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story3 名探偵vs怪盗三面相

「怪盗三面相だ! 怪盗三面相が出たぞぉー!」

 深夜の美術館に、叫び声が響き渡った。ばたばたと警備隊が走り抜け、やがて誰かの声で全員が空を見上げる。今にもなくなりそうな月が照らしだす夜空を、まるで鳥のように飛び去る影が一つ。

 逃げられた。だれもが悟った。

「くそう、怪盗三面相め……! またしても、またしてもぉぉぉーーー!」

「警部! そのように声を張り上げては、近所迷惑でございます!」

「ぶわっかもぉーん! 近所迷惑もくそもあるかぁ! 怪盗三面相に絵画を盗まれたんだぞっ?」

「はっ、そうか、ということはこの場合、近所迷惑というよりも美術館迷惑……!?」

 緊迫した表情で悟りを開く下っぱを容赦なく殴り付け、ウノム警部はぎりぎりと歯軋りした。

「このままですむと思うなよ、怪盗三面相……! 次回こそ、次回こそ貴様をとっ捕まえてやる……!」

「警部、そのセリフは確か六回目でございます!」

 夜空に向かって握り締めていたウノム警部の決意の拳は、もう一度下っぱに向かって振り下ろされた。




『夜空の華麗な絵画盗難事件』から数日後、ロンドド郊外のフォームスン探偵社に、一人の客が現れた。

「どちら様?」

 ゴージャスな衣服に身を包んだ、ブロンドの美人が扉を開ける。客人は心なしか緊張して、完璧な気を付けの態勢をとった。

「わ、わたくし、レオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントスと申します! 本日は、お願いがあって参りました!」

「……?」

 ゴージャス美女が、眉をひそめる。果たして、今のバカ長いのは名前であったのだろうか。

 すると、部屋の奥から、優雅な身のこなしの男性が姿を現した。彼はパイプを右手に、ささやかな驚きの表情で、客人を見下ろした。

「おや、お客人かな、珍しいこともあるものだね。エリスン君、何をしているんだい、どうぞご案内して」

「わかったわ、シャルロット」

 エリスンと呼ばれた美人に促され、客人は探偵社の中へと足を踏み入れる。見ると、先程のシャルロットという男性は、すでに奥のソファに腰掛けていた。

「失礼します……あの、ここは、探偵社、ですよね?」

「ええ、もちろんですわ。ただ、お客さまなんて滅多に来ないから、驚いてしまって」

 エリスンはさらりと問題発言をかましたが、ナルホドと素直に納得して、客人もまたソファに腰をおろす。正面の壁には、「ヒュィ」とかかれた紙が額に入れられて飾ってあった。社訓なのだろうか。

「コーヒーと紅茶、どちらがよろしい?」

「はっ、どちらも、わたくしには勿体ないです! お気遣いなく……」

「だって、そういうわけにもいきませんわ」

 そういうわけにもいかなかったので、エリスンはテーブルの上にブラックコーヒーと紅茶、そしてナチュラルウォーター(水道水)を用意した。ゴージャスなグラスに注がれたナチュラルウォーターを受け取り、客人は感動する。

「ありがとうございます、わたくしのためにこのような……」

「お客さまですもの。当然ですわ」

 この辺りの心遣いが、非常に微妙。

 コーヒーをひとくち口に含み、シャルロットはゆっくりと客人を見た。その表情に、小さなほほ笑みを浮かべる。

「よくいらっしゃいました。フォームスン探偵社にようこそ。私が、名探偵シャルロット=フォームスン。そして、こっちが……」

「助手のエリスンですわ。初めまして」

「は、初めまして、よろしくお願いします! わたくしは、レオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントスと申します!」

 長い沈黙が落ちた。

 シャルロットは、優雅にパイプをくわえた。

「……失礼ですが、もう一度?」

「はっ、レオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントスでございます」

 再び、沈黙が落ちる。これは、覚えられない──二人は確信した。

 エリスンはほほ笑みながら、白いシャツに茶色のサスペンダーが眩しい、このいかにも実直そうな青年に話しかける。

「由緒あるお生れなんでしょうね、立派なお名前だわ」

「はい、アンジェスケリアントス家の始まりはロンドドの街が出来上がる以前にまでさかのぼると伝えられておりまして、初代アンジェスケリアントスであるキリアンセツェリアーノンケリア=アンジェスケリアントスが町の住民の反対を押し切り、当時敵対していたウォンケルバードリアンケスチェ家のセイラシエーヌロリアンとの結婚を機として……」

「それは、たいへん素晴らしいお家柄だわ」

 適当に話を打ち切って、エリスンは先程の自分の軽はずみな言動を後悔した。

 もう一度、優雅にパイプをくわえ、すべての固有名詞を聞き流していたシャルロットが、客人を見やる。

「覚えやすいニックネームなどは、ないのかな?」

「はい、ニックネームは『下っぱ』でございます」

 覚えやすいにも程がある。

「なるほど、ではミスタ下っぱ、今回は、どのようなご用件で?」

 ミスタをつければどうなるという問題でもなかろう。

「はい、そのことなのですが……」

 声をひそめて、下っぱは注意深く辺りを見回した。

「……この部屋に、盗聴などの危険はございませんか?」

「盗聴……?」

「または、何者かによって見られているとか、そういうことは……」

「…………」

 眉をひそめて、エリスンがシャルロットを見る。若き名探偵は、おもしろそうに唇の端を上げた。

「ミスタ下っぱ……貴方がこの探偵社に訪れたお客さまである以上、そのプライバシーは厳守しよう。もちろん、盗聴などの危険性はない。少なくとも、私は知らないね」

 この男の実績も評判も知らないがゆえに、下っぱはあっさりと信用した。

「それはよかった! では、さっそく本題に……」

 下っぱは身を乗り出し、ぐぐぐと顔をのばした。シャルロットもずずずいと身を乗り出す。エリスンもズームアップで顔を近づけてみた。

 まるで睨めっこ大会だ。

「……実は、怪盗三面相から、予告状が届けられたのです」

「……予告、状? ほほう、この名探偵シャルロットに予告状などと身のほど知らずもいたものだな!」

「いえ、予告状はターゲットにされた美術館に届けられたのですが……」

「はっはっはっ、宛先を間違えるようじゃあまだまだだな!」

「まったくだわ、失礼しちゃう!」

「…………」

 そうか、怪盗三面相はシャルロット=フォームスン宛てに予告状をだしたのか。気づかなかった。そんなことにも気づかないなんて、ああ、だからわたくしはいつまでたっても下っぱなのか……! などと下っぱは勝手に感銘を受けたが、その大いなる間違いを訂正してくれるような人種はここにはいない。

「その、予告状ですが……今夜ビビンバ美術館にある、幻の宝石ビビンビーンを盗む、という内容のものでございまして……。わたくしはこうして、なんとか盗みを阻止すべく、優秀な探偵様を探している、という次第でございます」

 びくびくしている下っぱとは対照的に、シャルロットは優雅にパイプをふかした。

「ふむふむ、なるほど……。ビビンビーンのことは聞いたことがある」

「今週号の週間ゴージャスにも載っていたわ。光の加減で色の変わる、それは素晴らしい宝石だって」

 いいながら、エリスンは週間ゴージャスを持ち出す。巻頭特集は皮肉にも 「大注目! なぞの怪盗三面相、今週のファッション!」だ。

「そうです、ビビンビーンは先週の始めに、パリンの美術館から運ばれたものなのでございますが……その美しさ、その話題性に目をつけたのでございましょう。しかし、ここでビビンビーンがまんまと盗まれるようなことになれば、友好都市であるパリンとロンドドの信頼関係にひびが入ってしまいます……いや、これはもう、国際問題に発展しかねない、大問題なのでございます! どうか、どうか、ビビンビーンが盗まれるのを、阻止していただきたいのです……!」

「よしわかった引き受けよう」

 極上の笑みでシャルロットはあっさりオーケーした。エリスンもにこにこと微笑んでいる。

 こんなに事件らしい事件の依頼らしい依頼は初めてだ。名探偵の名を一気に世間に広めるチャンスでもある。

「幻の宝石ビビンビーン、必ずやこの名探偵シャルロット=フォームスンが守りぬいてみせよう!」

「あ、あ、ありがとうございますーーーっ」

 下っぱは両手を組んで、祈るようにシャルロットを仰ぎ見、はらはらと涙をこぼした。名探偵を連れてこい、と上司にいわれて途方に暮れていたが、看板に「名探偵在中」と明記してある親切な探偵社があって本当に助かった。

「依頼成立ね。さ、ミスタ下っぱ、この書類にサインをお願いしますわ」

「は、はい!」

 袖で豪快に涙を拭い、下っぱはサスペンダーをぱちんと弾いて気合いを入れた。渡された羽ペンで、さらさらと長い名前を印す。それから、ふと気づいて顔を上げた。

「いい忘れてましたが……今回は、怪盗三面相を油断させるため、また盗聴などによる情報漏れを防ぐために、探偵を雇うということ自体を極秘裡に進めているのでございます。どこにも情報の漏れないよう、ご協力よろしくお願いします」

「はっはっはっ。なあに、お安い御用だ!」

 すべてを包み込むような(何も考えていない)さわやかな笑顔(阿呆面)を見て、下っぱは安心した。エリスンに書類を、シャルロットには地図を手渡す。

「念のため、地図を用意しました。何かと準備もあると思いますので……わたくしは先に行っております。なるべく早く、おこしください。お待ちしております!」

 びしっと敬礼して、下っぱは礼儀正しく探偵社から出ていった。

 ふふふふははははは、と沸き上がる笑いをこぼし、シャルロットはエリスンにコーヒーのおかわりを要求する。

「名探偵と怪盗の対決か……! おもしろくなりそうだな! はあっはっはっはっはっ!」

「シャルロットの所に依頼がくるなんて、ロンドド一の名探偵を認められたということね! この私の知名度も上がるかしら。 ふふっ」

 どこまでも平和な名探偵とその助手であった。



 鳥のように空に舞い、鮮やかにターゲットを手に入れる、超美男子怪盗三面相──今週のファッションは、赤を基調にした中世風。白いラインが夜空によく映える。評論家も「そうねえ、はっきりいって完璧ね。なんていうの、自分の魅力をよくわかってるって感じ? どういう格好をすれば似合うのか、ちゃんとわかってるのよね。とくにこの靴、靴がまたいいわ。この日盗んだ、ほら、あの『黄色い海』っていう絵画を意識しているのね。ここだけ綺麗な黄色をもってきてるのよ。ポイント高いわね」と絶賛!

「とかなんとか好き勝手かかれて悔しくないのか貴様らーーーー!!!!!!」

 ウノム刑事は週間ゴーシャスをべりべりべりっと豪快に破り、部下たちに怒鳴り散らした。彼は悔しかったので、いつもよりお洒落をしている。

「それはもちろん、悔しいでございます!」

 反論できない部下たちのなかで、唯一レオディエールエントロッファレリティーノ(下っぱ)が意見する。

「悔しいです、悔しいに決まってます、だから……」

 下っぱはほんのり顔を赤らめて、身につけた赤い蝶ネクタイを示した。

「奮発して、これを、買っちゃってしまいました……!」

「そうだ、それでいい!」

 いいのか? と、部下一同のなかで思う者も少しだけいる。思わないものは、皆それぞれお洒落をしていた。

「このビビンバ美術館の警備は万全だ! 我々は! 今日こそ! 死ぬ気で!

怪盗三面相の野望を! 阻止! せねばならんのだ!!」

 ウノム刑事は、透明ケースのなかにしまわれたビビンビーンを指差した。こぶしよりも小さいその宝石は、今は淡い青色に輝いている。

「頑張るぞー! エイ、エイ、オーーーー!!!!」

『エイ、エイ、オーーーー!!!!』

 いろんなところで何かがずれている。


 一方その頃、名探偵とその助手は、やや道に迷ったものの無事ビビンバ美術館に到着していた。

「ほう、なかなか古風な美術館だな」

「初めて来たわ。大きな所ね」

 二人は、ぐるりと警備された美術館を、何やら感動した面持ちで見やる。ターゲットにされている美術館というよりも、初舞台を見る気分だ。

「それにしても、最近の警察は洒落ているな」

「そうね。警察も流行にのろうって動きでもあるのかしらね」

「だとしたらお笑い草だな! 流行とはのるものではない、作り出すものだ!」

 はっはっはっといつものようにバカ笑いをかます。名探偵は今日も上機嫌。

「ユーはいいことをおっしゃいますね。さすが、名探偵!」

 突然、後ろから声をかけられた。振り向くと、金色の髪の美青年が立っていた。

「もちろん! なんならこの私が著した『名探偵の心意気〜真理編〜』を読んでみるといい。勉強になることだろう」

 限定三冊の自費出版だ。

「イエス、ぜひそうさせていただくで候。おや、頭に何かついておりますぞ?」

 青年はにこやかに、シャルロットの頭に手をやる。そして、一輪の赤いバラを手に、わざとらしくおどろいてみせた。

「ワオ、これは素晴らしい! あなたの頭についていたのは、こんなにも美しいバラでござったよ……そうだ、これは、美しいレディーにさしあげよう」

 そういって、エリスンにバラを差し出す。まあ、と恥じらってみせながら、エリスンはそれを受け取った。

「今日の花占い……バラは素敵なトキメキ気分。ビューティフォー!」

 ビューティフォー! のポーズをとって、青年は笑いながら歩き去っていった。

「おもしろい人だな」

「そうね。いまどき珍しい好青年ね」

 バラを見つめて、エリスンは微笑む。トゲは取り去られていた。

「……あら? シャルロット、あなた、そんなに頭大きかったかしら?」

「はっはっはっ、君はおもしろいことをいうなあ! 頭の大きさがそう簡単に変化するわけがないだろう!」

「そうよね」

 そして二人は美術館に向かって歩きだす。明らかにこんもりと大きくなった頭に、シャルロットは「おや頭が重いなあ」などと感想をもらした。



「怪盗三面相対策本部」へと通され、シャルロットとエリスンは一瞬言葉を失った。

「……パーティーか、なにか?」

 やっと、エリスンが問いを口にする。ばっちりお洒落な警察の面々を前にすると、日常的にゴージャスなエリスンがまるで普通の女性のようだ。

「これはこれは、シャルロット様にエリスン様! お待ちしておりました!」

 エリスンの問いは軽く流して、赤い蝶ネクタイの下っぱが現われた。もともと憩いの場として使われているらしいホールの前へと二人を促し、皆に紹介する。

「こちらが、名探偵シャルロット=フォームスン様でございます! そして、こちらが助手のエリスン様!」

「いかにも。名探偵シャルロット=フォームスンだ」

「エリスンですわ」

 一瞬、ざわめきが起こる。誰だそれ、聞いたことないぞ、という類のざわめきと、なんであいつあんな頭でかいんだ、というざわめきだ。しかし一同は、前者については「名探偵」と紹介されてしまった以上納得する他なく、後者についてはまあ世の中にはいろんな人がいると納得した。

 ウノム刑事が、威厳のある態度で前へと進み出た。

「ようこそいらっしゃいました。ウノムです。今回の事件の担当刑事です。どうぞよろしく」

「うむ。よろしく」

 男二人はがっちりと握手を交わす。

 ウノムは二人に席を用意させ、それからごっほんと咳払いをした。先端に指マークのついた細長い棒を構え、ホワイトボードの前に立つ。

「では、名探偵先生がいらっしゃったところで、もう一度状況説明を。今回ターゲットにされているのは、フラスのパリンからこのイリギリスのロンドドへと移されたばかりの、幻の宝石ビビンビーンだ。これは世界的な宝だが、名目としてはフラスからの預かりものとなっているという点からも、決して盗まれるわけにはいかないものだ。そして今、ビビンビーンはこのビビンバ美術館の最上階に展示されている状態だ。怪盗三面相は、人に危害を加えないといわれているが、念のため美術館関係者には安全なところにいてもらっている。よって、今現在この美術館にいるのは、我々警察関係者、もともと警備にあたっていた警備員、そしてシャルロット先生、エリスンさん、ということになる」

 一気に話してから、ウノムはもう一度咳払いをした。

「では、シャルロット先生のご意見をお聞きしよう。怪盗三面相からビビンビーンを守るために、どういった対策をお考えで?」

 シャルロットは不敵に笑った。厳粛な場であるにもかかわらず、優雅にパイプに火をつけ、ふかしながら立ち上がる。立ち上がるときに、頭の重みでちょっとふらついた。

「なにも、難しく考えることはない」

 若き探偵はゆっくりとホワイトボードの前を歩く。そして、そこにはられたビビンバ美術館の見取り図のある一点に、人差し指を置いた。

 リンゴの間、とかかれている。

「ここだ。リンゴの間に、ビビンビーンを置く」

 簡単な算数の解き方を教える教師のように、彼はいい放った。場が、さらに静まり返る。

 あまりにも当然のようにいわれたので、誰もがその理由を問うことを忘れた。

「リンゴの間に警察は三人でいい。あと、私とエリスン君もそこに立ち合うとしよう。主にそのまわり、廊下や出入可能なあらゆる場所を重点的に警備だ。──以上」

 シャルロットは一同を眺める。なにか質問は? という目だ。

 誰も何もいわないので、一礼して、席に戻った。一礼したときに頭の一部がごとんと落ちて、いつものサイズに戻ったが、それについてもノータッチだった。

 ごほ、っと、ウノム刑事が控えめに咳払いをした。

「……では、そういうことだ」

 どうやら本当にそういうことになってしまったらしい。



 探偵の頭に仕掛けた盗聴器から一部始終を聞いていた怪盗三面相は、美術館を見下ろして、にやりと笑った。馬鹿な探偵だ。やはり、自分の敵ではない。

「イージー! 幻の宝石ビビンビーン、かならずミーがゲットするでありますよ……!」

 笑いがこらえきれず、彼はもうすぐ暮れる空に向かって高笑いをぶちかました。



 太陽が、完全に隠れた。

 夜の訪れだ。

「怪盗、怪盗、それは悪党  探偵、探偵、それは天才  それは私  それは私  っそれは  っそれは  シャルロット=フォ── ム  スーーーーーン 」

 歌は意外にうまかった。得意げに歌い終えると、こほんと咳払いをし、真面目腐った顔でいつものパイプに火を灯す。

 エリスンはロングスカートをたくしあげて展示ケースに堂々と腰をおろすと、さして大きくもない展示室を見渡した。自分とシャルロット以外に、人はいない。

 ここは、ミカンの間だ。

「どうして、ここなの? ビビンビーンのあるリンゴの間にいるって話しじゃなかった?」

 ふっふっふっ、と名探偵は低く笑う。

「何をいっているんだい、エリスン君。馬鹿正直にリンゴの間にいてどうする? 敵の裏をかかなくてはね!」

「……いいたいことはわかる気がするけど、裏も表もないと思うわ、この場合」

「はっはっ、だから君はいつまでたっても助手どまりなのだよ。敵を欺くにはまず味方から、というだろう?」

「…………」

 今度は、いいたいことすらわからなかった。なんとなくそれっぽい言葉をそれっぽく使っているだけなのではないか、という嫌な予感を胸に、エリスンは額にしわを寄せて黙り込む。さすがは助手、大正解だ。

「もちろん、理由はそれだけではない。私がさきほど、ビビンビーンの場所にリンゴの間を示したのはなぜか、わかるかな?」

「リンゴが食べたかったからでしょ?」

「うむ、その通りだ! そして私は今、ミカンが食べたいというわけだよ! 

はっはっはっはっ!」

 それはさすがに怪盗にもわからないだろう。

「……でも、シャルロット。この、ビビンビーンも置いてないちっちゃな展示室にいて、いったいどうなるというの?」

 エリスンが、もっともな疑問を口にした。いい質問だ、と、シャルロットがかた眉をはねあげ、優秀な助手を見る。

 そして、ぷはふ〜とパイプをふかした。

「私も今、ちょうどそれを考えていたところだ」

 救いようのない名探偵だ。


「いやあ、それにしても、名探偵さまがきてくださるだけで、なんかこう、どんとこいってー気持ちになりますなあ」

「うむ! さすがは名探偵、威厳があるな! このリンゴの間に絞るときの決断力といい、あっぱれだ!」

「わたくし、がんばって名探偵様をお探しした甲斐がありましたよ〜。いやほんとに。これで今回は安心でございますね!」

「まったくだ! わははははは!」

 カンドン警備員とウノム刑事、そして下っぱは、わきあいあいとリンゴの間で談笑していた。あとで皆で飲みにいきますか! お、いいですなあ! と、平和極まりない会話をかわす。

「そういえば、シャルロット先生たちは、いったいどこへ……?」

 と、ウノム刑事が疑問を口にしたときだった。

 突然、部屋のあらゆる照明が消えた。

「──!? なにごとだっ?」

「う、うわあ! 刑事、何か、上から……!」

「なにぃっ?」

 続いて、ガシャァンとガラス類の割れる音。

「カンドン! 明かりを!」

「は、はい! ただいま!」

 警備員の手によって、明かりが灯された。

 三人が取り囲んでいた展示ケースは粉々に砕け、中のビビンビーンはその姿を消してた。

「か、か、怪盗三面相だーーーーーーー!!!!!!!!」

 ウノム刑事の叫び声が、美術館中に響き渡った。


 天井の上を身を屈めて移動しながら、怪盗三面相は釈然としない思いを抱いてた。

 あっさりしすぎている。今回は探偵まで雇われたので、警戒していたのだが。

「……ワンダー。リンゴの間にいるはずの探偵もいらっしゃらなんです」

 小さな声でつぶやき、足を進める。

 そして、気づいた。

「そうか……! ミーとしたことが、ジャストだまされるところであった……!」

 立ち上がろうとして、したたかに頭を打ち付け、っイテ〜〜っとうずくまる。

「これはトラップに違いないでござる……! ふふふ、シャルロット=フォームスンめ、この怪盗三面相を罠にはめようなどと片腹痛い!」

 怪盗三面相は、たった今手に入れたビビンビーンを見つめて、にやりと笑った。

「こんな偽物に、騙されるものかぁ! ふはははははは!」

 基本的にはバカだった。


 盗難事件はしっかりと進行していたが、探偵サイドはまったりと時間を過ごしていた。

「ムノウ刑事の叫び声も聞こえたし、そろそろ盗まれちゃった頃かしら」

「今回の事件は、名探偵の唯一の失敗として語り継がれてしまうのか……」

「あなたはそろそろ自分がバカだという自覚をしたほうがいいと思うわ」

「はっはっはっ、心にもないことをいうものじゃないよ、エリスン君」

 どこまでも会話が噛み合わない。 

 名探偵とその助手は、ほけーっと天井からぶらさがっているシャンデリアを見つめていた。財政が苦しいのか、電球がひとつ切れかけている。ちかちかし始めて、気になってしょうがない。

「こういう場合、やっぱり報酬はもらえないのかしらねえ」

「ボーナスは期待できないが、もらえないというわけではないだろう」

「でも、阻止してくれっていうのが依頼内容だったじゃない? 阻止できなかったんだから、ねえ」

「まだ阻止できなかったと決まったわけじゃないだろう」

 シャルロットがパイプをふかす。彼はまだ本気であきらめてはいなかった。あきらめが悪いというよりは、情況判断能力にかけているといったほうが正しい。

「……シャルロット? あれ、何かしら?」

 エリスンが、シャンデリアより少しずれた辺りを指差した。天井に、曲線が描かれている。

「……?」

 シャルロットも、そちらを見やる。曲線はゆっくりとのびていき、やがてマンホールほどの円になった。

 そして、がぽんと天井が外れた。

「アイグラットゥーシーユー……!」

「──!? 何?」

 天井から聞こえた声に、さすがにまったり気分から復活して二人は立ち上がる。穴からボールが投げ込まれ、床と激突した衝撃で破裂した。もくもくもくと煙が立ち上る。

「エリスン君! 目と耳と鼻と口をふさぐんだ!」

「ええ! ──ええっ? どうやって!?」

 しかし、煙は危惧したような毒性のものではないようだった。部屋を覆いつくしたのち、やがて晴れていく。

 煙の晴れ間から、一瞬縄梯子が見えた。

「トゥワイス! またお会い致した、お二方……!」

 天井から飛び降りて着地しましたというポーズで、黒いマントの青年が二人の前に立っていた。

 ゆっくりと顔を上げ、二人を見て不敵に笑う。その金色の髪には、見覚えがあった。

「あ、あなたは、バラの花の人……!」

「イエス、レディー。しかし、親切なバラの花の人とは仮の姿、その正体は、華麗なる怪盗三面相!」

 ということはあと一面で面が割れるな、と二人は思った。

怪盗三面相は今日のファッションも完璧だ。黒いマントには孔雀の羽の模様があしらってある。ピエロのような全身タイツに、膝まである金の前掛け。羽を組合せたような派手な帽子を目深にかぶり、このままでも仮装大会で大賞をとれそうな出で立ち。

「さあ、名探偵! 本物のビビンビーンを、レッツ渡すのであるよ!」

 怪盗三面相は、左手でマントを翻し、右手でシャルロットを指差した。

 一瞬、ほんの一瞬、ちょっとどうしようもない沈黙が訪れる。

 やがてシャルロットは、はっはっはっはっといつものように笑った。

「誰が渡すものか!」

 エリスンにはまったく話が読めなかったが、シャルロットは早くも自分なりの解釈を行なったようだ。

「貴様のように中途半端に三つしか面相を持たない怪盗に、おとなしく渡す気はないな! どうせなら十面相ぐらい頑張ってみたらどうだ? まったく、がっかりだ!」

「──ッッ!!!?」

 ぴしゃーん、と、怪盗三面相のバックにカミナリが落ちた。

「な、な、な、なんだとーっ?」

 どうやらかなり痛いところを突かれたらしい。

「三面相の何が悪いであるっ? ユーたち一般ピープルと比べれば……!」

「はっはっはっはっ、まったく、君はめでたいなあ!」

 実に愉快そうに、シャルロットは笑った。パイプをふかすと、よいしょっと展示ケースの上によじ登り、怪盗三面相の目の前にパイプを突き付ける。

「君が怪盗三面相なら、私は探偵一面相だ!」

「……!」

 金髪青年はいい知れぬショックを受けた。

「三つも面相を持たずとも、一つの面相を貫き通す! これこそが、真の人のありかただということが、わからないのかね?」

「…………」

 なんだか、すごく、負けた気分になった。

「……アンダスタン……それが、ミーの、敗因でござったか……」

 どれが敗因なのか。そもそも負けたのか?

「……こんな偽物をつかまされて、一瞬でも成功した気になるなんて、まったくもって情けない……!」

「わかればよいのだ、愚か者め」

 怪盗三面相は、忌ま忌ましげにビビンビーンを投げ捨て、がっくりと肩を落とす。

 そこへ、すかさず警察を呼びにいっていたエリスンが現れた。

「ここよ!」

「ぬぅ、怪盗三面相め! お縄を頂戴するぞーーー!」

 ウノム刑事を筆頭に、中年男が続々と押し寄せる。

「シャラァップ!」

 怪盗三面相は、鋭い眼光で一同を黙らせた。それからゆっくりと、シャルロットに向き直る。

「シャルロット=フォームスン……今回は負けを認めるで候。だが次こそ! 次こそは! このミーの野望を阻止することまかりならん!」

「望むところだ」

 悠然とシャルロットが受けて立つ。

 それを見て少しだけ笑みをこぼすと、怪盗三面相はまるで踊りを舞うように両手を広げた。その手には、長い棒が一本ずつしっかりと握られている。

 棒を一振りすると、そこからばさあっと無数の羽が飛び出した。

「ではミーはこれで失礼する! また会う日まで! リメンバーーーーー!」

 彼は両手を物凄い速さでばっさばっさと振りつつ、窓から飛び降り、鳥のように逃げ去った。落下した。

「逃げられたーーーーー!」

 ウノム刑事が悔しさいっぱいで叫ぶなか、エリスンはいい知れぬ疲れを感じ、ゆっくりと首を左右に振るのだった。




 結果オーライという言葉は、素晴らしいとしみじみ思う。

 幻の宝石ビビンビーンは無事守られ、フォームスン探偵社はいつになくリッチだった。

「怪盗三面相は、改名を考えてるらしいわよ」

 週間ゴージャスの特集記事を見ながら、エリスンが憮然としてもらす。

 いつもの、暇で平和な昼下がり。事件は、怪盗三面相の唯一の失敗談として語り継がれ、その哀れみを誘い、人気はますます上昇。名探偵の活躍は微塵も報道されなかった。

「ふむ。そうやって第三者の言葉にすぐ惑わされる辺りがまだまだだな。愚かな若者だ」

 シャルロットは新調したコーヒーカップをテーブルに置くと、愉快そうに唇の端を上げる。それを見て、エリスンは溜め息を漏らした。

「あなたのいうことは時々すごくもっともらしいけど。今回の壮大な結果オーライが報道されなくてかえって良かったのかもしれないわね。あとで大恥をかくだけという気がするわ」

「はっはっはっはっ」

 珍しく否定の言葉はない。少しは自覚があるようだ。

「あ、そうだ、あなたあてに手紙がきていたのを忘れていたわ」

 そういって立ち上がり、エリスンは扉の横のラックから金色の封筒を取り出すと、シャルロットに手渡した。

「私に手紙? 珍しいな」

「あなた友達少ないものね」

 シャルロットは、宝剣デザインのレターカットで封筒を開く。中の便箋も金色ラメ入りで、悪趣味極まりない。

 便箋を開けると、きらきら輝く文字が連なっていた。



 拝啓 シャルロット=フォームスン殿


  今回の事件でミーは鱗から目が生えまして候。つきましてはより素晴らし い怪盗になるために、ユーの探偵社に助手として雇ってはいただけぬか?

  良い返事をお待ち申し上げる。


   敬具

                       怪盗三面相



 シャルロットはさわやかに笑った。

 エリスンも朗らかに笑った。

「エリスン君、差出し人の住所を、警察に連絡して」

「ええ、わかったわ」

「ああ、それからこの手紙の返事は、ジョニーさんに代筆してもらうとしよう」

「いい考えね」

 そしてシャルロットは、便箋で紙飛行機を折り、からからと窓を開ける。軽く勢いをつけて、紙飛行機を放した。


 








 舞台はフォームスン探偵社。シャルロット=フォームスンは、コーヒーカップを手に、肘掛椅子に腰掛ける。

 それからこちらを見て、おどけて肩をすくめると、少し眉を上げて笑みを浮かべてみせる。

「やあ、みなさん、こんにちは──。今回の活躍はいかがだったかな? 前回約束したとおり、この私の素晴らしい頭脳を披露することができて、私としては満足している。なんといっても、名探偵対怪盗だ。皆さんの期待に添えることができたのではないだろうか。

 ああ、あれから怪盗三面相は姓名判断をして、結局改名しないことにしたようだ。せっかく住所をお教えしたのに、警察は彼を捕まえることはできなかったようだね。まったく、またこの私のところに依頼にくるのだろうか? 無能というのは哀れなものだね。私は天才に生まれて本当に良かったと思っている。おかげで、こうして毎日何不自由なく過ごしているのだからね。

 む? なんだ? これはブラックじゃないではないか! エリスン君も、こんな間違いをするようでは、困ったものだ。

 おっと、失礼。では私はこれで。なあに、案ずることはない。またいつか、皆さんの前に現れることを約束しよう。これほど期待されてしまったのでは、裏切るのは罪になるからね──」

 つづく高笑い。立ち上がり、コーヒーの文句をつけにダイニングへと移動するシャルロット。遠くのほうでいい争う声が聞こえてきて──暗転



                                       fin.



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