第55話 忙しい日々の始まり
アスト宅の前で、強張った顔をぐにぐにする。
リズには大分心配をかけた。
正直、2人は逃げないだろう。
事情を説明しなければ、逃げる理由が無い。説明すれば、強制参加だ。
腹を括るしかない。
幸いギルドが、借金とは言え信用貸しをしてくれる。
借金なのかと思うかも知れないが、これ、かなりの譲歩だ。
他人とお金の貸し借りをすれば分かるが、返って来るかは運だ。
民間相手の借金は利息が雪ダルマに付いて行く。
これは、貴方を信用しています。有る時払いで借金しても良いですよ。と言う話だ。
普通は、こんな好条件有りえない。
早急にリズとフィアの装備を揃える。
「ただいま戻りました」
挨拶をすると、もう、皆揃っていた。
賑やかに食事をし、リズと2人で部屋に戻る。
「大事な話が有るんだ」
なるべく深刻さは出さず、淡々とした表情を作る。
「詳しい事は、明日、フィアさんと一緒に話す」
「今日の、心配事の話なの?」
心のどこかを感じ取ったのか、若干不安な顔をする。
「うん。今は話せないけど」
微笑んでみる。
すると、唐突に近づき頭を抱えられた。胸に顔が埋まる。
「辛いね……辛いね……」
あぁ。抱擁されて肯定された記憶なんて、何時以来だろう。
もう何年も感じていなかった、目の熱さを感じる。じわっと視界がぼやける。
感じない振りをしていた。社会人が泣くなんてって抑え込んでいた。
「う……ぐ……」
押し殺せない、嗚咽が漏れる。撫でられる頭の温かい感触が、涙を呼ぶ。
恰好悪い。もう35歳だ。良い大人が、子供に抱きしめられて泣くなんて。冷静な部分が囁く。
でも、涙は溢れる。
怖い。
戦争なんて、体験した事も無い。
そんな場所に大切な人を連れて行かないといけない。
怖い。
もし、リズが、フィアが傷付いたり、連れ去られたら?
怖い。
身の回りの誰かが、死んだりしたら?
一度決壊した涙は、止まらない。感情のままに嗚咽する。
「大丈夫……大丈夫だよ……」
優しい感触に包まれる。あぁ今だけでもこの感情に溺れたい。
ひとしきり泣いた後は、あの苛まれる様な焦りは感じなくなった。
「ごめん。格好悪い所見せた」
「ううん。格好良い所、いっぱい知ってるから」
にっこりと微笑み、囁いてくる。
あぁ、男って、女には勝てないわ。
心の底から、思った。
落ち着いた後は、体を清め、ベッドに入る。
リズも今日は疲れたのか、直ぐに寝入る。
それを確認し、そっとベッドを抜け出す。
「まぁ、社会人の常だな……」
1人囁きながら、月明かりに照らされた庭に出る。
ほの明るい世界の中で、やるべき事を始めた。
次の朝、動きを感じ、怠い体を起こす。
「おはよう、リズ。昨日はありがとう」
「ふふ。今日の顔はいつもの顔だ」
満足そうに笑う。
「リズのお蔭だよ」
声をかけ、食事に向かう。
何時もの日課を終え、ギルド前に向かう。
フィアを捕まえ、会議室を借りる。
「今日は大事な話が有る」
真剣な顔を作り、話を始める。
「結論として、ゴブリンの大発生が予定より早まる可能性が高い。また騎士団が出るのもぎりぎりになる」
「毎年の話だよね?大丈夫じゃないの?」
そう、村の人間にとっては、こう言う認識なのだろう。
「騎士団が到着するまで、冒険者が村の防衛に当たる」
「私達もって事?」
リズが首を傾げる。
「あぁ。この話は内密。家族にも話してはいけない」
「んー?そんな話聞いた事が無いけどー。何時もなら騎士団が来て、何時の間にか帰っているよ?」
フィアが言う。
「今回は違う。間に合わない可能性が高い。相手は想定では最大で400匹程度の集団になるよ」
2人が首を傾げる。400匹の集団の想像がつかないんだろう。
「村人全員の2倍から3倍の集団が、襲ってくると考えて」
何となく規模は想像がついたのか、フィアの顔が徐々に強張る。
フィアは、1人で森でゴブリンを狩っていた。複数相手に戦う事がどう言う意味か経験で分かる。
リズはまだ、想像がついていないのか、首を傾げている。促成栽培が裏目に出た。
「ただ、ギルド側も動いている。悲観する必要は無い。今後の方針は単純。集団が襲ってくる前に数を減らす」
2人が強く頷く。
「今は無条件に信じて欲しい。やるべき事をやろう」
ギルドを出て、森に向かう。
何時もの沢を基点に、周囲をらせん状に探索し、発見次第殲滅を繰り返す。
やはり、獲物が濃くなっている。
昨日に比べても早いペースで、狩りを続ける。
昼を過ぎ、そこそこ経った頃に、80匹を狩った。ただ、私の限界が来た。森を歩くだけでも辛いのに、狩りも有る。
過剰帰還と戦いながら、槍も振るう。魔術での移動も練習している、頭が死ぬ。
鼻を入れたズタ袋は、もうパンパンだ。
この辺りが限界だなと感じ、今後の目標を1日80匹に決めた。
ちなみに2人は元気いっぱいだ。あぁ、女子高生もいつも元気そうだったな。凄いな女の子。
「達成料は、ゴブリン80匹で240,000です。よろしいですか?」
昨日の話の通り、達成料は上がっていた。
60,000ずつを渡していく。
達成数は頭割りだ。皆60を超えた。
「うん……朝の話聞くと複雑だけど、この金額は……」
リズが何やら、苦悩している。
「えへ……えへ……」
フィアは壊れた様にニマニマと笑っている。
まぁ、モチベーションの維持になれば良い。
「じゃあ、まだ時間が早いから、訓練に行っておいで」
2人を見送り、鍛冶屋に向かう。
道すがら、昨日の夜の特訓を思う。
修羅場の時は、週平均で一日一時間睡眠もざらだった。
社会人は隠れてコツコツ勉強をするものだ。
で、昨晩色々試したのだが、魔術にも『認識』先生にも、射程が存在していた。
基準点を作り、足幅で大体を計測したが、『認識』先生で10m弱だ。
魔術に関しては、20m弱。ただ、スキルの習熟に比例して、射程は伸びている。
伸びとスキルの習熟を見ると、射程は『術式制御』が関係していると見ている。
『識者』先生も肯定との事。
ちなみに今のスキルがこんな感じ。
◇スキル情報◇
『識者』
『認識』
『獲得』
『隠身』0.44
『勇猛』1.01
『フーア大陸共通語(会話)』0.32
『フーア大陸共通語(読解)』0.10
『フーア大陸共通語(記述)』0.01
『槍術』0.22
『警戒』0.66
『祈祷』1.80
『術式制御』1.20
『属性制御(風)』1.38
『属性制御(水)』0.36
『属性制御(神)』1.01
全体的に伸びてはいる。下がっていなくて良かった。
延々、複数の対象から隠れ、藪から藪に移動している為か『隠身』が上がる、上がる。
また、複数を察知し続けている為か『警戒』も伸びた。
術式関係も伸びているのだが、どうも1を超えると一気に伸びが鈍化するらしい。
色々と過剰帰還を軽く起こしながらも試しているのに、伸びない。
流石に夜、ゲロを吐くのは嫌だったので、そこまできついのはやっていないが。
槍も練習はしているのだが、腕の筋肉がパンパンになるのに、上がらない。根本的に先生とかにつかないと駄目な気がしてきた。
鍛冶屋に付き、挨拶を交わす。一つ武器を改造したく、設計を書かせてもらう。
「はぁ。やるのは構わんが、これじゃ石突の意味が無くなるぞ?」
「まぁ、備えあれば憂いなしですから。お幾らですか?」
「まぁ試しも含む。5,000で良い。勉強賃だ」
「どの程度かかりますか?」
「3日くらいか。正直読めん」
即金で渡し、急いでパーディスの元に向かう。もしかすると、奴がキーマンになるかも知れない。
「一発でデカい山を作った魔術士?どこでそんな話聞いた?」
「いや。想像だ。出来るかと思ってな」
「前に言った、魔法の書き換えの件、有っただろ。実際一夜で丘を築き上げた魔術士はいた」
「いた?過去形なのか?」
「どうもその後直ぐに改訂が入ったらしい。貴族様の前で、偉そうに実験しようとしたのに、発動しなくなったって。今じゃ笑い話だ」
あー。アレクトアの切れた顔を想像する。私も見逃して貰っている手前、何も言えないが。
「ちなみに水の構文は?」
「あぁ?属性水。現在の温度との差。量。基準からの距離と高さ。実行、だった筈だ」
「曖昧だな」
「水も火も使えないからな。興味が無かった」
窓を開け、下を見て誰もいない事を確認した。
窓から右腕を出す。
「属性水。現在の温度。500ml。右手直上10㎝。実行」
呟いた瞬間、右手の上から水が発生し、そのまま流れ落ちて行く。何となくひんやりとした水だった。
「これが水か」
「基本は、容器の上で発動するがな」
ふむ。ここまで分かれば問題無いな。水の魔術はきっと設計に苦労したんだろうとは思う。飛ばすにも攻撃手段に乏しい。
だから、温度差の有る水を相手に浴びせる設計にしたのだろう。
別れの挨拶を告げ、雑貨屋を出る。
TODOリストが一つ埋まった。
[x]土の制限、水魔術の構文をパーディスに聞く。
さぁ、後はアスト宅に戻って修行だ。
目標が決まり、忙しい日々を振り返りながら、家路を急いだ。