栄光のリューンハイト衛兵隊
24話
俺はバルツェ副官と握手して別れ、メレーネ先輩と一緒に廊下を歩いていく。
「先輩、これからどうするんです?」
「さっき報告済ませたところだから、もう帰るわ」
「どうやって?」
俺が尋ねたとき、窓からふわふわと師匠が入ってくる。
「おお、二人ともここにおったか」
そのとたん、メレーネ先輩が師匠に抱きついた。
「先生! 会いたかった!」
巨乳美女が小さな女の子を抱きしめている光景は微笑ましいが、弟子の吸血鬼と師匠の死霊術師のコンビだ。
大賢者ゴモヴィロアは吸血鬼メレーネの顔を押しのけて、迷惑そうな顔をする。
「さっき会ったばかりじゃろうが。これ、やめんか。腰が折れる」
「だって先生に会いたかったんだもん!」
他の師団の連中が見たら驚くだろうが、俺たち弟子にとっては日常の光景だ。
一番弟子のメレーネ先輩は、師匠のことを母親のように慕っている。
師匠は苦労して先輩を引き離すと、彼女の頭をぺしぺしと叩いた。
「おぬしは弟子入りしてもう五十年にもなるというのに、全く落ち着きがないのう」
師匠は咳払いをすると、俺たち二人を交互に見据える。
「よいか、おぬしたちの治める都市は、今後重要さを増してくる。北部戦線の厳しい状況は知っておろう?」
俺と先輩は同時にうなずいた。
もし北部戦線が崩壊すれば、魔王軍は南部から侵攻するしかなくなる。そのときは俺たちの治めるふたつの都市が、魔王軍の前線基地だ。
師匠は俺たちの肩に手を置き、こう呟いた。
「本来ならおぬしたちの師匠として、魔術の奥深さ、楽しさを共に分かち合うのがわしの役目じゃ。それがこのようなことになり、申し訳なく思っておる」
あくまでも研究者である師匠は、弟子たちを戦いに巻き込んだことを後悔しているらしい。
するとメレーネ先輩が明るく笑う。
「先生ったら、私たちは実践を重んじる学派でしょ? ヴァイトもそう思うわよね?」
「もちろんです。それに俺たちがいれば、無益な殺戮は減らせます」
第二師団が引き起こす惨禍を減らすためにも、俺たち第三師団の存在は必要だ。
今後も人や魔族が死ぬのは避けられないが、俺たちがいれば多少はマシになるだろう。
師匠は深くうなずき、俺たちの頭を撫でてくれた。
「わしは良い弟子たちを持った。重い責任を負わせてすまぬが、今後もよろしく頼むぞ」
「はあい、先生」
「任せてくださいよ」
俺と先輩は笑顔を浮かべると、拳をつき合わせてみせた。
それから師匠に送ってもらい、俺はまたリューンハイトに戻ってくる。
細かい執務は太守のアイリアがやってくれるし、実務の大半は人狼隊の各分隊長が取り仕切っている。
とはいえ、最高責任者は俺だ。
案の定、机の上には承認待ちの書類が何枚か置かれていた。
「なんだこれは」
北区と東区と西区の商工会から、連名で嘆願書が届いている。
犬人の隊商が南門しか利用しないので、各区の大通りにまで金が落ちてこないのだという。
そこまで俺が責任を持てるか。
とはいえ、生活がかかってるんじゃしょうがないな。
「うーん……あ、そうだ」
一時的に、南区に露店や仮設店舗を出す許可を与えよう。
それと北西のベルネハイネンとの交易が始まれば、西門と北門の大通りに分散して人を入れることにする。
東区には……そうだな、犬人隊の工房を作らせるか。
これで多少はにぎわうようになるだろう。
後はガーニー兄弟が酔って酒場で暴れたとか、犬人隊の農園のレポートとか、どうでもいいものばかりだ。
ガーニー兄弟は後で殴ることにする。
だがひとつだけ、俺が気になった書類があった。
「衛兵隊の処遇に関する要望書か」
提出者はアイリアだ。連名で衛兵隊長のサインもある。
衛兵隊は元老院の所属だから、給料は元老院から支払われる。
だが現状、元老院から給料が届くはずがない。
生活に困窮した衛兵たちを養っているのはアイリアだが、いつまでもこのままというのも問題だ。処遇について検討してほしい。
そんな内容だった。
俺は最初誤解していたが、衛兵たちは単なるやられ役の雑魚キャラのような存在ではない。治安維持の専門家であり、職業軍人でもある。
リューンハイトには衛兵は二百人程度しかいないが、有事の際には市民兵が数百人規模で動員される。これはどこの都市でもそうだ。
彼らを統率するのが、職業軍人である衛兵たちだ。だから下士官クラスといってもいい。
「ふーむ……」
俺の勘が、これは好機だと告げている。こういう相手からのリアクションは全て、魔王軍に利益をもたらす交渉材料だ。
俺はすぐに身だしなみを整えると、単身で衛兵宿舎に出向くことにした。
「魔王軍第三師団副官のヴァイトだ。衛兵隊長はこちらにおいでか?」
俺がいきなり顔を出すと、宿舎の中では衛兵たちが汗だくで筋トレの真っ最中だった。仕事がなくても、怠けるという発想はないらしい。
彼らが顔を見合わせた後、その奥から屈強な中年が歩いてくる。髭の巨漢だ。
「リューンハイト衛兵隊長、ヴェンゲンであります」
威厳があって、見るからに強そうだ。
俺が変身すれば彼を秒殺できるのは理解しているが、どうも気後れしてしまう。おまけに汗の匂いが立ちこめていて、彼らの感情が全く読めない。
こいつは参ったな。
俺はぞろぞろと衛兵たちが集まってくるのを眺めながら、ヴェンゲン隊長に用件を告げる。
「衛兵隊の処遇について、アイリア殿から相談を受けた。ついては後ほどアイリア殿と相談したいが、まず諸君の意見を聞きたい」
するとヴェンゲンは小さく首を傾げ、不思議そうな顔をする。
「我々の意見とは、具体的にどのようなものでしょうか?」
「諸君が剣を捧げる相手は、ミラルディア元老院だろう? 給料を支払ってくれるのも元老院だ」
問題はそこなのだ。
「諸君は魔王軍に降伏したが、もちろん魔王軍の一員ではない。だから魔王軍から給料は払えん」
当然だといわんばかりに、衛兵たちはうなずく。
見事な忠誠心だ。
「かといって、諸君らは太守の私兵でもない。太守は直属の上司だが、雇用主ではないからな」
「左様であります」
ヴェンゲンが重々しくうなずいた。
俺は頭ひとつ高い巨漢をまっすぐ見上げた。。
「諸君にはリューンハイトの治安を維持する役目があるが、それは現在我々魔王軍とリューンハイト商工会が代行している」
衛兵たちは何も言わなかったが、表情が曇る。
そこで俺はなるべく明るく言った。
「魔王軍に服従しろとは言わん。諸君は元老院所属の衛兵隊のままでいい。だから、治安維持に協力してくれないか? 武器は返すし、業務に口出しはしない」
俺の言葉に、衛兵たちは動揺したようだった。
「武器を返す?」
「恭順を要求してきたんじゃないのか?」
「どういうことだ?」
俺を見くびらないで欲しい。
伝説の人狼相手に、全く恐れることなく立ち向かってきた勇敢な衛兵たちだ。
彼らの忠誠心をそう簡単に変えられると思うほど、俺は馬鹿じゃない。
「リューンハイトの治安維持に協力すれば、太守としても諸君に賃金を払う名目が立つ。リューンハイトの法律は占領前と何も変わらん。今まで通りでいいんだ」
衛兵たちの間に、ざわめきが広がっていく。
「今まで通りでいいのか……」
「しかし、魔王軍に協力していることになるのでは……」
「だが治安維持は、我々の任務だ」
俺は彼らの動揺が鎮まるのを待ってから、改めて言う。
「このままずっと元老院に忠義立てするか、リューンハイトの民に奉仕するか、それは諸君で結論を出してくれ。魔王軍は諸君の判断を尊重する」
沈黙が辺りを支配した。
部下たちの空気を察したらしく、ヴェンゲン隊長が口を開いた。
「ヴァイト殿、我々の剣をお返し願いたい」
「わかった」
俺は彼らに、武器庫の鍵を返却した。すぐに衛兵たちが数人、駆け出していく。
程なくして、彼らは再び剣を帯びた。
だだっ広い宿舎の中で、ヴェンゲン隊長は衛兵たちに号令を下す。
「整列!」
ザッと足音が揃い、衛兵たちは綺麗に整列した。
二百人近い衛兵が武装しているのを見ると、さすがに俺も緊張する。
もし彼らがユヒト司祭のようにトチ狂って戦争を始めたら、先日の惨劇がまた再現されることになるだろう。
ヴェンゲンは見事な剣さばきで抜剣すると、再度号令を下した。
「総員抜剣!」
おい、まさか本気でやる気か。
ヴェンゲン隊長は、よく響く声で叫んだ。
「我がリューンハイト衛兵隊は元老院の所属である! だが我々は、リューンハイトの治安を守るために存在している!」
彼は厳かな表情で、こう宣言した。
「よって本日この時を以て、我が隊は元老院の指揮下より一時離脱する! 以降は私の責において、治安維持任務に復帰する! 我らのリューンハイトに、捧げ剣!」
そして彼らは一斉に、両手で剣を捧げ持った。
びっくりさせやがって。
ふと気づくと、ヴェンゲン隊長と衛兵たちは真面目な顔で俺を見つめている。
「ヴァイト殿、以前からお伝えしたかったことがあります」
「なんだ?」
「貴殿は我々よりも遙かに強いが、決して我々を蔑んだり、侮辱したりしない。常に同じ武人として扱ってくださる。我々はそれが嬉しかったのです」
逆の立場になったら、俺だって同じように武人として扱ってほしい。だからこうしているだけだ。
ヴェンゲン隊長は悪戯っ子のようにニヤリと笑い、こう続けた。
「とはいえ、最初にこっぴどくやられましたからな。少し驚かせてみたくなったとしても、お許し頂けるでしょうな?」
こいつめ。
俺は苦笑して、小さくうなずいた。
「小心者の俺を、あまり怖がらせないでくれ。今度やったら衛兵隊に通報するぞ」
陽気な衛兵たちが一斉に笑い、俺も一緒になって笑った。
こうしてリューンハイト衛兵隊は建前上は中立の立場を保ちつつも、任務に復帰してくれたのだった。
人間を服従させるのには、本当に手間がかかる。
しかしこれで、人狼隊も少し休めるだろう。