第482話 大浴場のお披露目
リズと一緒にゲストを連れて、エントランスに入る。もう五月も近く、今日は日差しも強めで温度が上がっている。建物の中に入るだけでもひんやりとした感じを受ける。マネジャー層の皆が一列に並び、一斉に頭を下げて来る。軽く手を振り、エントランスの一番大規模なソファに皆で腰かける。
「さて、自己紹介が遅れました。領主のアキヒロです。本日はご滞在頂き、ありがとうございます。楽しんで頂ければと思います」
「先程は簡単な挨拶で失礼致しました。繊維商をしております、オルファレンと申します。こちら、家内のフェティスタ、息子のファレインシュタット、娘のシアです」
ワラニカの名前にしては何となく長い。
「失礼ですが、東側のお生まれですか?」
「元の生まれはダブティアよりもっと北東の方ですね。暖かい地方に行きたいと思い、南に南に降りて東西を交易するようになりましたので」
にこやかにオルファレンが答える。
その後は、穀物商でも指折りの人間や野菜周りの権威、畜産の権威などが次々と名乗りを上げる。皆、家族を連れての参加となる。元々交易そのものが忙しいので、出来れば信用出来る人間を近くに置いておきたいと思うのは誰しもだ。なので、家族を中心に交易隊を作って各地を巡っているらしい。
「しかし、先程拝見しただけでも、皆衣装だけでも統一感が有りますな。紺や黒の布地が異常に売れているので気にかけておりましたが、あのような使い方が有るとは」
オルファレンがお茶の用意を始めた、従業員を眺めながら言う。
「作業着と言うのも味気ないので、折角ですし統一した雰囲気を出したいと思ったまでですよ」
「ふぅむ……。縫製一つとっても未知の部分が多く、興味深いです。領主様はどちらのご出身なのでしょうか?」
「はは。私なんですが、元々魔術か何かの影響でワラニカに飛ばされたようで出身地が分からない状況です。その窮地をノーウェ子爵様に助けて頂いたようなものです」
そう言いながら、用意されたお茶を勧める。
大開放からは、中庭の景色が一望できると共に、池や川から涼しい風がふわりと吹き込んでくる。
「何と言うか……。中庭を作るにせよ、刈り取られた木々が並ぶだけの目隠しですが、ここは自然のあるがままのように配されながらも色々と意味が有って美しいですな……。幾ら眺めていても飽きない。郷愁……ともまた違った思いが募ります」
そう言ってオルファレンがお茶を口に含んだ瞬間、目を見開く。
「これは、王都南の原産では? 王都でも中々口には出来ない筈です。もう、この辺りだと同じ重さの金よりも遥かに高価かと思いますが」
雑貨と宝飾関係ではワラニカでも一、二を争うと言っていた商人が声をあげる。
「はい。東側への輸出用ですね。皆、この町で荷を降ろしていかれるようになりました」
「人類生存圏の拡大と言いながらも、じりじりと開拓済みの地域から広げていくのが常でしたが、この町は違いますね。一気に東との交易が楽になりました。商隊で二十日以上の距離はやはりつらいです。ここで荷を降ろす人間の気持ちも分かります。また、ワラニカ国内で言うなら、トルカからここまで商隊でも五日程です。道が良くなり、雨でもぬかるまないのは本当に助かります」
オルファレンがしみじみと言う。
「喜んで頂ければなによりです」
「ふふ。ここで嵩に懸からないのですね」
「商家の方々は国を人間に例えれば、血液と同じです。早く、滞りなく循環して下されてこそ、健康が保たれますので」
そう答えると、商家の皆が目を瞑り、表情を穏やかにする。
「そう……ですか。貴族の方には金を毟る化け物やら、泥棒呼ばわりされる事も少なくは無いのです。そのように思って頂けるのは、何よりもありがたいです」
ほっとした雰囲気が周囲に広がる。
「フェンドリクスから話をもらった時は、半信半疑でした。どこの領地も農業の方が優先です。それを商売を優先にする領地が出来るなどと。しかし、今のお言葉を聞いて納得致しました。領主様もまた商家の人間の考え方なのでしょう……。いえ、貴族として領地を回す事をお考えになられる時点で、それを含めて為政をみてらっしゃるのでしょうね」
「お褒め頂いたようで面映ゆいです」
「いえいえ。このような楽しみが増えるなど……。今まではノーウェティスカで一息つき、トルカからは生死を覚悟してダブティアへと赴いておりましたが、このような地が生まれるとは……。本当にありがたい事です」
オルファレンがにこやかに言う。
「まぁ、湿っぽい話はここまでにしましょう。折角外湯を楽しまれた皆様です。早速大浴場を楽しむとしましょうか」
そう言うと、喜色が浮かんでくる。
「噂の湯の原ですか。楽しみです」
オルファレン以外の皆もそれぞれ楽しみを口にしつつ、立ち上がる。
先導を従業員に頼み、大浴場に向かう。
鍵をもらって、布などを借りる。浴衣も何とか用意出来た。オルファレンは受け取った浴衣の縫製や生地の使い方を一心不乱に見ているようだが、皆で笑いながら背中を押す。
脱衣所のロッカーもかなり興味を引いたらしい。外湯ではまだ警戒して荷物の番を部屋に置いて、お風呂に行っているらしい。まぁ、ロッカーも無く、普通の籠しか無かったら財布とか貴重品は部屋に置いておきたいのは分かる。
服を脱いで、体を洗う為の布を持つ。先程風呂に入ったばかりだが、皆に合わせる必要が有るかなと。
入り口で介添えが必要かを確認されるが、皆、首を振る。やはり、新しい物好きが多いか。皆、外湯は楽しんだらしい。
洗い場で頭と体を洗い、奥へと向かう。
「おぉぉぉ……」
驚きが潮騒のように広がる。湯気の合間にはどこまでも広がる大浴場が垣間見える。
「湯に浸かる事自体が贅沢ですが、このように広い場所に浸かれるとは……」
オルファレンも若干呆然としながらもゆったりと、湯船に近付きゆるりと浸かる。
「くぅぅ……はぁぁぁ……」
オルファレンに続けとばかりに、商家の皆が湯に浸かっていく。
「外湯は打たせ湯と流し湯には浸かりました。しかし、この広いお湯に浸かると言うのは格別のものが有りますな。解放感と言い雰囲気と言い」
オルファレンが目を細めながら、縁に腕を預け、呟く。
「外湯はどちらかと言うと、特殊な物を用意していますからね。基本はゆったりと広いお湯に浸かる事かと」
私も縁に背中を預けて、答える。
「外には、空を臨める露天風呂も有りますし、旧来の風呂がお好みでしたら蒸し風呂も有ります」
「ははは。それはまた。贅沢な話ですね」
「疲れを取り、明日への活力にして頂くのが望みですので」
「宿の基本ですか。食事が出来て、眠れれば良い。部屋の調度が凝っていれば高級宿なのか。ここに浸かっていると、本当にそう感じます」
暫く浸かっていると、慣れない面々が顔を赤らめて、溜息を吐き始める。
「さて、少し逆上せて来たでしょう。外に出ましょう。風を浴びながらの入浴と言うのも、また一興ですよ」
にこやかに笑って、誘導を始める。
扉を開けると外の冷涼な風がさっと吹き込んでくる。
「さぁ、お気に召して頂けますか」
扉の向こうは柵は有るが、そこから上は何も遮るものが無い。近くには日本庭園風にアレンジされた庭が有り、そこからは見渡す限りの草原だ。野生動物達が思い思いに走り回る様を眺めながら、ゆったりと湯に浸かる。木製のビーチチェアも数を用意しているので、そのまま座り込み、寝転がる事も出来る。
「おぉ……何と言う素晴らしい眺めか……。それにこの解放感……」
オルファレンが思わずと言った感じで叫んだ瞬間、周囲を見回していた商家の人も頷き、口々に感想を述べる。
「初めての方には少し熱かったかもしれません。体を冷やすのであれば、そちらの木製の椅子をお使い下さい。背中側を引けば椅子になりますし、限界まで引けばベッド状になります」
初めてのビーチチェアに雑貨の権威が食いつく。構造を眺めては溜息を吐いている。最終的には諦めたのか寝転がって心地を確かめている。
「いやはや。外で裸体を晒す機会もとんと減りました。昔は商隊で川でも見つければ水浴びをなんて元気も有りましたが、今は馬車の中で少しの湯を使って体を拭くような状況です」
「はははは。まだまだお元気では無いですか。そのような事を仰っておられると、老いますよ」
「はは。それもそうですね。しかし、湯気の中で湯に浸かっていると息苦しい感じはしましたが、外ではそのような感じはしませんね。この空を臨みながら、このような贅沢が味わえるとは」
「中々汗をかく機会も無くなりますしね。ゆったりとお寛ぎ下さい。喉が渇いた方は遠慮せずに仰って下さい。飲み物を用意致しますので」
周囲にも声をかけると、頷きが返る。暫くすると、女湯の方も騒がしくなる。
「リズー、問題無いー?」
「無いよー。子供達も気持ち良さそうー」
流石に乳幼児はいないが四歳くらいになったら行商に連れていくようだ。六歳くらいまでの子は母親の方に預かってもらっている。と言っても孫達なので、そう数はいない。
「水分だけ気を付けてあげてー」
「分かったー」
答えると、世話の方に回ったのか、キャッキャッと騒がしいざわめきだけしか聞こえなくなった。
「仲がよろしいのですね」
「ふふふ。大事な妻ですから」
「良い事だと考えます」
露天風呂に浸かり、オルファレンと風に揺れる草原を眺めながら、雑談を交わす。色々な土地を足で稼いできた人間の話だ、面白くない訳が無い。笑い、驚き、今後の発展に向けてどうすれば良いかを話していく。
「いや、貴重な話をありがとうございます」
「いえ、私も領主様相手にこのような些事を話し過ぎましたか」
「現場の話は千金に値します。そのような事を聞けて、私の方こそ貰い過ぎなのでしょう」
「ふふ。領主様は本当に……。いえ、だからこそのこの町なのでしょうね。少し人が悪いかと思いましたが、商会の人間に小遣いをやって夜の町を歩かせましたが、治安が良い。それにロルフの名など、久々に聞きました。あの夜の町の主がこの町におるとは……。それに苦界に働く娘達も皆、元気そうとの事で。しかし、あの商人の卵達が小遣いを毟られて、その上で自分の財布を開けるなど。はは、笑い種です」
「楽しんで頂けたようですね」
「はい。この町は新しいだけではなく、本当に新しい概念で満ち溢れています。私もいくつも商売の種を見つけました。まぁ、政務の方に話すと特許が取られている物ばかりで。あぁ、ここは発展する。きちんと目を配る領主様が民の事を案じ、楽しみの上で生活を成り立たせている。このように愉快な場所は有りましょうか」
「そう言って頂き、光栄です」
「はは。一商人の戯言にここまで耳を傾けられる方だ。きっとどこまでも伸びて行かれるのでしょう」
商売は現場にしか答えは無い。日本でげろが出るまで叩き込まれた。それを実践しているだけだが、新鮮に映るんだろうな。
「さて、少し、茹ってきたようです。昨夜もここで良く分からず倒れそうになりましたから」
「それは危ない。どうせ宿泊中は幾らでも入れます。湯から上がった後は、マッサージで疲れを癒して下さい」
さて、色々有って一度も体験した事の無いマッサージ。私も体験してみようかな。