第483話 些事に神経を通してこそのサービスです
「では、こちらに横になって下さい」
固めの施術台の上にうつ伏せに寝転がる。その背中から、肩、首筋にかけて温めたオリーブオイルが垂らされる。うひぃ……、くすぐったいと思っていると、優しい手つきで伸ばされていく。
「施術士に変わりますね」
二十歳前くらいの従業員の娘さんが一礼して去ると、施術服からも分かるほどにムキムキな壮年の男性が向かってくる。えぇぇぇ……。いや、薬師ギルドの出向だからこうなるって分かっていたけど、現実が迫ると切ない。
「では、始めます」
渋い声で宣言され、肩口から首筋にかけてを思ったよりも優しい手つきで圧迫される。指先で押す感じでは無く、掌で圧迫する感じだが、あまりに凝っているので点で押されると痛みしか感じないので丁度良い。
しかし按摩行為に関しては薬師ギルドのレクチャーで実施出来るかと思ったが、医療行為になる為NGとなった。妥協として薬師ギルドに報酬を払い、出向常駐してもらっている。撫でたりさすったりする程度なら問題は無いだろうが押すとなると影響は出るかもしれないのでここはしょうがないと判断した。マッサージで事故が発生しても責任が負えない。
そんな事を考えていると、首筋から、後頭部の方に上がってくる。あー、やばい、凝っている。痛気持ち良い。
「しかし……領主様……。激務かと思いますが、少々放置し過ぎかと」
「あー、凝っていますか?」
「ここまでいけば、常時痛みを発しているのではないですか?」
「重いなとは思いますね」
「もうその段階でお越し下さい」
若干呆れたように、施術士の人が溜息を吐いた後、ゆっくりと後頭部から首筋、肩口を押してくれる。周囲でも快楽が混じった溜息が零れている。
少し痛みがましになったかなと思ったタイミングで、親指が当てられて、ゆっくりと圧を加えられる。あぁ、小手調べだったのか……いてててて……。
一時間程だろうか、腰辺りまで施術をしてもらって解放となった。
「全体的に凝っていますが、書類仕事が多いのでしょう。腰、肩、首が特に酷いです。後、運動不足かと思われます。出来ればギルドの方に定期的に通われるのをお勧めしますし、運動はなさった方が良いかと思います」
あー。流石にちょこちょこスキルの維持程度に訓練してても焼け石に水だったか。きちんと運動しよう。そう思いながら、周りを見渡すと、皆、腰を回したり、腕を振ったりして具合を確認している。
「しかし、マッサージですか。ありがたい話ですがギルドの施術ですとそれなりにかかります。本当によろしいのですか?」
オルファレンが若干驚きを交えた顔をしながら聞いてくる。
「はい。行為自体をギルド側に制限されましたので。こればかりは必要経費です。泊まって下さる方なら、朝ご飯から夕ご飯の時間までならいつでも可能ですよ」
「ふむ……。いや、経費が回収しきれるのかと若干心配致しましたが……」
「その辺りは、大丈夫です。それよりも温まった状態でマッサージを受けた方が効果も高いですし。如何ですか? 体の調子は」
「はい。少し長期の旅が続いておりましたので、腰の方に痛みが走っておりましたが、大分楽になりました」
「まぁ、いつでもと言いましたが、一日一回程度の方が良いかと思います。複数回受けても効果は変わらないですよ」
「はは。欲をかいても意味は無いですな」
にこやかに笑い合いながら、施術台から降りる。いつもならここでお茶のタイミングだが、折角なので、他に用意している。
「さて、まだ暑いかと思いますので、少し涼みに行きましょうか」
施術で脱いだ浴衣を着直しながら、皆に声をかける。着付けもきちんと覚えてくれて問題無い。と言うか、羽織って腰を結ぶだけなので、間違えようもないか。
「後で女性陣も来るでしょう、先に向かいましょうか」
そう言って、マッサージルームから出て、中庭の方に出る。中庭の東屋は完全開放状態になっている。下駄に関しては大工に設計図を書いたら、さっさと仕上げてくれたので、それを使っている。ちなみに、水虫に関しては神術の治療対象なので、ほぼ罹患者がいない。革靴文化なのに流行しないのかなと思ったが、そう言う裏が有った。真菌さんはどうやって生き残っているのか少し気になる。
「この履物も気持ち良いですな。木製で固いのかと思えば柔らかな履き心地ですし、親指の締まる感覚も心地良いですな」
「故郷の履物です。湯に入った後に革靴を履くと蒸れて熱いかと思いまして。気に入ってもらえれば幸いです」
「はは。出来れば欲しいかと思います。家の中などでは良いかと思います」
「なるほど。売るまでは考えていなかったですね……。在庫は有りますし、少しお土産物屋に並べますか」
「それは嬉しいですな」
オルファレンがにこやかに頷くのを見て、カビアに目配せする。意図を理解したのか、軽く頷き、本館の方に戻ってくれる。
少し歩けば、川や池のほとりに東屋が点々と並ぶ。
「各家単位でありますので。履物を脱いでお上がり下さい」
そう伝えると、従業員が各員を誘導してくれる。
私とフェン、オルファレンが一際大きめの東屋に玄関から上がる。簡易の廊下を渡れば四面が解放された空間が広がる。爽やかな風が吹く中、円卓を囲むように配された木製の椅子に座る。
「ここは気持ち良いですな……。子供の頃は良く川で遊びましたが、その時以来でしょうか……」
オルファレンが目を細めながら、すぅっと息を吸い、吐く。
「ふむ……。この香りはイグサですか……。この床に使ってらっしゃるのですか。灯心にしか使えないと思っておりましたが、このような使い道が……。何とも踏み心地も良いですな」
「そう言って頂ければ、幸いです。故郷が夏蒸し暑い地域でしたので、こう言う床だったのです。それを少し調整した物ですね」
「ほぉ。なんとも冷ややかと思えば、温かな感触を返す、不思議な床かと。このまま寝転がっても気持ち良さそうですな」
「故郷でもそのまま寝転がるのが常でした。履物を脱ぐ文化でしたので」
「ふぅむぅ。それなりに行商で点々としましたが、そのような文化は見た事が有りません。余程の遠くに住まわれていたのですね」
「はは。帰る事は考えておりません。もう、ここが私の故郷、守るべき地ですから」
「それは申し訳無い事を。いらぬ郷愁を告げるなど」
「いえ。お気になさらず。あぁ、丁度良い。ご婦人方もお越しのようです」
がやがやと聞こえて来たなと思ったら、案の定リズ達だった。
「お前……それ……」
オルファレンがご夫人の顔を見た瞬間、驚愕で口を半開きにする。
「あら……リザティアさんはお褒めを頂けると仰っていたので楽しみにしていたのですけど」
夫人が優しく少し意地悪げに言うとオルファレンが我に返ったように姿勢を正す。
「すまんな、驚いた。十は若返ったか? アーティファクトでも使ったかと思ったわ……」
「ふふ。共に年を重ねようと仰ったのはあなたですよ。でも、そう仰って頂けるのは嬉しいですね。鏡で見ましたが、確かに年齢操作のアーティファクトを使いたがる人の気持ちは少しは分かりましたが」
「お母さん、綺麗」
五歳くらいのお兄ちゃんと四歳くらいの妹も一緒についてきている。少し年齢的には遅いが、仕事を優先したのかなとは思う。
「さぁ、お風呂で汗もかきましたし、少し飲み物でもいかがですか?」
従業員に手を振ると、カップにお茶を注いでくれる。
「どうぞ。お召し上がり下さい」
微笑み、勧める。オルファレンがカップに触れた瞬間怪訝な顔をする。
「冷たくて美味しい!! おかわり!!」
子供達の方が先に飲み終わり、おかわりをせがむ。
「自家製のハーブティーです。爽やかな物を選んでブレンドしております。火照った体には丁度良いかと」
オルファレンがカップを握り、口元で傾ける。くっくっと喉が動き、ほぅっと言う溜息と共にテーブルに置かれる。
「川で冷やしたと言う話では無いですね。氷……水魔術士ですか。色々と規格外ですが、このような些事にまで神経を通されるとは……。ハーブも冷えた状態に合うように厳選されましたね。ただただ清涼にそして喉越しの良いものを……。感服です」
そう言って、微笑む。あぁ、喜んでもらえた。良かった、本当に。