第492話 両親が『リザティア』に到着しました
「戦時体制への移行ですか?」
商工会議所のフェンの部屋に通され、ソファーに座り、開口一番告げる。
「少しずつ情報は公開していくけど、二日前辺りから東の森のオークが活発な活動を始めている。現状の予測ではこちらに攻めてくる可能性は高いとみているかな」
フェンは眉根に皺を寄せて顎に手を当てる。
「なるほど。こちらから攻めると言うより、防衛の為と言うお話なのですね。それは、もう災害への備えと一緒なので仕方ないですか。しかし、温泉宿の件が一段落したところだと言うのに忙しい話ですね……」
「本当だよ。やっと職人達も日常品の製造に回す事が出来ると思っていたのに」
「一旦、状況は理解致しました。鍛冶や大工、革細工関係には完全に影響が出ますね。実際に想定されている生産計画を頂ければこちらで調整します。しかし、難儀ですね」
「向こう側の意図も全く分からないからね。最低限、防衛出来るだけの備えは必要だろうとは考える。ノーウェ子爵様に頼る手もあるけど、いつまでもおんぶに抱っこのままと言うのも外聞が悪いからね」
「出来立ての男爵領なんて、親に縋りつくものですが、『リザティア』に関して言えば、無理をすれば出来ますからね。それをしないのは怠慢でしょう。分かりました。各所は調整致しますし、トルカからの日常品の購入は継続します。財政が傾くと言う話では無いですが、勿体無いと言う感じでしょうか」
「はは。勿体無いで済んでいるなら上等だと思うよ。商売に関しては引き続き頼むね。町に戦争の影響は出さないように努力はするから。相手の動きが早ければ早いなりに対処はする。だから、いつも通りで良いよ。問題が起こりそうなら、早めに伝えるよ」
「無い事を祈ります。では、調整を進めます」
「よろしく頼む」
そう言うと、フェンが商工会の職員を呼び職人達の製造計画の詳細の取り寄せを指示し始める。
私は邪魔にならないように、そっと部屋から出る。エントランスから玄関に出ると、大粒の雨が降り始めていた。
「頼むからぶつかる時に雨は勘弁して欲しいな。分からない状況が、ますます分からなくなる……」
マントを頭から被り、足早に領主館に戻る。下準備はここまでやれば後は現場側で調整してくれるだろう。カビアも動いている。政務側からも正式に話は行くだろう。足元を雨に濡らしながら、走る。あぁ……傘の開発を進めよう。やっぱり不便だ。
領主館に戻り、玄関で布を貰って体を拭う。部屋に戻ると、早速書類の山が出来ている。はぁ、戦争となれば事務仕事の山だよな……。そっと溜息を吐く。雨の音を聞きながら蝋燭の明かりの元、書類の処理を進めていく。
オークの動向を確認して二日ほど経った夕方。四月の二十四日は連日の雨に包まれたままになっている。森に展開している斥候と冒険者からは毎日報告が上がってきているがせっせと物資を貯めながら尚、西の方と北の方にも運び始めているらしい。テラクスタ伯爵領とロスティー公爵領の方にもオークの前線基地が有るのだろうか。西に関してはテラクスタ伯爵領かノーウェ子爵領に向かっているかはちょっと追えない。ノーウェ子爵領に向かっているのなら、北の森への戦後の補充が目的だろうし、もう潰し終った話なので問題は無いか。北の方は状況が分からない。ノーウェから情報が伝わって適切な対応を取ってくれるのを願う。
せっせと執務室で書類と格闘していると、玄関の方が騒がしくなる。何か有ったかなと思って、日を思い出し、あぁ到着したかと思った瞬間、部屋がノックされる。
「アスト様、ティーシア様がご到着致しました」
私の伴侶の父母なので、扱いとしては、私の親と同等なのだろう。感謝の声をかけて、椅子から立ち上がる。
玄関に向かうと、馬車から降りて若干雨に濡れたのを拭っているアストとティーシアの姿が見えた。
「お久しぶりです、アストさん、ティーシアさん。お待ちしておりました」
「久しいな。すまんが世話になる」
アストが領主館の内装をきょろきょろ見ながら、答えて来る。
「長旅お疲れでしょう。体も冷えているでしょうし、少し温かい物を用意します。軽食は如何ですか?」
「昼は食べたので大丈夫だ。茶でも貰えるならうれしいな。しかし、新しい町と村と聞いていたがこんな規模の町が出来ているとは想像もしていなかった」
アストが苦笑を浮かべながら、答える。
「終の棲家ですからね。頑張って作ります。荷物もこちらで運びますので、部屋でゆっくりして下さい」
そう言って、使用人に声をかける。
「すまないが、部屋までご案内してくれるかな。後、お茶の用意を頼む」
目礼する、使用人が近くの侍女に指示を出し、そのまま案内に移る。場所は知っているので、馬車の中の様子を確認しに玄関に出る。
「テスラご苦労様。無事送り届けてくれたね」
そこには荷物の確認をしているテスラの姿が有った。
「男爵様……。態々ありがとうございます。道の方も整備が完了しましたし、大事は無かったです。引っ越しの用意だけですね」
そう言いながら、荷物の小山を指さす。
「あー。買わなくてもこっちに有るって言ったのに。それに新品は義兄さんに渡して、今までの分をこっちに持ってきたのかな。荷物の梱包も大変だったんじゃないかな。ありがとう、テスラ」
「いえ。着いた段階でもう殆ど済んでおりましたので。私は積載作業の手伝いをする程度でしたので」
そう言うけど、荷物の結び方が軍の制式な結び方だ。荷物自体は作っていたけど、テスラが再梱包して、詰め直したと言うのが真相なのだろう。
「食料は十分持って行ってもらったけど、道中不便は無かったかな」
「いえ、全く。道のお蔭で快適ですし、クッションでしたか。あれもありますので逆に楽だったかと。食事に関しても三度温かい物が食べられるだけの水、食料と薪を用意してもらっておりましたので、問題有りませんでした」
「そうか。それなら良かった。こっちは少し困った事が起きている。詳細はレイに確認して欲しい。疲れているだろうし、夕ご飯までは休んでもらって構わない」
「分かりました。ありがとうございます。馬車を片付け次第、休みを頂きます」
にこりと微笑み、向かってきた使用人に荷物の受け渡しに関して相談を始める。
馬車から出て、アスト達に用意した南側の部屋に向かう。扉をノックするとアストの声が聞こえる。
「長旅、お疲れ様でした。こちらの都合で申し訳無かったです」
「いや、それは構わん。家はアテンに譲って来たしな。しかし驚いた。雨の中なのでよく確認は出来なかったが立派な町と屋敷だな」
「はは、ありがとうございます。どうぞおかけ下さい」
そう言った瞬間、ノックの音が聞こえる。お茶の用意が出来たのか、侍女達がてきぱきと運び込んでくれる。
用意が整い、侍女達が出て行ったのを見送り、ソファーに腰かける。
「そう見ると、貴族らしくなったな。しかし、そうなるとこの話し方もまずいか……」
アストが少し困り顔で言う。
「いえ。リズの父母ですし、私も父母がいるわけではないので、男爵の父母としての扱いになります。なので、御遠慮なく。逆に遠慮された方が恐縮します」
「そうか……」
そう言いながら、三人でカップを傾ける。
「あら……紅茶。こんな東の果てなのに」
ティーシアが、香りと味を確認し、驚いた顔をする。
「ダブティアへの輸出品がここで荷卸しされる事が増えました。ノーウェティスカですと少し遠いので、そのまま東に直接交易していましたが、今はここが交易の中心地になっています」
「豊かな町なのね……。ふふ、家に来た時とは逆ね」
「御恩は忘れておりません、少しでもお返し出来ればと思います」
「あら良いのよ。そんなつもりで言った訳じゃないわ。でも、少しだけ驚いてはいるわね」
ティーシアが苦笑を浮かべながら、答える。
「しかし、こんな大きな部屋、使い切れんぞ。夫婦二人だしな。もっと小さな部屋で構わないが」
「外聞が有りますし、部屋の規格も有ります。どこもこの大きさです。お気になさらず。もしお子様が出来てもまだまだ部屋は余っておりますので」
「豪儀な話だな。しかし、男爵か……。はは、こんな生活になるとは思ってもみなかった」
アストが微妙な表情を浮かべながら、乾いた笑いを浮かべる。面食らっていると言った方が正しいか。
「父母を使う訳ではないですが、もしよろしければ、お仕事をして頂ければと思います。あまり生活を変えられない方が良いかと思いますので」
「そうだな、その方がありがたい。こんな生活だと、逆に体が悪くなりそうだ」
ははっと三人で笑うと、扉がノックされる。お茶は来たし、そろそろ午後の訓練も終わりかな。さて、感動のご対面かな。