのはクアルトであった。

 住民を犠牲にするという上からの命令は、彼の中ではすでになかったことになっている。
 リナの出現により、生徒たちの流れを完全に変えられてしまったためだ。
 それを無理に戻そうとは、クアルトはしなかった。そんなことをすれば、クアルト自身が矢面に立たされる。どう事態が進行するにしても、後日になって軽蔑と非難の的とされるのは目に見えていた。

 風向きが変わったのなら、それに従うのみである。基本的な処世術だ。彼は自分が作りあげた流れには固執しなかった。どのような流れであれ、自分がその上にのっかっていればよいのである。無理に立ちはだかって押し流されるなど愚かなことだ。

 そういった政治的な思惑とは別に、クアルトはまるで少年のような高揚感に頬を染めていた。
 単純に好きなのだ。人馬の集団が一律に、号令と寸分たがわぬ動きをとることが。

 『一律に』『寸分たがわぬ』。
 なんと美しい響きか。
 彼は調和を乱すものを憎む。それが例え戦場であっても。

「放てーーーっ!!」

 クアルトの号令により一斉に矢が放たれる、というわけにはいかなかった。
 定規をあてたように整然とした行進にくらべて、射撃のタイミングはお世辞にもそろっているとは言えない。
 おそらく、隊列運動の練習にばかり時間をさいて、射撃の訓練は怠っていたのだろう。

 ともかく、何十という矢が放物線をえがいてオーバー・ワンに降りそそぐ。
 弩弓はただの弓とは違い、あらかじめ弦をひきしぼってあるので、射手の腕とは関係なく距離は飛ぶのである。

 放たれた矢の軌跡が緑色に光って見えるのは、(やじり)の後ろにエメラルドのような輝きをもつ石がとりつけられているからだった。

 緑珠石と呼ばれている。
 その石はマナを溜め込む性質をもっている。

 矢が命中すると仕掛けられた炸薬により、緑珠石が破壊される。
 それによりマナが一気に解放され、特殊な紋様をほどこしたグリッド板を通して攻撃魔法が放出されるのだ。
 魔法の威力を減衰することなく、より遠くに届かせるための工夫である。クアルト自身が発明したわけではないのだが。

 緑珠石は同様の性質を持つ物体の中ではもっとも安価であるが、使い捨てにするのはさすがに費用がかかり、実戦への出動はこれが初めてであった。

 射撃の腕はあまり褒められたものではないが、的が大きいおかげで無駄弾も少なく、矢は次々と命中する。
 緑の放物線はオーバー・ワンに色とりどりの花を咲かせた。

 業火、氷結、雷撃、烈風、毒霧、酸雨……意図せぬ重合を引き起こして効果が半減しているものもあるが、概ねそれらに共通しているのは青銅砲をはるかに越える威力という点である。

 性能も価値も一番安いとはいえ、緑珠石には数日かけてマナが注ぎ込まれるのだ。

 それは弩弓の性質とも似ている。
 ハンドルを回すなり、レバーを引き上げるなり、てこの原理で弦を引き絞る。そうやってためた張力は、一流の射手にしか引けない長弓の最大値にも並ぶ。

 凡庸なる者が天才に追いつくための工夫といっていい。
 時間をかけて力をためることにより、一流や熟練者の『一瞬』に並び立つのだ。
 緑珠石を犠牲にした魔力も同様で、その威力はソリストの一撃に匹敵する。

 だだ、その方法も万能とまでは言いがたい。

「……あれ? 終わっちゃった」

 マルチナが花火見物のようなのんきさでつぶやく。

「二発目からはその場で弦を引き上げる必要がありますからね」

 ビオラは相変わらずマルチナに対して口調も顔つきも冷たいが、決して嫌っているわけではないことは、一応ちゃんとわかるように説明しているあたりからもうかがえる。

 ビオラにしては、この『ちゃんと応対している』という時点で珍しいことなのだ。
 案外、マルチナのスローペースに居心地のよさのようなものを感じているのかもしれない。

 オーバー・ワンは弩弓の集中砲火によりいくらか怯みはしたものの、再び前進をはじめる。
 やはり食い止めねばならない。
 が、この場合にかぎって、カルは適任とはいえなかった。

「待って、カルが行くとややこしいことになる」

 無言で進み出ようとしたカルを、そんな言葉でリナが制止する。
 オーバー・ワンが腹這いになった状態だと、カルは生徒たちのちょうど射線上に立つことになる。先ほどの射撃を見るかぎり、向こうがうまくカルをよけてくれることはあまり期待できない。

 ならば、オーバー・ワンの足を止めるのは彼女たち四人しかいない。

「上だ!! 真上から押さえつけろ!!」

 ティアの叫びに呼応して、マルチナがフラベド・スマッシャーを振り上げる。
 打ちつける先は通りに面した建物の外壁であった。
 生じた亀裂はさらに次の亀裂へと、枝のように拡大していく。

 破壊から破壊を生みだすのがフラベドスマッシャーの持つ特性である。
 マルチナ本人は「壊せるものは壊せるけど、壊せないものは壊せない」と自嘲気味に語ったりもするが、癖があるからこそ使いようによっては大きな威力を発揮するとも言える。

 フラベドスマッシャーは建物の基礎部分を通りに面した側だけ破壊する。
 街の2ブロックをぶち抜く会議所である。
 それがほぼ原形をとどめたままオーバー・ワンの上に倒れ込んでいく。

 その間、ビオラもすでに魔法の詠唱を終えていた。
 水気を帯びたつむじ風とともに、透きとおった姿の女性が中空に二人現れる。
 マナに具体的な姿形をとらせ、持続性のある魔法を放つのはビオラの得意とする分野のひとつであった。

 ビオラは召喚した水の女性と三人がかりで水の糸を繰りだす。
 糸は寄り合わさって縄となり、縄は縦横にも重なってより強固な網となる。

 水の網はオーバー・ワンの鼻先──すでに鼻は存在しないが、断ち切られた首の部分に集中してからみついていった。網の端が地面に固定されると、自重を地面にこすりつけるようにしてオーバー・ワンが停止する。

「おおお、なんかすごいことに」

 マルチナは額のところに手のひらをかざし、素直に感心している。

「力がある者を力で制するには、その末端を押さえるのがセオリーですからね」
「もしかして、これで決着?」
「だといいのですが」
「いやねぇ、もぉ、謙遜なんかしちゃって」
「いえ、この状態を維持するのもわりとつらいので今のうちに次の手を……」

 張りつめた弦を断ち切るような音がして、マルチナはびくっと身をすくめる。
 水の綱が一本、早くも負荷に耐えかねて切れたのである。

「お……?」

 さらに二本、三本と音が続く。

「お、おお……!?」

 オーバー・ワンは水の綱と瓦礫を押しのけ、上体をもたげようとする。
 だが、その動きはすぐに止まった。

「やればできるコ……」
「いえ、私が食い止めたわけではありません」
「けんそん?」
「違います」

 マルチナの予想、もとい願望に反して、ビオラの表情は固いものだった。
 ビオラはすでに手いっぱいで、新たに拘束を強める余裕などない。

 止めたのではなく、止まったのである。
 自発的に。
 なぜなら、オーバー・ワンにとってはその高さがちょうどよかったからである。

 通りにいる生徒たちの影が濃く長く伸びていく。さながら、地面に彫り込まれた黒い溝のように。
 光が生じていた。陽射しよりも強烈な光が。赤熱といってもいい。

 だが、リナたちにはそれを直接目にすることはできなかった。
 光があらわれた場所が、オーバー・ワンの首の断面だったからである。

 両肩の間から突き出た、環形動物の口にも似た首の切れ端は、まさしく口そのものだったのだ。

 適応したのだ。状況に。
 環境適応──。その能力を忘れていたわけではない。だが、失念していた。

 気づくべきだった。
 蜘蛛の足がはえてきたことも、腹這いになったことも、逃走のためではないと。
 必要に応じてその姿を変えるなら、オーバー・ワンはいつでもベストの状態にあるのだと。

 その姿は、熱線を前方へ放つために最適化された結果なのだと。

 頭部を失ったからといって、地に這いつくばっているからといって、奴の戦闘力が落ちたわけではなかったのだ。
 まったくそんなことはなかったのだ!

 戦慄をおぼえている暇さえない。
 熱線が大通りに立ちつくす生徒たちに殺到する。

 無防備な人間に向けられたものとしては、あまりにもむごすぎる熱量であった。彼らの後方に位置する学園もまた攻撃の標的であることは明らかである。むしろ、人間たちの方がついでかもしれない。

 一度解き放たれた力は無慈悲である。
 正義と邪悪を区別などしない。愛と憎悪も。大切なもの、ありふれたもの、すべてを等しく飲みこむ。

 それはある意味で究極の平等とよべるものかもしれない。

 何もかもが時を刻むことをやめるのだ。
 自分ではない誰かをかばおうとする者も。
 他人を押しのけてでも助かろうとする者も。
 路傍の石さえ。
 自らを構成する元素にまで解体され、まざりあう。

 そこには何の区別もない。
 最初からこの世界には何の価値もなかったのだと証明するかのように。
 この世界を砕いていけば、砂以外には何も出てこないのだという事実を突きつけるように。

 残酷な破壊はただ突き進む。


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