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第十六話 誤解力

 さとみさんが車から取ってきていた後見さんの上着に包まれたまま、裏口に停めてあったさとみさんの車に乗せられた。

 さとみさんは、どうしてこの上着を持ってきていたんだろう。まさか、会話が聞こえていた? その理由を、考えれば考えるほど冷や汗がでた。 口の中がカラカラだ。

「ショッピングモールまで少しかかりますから、酔わないようにゆっくり運転しますね。リラックスしていてください」

 柚葉の動揺など知らぬげに、さとみは柚葉の車酔いのことをよく知っている口振りで優しくそう言った。

 やっぱり、さとみさんは何でもお見通しなのだ! どうしよう……。

 軽く気が遠くなる。

「あ、あの、さとみさん? たぶんコレは何かの間違いだと思うのですよ。後見さんはさとみさんのことを……」

 心から愛していて、と続けようした柚葉の言葉は遮られた。

「柚葉さん、あ、柚葉さんと呼ばせてもらっても?」

「あ、はいぃっ! どうぞどうぞ」

 きたーっ。今度はオリーブオイル掛けられるくらいじゃすまないかも。どうしようぅぅ。

「まずはお礼を言わせてください。柚葉さんのお陰で、契約がふいにならずに済みそうです」

 はい? あ、れ? そっちの件が先ですか?

「いえ、私はなにも……」

「正直なところ、困り果てていたのです。もうずっと以前から華宮の奥様には、折に触れ希望を聞いていたのですが、私にはなかなか心を開いてくれなくて……」

 何を聞いても、どうでもいいとか、勝手にすればいいじゃないとか、しか言ってくれなかったのだという。

 そっぽを向いて、勝手にすればぁ? と言っている奥様の姿がすぐに目に浮かんで、柚葉は思わず失笑する。

「さっきは心底驚きました。元々気性の激しい方だと承知してはいましたが、まさか柚葉さんに油を掛けるなんて……」

「あれは、私も余計なことを言ったから……」

 柚葉は苦笑する。

 さとみは柚葉に視線をちらりと向けた後、再び正面を向き、納得したように何度か頷いた。

「柚葉さんは、やっぱりすごいなぁ。そしてあの方は、きちんと人を見る方だったのですね。柚葉さんなら受け止めてくれると判断したのでしょう。あなたなら、人の気持ちに寄り添って一緒に泣いてくれる人だと……」

 いやいやいやいや、ぜんっぜんすごくないですよ。それ買いかぶり過ぎですから。

「私だったら本心を引き出す前に切れてますもの」

 さとみさんは小さく笑った。

「私もほとんど切れてましたよ」

 それに、最初に泣いたのは、後見さんが怖かったからだし……。

「昔から社長に言われているんですが、なかなか短気なところが治らなくて」

 さとみさんは苦笑した。

 え? さとみさん、短気なんです?

 確かに施主様相手にかなりイラついていたのは傍目にも分かったけれど……。ってか、昔から? たしか、後見さんは奥様と突然出会ったって言ってなかったっけ。

「さとみさんは、後見さんと知り合って長くはないのですよね? この会社で知り合ったんですか?」

「いえ、入社する以前から存じておりますよ。私はアトミハウジングには創業当初からおりますが、創業五年ですから長いと言ってもその程度です。でも社長は私の中学の時の先輩でしたから、途中空白がないわけではないですが、付き合いは長いですね」

 中学から? あれ?

 だったら、久々に再会してお互い気持ちの変化があって、突然恋人同士に、ってこと?

「後見先輩は変わりましたよね。もうあの頃の先輩と同一人物とは思えません」

 やっぱり変わったんだ。ってか、どう変わったのだ?

「あの頃の後見先輩は、鋭くて冷徹で、はっきり言って女心の分からないひどい人でしたが、今ではすっかり丸くなって、優しくなりました。柚葉さんの影響なんでしょうね」

 ええええ? なんかいろいろつっこみどころあり過ぎて、どうしたらいいか分からないんですが。あれで丸いんですか? 女心は今も分かってませんよね? ってか、私の影響? ないない。私は関係ないですよ。

 後見さんってば、以前は一体どんな性格だったんですかっ!

 さとみさんは、中学高校と同じ学校だったらしい。

「あの頃の後見先輩は、しょっちゅう女の子に囲まれていましたね」

 はぁ。女の子に取り巻かれていた……ね。

 まぁ、それは分かる気がするんだ。昨夜の後見さんの整った顔を見れば納得だ。問題なのは、後見さんのその子達に対する態度だったらしい。

 来るもの拒まず去る者追わずで、特定を決めず適当に付き合って、女の子同士で後見さんをめぐって争いが起こると、その子たちを集めて彼はこう言ったらしい。

 ――喧嘩されるのは面倒だから、君たちで誰かひとり決めてくれる? その子と付き合うから。

 うわぁぁぁ。なにそれ。係り決めじゃないんだから、それはないでしょう! 好きな子はいないと、はっきり言われた方が、まだましな気がするのは私だけですかね?

 そんな後見さんと結婚したつわもののさとみさんを、私は尊敬しますよ。

「私はね、柚葉さん、あなたのことを誤解していました」

 え? 誤解? なにを? だって私、さとみさんに今日あったばかりで……ああっ、もしかして、いよいよ本題が来たのですかっ?

 思わず身構える。

「失礼を承知で申しますと、あなたはご自身の不幸を武器に、社長に取り入っているだけの方なのだろうと思っていました」

「……ぁ」

 あううぅ。そこから来ましたか。でもその件なら、誤解ではない……のですが……。

 思いがけない方向からの指摘に、柚葉は唇をかむ。

 柚葉は短大時代、就職活動に惨敗していた。

 いくら短大卒で需要が少ないからといったって、これほど内定がとれないものかと、短大の庶務課が首を傾げたほどだ。結局、後見さん以外、誰も私を採用しなかったのだから。後見さんが私を採用したのだって、後見人の善太郎さん繋がりだから、いわばコネ入社だ。両親の事故がなければ、善太郎さんは私の後見人になっていないわけで、そうなれば、私はここに入社していなかっただろう。だから、さとみさんの認識は、全然誤解ではないのだ。

 落ち込んで黙り込む柚葉に、さとみは続けた。「でも違いました。社長は、あなたのことが本当に必要で、とても大切なんですね。彼にしては珍しく多少暴走気味なようで、見ていてハラハラしますが……」

 さとみは苦笑する。

 柚葉は無言のまま力なく首を振った。

 んなわけないよね。さとみさんってば、すごい誤解力だよ。

「違いませんよ。その証拠に、あなたを傍から離さないじゃないですか」

「それこそ誤解ですよ。私なんて、単なる掃除係で……」

 自分の不甲斐なさを説明しようとして、あまりのロースペックさに息が詰まり、口ごもる。

 俯く柚葉に、さとみは慈愛にも似た優しげな笑みを注ぐ。

「あなたには、これからいろいろ大変なこともあると思うんです。でも、私は柚葉さんの味方ですから」

「あ、ありがとうございます。心強いです」

 あれ? なんかよく分からないんだけど、急転直下で好意を持ってもらえたようなのです。社長の奥様に味方になってもらえるのはありがたいのですが、いろいろ大変なことって……何のことでしょうか?

「あ、そうだ。まだ私の名刺を渡していませんでしたね」

 赤信号で停まったところで、さとみさんは内ポケットから名刺を取り出した。

「何か困ったことがあったら連絡をください」

 押しいただいた名刺を見て、柚葉は固まる。

 その名刺には、

『アトミハウジング チーフマネージャー 

 里見綾さとみ あや

 と書いてあった。

「里見さんって……」

 呆然と呟く柚葉に里見さんが首を傾げる。

「里見って、名字だったんですか?」

「あぁ、時々名前と間違えられるんですよね」

 ええええ?

「さとみさんって、後見さんじゃないんですか?」

「は? いえ、だから里見ですよ。さ、と、み」 確かに、後見さとみ、って言いにくいだろうなぁとは思ったんだけどさ。いやいやいやいや。ってか、え?

「里見さんって、社長の奥様じゃないんですか?」

 叫んだ柚葉に、里見の驚愕した視線が注がれる。

「ま、まさか、今日、ずっとそう思っていたんですか?」

 頷く柚葉に、里見はがっくりとハンドルの上につっぷした。

 きゃあ! 里見さぁん、前、前見て運転してくださいよぅ。

「社長が柚葉さんの誤解力のすごさを力説していたのは、こういうことだったんですねぇ」

 里見は、はぁぁとため息をつく。

 なにそれ。後見さんってば、どこで何を説明しているんだよぅ。

 ちょっと待って、じゃあ後見さんの奥様って……やっぱり超絶深層にいるってことか。

 まぁでも、考えてみればそうだよね。世間一般が目にしないと噂している人が、当の不動産屋で、しかも一社員として働いているわけがないよね。

 私ってば、推理力ないなぁ……。

「あのぉ、里見さんは、後見さんの奥様と会ったことはあるのですか?」

「え? え、えぇ、まぁ、そうですね。お会いしたことはありますよ」

 里見さんは歯切れ悪く肯定する。

「そうなんだ。やはり里見さんほど付き合いが長いと、いろいろご存じなんですね」

 里見さんは少し困惑した様子で問う。

「……柚葉さんは、社長の奥様のことが気になるんですか?」

「実は、雑誌社でアルバイトをしている私の友人から、後見さんの奥様の噂を聞いたんです。それ以来、なんか気になっちゃってて」

 納得した表情を浮かべながら、里見さんは左折のウィンカーを出す。もうすぐ着くらしい。ショッピングモールの看板が見えてきた。

「そうですか。でも、奥様に関しての質問は、社長本人に直接した方がいいと思いますよ。いろいろ事情があるようですから。たとえ知っていることでも、私から話すことははばかられますし」

「そうなんですか」

 ち、奥様め、ガードが堅いなぁ。どこまで神秘のベールに包まれている気なんだよぅ。

「……柚葉さんは、奥様のことを、本当に何も知らないんですか?」

 里見さんが躊躇いがちな様子で問う。そこで柚葉は、昨夜、後見さんから聞いた奥様の話をした。

「可愛くて、小さくて、明るくて、負けん気で、頑張り屋で、でも感受性が強くて、実は繊細な人……ですか。社長がそう言ったんですか?」

 里見は柚葉の説明に感心したようにため息をついた。

 柚葉は首を傾げる。

「里見さんから見た奥様は違うんですか?」

「どうでしょう。奥様に関しては、私は最近お会いしたばかりで詳しくは存じませんので何とも言えませんが、社長が女性に対して可愛いという言葉を使ったというのが意外で、つい。すみません」

 里見さんは小さく笑って続けた。

「でも、社長にそんな言葉を言わせてしまう奥様ですから、やはりそのとおりの方なんでしょう」

 ふーん。

 へぇぇ、後見さんの奥様に、なんかますます会ってみたくなったかも~。



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