人狼斬りの魔剣
114話
シャティナとフィルニールには新しく「夕飯のおかずを自分に有利なように決定する」という議題を与えておいた。
シャティナは豆料理、フィルニールは芋料理を要求するという立場だ。
どちらの交渉術が上かは、夕飯のときにはっきりするだろう。
ただ、二人にはもっと上手な解決策を見いだしてほしい。
うまくいくといいんだが。
俺は夕飯までの間に、以前から気になっていたことを調べることにした。
ザリア防衛の際、敵の騎士から得た戦利品についてだ。魔法の大剣となれば、少し調べておきたい。
魔法の武器は量産しづらく、整備にも手間と費用がかかる。個人の武装としては強いが、軍事兵器としてはコストパフォーマンスが悪すぎるのだ。
そんなものを戦場に持ち込んできたとなれば、その真意を調べておきたい。
俺は魔法武器の専門家ではないが、調べ方ぐらいは知っている。
整備用の呪文がどこかに記されているはずなので、それを唱えればいいのだ。
案の定、柄に彫り込まれていた。
これを唱えると、刀身に複雑な紋様が赤く浮かび上がる。紋様は魔法語の文字列で構成されている。
文字列はプログラム、紋様は回路のようなものらしい。
もちろん俺にはほとんどわからないが、単語をいくつか拾えれば多少はどんなものかわかる。
「『斬る』……変化、いや『変身』……『狼』……」
前世で英文や古文を必死に訳した記憶が蘇ってきた。修行時代の辞書を持参しているので、それで何度も確認する。
だんだん面倒になってきたが、おおよその推測はついた。
人狼への攻撃に特化した魔法の剣だ。
他の魔族に対してはただの剣だが、人狼の肉体に対しては効率的にダメージを与えることができる。うまく当てることさえできれば、常人の腕力でも人狼に致命傷を負わせられるだろう。
これで斬られていたらと思うと、ちょっとヒヤッとするな。
もっとも人狼は狼と同じ動体視力を持っているから、人間の動きはスローモーション同然だ。
人狼以外には効果のない武器を持ちだしてきたということは、敵は人狼との戦いを強く意識しているのだろう。
北部同盟側が俺を警戒していた、というと自意識過剰かもしれないが、人狼に対して脅威を抱いていることは間違いなさそうだ。
しかし俺の興味はそれよりも、魔法の紋様に向かっていた。
「ふーむ、よくできてるなあ」
この剣は紋様のあちこちをうまく連結することで、少ない魔力で力を発揮できるようになっている。省エネのお手本みたいな代物だ。
魔法に限らないが、専門家の知恵と工夫にはいつも感心させられるな。
もっとよく見ようとして、俺はうっかり刀身に手を触れてしまった。
「わわっ!?」
ダメージを受けるのではないかと緊張したが、俺の指はなんともない。よかった。
ただし大剣のほうには、致命的な変化が起きていた。
俺の触れた部分だけ、紋様が欠けている。これではもう人狼斬りの魔剣として機能しない。
「いや、俺じゃないし……」
誰もいないのに責任逃れしてみたが、どう考えても俺のせいだ。
しかしいくら整備状態とはいえ、触れただけで魔法の紋様が消えるはずはない。その程度で消えていたら戦闘に使えないだろう。
俺は検証のため、刀身にもう一度触れてみた。
「おお……」
紋様がスーッと消えて……これは面白い。
いや、面白がっている場合ではなかった。
まずい、魔法の剣をひとつ壊してしまったぞ。剣本体はともかく、紋様は貴重な知的財産なのに。
「……見なかったことにしよう」
俺は整備状態を終わらせ、浮かび上がっていた紋様を消す。
この剣が人狼と敵対する人間の手に握られることは当分ないだろうし、黙っておけばわからないよな。
しかし紋様の写しは取っておくべきだった。大失態だ。
この件は秘密にしておこう。
そんなことを考えて後ろめたい気持ちになっていると、フィルニールが執務室のドアをノックする。
「センパーイ、ちょっといい?」
「なんだ?」
大剣をそっと鞘にしまって、俺はドアを開けた。
するとフィルニールが、困惑した様子で俺に告げる。
「シャティナにお客さんが来てるんだけど、どうも元老院の使者みたい。で、シャティナが……」
「皆まで言わなくていい」
早く行ったほうが良さそうだ。
「ふざけるな! 北……元老院は父上の仇だ!」
「ま、待ってください! せめて話だけでも!」
応接間から、シャティナの怒鳴り声が聞こえてくる。声のトーンからすると、まだ抜刀はしていないな。
俺が室内に踏み込むと、シャティナが若い男の胸ぐらをつかんで振り回している最中だった。狂犬かこいつは。
父を殺されて日が浅いとはいえ、太守がやっていい振る舞いではない。
「シャティナ、そこまでだ」
「しかし先生!」
シャティナの気持ちはわかるが、太守として使者と面会しているのだから感情は抑えなくてはいけない。
「この使者殿は『父を暗殺された小娘』に会いに来たのではない。ザリア太守に用があって来たのだ。それを忘れるな」
「は、はい……」
しょんぼりするシャティナをフィルニールに託して、俺は使者と向き合う。
「元老院の使者殿とお聞きしたが、相違ないか?」
すると若い男は服装を整えつつ、慌てて俺に一礼した。
「申し遅れました。自分は元老院所属魔術官、カイトと申します。あの、シャティナ様の家庭教師か何かであらせられますか?」
どうやらこの青年、俺の顔は知らないらしい。写真のない世界だから当たり前だな。
名乗ってもいいのだが、元老院はどうも人狼のことがあまり好きではないらしい。
適当にごまかしておくか。
「私はシャティナ卿の交渉術教官だ。シャティナ卿があの様子なので、代わりに用件を承ろう」
するとカイトは少し悩んでいたが、こう切り出す。
「先のザリア救出戦……」
聞き捨てならない単語が飛び出したので、俺は非礼を承知で彼の言葉を遮る。
「お待ちいただきたい。『ザリア救出戦』とは、誰が誰を誰から救出する戦であったのか。お答えいただこう」
カイトは俺の質問の意図を理解したのか、緊張に表情をこわばらせる。
「そ、それはもちろん、元老院が魔王軍からザリアを救出する戦いです……」
言っているうちに気まずくなってきたのか、カイトは声がだんだん小さくなってくる。
俺は彼を必要以上に萎縮させないよう、苦笑してみせた。
「それが実態と異なることは、ご承知のようだな?」
「……わかっています。あくまでも元老院の建前です」
なかなか率直だ。
彼が認めたので、俺はそれ以上追求せずに話を元に戻す。
「先の戦で魔王軍が元老院の軍勢と戦ったことは、紛れもない事実だ。その戦いがどうした?」
「実はその、そちらに接収された投石機などをお返しいただきたいのです」
カイトが恐縮しきっているので、俺も優しく言葉を返す。
「魔王軍がそれを返すと思うかね?」
「無理ですよね……」
「返還した投石機が次にどこに向かって石を投げるかといえば、連邦側にだろう。少なくとも、ザリアの一存で返すことはできない」
俺の言葉に、カイトは表情を曇らせる。
「で、ではせめて、元老院の騎士ヴォルザーブ殿の剣をお返しいただけませんか? 遺品だけでも、遺族にお渡ししたいのです」
それは困る。すごく困る。
だってつい今さっき、俺が壊しちゃったし。
断固として断ろう。
思いっきり強面で。
「遺品だから返還を求めている訳ではあるまい? あれが人狼斬りの魔剣だからであろう?」
するとカイトは驚いたように腰を浮かせた。
「えっ!?」
汗の匂いからすると、嘘をついている様子ではない。どうやら本当に知らなかったようだ。
裏の事情を知らない人間を使者によこすとは、困った連中だな……。
「貴殿が知っていたかどうかはさておき、魔王軍の調査であの大剣の性質は判明している」
そして判明した瞬間に壊した。
わざとじゃないんです。ごめんなさい。
カイトはうつむき、一生懸命何か考えている様子だった。
そもそも魔王軍が投石機を返すはずはない。
だが最初に無茶なお願いをして、次に本命のお願いを持ってくるというのは交渉の常套手段だ。
前世の通販番組でよく見た、「この包丁セット、本当なら二万円のところを今回だけなんと一万円!」というのと同じである。
二万円で買ってよ! 無理? じゃあ一万円で買ってよ!
そういう交渉だ。
投石機は無理だけど、剣の一振りぐらいならまあいいか……。そう答えさせるつもりだったのだろう。
しかし今の俺にとっては、人狼斬りの大剣のほうが投石機八基より無茶なお願いだ。
立派な拵えの高価そうな剣だったし、きっと由緒正しい宝剣なのだろう。壊したのがバレてしまうと、いろいろ問題になりそうな気がする。
カイトはしばらく考えこんでいたが、やがて顔を上げた。
「そのお言葉が本当なら、一度元老院に戻って報告せねばなりません。この件はいったん取り下げます」
その場で判断せずに、いったん持ち帰るか。慎重だな。
「わかった。ではまた近いうちにお会いしよう」
使者が帰った後、フィルニールがひょっこり顔を出した。
「センパイ、夕飯できたよ」
「ところでフィルニール、夕飯の献立はどうなった?」
するとフィルニールは嬉しげに笑う。
「芋と豆のシチューだよ! これで二人とも課題達成! だよね?」
「ああ、その通りだ。よく気づいたな」
「えへへ、二人で相談してたら気づいちゃった。二人とも勝ちになることってあるんだね」
「それが交渉の面白いところだ。さて、飯にするか」
「うん!」
別にどちらか片方に決める必要はないからな。ちょっと簡単すぎたかもしれないが、さすがに気づいたようだ。
それにしても元老院の使者が少し気になるな。
しばらくザリアに留まって、ここで交渉を続けてみるか。