第62話 少しの日常風景
若干出力に不安は残ったが、岩を貫く訳では無いと思い、本日分は終了と割り切った。
家路の中、虫の声を聴きながら、雪の季節じゃ無くて本当に良かったと思う。
雪の戦場は地獄だ。降っていれば視界が悪い。止んでいても、滑るし、何より寒さで動きが制限される。
まぁ、その場合は騎士団が間に合っていた可能性が高い。もしもを考えても仕方無いなと苦笑した。
家に着き、扉を開け中に入った瞬間温かい空気に包まれた。
まだ、秋口で寒いと言った印象は無かった。しかし、汗で冷えたのか、硬直した体と心がゆっくりと解されていく。
「ただいま戻りました」
リビングスペースに入る際に声をかける。もう寝ているかどうかの時間だったので、そっとでは有るが。
中にはリズが1人で椅子に座り、眠っていた。待ちくたびれて眠ってしまったのだろう。
無邪気な寝顔が無性に可愛い。屈み、頬に軽く唇を当て、台所へ向かう。
台所の隅に今日の分の薪が若干残っていた。わざわざ私がお湯を作るのを見越して、残してくれていたのだろう。
感謝の気持ちに頭を下げ、鍋を用意する。火種用の麦藁と小枝を用意し、ライターを使い、乾いた麦藁に火を付ける。
徐々に火が大きくなり、薪へ燃え移ったのを確認したらリズの元へ向かう。沸くまでは時間がかかる。
先にリズをベッドに移動させないと。風邪でもひいたら大変だ。
「リズ、リズ。起きて、リズ」
軽く揺すりながら、小声で起こす。
「うにゃ……むー……うー……」
要領を得ない声が聞こえる。
「起きて、リズ。風邪ひくよ?」
少し強めに揺する。
「あー……むー……」
まだ寝ぼけているが、脇に手を入れ、立ち上げる。半分寝たまま部屋に誘導し、脇に抱えた状態で扉を開き、ベッドにそっと寝かせる。
お姫様だっこ?起きている時だけだ。寝てる時は、サービス甘め。流石に毎回は腰に負担がかかる。
寝顔を見ると、本当に戦う女の子とは思えない。あどけない顔を愛おしい思いで眺める。
ふと、ほっぺたを突いてぷにぷにしてみるが、本当に柔らかい。マシュマロの様なと言う表現が有るが、もっと違う艶めかしい柔らかさだ。
悪戯も程々に、キッチンに戻る。流石に火をそのままにしておくのは危険だ。
まだ、薪が燃え始めたばかりなので熱が全体に行き渡る最中だ。揺ら揺らと揺れる火を眺める。
あぁ、こんな形の火って日本で見る事ほとんど無かったな。
思い出したのは、地方の建築デザイン会社の事務所だった。
デザイン会社らしい、品の良い内装と薪ストーブ。冬の寒さが厳しい地だったが、薪ストーブの柔らかい温かさをふと思い出した。
火って、身近で見ていると和むなぁ。
ほぅっと息をつき、湯加減を確かめる。まだ温め。
この地に来てからのバタバタを思い出し、こんな時間も有って良いかなと思い、火を見つめる。
そこそこに沸いたお湯を水で調整し、盥に移す。
薪はまだ残っているので始末をし、明日の朝食時の為に準備をしておく。流石にこんな事でまで手を煩わせたく無い。
火の管理なんて、日本でやった事が無かったので、徹底的にティーシアに教えてもらった。
火のつけ方、消し方、消えたかの確認の仕方、次回に使える薪をどう保存するのか。
キャンプやバーベキューなら着火剤で火を付けて、水をかけて消すので済むが、ここでは違う。生活の知恵が有る。
考え事をしながら、部屋に盥を移す。
部屋に戻り、体を清める。流石に、お風呂につかりたいなと感じた。
日本人らしいなと思い、苦笑する。
温泉でも湧いていれば良いが、村の中で噂は聞かない。流石に温泉の探知方法なんて、知らない。
後は水魔術だが、流石に湯船いっぱいの水を作る事は無理だ。風魔術と並行して習熟度を上げる為、色々試している。
と言うよりも、計測の時に使っているので勝手に上がるが正しい気もする。毎回、条件は調整しているが。
温度に関してだが、上げるのは容易だが、下げるのは難しい。現在の気温が秋口の涼しさなので、15度前後だろう。
それを基準にして、今でも40度程度のお湯を盥半分程度作る事は出来る。
だが下は、10度以下程度だ。触れて冷たいと感じる程度。
まぁ、普通に考えて上の方が幅が大きいのでしょうがないと思うが、基準が分からないもどかしさは有った。
一人前で相転移は使えると聞いていたので、まぁまだ先かと。1.00を超えるまでは気にしないでおく。
ちなみに、流石にこの疲れた状態でお湯を作るのは嫌なのと、沸かす前提なので、魔術は使わなかった。
ある程度の量と温度のお湯を作れば薪を使わずに済むが、そこはごめんなさいと呟いておく。
ただ、この水魔術。野営の際の環境改善には役に立つなとは考える。
飲料水もだが、野営の際に水を沸かして身を清める薪が確保できるかは状況次第だ。
女の子として、身は清めたいだろうし、毎回水と言うのも辛いだろう。
小さな鍋程度は調理等も有るので持つつもりだし、そう言う時に喜ばれるかなと、夢想する。
清めた残り湯を使い、洗濯をする。替えが無いから毎日洗濯だ。買いに行きたいが買いに行く暇も無い。
濯ぎまで完了し生地を傷めない程度に絞り、洗濯物と甕を手に取る。そのまま静かに家を出て、外の物干し竿に干す。
干し終わったら、井戸まで行き、水を汲み、補充を繰り返す。
日課の全工程が完了し、就寝だ。
ベッドのリズの顔を見つめ、2日後の戦いを考える。もやもやと色々と噴出して来る物は有る。
人間割り切っても、不安や疑念が尽きる訳が無い。その感情を噛み殺し、目を閉じる。
出来る事はする。出来ない事はその時考える。考える事を止めない。それだけやれば、最低限、前に進める。
きっと今までに出来た事や、やるべき事が他に有ったかもしれない。でも、今分かる全てはこなして来た。
懸命に目を閉じ、眠りに落ちるのを待つ。
横に感じるのは、愛おしい温もり。
ふと、睡眠前特有の虚ろに思った事は、虫の音が大きくなっている事。徐々に冬が近づくのか……。
朧に思いながら、そのまま眠りについた。