第485話 戦い前に進む者と与えられ口を開ける事に甘んじる者
「お待たせ致しました」
テーブルに並べられるのは、麦粥と焼いた鶏に野菜のサラダだけと簡素な物だった。
「これより遊戯室で遊ばれるとお伺いしておりますので、軽い物を用意致しました」
アレクトリアが深々と頭を下げたまま話し、下がる。
「後程、色々と遊んで頂こうと考えておりますが、その際に軽食なども一緒に出します。その為、お昼は軽めにと。楽しんでもらえれば幸いです」
ふむふむと頷いたオルファレンが匙で麦粥を掬う。その顔には若干の困惑が浮かんでいる。豪奢な物が出ると、そう思ったのかもしれない。でも、日本の料理は、そんなに甘くは無い。
「これは……海の香りですか……? しかし、塩気は無い。海より四日以上は離れておりますが……。どのように……。それにこの上に乗っている白っぽい物は? チーズかと思いましたが匂いも無く、ただただ柔らかな甘さが香草とスープと合います」
アレクトリアも人が悪い。と言うか、湯葉とかどうやって説明しろと言うのか……。教えたのは良いけど、最近大豆料理が増えてちょっと食傷気味だ。皆は目新しいだろうけど、続くと流石に飽きる。
「あぁ、海をご存じなのですね」
「えぇ。西の果ては海ですし、南の方にも行商で向かう機会は有ります。しかし、ここまで内陸ですと塩漬けの魚が若干流通する程度かと。しかもその過剰な塩気も感じません」
「人魚の方が良く食べている海藻を干した物を使ってスープのベースを作っています。その為、海の香りがするのかと」
「あぁ!! 南にも領地をお持ちでしたな……。しかし、優しく滋味深い。昨夜は帰って来た若いのに絡まれましてな。朝も軽めにしておりましたが……。若干腹が荒れている感じがしていましたが、腹に染みる優しさですな」
「魚も乾燥させればまた違うのですが、塩漬け一辺倒ですしね。海藻にも色々種類が有って、料理をするには飽きません。個人的には優しい味は好きですので」
「はは。先程の麦の茶もそうですが、ここに来て驚くばかりです。して、この白い柔らかな物は? 噛む程に甘みと吸ったスープを吐き出して、口の中で崩れます」
「あぁ、それは干した大豆を戻して砕いた汁を温めれば出来ます」
「ほぉ! 大豆ですか……。いや、乾燥前の豆を茹でて食べる事は有りますが……。このような料理になるとは。いや、驚きました。麦の食感とスープの味、それにこの大豆の柔らかく、くにゅくにゅした食感が気持ち良いですな。しかし、あのような豆にこのような可能性が有るとは……」
困惑は消え、笑顔で匙を進める。
「これは鳥……鶏ですか。しかし、ソースは独特ですな。どろりと濃厚な……」
オルファレンが口に含んだ瞬間、目を見開く。
「塩味は魚醤ですか? しかし……甘い、その中にぴりぴりと感じるのはトウガラシですか。しかし、甘さも砂糖ほど尖った甘さでは無いですし雑味も無い。ただただ優しい甘さですな」
これに関しては、ちょっとアレクトリアに文句を言いたい。種芋で貰ったジャガイモを試験的に麦芽糖のベースにして水飴を作ったのを気に入ったのか、ちょこちょこねだってくる。お客様に出すのは分かるけど、種芋も無限にある訳じゃ無いので、程々にして欲しい。
鶏の照り焼きに近いのかな。魚醤なだけに少し匂いは感じるが、甘ダレと鶏の相性はやはり良い。
「そうですね……甘味に関しては料理人の秘密ですね。極々少量しかまだ作れませんので。ただ、今年度中にはある程度量産出来る予定です」
「ふむぅ……。気になりますが、秘密と言うのであれば詮索は止した方が良いですか……。しかし、全体的に優しい。塩気が強い訳でもないのに、満足感も有る。良い料理人ですな」
「恐縮です。夕ご飯はもう少し量が出ますのでご期待下さい」
「はは。確かに、やっと腹が動き出した感じですな。食べたのに、逆に腹が空くと言うのもおかしな話ですが」
「そうですね。軽食も有りますし、その程度の方がよろしいかと。後に響くのも問題ですし」
微笑みながら、食後のお茶を勧める。これも紅茶に乾燥したショウガと水飴を入れたお茶だ。胃を温めてもらえればと思う。
「これは……ショウガですか。薬としては良く飲みますが、お茶として飲むのも良いものですな。いや、面白い」
「ショウガの効能に食欲増進も有ります。腹の具合を良くすると言う意味でも、良いかと」
「はは。今日の昼はそう言う意味でしたか。いや、お見通しとは」
オルファレンが朗らかに笑う。
「町で色々と珍しい物を出している自覚は有ります。ただ、少し酒を飲むのに適した食べ物が多いので、飲み過ぎになる方は多いのですよ」
「これは、痛いところを突かれました。確かに、油を使った料理も豊富で、流すのにいつもより飲む量は増えておりましたな。それも含めての献立ですか」
「腹を休めてもらって、夕ご飯を楽しんでもらえればと思います」
「なるほど。それだけのものが出ると。楽しみにしておきます」
その後はオルファレンの半生を面白おかしく聞いたりしながら、食休みとなった。
穏やかな歓談を楽しみ、席を立つ。遊戯室に案内し、夕ご飯までは自由時間にしようと言う流れになったからだ。
「オルファレンさんだけずるいですぞ。領主様には聞きたい事が沢山有りますのに」
皆と連れ立って東屋から本館の方に歩き出すと、少し前髪が後退し始めた壮年の男性が声を上げる。先程話に出ていたルミスか。
「失礼しました。東屋と言ってもそこまでの広さが無い物で。食事は楽しんでもらえましたか?」
「おぉ、これは領主様。ルミスと申します。いえ、失礼などと。十分楽しませて頂きました。それより、食事はもとよりお茶です。麦の茶、あれは誰の考案した物でしょうか。他にもそう言う物が有りますのでしょうか?」
ぐいぐいくる。苦笑を浮かべながら、両手を前に出して、どうどうと宥める。
「あれは故郷では良く飲まれていた物です。懐かしく思い、出してみましたが、お気に召しましたか?」
「気に召すも何も。穀物を茶に出来ると言う事がどれほど大きな可能性を持っているか。それに食事に出ていた大豆の料理ですか。儂は感動致しました」
もう泣かんばかりの顔で差し出した手を掴まれて、ブンブン振られる。
「故郷は昔、貧しかったです。それでも豊かさを求め、戦い、そして前へと進み続けました。その結晶の一つです」
この世界は前に進めていない。今を維持するのに精いっぱいだ。その理由の一つに神の存在が有るのだろうとは思う。
地球は同じ人と共存し、そして争う為に発展してきた。この世界は魔物を相手にするだけの力が有れば、それで良い。そこまでで、後は神の恩恵でどうにかなると言う思いが強い。親離れしていない子供のような考え方だ。それどころか、神に与えられたものを持て余しているようにも見える。滑稽な話だな……。ふふ、この思いも神様は知るのかな。良いよ、この地では無い場所から来た人間の一意見だ。参考にしてくれるなら、ありがたい。
「そんなものでも、皆さんが喜んで下さるなら、皆で楽しみましょう。少しずつでも一緒に前に進めるなら、それは幸せな事でしょうから」
振り回される手をそっと押さえて、告げる。
「この地が何かのきっかけになるのであれば、それはとても尊い事なのでしょう。どうか共に豊かになる為に、歩んで下さる事を願います」
「それはもう。どのような些細な事でも結構です。いやぁ、今日は良き日です」
浮かれ笑うルミスを朗らかに微笑みながら見つめる。
オルファレンはサービスの質で、この町を飢狼の巣と見破った。ビジネスは相手の意図を見抜き常に対等の立場に立たなければ、食い尽くされる。相手に依存した時点で、立場は固定される。オルファレンが主客として紹介されたのはそう言う意味もあるのだろうなとは思う。私は言ったよ、戦い、前に進んだから手に入れたって。
さて、遊戯室か。どのような姿を見せてくれるのだろう。喜んでくれるのかな。