はじまって、
「どうしよう……どうしよう」
少年が、泣いている。
地面に膝をつき、両手で顔を覆って、泣きじゃくっている。
「泣かないで」
「なかないでよ」
彼よりはいくらか小さい二人の少年が、慰めるように背中をさすっていた。彼らも、いまにも泣きそうだ。
「大丈夫だよ、兄ちゃん」
一人がいった。
「そうだんしようよ、にいちゃん」
もう一人も、いう。
そうだ──三人は、うなずき合った。
きっと、父さんなら、なんとかしてくれる。
*
「ふむ」
ロンドドにも、冬が訪れようとしていた。
郊外に建つモダンなアパートメントの二階には、名探偵在中の看板が提げられている。その名も、フォームスン探偵社。
社長であるシャルロット=フォームスンは、このあたりではちょっとした有名人だ。
金色の髪に知的な瞳、すらりとした体躯──黙っていれば美形の部類に入る彼は、その外見で有名になっているわけではない。
かといって、名探偵と自称する頭脳によって名を馳せているというわけでも、ない。
いや、惜しい。
頭脳に原因があるのは、間違いない。
ただし、ベクトルは名探偵とは逆方向へ毅然と伸びる。
「これは……カボチャだな」
名推理しました風に瞳を光らせ、シャルロットはいった。
「ええ、カボチャね」
慣れた様子で、助手のエリスン=ジョッシュがさらりと肯定する。午前のおやつを求めてスタンバっているシャルロットのもとへ、まずはコーヒーを運んだ。
週間ゴージャスを愛読するエリスンは、めざせプチプラゴージャスレディの美人だ。長いブロンドはいつだって輝いている。常識人を装ってはいるが、シャルロットと長年共にいられる程度には常識がない。
エリスンは、シャルロットの目線を追った。眉根を寄せ、ため息をつく。
カーペットに敷かれた布の上には、シャンパンタワーのように積み上げられたカボチャがあった。いまにも天井に届きそうだ。一段目が十、最上段は、一。見事な三角形。
「つまり、全部で……」
名探偵の脳内で、計算式が踊り出す。
「……たくさん、あるわけだな」
踊っただけで終わった。計算式、解散。
「実はまだ、ほかの部屋にもあるの。安かったから、思わず段ボール五箱買っちゃったんだけど、ちょうどキャサリンさんとジョニーさんも差し入れだって持ってきてくれて」
「なるほど」
シャルロットはうなずく。すべてをわかったような顔でうなずくときの彼は、だいたいなにもわかっていない。
「食べれば問題ないな。なあにエリスン君、君の料理の腕なら知っている! じゃんじゃん持ってきたまえ!」
すでに首に巻かれているエプロンを、得意げに叩いた。名探偵は空腹中だ。
「いわれなくても、いまから食事はぜんぶカボチャづくしよ。おやつもね。──どうそ、シャルロット」
エリスンは、できあがったばかりのおやつを差し出した。
ほくほくとおいしそうな湯気の下、一口大に切られたカボチャが黄金色に輝いている。
「これは……なにかな?」
「カボチャよ」
「うむ」
名探偵はうなずいた。見たままだ。さすがに、推理するまでもない。
「カボチャの……なに、かな?」
ちょっと不安になってくる。エリスンは真摯な瞳で、料理名を告げる。
「カボチャ・オ・ニタモーノよ」
「カボチャ、を、煮たもの?」
「カボチャ・オ・ニタモーノ」
「それ以上でも、以下でもないと」
「イカではないはね」
素材の味を最重要視。
「では……いただこう」
ごくりと喉をならし、シャルロットはフォークでカボチャを刺す。
口に運んだ。
「これは……! なんという、想像通りの味!」
カボチャだった。
「夕食も、これよ」
「はっはっはっ、それは楽しみだなあ」
いま話題の逆新感覚メニュー、カボチャ・オ・ニタモーノ。
材料は、カボチャと水だけ。
誰が作ってもブレない味わいは、料理初心者から絶大な支持を受けている。
「おかわりは、あるのかな?」
「あるわよ、いくらでも」
なんといっても、カボチャタワーが完成するほどだ。シャルロットは上機嫌で、あっというまに皿を空にしていく。
まさに、最後の一つが口に放り込まれた、そのときだった。
「素晴らしいわ!」
バターンと扉を開け放ち、メガネマダムが現れた。
メガネマダムは、つかつかとカボチャタワーに近寄ると、上から下まで観察する。
「このフォルム……この色味……! あえていうなら……そう、素晴らしい!」
二度いった。
手にはファー付きのロングコートを携えている。巻かれた赤毛は肩より上で品よく整えられ、美意識の高さを思わせた。
「初めまして、名探偵シャッロット=フォームスン。窓からカボチャが見えたもので、つい勝手に入ってしまいました。わたくしはロルアン=ピージェント。仕事は主に婦人、年齢は今風にいうなら……そう、アラフォーティフォー。よろしくあそばせ」
一礼してみせる。
口の中をカボチャでいっぱいにして、シャルロットは微笑んだ。
「はひへはひへ、ほうあんはん」
いっぱいすぎた。
フォークを皿に置き、ゆっくりと飲み下す。ついでに、コーヒーを一口。
エリスンからナプキンを受け取り、口元を拭った。
「初めまして、ロルアンさん。いかにも、私が、名探偵シャルロット=フォームスンです」
立ち上がり、優雅に一礼する。エリスンが隣に並んだ。
「助手の、エリスン=ジョッシュです。ええと……主婦で四十四歳のロルアン=ピージェントさん、でよろしいですね?」
「よろしいわ。どうぞよろしく。では早速ですけど、依頼のお話を始めても?」
ロルアンはメガネに手をあててズレを直す。きびきびとした動きに圧倒されながらも、エリスンはソファへ促した。
「これ、よろしければ」
紅茶と、カボチャを煮たものを差し出す。
「カボチャ・オ・ニタモーノね。いただいても?」
「ぜひどうぞ、たくさんありますわ」
もりもり食べ始めるロルアンに、目を光らせ、エリスンはお代わりをじゃんじゃん用意する。消費していただけるのならばありがたい。
「で、依頼とは?」
シャルロットはデスクのイスへ移動すると、ふんぞり返って問いを投げた。
カボチャに夢中だったロルアンは、失礼と一言はさみ、シャルロットを見る。
もったいぶるような──あるいはいい淀むような、沈黙。
やがて、重々しく口を開いた。
「──ミスターカボーチャを、ご存じでしょうか?」
シリアスな空気で、いった。
シャルロットは黙る。ちらりと、エリスンを見る。
エリスンは、きっぱりと首を左右に振った。
「興味はあるが、存じてはいないな」
正直にいった。多少うずうずしている。なにそれ会ってみたい。
「最近、この町に出没するカボチャです。わたくしは目撃したことがありませんが、突然現れ、カボチャというカボチャをさらっていくのだと聞きます。皆のアイドル、皆のカボチャを拐かすなんて、忌々しい……!」
ロルアンは白いハンカチを取り出すと、ぎりぎりと噛んだ。よほど憤っていうのだろう。
「最近、この町に……」
シャルロットは、想像した。
「この町に、出没する……」
エリスンも、想像した。
「「……カボチャ?」」
ハモった。
現れたカボチャがいたいけなカボチャたちをさらっていく姿が、二人の脳内に描かれる。
ちょっとよくわからない。
しかし、探偵サイドの困惑をよそに、ロルアンは鼻息荒く身を乗り出す。
「忌々しいとは、思いませんかっ」
一点に絞られた気持ち。なるほど確かに忌々しいと、二人はとりあえず納得した。
「わたくしは、カボチャを愛しています。ライクではなく、そう……ラブなんです。愛するあまり、カボチャに嫁いだほどです。そのカボチャを誘拐するなんて、許せません」
メガネの向こうに、涙がにじむ。
いろいろいいたいことはあったが、あえて一点だけ、シャルロットつっこんだ。
「味か、見た目か……どちらに、愛を?」
「見た目です。あなたは、おいしいという気持ちを、ラブにできるのですか?」
あの形への思いも、これといってラブにできない。
のだが、胸を張っていいきられてしまえば、返す言葉もない。
「お願いします。ミスターカボーチャを、わたくしの前に突き出してください。わたくしが自分で、鉄拳制裁を加えたいんです。どうか、わたくしの力になってください!」
「まかせたまえ」
「わかりましたわ」
涙ながらの訴えに、シャルロットとエリスンは、深くうなずいた。