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人狼への転生、魔王の副官 作者:漂月

本編

355/415

月光に濡れて

355話


 物思いに沈んでいた妃は俺を見て相当驚いたようだが、悲鳴をあげるようなことはなかった。
「な……何者ですか? ここは王妃の寝室ですよ」
「存じております。私はミラルディア魔王の副官、ヴァイト・フォン・アインドルフにございます」
 俺は右膝をつき、彼女に敬意を示す。


 ファスリーン妃は俺をじっと見つめ、意を決したように問いかけてきた。
「あなたは敵ですか、味方ですか」
「味方……のつもりでおります」
 断言するには少し後ろめたく、微妙な物言いになってしまう。
 彼女が露骨に警戒したので、俺は王の亡霊から教えられた合い言葉を口にした。


「陛下のお言葉を預かって参りました。『濡れし月に紅き花の咲きて』と」
 その瞬間、ファスリーンは夜目にもわかるほどに赤面する。
 夫であるパジャム二世は「我が妻の最も美しい顔を見られよう」と言っていたが、これがそうか。
 亡き国王は、妻の恥じらう表情が何よりも好きだったらしい。
 いい趣味してるな。


「そ……それは、陛下が私に贈ってくださった詩の一節です。その、ええと……む、睦みごとを詠んだ詩ですので、私と陛下だけの秘密なのですが……」
 睦みごと……。
 クウォール語で婉曲表現を使われたので俺にはピンとこなかったが、ファスリーンの恥ずかしそうな表情でようやく理解できた。
 やっぱりあの王様、いい趣味してるな。
 呆れた。


 俺は溜息をつきたくなったが、これで王妃の信頼が得られるのなら安いものだ。思った以上に効果があったな。
 俺だったらこんな侵入者が秘密の言葉を言ったぐらいでは信用しないが、それは黙っておくことにする。
 亡き王との約束を果たすためにも、まずは信用してもらわないとな。


 するとファスリーンが、遠慮がちに俺に質問してきた。
「ですが、陛下と私しか知るはずのない一節を、どうして御存知なのですか?」
「陛下御自身からお教え頂きました。その上で、あなたとお世継ぎを守ってほしいと」
 その瞬間、ファスリーンはサッと顔色を変えた。
「ま……まさか……まさか、陛下は……」
 察しの良い人だ。
 しかし心が痛むな。


 俺は右膝をついたまま、頭を垂れる。
「はい。バッザ傭兵隊長のザカルという男が逆心を起こし、偽の使者を使って陛下を暗殺した模様にございます。お悔やみ申し上げます」
 ファスリーンは蒼白になり、言葉を失う。恐怖と絶望の匂いが漂ってきた。
 俺にさっき見せた恥じらいの表情は、もう当分見られないかもしれないな。
 もしかするとパジャム二世は、俺にその最後の恥じらいを見せたかったのだろうか。


 ファスリーンはよろめき、ベッドの上に崩れ落ちる。
「そんな、陛下は『この戦は形式的なものだ、王都に軍勢が攻め寄せてくることはない』と仰せでしたのに……」
 今回の反乱、実質的には諸侯の抗議デモみたいなものだからな。
 だがデモ隊の中に野心家がいて爆弾を投げ始めたので、おかしなことになっている。
 俺はそれをファスリーンに説明しようかと思ったが、理解したところで悲しみが和らぐ訳でもない。
 俺は無言でうなだれる。


 もし俺が今死んだら、アイリアも同じように泣き崩れるのだろうか。
 そう思うと、とても苦しくなってくる。気が滅入ってきたので、この考えは封印しよう。
 しばらくファスリーンは声を殺して泣き続けていたが、やがて王妃としての役割を思い出したらしい。
 かなり無理をしてゆっくり起き上がると、俺に謝罪した。
「申し訳ありません、取り乱してしまいました……」
「いえ、心中お察しいたします。私にも身重の妻がおりますので、とても他人事とは思えません」
 これは本心だ。


 するとファスリーンは涙を拭い、沈痛な表情で小さくうなずいた。
「ありがとうございます……。その、今の私には頼りにできる方がおりません。後宮の中だけで生活しておりましたので、外のことで頼れる方が……」
「御安心ください。沿岸の諸侯も王都周辺の諸侯も、王家には敬意を抱いております。今回は傭兵隊長のザカルが謀反を起こしたまでのこと」
 我ながら嘘臭いなと思うが、事実なのだから仕方ない。


「沿岸諸侯の実力者であるバッザ公、それに王都に近いカルファル公とワジャル公も、皆ファスリーン様の味方です。もちろん私もですよ」
 なるべく優しく言ってみたが、味方がどれだけいても夫が死んでしまったらダメだよな。
 俺はファスリーンに元気を出してもらうために、少し卑怯な手を使う。
「今となってはファスリーン様が身ごもられている御子が、王家とクウォールの希望です。そして同時に、パジャム陛下の生きた証でもございます」


 我ながら卑怯な言いぐさだと思ったが、この言葉でファスリーンの目に力が戻ってくる。
「陛下の、生きた……証……」
「はい。お世継ぎが無事に誕生し、その血筋が受け継がれれば、パジャム陛下の人生は決して無意味ではありません。お世継ぎは何としてもお守りせねばなりません」
 だんだん良心の呵責に苛まれてきたので、俺は大きく息を吐いて頭を掻く。


「そもそも、まだ生まれてすらいない赤子なのです。大人の勝手な都合で父親を殺され、自身と母親も危険に晒されているのです。酷い話だとは思いませんか?」
 俺は自分が死んだときのことを考え、ぎゅっと拳を握った。
「私がもし陛下と同じ立場でしたら、妻とお腹の中の子だけは何としても無事に生き延びて欲しいと願います。できれば悲しみに暮れず、幸せになって欲しい」
「ヴァイト様……」


 ファスリーンが優しい表情になり、かなり大きくなっているお腹を撫でた。
 そして彼女は静かにうなずく。
「ありがとうございます……。あの方もきっと、同じことを願っておられるでしょう。今はまだ心の整理がつきませんが、ヴァイト様の仰る通りかと……。心を強く持たねば」
 最後は自分に言い聞かせるような口調だった。
 偉い人は立場があるから、身内が亡くなってもおちおち悲しんでいられない。


 俺はファスリーンに心底同情しながら、頭を下げた。
「では、ここの警備に私の部下を加えることをお許しください。故郷で共に育った、信頼できる戦友たちです」
「わかりました。頼りにしております」
 ファスリーンも俺に頭を下げる。王家に連なる者が頭を下げるのは、クウォールでは珍しいことだと聞く。
 それだけ俺を信用してくれた、ということなのだろう。


 俺は犬笛を取り出し、ファーンたちを呼んだ。
「そうそう、ひとつ大事なことをお伝えし忘れておりました」
「なんでしょうか、ヴァイト様?」
 ファスリーンが首を傾げたとき、俺の背後にファーン隊の四人が音もなく着地した。全員が人狼だ。
「ヴァイト隊長、お話は終わったの?」
 ファーンが優しい声で言う。お妃様にだいぶ遠慮してるな。


 俺は苦笑し、王妃に恭しくお辞儀をした。
「私たちは人狼です。皆、人間の兵十人に匹敵する猛者ばかりですので、どうか御安心ください」
 ファスリーンは顔面蒼白になってペタリと尻餅をついた。
※次回「野心の疼き・4」の更新は11月16日(水)の予定です。
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