第68話 子爵との話
迎えに来たのは、作りの良い箱馬車だった。御者もきちんとした格好をしているし、紋章もサイドに飾られている。
お客様待遇?最初に感じたのは違和感だった。私が明確に評価を出したのは指揮個体の討伐のみだ。
その程度で普通、お客様待遇はされない。一冒険者として、こちらからお伺いするのが筋だ。
そもそも、国王の対応に関して、今回の件で不満が有る。そうした事を合わせると、この厚遇の意味が分からなかった。
通り過ぎる町の様子も気にはなるが、これからの時間を思うとそんな余裕は無い。
領主館は、かなりの規模の石造りの建築物だった。同族同士の戦争がほぼ起きない為、堀等防衛設備は最低限確保されているだけで、政務の中心と居住に重きがおかれていた。
夜の間は上げるのだろう、跳ね上げ橋を通り、館内に入った。そのまま侍女に応接室の一角へ誘導される。子爵は所要中の為、しばし待って欲しいとの事。
応接室のソファの様な物に座る。中は木の骨格に綿が詰められているのか、思ったよりしっかりした作りだった。出されたのも紅茶だった。
お茶の木が南の森に生息しているのは知っていた。移送の際に発酵し、紅茶の文化が生まれたのかと思うと、改めて収斂に関しての思いが強くなる。
掛けられた絵は、写実画が主だ。まだ、文明的には絵画を専業に出来る程の余裕は無いのだろう。ただ、写真替わりとしての需要は有る為、写実画家の誕生は分からなくもない。
家具や額等の装飾も地球の過去から考えると大分稚拙だ。品が良い感じにはなっているが、どうしても作りが荒い。神様が言う通り、人間に余裕が無いのだと、こう言う所でも実感する。
しばし久々のお茶を楽しみながら待っていると、執事らしき壮年の男性に声をかけられた。子爵の準備が整ったので案内すると言うと、先導を始めた。
正直、こんな場所のマナーなんて分からない。取り敢えず、最敬礼かな?武器の類は取り上げられなかった。まぁ、魔術士なので、武器を取り上げられても気にはしない。
執事のノックの後部屋に入り、下を向いて視線を合わさないまま武器を置き、跪き、両手を上げる。頭は垂れたまま、相手の足元を見る。
「そこまでかしこまらなくて良いよ」
優しい印象を与える、柔らかい声が聞こえた。
「頭を上げなさい。話も出来ない」
言われた通り、頭を上げると40代くらいの柔和な男性が立っていた。
再度立ち上がり、ゆっくりと近づく。
「名前は聞いている。アキヒロ君だね?私はノーウェ。この領地で子爵をやっている」
「初めまして、子爵閣下。アキヒロと申します」
深々と頭を下げ、挨拶をする。
ノーウェは、少し困った顔を浮かべながら、話す。
「敬意を表してくれるのは嬉しい。だが、最敬礼は国王陛下のみだ。我々臣下には目礼で十分だ。それに閣下と呼ばれる事は何もしていない。歳も同じだ。名前で頼む」
「では、ノーウェ様と」
「まぁ、それで良い。冒険者と聞いていたが、そこまで礼を尽くされると商人でも相手にしているようだ。良い意味で驚いた」
社会人の習い性か、目上に敬意を払うのは当然なのだが、情報が無いとこんな事態になる。執事の人に聞けば良かったと後悔した。
ノーウェが苦笑いを浮かべ、続ける。
「ふむ。説明不十分の部分も有るか。今回の召喚に関して、叱責等では無い。全く別の話だ」
「別の話ですか?」
「結論から、単刀直入に述べる。男爵をやらんか?」
「はい?男爵ですか?」
正直驚いて失礼な対応を取った。予想外だ。意味が全く分からない。
話を聞くと、各王国の爵位は、侯爵が一番上、王の係累の場合は公爵となる。その下が、伯爵、子爵、男爵の順番だ。士爵は無い。軍務の役職と政治の役職が切り離されている為だ。
また、基本的には爵位は相続しない。爵位そのものが役職だからだ。国王は継承される。統治を司る神の教育をみっちり受けて耐えられた者がだが。
ノーウェは公爵の子供では有るが、自分の力で男爵から子爵へと上がって来た。
縁故と言う言葉は、今の日本ではあまり肯定的に捉えられる事は少ない。だが教育機会の少ない世界では、子供の内から教育や思想の継承が可能だ。メリットが大きい。
また爵位を与えるのは、国王の権利だ。
で、この爵位なのだが、実の所、あまり利益が無い。少なくとも地球の過去の爵位の様に絶対的な権利は無い。
役職上の自由度は高いが、自分の利益の為には動けない。そんな事をすれば、国王直属の監査団に処分される。汚職も出来ない。
金銭的にメリットを出そうとすれば、新規開拓等で売上予算を超える税を上げ、その一部を賞与として貰う程度だ。どう考えても、統治を司る神の影が見える。
世間の印象として、爵位を持った人間は尊敬される。無条件に尊敬される訳では無く、そんな大変な仕事をしてくれてありがとうと言う意味でだ。
それだけ、貴族を続けるのは苦労が多いのに、利益が無いのだ。ただ、給料は良いのと、仕事の裁量権が広がる事、国が認める役職と言う事で安定した職とも言える。
で、今回の男爵の話なのだが、人々の悲願で有る、生存圏の拡大が目的との事らしい。
昔から予算上には『初心者男爵用セット』みたいな枠が有り、適性な人物が見つかれば、その予算で新しい地域を治めるらしい。
ついでに、簡単な大陸の地図も見せて貰った。国境は辛うじて有るのだが、実際の生存圏は各国そこまで到達していない。責任分界としての区分けの意味でしかない。
私が男爵として就いた場合の統治範囲は、今の村の東に馬車で2日程行った所を中心に北の森サイズ程度の周辺との事。北には山が、東と南に森が有る。
「北の山には、鉄の露天鉱床が有る」
この男爵セット、領主館含め大きめの村1つと小さな村1つ分程度の予算だ。要は領地の中心地に村を作り、山側に鉄を生産する村を作る事を希望されている。
それでも、東京の約半分位、佐渡島より大きな面積を管理しなければならない。5年6年で結果の出る話では無い。
「10年間の税免除は権利としてある。ただ、各ギルドの税は別だ。あくまで収穫に対する税のみだ」
農業改革でもして一気に収穫を増やせば、利益が大きくなる。それを設備投資に回せば大きくはなるだろうが……。
「人員に関しても、官僚団より適正な人員が異動となる。住民に関しても素性が明らかな人間を回す。この辺りの初期対応までが予算内だ」
人間がいるなら、話は別か……。官僚団がまともに動くならば方針策定のみで、私は冒険者を続けられる。と言うか、村の防衛の為、そうしないといけない。
「何故、私なのでしょうか?」
「ふむ。冒険者ギルドと鍛冶屋ギルドの推薦だ。これまでの詳細な顛末は把握しておる」
机の上の分厚い書類の山を指す。幾ら紙の質が悪いと言っても、あの厚みは異常だ。どんな報告がされているのか。
「ポンプ?だったか。あれを開発させた理由は何だ?」
「井戸の水汲みを効率化し、余剰の時間を発生させる為です。また労力が減れば、他の作業も出来るようになるでしょう」
正直な思いだ。辛い作業を減らさないといつまでも、その作業が当たり前になってしまう。作業効率を上げれば余剰時間で別の事が出来る。
「人はこの過酷な環境では、そんな思いを巡らす余裕は無い。その視点が為政者の視点なのだ」
日本の社会は極度に効率化されている。その為、そこからより効率的にする為にはと言う視点が生まれる。仕事に汲々ではそんな発想は生まれない。
「今回の件の顛末もそうだ。国の軍務は将としての才を見ているが、私は皆が生きる希望としての生活圏の拡大を優先したい」
この人も、苦労しているのは分かる。村の避難所として教会の周辺の石垣作りの予算を認めさせたのもこの人なのだ。かなり国とやり合ったらしい。
「予算も数か所分は用意しているし、候補者は他にもいる。ただ、考えてみては欲しい。その才は生かすべきだ。私も身近な村の出身者が近場の領主となるのは心強い」
私に予定されている領地だが、一部子爵領と被っている。これは移動を考えた場合に距離が開き過ぎると危険な為、一旦無料で租借地的に運用させてもらう。領地が広がって整備したら返せとの事だ。
「妻とも考えたいのですが、お返事が少し遅れても問題は無いでしょうか」
「考えてもらえるならば助かる。予算編成の始まりは年明けからだ。そこまでに決めて貰えれば問題無い。それを超えた場合、来年度の予算の自由度が減る。それを覚悟の上で調整してくれ」
「前向きに検討します」
「これで子爵に昇爵した際に、男爵も見つけられないのかと宮廷の小雀共にピーチク言われていたのがどうにかなりそうで助かった」
ノーウェは受けると疑っていないな。はー貴族かぁ。日本で生きている限りは全く縁の無い話だが……。安定した職と言っても適当に商売でも始める予定だったのだが……。
取り敢えず、近い再会を約束し、別れの挨拶を交わす。
執事に連れられ、館の入り口に向かう。
はぁ、リズはどう思うかな……。
予想外の事で、頭がいっぱいで、今日の宿や帰りをどうするか、全く考える余裕は無かった。