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秋刀魚の塩焼き

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・日曜日は定休日となっております。営業しておりませんので、あらかじめご了承ください。


以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。

もうすぐ真上にこようとしている満月の光に照らされながら、コヘイジはキョロキョロとせわしなく辺りを見回していた。

(どこか、どこか無いか。アレが来れないような……)

コヘイジの耳に、風の音に混じってアレの音が聞こえてくる……


アアアアアアアアアアアア……


悲しげな、世を恨む怨嗟の声と、しゃらりと、幽かなはずなのに妙に耳に残る衣擦れの音。

(間違いねえ。今まで行方知れずになった連中はあの死霊(れいす)に……)

最初に出会ってしまったときのことを思い出してぞっとする。

ハッとするほど綺麗なのに、目玉だけが無い女の死霊の空ろな目の穴の奥には生きるものへの呪詛がこめられていた。


数年に1人か2人くらい、この街道筋では行方知れずになる旅人が出るとは聞いていた。

だが、たいした問題だとは思っていなかった。

コヘイジのような護衛を雇えるほどの金は無い行商に、命の危険はつきものなのだ。


ひとたび道の情報を求めて酒場に行けば、やれあの街道筋には狼の群れが出るだの、あの街道筋は冒険者が子鬼(ごぶりん)の巣を壊したから安全だの、あの街道筋にいた恐ろしい人食い(おうが)の夫婦が最近いなくなったらしいだの、物騒な話がごろごろ転がっている。

それに比べれば数年に1人なんて貧乏くじをそうそう引くことも無かろう。

コヘイジはまさか己が特大の貧乏くじを引く羽目になるなど考えもせず、この街道を行くことを決めたのだ。

(た、多分……満月の晩にだけ出るんだ……)

空を見上げる。大昔から闇の……死の力を強めるといわれる、天に輝く満月を。


思えば故郷の小さな町でも、満月の夜は墓場で神殿の見習いが不寝番をするのが普通だった。

満月の持つ強力な闇の魔力は、ただの死体を恐ろしい不死者(あんでっど)へと変えてしまうことがあるからと。

(まさか死霊ってのが……あんなに恐ろしいものだったなんて……)

がたがたと身体を震わせながら今もコヘイジを探しているのであろう死霊に怯える。


ガキの頃、町の入り口あたりで旅人がのたれ死んだと聞いて近所の悪ガキ連中と見に行った幽霊(ごぉすと)はもっと『どうでもいい』存在だった。

自分が足を滑らせて死んだ崖の下に何をするでもなく、透き通った身体でぼんやりと立っているだけだった。

そりゃあ不気味であったし、怖いものだとは思ったがその後、特大の拳骨を落として懇々と説教を食らわせてきたかあちゃんの方が何倍も怖かったし、幽霊もすぐ町の巫女に祓われて消えてしまった。


だが、先程生まれてはじめて見た死霊は違う。まるで別物……怪物だ。

格好からすると恐らくは人間と魔族が熾烈な縄張り争いをしていた邪神戦争の頃、この辺りで死んだどこぞの貴族の姫君かなんかだったのだろう。

ああいう、何十年、何百年も恨みだけで現世にとどまり続けるような死霊はともすると本職である銀印もちの禰宜や巫女でも精気を奪い殺すと聞いたことがある。

まして刀の扱いをほんの少し齧っただけでその手の魔法にはまるで縁が無い、一介の行商に過ぎぬコヘイジにどうこう出来る相手でないことは明白だった。

(な、なんでもいい。アイツが追って来れないような……なんだありゃ!?)

満月の月明かりを頼りに必死に何か無いかを探していたコヘイジはそれに気づく。

猫の絵が描かれた、黒い扉の存在に。

(な、なんでこんなところに……待て、消えかけてやがる!?)

満月がいよいよ中天に差し掛かるのとほぼ同時に、扉がゆっくりと薄くなっていく。

このまま行けばすぐにでも消えてしまうだろう。

(や、やべえ!?)

あの扉に今すぐ飛び込まなかったら、確実に自分は朝を迎える前に死霊に呪い殺される。

頭をよぎったその直感に従い、コヘイジはとっさに扉に手を掛けて開け放つ。

チリンチリンという鈴の音を響かせながら扉が開くと同時に、中に飛び込んで思い切り閉める。

大きな音を立てて扉が閉まると同時に、腰が抜けたコヘイジが扉の前にへたり込む。

「た、助かった……のか?」

その床がごつごつした岩でも土でもなく、温かな木で出来た、人の手が入った床であることにほっとする。

ここがどこかは分からない。

真っ暗ではあったが、確かに生きた人間の気配があり、死者の気配は微塵も感じない。

今はそれだけで充分だ。


コヘイジは安堵のため息を吐き、扉にもたれかかる。

助かったと思ったと同時に、腰が抜けて立てなくなり、疲れがどっと押し寄せてくる。

それから程なくして、コヘイジはいびきをかき始め『異世界食堂』にその音が響いた。


「……だれだこれ?」

この店唯一の定休日である日曜日。

朝、いつもより心持ち遅く下に降りてきて食堂の電気をつけた店主は扉にもたれかかり、いびきをかく若い男に気づいた。

「……夜中に扉を見つけて迷い込んできたのか……? 」

山歩き用のしっかりとした服……和服っぽい上下に護身用なのか小さめの刀を下げた、時代劇や戦国時代を思い起こさせるその姿に、店主はなんとなく事情を察する。

昨日、最後の客にビーフシチューを渡し、従業員が帰るのを見送った後……向こうの感覚では完全に深夜。

扉は大体12時くらいに向こうの世界から消えるらしいから、わずかな隙間とでも言うべき時間に紛れ込んできたのであろう。

「……んんっ?朝かぁ……?」

そんなことを考えていると、周囲が明るくなったことに気がついた男が目を覚ます。

「なんだか今日は妙に明るくなるのが遅かったような……うん? 」

寝ぼけた顔をした男が店主に気がつき、不思議そうに首を傾げる。

それに店主は。

「……いらっしゃいませ。ようこそ、洋食のねこやへ」

とりあえず客として扱うことを決め、ゆっくりと挨拶をした。


それからしばし。

(……異世界のメシ屋、ねぇ……)

この店の店主だというコヘイジより10は年長であろう店主に渡された氷入りの水を飲みながらコヘイジはゆっくりとこれからを考えていた。

あれから、コヘイジは己が迷い込んだ場所が7日に1度だけ開く異世界にあるメシ屋であると教えられた。

なんとも不思議な話だが、これでもかれこれ50年ほど続いている店であり、コヘイジのような異世界の連中相手の商売も30年ばかり続けているらしい。

それから、コヘイジはコヘイジでこちらの事情……恐ろしい死霊に運悪く出会ったことを話すと、どうも異世界には不死者は滅多にいないとかで、随分と驚いていた。

そして、言ったのだ。


―――それは随分と大変な目にあいましたね。

   生憎と今日は普段休みの日なんで作れるものは限られますが、それでもよければ何か食っていってください。


そう言われた瞬間、コヘイジの腹が鳴いた。

思えば昨日の夜は命からがら逃げ回った上に、朝から何も食べていない。

腹が減るのも道理である。

そこでコヘイジは店主の好意に甘えることにした。

無論、商売に携わるものとして、タダというわけにはいかない。

幸い金についてはいざというときの蓄えとして金貨と銀貨を数十枚ほど、布でくるんで常に肌身離さず身体にくくりつけて持ち歩いている。

コヘイジはタダでも良いという店主に対して言葉を尽くし、結局銀貨1枚を支払うことにして、異世界食堂の正式な客となった。


そして。

「お待たせしました。秋刀魚の塩焼きです。味噌汁の具は大根と油揚げです」

コヘイジの前に、異世界の料理が置かれる。

「なんだか随分と豪勢だな、主人」

そこに並ぶ料理に世辞ではなく、本気でそう思い、コヘイジは言う。

それは、コヘイジの知る普通のメシ屋のメシからは随分と外れた代物……貴族のメシといっても通用しそうなくらい豪勢なものだった。


小さめの椀に盛られたメシは天井からの光を受けて白く輝いているように見えるし、その側で湯気を上げる茶色い汁からは良いにおいがする。

小さな皿に少しだけ盛られた黄色い塩漬けの野菜もうまそうだ。


そして、コヘイジの目の前にどんと置かれているのは、茶色い焦げ目がついた、刀のような黒と銀色の混じった魚を焼いたもの。

これこそが店主の言う『サンマ』という魚の塩焼きなのだろう。

側には摩り下ろした白い雪のようなものと緑色の果物がちょこんと置かれている。

「そういっていただけるとありがたいです。秋刀魚にはそこの赤い瓶に入った醤油を掛けて食ってください。

 メシと味噌汁はお代わりもありますんで足りなかったら言ってください。それじゃあごゆっくり」

そういうと店主は後片付けをするべく一旦奥の厨房へと戻る。

そして後にはコヘイジが残された。

「さぁてと、食うか……」

湯気を上げる美味そうなメシに我慢が利かず、コヘイジは早速とばかりに箸を手に取り、食事にかかる。

「まずは……おお、美味いな」

茶色い汁の入った椀を手に取って飲んでみる。

塩気の利いたその汁は疲れきったコヘイジの腹に染みわたっていく。

中に入っている具は細く刻んで煮込まれたおおねと、細切りにされた明るい麦色の何か。

どちらも汁を良く吸っており噛み締めると具材本来の味と共に汁の味がしてたまらない。

思わずといった風情でコヘイジはメシの椀に手を伸ばす。

この時期、ちょうど取れたてであろう白い米。

それをかき込み……驚いた。

(なんでえ……こいつぁ随分と『甘い』じゃねえか!? )

異世界のメシはほんのりと甘かった。

おまけに普段、コヘイジが食っている米とは比べ物にならないほど柔らかく、噛めば噛むほど甘くなる。

このメシと汁だけでもご馳走だ。

思わず汁をおかずにコヘイジはメシを一膳食べきる。

「店主!すまねえがメシと汁のお代わりを頼まあ! 」

「はいはい。ちょいとお待ちを」

コヘイジの呼びかけに店主はすぐに応じて、お代わりのメシと汁を持ってくる。

すぐさまコヘイジはそれに手をつけようとして……気づく。

そういやあ魚をまだ食っていないと。

コヘイジは見たことの無い魚が乗った皿を見る。

ところどころに包丁が入れられ、茶色い焦げ目がついた細長い、銀色の魚。

随分と脂が乗った魚らしく、かぐわしい焼けた魚の脂の匂いがする。

(こりゃあもしかして……)

その様に、ふととあることに思い当たったコヘイジは、ごくりと唾を飲み、魚に箸を伸ばす。

包丁の入れ方が良いのか、魚はあっさりと骨から身が外れる。

箸のつままれた、白い魚の身。

それを口に運び……その味にコヘイジは確信する。

(間違いねえ!こりゃ『海の魚』だ!)


そう、店主が出してきたのは、コヘイジの故郷である山国では非常に貴重な『海の魚』であった。

その魚は骨が少なくて、脂っ気は多いという素晴らしいもの。山国で取れる、川魚とは格段に味が違っていた。

おまけに焼き方が良いのかその魚はしっかりと火が通っているのに水気も失っておらず、柔らかい。

適度に焦げ目がついた皮は香ばしく、それがまた美味い。

(こりゃあたまらねえなおい!)

思わずとばかりに再びメシをかきこむ。

ほんの少しの魚でメシが進む。

結局魚を半分も食べないうちに再びメシが尽きた。

「店主。お代わりだ!」

「はいよ……ああ、お客さん、秋刀魚はすだちの汁を絞って大根おろしも一緒に食うと美味いですよ。

 あと、そっちの醤油をちょろりと垂らしてみてください」

店主も心得たもので、新しいメシを盛った椀を手にコヘイジの元へ来て……コヘイジにより美味く秋刀魚を食うための助言をする。

「お、そうかい? 」

コヘイジもここのメシに関しては店主の言うことに従った方が良いと考え、素直に従う。

魚に緑色の果物を搾った汁を掛け、上に野菜の摩り下ろしを乗せる。

そして赤い瓶を手に取り、そっと傾ける。


するりと、傾けられた器から黒い汁が出る。

それはゆっくりと白い野菜を黒く染め、銀色の魚の上に広がっていく。

「じゃあ……」

それに対して、コヘイジは箸をのばす。

ゆっくりとつまみ上げ、口に運び、絶句する。

(なんだこりゃ!?さっきよりすげえぞ!)

魚……サンマの脂の乗った肉と、香ばしい皮。

それに甘みが無くて爽やかなスダチの汁とほんのりと苦味があるダイコンオロシ、そしてなにより独特の風味と塩気があるショーユ。

それらが加わった瞬間、サンマがまるで別物に化ける。


美味い。ただひたすらに、美味い。


それ以外の感想が浮かばず、コヘイジは猛然とサンマを食い、メシを食う。

(こりゃあ銀貨1枚じゃ安すぎたな……)

これまでの人生で最も美味いといっても過言じゃないご馳走。

それを食いつくすのはあっという間であった。


「……ふぅ。食った食った」

最後に野菜の塩漬けと汁でもう一膳メシを食い、コヘイジはそっと箸を置く。

こうして腹が膨れると、昨日感じた恐怖が薄れるような気がする。

「おう!店主、世話になったな!金はここに置いてくぞ! 」

そのことに感謝の意味を込めつつ、銀貨を1枚卓の上に置く。

「あ!ちょっと待ってください!」

そうして出て行こうとしたコヘイジに、店主が少し慌てながら寄ってくる。

その手には、茶色い紙の袋。

それをコヘイジに差し出しながら、言う。

「これ、持ってってください。握り飯。具は梅と昆布と塩にぎりです。漬物も多めに入れといたんで昼にでも食ってください」

「……いいのかい?」

本当に至れりつくせりの対応に思わず受け取りながらコヘイジは問い返す。

そりゃあ弁当はありがたいがあのサンマの塩焼きだけでも銀貨1枚以上の価値はあると思っていた。

「ええまあ。あれだけで1000円……銀貨1枚じゃあ取りすぎになっちまうんで」 

だが、店主にとってはそうではないらしい。

「……分かった。ありがたく貰っとくよ」

「はい。またのご来店を。今度は出来れば土曜日に」

そういって朗らかに挨拶をして、気持ちよく別れる。


コヘイジが扉を開き外へ出ると、そこには秋の晴空が広がっていた。

「……思えばたった半日の出来事だったんだよなあ」

捕まったら間違いなく死ぬような死霊に追われ、命からがら逃げ込んで、異世界の素晴らしい朝メシを食う。

それだけのことが、たったの半日の間に起こった。

そうして今、コヘイジは大いに満たされた腹を抱えながら、こうして生きている。

なんとも人生の運不運というものを感じさせる出来事であった。

「……お、ちゃんと残ってる。良かった良かった」

当然といえば当然だが、死霊はコヘイジの荷物にはまったく興味が無かったらしい。

昨日、逃げるために放り出したままになっていた商品や荷物を回収する。

「さぁてと、日が暮れる前に街までつかないとな」

街についたら色々忙しくなる。

商売は明日からにするとしても、神殿に死霊のことを報告しなければならない。

満月の晩にだけ現れる、恐ろしい死霊の存在を知れば、およそ不死者をすべて打ち滅ぼすべき仇敵と考えている神殿としては討伐すべしと動くだろうし、そうすればこの街道は安全になる。

少なくとも満月の晩にあそこで野宿をして死ぬ奴はいなくなるはずだ。

(またそのうちあそこに行くのも良いかもな)

商品と金を求めて旅暮らしの身である以上、次がいつになるのは分からない。

だが、またいつかこの道を通ることがあったなら、今度は普通の客として行こう。


コヘイジはそう決意し、ごくりと唾を飲み込んだ。

今日はここまで。

……思いっきり和食なのは、本来店主の朝ごはんになる予定だったからです。

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