第477話 ダーツはそろそろ酒場でブームを巻き起こし始めています
歓楽街に入ると一気に活気づく。周囲の宿は開店してお客さんも溢れそうな状態だ。まだまだキャパは有るが、表通りの方は見るからに喧噪で満ちている。お昼下がりと言う事で一仕事終えた商人達が連れ立って、食事に向かう姿が多く見受けられる。食堂や酒場もそうだが、屋台にも人が群がっている。生きた鶏が多く入ってくる状況だと、やはり焼き鳥が売れる。やや暖かくなってきたので、ハーブで味付けした焼き鳥とパンそして上水で冷やしたピケットを、並んで道端のベンチで頬張っている商家の見習いみたいな子達が少し可愛い。醸造関係は完全に輸入に頼っているから、その内『リザティア』でも葡萄の栽培まで行きたいが、まだまだ先かな。米の生産と酒造りの方が先に進みそうな気がする。
「活気が有りますね……」
ラディアが愕然とした顔で言う。
「ノーウェティスカも人数で考えれば変わらないです。ここはこのスペースに人間が集まっているので活況に見えるだけですよ」
実際に歓楽街を分けたのは少ない人数でも活気が有るように見せたいと言う思惑もある。活気が有るように見えれば、そこに商機を感じて人が集まる。その連鎖を作りたかったのが当初の構想だが、思惑通りに進んでくれているのはありがたい。貸し会議室みたいな形で時間貸しの部屋も用意しているので、ゆっくりと商談をするスペースもある。行商の人からは非常に好評らしい。身内や知り合いの店舗のスペースを借りるか、宿の部屋を別で借りて商談をすると言うのもコストがかかるし、忙しない。そう言う意味ではゆっくりと商談が出来るこのシステムはかなり好まれている。逆にギルドに属している人間は一々『リザティア』側に戻らないといけないと言う不便さが有るので若干不評だが、これも貸し会議室を借りる方向に動いている。ギルド側から権限を委任された人間が商談に出るようになったので、相手の商家側も話をまとめやすいと言う話をもらう。相手のホームグラウンドで商談をするのも色々気を使うので、対等に話が出来ると言う事でもう少し数とグレードのランクを調整して欲しいと言う話が上がってきている。今だと、結構綺麗な現代日本のオフィスを彷彿とさせるような会議室だが、グレードをもう少し下げてお値段を下げた物と、調度を考えてグレードを上げた物を用意して欲しいと言う陳情だ。前者は必要最低限が分からないのと、あまり価格を下げて運用するのは割に合わないので少し考えるべきかなと商工会と調整している。後者は温泉宿に貸し会議室を設けるので、そちらを使ってもらえればと思う。グレードは高い。
「まだ、町そのものが稼働していないにも拘らず、この勢いというのは……」
「トルカなどと同じですよ。東の玄関となっていますから。ここで商談をしてしまって戻られる商家の方も多いです。勿論その分はトルカはじめノーウェ子爵領全体に行き渡るので、『リザティア』が出来る前と比べても、商家の行き来は増えているはずです」
東とのやり取りを考えていなかった商家の人間も、『リザティア』までならと言う感じで、商売をしにくる。結果、行き返りのノーウェ領も潤うと言う図式になっている。
「確かに、ノーウェティスカも徐々に人の数が増えて、土地が高くなっていると、結婚する同僚が言っていましたが、こう言う事情が有ったのですね」
「あぁ、そちらにも影響が出始めましたか。これからその傾向は続くと思います」
「ふふ。結婚するのがもっと大変になりますね」
「ラディアさんなら軍でもエリートですし、引く手あまたでしょう?」
「あら。お上手ですね。ふふふ。でもまだ結婚までは考えられませんね。忙しいので」
「そう仰っていると……いえ、これ以上は怒られそうですね」
「婚期を逃しますか? ふふ。仕事に生きるのも良いのかも知れませんね」
じめっとした愚痴では無くカラッとした語り口なので、本心なのかもしれない。仕事が好きなのだろう……。
「あら、あれは何ですか?」
興味をそそられたのか、ラディアが指さす。石壁に下げられた的に四、五人の冒険者が楽しそうにダーツを投げている。
「あぁ、あれは『リザティア』で開発された遊びです。あの的に専用の矢を投げて、点数を競うゲームですね」
量産が開始されて、酒場などには供給が始まっている。大工の方からも技術向上が図れると言う事でかなり喜ばれているようだ。的も消耗品なので、継続的に収入が入るのもやはり大きい。まだ『リザティア』と歓楽街での販売しか許可していない。どうもよその商家の人間はごっそりと売りに出したいらしいけど、まずはこっちの需要を満たすのが先だ。何処の酒場もまだかまだかと待っていたりする。酒を飲みながら気軽に遊べる遊びなんて無かったので、娯楽としてかなりブームになっているらしい。後はトランプが出回り始めたら、西部劇の酒場みたいになるのかな。まぁ、賭け事は決まった場所以外禁止なので、後ろ暗い事にはならないと思うけど。
「面白そうですね……。細部まで斬新な考え方が詰まっていて、ワクワクする町です」
ラディアが子供のように顔を輝かせながら、歓楽街の様子を窓から覗く。ノーウェティスカで生活している人間がこれだけ食いつくのだから、まずは町の雰囲気としては及第点なのだろう。
「さて、温泉宿ですが、ディルスさんには内緒でした。ロスティー公爵閣下やノーウェ子爵様に伝わると面白味も半減しますしね。その点、ラディアさんは女性なのでその辺りは気にしないでおきます。存分に女性方に広めて頂いて結構です」
「あは。分かりました。ディルスさんもかなりおっかなびっくりでしたよ。怖くて手を出せなかったと言っていましたから。その辺りはノーウェ子爵様からも男爵様の方針に則って対応して構わないと言われております。期待はしているようですので、程々の報告に致します」
そう言ってラディアが悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。
「楽しんで、情報をお持ち帰り頂ければ幸いです」
雑談を楽しみながら、中央を抜けて、温泉宿に到着する。ロータリーを回って玄関に着く頃には、従業員達が集まって出迎えてくれる。勿論先頭にはテディが立っている。
「久しぶり。中々顔を出せず申し訳無い。元気だったかな」
馬車が停まると同時に、先に降りてラディアが降りるのを補助して、テディの元に向かう。
「お久しぶりです。男爵様。お忙しいのは聞き及んでおります。本日は態々ご足労頂きまして、ありがとうございます」
「ノーウェ子爵様のお客様。ラディアさん」
「ラディアです。本日はよろしくお願いします」
「テディと申します。どうぞお楽しみ頂ければ幸いです」
お互いが挨拶をしている間に、皆が馬車を降りて来る。最後にひょこっと二匹が顔を出す。
「おいで、タロ、ヒメ」
叫ぶと、嬉しそうに階段を器用に降りて、向かってくる。足元まで来ると、お座りをしてきちんと待つ。
「では、皆はお風呂を楽しんできて。私はテディに状況を確認するから」
そう言うと、皆が嬉しそうに使用人の先導で、ホールの方に向かって歩き出す。ラディアも女性陣に囲まれて何かを吹き込まれているらしい。
「さて、テディ。長い間のお勤めご苦労様。お蔭で、開店の運びとなった。これも全てテディのお蔭だと思っている」
「いえ、男爵様……。そのようなお言葉勿体無いです……」
笑顔の中にも何かが込み上げてくるのか、少しだけ瞳が潤んでいる。
「開店したら、ゆっくり酒でも飲もう。では、状況説明をお願い出来るかな」
「畏まりました。では、支配人室にお越し下さい」
タロとヒメがテトテトと後を興味深げに付いてくる。前に歩いたから匂いは覚えているけど、自分の匂いを付けたい、でも怒られそうと言うのを『馴致』で送ってくるのが可愛い。
『匂いを付けるのはダメだよ』
『まま、わかったの……』
『はーい……』
『その代わり、終わったら、お風呂に一緒に入ろうか』
『ぬくいの!!』
そこは唱和するんだと思いながら、支配人室に入る。ソファにかけると、タロとヒメが左右に伏せる。テディが笑顔で侍女にお茶の準備を伝えている。
「では、現状を説明致します」
対面に腰かけて、テディが語り始める。
「まずは、従業員教育に関してですが、頂いたマニュアルと言う概念は非常に効果的でした。誰もが同じ水準で同じ仕事が出来ると言う事がここまで人員の流動を容易にするとは思いませんでした」
「テディもそこは前の宿で行っていたよね?」
「休む人間のフォローの為に仕事を憶えてもらうと言うのは有りましたが、力量がまちまちになる問題は抱えていました。マニュアルを明確にする事により、誰が何をどれだけ出来るのかが明確になったため、教育も容易になりました」
「ただ、その弊害も一緒に伝えたけど」
「はい。画一的で突発的事象に答えられない。この部分に関しては、お話頂いたように、ラインの上長に予定宿泊費の二割までの決裁権を与えました。これにより、サービスとして何かをする際も私には事後報告だけで動けるようになります」
「それをするなら、お客様情報が明確じゃないとサービスも出来ないよね?」
「はい。頂いたデータベースの概念も組み込みが完了致しました。お客様の詳細情報が逐次更新され、蓄積されるのに足るだけの状況は作りました。今後、同じお客様が来られても前回以上のサービスを提供可能です」
現代の宿泊設備だと当たり前の概念だけど、ここまで理解して実施してくれるのはテディだからだろう。
「なら、お客様対応に関しては、問題無さそうかな」
「はい。確認の為、何組かの馴染みのお客様に泊まって頂きましたが、評価は非常に高い物でした」
試験も完了済みと。じゃあ、後は私絡みの問題かな。物販と遊戯室周りか……。
そう思っていると、お茶が出てきたのでカップを見ると、紅茶だ。しかも香り高い。
「ん。良い香り。サービスも出す物も一級品か……。良いね。楽しみだ」
「ありがとうございます。お茶に関しては、南の方で販路が見つかりましたので、かなり抑えめの価格で取引が出来ております」
「貴賓の対応は基本的に温泉宿で行ってもらう事になるから。ノーウェ様よりその辺りの情報は頂いていたけど、大丈夫そう? 私もまだ覚束ないけど」
「はい。その辺りは元々昔の経験も有りますので、新しい情報と合わせて調整済みです」
なら大丈夫か。任せて良かった、本当に。お茶を飲み終わったら、私の担当を確認しないとな。
「折角のお茶だよ。苦労話でも聞かせてもらおうかな」
「いやぁ、苦労などと。男爵様にお話しても笑われる話です」
そんな感じで雑談を楽しみながら、お茶を楽しむ。最近バタバタしていたので、こう言うゆったりした時間は本当に幸せだ。