外伝 カナンの【鬼哭迷宮】探索記 4
手にするだけで感じる、身震いするほど濃密な【神秘】の波動。
ページを捲るのにも覚悟を必要とする為、数回ほど深呼吸して精神を統一する。
数度目だというのに慣れない感覚に気を引き締めながら、私は古代文字で書かれた文を解読していった。
<◎><◎><◎>
“五日目”
波が穏やかで澄んだ青色が特徴的な海域に到達した。
ここは特殊海域ではないが、潮流が速く、それでいてこれまでのように危険な海洋モンスターがあまりいないようだ。
その為グランド・レヴィアタンが居た特殊海域ほど豊かでは無いものの、小魚など普段なら餌になる種が多く生息している海域となっている。
かなりの深さまで視認でき、多数の魚群が確認できる。
折角なのでこれまでは活躍の機会がなかった魔導船を二隻取り出し、それを使って簡単な漁を行う事にした。
漁と言っても、それぞれの魔導船で【豊漁の大網】と言う漁網型マジックアイテムを使用し、引き上げるだけの簡単なお仕事だ。
本当の漁なら魚群の位置確認などもう少し手間とかが必要だとは思うのだが、【豊漁の大網】には魚類に対して【魅了】効果を発揮するので、適当に展開しておけば後は引っ張るだけで魚が獲れる。
漁師からすれば何だそれ、舐めているのかッ、と言われそうなマジックアイテムだが、そういうシロモノなのだから仕方あるまい。
そんな訳でせっせと網を広げた日の夜。
食事中にカナ美ちゃんに『後で私の部屋に来て』と言われたので、ほいほいと部屋に赴いた。
といっても隣の部屋なので、すぐに到着する。
ノックをすればすぐに『入って』と言われたので、ドアを開けて中に入る。
そして視界に飛び込んできたのは、まるで宮殿の一室の様な内装の部屋で、薄い生地のドレスを着てソファに腰掛けるカナ美ちゃんが、優雅にワイングラスを傾けている姿だった。
カナ美ちゃんの姿は扇情的であり、非常に美しいが、今回ばかりは俺の意識はワイングラスに注がれた赤い液体に傾けられていた。
離れていても感じる、その液体に秘められた魔力。
酒精を帯びた豊潤な香りに思わず喉がゴクリと鳴る。
尋常ではない、それこそ【■■】の報酬として得た鬼酒【■■■■】といった類に勝るとも劣らない逸品だ。
ワイングラスに注がれた赤い液体に視線を固定したまま、カナ美ちゃんに呼び出した理由を尋ねると、これを一緒に飲もうという事らしい。
それは嬉しい限りなのだが、赤い液体は何だろうか。
そう思いながら対面に座ると、赤い液体の正体を教えてくれた。
それはカナ美ちゃんが【■■】の血を主材料に製造した、オリジナルの鬼酒だった。
どうやらカナ美ちゃん、前【■■】ヒュルトンとの戦闘時に集めた血をメインに、自分の血、その他あれこれ――材料の一つに俺の血も混ざっている感じがしたが、深くは突っ込まない方が良いだろう――をブレンドしたらしい。
自信満々なカナ美ちゃんの姿に癒やされながら、乾杯してから同時に口をつける。
特上の材料を使い、赤い月とカナ美ちゃんの魔力を用いて熟成された鬼酒の味は、筆舌にし難いモノだった。
もちろん、不味いわけがない。
一口飲んだだけ全身を駆け巡る、熟成された濃厚で複雑な味わいの衝撃。
心身が凍てつくような、しかし燃える様な不思議な感覚がする。
熱いのに冷たい、冷たいのに熱い。混沌とした何かが体内で渦巻くような錯覚。
カナ美ちゃんとヒュルトンとその他の魔力や諸々が混ぜ合わさったそれは材料の良い部分を損なう事無く高め合い、思わず嫉妬するほど綺麗に纏まっている。
全く、死んだ後でも良い一撃を入れてくれる。
ちょっとだけ複雑な思いでさらにグビリグビリと飲み、ついでに飯■によって予め調理されていた【■■料理】を取り出して喰いました。
ちなみに衣服を剥がれたヒュルトンはヒト型の黒っぽいスライムのような肉体をしていたので、調理されて豆腐のような独特な柔らかさとなっている。
【■■■【■■■命】の■■■■■完了】
【■■■【■■■】の■■■■■完了】
【■■■【■■術】の■■■■■完了】
【■■■【■■を■■者】の■■■■■完了】
【■■■【■■■■う■■の僕】の■■■■■完了】
内包していた【■■】の分だけ竜■肉にすら勝るそれに満足した後は、カナ美ちゃんも頂きました。
意図的に嫉妬心を刺激したのだから、相応の事も覚悟の上だろうさ。
“七日目”
残念な事に、今日は時化である。
波は大荒れ、吹き荒れる風は軽い者だと軽く吹き飛ばされるだろう。
乗っている船が船なので問題は無いが、雷雨が激しく降り注ぐ外に出るのは面倒だったので、船内にてゆっくりと過ごす。
【■■■】で何処かに行くと言う選択肢もあったかもしれないが、書かねばならない書類などもあったので、事務仕事に徹する事にした。
そして気がつけば夜がやって来ていた。
まあ、こんな一日もあるだろうさ。
“十日目”
陸地が近いだけあって、昼頃には見かける武装船舶の数が増え始めた。
それは俺達に随行する武装船舶の船団拡大に繋がるのだが、それに加えてチラホラと漁船らしい中型船舶の姿を見つけられるようになった。
武装船舶ほど遠くまでは行けないが、装甲で補強された中型船舶に乗って漁師は漁に出掛ける。
それは陸地が近くにあると言う事であり、それはつまり中型船舶で行き来できる距離に新大陸があると言う事だ。
ワクワクしながら到着するのを待つ間、中型船舶に居る【漁師】持ちだろう人間が網を設置したり、魚人達が銛を持って海に潜っていたりしているのを見学する。
俺達はマジックアイテムによって手っ取り早く行った漁だが、本業だけあってその動きに迷いがない。
それをぼんやりと見下ろしながら、短いような長いような、振り返ればあっと言う間だった初航海をゆっくり振りかえっていると、皆が自然と集まってきたので、プチ宴会を行う事にした。
新大陸に到着すれば、未知なる食材を求めて、勢力図の拡大などやるべき仕事は多い。
その英気を養うという意味もあってのプチ宴会は飯■と姉妹さん達の料理が振る舞われ、エルフ酒や迷宮酒などが入った酒樽が幾つも空樽となって転がった。
何だかんだと気分良く酒を飲む理由にしたプチ宴会をしていると、気がついた頃には初航海は終わりを迎えていた。
【アンブラッセム・パラベラム号】は港湾都市からやや沖合で停泊し、■■提督が到着の知らせを持ってくる。
見れば確かに新大陸がそこに在り、賑わいを見せる湾口都市を見つける事が出来た。
ココから先は船を下ろして新大陸に向かう必要があるのだが、夕暮れに近かった事もあり、今日はココで休む事にした。
プチ宴会は普通の宴会となり、飲めや歌えの大騒ぎ。
新大陸という新天地でまだ遭遇していない美味なる食材を発見する事を祈って、俺達は杯を掲げた。
鬼酒を注いで、乾杯だ。
<◎><◎><◎>
「ふぅ……」
集中しながら読んでいた日記から顔を上げる。
慣れもあり、今回はそれほど刺激的な内容ではなかったものの、日記それ自体が【神代】の品だ。
それもこれまでに無いほど重要な、歴史の真実に迫る日記の一冊である。
あまりにも強すぎる【神秘】に耐えきれず発狂する者もいるように、この日記はただ読み解くだけで心身が疲弊する。
取り扱いを間違えれば何が起こるか分からない。
ある種の劇物として扱うべき品でもある。下手すれば、触れただけで発狂する者も出てくるだろう。
当分は、誰にも触らせないほうが無難だろうか。
「知れば知るほど、知りたい事が増えてくるな……」
そして何か革で作られた日記の表紙を摩りながら、思わず愚痴をこぼす。
古代文字で書かれているせいで難解な事もあって、読むのは遅いしそもそも解読できない箇所も多い。
今回もそれほど読み解けたわけではないが、その中でも気になる部分は多かった。
まず、そもそも解読できない幾つかの部分だ。
日記を記した者の正妻――つまり他にも妻やそれに準ずる者達が居る。まだ出てきていないが、それが何人かも調べた方がいいだろう――とされている、『カナ美ちゃん』なる人物が造った鬼酒。
その原材料となったらしい【■■】とはなにか。
文脈から見て、『ヒュルトン』なる何かの血だとは思うのだが、【■■】ヒュルトンと書かれているように、『ヒュルトン』とは特別な何かなのだろうか。
前【■■】ヒュルトン、とあるので、そこから何か情報が得られれば良いのだが。
これについてはまだまだ情報が足りないので、予想する事も中々に難しい。
下手に考えを固めてしまえば自分で自分を迷わせる結果になりそうなので、幾つか気になる部分を携帯端末のメモ帳に書いておくとして。
その他気になるのは『【■■■【■■■命】の■■■■■完了】』などと書かれている部分だろう。
見た限りでは、似たような記述が五行ある。
これは何を意味しているのか。記述の最後の方に共通してある『■■■■■完了』の部分。何が完了したのだろうか。
知れば知るほど気になる部分が出てくるというのに、その答えを得るにはやはり多くの情報が必要になる。
その他には、『姉妹さん』なる登場人物について。
『姉妹』なのだから『姉』と『妹』がいるのだろう。この二人はどうやら料理が出来るらしいが、流れから察するにその一つ前の『飯■』とは『姉妹さん』とは違う料理人の個人名になると考えられる。
しかしそれだと、何だ、『飯■』って。
本当に個人名なのかそれは。
個人名に『飯』が入るって、【神代】の名前はかなり変わっていたのだろうか。
しかし他の文献などではそんな事はなかったのだが……。愛称の類、かなにかなのかもしれない。
もしくは、筆者がそう呼んでいただけなのか。
など色々と考えが巡る。分かっていたが、これは極上の難物だ。
そしてそれだけに魅力溢れる品ではあるのだが。
「先は、長いな……」
そう独り言ちていると、ちょうど耳に装着している通信機から間延びした声が聞こえてくる。
『左右と後方から新手がやって来ますよ~。数は合計約五十で~、生体反応からして“赤血鎧熊”に騎乗した“血熊騎大鬼”っぽいですね~。距離はまだ三百メドルくらいありますがぁ~、結構速いんで追い付かれると思いますぅ~』
その声に、意識が現実へと引き戻された。
声の主は現在、私達を背部のコンテナに乗せて障害物が多く起伏も激しい≪ク=デン太古樹海≫を豪快に進む三十メドルほどの大きさの巨大な金属製の百足――機甲式怪物遺鎧【地殻天王百足】を操縦している地鎚・獄雷・アスティハイドの声である。
アスティハイドこと愛称アスティは分家の直系であり、獄雷家の現当主だ。
種族は一般的なヒトではなく、【血統保持者】であり、電子制御などを得意とする【雷纏鬼】。
種族的な特性もあるのだろうが、どんな特殊な機甲式の怪物遺鎧でも肉体の延長のように乗りこなす機甲式操縦者として幼少の頃から将来を期待され、今も技術を深める才女であり、言動に反して頭も切れる今回の探索に同行した部下の一人だ。
「ん、ああ、そうか。了解した」
『パパッと蹂躙しますかぁ~? 走るばっかりで~、退屈なんですよぉ。【誘導砲弾・ゼパル135】ならドババババッと解決しますよぉ~』
「このアルティロアルムに搭載された兵器はどれも派手すぎる。使えば他のモンスターまで引きつけるから却下だと、これで何度目だ全く。少しは自重しろ。今回も対処はコチラで行う。アスティは操縦に集中しろ」
『ちぇ~、了解で~す』
ふて腐れたようなアスティの声を最後に、通信はここで一旦途絶える。
「さて、やるか」
現在、私達は鬱蒼と神秘的な気配を纏う樹木が生い茂る≪ク=デン太古樹海≫内から外に出ようとしている最中にある。
何が起こるか分からない【神秘保護指定区】の一つである≪ク=デン太古樹海≫では気を抜くとあっと言う間に強靭なモンスターに襲われ、命を落とす事もあり得る。
【鬼哭迷宮】のように【再誕神殿】で復活する事も出来ず、死ねばそれまで。
一度は抜けた経験から周囲を囲まれても切り抜けられるだけの実力が証明され、周囲を警戒する部下を信頼しているとはいえ、安全地帯など無いココで少々油断し過ぎていた自分の頬を叩いて活を入れた。
「調べ物はもうよろしいのですか? コチラで片付けますが……」
「ああ。本気で解読するとなると時間がかかりすぎるし、今は、少し動きたい気分なんだ」
「なるほど、では終わりましたら珈琲でもどうですかな?」
「頼む。ブライド爺のは美味しいから楽しみだ」
傍らに佇み、警戒を怠っていなかったブライド爺に声をかけられ、そう返す。
ブライド爺は興味深そうに日記を見るが、それ以上は何も言わない。
聞かれても何かを言うつもりはまだないが、その気遣いに感謝しつつ、私は横に立てかけていた機甲式狙撃銃【ブリガンテGT52】を手に取った。
かれこれ四十年前に購入し、何かと愛用している品だ。
長方形の独特な形状で、魔導式消音機が標準装備されている事と、【生体式】、【機甲式】、【魔導式】の弾丸全てに対応する事が可能という特徴を持つ。
定期的に整備しているので状態は良好で、三キロル先でも余裕で狙える傑作銃の一つである。
「さて、敵は……団体のようだな」
現在地は外界にほど近い、樹齢数千年はあるだろう大樹が一定間隔で存在する一画。
頭上を覆い隠すほどに広がる枝葉の天蓋によって太陽の光は遮られ、周囲はやや薄暗く、空気は湿っている。
地上にまで隆起した大樹の太い根は起伏の激しい地形を更に複雑なモノにし、天然の迷路のようになっている。
栄養を吸い取られて成長できないのか、大樹の他には苔や小さな藪などしかないここは比較的視界が広いが、大樹による死角も多く、戦いやすいとは言い難い。
そんな中で、左右と後方を見れば私達を追いかけてくる敵の姿を大樹と大樹の隙間からチラホラと視認できた。
左右にそれぞれ十五鬼、後方に二十鬼ほどだろうか。
中々の規模だ。
追ってくるのは、分厚く実用的な飾り気のない全身鎧型の生体防具を身に纏い、手には肉厚な剣身の骨切り包丁のような大剣型生体武器を持つ、狂暴な顔と屈強極まる筋肉を備えた大鬼の一種。
生まれた時から共に育つ血のように赤い体毛が特徴的な大型の熊に騎乗して襲いかかってくる事から、ベアライド・ブラッドオーガと呼ばれるモンスター達が、私達を襲うためにやって来た。
「ブゥルルルル。己が纏めて、ぶっ飛ばス!」
『ブゥルルルル!』
それを迎え撃つ前に、隣でやる気に満ちた声を出す最後の部下――希少な【血統保持者】であり、アスティと同じく分家の直系で、炎熱を操り身体能力の優れた【炎斧牛】のケラノス・斧滅・ギルケンティオスと、鳴いて応えるその愛銃を制止する。
「自然も保護対象だ、過剰破壊するような強力な武器は控えろと言っただろう? 却下だ、やる気満々なそいつは仕舞え」
三メドルを超える筋骨隆々なヒトの肉体に合わせた専用の赤い戦闘装甲服を着用し、赤く燃えるような皮膚と体毛、そして闘牛のような凛々しい牛の頭を持つケラノスの手には、口を開けた牛のような頭部を持つ筒形の赤い生体銃が構えられている。
赤い生体銃の名前は、生体式機関銃【爆撃炎牛・ギュウタン】という。
全長は二メドルほどもあり、重量は九十キロン近い。生きているため小まめなブラッシングなどの手入れや、主食となる火薬と金属をそれぞれの好みにあわせる必要がある。
生きている生体式は機甲式や魔導式に比べて手間がかかるが、しかし丹念に育て上げれば性能は向上する。
今回の場合なら体内で食料から生成される焼夷爆裂弾の質は向上し、一撃の破壊力や射出速度、一度に撃てる数などの性能が上昇する。
逆に失敗すれば性能は下がるのだが、ケラノスの手にあるのは長年に渡り高純度の火薬と希少な金属を喰わせ、専門家が育て上げた内の一体だ。
元々生体式機関銃【爆撃炎牛・ギュウタン】は使用時の強烈な反動のせいで取り扱いが困難であり、ある程度以上の【怪物遺鎧】の使用が前提になっている。
その中でも一際巨大なケラノスのそれは、常人にとっては【怪物遺鎧】を装備したとしても中々扱えないほどに重く巨大なのだが、三メドルを軽く超える恵まれた体格と、種族的に常識外れな膂力を持つケラノスにとっては使い勝手の良い武器となっている。
むしろ膂力の有り余るケラノスからすれば、凄まじい反動も含めて多用するほどお気に入りの武装の一つに他ならない。
それに牛関係の生体銃でもある為、そもそもケラノスとの相性が良い事も要因の大きな一つになっているのだろう。
「ブルゥゥゥゥ。ダメか?」
『ブルルゥ……』
仮に【爆撃炎牛・ギュウタン】を使用した場合、一分間に最大で八百発も撒き散らされる高威力の焼夷爆裂弾によって、射線上は瞬く間に炎の海となるだろう。
一発一発の威力もまた絶大であり、例えベアライド・ブラッドオーガの群れだといえども一掃するのは容易いが、相応に自然を破壊するそれの使用は認められる筈は無かった。
ココは【神秘保護指定区】の一つである≪ク=デン太古樹海≫。
必要なら躊躇う事も無いが、無用な破壊は、極力避けねばならないのである。
眼に力を込め、どこか期待したような眼で見つめてくるケラノスを真っすぐ見つめた。
ここで少しでも引けば、暴走は止まらないのだから。
「駄目だ」
「そうか、ダメか……ブルゥゥゥゥ。ゴメンな、タンタン」
『ブルルゥ。ブモブモ』
ケラノスはしょんぼりと頭と尻尾を項垂れさせ、不承不承ながらも『仕方ないよご主人様』とでも言うように鳴いた【爆撃炎牛・ギュウタン】を収納した。
その次に新しく取り出したのは、大口径の生体式雷散銃【震撃雷牛・ギュウカク】だった。
同じく牛の頭に取り付けられた筒のような形状だが、黄色い体毛と、その銃口から射出されるのは電磁加速された散弾という違いがある。
「なら、コレはどうダ?」
「んー、まあ、それならまだいいか」
威力としては【爆撃炎牛・ギュウタン】と似たようなモノだが、炎上はしないのでまだマシだと判断し、許可を出した。
ケラノスは嬉しそうに瞳を輝かせ、急速に距離を詰めた敵集団に向けて銃口を向けて構える。
「ならカクカクを、ドンドン撃つゾッ」
『ブモォ!』
引き絞られるトリガー。銃口から迸るのは眩い雷光。
牛の鳴き声のような、あるいは雷鳴にも似た銃声が聞こえるよりも速く飛翔し分裂した死の軍団は、標的となった左側面から近付く先頭のベアライド・ブラッドオーガとその下にいるブラッドアーマーベアの側面を捉える。
「グギャッ!」
短い断末魔と共に、耳障りな金属の悲鳴と弾ける肉片。ブワリと血煙が立ち上り、臓物の臭いが広がった。
圧倒的な速度で襲いかかった無数の散弾は頑丈な生体防具を引き千切り、大鬼の筋肉や骨を情け容赦なくすり潰したのだ。
残るのはただの残骸であり、飛び散る血しぶきが周囲を赤く染め上げる。
「グルガッ!」
その光景に、後に続いていた集団から困惑するような叫び声が響いた
隊列は僅かに乱れ、しかし即座に立て直した姿は高い練度を伺わせる。
何かが飛んできたと判断したのか、まるで盾にするように分厚い生体剣を構えて距離を更に詰めてくるが、その程度では特に問題もなかった。
再び放たれた死の軍団は容赦なく生体剣を粉砕し、同じように命を奪う。若干形状が残っているので威力の減衰はあるようだが、分厚い生体剣だけではまだ防御としては不十分である。
「乱れてくれればその方がやりやすかったのだがな……仕方ない」
【爆撃炎牛・ギュウタン】と似たような性質を持ち、似たように育てられたケラノスの【震撃雷牛・ギュウカク】の威力は高い。
単純な一発の破壊力で言えばむしろ勝っているだろう。
遠距離攻撃の手段がないらしいベアライド・ブラッドオーガにとっては距離を詰めるしかないのだろうが、その時点で詰んでいる。
防御力が攻撃を防げる段階にまで達していないのだ。
悪路を進む関係上、どうしても起こる揺れのせいで狙いをやや外したケラノスの散弾は周囲の大樹に当たれば抉り穿ち、地面に当たればゴッソリと掘り返すが、銃器の利点は一定以上の破壊力のある攻撃を高速で弾数の分だけ繰り返せる事にある。
ケラノスの銃撃は続き、その度にベアライド・ブラッドオーガ達の命を刈り取っていく。
銃声がなる度に断末魔が聞こえ、飛び散る肉片の落ちるビチャビチャという水音が絶え間ない。
特に手を出すまでもなく左側面の十五鬼は全滅するだろう。万が一近付かれても、肉弾戦の方が得意なケラノスならば問題なく対処できる。
左側面はケラノスに任せ、私とブライド爺は右側面と後方の処理を行う事にした。
「ブライド爺は左側面、私は後方の処理だ。手早く被害は最小限に留めよ」
「御意。丁度良い獲物ですし、血抜きし、奥様の土産にしましょう」
中・近距離で活躍する生体式吸血槍【吸血多頭蛇槍】を構えて、獲物を狙う獰猛な狩人の表情になったブライド爺の返事を聞きながら、私は機甲式狙撃銃【ブリガンテGT52】を構えた。
巨大な樹木の隙間を縫うように移動する私達を背後から追って、滑らかに森の中を移動してくる二十鬼。
時には大樹を盾に、時にはあえて身体を曝して攻撃を誘う。
凶悪な見た目に反して考えられた狩りの手法、統率のとれた動きは他では滅多に見る事の出来ないモノだ。
これもまた≪ク=デン太古樹海≫の特徴なのだろうなと感心しつつ、スコープの中の一鬼に狙いを定める。
息を吐きながらトリガーを引き絞り、サプレッサーによって僅かに漏れる音と共に銃口から放たれた弾丸は、狙い違わず標的のベアライド・ブラッドオーガの右眼を抜けて脳内に着弾。
眼球は弾け、鮮血と共に苦痛の叫びが上がる。
『グギャッ!』
しかしべアライド・ブラッドオーガ級のモンスターにとっては掠り傷程度の損傷だったらしい。
片手で右眼を抑え、忌々しそうに牙をむき出しにしてコチラを憎悪の籠った眼で見て来る。
「コード:***。『近くの敵を斬り殺せ』」
敵を仕留めるのならば下手に傷つけて怒らせず、弾丸が頭蓋骨を貫いたり、脳を掻き混ぜたりして致命傷を負わせるのが理想だったのだろう、普通であれば。
だが今回は弾丸が眼を打ち抜き、そこで止まる事こそが狙いだった。
『グ、グガ、グゥルルルルルオオオオオオオオオオ!』
僅かな時間の後、右眼を撃ち抜かれたベアライド・ブラッドオーガは少し苦しみ始めた。
身体はブルブルと震え、大きく体を左右に揺さぶる。通常ではあり得ないだろう奇妙な動作に周囲は困惑し、どうすればいいのか決めかねている様子だったが、次の瞬間、傷ついたべアライド・ブラッドオーガは並走していた別のベアライド・ブラッドオーガの首に生体剣を振り抜いた。
苦しむ仲間を介抱しようと近付いた瞬間に走った鋭い一閃は、生体鎧の僅かな隙間を通り、その下にある生身に深く切り込む。
首という急所は唐突な仲間の攻撃によって呆気なく切り裂かれ、理解できないという表情のまま一鬼が沈んだ。
周囲のベアライド・ブラッドオーガは突然の凶行に混乱しながらも、新たな標的を求めてさらに襲いかかり始めた仲間に対して即座に反撃。
仲間から敵へと切り替わる速度は流石の一言である。
瞬く間に四方から身体を斬られ、あるいは貫かれ、右眼を撃ち抜かれたベアライド・ブラッドオーガは何鬼かに怪我を負わせながらも遂には倒れる。
乗っていたブラッドアーマーベアから転がり落ち、残されたブラッドアーマーベアは主を失って悲しげに鳴き、何処かへ去った。
「躊躇いがないが、まあ、どうにかなるか」
私が今回【ブリガンテGT52】に装填したのは生体式寄生弾【傀儡菌蝕弾】である。
金属や甲殻など硬い物体は撃ち抜けず、下手すればモンスターの筋肉で止められそうになるくらい単発では弱いが、脳に近い場所に撃ち込めば弾丸内に内包された特殊な菌が脳を乗っ取り、敵内部で同士討ちも誘発できる。
その特性上取り扱いには相応の免許が必要になるし、滅多に市場に出回る事は無いが、こういった大群を相手にする時にはそれなりに使い勝手が良い。
ヘッドショットできる程度の腕前は必要になるが、数百メドルも離れていない現状、私の腕なら例え揺れていても外す心配は無用である。
そして間を置かずに二十発ほど、ベアライド・ブラッドオーガだけでなく、その下に居るブラッドアーマーベアの眼球も狙撃した。
結果は全て着弾し、支配権を手に入れる。
「アスティ、少し速度を落としてくれ。回収できる戦果は回収したい」
『ほいほ~い、了解で~す』
菌に脳を冒された十組の鬼熊達は、正常な仲間を次々と切り捨てた後も追走してくる。
敵意は既に無く、私からの新たな指示を待っている状態だ。
折角なので回収すべきだと判断して、速度を落として次々と乗り込ませる。
後続のコンテナが二つもあっと言う間に埋まってしまったが、あと数分もすれば≪ク=デン太古樹海≫を抜ける位置まで来ている。
他に採取する予定も無いので、最後の予想外のお土産が出来たと考えれば、充分な成果だろう。
「カナン様、コチラも十組ほど確保しましたぞ。しかし、ちと重いですな。老体には、堪えます」
「よし、よくやった。そっちはさっさと収納しよう」
それに加え、ブライド爺が仕留めた得物もある。
ブライド爺の手にした槍の先から伸びる赤い多頭の大蛇に巻き付かれ、首に鋭利な牙を突き立てられて息絶えた鬼熊達は素材の採取、解剖、食材などに使い、私が支配した個体は生きた研究材料として重宝する事になるだろう。
「ブ、ブゥモォ……己、全部仕留めテシまったゾ」
『プモォ……』
どう活用しようか考えていると、単純に全てを殲滅して肉片と血溜まりにしただけのケラノスが申し訳なさそうに項垂れる。
手の中の【震撃雷牛・ギュウカク】も主と同じく、ケラノスと同じく『やり過ぎちゃったよ~』とでもいうように項垂れていた。
それに思わず苦笑するが、最初からケラノスの標的がどうなるかなどよく知っている。
磨り潰されて死ぬ、爆裂して死ぬか、圧殺されて死ぬか、切り裂かれて死ぬか、引き千切られて死ぬか。
死因はともかく、大半は原形を留めず死ぬだけだ。
最初からそうなると思っていた事に、わざわざ怒る事も無い。
「気にするなら、ブライド爺の獲物をこっちに運んでくれ」
「了解ブモォー」
気を取り直したケラノスは、次々とブライド爺が仕留めた獲物を持ち上げ、私の元まで持ってくる。
ベアライド・ブラッドオーガ一鬼の重量は生体鎧まで含めれば、大体二百五十キログムはあるだろう。
それに加えてブラッドアーマーベアは八百キログムを超えてそうだが、ケラノスはまるで空箱のような気軽さで数体纏めて運んでいる。
その膂力は少し前よりも向上しているように思えて、“死に戻り”してしまったが【始まりの鬼哭森殿】での活動は糧になっているようだった。
運ばれる戦果を【収集家の黄金指輪】に全て入れ終え、荷物は増えたが、最初よりはスッキリとしたコンテナの上で息を吐く。
「珈琲です」
「お、丁度良い。欲しかったところだ。……んー、相変わらずの美味さだ」
作業も終われば、手早くブライド爺が珈琲を出してくれた。
【神秘】を内包する最高級のヴァシュ・エルメマン豆を使用した珈琲の豊潤な香りは、雄大な自然の香りにも負けていない。
砂糖やミルクを入れずにブラックで飲む。僅かな酸味がスッと通り、目の覚めるような感覚がする。
【神秘】が体内に取り込まれ、僅かにあった疲労も無くなった。
『ブライド爺様~、私も後で下さいなぁ~。っと、そろそろ抜けますよ~』
楽しんでいると、通信機から聞こえるアスティの声。
前方に視線を向ければ大樹も疎らになり、薄暗い場所は少なくなって光が差し込むようになっていた。
「やっとか。大変だったが、有意義な調査だったな」
「そうですな。≪ク=デン太古樹海≫の一部ですが地形の把握、動植物の採取、生体サンプルの確保だけでも十分な成果ですが、さらに未発見の【鬼哭迷宮】の発見、及び攻略。そして極上の、いえ天上世界の迷宮温泉の発見など、ここまで濃い内容は一、二世紀は無かったかと」
しみじみ言うブライド爺に、私は同意する。
「正にだな。ここまで濃いのも久しぶりだ。それにブライド爺達が“死に戻り”したのも、久しぶりだったな」
「そうですなー。覚えているのでは、五十六年ほど前ですかな。あの時はカナン様もまだ若く、転送トラップで運悪く大規模な【怪物部屋】に飛ばされ、抵抗するも銃弾が底を尽き、武器の大半は交換するか大規模改修が必要になるぐらい破損し、最後には力尽きましたな」
「あったな、それ。あの時の損害で、しばらく悲鳴を上げていたから覚えている」
「ははは、軽く小国の国家予算は超えてましたからな。いやはや、あの時は中々大変でしたよ。まあ、先々代様の時の方が厳しい時もありましたがね。先代様は、その時の苦労がたたって頭部に不運が起きたほどです」
「何だそれ、初耳なんだが……。しかし、あの爺さんがねぇ。どんなヘマをやったんだ?」
「それは私の口からは、とてもとても」
「誰にも言わないから教えてくれ」
「いえいえ、ハハハハ」
笑って誤魔化すブライド爺を問い詰めようと口を開きかけたところで、使った【震撃雷牛・ギュウカク】に食料となる金属と火薬をやり、丁寧にブラッシングしていたケラノスがコチラを向いた。
「ブルルゥ。もうデるみたいだぞ」
言われて前を向けば、まさに≪ク=デン太古樹海≫を抜ける瞬間だった。
『は~い、出ましたよぉ~。いや~、神経使う操縦でしたよッ! 障害物多いし、方向が分かり難いしッ! うなぁ~!』
濃い【神秘】で満ちた樹木はある場所を境に途切れ、そこから広がるのは雄大な草原だった。
まだ≪ク=デン太古樹海≫が近いので空気には【神秘】が宿っているが、やはり中よりも遥かに薄い。
無事に≪ク=デン太古樹海≫から出たのだと、アスティの声からして間違いない。
本当に疲れたのか大声で愚痴を漏らし、通信機越しでも五月蠅いほどだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「ブルゥ。お疲れ様ダ」
『は~い、おっつおっつ~』
一先ずの危険地帯は抜けた。
互いに苦労をねぎらい、そのまま進む。
薄い【神秘】の香る草原を走るのは心地よい。爽やかな風が頬を撫でていく音や、離れた場所にある湖から聞こえる鳥の声は自然の音楽である。
しばらく珈琲を味わいながら耳を傾けていると、周囲にチラホラと石で作れた遺物が増え始めた。
顔の欠けた石像、斜めに傾いた石門、明かりを灯していた石燈、何かの石柱。
今は滅びた文明の名残を教えてくれる様々な遺物は草原に点在し、月日の流れを苔や草で覆われる事で表している。
そんな遺物は進めば進むほどに増え、いつしか私達が進むのは雄大な草原から整備された石畳の道となり、周囲は石造りの家屋や神殿へと変わっていった。
カツカツカツカツと硬質な音を奏でながら私達は遺跡の中を進み、見覚えのある光景から目的地に近付くのを実感する。
「ここは何度見ても見応えがあるな」
石造りの遺跡は、≪ク=デン太古樹海≫に最も近く存在する≪ミンスディ・クル楽都遺跡≫である。
いつかも分からぬ遙か昔、他よりも良質な木材が豊富に採取できる≪ク=デン太古樹海≫にやって来た楽器職人達が、一つの村を造ったそうだ。
小さいながらも質の高い楽器を作る村の評判は仕事をこなす度に広がり、やがて職人や商人など人が増え、楽器を求めた演奏者や作曲家が集まり、段々と規模が拡大して多くの名曲が生まれた音楽の都≪ミンスディ・クル楽都≫となった。
そんな≪ミンスディ・クル楽都≫がどの時代にどのような理由で滅びたのかはハッキリと分かっていない。
ただこうして遺跡となって現在も残っているのは、≪ク=デン太古樹海≫から漂う【神秘】の影響だろうと言うのが有力だ。
「かつてのここには、何があったのだろうか……」
在りし日の≪ミンスディ・クル楽都≫を想像する。
希代の天才が集い、日々曲を作り演奏したのだろうか。
職人が切磋琢磨しながら腕を振るい、後進はそれを見て精進したのだろうか。
多種族が集う事で起こる諍いは、音楽で勝敗を決めていたかもしれない。
それ等は分からないが、≪ミンスディ・クル楽都≫は自然と共存し、一日中音楽が止まない音楽の都だったと歌う曲は今でも残されている。
「ん? これは、[サテルントラティア]か」
距離の近さからもしかしたら日記に関係するかもしれないので、部下に調べさせようと考えていると、風に乗って音が届いた。
「存在しない魔神と魂の契約を結ばねば演奏不可能とまで謳われる曲だが……完璧ではないにしろ、中々悪くないな」
現代でもファンの多い数多の名曲が生まれたここは、演奏者など音楽に携わる者にとって遥か過去にあった聖地であり、≪ミンスディ・クル楽都遺跡≫には今も観光に来て思い思いに曲を奏でる者は後を絶たない。
だから今も耳をすませば、何処からか曲が聞こえてくる。私達以外に来ている者が演奏しているのだ。
演奏しているのは弦楽器ヴァリオンの超絶技巧を前提とする、演奏できるのは長い歴史の中でも極限られた者しかいない名曲だ。
以前聞いた事のある完璧な演奏にはまだまだ及ばないものの、それでも才能の片鱗を感じさせる演奏は、演奏者の腕前を感じさせる素晴らしい音色だった。
音が幾重にも重なるようなそれは、たった一人で奏でているとは思えないほど情緒に溢れている。
『は~い、到着です』
次第に激しさを増していく[サテルントラティア]に耳を傾けている時、私達を乗せた【地殻天王百足】は速度を落とし、とある建物の前で完全に停止した。
止まった建物の名は≪クテルベン皇大音楽堂遺跡≫。
周囲に比べても一際巨大で、積み重ねた歴史によって崩落など破損が目立つものの、かつては最も権威ある音楽堂の一つであり、演奏者達がいつの日かここに立つのを目指したとされる聖地中の聖地だ。
場所的にも≪ミンスディ・クル楽都遺跡≫の中心に存在し、周囲は巨大な【地殻天王百足】が止まっても問題にないスペースがあるここは、私達の迎えがやって来る場所に指定された地点だった。
『それからさっき連絡がありまして~、後三十秒くらいで到着するそうで~す』
「ん? 思った以上に早いな。何かあったのか?」
アスティの通信に、思わず疑問を抱いた。
前提として、私達を様々な面で支援する部隊は優秀だ。
世界中から選ばれた才能ある人材は、様々な場面に対応できるよう戦闘能力はもちろん、幅広い知識、多方面の多彩な技術などで基礎能力を高い水準で纏め、それぞれの得意分野を可能な限り伸ばす教育が施される。
今回はその中でも特に優秀な、分家出身で幼少の頃から鍛え上げられた精鋭部隊が迎えに来るのだが、しかしそれにしても今回は早かった。
普段なら数分程度の時間は必要としただろう。
『え~とですね~、ルナリス様が~、乗ってるみたいですよ~』
「なん……だと……」
しかしその疑問も即座に解ける。
私の愛する妻ルナリスが居るのならば、支援部隊が普段以上の能力を発揮したのだろう。
ゴクリと思わず唾を飲み込み、額から滲む冷や汗が頬を伝い落ちた。
何故だろうか、急に寒気が身体を包む感覚がした。
『えっと~、『逃がさないからね』だそうです』
アスティは『逃がさないからね』の部分だけ声真似をしたのだが、その迫力は真に迫っていた。
地味な特技をこんな場面で発揮せずともいいだろうに、などと思っている間にも雷鳴と共に突如として頭上に出現した飛行物体によって陽光は遮られ、影に入った事で周囲が少し暗くなる。
「流石、ルナリスだ。コチラに考える猶予を全く与えてくれないか」
そしてゆっくりと高度を落とし、地上に着陸しようとしているのは本来来るはずだった支援部隊が使う鯨型の魔導式空中母艦【赤鯨雲城】ではなく、金雷を纏う巨大な鷲と獰猛な竜を混ぜ合わせたような形状の、ルナリスが保有する【怪物遺鎧】の中の一着だった。
正式名称は魔導式怪物遺鎧【稲妻竜鷲】。
世界的にも討伐数自体少ない、貴重極まる【竜/龍種】が一体【雷精竜鷲】の【怪骸原型】を基本にして造られたコイツはアスティの【地殻天王百足】よりもさらに二回りほど巨大だ。
そんな巨体は地面に足を突く事なく、その巨大で鋭利な鉤爪で壊れないよう【地殻天王百足】を器用に掴み、そのまま再び空へと舞い上がる。
轟、と風が渦巻いた。
「って、そのまま行くつもりか!?」
本来なら【地殻天王百足】を収納し、私達は快適な【稲妻竜鷲】の中で過ごす筈だった。
しかしこうして掴まれて運ばれるとなると、高高度を雷の如き速さで飛行して帰還するまでの間、【地殻天王百足】の中に居るアスティはともかくコンテナに居る私達三人は外で過ごさねばならない。
それがどれほど過酷か、想像するまでもないだろう。薄い空気に、凍てつく風と温度。相応に長い時間に、本来なら衝撃波が発生する速度による飛行。
普通なら死んでも可笑しくはない。というか、普通なら死んでしまう。
これは相当、置いて行かれた事を怒っているらしい。まあ、これぐらいなら私達にとっては多少の嫌がらせで済むと確信しているからこその行動なのだろう。
普段は良妻賢母なのに、怒った時の報復が少々過激なのはルナリスに流れる【氷血】の性なのかもしれない。
「やはり、想像通りですな」
「ブルルル。これ、装備してル、久しぶリダな」
そしていつの間にかブライド爺は【瞬間着装】を使って赤黒い体毛の人狼のような外見の生体式怪物遺鎧【血狂狼化強殻】を装備し、ケラノスは白い炎を鎧のように纏う事で全身を包んでいる。
ケラノスの白い炎の鎧は【斧滅】家が代々受け継ぐとある【神代遺物】の能力によるもので、身体能力の向上や寒波などを遮断するなどの効果がある。
熱波で金属が溶解する事もあるが、今は抑えているのかやや暖かい空気が漂うだけに止まっている。
「準備は万端だな。私もこうしては……って、私の【砲撃黒蟻王ノ遺鎧】は破損中で、使えないぞ!」
【怪物遺鎧】を装備すれば、【稲妻竜鷲】の飛行にも最後まで耐えられるだろう。
しかし先の【始まりの鬼哭森殿】攻略時、私の【怪物遺鎧】は破損した。今は使えない。
それに一瞬で装備できる【瞬間着装】は生体登録した【怪物遺鎧】が必要になるのだが、そもそも【瞬間着装】を可能にする【能力チップ】は貴重である。
武器や道具など、【怪物遺鎧】以外にも即座に装備したいモノはそれなりに多く。
つまりは、まあ、そういう事である。
「すまない、ルナリス! 謝るから、まずは話を聞いてくれ!」
懇願虚しく、本格的に飛行を始めた【稲妻竜鷲】によって、情け容赦ない剛風が私達を襲った。
気を抜けば瞬く間に生身で空の旅だ。吹き飛ばされないようにコンテナにしがみつき、凍える身体を何とか支えた。
幸いにも本気ではなかったのか、ほんの数分程度の飛行だった。
被害は服の表面と、服に隠れていなかった手や頭部の表面が薄っすらと凍った程度で収まった。
私がヒトであれば凍え死んでいたかもしれないが、この程度ならまだまだ大丈夫。この程度で収まった事に感謝すらしていた。
その後は再び地上に降りて【地殻天王百足】を収納し、暖かい空調の効いた【稲妻竜鷲】の内部に入って帰還する。
ただその前に、【稲妻竜鷲】内にはプリプリと頬を膨らませて怒りを表現するルナリスが中で待ち構えていて、帰る間正座した状態でずっと説教されたが、仕方ない。
置いていかれた悲しみとか、寂しさとか、新しい【鬼哭迷宮】を発見して凄く羨ましいなど延々と語られたが、私が悪かった部分もあったのでジッと聞いた。
やはり、説得が困難を極めると思って手を抜いた事が原因か。
あるいは、こうしている時間も何だかんだで好きだという私の性質のせいだろうか。
「聞いていますか、旦那様?」
ジト目で見てくるルナリス。
惚れた弱みというやつは、可愛い妻の怒った顔を偶には見たいという欲求は、中々どうして度し難い。
「もちろん、聞いているとも」
帰るまでは、ゆっくりと夫婦のスキンシップでも楽しもうか。