第53話 確信
ハーティスがにこやかに、こちらに向かってくる。
「報告は受けました。本日も相当な成果との事。お疲れ様です」
私の持っている紙に向ける目線と眉根に皺を寄せた表情を誤解したのか首を傾げながら言う。
「紙ですか?大分前に量産体制が整い、順次置き換わっています。依頼票は術式を乗せるのに羊皮紙ですし。まだ現場では羊皮紙を使っている場合も有りますよ」
的外れな回答が返って来る。
「いや、ゴブリンの事でお聞きしたい事が有ります」
やや苦笑気味に言う。狙ってやっているなら、この人かなりの狸だ。あぁ斥候か。こう言う話術もいるか。
「やはり……そうですか」
やや沈痛そうな面持ちに変え続ける。
「結論から言います。指揮個体の発生の可能性が高いです」
資料を差し出してくる。
内容を読むと、ここ最近のゴブリンの討伐数の推移が書かれていた。
10日程前から徐々に、2,3日前から急に増えている。
そして、過去3年ほどの大まかな討伐数のまとめ。こちらは年毎に若干ばらけるが冬場のひと月程が異常に多い。
最後の資料は、ここ30年程の解決したとみなされた、年月日のまとめ。大体同じ月にまとまっているが、2件ほど遥かに早い。ひと月後位だ。
「大体、年末前辺りでしょうか。毎年ゴブリンが組織立ってこの村に攻めてきます」
話を聞くと、略奪と女性を求めて、毎年ある程度まとまった数が攻めて来るとの事。
そのまとめているのが指揮個体との事。ちなみに全てのゴブリンが従う訳では無く、ある程度の集団を合併して組織化するらしい。
何故、女性と思ったが、ヴァーダの言葉を思い出した。遺伝子は一緒……。子供を作れるのか。
ちなみにこの村、結構歴史が古い。交通の要所と森へのアクセスが良い為だ。故に発展しているのも有るが。
それならばおかしい。通常毎年起こるイベントに事前に対応しない訳が無い。周辺を囲う柵すら無いのだ。
「毎年との話ですが、どの様に対応されているのでしょうか?柵も無いようですが」
「国の方針で、子爵様の騎士団が毎年発生前の時期に派遣されます。数は100程です」
100人か。全員が戦闘員の訳が無い。
「柵に関しては、騎士団の派遣も有りますので、予算が付きません。柵が有ったとしても、騎士団が派遣されますので」
予算、予算、予算。社会に出ると必ず付き纏うこの言葉。実は超重要。
要は、予め起こるであろう事象を見越し算段して用意した金が予算だ。
大体の場合は、売上、原価、経費の3つに分かれる。詳細は省くが大体、
・売上予算は、これ位儲けが出そうだと予測された金額の事。予定される収入額だ。
・原価予算は、売る対象を買う為や作る為の材料を買う為または、物を作る為にどのくらいかかるか予測された金額の事。予定される支出額だ。
・経費予算は、雇われる人間の給料や人間が移動する時の料金等、原価予算以外で予測された金額の事。予定される支出額だ。
と考えて良い。
組織は、未来に、これだけ収入が入り、これだけ支出が出ると言うのを予測し、予算を用意する。
これ、例外が発生した時に、弱い。本当に弱い。
基本的に、予測した金額しか用意していないので、予測しない事が起こると、お金が無い事になる。
大方の組織はそう言う場合の為に予備のお金を用意している。だが、それでも足りない時も有る。
その場合、借金をしてでもお金を作らなければならない。これが一般的に言われる、補正予算と言うものだ。
で、この補正予算。結論を言うと、少なければ有能の証拠なのだ。
予測不能な天災等も含まれるが、それ以外は予測を外した結果だ。
人間なので、思い違いや勘違いも発生する。それでも色々な情報を得て、判断して未来を予測して当てられる。有能だ。
今回予算が用意出来ない理由は、簡単だ。
柵が有っても無くてもゴブリンが来たら、騎士団を派遣して退治をしなければならない。なら柵は必要無いよね。と言う事だ。
「出現が早まった時の対応は?」
「冒険者ギルドに予備金が有ります。これを使い、一旦は冒険者で守ります。その間に騎士団を編成、派遣してもらいます。後で国に充当してもらいますが」
「どの位の数が攻めてきますか?冒険者で防げますか?」
「毎年ばらけますが、300から400程度です。これまで犠牲は出ていますが、対処は出来ています」
ハーティスが苦悩を表す。
これは、国の失策だ。厳密には承認したであろう国王のだ。冒険者の命を安く見積もっているならば、話は別だが。
基本的に国のトップのお仕事は、50年、100年の未来を予測して、方針を出す事だ。本当は、これ以外はやるべきでは無い。
死ぬ気で未来を予測する為のデータを集め、把握し、勉強し、国の明るい未来を予測し続けなければならない。
しがらみが有る為、それだけと言う事は無いが、本質はそこだ。
ちなみに、国のトップの予測は正しい可能性が高い。
その為に仕事をしているんだろと思うだろうが、そこに官僚機構の分析が加わる。
優秀な多数が分析した結果だ。確度は高い。
その国のトップが言う事は、国民を騙そうとしていない限りは、確定事項としてみなされている。
トップの中では、未来に起こる事は事実として認識、方針化されている。
国民にとって不都合な事でも、起こる事は起こる。それが政治だ。
「その指揮個体と集団の到着は何時頃と見ますか?」
「過去を見る限りは、明日、明後日での話では無いです。ただ、近い将来に起こるでしょう」
両者共にどんどん小声になる。
「事が起こった際にはどの位の冒険者までが徴収されますか?」
「指名するのは8等級以上です。9等級まで指名に含める程は余裕が有りません」
「事が起こるまでの対応は?」
「ゴブリン討伐の達成料を5割上げます。ここからは内密の話が増えます。今までの事を信用し話します。この件はゴブリンが予想より増えている為と公表します」
「箝口令は?」
「冒険者ギルドには権限が有りません。箝口令は国の権利です。少なくとも子爵には馬を出していますので、早々に。まだ、職員も気づいてはいません」
ここで、落とし穴に踏み込んでいた事に気づいた。
駄目だ、これ。気づいちゃいけない事だった。
このままだと、逃げられない。
「この段階で、気づかれたのは貴方だけです。職員の中、鑑定を業務としている者は違和感を感じ始めているかも知れませんが。どうか、ご協力下さい」
ほらね。好奇心が猫を殺しちゃった。
「逃げた場合は?」
「大変申し訳無いですが、箝口令が出た後は、知っている対象として各ギルドに報告が回ります」
現状でギルドを敵に回せない。
逃げ場が無い。はぁ、会社でもあんなに言質取られない様に気を付けていたのに。知らない振りは……出来なかったな。あまりにこの状況に対して知識が無い。
「ちなみに、今までの資料は上の資料室に有りますか?」
「いえ。国より閲覧の制限がかかっています。ギルド用の資料室に保管しています」
と言う事は、国側は内容を隠したがっている。少なくとも今の住人より、村が存在すると言う事実に重きを置いている。
簡単に言うと、最悪の場合、村人が皆殺しになっても、また村人を集めれば良いと考えている。
「私達にはどれだけの援助が用意されていますか?」
「今回の件が収束するまでに必要な装備類に関して、無利子での借金を認めます。証書も都度書きます」
ギルドは本気だ。リズとフィアの顔が浮かんだ。
「この件をまだ知らない2名がいます。その2名だけ逃がす事は可能ですか?」
「パーティー内で話していない事を認めるのは難しいですが、信用します。この件に関しては構いません」
「話さずに説得しろと?」
「はい」
本気で頭を抱えた。あの2人に黙って、逃げろって?
どうやって説得しよう。