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Re:Monster(リモンスター)――刺殺から始まる怪物転生記――  作者: 金斬 児狐
外伝 過ぎ去りし神代の足跡――鬼神の系譜――
7/12

外伝 カナンの【鬼哭迷宮】探索記 2

『■■■■』


 門が閉まる間際、神像が何かを言った。

 だがその声は小さく、また距離が遠過ぎて私はよく聞き取れなかった。


 神像は一体何を言ったのか。自然と疑問が湧き出してくる。

 だが聞き返そうにも、閉ざされた扉がもう一度開く気配は無い。


「せめて唇の動きだけでもあれば、話はまた違ったのだが……」


 思わず伸ばした手を引っ込めながら、落胆と共に思わず不満を漏らす。


 私は対人戦闘や交渉を優位に進める嗜みの一つとして、読唇術や読心術などを修めている。

 その道のプロほどではないものの、それを使えれば神像が語った何を知る事ができたかもしれない。少なくとも何かのヒントは得られただろう。


 しかし神像に対して読唇術は使えない。


 理由は単純明快で、神像は十中八九、時代の中で失われてしまった古代技術で製造されたゴーレムだからだ。

 声を出す仕組みは口にスピーカーのようなモノが仕組まれているのだろう。つまり唇を動かす必要性が無い。


 ここは【鬼哭神殿】の中でも特別なようなので、神像はもしかしたらゴーレムとは似て非なる特別な何かかもしれないが、事実が何であるにしろ、唇の動きから言葉を推測する読唇術が使えないのは当然の事である。


 ただ慈愛に満ちたような笑みを浮かべていたので、何やら親しい者に向けて『また来い』とでも言うような雰囲気ではあった。


「まあ、情報が少なすぎる今、気にしすぎるべきではない、か」


 事実がどうであるかはともかく、現状ではこれ以上何か出来る事も無くなったので、この場に留まって長々と考えても仕方がない。

 グダグダと答えも出ない事を考えて貴重な時間を無駄に費やすよりも、もっと有意義に過ごした方が良い。


 具体的に言えば地上に帰還し、ここで得た情報を一刻も早く解析し、事細かく編集する事だろうか。


 出現したダンジョンモンスターの種類や大まかな基礎能力を始め、区画ごとに変化する難度の傾向、内部の基本構造や最深部に至るまでの大まかな地図、道中で発見した罠の種類やその凶悪性。

 内部様式から窺える歴史的影響、獲得したドロップアイテムの精査、数ある【迷宮魔具ダンジョンアイテム】の鑑定など、編集すべき事案は多岐に及ぶ。


 そしてその中でも特に重要なのは、やはり例の日記関係だ。


 日記の中には、それこそ歴史を覆すような事実が記されていると判断して間違いないだろう。

 私の一族が気も遠くなる程昔から蒐集し、継承し続けている膨大な【鬼哭迷宮】や【神秘】などに関する資料と照らし合わせながら読み解けば、きっとこれまで考えられてもいなかっただろう真実が浮かび上がって来るに違いない。


 長年誰も解き明かせなかった世界の歴史の謎。

 それを私が解き明かせるかもしれない、というのは、考えただけである種の高揚感を覚える。

 とても名誉な事でもあるので、解読には全力を尽くしたいと思っている。


「ふむ……とりあえず、一旦帰るか」


 ただ、日記の解読を行うのは個人的な他の理由もあった。


 風化しない特別な書物で、あるいは当主だけに口伝で継承されてきた一族の歴史は長い。

 始まりが【神代】にまで遡るほど長過ぎるので、世界の歴史を紐解けば当時世界一の大国を一代で造り上げた【建国の武天皇】や、三つの大国に挟まれ小さい母国を戦乱から守り抜いた【救国の戦乙女】、無数の国を僅かな手勢で蹂躙した【国崩しの魔導王】や、現代を支える三大技術系統の基礎を生み出した【魔導錬金の母】などとして語られるご先祖様の名前が散見する。

 そして現代では経済や流通、最新技術の開発や【鬼哭迷宮】の管理維持などで世界的に大きな影響力があるので、歴史的にも世界的にも私達の一族は良く知られている。


 ある意味、私の一族も世界の歴史の謎の一つである、と言えるだろう。


 ともあれ、他に類を見ないほど脈々と血脈や歴史や叡智などを積み重ねてきた私達だが、数十代を越す現代の私の代にもなると、時の戦乱や政争などによって武具や宝物だけでなく、一族の歴史や知識など失われたモノは多い。

 また継承してきた歴史の中には、本当だと思っていた事の中に虚偽が混ざり込んでいるという事も考えられる。

 そして虚偽でなくても、起源とは微妙に変化しながら継承されてきた伝統もあるだろう。


 そう言う事もあり、一族について、昔から個人的に真実を解明したいと思っていたのだが、現実は厳しい。

 幾つか資料を得る事は出来たモノの、そのどれもが真偽は不確かなものでしかない。真実である、と自信を持って言えるようなモノはなかった。

 だから一族の真実の解明など、ただの夢でしかなかった。


 だが今回の一件で全ては変わった。


 元々、私達の一族は【鬼哭迷宮】とは切っても切れない縁がある。

 代々所有している【鬼哭迷宮】があるし、世界中の【鬼哭迷宮】には一族の誰かが何かしら関係していると言えば、縁の深さが理解できるだろうか。


 だから手がかりがあるとすれば【鬼哭迷宮】だろうと思い、これまでは趣味と実益を兼ねて攻略を続けてきた。

 そしてココまで来て、恐らく特定の人物しか開けられないのだろう【封謐棺】が開いた事から確信と、私達の祖先は【鬼哭迷宮】の根本と深く関係しているという手懸りを得たのだ。


 つまり日記の解読は世界の歴史の謎を解くと同時に、一族の真実の解明という私の密かな夢を叶える鍵となる訳だ。


「解読の資料は、とりあえず【鬼神国禁書】や【鬼血ノ系譜】辺りから手をつけるべきかな」


 内心でそんな事を考えていた私は現在、瞬時に地上へ移動できる転送陣が出現した【ボス部屋】まで戻っている最中である。


「まあ、何にしろ、全ては地上に帰ってから……あー、まだ残っているか?」


 慌てる事もなく普段通りの速度で来た道を戻る最中、ふと転送陣が出現してからかなりの時間が過ぎている事が気になった。

 転送陣が出現してからこれ程の間を置いた事は無かったので、もしかしたら転送陣が消えているかもしれない、という不安が湧き出る。


 【鬼哭迷宮】以外でも再現できないか、という事で転送陣については古来より【迷宮研究家】や【迷宮学者】といった存在によって研究されている。

 現代とは異なる法則によって動いている転送陣の解明は長い時を経ても遅々として進んでいないが、その中でも分かっている事は幾つかある。


 その中の一つが、転送陣の持続時間だ。

 結論から言えば、転送陣が発生してから消えるまでの持続時間は【鬼哭迷宮】によって違う。

 最短だと一時間程度で消え、最長では一日程度存在したそうだが、肝心のココの持続時間は分かっていない。


 転送陣が発生してから、既に数時間が経過していた。

 平均的な持続時間から言えば転送陣は消えていても可笑しくは無い程度の時間は過ぎているので、消えている可能性は高い。


 もし仮に転送陣が時間経過によって消滅して使えないとなれば、その時は得たばかりの【迷宮神盤ダンジョンアーカイブ】を頼る必要があるかもしれない。


「先に確認ぐらいしておくか。『我が足跡を示せ』――【迷宮神盤ダンジョンアーカイブ】」


 思い立てば即行動あるのみだ。

 一節だけの単文詠唱と、すぐ自然回復する程度の僅かな魔力。

 それ等を代償として捧げ、攻略者に共通して与えられる特典の一つである、攻略した【鬼哭迷宮】内なら何処でも使える半透明の空中投影ディスプレイとも表現すべき【迷宮神盤】を眼前に出現させた。


「さて、と」


 出現した【迷宮神盤】に実体は無い。

 手では触ろうとしても触れないが、これはそもそも思考で操作する事になっている。

 自由に動かすにはちょっとしたコツが必要になるが、私は他の【鬼哭迷宮】でも操作し慣れているので、操作を手間取る事は無かった。


 【迷宮神盤】を分かりやすく表現するなら、情報端末のようなモノである。


 攻略した【鬼哭迷宮】に限定されるモノの、【神秘領域アーカーシャ】と表現される現代でも解明されていない未知の領域に集積された情報を一部閲覧する事が可能なだけでなく、探索した範囲の自動地図作成、出現するダンジョンモンスターに関する情報の閲覧、仲間の位置情報の表記など、その機能の幅は広い。


 取得条件は厳しいため所有者は少ないが、これが有るのと無いのとでは探索効率は大きく違ってくるのでかなり重要な特典と言えるだろう。


 ちなみに、富豪など一部の権力者は強力な攻略者に守られながら獲得する場合もあるのだが、【鬼哭迷宮】には不正防止の為の機能が組み込まれているらしい。

 そういった者達の【迷宮神盤】は機能の一部が制限されてしまうだけでなく、以後他の【鬼哭迷宮】を実力で攻略しても同じように制限されてしまうので、余程の理由が無い限りは実力者しか使えない。


「取りあえず、探索値の確認を……と」


 そして【迷宮神盤】には、情報の閲覧や地図作成などの他にも幾つか重要な機能が備わっている。

 その一つが、どれ程探索したかが数値――一般的に探索値と言われている――で示される事だろう。


 この探索値を増やすには様々な条件があり、長時間滞在する、未踏破区画を埋める、未開封の宝箱を見つける、ダンジョンモンスターを多く討伐する、などが代表的だ。

 

 そうして貯まった探索値だが、金銭のように、様々な事で使用できる。

 特定のモンスターを引き寄せる【香り袋】、本来なら不壊である迷宮を一時的に壊せる【螺旋鎚】、宝箱の鍵や罠を回すだけで解除する【大盗賊の魔法鍵】、その他入手条件が難しい特殊な【迷宮魔具ダンジョンアイテム】と交換したり、安全な一時的拠点の構築、未踏破区画の地図の入手、通常個体よりも強いユニークモンスターやネームドモンスターの誘導など、その用途もまた幅広い。


 そして数ある使用用途の中でも、特に良く使用されるのは任意転送陣だろう。

 距離によって、あるいは潜る【鬼哭迷宮】によって変動するが、任意転送陣を使えば迷宮内部なら何処でも一瞬で移動出来る。

 これがあれば、例え転送陣が消えていても地上にまで即座に帰還する事が可能だ。


「おお、無茶しただけに、かなり溜まっているな。だが……」


 溜まっている探索値を確認すると、予想よりも多かった。

 やはり『初回攻略ボーナス』『最短攻略ボーナス』『迷宮主単独撃破ボーナス』など特に取得探索値の大きいクリア項目が多くあったからだろう。

 万単位で表示される探索値を前に、思わず笑みが零れた。

 功績が確かに認められている実感が持てたし、何よりこれだけあれば色々と出来る。


「流石に最下層からだと任意転送陣のコストが高すぎるのは分かるが、それでも多過ぎるな」


 しかし【始まりの鬼哭森殿】の攻略難度の高さもあるのだろうが、任意転送陣を使用するのに、ここまで要求探索値が高いのは見た事が無かった。

 せっかく溜まっている探索値のほぼ全てを使ってギリギリ、といった具合である。


 やはりここに存在する霊廟が関係しているのだろうか。

 【封謐棺】から手に入れた【迷宮魔具ダンジョンアイテム】の質が高過ぎるだけに、簡単に行き来されても困るからこういう設定になっているに違いない。


「となると、残っている事を祈った方が良さそうだ」


 何にせよ、取りあえず地上にまで即座に移動する手段がある事は判明した。

 それだけで、まずはホッとする。


「最悪の場合は回避できたが、さて……」


 もし探索値が足りていなかったら、頭を抱えていた所である。

 最初に挑んだ時よりも心身と物資の消耗が激しい現状では、来た時以上の時間が必要になる。そして道中で力尽き、そのまま“死に戻り”する可能性が非常に高い。

 というか、ほぼそうなるだろう。


 徒歩での帰還は想像するだけで嫌になるが、“死に戻り”すると体内に蓄積された【神秘】の減少や、獲得した【神代遺物レリック】を遺失ロストする可能性が否定できない。

 まだ蓄積された【神秘】の減少程度なら諦めもするが、【神代遺物】の遺失など考えただけで発狂ものである。


 それを回避する手段が確保できたのは良かった。

 しかしだからといって、せっかく溜まった探索値のほぼ全てを使いたくも無い。

 これには他に使いたい事があるので、無駄遣いはしたくなかった。


 だからまだ残っていてくれ、と懇願にも似た思いで戻ってきた【ボス部屋】には、【迷宮主ダンジョンボス】を討伐する事で出現した転送陣が変わらず存在していた。


 出現した時と変わらず、発光し続けている。


「おお……取りあえずは一安心、だな」


 転送陣が消えているのではないかという懸念は無くなり、再び安堵の息を漏らし、気を取り直して帰還する為の最終確認を行った。


 忘れ物は無く、撮るべきモノは撮り、採取するべきモノは採取し終えた。

 それを一つ一つ再確認し、準備を万全に整えた私は、そのまま青白く発光する魔法陣とも言うべきそれに足を踏み入れた。





 ■ 〒 ■





 転送は一瞬で終わり、私は地上に戻ってきた。

 慣れていなければ一瞬で切り替わる景色に驚く事もあるが、私は慣れているので動揺は無い。


 ただ急に赤い光が視界に飛び込んできたので、反射的に眼を細め、右手を眼前に掲げて遮る。

 外に出て、私がまず見たのは夕日だった。


「夕暮れ……か」


 私が転送陣によって転送された出入り口は、一つの山の中腹にある。

 やや高い場所にあるので見晴らしは良く、それだけに夕日によって赤く染まった麓に広がる街並みは良く見えた。


「中々、いい景色じゃないか」


 見下ろせる麓の街並みは、一言で言えば混沌としていた。


 まず、巨大な一本の樹をまるまる使って造られるエル・フェリオ建築、天然石を積み上げて造られるストージ建築、岩を繰り抜いた蜂の巣を連想させるストハルニ・カムーン建築、木材やレンガなどで造られたアンテナス建築、土を盛り上げて穴を掘ったようなフォルテオン建築など、建築材料から建築様式など様々な部分に至るまで、とにかく統一感と言うモノがない。


 それは家屋の大きさでも現れている。

 巨人が暮らしていそうな巨大な家屋があるかと思えば、私達と同じくらいの普通のヒトが暮らすような家屋があったり、小人が暮らしている小屋のような家屋まで様々だ。


 そんな統一感の無い家屋が無造作に、しかし何かの意図に沿って配置されたような街並みは歪に見えて、全体としては混沌としていながらも奇妙に整えられているのだから、見ていて実に面白い事になっている。


「また今度挑戦した時も、同じような景色が見たいな」


 儚くも美しい夕暮れ時の景色を見た後、私は何気なく振り返る。


 振り返った先に在るのは、巨大な黒い岩で造られている鬼の頭部。見る者を威圧する生き生きとした造形で、心の弱い者なら気圧されるに違いない。

 そんな鬼の頭部は口を大きく開けて鋭利な牙を覗かせながら、まるで万物を喰ってやろう、と言っているかのような迫力があるのだが、先程まで私が居た地下深くまで続く【始まりの鬼哭森殿】の迷宮区画に入る為の出入り口は、この鬼の口腔内に存在していた。


 ある意味、先程まで居たのはこの頭部だけの黒鬼の体内だったと言えるかもしれない。


「さて、取りあえず合流すべきだろうな」


 とりあえず、先に地上に戻って来ている部下達と合流する為、【収集家の黄金指輪コレクター・ゴールドリング】から迷宮内部で使用した【生きた黒宝玉】ではなく、普段使用している魔導式通信機【エクリプス2805】を取り出した。


 機能の全てを通信能力だけに特化させた分、一部例外を除けば世界中何処でも通じるペンのようなデザインの【エクリプス2805】を操作。

 部下達の番号は登録済みなのでボタンを一つ押すだけで終わり、数回の無機質なコール音の後、通信は無事繋がった。


『こちらブライド。カナン様、また何かありましたかな?』


 連絡した相手はブライド爺である。

 今回の攻略に連れてきた三人の部下の内、統括する役割を持つブライド爺に連絡を取るのは自然な流れだろう。


「地上に戻ってきたから、合流しようと思ってな。今どこに居る?」


『おお、それはそれは。では出入り口である黒鬼頭岩クロキトウガンまで私が迎えに行きますので、しばしお待ちを』


「ああ、頼む」


 短いやり取りの後、通信を終える。

 そのままサッと【エクリプス2805】を【収集家の黄金指輪】に戻しながら、すぐ近くにあった程よい大きさの石に腰かけた。


「ふぅ……今回は、疲れたな……」


 座ったまま、滲み出るような疲労感から思わず溜息を洩らす。

 迷宮内部では自然と張り詰めていた神経も、地上に戻ってくればフッと緩んでしまうモノだ。


 今回は途中で部下を失って単鬼になり、そのまま最後まで突き進んだ事もあって、心身のダメージを無視して無理やり動いていた部分も多かった。


 つまり、無茶をした、と言うヤツである。


 迷宮内では表面化しなかった疲れが、危険地帯の外に出た事でどっと押し寄せてきているのだろう。

 一応、治療によって回復した肉体には、既に怪我らしい怪我は無い。

 削がれた皮膚や断裂した筋肉、砕かれた骨や傷ついた内臓は再生された事でより強靭になり、失った大量の血は外部から補給済み。


 だから怪我の痛みこそ無いものの、身体には重い気怠さがある。

 回復する為に全身からエネルギーをかき集め疲れ果てた肉体は、今は休息を求めているのが良く分かる。


 ブライド爺がココに来るまで、しばし休んでいた方がいいだろう。

 肉体が感じる脱力感だけでなく、精神的な疲労もまた消えた訳ではないのだから。


 そう言った理由から休む事にした私の視線は、再び夕日に染まる街並みに向けられた。


「ああ、しかし……ここがまだ【鬼哭迷宮】内部だなんて、かなり奇妙な感じがするな」


 赤く染まった街からは、人々の営みが感じられる。


 丁度夕暮れ時である為、仕事先から帰って来ているのだろう陽気に笑う虎系獣人の男性がいた。

 夕飯に遅れそうなのか、笑いながらも慌てて競い合うように帰っている鬼人ロードの子供達がいた。

 陽気に笑いあい、仲間達と何処かに飲みに行こうとしている凶悪そうな外見の大鬼オーガ達が居た。

 まだ幼い男の子と女の子の兄妹の手を握り、その両脇を歩く甲虫型甲蟲人インセクトイドの夫婦が居た。

 その他にも家屋からは食事の音や調理の音、それから家族が笑う声などが漏れ聞こえる。

 綺麗なガラスの嵌められた窓からは温かい光が漏れ、道のアチラコチラに設置されている街灯にはポツポツと光が灯る。


 天に輝く太陽は消えようとしているが、街と住人達は文明の陽によって照らされ始めていた。


 まさにありふれた、普通の街並みと言えるだろう。


 そう、現代にしてはあまりにも古過ぎて重要歴史的建造物や世界遺産として指定されるだろう家屋や、現代では希少な【血統保有者ブラッドホルダー】だけで構成された住人達、その住人達が着るとても古い形式の衣服などを見て見ないふりをするのなら。


「【神代】ではこんな暮らしが……いや待て、何故わざわざこんなにも自然な生活を行わせる理由があるんだ?」


 世界中に点在する【鬼哭迷宮】には、様々な様式が存在する。


 基本的な様式を挙げるのならば、地下深くに続く≪地下積層型≫や空高く積み重なる≪地上積層型≫。

 自然の一定範囲を内外で明確に区切った≪自然包囲型≫や、空飛ぶ大陸や大海を進む船のように世界を移動し続ける≪世界放浪型≫といった具合だ。


 その辺りの詳細は省くが、ここ【始まりの鬼哭森殿】はそれ等の様式の中でも特に数少ない≪迷宮都市型≫に分類できるだろう。


 一般的には【鬼哭迷宮】がある場所には金や名声などを求めて挑む攻略者が集い、商機を得るべく商人が集い、経済が生まれ、発展しながら更に攻略者などが集い、と大雑把に言えばそういった流れによって都市が構築され、それが迷宮都市と呼ばれるようになった。

 だからそれ等は言うなれば人工モノだ。最初から自然とある訳ではない。


 それに対して≪迷宮都市型≫とは天然モノとでも言うべきか、単純に言えば都市区画や迷宮区画、農業区画や工業区画など様々な役割を持つ区画全てを内包する、【神代】から現代まで存在し続ける巨大な古都の事である。


「生活風景を保存する、だけではないかな」


 そして私と三人の部下以外は住人全員がダンジョンモンスターであり、視界に広がる街の様々な営みは全て【始まりの鬼哭森殿】によってそうあれと設定された、偽物の造られた世界だとも言える。


 だが偽物、と切り捨てるのも躊躇するほど、ここの生活は本物だった。


 迷宮区画で遭遇すればダンジョンモンスターとして彼・彼女達は襲いかかって来るだろうが、それ以外ではそれぞれの個性と意思を持つ一つの生命体だ。

 私自身、何人かは直接会話し、ダンジョンモンスターとは思えない流暢な会話に驚いたモノだ。

 攻略者や学者の中には『どう取り繕ってもダンジョンモンスターでしかない』と言う者もいるだろうが、彼・彼女達は喜んだり怒ったり、悲しんだり楽しんだりと、それぞれの感情は確かに存在している。


 私達現代人となんら変わらない、命が確かに宿っている。


「あるいは普通の生活の中に紛れ込ませた、隠したい何かがあった?」


 そして、だからこそ、他ではありえない自由度の高さに疑念が生まれる。

 本来、ダンジョンモンスターに意思などあまり必要ではない。


 侵入者の排除、ただそれだけを存在理由にして思考し動くだけでいいのだから、余分な感情など不必要である。


 しかしここの住人ダンジョンモンスターには個々の意思が存在するので、そこにも何かしらの秘密が隠されているのではないか、と思ってしまうのである。


 一応他の≪迷宮都市型≫にも他者と交流できるダンジョンモンスターは居るが、ここのように自然ではなく、もっと機械的で情緒が抑制された人形のような存在しかいないのだから。


「いや……これも今考える事でも無いか」


 隠された真実があるにしろ、無いにしろ、現状では判断できる事ではない。

 また解明すべき謎が生じた訳だが、それには時間が必要だ。


「とりあえず、来るまで読んでみるか」


 長引く考え事は後回しにする事にして、私は自然と取り出した例の日記を開いていた。

 ブライド爺が迎えに来るまでの何気ない思い付きだったのだが、私はそれを見てしまう事になる。


 あまりにも常識外れな事が綴られた、【神秘】的過ぎる【神代】の日記を。




 <◎><◎><◎>



 “三日目”

 今日も変わらず、どこまでも広がっていそうな大海を進んで行く。

 陸地からかなり離れてきたからだろうか、大海は様々な面を浮かべ始め、航海は段々と刺激的なものになってきていた。


 龍のようにうねりながら海上にまで飛び出す海流が無数にある海域。

 普通の船なら呆気なく引きずり込まれるだろう、巨大な大渦が密集する海域。

 無数の海水の玉がシャボン玉のように宙に浮かぶ、海なのに墜落死する事もありそうな海域。


 その他にも遭遇した事も無い、これまでの常識とはかけ離れた海域はそれなりに刺激的だった。

 こういった海域は特殊海域と言われているらしいが、今回乗っている船が船である。


 普通なら沈没間違いなしだろう荒れ狂う特殊海域でも、【神代ダンジョン】の一つである≪アンブラッセム・パラベラム号≫の前では無力と言っていい。

 安全地帯から眺める特殊海域は幻想的ですらあり、映像に残せば売りモノになるのではないだろうか、などと心の片隅で思った。


 そしてそんな特殊海域にすら生息するモンスターは面白い生態をしているようだ。


 とある海域では、海霧に潜んでいる百数十メートルほどのちょっとした小島のような貝類系海洋モンスター“ミスシェルナル”と遭遇したので、殺して喰ってみた。

 情報を集めた時から気になっていたのだが、乳白色のトロトロとした外見通りの巨大な中身は牡蠣をより濃厚で複雑な、癖になる味に仕上げた様なシロモノである。

 美味しいだけでなく量もあったので皆と分け合って食べたが、栄養抜群なのだろうか、身体に気力が漲るようである。


 とある海域では、数ヶ月に一度だけ呼吸する為に浮上してきた白陸鯨“ファスティトケロン”と出会った。

 その大きさに驚かされたが、その背中にある特殊なサンゴで構築された魚人や人魚達が暮らす街≪アードラ=デンディス≫にも驚かされた。

 上半身はヒトで下半身が魚である人魚はともかく、頭部や身体に魚類の特徴を持つ魚人は『ウギョギョ』と理解困難な言語だったり、『イアッ! イアッ!』など冒涜的な何かを発していたのだが、【■■■■■■】で■■した通訳魚人を介する事で問題なく意思の疎通が可能になった。

 積極的に交流し、争う事無く友好的な関係を築けたのは今後の大事にな布石になるだろう。

 獲得した貴重な深海の品々を持ちながら、笑顔を浮かべて別れた。


 とある海域では、【■■】としか思えない超巨大海洋モンスターである“■■海災帝王覇龍グランド・レヴィアタン”を見かけた。


 紅紫色の巨躯の大半は深海に潜っているので、その全体は定かではない。

 しかし長大過ぎるせいで海上にまで飛び出し、まるで山脈のようにすら見える巨躯の一部だけでも、横幅が数百メートルはあるだろう事が確認できた。

 そしてまるで地層のように積み重なった分厚く巨大な龍鱗や龍殻で覆われた胴体の太さから想像できる巨大な頭部は、最早どこにあるかすら分からず、その反対になる尻尾も分からない。

 全力で探れる気配から最低でも体長は数十キロ以上は確実で、もしかしたら数百キロ以上という可能性すらある。


 その周囲には海のように青く、体長は小さいモノで数百メートル、大きいモノで数キロ以上という、グランド・レヴィアタンには劣るがそれでも十分過ぎる程巨大な“海災覇龍レヴィアタン”が十数匹ほど回遊しているのが確認できる。

 ≪アンブラッセム・パラベラム号≫に乗っているからこそ安心して、冷静に細部まで観察できるものの、襲われれば武装船舶の大船団でも数十秒と持たないだろう脅威だ。

 自然災害と思っていいだろうし、実際に【大海の絶望】や【凪の覇王】などと漁師や船乗り達の間で伝説として語り継がれるような存在である。


 殺すとなるとどれほどの時間が必要になるか分からないし、今は新大陸に向かう必要があるので、戦う事無く俺達は擦れ違った。


 しかし、今度は準備を整え、殺そうと思っている。

 あの引き締まった龍肉、喰わずにはいられないだろうに。

 きっと、一口で天にも昇る様な幸福感と満足感が味わえるに違いない。

 ああ、想像しただけで涎が溢れそうである。

 湧き出す食欲を抑えるように、グイっと鬼酒を煽った。


 うーむ、流石鬼酒【■■■■】だ。

 【■■】をクリアして得た報酬だけに、何度飲んでも飽きない味だ。

 ともあれ、今はグランド・レヴィアタンの味の妄想をツマミに、俺は極上の酒を飲んで過ごすのだった。



 <◎><◎><◎>



「……ふぅ」


 そっと日記を閉じる。

 何気なく書かれた内容が、どうしても理解できない未知で溢れていたからだ。


 まず、特殊海域、と呼ばれている現象は分かる。

 古文書を紐解けば、大陸間に広がる大海を渡航するのは非常に危険だった、という内容は多く見られる。


 恐らくはそれらも【神秘】が関係していたのだろう。

 現代では記されていた特殊海域のような海域は、僅かに残る【神秘保護指定区】などの例外を除けば存在していない。

 船舶による航海は時化などがある場合はともかく、準備しておけば民間船でもそこまで危険を伴う事なく世界を巡れる程度には安全だ。


 だからそれはいい。


 そしてその次の魚人と人魚の住まう海中都市は、現代でも幾つか存在している。

 日記に書かれた≪アードラ=デンディス≫という白陸鯨“ファスティトケロン”の背にある街と似ているが、生体式使役蛸【ククリトゥル】の背に在る背徳都市≪クゥタ=ニドォ≫や、深海の海底に構築された海古都市≪ルルイ=エーグ≫がその代表だ。


 書かれている≪アードラ=デンディス≫自体は現代に残っていないだろうが、この記述は大きなヒントになるだろう。

 陸地では戦争などで途切れる事も多いが、海中都市では治安が比較的長期間安定している為、昔ながらの文化や儀式などが受け継がれているので過去を紐解く多くの資料が現存している。


 そして長く続いている重要な儀式は色々あるが、その中の一つに“刻海の儀”と呼ばれる伝統儀式がある。


 海での神事を執り行う【海神官】。

 その中の最高位に位置する数名の【迷海枢機卿】によって、年に一度だけ、その年に起きた主な出来事が彫り綴られた特殊な黒い石板を【神域】に奉納する、というモノだ。


「これは、本気で書かれている、のだろうな」


 長い歴史の中で石板が何らかの理由で壊れたりする事もあったので、儀式の始まりは残念な事に分かっていない。

 しかし陸地よりも長く記録され続いている事は確かであり、石板の大きさから全ての出来事の詳細まで書かれていない事が多々あるが、歴史を紐解くのに必要な資料である。


 石板は深海の【神域】に奉納されるので普通なら見る事も調査する事も出来ないが、そこの守護を担っている【銛人もりびと】の一族は、遡れば一族の系譜に連なっている。

 つまりは身内だ。

 【銛人】の一族の長は非常に頑固なので交渉は難航したが、あれこれ手を尽くして許可を得て、内密にだが様々な器具を使って徹底的に石板の調査を行った事がある。


 調査よりその前の交渉の方が大変だった記憶が強すぎて今すぐには詳細な記述の内容は思い出せないが、サンゴで造られた街≪アードラ=デンディス≫、というのは記憶の片隅に引っかかった。


 もしかしたら無数にある石板のどこかに書かれていたのかもしれない。

 これは帰ってから資料を引っ張り出さねばなと思うが、だからコレも問題ではない。


「しかし本気で書かれているとすれば、著者は一体、何者なんだ?」


 問題は、当然ながらグランド・レヴィアタンというモンスターについて、著者が思っている事についてである。


 大きさの単位などは現代とは異なるので参考程度にしかならないのだが、日記には『山脈のようにすら』などと大きさに関する記述がある。

 その為単位については現代のモノに変換させ、そこから大雑把にイメージを膨らませると、その大きさに寒気が走った。

 それは生物というよりも、自然災害と表現した方がいいのではないだろうか。


 大きさはそのまま強さであり、山脈のような生物なら身動ぎするだけで甚大な被害を齎すだろう。

 それが海となれば余計にだ。動くだけで大津波が発生し、陸地は浸蝕されてしまうだろう。


 抗う事すら許されず、ただ過ぎ去るのを待つ。

 グランド・レヴィアタンとはそのような存在に違いない。


 それを殺し、喰おうと思っているこの日記の著者を想像して、恐ろしくなってきた。

 また、同じ【封謐棺】に入れられていた【神代遺物】についてもそれは同じだった。

 これほどの、ある意味理解できない人物が使っていた武具となれば、どのような能力を秘めているのか想像すら出来ない。


 もしかしたら日記の著者は誇大妄想家だったり、空想を書く事が好きだった、などという可能性も否定はできないが、一緒に収められていた品を見た後では、一定以上の説得力があるのだから困りものだ。

 これで適当な品だったら、いっそ誇大表現された書物として対処する事も出来ただろうに。


「……これは、下手に調べるのも危険か?」


 読めば読むほどどう扱っていいモノか。

 頭を悩ます日記を手にして、私はもう殆ど見えなくなった太陽を見送り、やって来た夜空の下で溜息をついた。



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[一言] うーん…アルファポリスに入ってないから未だ情報が暗黒大陸第三巻で止まってるせいでよく分からんけど 終焉齎す黒滅鬼槍が鍛冶師さんの作ったハルバードで、始まりの鬼器森澱は拠点、謎多きなんちゃらの…
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