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セルフ・ディストラクション 作者:竹蜻蛉
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1, サンドイッチ

 春の日差しが暖かい昼下がりとは一変、朝は肌寒い風が吹いていた。
 散る花弁はピンク色だというのに、風は青く冷たい。とんでもない場違い野郎が遊びに来たものだと人々は思っただろう。朝方の支度には若干時間がかかったことだろう。タンスから一ヶ月前にはしまったはずの上着を出す時間の分のロスタイムだ。
 かく言う私もその一人だった。遅刻する気などさらさらなかったというのに、時計は校門の閉まる時間ギリギリを指している。これが時の神の悪戯だというのならば、一分だけでも猶予をくれるとありがたいのだが、現実そう上手くいかない。
 走るのははたしないから、出来る限り最大速度で早歩きする。体力には自信のあるほうだったが、無駄に疲れる移動方法を取っているために吐息が乱れてきた。吐いた息の色は白いはずも無く、無情にも額が汗ばんできたのが分かった。これでは上着を取ってきた意味が無い。
 校門が見えてきた。時計の針は既に予定の時間よりも三分以上は過ぎており、案の定鉄格子式の門は閉まっていた。
 私の学校は規則やこういった細かい決まりにうるさく、遅刻などは厳しく取り締まるほうだった。

「……はぁ、仕方ないかな」

 遅刻した場合は門についているインターホンを鳴らして先生を呼ぶ決まりになっている。自分の通う学校ながら、とんでもなく面倒な決まりだ。
 しかし、大半の生徒は近くにある柵を飛び越えていくか何なりして、先生を掻い潜っている。私もそうしたい欲求に駆られたが、それを殺してあえて優等生でいようとする。
 ピンポーン。
 シンプルな軽い音が鳴り、機械の向こうから先生の声が聞こえて、私は事情を嘘偽り無く伝えて門を開けてもらった。

(これでいい。私のイメージは他の人と違って正直者になるんだもの)

 一時限目の授業はほとんど出られなかった。これは失策だった。
 教室に入った途端、遅刻してきた私を先生が睨む。敵意や邪魔者扱いのような軽蔑の目では無かったが、私にとってはそれが酷く気分を損ねる要因となっていた。




 私は学校ではあまり類を見ない優等生だった。成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗…かは自分のことなので分からないが、そこまで酷い外見ではないことは自負している。それなりの御洒落はするし、友人付き合いも悪くないはずだ。
 かと言って、これは神童のような天才的なものとは違う。私は自ら努力によって得た地位であり、能力である。
 そうすることにより、私は悦を手に入れることが出来る。両親に褒められて、友人に尊敬され、先生から好評を貰う。誰しもが望むことを私は実践しているだけの話だが、これを完遂できている人物は、少なくとも私のクラスにはいない。
 何故なら、私はそれを遂行するために様々な努力をするからだ。
 毎朝のランニングは欠かさない。早寝早起きは勿論のこと、自主学習など毎日の日課であり、予習復習は至極是当然の行い。親孝行のためにも、余った時間はバイトに費やす。非常に充実した生活と言えるだろう。不満は無い。
 ……キーンコーンカーンコーン。
 四時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。一斉に教科書類を鞄に入れる布擦れの音が聞こえる。何かがぷつんっ、と途切れたように生徒たちの話し声が立ちこめ、先ほどの静寂はどこへ行ったのかと万人が問いそうだ。
 私の周りにも数人の友人が集まってきた。

「お弁当食べよー」
「机寄せて。ほらほら」
「私購買行ってくるから、先食べてて!ごめんねっ」

 一人の生徒が教室から駆け出して行ったのを私は見送った。
 途端に私の頬の筋肉が緩む。これは自発的なものであり、意図的なものではなかった。笑顔は人間関係を滑稽にするための最低材料なのだ。嫌う人間もいるそうだが、それならばそれで状況を考えて表情を作る。目の前にいる友人たちは、前者で満足してくれる人たちだ。
 私も茶色の皮製の鞄から弁当箱を……手に取った感覚がいつになっても来ない。
 がさごそといつまでたっても探りを入れている私に不信感を覚えたのか、一人の友人が心配そうな顔をして聞いてきた。

「どうしたの?お弁当、忘れて来ちゃったの?」

 否定したい所だったが、どうやら図星だ。私は苦笑いしてそうみたい、と頷いた。

「ちょっと私も購買部に行ってくる。ごめんね」

 そう言ってから私はスカートを押さえて席を立つ。皆口を揃えていいよ、と言ってくれた。 が、きっと何かしら不満を感じているに違いないと私は思った。
 足を出来るだけ早めて購買部に向かう。ここからは一番遠い場所に設置されており、階段を上り下りするのが非常に面倒くさい。
 ふと、横を一人の生徒が横切った。

「先輩こんにちは」
「ええ、こんにちは」

 この急いでいるときに呼び止める憎たらしい生徒だったが、そんな内を微塵も感じさせない笑みを浮かべて挨拶を返した。向こうからわざわざ挨拶してきてくれたのだ、それをぞんざいに扱うことなど無礼にもほどがあるだろう。
 だが、不思議なことに今日はかなりの生徒に挨拶をかけられた。

「こんにちは先輩」
「お弁当忘れたんですか?」
「どうしたんです?こんなところで」
「先輩が購買部なんて珍しいですね?」

 その内焦燥が私を満たしてきた。このままでは確実に購買部の食品が売り切れる。行った事はあまり無いが、生徒に人気があることは私も知っているのだ。
 それなのに……。何故こういう時に限って……。
 先に買いに行った友人が廊下の向こう側から走ってやってきた。手には三つほどのパンが抱えられている。
 そして私を見ると、首をかしげて声を上げた。

「あれ?購買に行くの?早く行かないと売り切れるから急いだほうがいいよ」

 心配してくれるのは有り難かったが、何分時間が無い。そういった気遣いをする前に、私を引き留めないという選択肢を取って欲しかった。
 その後も何かの嫌がらせなのではないかという数の生徒に声をかけられ、内心苛立ちながらも笑みは崩さず丁寧に接する。
 そんな地獄のような廊下をなんとか突破して私は購買部にたどり着いた。
 人気があると聞いていたのにも関わらず、そこにはちらほらと男子生徒がたむろしていただけで、テレビで見るような満員電車驚愕の混み具合は存在していなかった。
 ちらりと一瞥だけでメニューを確認し、私は購買部の優しそうなおばあさんに声をかける。

「すいません。この苺サンドとツナサンドを一つ」

 人気のありそうなメニューだ。しかし以外にもガラスの向こうには、売れ残り確定だろうサンドイッチが静かに佇んでいる。買う人物が少ないのか他に人気商品があるのかは知らないが、最悪ショーケースの端に追いやられた青汁ジュースよりは売れているようだった。

「あら珍しいじゃない、あなたが購買利用するなんて。はい、三百円ね」

 言われた分の小銭を彼女の皺だらけの掌に乗せた。私の手から硬貨三枚分の重量が消え去った代わり、サンドイッチ四枚分の重量が加算された。重くはないが、幾分か持つのに苦労する。財布をポケットにしまうのに少しだけ手こずった。
 と、その時、一足遅れて女の子がこちらに走ってきた。顔は知らないが、童顔に分類されるその子が慌てる姿はなかなか微笑ましい。
 ショーケースに突撃しそうな勢いで急ブレーキをかけて止まり、購買のおばあさんに息を切らせて言う。

「い、苺サンドとツナサンド一つ!」
「はいはい。三百円ね」

 随分と慣れた会話の流れのように感じる。傍から見ていると、おばあさんは先ほどの私に対する態度とは明らかに違うし、女の子のほうも何やらおばあさんと親しげに会話している。恐らく常連客なのだろうと推測できる。
 そのまま傍観していると、女の子が瞬間冷凍でもされたかのように固まった。その手には財布……でもあったら内容が容易に想像できるのだが、何も無い手を女の子は見つめている。

「おばあさん。交渉しようじゃありませんか」

 唐突にそう切り出していた。

「何だい、交渉って。値切りならお断りだよ」
「何をぅ!!そんな卑怯なことはしませんよっ。これを見てくださいな!」

 そう言って勢い良く差し出した掌。……掌。
 もはやだから何だと激しいツッコミを入れたくなるような光景。だがどうやらおばあさんにはその意味が分かったらしい。

「ダメ」
「何でっ!?」
「ツケておいて欲しいんだろう?生憎うちの購買ではやってないんだよねぇ、そういうの」
「し、しかしですね。私の掌を見てください。この不吉な手相を…じゃなくて財布忘れてきちゃったんですよぉぉぉぉ!!因果ですよ因果!!」

 若干五月蝿い少女だと第一印象は決め付けた。
 その後も猛獣のごとく食って掛かる女の子をおばあさんは新聞を広げてあしらっていた。流石に諦めてきたのか、段々と女の子の勢いが萎れていく。
 私は自分の持っているものに目をやった。苺サンドとツナサンド。まさに彼女の欲しいものと完全一致する。

(少しくらいなら分けてあげてもいいかな……)

 これは人物関係の高感度の上昇には関わらないイベントだろうけれども、あまりに必死になっている女の子を見ると良心が痛む。このままでは恐らく彼女の昼飯はないだろう。
 そう思って、差し出そうと一歩を踏み出した、その私の横を誰かが通り過ぎた。
 目を疑った。
 その後姿は月の女神でも光臨したような後光を放っていてもおかしくないほどの美麗。男子生徒の服装が不似合いで、その無造作に流れる灰色の髪の毛が一層ギャップを増していた。私の学校では髪の毛を染めるのは禁則事項だ。ということは、地毛なのだろうか。
 あまりに整いすぎた顔立ちに悪寒さえ覚えるほど。しなやかな指先と腕は、女子と見間違えても責められない。
 彼はそのまま女の子の横まで行くと、おばあさんに向かってこう言った。

「苺サンドとツナサンドを。三百円だったよね」
「あら灰田君じゃない。久しぶりねぇ、どうしてたの?」
「いえいえ。僕は普通に学園生活を勤しんでいただけです。まぁ、最近は仕事が多くて」

 世間話を広げながら、私とこれまた全く同じものを注文していた。横にいる女の子はとてつもなく険悪な表情を彼、灰田という男性に向けていた。歯軋りの音がここまで聞こえてきそうである。
 そんな彼女はついに食って掛かる。

「あ、貴方嫌がらせですかぁ!?私がそれを欲していることを知って……」
「ん?そうだったのかい?それは悪い……と思いながらも譲る気は無いけどね。残念、三百円を持って出直してくると良いよ、うん」
「むきぃぃぃぃ!!」

 涼しい顔をして、何やら非情な事を言う人間なようだ。つい頬の筋肉を緩めてしまう。
 灰田と呼ばれた彼はポンッと彼女の頭に手を置くと、そのまま私のほうに歩いてきた。傍観していたのがバレたのかと、心臓が高鳴ったが、そのまま彼は通り過ぎて行った。
 ……と思えば、私の一歩後ろで立ち止まる。
 後ろ向きだが、彼が微笑したのを背中に感じた。それは、とても『良いもの』ではなかったように思える。何か品定めするような舐めまわされる感覚が、場違いにも不思議と私の脳みそがそう捉えてしまう。
 小声で、彼は私の耳元に息を吹きかけるように言った。

「彼女にあげないの?それ」

 見透かされた。
 悪寒が背筋を走る。まるで汗だくの汚らしいジジィに犯されそうになるような、不気味で激しい嫌悪の感覚。
 何故だろうか。どこにでもありそうな日常の一場面なのに、彼が言う言葉には確かな冷たさがあった。初対面の人間にそういう言葉をかけるものおかしな話だったが、それ以上に何かが彼にはあった。
 今度は認識できるほどの小さな微笑を漏らすと、灰田は靴音だけ残して去っていった。
 私の中で騒擾そうじょうしていった彼の後姿を振り返ることは私には出来なかった。怖かったからじゃない。ちょっとした日常の中に、彼がいたからだ。
 自分で言っておいて、何を言っているのか理解が出来なかった。
 理解できない、という感覚で私が現実に引き戻された。目の前で相変わらず女の子が騒いでいる。この声にすら反応できないほどの放心を私はしていたのだろうか。
 一体何故……。
 堂々巡りの想像が無限ループで繰り返されるような気がして、私は思考を止めた。首を振って、掻き消すように脳内を落ち着かせる。
 同時に私は一歩を踏み出していた。

「貴方、そんなに欲しいなら、これ」

 にこりと私は最大限の笑顔を持って彼女にサンドイッチを二つ渡した。とは言え、サンドイッチは包装の中に二つずつ入っているため、一つあげてしまっても私の昼食が無くなるわけじゃない。流石の私でも、自分の昼食全てを知らない生徒に明け渡すほど優しくは無い…と思う。
 それを見た彼女は瞳に星を輝かせて私の手を取った。

「ほほほほほっ本当に良いんですか!?って聞く前に貰いますけど」

 半ば私から奪い取るようにして、サンドイッチをかっぱらった。とんでもなく図々しい女の子だと、第二印象で決め付けた。



 気付けば緑雨。若葉は降りしきる灰色の雲から落ちる雨に濡らされて芽吹く。
 開花した花は赤く、まるで花弁の中央から噴出す鮮血のよう。
 私の長い一日が幕を開けた。
+注意+
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