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セルフ・ディストラクション 作者:竹蜻蛉
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2, 豪雨とカレーライス

 曇り空は滔々(とうとう)と雨を地に流し込み、ついには洪水警報まで出る始末となってしまった。特別河川が近場にあるわけでもないが、洪水はやはり広域に被害が及ぶらしく、学校帰りからは外出禁止となっていた
 豪雨ならまだしも、洪水となっては物理的障壁の最大級とも言うべきか、流石に危険を犯してまで出歩こうとする生徒はいない。よって欲求が発生した際に障壁によって欲求不満、フラストレーションの類が高まることは無いだろう。
 傘を叩きつける水玉の音は激しく、持っている手に振動機付きの傘でも持っているかのような錯覚を覚えさせるほどの震えを作っていた。路面は鮮やかな灰色とはかけ離れた色に変色し、今や空の色よりも黒い。ザーッと排水溝に雨が流れ込む音が五月蝿かった。
 私は登下校は普段は独りですることにしている。普段で、というのは、何かの誘いなどがあった場合はそのまま付いていくこともあるということだ。
 集団行動というものが私は好きではない。いや、好きではないというよりも『そうしたい』という感情が芽生えないと言った方が適切だろうか。人と助け合って生きていく、ということは勿論不可欠だと思っているが、私にとってはそれこそ障壁だ。一人で何でも出来ていかなくてはこれからの世の中、不便が多くなるだろう。
 長靴の音は一つで十分。隣に歩く音は私には必要が無い。
 ……なのに、何故彼は私の隣を笑って歩いているのだろうか…………。
 ちらりと私よりも背が高い彼の顔を横目に見上げてみる。相変わらず直視出来ない顔の造りだ。非常に悔しい。
 すると彼、灰田は私が見上げているのに気が付いたのか笑みを漏らして何?と聞いてくる。

「それは私が問いたいわ。一人で帰りたいんだけど…どうしてついてきたの」

 わざと突き放すような冷たい口調で言うが、対する灰田は全く気にも留めていないようだった。私から視線を外して、遠くの雲を見るように前を向いた。

「あの子に結局サンドイッチはあげたのかな?」

 そんなことを聞くためにいちいちここまで付いてきたのだろうか。もしそうだとしたら、頬に一発お見舞いしてやってもいいくらいだ。

「あげたわよ。全部じゃないけど」

 刹那だった。
 灰田の表情が一変し、瞬き一つ無い無垢な瞳がずいっとこちらに向けられた。口元は筆で一を書いたように閉ざされており、私の言葉に驚いた様子だったが、驚きの度合いが異常だった。ホラー映画のワンシーンのような静寂が辺りを包み込み、化け物と私だけの狂気の空間を作り出す。
 まただ、と私は思った。
 サンドイッチを彼女に渡さないのか、と聞かれたときと同じ悪寒。彼が私の日常に介在していることへの疑問と違和感が背筋に電撃となって駆け抜ける感覚。
 私はその瞳まるで杭で打たれたように目が離せなかった。自発的ではなく、相手が杭を打ち込んだという意の強迫観念に良く似た硬直。

「――僕は」

 化け物とは思えない澄んだ声が彼の口から発せられた。瞬間、私は映画のフィルムの中から解放された。

「僕はてっきり全部あげちゃったのかと思ったよ。そうかそうか、今日じゃなかったんだね」

 安心したようには見えない。むしろまるで明日ゲームソフトを買って貰えることを楽しみにしている子供のような笑顔でそう言う。
 今日じゃなかった、というのはどういう意味だろうか。予定表を頭の中に想像して調べてみるが、今日の欄には何も書かれていない。それにあったとしても、サンドイッチと関係のあるような予定はどんなものかすら思い当たる節が無い。
 するとそんな悩んでいる私を見て、何を思ったのか手を私の目の前で振って否定の意を示して言う。

「ああ。気にすることはないよ。すぐに分かることさ」

 軽快な笑い声を上げて、私の一歩先を歩いていった。私はしかめっ面を浮かべつつも、彼の後ろに付いてく。別段彼に用があるわけではなく、私の行く道に彼がいるから、というなんともベタな理由だが、実際そうなのだからどうしろと言われてもどうしようもない。
 雨脚が強くなってきた。傘から伝わる振動がより一層強くなり、少しだけ傘を持つ手に疲れが溜まってきたように思える。雨音も格段に五月蝿くなり、車のフロントに突き刺さるようにして直滑降に落ちているのが肉眼でも見えた。
 ――そうして、視線を逸らしたのが失敗だった。

「……え?」

 気付けば私は自分のものとは思えないほど間抜けな声を漏らしていた。目の前に広がっていたのは真っ直ぐで先の見えないコンクリートの一本道。自分の瞳が合わせる遠近感がおかしくなってしまったのかと錯覚させるほどの一直線。端にある建造物など気配すら感じられないほどの永久道路の上には黒猫一匹すら見当たらない。

 ――つまり、誰もいない。

 何が起きたのかシェイク状態にある脳内で判断するのが難しかった代わり、視覚が捉えた光景を認識することがそのまま答えになるのだと理解する。
 記憶の中での間違い探し。二枚の絵を見比べて私は相違点を探した。
 言わずもがなというところだが、絶対的におかしい。一枚目の絵には限り無く続く一本道に一人の男子生徒がいたのに対し、数秒後に切り替わった絵には彼がいなかった。
 おかしい。おかしいのだ。
 絵の中の世界なら可能でも、ここは三次元であり、逃げ出す場所もなければまさか消されたなんてこともない。例え百メートルを十秒以下で走れたとしても有り得ない。
 彼の笑い声は微かな響きすら残さずに雨に溶け、彼の姿は陽炎のような余韻すら残さずに消え去った。密室殺人は完了したとでも言うべきなのだろうか。
 冷や汗が玉になって吹き出し、首筋を伝っていった感触が自我を取り戻し、私を現実に引き戻す。
 これは日常。
 必死に私は何かを否定し始めた。
 これは日常で、きっと私は雨に黄昏ていた時間が思いのほか長かったのだろう。それにしらを切らした灰田が帰ったと考えれば全て納得がいく。
 何も心配することはない。私はしばし放心していたのだ。理由はさしずめ灰田のあの殺人犯が殺人対象を射殺すような無機質な目のせいだ。
 そう自己完結すると、それからの足取りは軽かった。「気にすることなんて何もない。きっと今日は疲れてるんだ」と自分で言っていて嫌になるような稚拙な言い訳をその場に残して、今度こそ独りで一本道を長靴の音を響かせながら帰路についた。





 今だ雨は止まない。窓を叩きつける音もそろそろ風流に感じつつあるが、室内にいると幾分雨は鬱にさせてくれる。
 若葉も緑雨と言えどもここまで攻撃的に降られれば参ってしまうだろう。恵みの雨も用法容量を守らないと毒になるようだった。
 私は帰宅後、自室で教科書を広げてぼーっと窓を見ていた。リズム感の無い曇り空のオーケストラは、聞くになかなか素晴らしいものだった。と感じるのは私が暗いせいだろう。

(なんなのよ、あいつ)

 全ての原因は灰田にある。これはどうやっても否定しようのない事実だ。特別虐められたわけでも無いし、何か気に障るようなことを言われたわけでもない。
 ならば何故?
 これも堂々巡りになりそうな自己への問いだが、端折れるものではなかった。
 胸のうちに蔓延るもやもやとした気持ちが恋心だというなら可愛いものだが、残念ながら対極に位置していると言っても過言ではない感情だ。
 その苛立ちをどうすることも出来ず、私は教科書をしまってベッドの中に飛び込んだ。先ほどまで座っていたせいか、微かなぬくもりが残っていた。
 埋めた顔の中、脳内はやはり落ち着かない。これほどに勉強が手に付かなかった日があっただろうか。青春を謳歌する学生たちが今だけ羨ましく感じた。私の場合は物思いにふける理由が下らな過ぎる。
 まず何なのだ、あの灰色の髪の毛は。灰色の地毛などどこの民族でもいないはず。金髪茶髪許せて赤髪、白髪だってあるが、灰色など聞いたことが無い。もっと簡単に言うならば、アニメで言う銀髪なのだ、彼は。
 自分の髪を見れば、メラニン色素が剥げて紫外線を受け傷ついた部分は確かに存在するが、灰色になど成る気配など微塵も感じさせない。
 それにあの言葉。
『今日じゃなかったのか』とは、一体どういう意味だ。明日になれば何か起きるというのか。
 布団を両拳で殴りつけた。埃が舞ったような気がした。

「ご飯よー!」

 お母さんが下の階から呼ぶ声がした。ふと時計を見てみると、もういい時間だった。一体帰宅してから何時間彼について考えていたのだろうか。これでは本当に恋愛事情みたいで苛立たしい。あんなものを彼氏にした日には死んでもいい。
 私は一つお母さんに返事をして、階段を降りていく。手すりが付いているのだが、私の家には足の不自由な人はいない。何の意味があるのだろうと毎回思う。
 食卓に着くと、テーブルの上には現代社会では失われつつある一般家庭の料理が広がっていた。最近友人に聞けば、深夜遅くまで出歩いていたりしているために家族で食事を取ることは少ないし、朝食も一緒に取らないという。
 私の場合は都合が一致しているだけなのかもしれないが、学校で過ごす昼食以外は外食だって付き合うし、家族での行動は大体共にしている。
 ……というのは表で、確かに実際そうしているが、それは親に悪い印象を与えないためだ。 独立はしたいが、基盤が出来るまでは協力を惜しんでもらっては困る。利用、と言っては悪いが、似たような気持ちがあるのも嘘ではない。
 そんな食卓のメニューには、私の好きなカレーが大皿に盛り付けられていた。色鮮やかな野菜が食をそそり、健康面もばっちり。さらにスパイスはお母さんお手製で、私はそれのなんとも言えない香辛料の香りが好きだった。

 ――異変は、家族が揃った時に起きた。

 父親がそんな私を怪訝な目で見ている。言われなくとも分かっているのだ。私だって何が何だか分からない。
 記憶を巡らしてみた。帰宅した後に間食をした覚えはないし、体形を保つためにもそれは自己禁止している。

(なら何で食欲が湧かないの…?)

 カレーを目の前にして、スプーンを手に取っておきながらそれ以上の行動が出来なかった。

「どうしたんだ?今日はお前の好きな母さん特製のカレーだぞ」
「わ、分かってるわよそんなこと。今日何か食べたっけなぁ……」
「何?食欲が無いの?あんたが間食するなんて珍しいじゃない」

 珍しいと言われても、本人こと私には覚えが本当に無い。
 食欲が湧かないと言っても、満腹感に満たされているからというわけではなく、発熱した時のような食べたくても胃袋が寄せ付けようとしないような感覚。鼻腔をくすぐるカレーの香りは確かに美味しそうだし、理性は食べろと叫んでいるにも関わらず、本能が有り得ない反抗をしていた。

「食べないなら後でも良いけど……どうするの?」

 お母さんが心配そうな目で見てくる。自分自身も心配になってきた。何か病気なんじゃないだろうかと疑いを持ってしまうが、まさか、という都合のいい言葉に片付けられた。

「うぅん。食べる。水くれないかな、多分それでなんとかなると思う」

 水分を欲しているのだろうと思って、水道水を汲んできてもらった。私の家庭は別にアルカリイオン水とかをいちいち買いに行く性質ではない。健康面、味面では確かに向こうが上かもしれないが、だからと言って水道水が飲めないわけではないからだ。こだわりはあまりない。
 中国ならまだしも、ここは日本で、水道水は飲めると豪語しているのだから飲んでやらなくては意味が無い。
 コップになみなみと注がれた水を一気に喉に流し込んだ。……確かに若干鉄臭い。
 ぷはぁ、とオヤジ臭い吐息を吐いた。
 すると幾分か楽になったような気がした。再びこげ茶色のカレーに目を移せば、積もるほどの食欲はやはり湧かないが、スプーンを口に運ぶことは可能になった。
 食べてみればあらびっくりとも言うべきか。意外にも食が進んだ。
 お父さんもお母さんもその様子に安堵したのか、自分たちに用意されたカレーを各自口に運び始めた。
 福神漬けが赤い。稀に黒っぽいのも混ざっていて、私はその色が好きだった。きっと濃い味なのだろうと思っているからだ。
 全て食べ終わったときに、突然として満腹感が襲い、私はそこでやっと食事をしたのだと痛感することが出来たのだった。



 その頃二階に置きっぱなしにされたピンクの携帯電話が振動する。
 ヴー、ヴー、ヴー、ヴー。
 名前『灰田』。
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