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クッキーアソート

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・洋食のねこや従業員の方(アルバイト含む)にはフライングパピーのお菓子を従業員価格でお分けいたします。


以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。

それは、アレッタがこの異世界食堂を初めて訪れたときから数えて5回目の仕事の最中のことだった。

「それじゃあ30分……あそこの時計の長い針が真上に来るまで休憩な」

「はい!」

客が余り居ない頃を見計らってアレッタに与えられる『休憩』の時間。

簡素な卓と椅子が置かれた小さな休憩室に、店主に作って貰った熱いココアの入った杯を両手で持ち、アレッタは椅子に腰掛ける。

「ふぅ……おいし」

温かいココアが疲れた身体に染み渡る。

この、ちょっぴり苦くてとても甘い飲み物は初めて飲んだときからのアレッタの大好物の1つだ。

異世界の産物らしく、アレッタの世界では一番栄えている都である王都ですら売っているのを見かけたことは無いので、この食堂で何か好きな飲みものを1つもらえる時はいつもこれにしている。

「なんだか、幸せだな……」

ふぅ、と満足げにため息をつく。

この1ヶ月ほどは、今までから考えると嘘みたいに幸運が続いたし、アレッタ自身も変わった。


異世界食堂に雇われ始めてから、アレッタは帽子を被らなくなった。


それは異世界食堂で働いているお陰で懐に大分余裕ができたと言うのも大きかったし、異世界食堂で朝と夜の1日に2度異世界の香油で髪と身体を洗って『セイケツ』にしていたらぼさぼさだった髪が綺麗になり、隠すのが惜しくなったのもある。

そして分かった。帽子が無い方が、働くのには良いと。


アレッタは魔族であり、その頭には小さな漆黒の巻き角が生えている。

それを隠す帽子を被らないと言う事は当然アレッタが魔族だと他の人間にも伝わるということだ。


けれど、それが返って、変な隠し事をしない、誠実な娘だと言うことになり、以前より仕事はうまく行くようになった。

無論、魔族というだけで嫌な顔をしたり、雇うのを断る人間もいないわけではないが、逆に言えばそういう雇い主のところでは最初から働かず、アレッタが魔族だと知っていてなお雇ってくれる場所で働くお陰で、トラブルになることも前より確実に減った。

(これはアレッタが以前からは比べ物にならぬほど髪や服の手入れが行き届いた『清潔』な娘になったことも大きいし、仕事中に男に口説かれるなどトラブルの質は大分変わったが)


極めつけは3日程前から働いている向こうでの仕事である。

本人がいうところのトレジャーハンターである雇い主が所有している、小さな家で掃除や洗濯、日々の家の手入れといった管理をする仕事。

雇い主が見つけてきた貴重な魔道具がいくつか、頑丈な鍵付きの部屋にではあるが置いてある家を管理するその仕事には何よりも『信用』が求められる。

そしてその雇い主はアレッタを一目見るなり信用することを決め、アレッタは寝床つき1日辺り銅貨8枚で雇われることになった。その理由はただひとつ。


雇い主はアレッタのことを知っていた……

彼女は、異世界食堂の常連の1人だったのだ。


かくしてアレッタは貧民街の廃墟から旧市街の一軒家の使用人用の部屋に居を移し、7日に1度は今までどおり異世界食堂で働きながら、残りの日々を充実して過ごしていた。


それから、くつろぐこと少し。

「……食べても、良いよね……?」

アレッタはそっとそれに手を伸ばした。

雲と虹が描かれた空の絵を背景に、白い鳥の翼が生えた子犬の魔物が舞っている様が描かれた、大きな金属の箱。

アレッタはそれをそっと開ける。

中に詰められているのは『クッキー』と呼ばれている異世界の焼き菓子。

店主によれば茶を飲むための店ならともかく料理屋で出すようなものではないと言うことで、異世界食堂では出していない特別な菓子である。

「どれにしようかな……?」

目に入った小麦色と茶色の群れに、アレッタは迷う。

店主曰く『休憩室のクッキーはアイツから試食用っつって渡されてる奴だから好きに食べていい』とは言われている。


だが、幾らでも食べられると思えるくらい美味しい上にタダとはいえ異世界の焼き菓子をパクパクと1人で食い尽くせるだけの度胸は、アレッタには無い。


一度に食べるのは指の数と同じ5枚まで。


アレッタは自主的にそう決めていた。

「よし……これにしようっと」

しばし迷ったあとアレッタは5枚のクッキーを取り出す。


バターと砂糖でできた白いクリームが挟まれ、生地の方にもたっぷりとバターが使われたもの。


アーモンドと言う豆を荒く砕いてシナモンと言う香辛料と共に生地に混ぜ込んだ、大き目のもの。


チョコと呼ばれる黒い粒と店主が言うには一年中夏だという不思議な国で取れるバナナと言う果物を干したものを入れた、ココアと同じ色のもの。


真っ赤なベリーの砂糖煮をたっぷりとクッキーの真ん中に入れた、美しいつくりのもの。


そして、コウ茶の茶葉とバターをたっぷりと混ぜ込んだ生地の、さくさくと脆い歯ざわりのもの。


全部で15種類あるうち、その5つを厳選して選び出し、アレッタは一枚一枚丁寧に手に取る。

そしてほんの数口で食べ終えられるほどの大きさであるクッキーを大事に少しずつ齧り、口の中で転がすようにして味わう。

(……やっぱりお菓子って、果物よりずっと美味しい!)

口の中に広がる甘いクッキーの味に、アレッタは素直にそう思う。


こうしてお菓子を食べていると、最近知り合ったヒルダという魔族の傭兵がチーズケーキを食べながら言っていた『菓子というものは季節になると市場に出回る果物よりずっと高級なものだ』だと言う話も分かる。


クリームが挟まれたクッキーを齧るとバターの味わいととても甘くて白い、クリームの味が口の中に広がる。


アーモンドと言う豆入りのクッキーは香ばしくて少し甘い豆の香りと独特の風味がある生地がよくあっていて1枚でもお腹にしっかりと溜まる。


ココアを混ぜ込んだ濃い茶色のクッキーは生地が少し苦めに作ってあるのがちょっと苦くてとても甘いチョコの粒と、とても甘いバナナの味を引き立てている。


真っ赤で甘酸っぱいベリーの砂糖煮が入ったクッキーは甘みを抑えて堅めにしてある分ちょっと歯ごたえがあって見た目も綺麗。


そしてコウ茶の茶葉を混ぜ込んだものは口の中で砕けて茶葉の良い香りとバターの濃厚な甘い味が口の中いっぱいに広がる。


こうしてクッキーを口にするたびにアレッタは今までまったく食べたことの無かった『お菓子』というものがどれだけ美味しいかを実感する。

これは確かにその辺の果物とは比べ物にはならない。

だからこそアレッタは黙々とクッキーを味わう。

異世界食堂で、三度の食事と同じように訪れる至福の時間。

その時間は思わず頬が緩み、なんとも言えない幸福を感じる。


だがそれはすぐに終わりを告げる。


いかに少しずつ、丁寧に味わったと言っても食べるのはクッキーをたったの5枚。

アレッタの胃袋の中に全て消えるのは、あっという間だった。

「やっぱりすぐに無くなっちゃうなあ……」

クッキーを食べ終えて、甘いココアをすすりながらちらりとクッキーを入れた金属の箱を見る。

そこには大きめの箱に半分くらい……まだまだたくさんのクッキーが残っている。

アレッタが特に気に入っている5枚もまだまだ何枚か入っている。

「……ダメダメ!」

あれだけあるんだし、もう何枚かくらいなら……という考えを頭を振って振り払う。

1度そうやって緩んでしまったら、きっとアレッタは際限なく食べてしまう。

それこそおなかいっぱいになるまで。

幾ら店主の厚意で頂いているものとはいえそれは拙いと思う。

だからこそ、我慢なのだ。

「……はぁ。仕事戻ろ」

ちらりと壁に掛けられた時計の針が真上近くまで来ていることを確認し、名残を振り払うように立ち上がる。

少しだけ時間は残っているが、今このときも調理と接客の両方を行なっている店主を思えばそうそう休んでもいられない。

「すいません。アレッタ、休憩終わりました」

「おう。もうちょいゆっくりしてても良かったんだが、まあいいや。

 コイツをいつものお嬢ちゃんのところに持ってってくれ」

「はい!」

店主からフルーツパフェを受け取りながら、アレッタは元気よく言葉を返す。


それからざっと7時間後、異世界食堂の営業は滞りなく終了した。


「あの、着替え終わりました」

異世界食堂の仕事を終え、アレッタはシャワーで身体を洗ってから制服から洗い立てのいつもの服に着替え、シャワーの熱気で上気した湯上りの姿で店主に報告する。

「おう。今日もお疲れさん。ほい、これ給料と……就職祝いな」

店主も慣れたものでアレッタがしっかりと綺麗になったことを確認し、アレッタに茶色い紙で出来た封筒に入れた給金と……もう1つ空色の厚い紙で出来た袋を渡す。

「あの……シューショクイワイ、ってなんですか?」

思わずそれを受け取りながら、アレッタは困惑した。

異世界の言葉と翼の生えた犬の絵が書かれた空色の紙で出来た取っ手付きの袋は、結構重い。

中身が何かは気になるが、それはそれである。

「ああ、向こうにはそういう風習無いのか」

その、アレッタの言葉で、店主はそのことに気づいた。

どうやら向こうには1年や1ヶ月というものはあっても1週間……曜日と言う概念も無いみたいだし、日本とは風習も違うということだろう。

そして店主は改めてもう1つのものについて説明することにする。

「アレッタ。お前さん朝言ってただろ。

 うちの仕事が無い日の仕事、ちゃんとしたの見つかったって」

「え?はい。それはそうですけど……」

確かに朝、ちらりとそんなことを言った気もする。

アレッタが困惑しながらも頷くと、店主も頷き返す。

「こっちではな、それはめでたいことだからってんで色々贈り物をすることがあるんだ。

 いつもってわけじゃあないがな。

 だからまあ遠慮なく受け取ってくれ。間に合わせのもんで悪いけどな」

「あ、はい。ありがとうございます……ってこれ!?」

店主から聞かされた異世界の風習を不思議に思いながら紙袋の中を覗きこんだアレッタは、悲鳴のような声を上げた。


中に入っていたものは、ある意味においてアレッタが望んでやまなかったもの。


店主はアレッタの反応ににこやかに笑いながらアレッタに言う。

「どうやらお前さん、休憩室で食う時は大分遠慮してるみたいだったからな。

 クッキー、嫌いってわけじゃないんだろ?」

アレッタを雇い一ヶ月。その間の付き合いで色々分かったことがある。

例えば、アレッタが休憩ごとに、ほんの少しずつクッキーを食べているらしいこととか。

平日の、一番でかい缶に一杯のクッキーを3日で食い尽くす他のスタッフにも見習って欲しい謙虚さである。

「は、はい。それはそうですけど……これってかなり高いんじゃ?」

そう、紙袋の中に入っていたのは、ある意味では見慣れた、子犬の魔物の絵が描かれた金属の箱。

休憩室に置いてあるものよりは小さいが、ずっしりとした重さからして、相当量の『クッキー』が入っていることは間違いない。

「あ~……まあ確かに高いな。基本的に贈り物にする奴だし」

アレッタの疑問に店主は頷く。

これの製作者であるところの幼馴染によれば、このクッキーの詰め合わせは先代の頃のフライングパピー開店以来のロングセラーで街の百貨店や結婚式場にも卸しているという。

味がいいのは子供の頃から食べなれているので良く知ってるが、値段もその辺のスーパーやコンビニで売っているものと比べれば、高い。


―――こっちはメーカーみたいな大量生産は出来ないからな。値段の分は味で勝負って奴よ。


と言うのが本人の弁である。

「そんなもの……本当に頂いちゃってもいいんですか?」

アレッタに銀貨10枚もの給金をあっさりと払う店主が高いと言うくらいだから、恐らくこれはかなりの高級品。

あの味ならばそれも納得できる。

そう感じて、アレッタは少しだけ震えながら確認する。

「ああ、もちろんだ。気に入ったら買ってくれとは言ってたがそいつは俺からの贈り物だ。遠慮せず食ってくれ。

 土曜に入ってくるスタッフはお前さんだけだからな。少し位は色つけてやってもいいだろ」

店主が力強く頷く。

この一ヶ月、アレッタは実に真面目に働いてくれた。

不慣れながらも接客をしっかりとこなし、きちんと『戦力』としてあてにできることも分かった。

聞くところによると向こうでは大分貧乏暮らしをしているみたいだし、これぐらいはしてもいいだろう。

そんな仏心から、店主はクッキーの詰め合わせを渡すことにしたのだ。

「その、ありがとう、ございます。これ、大事にしま……食べますね」

その店主の言葉に、アレッタは有難く受け取ることにする。

「おう。あんまり大事されても困るけどな。一回もあけなければ3ヶ月くらい持つらしいが、開けた後は大体半月くらいしか持たないらしいから。

 あ、底の方に入ってるシリカゲル……透明の粒は食えないから気をつけろよ」

その言葉に店主は苦笑しながら、答える。

かくしてアレッタは『異世界のクッキー』を手に入れる。

……それが、新たなる出会いのきっかけになるとも知らずに。



小ぶりな、だが頑丈で華美な造りとなっている馬車が旧市街の一角、とある家の前でとまった。

「つきました。お嬢様」

御者を担当していた執事が後ろに座っていたシアに声を掛ける。

「そう。ありがとう。行って来るわね。しばらくしたら迎えに来て頂戴」

その主であるまだ若い少女が、それが当然とばかりに執事に命じる。

「はい。いってらっしゃいませ。お嬢様」

この家に来た時……家族に会いに行くときは長年ゴールド家にお仕えしてきた執事であっても同行することを厭うことを知っている執事の方も慣れたもので、それだけ言うと令嬢を降ろし、馬車で走り去る。

「さてと……姉さん、元気にしてるとよいのだけれど」

降ろされたシアもなれたもので、手早くドレスを調えなおすと、目の前に立つ家を見る。

元々は彼女の実家が王都のあちこちに持っている倉の1つを、人が住めるように改造したもので、『熱病』に冒された挙句、自分の力だけでやっていきたいと言い出した姉に両親が半ば押し付けるようにして渡したもの。

あの厄介な『熱病』に冒された姉……サラの住まいであった。


シアにとって5つ年上の姉であるサラは『熱病』に冒されている……シアの実家ゴールド家に代々伝わる病『ウィリアムの呪い』に。

ウィリアムの呪い、それは……冒険への憧れという熱。

初代から数えてシアの代でかれこれ4代目となるゴールド家では、それぞれの世代に何人かはこの厄介な熱病に取り付かれて、トレジャーハンターや冒険者になってしまう。

王都で平和な暮らしをするよりも古代の遺跡やら危険な魔物の巣に、素性怪しげな連中と共に、あるいはたった1人で潜ることを好むようになり……

最終的にはほぼ確実に命を落とすことになる。

そんな、恐ろしい病である。


無論、裸一貫から始めたウィリアムやその息子であり、まだ今ほどゴールド家が豊かでなかった時代の2代目であるリチャードの頃であれば、必要なことだっただろう。

当時のゴールド家の主な売り物は、当主自ら探し出し、手に入れてきた貴重な魔法の品だったのだから。


しかし、時代は変わった。


今や王都にはごまんといる冒険者やトレジャーハンターは、魔法の品を手に入れれば大抵は成り立ち故に冒険者との付合いが長く、知識の無い彼らを騙すような商売をしないという信頼で知られているゴールド商会に持ち込むようになった。


商会は持ち込まれたそれを買い取って長年の経験で磨いた鑑定技術を駆使してそれがどのような品であるのか正確に見極めて鑑定書をつけて好事家の貴族や魔法の武具を求める騎士や傭兵、経験を積んで金回りが良くなった上位の冒険者に売る。

または冒険者や貴族の要望を受けて契約している何人かの魔術師に比較的単純な魔法の品を作らせて売りさばく。


それだけでゴールド商会は十二分にやっていけるだけの金を稼ぐことが出来るようになっていた。

わざわざ商会の一族たるものたちが自ら危険な遺跡に宝漁りに行く必要など、まったく無い。


トレジャーハンターは危険な職業である。

代々のゴールド家のトレジャーハンターで、無事に引退し、その後天寿をまっとうしたのは初代ウィリアムとその息子リチャードのみ。

……皮肉なことにある意味で必要に駆られて冒険に出た2人以外は全員事故や魔物に殺されて命を散らしている。


シアにとっても、ウィリアムの呪いは人事ではない。

母の兄に当たる伯父は、サラとシアが生まれる前に魔物に食われて死んだ。

年上の、憧れのお兄ちゃんであった従兄は遺跡に行くといって出て行ったのを最後に未だに死体すら見つかっていない。

そして何より姉であるサラがウィリアムの呪いに冒され、なに不自由無い生活を捨ててトレジャーハンターになったとあっては、完全に当事者としかいいようが無いのである。


そんな事情もあり、シアはサラが王都に戻ってきている時はこうしてサラの家を訪ね、無事か、無茶をしていないかを確認することにしている。

「えっと、申し訳ありません。サラ様は今、出かけております」

……時折こうしてすかされる日もあるのだが。


シアに応対したのはシアがはじめて見る娘であった。

「えっと……シア様、ですよね?初めまして。

 わたしはサラ様にこの家の家政婦として雇っていただいているアレッタと言います、です」

サラをそのまま幼くしたような顔立ちを見て、シアの正体を悟ったのであろう。

その娘……アレッタは精一杯の丁寧さで自己紹介をする。

着ているものはゴールド家の使用人が着ている様なお仕着せではなく、アレッタの私物であろう着古してあちこち擦り切れてはいるが、汚れてはいない服。

妙に手入れが行き届いた金髪から伸びる黒い角を見るに、冒険者や傭兵、トレジャーハンターに多い種族である魔族の1人でもあるのは間違いない。

そのアレッタは雇い主の家族の突然の訪問にまごまごしている。

「……とりあえず、中で待たせてもらってもいいかしら?」

「あ、はい!どうぞどうぞ!」

シアの提案に一も二も無く頷くアレッタの了解を取り、シアは家の客間に上がりこむ。

質素な客間に備え付けの、柔らかなクッションがついた椅子に当然のように腰掛け、サラが帰ってくるのを待つ。

「あ、それじゃあお茶をお持ちしますね!」

それをまだ不慣れな様子で見ていたアレッタはそれだけ言うと奥に一旦引っ込む。

「……姉さんったらいつの間に魔族の娘なんて雇ったのかしら」

その姿を見送りながら、シアは内心首を傾げる。


普通、こうした『信用』が大事な使用人に魔族は雇わない。

サラとて冒険者と顔をあわせることが多い魔道具の売買を行なっているゴールド家の娘である以上、魔族を必要以上に恐れたりはしないだろうが、それでもだ。

えてして酷い暮らしをしている魔族は、手癖が悪かったり粗暴だったりすることが多い。

傭兵や冒険者として名を馳せて、懐に余裕のある魔族はそうでもないがアレッタのように、貧しさが身に染み付いていて戦う力にも乏しそうなものであればなおさら。


『貧しさは悪のはじまり』という言葉は、シアの世界では良く知られた言葉なのである。


「姉さんが雇うくらいだから大丈夫なのかしら」

シアは独り言を呟きながら考えを整理する。

ウィリアムの呪いに冒された姉が半ば家出同然にトレジャーハンターになって3年。

薄くなったとはいえウィリアムの血を引いていて才能があったのかその3年は世間知らずの小娘をいっぱしのトレジャーハンターに育てていた。

そしてその中で磨かれたサラの人を見る目は大商人の娘としてそれなりに磨かれているシア以上に鋭い。

その姉が認めたならば、信用に値する善良な魔族なのかもしれない。

……どうやってそれを知ったのか、と言う疑問は残るが。


「お待たせしました」

そんなことを考えていると、アレッタが戻ってくる。

片手に乗せ、高くかかげたお盆にはお茶のカップと……

「……それは焼き菓子?」

簡素と言うよりは粗末な木の皿に盛られた、5枚の焼き菓子を見て、シアは首を傾げる。

焼き菓子なんてトレジャーハンターになってからは自分の稼ぎだけを使ってかなり質素な暮らしをしている姉にしては珍しい。

大して日持ちするものでもないし、何よりここを訪れて茶以外のものが出てきたのははじめてである。

「はい。クッキーと言いまして、ちょっと特別なお菓子なんですよ」

シアの問いかけに『特別な』お客様と言うことで、身をきられる様な想いで5日の間に食べつくし、最後に5枚だけ残った私物のクッキーを出すことにしたアレッタが『営業用』の笑顔で答える。

「どうぞ。お茶の方はハック茶です」

それだけ言うと、辛くて爽やかな風味が特徴的な茶とクッキーをシアの前に置く。

その動作は食堂の方で何度か店主の指導を受けて学んだ方法なので、それなりに様になっている。

「そう、ありがとう。頂くわ」

正直砂糖も蜂蜜も入っていないハック茶は辛いので苦手だが、出されたものに手をつけないのも失礼だろう。

曲がりなりにも商人の娘として、相手を出来るだけ不快にしないよう行動するよう躾けられているシアは、お茶を手に取り、一口飲む。

口に広がるのは、予想通りの、少し鼻に抜けるような辛み。

(この風味自体は嫌いでもないのだけれど……)

このすっきりとした味わい自体はけして嫌いではないが、やはりそこはある程度甘みがあってこそだ。

そう考えながら、ふと、焼き菓子の方を見る。

(……菓子というなら、甘いのかしら)

そう考え、シアはそっと焼き菓子ののった皿を見る。

それは、小麦を使った焼き菓子らしく、こげ茶色のものと小麦色のものが盛り合わせてあった。

数はそれほど多くなく、5枚。

(全部違う種類みたいね……かなり凝ったつくりだわ)

シアはまず、その『クッキー』と言う焼き菓子を見定める。


1つは表面に、これ見よがしに白い砂糖がふられた、葉っぱのような形のもの。

1つは薄く、淡い黄色い生地にこげ茶色の何かがはさまれたもの。。

1つは鮮やかな橙色のものが中心に入ったもの。

1つは干し葡萄らしきものが入って、羽の生えた犬の形に整えられたもの。

そして最後は黒い部分と白い部分がチェック柄に並んでいるもの。


どれも一般的な焼き菓子と比べると鮮やかで美しい出来栄えだ。

味さえ良ければ、貴族に出されてもおかしくは無いだろう。

(で、肝心の味は、と……)

見慣れぬ、美しい菓子にいつの間にか期待を覚えながらそのうちの1枚、表面に白くて透明な砂糖がたっぷりとふられた葉っぱ形の菓子を手に取る。

そしてハック茶の余韻が残る口へと運び……


(え!?)


その食感に目を見開く。

その菓子は見た目よりはずっと甘みが少なく、焼いた小麦の香ばしい風味とたっぷりと練りこまれているバターの風味を感じる味だった。

正直、貴族の菓子としては甘みが抑えられている。

だが、シアは心の中で断言する。

(……これ、とんでもない出来だわ)

シアが驚いたのは、その食感。

薄い膜のような層を幾重にも折り重ねて焼くことで確かな歯ごたえと殆ど抵抗無く砕ける柔らかさを両立している。

そしてその砕けた風味が抑えた砂糖と、それ故にしっかりと感じるバターおよび小麦の風味と交じり合う。

シアは思わずといった感じでハック茶を一口飲み、考える。

(……もしかしてこれ全部そうなの?)

そのことに思い至ったシアは思わず居住まいをただし、残りのクッキーを見た。

残ったクッキーはわずか4枚。

……これが全て先ほどのものと同等の味だと言うのか。

そんなことを考えながら、そのうちの一枚を手に取る。

(こっちは本当に焼いてるのかしら?随分色が淡いけど……このこげ茶色のはなにかしら?)

次に手に取ったのは淡い黄色でこげ茶色物が挟まれた焼き菓子だった。

正直、そのこげ茶色部分の味は想像がつかない。

そのことに不安と期待を感じながら、シアはそれを口に運び、その味に驚く。

(なにこれ!?中のものと生地がすっごく合う)

そう、甘くて、苦いこげ茶色の何かとそれを挟み込んでいる、バターとミルクの風味が強くて甘い、サクサクと脆い生地の部分。

それ単体でも主役をばっちりはれそうな2つの菓子がお互いがお互いを引き立てて素晴らしい味を引き出している。

(こ、これ……やっぱり凄いお菓子だわ!)

興奮と共に残りを見て……食べる。


(やっぱり!)


その予感は間違っては居なかった。


橙色のものが入ったお菓子の、橙色の部分の正体はミケーレの砂糖煮であった。

甘酸っぱいミケーレにたっぷりの砂糖を入れて煮込むことで、爽やかで甘酸っぱい。

さらに土台に使われているクッキーにミケーレの『皮』の砂糖漬けを混ぜ込むことで、ミケーレの香りがたっぷりと楽しめる逸品だった。


よく整った、犬の形をした菓子には、干し葡萄が混ぜ込まれていた。

ただの干し葡萄ではない。かなり強い酒にたっぷりと漬け込まれた干し葡萄である。

酒独特の鋭い苦味を含んだ甘い干し葡萄。

それが他のものより甘めに仕上げられたクッキーの風味とよく調和し、素晴らしい味となっていた。


そして最後。黒い部分と白い部分がチェック柄に並んでいる菓子。

これもかなりの出来栄えであった。

他の菓子と違い、飾りつけなどは一切無い。

中はみっしりと詰まった重めの生地を焼いたものらしく堅くて食べ応えがあり、黒い部分からは先ほどの甘くて苦い独特の味がした。


かくしてシアは皿の上のものを食べ終え、ハック茶を飲み干す。

甘みのまるで無い、爽やかなハック茶。

それが立て続けに焼き菓子を食べて甘くなった口の中に心地よい。

「美味しかったわ……」

最後にぽつりと呟く。

これは、間違ってもただの菓子ではない。

半ば見栄で砂糖の量ばかり増やした『高級な菓子』では絶対に出せない、素晴らしい甘さの競演であった。

「貴女、これ、どこで手に入れたの!? それとも姉さんが買って来たの!?」

思わずシアは側に控えていたアレッタに問い詰める。

これほどの菓子、一介の庶民、ましてや魔族が間違っても手に入れられるようなものではない。

あらゆる食材を扱い、王城のコックにも匹敵するという腕を誇るアルフェイド商会の精鋭料理人並、否、それ以上の腕前の職人の作ったものとしか思えなかった。

「え!?それはその……」

アレッタは言いよどむ。

シアは異世界食堂のことを知らないし、サラからはシアには異世界食堂のことは秘密にするよう言われている。

答えるのは、難しい。

「……言いたくないのね。分かるけど」

一方のシアはアレッタが言いよどんだのを見て知らないのではなく言えない事情があることを察する。

これほどの菓子、出所が知れたらちょっとした騒ぎになるのは間違いない。


店の場所が知れ渡れば王都中の甘いものが好きな貴族や金持ちの客が詰め掛けるだろう。


商売人なら喜ぶところだが、職人の中にはそういう客を嫌うものもいる。

このクッキーがそういう職人の作品だとしたら、アレッタの反応もおかしくは無い。

「じゃあ、質問を変えるわ……これ、もう1度手に入れることはできる?」

ならばせめてと、シアはアレッタに再度問う。

「え、えっと……多分。でも物凄く高いんだと思います……

 これぐらいの綺麗な金属の箱いっぱいに色んなクッキーが入ってましたし」

アレッタは手で貰ってきたクッキー缶の大きさを示しながら、言う。

あのとき店主は『気に入ったら買ってくれ』と言っていたのだから、多分お金を出せば買えるのだろう。

だが、同時に『結構高い』とも言っていた。

店主の基準で『結構高い』だから多分、アレッタの基準から見たら『もの凄く高い』はずだ。

「そうなの? ちょっとその箱を見せて」

アレッタの言葉に興味を引かれたシアがアレッタに命じる。

「はい。ちょっと待っててくださいね」

アレッタは頷き、パタパタと奥に行き、それを持ってくる。

空色の、金属製の箱。

「どうぞ……中のクッキーは、その、さっきお出しした分が最後だったんですけど……」

頬を赤らめながらそんなことを言いつつ箱をシアの前に置く。

「なるほど……これなら、確かに高いでしょうね」

シアは翼が生えた犬の魔物が鮮やかに描かれたその箱を開けてみて、中が空であることに少しがっかりしながらも、これ一杯にあのレベルの菓子が入っていると想定して、頭の中で勘定してみて、出てきた結果にため息をつく。


元々菓子というものは、高い。

この大きさの『高級な菓子』なら先ほど振舞われた5枚ほどでも銀貨1枚か2枚はする。

あの菓子は砂糖の量こそ抑えられているが、そんなちゃちなことでは図りきれない、素晴らしい技術と工夫を感じたし、使われている材料の質も一級品揃いだった。

通常の2倍や3倍の値がついてもおかしくは無い。

ましてやそれがこのそのまま小物入れとして売れそうなくらい綺麗な金属の箱いっぱいに入っていたとなればなおさらだ。

「……よし」

アレッタの情報を吟味し、シアは決意した。

何気ない動作で財布を取り出し、中のものを一枚だけ取り出す。

「手に入れられるときでいいわ。これと同じもの、手に入れてきてもらえない?」

そう言うとシアはそっとそれをアレッタに渡す。

「え!? こ、これ金貨じゃ……」

その手の中にある、シアに渡された金色の硬貨にアレッタは悲鳴に似た声を上げる。

金貨。

初めて見たのはごく最近。

異世界食堂であの巨大な鍋一杯のスープを毎回買っていく魔族であろう常連がいつも店主に渡しているもの。

これ2枚で一皿が銀貨1枚もするスープをあの鍋一杯分買えるのだから、1枚でもとんでもない額の代物だ。

「そうよ。私のおこづかい一ヶ月分なんだから、失くさないでね。

 流石に金貨1枚はしないと思うけど……

 私の見立てでは箱1つ分で銀貨40枚か50枚くらいの値段にはなるはずよ。

 だから、一応それを渡しておくわ。それ1枚で大体銀貨100枚分の価値があるわ。

 お釣りは後で返してもらうけど、お礼はそれとは別に用意するから安心して」

決断したら即断即決。

そこだけは姉と同じであるシアが当然のように言い切る。

魔族とはいえあの姉が信用した使用人だ。

まさか持ち逃げなんて真似はしないだろう。

「わ、分かりました……」

その気迫におされるように、アレッタは思わず金貨を受け取って頷いてしまう。

「本当に、頼むわよ」

アレッタをまっすぐに見つめ、しっかりと頼み込むシア。

「あら? シアじゃない。どうしたの? うちの使用人の手なんか握ったりして」

そのとき、本来の目的であったサラのことはすっぽりと頭から抜け落ちていた。

それほどの、衝撃であった。


後日、シアは缶一杯に入っているクッキーの量と種類、その値段に更なる衝撃を受けることになる。


無理も無い。


アレッタが貰ったものが10種類入り銀貨1枚。

それより一回り大きいサイズでも15種類入り銀貨2枚。

異世界においてはそんな、アレッタでも手に届くくらいの値段で売られていたのだから。


かくて、異世界食堂の片割れとでも言うべきフライングパピーに新たなファンが誕生した。

……作った当人がまったくあずかり知らないところで。

今日はここまで。

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― 新着の感想 ―
この話し、好きだな~
[良い点] このエピソードわ割りと好きです♬アニメ・漫画でもリピートしてますよ。 もうなろうは覗かなと思うけど。
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